book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

3月に読んだ本からおすすめ10

3月に読み終えた本は31冊。

その中からおすすめの10冊を紹介!

 

 

第10位。

『巨流アマゾンを遡れ』

巨流アマゾンを遡れ (集英社文庫)

巨流アマゾンを遡れ (集英社文庫)

 

クレイジー・ジャーニーで一躍有名になった高野秀行氏による体験記。読むと当時のアマゾン界隈の様子が鮮明に浮かび、そして旅行記として普通に面白い。未知の文化について窺い知れ、そしてブラジル人の陽気な気質やペルー人の妙な生真面目さ等、文体を通じて如何なく伝わり人間描写が巧みだなとつい思う。

道中におけるエピソードも面白く、その土地の魅力を存分に感じた。あとコカインに関する話も興味深く、コカに対するトリビアもあって、コカの葉は確かにガムのようにかみ締めている絵をみたことはあったが、正確には咀嚼なく飴のように舐める。そこに出る唾液を嗜めるものなのだと初めて知る。それが高山病に効き、感覚としては疲れを取るのではなく、疲れに慣れさせる、という感覚であるというのも初めて知った。

また各所寄った町についての記述も興味深く、ピラクルに関心が沸いたり、映画等で見る凶暴なピラニアはフィクションだと知れる。

本書は旅行記と同時に冒険譚。

思わず読み入ってしまう文章は魅力的であり、現地の香りや雰囲気の一端を嗅がせる様な具体性。読み応えはあって面白く、アマゾン川界隈に対する興味が自然と沸いてくる一冊。

期待通りの良本だった。

 

 

第9位。

バーナード嬢曰く。: 2』 

 実に好きな作品。その2巻目。

期待して読み、内容としてはやはり面白い。

そしてこの巻を読み終えまず思ったのは、アニメで使われた話が多かったなということ。なので既知感ある話が多く登場。

しかし内容自体としては相変わらずの勢いで、読んだ振りを自負してそれを誇る姿の気高さと滑稽さのバランスが実に秀逸!

あとはやはり神林さんのキャラが良くて微笑ましい。問われてすぐに三大奇書を言える辺りは「すげえな」と思い、本に関するトリビア知識が身に付く一冊。

あと村上春樹ネタがいくつか登場したのが印象的。

年度のSFランキング見て「半分も読んでないよ」といって、一冊も読んでないながらも、4割は読んだような振りをする口調を呈すまさに“叙述トリック”ならぬ“口述トリック”には笑う。

一巻ほどにはインパクトを感じなかったが、それでも充分に面白い。読書家は是非読むべき本で、大いに笑うはず。

 

                

第8位。

『男たちの風景』

 まず感想としては、凄いの一言。

10編から成り、最初の「彼方へ」はごく短く作品。次の「アダムの肋骨」は少し難解で分かり難く感じたものの、幻想的でありホラー要素を含めた心理学的な作品。ある種フロイト的にも思えた。次の「貞操号の遭難」もまたホラー色が強いながらも異星人を巧みに描き、SF要素も強い。そこでも新生物とその繁殖方法もまた独特であり同時に皮肉的。とすれば、これは貞操のなさを嘆く内容にも見える。次の「商社の赤い花」は傑作。読んでおいてハッとさせられ、そのアイデアには驚愕するとともに見事な結末。するとこの表題の意味もつかめては感慨深い作品で、端的に資本主義社会を批判するようにさえ思えるこの展開は、見事であり読み応えあった。次の「感情のある風景」もまた傑作!そしてこの作品は、以前に読んだ『漫画は哲学する』に紹介されていた作品であり、気になっていたので、本作はようやく読めたといった印象。そして読むとこれまた内容は深く、「感情を外に出して表現し、他人の感情が一目で分かる世界」というアイデアがすでに奇抜であり突出しているが、そのアイデアによって描く一人の男とその結末こそ確かに哲学的であり、感情を失ってまで成る人間は、はたして既知の人間と呼べるのか?感慨深い作品でもあり、そして考えさせられるような作品。「食事の時間」は牛などに習い、新種の微生物を開発して人に住ませ、その微生物にさまざまなものを分解させてはエネルギーを得られるようにし、食糧危機を脱しようとする世界の話。すると上流階級と貧民の格差がさらに広がる世界を描き、そこで貧民は服など、食物以外のものを食べる。酷い格差の世界と迫る食糧危機を描き、最後の結末は微生物、細菌の暴走。そこではベルセルク的でもあり、迫力ある地獄絵図。これまた示唆に富む作品。「生物都市」はエヴァ人類補完計画の元ネタ?と思えるような、生命体が溶け込み一体になる話。オチはまんま補完計画であり、当時としては前衛的では?と思わせた。「失楽園」はハクスリーの「すばらしき新世界」をそのまま描いたような作品でありそれが印象的。おそらくそこの着想を得たのであろうとは思え、不自由なユートピアを描いては端的に自由とは何か?人間とは?と問いかけるような作品。悪くなかった。最後の「眠る男の夢を見る男は夢の中で生きているのか?」は書き下ろしと知り、主に小説テイストの作品。ホラー的であり、夢の中を題材にした作品。最後のどんでん返しは少々意外。世にも奇妙な物語などで採用されそうな話であり、なかなか良かった。

