book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

6月に読んだ本からおすすめ10冊を紹介。

6月に読み終えた本は32冊。

その中からおすすめの10冊を紹介!

 

 

 

第10位

『すごい家電 いちばん身近な最先端技術』

すごい家電 いちばん身近な最先端技術 (ブルーバックス)

すごい家電 いちばん身近な最先端技術 (ブルーバックス)

 

 洗濯機、テレビ、冷蔵庫、掃除機など一般的な家電から、トイレや電気シェーバー、さらには太陽電池の原理までも解説しており、一冊でなかなか幅広い内容。

洗濯機についてでは、斜め型のドラム洗濯機が環境にあわせて如何に工夫され生み出されたのか?を知ることができたり、洗濯自体の仕組みはもとより、水の硬度によってもまた汚れの落ち具合に影響