そうして諸星大二郎氏の作品をようやく読んだが、するとその評価の高さにも納得。SF風味も強く、哲学的であって考えさせるきっかけを与えるような作品ばかり。

短編集の名作であり、色褪せることのない内容。

芸術的でさえあるように、思えた。 

  

 

第7位。

キック・アス

キック・アス (ShoPro Books)

キック・アス (ShoPro Books)

 

 内容としては、映画を見たことがあるのでおおよそは把握しており、大体同じ。ストーリーは細かい点で異なる部分があるようにも思えたが、何より一番の違いはその雰囲気に他ならない。

アメコミが持ちえる独特の雰囲気とその色彩のセンス。

それが何より目立ちそして光る作品であり、グロテスクな内容ながらも絵に引き込まれ魅了された。

この作品の人気の由来はこの独特ながら妖艶で魅力的な雰囲気や構図、カラーで迫力ある絵にあるのでは、と思う。

設定は、アメコミには珍しく何処にでもいる人間、特殊能力をいっさい持たぬ学生が主人公。そうして描く厭世的な性格はリアリティを感じさせ、だがそのリアリティに蔓延る非現実性、急にヒーロー染みて一変する生活はシオドア・スタージョンの『不思議の一触れ』のように、人をようやく生き生きとして生活させるようであって印象的。そこがまた齟齬的で面白く、非現実性によって現実をようやく生きていると実感する、と言う人間のエゴと我侭が面白い。

なかなかグロテスクながらも、読了後の爽快感が印象的。

アメリカらしくユーモアにも富む作品で、トレーニングでサンドバックを殴るシーン、そこで「マイケル・ムーアと思って殴れ!」のシーンには爆笑。

映画はまごうことなき名作であったが、漫画も同様。

面白かった。

 

 

第6位。

『ダンテ神曲 (上)(下)』

ダンテ神曲 (上) (講談社漫画文庫)

ダンテ神曲 (上) (講談社漫画文庫)

 

 永井豪による漫画版。

読むと絵には相変わらずの迫力。

深い内容に思えながらも中身はシンプルで、地獄巡りをする内において地獄の世界と道徳を知らしめる内容。

ダンテの地獄巡りツアー。そこでは人生におけるヒトの業を描き、様々な欲に溺れた人間の末路が。

迫力のあるシーンが満載なのが特徴。迫力と共に身に迫る勢いがあり、読むものを圧倒する。

そして本書の作者、永井豪によるあとがきも印象深く、原本への思いを熱く語り、こうした世界観に幼少期に触れ、それが今の作風にも靡いていると言うのは大いに納得。するとダンテの神曲はやはり道徳教科書的な側面も伺わせ、これを小学校の道徳の教科書に載せてもいいのでは?とつい思う。

そして一読して思うのは、この中で描かれている”地獄に落ちた人間”というのは、誰しもがその可能性を示唆し、誰もに同様の怠惰や欲情に溺れる姿を投影させる。するとこれらに描かれる醜い囚人たちは決して他人ではなく、己の影絵であって、それは己が人間である限り免れない事実に思わせる。

「ああはならないぞ」と嘲笑しようが、人は実に容易く堕落する。そうしたことに対する危惧と戒めを示す内容でもあって、そこらにある自己啓発の本よりもずっと充実している内容。

漫画ながら、漫画とは思えぬほどの内容の深さ。同時に単純であり浅く、その浅ましさこそが人間の真髄であって、ヒト本来の単純性を示すようであって、これはまるで鏡像作品。

人間なる生き物は一般的に鏡像認識ができるものだが、意識的な鏡像認識の能力は乏しいのでは?と気付かせてくれる、

 

人間の業とは?ということを認識させ、ここでは有名な7つの大罪が登場。「好色」「怒り」「嫉妬」「高慢」「浪費」「怠け」「大食」とするその罪は、人間誰しもが陥る可能性をはらみ、そういったものに陥った者たちを描いては、内面をえぐられた様な気分となる。それはダンテとて例外にあらず、傲慢さを己に感じては呵責の重みにつぶされそうになる。然しそれを他人事、対岸の火事と一笑はできず、誰もがそれに浸り、それに気づいているかどうかの違いに過ぎない。

所詮、平凡であり俗的な人間はこの七つの罪からは逃げられず、すれば誰しもが戒める必要がある。そうしたことを示すような内容であり、解説にあるようにこれは一種のおとぎ話的寓話であって、反面教師たる姿を見せては、省みるようにと喚起する。

人間の堕落性を改めて示し、漫画であるのでより分り易い。

漫画ながら原作に劣らぬ、素晴らしい力作。

あと、他宗教への当たり方は強いな、とは思った。

 

 

第5位。

『腸内細菌の話』

腸内細菌の話 (岩波新書 黄版 58)

腸内細菌の話 (岩波新書 黄版 58)

 

 新書ながら濃い専門的内容。

内容として特に印象深いのは、腸内細菌が様々なものを生み出すということを前提に、地域によっては、呼吸により腸内細菌がたんぱく質を生み出す、ということ!

そこでは質素な食生活を送るのが特徴であり、たんぱく質をほぼ摂らない生活を送る。然しそうした生活にも拘らず、そこの住人は長寿で有名!それで生態を調べると、体内で独自にたんぱく質を生成。するとそこでは、呼吸による窒素を腸内細菌が分解したんぱく質に変換。そこでたんぱく質を充分に得ており、そこの住人がたんぱく質を摂らずとも十分にたんぱく質を持つ!この結果はなかなか衝撃的で、本当なら凄いなと思う。

そして、この原理、つまり菌について判明すれば、人は容易にたんぱく質不足を解消できるかもしれない!と夢のような提案だが、現実においてまだ一向に実現されぬ所を見ると、どうやら厳しい様子。

内容には他に、腸内細菌と健康についての関わりに付いても述べ、そこではビフィズス菌菌についても述べ、そしてヨーグルト菌による効果の是非も。他には、専門的知識が多々。還元効果により酸素をもたらし、それで腸内といえど菌の生態は細かく分かれ、上部には嫌気性の菌が居る事や、その離れた場所に好気性細菌が居るなどのことや、細菌が生み出す物質について細かく記述しその生成物の名称から、その物質による影響までを記載。つまり生化学的知見が豊富!

例えば、トリプトファンを分解する細菌が居り、それは○○といったものを生み出し、それが癌生成の化合物の片割れで…等といった知見が豊富であり、有名な硝酸塩による発がん性とは何かを具体的に知れ、ニトロソアミン等を生み出しその結果などいったことを知らしめる。あとチミンの毒性についてなどは初めて具体的に知り、たんぱく質からなるチミンは毒性の強さを思わせ、胆汁などの活躍についても。

新書においてここまで濃厚な内容の一冊は稀有。

 

 

第4位。

『イワン・デニーソヴィチの一日』

イワン・デニーソヴィチの一日 (新潮文庫)

イワン・デニーソヴィチの一日 (新潮文庫)

 

 飯テロ小説。

昨今に蔓延るグルメ漫画と比べ物にならないほど、食物に対する慈しみと喜びを見出し、感じさせる一冊。

食べることの意義を改めて知らしめる。

印象的な、この台詞。

 

「この野菜汁の一杯こそ、今の彼には、自由そのものよりも、これまでの生涯よりも、いや、これからの人生よりも、はるかに貴重なのだ。」

 

人生における、ある種の金言であるのは間違いない。

 

改めて内容を簡単に説明すると、

過酷な強制労働作業を課せらている者の一日を綴る内容。

そこにはリアリティがあり、極寒の地での作業における描写は豊かで表現力があり、読んでいて寒気を感じたほど。その場での息遣い、佇み。それらが聞こえ、肌で感じるような雰囲気を呈す文章は巧みであり、情緒豊かに綴る内情は過酷な状況において、いや、過酷な状況だからこそより人間らしさを呈して示す。

こうした作品を読むと、現代人における不自由のない暮らしの贅沢さと、自由を求める盲目さを知らされるようであって自己を咎めたくなる。

”幸福”なる場所の在り処を示し、まるで宝地図のような一冊。

  

 

第3位。

『ミリタリーテクノロジーの物理学<核兵器>』

 「原子炉とは何か?」

核融合って?」

原子爆弾のエネルギーってどういう原理?」

といった疑問をいとも容易く解消する内容。

エネルギーを得る方法、その流れがじっくり解説されており、

想像以上に分かり易い内容。

中性子による役割の重要さ、

中性子爆弾の恐ろしさ、

同時に中性子の取り出し方など詳しく述べ、ウランとの関係はねずみ講的表現も交えてその関係性を上手く例えていた。

一読すれば、原子力発電の仕組みが分かり、単に「原発は危険だ!」と妄信的な姿勢ばかりを呈す人たちには是非とも手に取って貰いたい。

手軽ながら面白く、教養の付く一冊。

原子力などのエネルギーについて知りたければ、おすすめ。

 

 

第2位。

『うまさ究める』

うまさ究める

うまさ究める

 

 思いのほか面白い一冊だった。

うまさ究める - book and bread mania

内容としては、おいしいとはどういうことか?を科学的に追求し、感情論や経験則でないので説得力あり。

グルタミン酸イノシン酸における性質の違いから、魚の刺身を尤も美味しく感じるのは絞めた後どのぐらい?や脂肪代替品は本物の油脂と変わり得ることが出来るのか?といった身近な話題にまで普及し、味覚と生体の関係についての知見を深められる一冊。

甘さがある特殊なたんぱく質についてや、腸内環境とアレルギーについての記述などもあって、読み応えある。

生存機械論的にさえ感じる味覚の受容システムは、原理を知れば寧ろ「おいしい」ばかりをもとめる利己的な欲求を咎め得る内容にも思えてくる。

私のおいしいは、他人にとってもおいしい?

おいしいに、千差万別さはあるのか?

そうだとすれば、その要因は?

等と味覚に関して疑問を呈するならば、読む価値のある一冊。

 

  

第1位。

『不思議宇宙のトムキンス

不思議宇宙のトムキンス

不思議宇宙のトムキンス

 

 とても良かったので、記事にもした一冊。

不思議宇宙のトムキンス - book and bread mania

物理が苦手?嫌い?

そうであっても、その概念を覆すほどの熱を持った一冊であり、小難しいと思われがちな相対性理論量子論素粒子物理についてを「ねえなんでそうなの?」と訊ねる子供を諭す如く平易に述べ、物語に添って解説するので分かり易さは著しい。

世界の成り立ちは摩訶不思議。

そう思わせ、同時に面白いなと感嘆する事請け合いで、それはまるで、夜空に広がる満天の星を見た心境。

得られる知識は宇宙の雄大さと慈しみを感じさせ、高揚感と浮遊感を伴って静なる興奮をもたらせる。

老若男女にお勧めできる一冊。

読んで損はなく、寧ろ読まねば損とさえ言える本。

物理が苦手な人ならば、尚更だ。 

 

けものフレンズが面白かった

時代の流れに寄り添って、なんとなく見始めてみたこの作品。

然しじっくり視聴すると、なるほど本当に面白い。

荒廃した世界を描くSF臭が充満しており、SF好きには最初から好ましい設定!

 

この作品は”笑顔の中の狂気”を上手に描いているように思え、それはまるでディズニーの”イッッ・ア・スモールワールド”に感じる、洗脳的平和な世界観。

物語には初めのほうから「なんだあれ?」と文化の名残を思わせる物などが端に映り、セルリアンなる正体不明の敵が現れ「これっていったい…」と戸惑わせる。

そうして深い内容っぽく見せては惹き込まれ、初見からでも各々を視察するとまた別の一面が出てきて面白い。

 

 

しかし視聴し続けると、寧ろそうしたSF的描写も、伏線思わせる描写もうわの空。

重要なのはそこではないぞと気づき、「たっのしー」と洗脳される。

 

そしてつい先日、迎えた最終回。

好評に終わり、「面白かった~」との声が辺りからちらほらと。

そこで「面白かった!」と好評の要因について、

勢いそのままに思いつきで視察。

視聴後、パッと思いついたことでの殴り書き。

ヒットの要因は?

 

・「シリアス」と「コミカル」の絶妙な塩梅。

 

 ・アニメに限らず昨今の娯楽作品における「因果関係」と「伏線」重視の姿勢に、視聴側が疲弊し始めたため。

 

等のことが当てはまると思う。

 

 

・「シリアス」と「コミカル」の絶妙な塩梅。

これについては言わずもがな。

物語内では廃墟を不気味に見せ、「人間いないの?」「滅びた!?」などと奇妙さを感じさせるが、陽気なテンションで一蹴。そこに狂気性を感じようが、「気のせいか!」と思わせるほどパワフルな陽気さを見せる。「いとをかし」を「たっのしー!」と訳すような豪胆さある愉快さ。

 

 

・アニメに限らず昨今の娯楽作品における「因果関係」と「伏線」重視の姿勢に、視聴側が疲弊し始めたため。

人間の脳とは、何事にも原因を求め、それに寄り添う結果を追求し、明確な因果関係を得ようとする。

理由は簡単で、整合性を得られるほうが安心できるため。するとそれは本能の一部であって、決して脳の無駄な機能じゃない。

けれどこれが過ぎると、実際には無関係な事象に無理な結び付けをしてしまい、齟齬が生まれてしまうが脳は知らん振り。

そこに実際、「おかしいな?」との思いがあっても、「因果関係!」成立のほうを重視し、結果的には「USA!USA!」のノリで「因果関係!因果関係!」と、物語においてこの部分ばかりをクローズアップ。すると張り巡らされた伏線はより高度になって視聴者を満足させようとするが、実際にはコンセント周りのようにぐちゃぐちゃと入り乱れていて見苦しい。理解するには辟易を伴い、「なるほどあれが複線か!」と作品自体の本質に注目せず、がんじがらめとなった整合性ばかりに注目する。

そこに登場するは「整合性?細かいことは分からないけど、たっのしー!」と言う姿勢をするものこそが「けものフレンズ」。

つまりは脳を軽くして気楽に観れる。

それでいて楽しめる。

娯楽作品のストーリーにおける王道性が著しく、それが今の世では逆に際立った。 

要は「Don't think, feel」

と言った作品であり、

 良いジョークも伝わらなければ面白くない。

といった、これと全く同じことであると思う。

 

「たっのしー」

の一言で済ませられる作品性。

そこに含まれる手軽さと、作品における本質の分かりやすさと伝わりやすさが、

ここまでヒットした最大の要因ではないかと。

 

 

最終回も良い感じで、期待を裏切らず。

彗星のごとく表れ、過剰な演出に「待った」をかけた作品。

そういった意味では、重要な意味を持つ作品であったのでは、と思う。

 

トップバリュの”パン・ド・ミ ロール レーズン”

トップバリュの”パン・ド・ミ 食パン” と同じ製法?

 

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原材料は”トップバリュ パン・ド・ミ 食パン” と同様に、

 

 

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シンプルな素材にこだわった一品。オリーブオイル使用でマーガリン不使用。

 

 

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見た目は普通のロールパン。
表記は一個33gながらも、計ると一個は34gだった。

 

 

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謎の躍動感。

 

 

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内層。
手で裂くとみっちりしていて、引きがある生地。

気泡は食パンほど密でないながらも、

持つと一般のロールパンより生地はふんわり柔らかくなく、弾力がある。

 

食べると、

生地はもっちりとしながら多少噛み応えがあり、

袋パンにおける一般のロールパンのようには柔らかくない。

ソフトフランスほどには生地に弾力あって、

軽く握ってもへこまず、一般的なロールパンとの生地の違いはその硬さ具合が顕著。

 

生地自体としては、ほんのり甘い。

そしてレーズンの味が目立つ。

生地は甘過ぎず、予想外にレーズンの甘さも控えめ。

 

レーズンパンと言えば甘いばかりが取り柄のように甘さを強調。

酷いものだと表面に粉糖までまぶしてある物も存在する中、これは素材由来だけのような素朴でシンプルな味。故に味わい深く、向こうから味が来るのではなく、こちらから噛み締めその味を迎えに行くような印象。

どきつい甘さの風味はなく、古風な和菓子のような素朴な味わい。

濃い味ばかりを追及し、やたら甘いぶどうパンに疲弊した分には、こうしたやさしい味わいが実にちょうどよくて美味しい。

同時に控え目ゆえ、アレンジするのや料理に合わせるにちょうど良い。

 

シンプルなものほど、その物の味が顕著に現れ、低価格帯では厳しい。

そうした環境に抗おう!とする姿勢を見せてくれる一品で、「低価格でシンプル、それでも美味しいよ」と意気込み示すパン。

このようにしっかり歯応えを感じられる、ホールセールのロールパンは稀有な存在。

するとそこには価値があり、ホールセールのロールパンの中ではお勧め。

 

不思議宇宙のトムキンス

 

不思議宇宙のトムキンス

不思議宇宙のトムキンス

 

 内容は物語調となっていて、その中で物理のさまざまな概念

相対性理論量子論、原子、素粒子物理など)を解説する内容。

トムキンス成る人物が夢の中と現実の両面で学んでいく展開で、「一般の人にも興味を持ってもらえるように」と書かれた内容であるので分かり易さを重視してあり、専門用語が出ようが丁寧な解説が伴い、安心して読める。

 

物語としてもテンポがよく、そして本題から道にそれることがほぼ皆無。

その無駄のなさ!

気づけば惹きつけられるように読み込んでおり、時間の経過を忘れさせては「え!もうこんな時間!?」と高揚しながら思い、本書的に言えば、「精神的な高低さも重力場に影響を与えるんだとすれば、重力ポテンシャルの差が作用した?」なんて思わせる。

けどそれだと、時計経過が遅いことへ驚くことになるのだけど…。

 

また、原子の働きや性質、量子論におけるゆがみやプランク定数における位置と速度によるあいまいさの関係などについても詳しく解説があって、主人公と教授による対話法に展開されていくので、主人公と一緒に理解をゆっくりと、落ち着いて進められる。

 

 

本書は特に原子核からクォークなどの素粒子に関する解説が充実しているように感じ、読み応えあった。

そこでは舞台を粒子加速器がある研究所へ場所を移し、陽子または電子を加速し高エネルギーにして陽子にぶつける、といったことの結果として次の式を示す。

 

p+p→p+p+π

 

パイ中間子が増えてる!?

一見不思議に見えるこの式も、その後の解説ですんなり分かる。

 

 加速された粒子は質量が増えると同時に、より大きなエネルギーをもつようになるのだ。

中略

加速された粒子は、より大きなエネルギーを持つようになるとともに、そのエネルギーに比例した質量を持つようになるのです。粒子がどんどん重く見えるのはそのためです。

中略

この衝突では、入射粒子のもっていた運動エネルギーの一部が、封じ込められたエネルギーに変換されましたーーつまり、新しく生まれたパイ中間子の封じ込まれたエネルギーになったわけです。衝突の前後でエネルギー量はまったく同じですが、エネルギーの一部の形態が変わったということです。

 

つまり余ったエネルギーが生んだ。ただそれだけのこと。

 

他では、クォークなどの粒子における性質についてを平坦に述べ、うっすら聞いたことのある“スピン”などの意味が容易に分かったほど。

また、陽子や中性子がもっていない粒子における特性、”ストレンジネス”や”チャーム”などの概念も説明があって理解でき、なるほど!とすんなり腑に落ちる。

 

それはつまり、

 

p+ + p+ → p+ + p+ + π0

 

p+ + n0 → p+ + p+ + π

 

こうした式も「肩付きの文字は粒子のもつ電荷を表しています」、「π0というのは、中性子を表します」、「電荷というのは物質の特性のひとつでして。反応の前後で一定に保たれなければならないのです」との言葉で、上記の式もすんなり理解できる。

というか、読めば「え?これって、実に小難しそうに思えてたけど、そんな単純なことだったの?」と四則できれば容易に理解できそうな事ばかりで、素粒子に対しての見方が変わること請け合い。

 

しかし素粒子にはさまざまな特性があって、そこにはバリオン数やチャーム、ボトムなども関係してくる。けれどこれらもルールが分かれば至極単純。

 そこを一見、複雑と思わせるのは、やはり検出結果を整合化するために設けた特性のためであって、次々と新たな特性が見つかれば加わり、それを付け加えていくため。

例えるなら、『カードゲームのにおける、新シリーズ登場ごとに追加される新ルール』みたいなもの。

『カードゲーム(粒子の性質)に、新シリーズ(新しい特性)が登場(発見)!そこで新ルール(”ボトム”や”ダウン”の概念)を追加!』とするようなものであって、じゃあつまりは単純に、「そういう新ルールが追加されたのか」と思い、認識すれば理解は容易になる。

 

また、少し難解になるけれどその先にはさらに素粒子についての解説が進み、

クォークレプトンの違いや、そこでの色荷についてと電荷ありなしによって生じる性質の違いなどの説明などあり、難解そうに見えながらも、それをあまり難解に思わせぬ巧みな文章に驚くだろう。一読するだけでその概要がおおよそ理解できるほどの分かり易さ!

 

あと、「クォークが単体で見つからないのはなぜ?」といった素朴な疑問にも、適切かつ整頓された答が。

  

まず、2個のクォークを引き離すことを考えてみます。

クォーク間には一定の力が働いていますから、遠く引き離そうとすればするほど、それに要するエネルギーも増えていきます。そしていずれは、2個のクォークを引き離すのに要するエネルギーが、クォークと反クォークの対を創り出すほどに高まります。そして実際、それが起こるのです。

 

 こうしてクォークは単独では見つからず、いつも反クォークとのペアになってしまう。

そして新誕生したペアの反クォークは取り出されたクォークと共に中間子を形成。

新誕生ペアの残されたクォークハドロン内に取り残されて、かつてそこにあったクォークのあとに埋る、とのこと。

なるほど、分かりやすい。

 

また「強い相互作用をする(ハドロン)」と「強い相互作用をしない(レプトン)」から、カラーチャージといった特性の存在意義から相互間のやりとり、グルオンに8種類ある理由まで詳しく述べられている。

さらにはストレンジネスをもつ新しい粒子をためておくことのできない理由もあり、

弱い相互作用ではクォークのフレーバーが保存されるとは限りません」

と述べ、「崩壊して余ったエネルギーが放出される」、としてからこの式。

Λ0→p+ πー

つまり、それらは生まれるとすぐに、より軽い粒子へと崩壊してしまうため、と解説しては「われわれの世界のほとんどの物質が、uとdという2種類の軽いクォークと電子から成り立っているのには、このような理由があったのです」

と感嘆させる!

他にも、弱い力についての解説などもしっかりあって、

クォークマニアにも納得の内容!!

 

 

 

潜熱といった相転移時において生じるエネルギー。

水が氷になる時に“潜熱”を放つと同様に、宇宙も“潜熱”を放ちそのエネルギーで物質が生まれた、と終盤に何気なく登場人物が話すが、そのことには思わず「ええ!!」と驚愕。するとさらに宇宙と水の共通点を述べ、水が凍りになると体積が増えるように宇宙も冷えて体積が増えて…今日の宇宙が始まった。

何気ない口調でこうして綴られていたが、とすれば、宇宙と水の共通点の多さにまず驚くばかり。水ってすごい…とその不可思議さに陶酔しそうになる。

宇宙と水は似ている?というのは実に面白いな、と思えた。

 

 

もしもかの数学家が、ある証明の間違いに気づかないで代わりにこれを読んでいても自殺をやめていたのでは?と思えるほどには知的好奇心を刺激し、興奮させる。

一読すれば世界の見方を変えるだけの力を持った、凄い面白い本。

あとマクスウェルの魔物も登場するよ!

  

ヤマザキの ”コッペパン” ポテトサラダ&タルタルソース

惣菜系のコッペを食べるのは久々。

普段寄らないスーパーで見かけ、気になって購入。

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愛らしさも感じる、その見た目。

ずんぐりした見た目は色合いも相まって、何処かゴッグっぽい。

相変わらず大ぶりで、1個の重量は140gもあって見た目どおりにヘビー級。

それでいてカロリーは350なので、案外低い。

 

 

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中のフィリング。

量はまあまあ入っており、

薄く平たく敷かれ、機械的な均一感。

 

持つと生地はふんわり柔らか。 

食べると、生地はふんわり柔らかくて弾力ある。

比喩で言えば「柔らかい枕」といったぐらいにはふんわりしており、軽く握っても弾力を生地に感じる。

味としては、生地自体、意外と甘過ぎず普通の菓子パン生地。

フィリングは結構普遍的なポテサラ風ながらも、タルタルソース使用なので特有の酸味が強めであり、多少なりともタルタル味の個性を主張。

そして全体的に濃い味で、ポテトサラダは「ボリュームたっぷり!」というほど入っていないが、それでも全体へ味を染み渡らせるには十分な量。

あと意外と具だくさん感があって、じゃがいもやにんじんは固形で目に見え、歯応えもあっていい具合。 

パンのふわふわも相まってボリューム感もそれなりにある。

こうした「ふんわり、もちもち」とした生地のパンは日本人には特に馴染み深くて人気がありそうで、老若男女向けのド定番といったパン生地。

ポテトサラダは、タルタルソースが嫌いでなければすんなりと受け入れられる味であって、タルタルにおける卵黄味のコクもあって普通に美味い。

全体として、安価の割にはいい出来と思うパン。

カロリーも高すぎず、菓子パンにしては「食べたな」という満腹感も高め。

惣菜系こっぺの中で、悪くない一品に思えた。

 

うまさ究める

 

うまさ究める

うまさ究める

 

 内容としては、タイトル通りに“うまさ”をいろいろな観点から探求。

科学的に検証・解説しており、専門用語が出ようが丁寧な解説が伴っているので、分かり易い。

 構成は全10章から成り、各章は短めながらも追究心が深く、掘り下げる内容はどれも読み応えあり。

 

新鮮な刺身は本当においしいか、とする章では魚介肉の成分を分析し、

そもそも魚の美味しさって何?という点から科学的に述べる。

中では、

 イノシン酸の方はほとんど味の力がないことが、最近の研究でわかった。おもしろいことに、イノシン酸をなめてみたときに、かすかにうま味が感じられるのは、この物質が唾液中にごく微量に含まれているグルタミン酸と相乗作用することによって、その味が現れてくるためなのだとされている。 

うま味成分であるイノシン酸は、グルタミン酸と合わさると相乗効果でうま味を何倍にも感じる、というのはもっぱら報道されており知っていた。

けれど、イノシン酸のみでは、ほとんど味がないとは知らず多少驚いた。

同時に、唾液にはグルタミン酸が含まれているという事実も面白い。

 また、刺身の鮮度と「おいしい」と感じるかどうかの関連として歯応えにも注目し、イノシン酸含量から分析する。ちなみに、はまちの刺身の場合は、適度な食べごろは即殺後10時間前後、とのこと。

 

 

脂肪と脳と快感についての解説にも興味を惹かれ、

脂肪に対して反応する味蕾は舌の先にある『鼓索神経』ではなく、舌の奥やその周辺にある『舌咽神経』が主に関わっているとこれを読み知った。

 

 

3章目の「おいしく太らない夢の油は作れるか?」

といった内容は現代人にとっては 興味深く、内容も面白かった。

ここでとても印象深かったのは、カロリーを抑えた脂肪代替物を使用しての実験。

マウスを用いた実験では、脂肪代替物を与えても脂肪のように好んで摂取するが、脂肪代替物であると満足度が低いといった結果が!

それには脳内麻薬として有名なβエンドルフィンが関与しており、βエンドルフィンによる美味しさの快感とそれに続くドーパミン放出による執着、これが油の満足感の正体!であり、脂肪代替物ではマウスから検出されるそれら物質の量に変化が生じた。

また、ドーパミンは「もっと食べたい」や、忘れられない感覚を形成する上で重要らしい、とのこと。

実験では、マウスは脂肪代替物には執着せず、といった結果。

ここで重要なのは、『おいしさ』には二種類が存在するということ。

それは口の中のおいしさと、消化吸収されてからのおいしさ。

その二つともがそろわないと、執着にはいたらない。それは満足しないということで、

偽物の油脂は体が見破った、ということに他ならない。

つまり本能的に油脂をおいしい、と思うのは口の中だけでの反応ではなく、体も栄養としてそのおいしさを味わっていることになる。

 高度なおいしさには、口の中と、代謝後と、両方の満足が必要であると考えられる。 

これが脂肪代替物を、本物の脂肪に取って変わらせることの出来ない理由。

なるほどなあ思うと同時に、人間の体が如何に効率よく栄養を求めるように出来ているかを示すようであって、感慨深い。

「あぶらはうめえから、たくさん摂れよ」と飢餓状態の多い時代を過ごした人間の腸は、脳に油脂をうまいと思わせたくさん食べさせようと目論んだわけだ。

この章では、脂肪代替物を用いて「カロリーの低くて満足できるチョコレートは作れるだろうか?」と疑問を呈していたが、その結論としては上記のとおり。脂肪代替物では体が満足せず、脳に行き渡る感想も味気なくなってしまう。

ゆえに、「太らないチョコレート」の出現は、結局は「食べる量にて解決しろよ」といった結論が一番まともであるということだ。

 

 

うまさと喉越しの関連性についての研究も、酒好きには重要。

しかし自分は酒をあまり好まずとも、この章もまた面白く読めた。

のどの上喉頭神経は水やアルコールによく応答するが、甘味や塩味には応じないという特徴がある。この神経は水線維と呼ばれ、この種の神経は舌には存在せず、喉にしか存在しない特殊な神経。この神経が刺激されると、味覚神経のひとつである上喉神経によって脳に送られ、のどごしの感覚を味わうことになる。

つまり、「ビールはのどごし!」といった主張は生化学的にも正しい主張であり、ビールはのどで味わっているのだ。

内容ではさらに掘り下げ、「ビールの切れ味とは何なのか」といったことまで解明しており、飲み応えならぬ読み応えあり。

 あと面白いのは、のどの神経応答に対する塩味の効果。

 私たちがお酒を飲んで、塩気あるつまみを食べるということは、お酒によってのどに生じている感覚をリセットし、またおいしく味わえる状態にしているのである。 

 塩分濃度が高いものによってのどが刺激されると、それまでにあったビールの応答が抑制される。よって塩気あるつまみは、毎度ビールを美味しく飲むための生化学的反応であり、その正しさも立証されていた。

「酒のつまみにはしょっぱいものを」

といった行為に正しさがあるのは、人間が古来から酒と長い付き合いによって築いた直感的な叡智では?とも思う。

 

 

おいしさには唾液の存在も重要。

唾液リパーセは脂肪の消化を助けるには分泌量が少なすぎるうえ、味蕾の多く集まる有郭乳頭と葉状乳頭においてのみ作られる。

これはつまり、味覚を生じる程度の軽い消化をおこなっている、とのこと。

脂肪は5つの基本味に含まれないが、脂肪の多い食品は一般的においしい。

しかし、脂肪自体が味細胞を刺激する程度は弱い。一方、分解産物である脂肪酸は細胞を強く刺激し、味蕾近くで分泌されるリパーゼが脂肪を軽く分解し、味細胞を刺激しする!唾液の働きによってようやく、脂肪をうまいと感じているわけだ。

 

 

あと前から疑問に思っていた、

「どうして、タンパク質には味がないとされている?」

といった疑問にも簡潔な答えが述べられており、納得できた。

曰く、

 高野豆腐の汁の味もビフテキのジューシーな味も、タンパク質ではなくアミノ酸、塩分、有機酸、核酸塩基、糖分などの低分子物質の味なのである。

大豆タンパク質を含む豆乳を加熱すると、タンパク質分子が互いにつながりあって、三次元に広がる網目のような大きな構造体をつくる。これが豆腐の正体だ。

中略

本体のタンパク質には味がない。

タンパク質のような分子サイズの大きい物質はたいてい味がない。巨大分子構造をしている澱粉にしろ、多糖類やDNAにしても、味はないのである。

これが「タンパク質に味がない」とされる理由。

では何故、タンパク質のような分子サイズの大きい物質には味を感じないのか?

その答えも明瞭。

 舌の表面には味細胞と呼ばれる特異な細胞がある。その細胞上に存在する甘味の受容体に結合できるのは、分子サイズの小さいアミノ酸や糖などに限られる。タンパク質のようにアミノ酸の100倍以上ある高分子は、到底、結合できない。

つまり「どうして、タンパク質には味がないとされている?」というのは、味細胞が結合できないほどにタンパク質の状態では分子が巨大であり、それを分解して小さくすることによって、初めて味覚受容体が味をキャッチできる、というわけだ。

 では俗に言う「味を感じ難い」や、味覚オンチは、唾液量の少なさも関係しているのかもしれない。

 

 

ここで最後に「おいしい」の正体とは?について。

脳内にはベンゾジアゼピン様物質というものがあると考えられていて、これが、おいしいという感覚をもたらすと推定されてきた。

このベンジゾアゼピンという物質自体は、薬品の一種で、脳内に同じものがあるとは考えられない。同じ作用をする類似の物質が脳がつくっていると思われている。

ここで面白いのが、この記述がある章のテーマが『まずいものはなぜまずい』というものであり、すると「おいしい」の正体が明らかとなったところで、反対のものも登場。

この物質を邪魔して、反対の作用をする物質が実際に脳にあることが明らかになっている。ジアゼパム(ベンジゾアゼピン)結合阻害物質。略してDBIという小さなタンパク質だ。

つまりこれからは、まずい手料理を食わされたら「…まずい」と口に出すのをはばかられても、「DBI風味たっぷりだね!」と口に出せば良い。

 

 

本書は紹介しきれぬほどに各章どれも充実しており、”おいしい”に関する知見を深めるにはもってこいの内容。

食、それも「おいしい」といった事象に興味のある方には、お勧めの一冊。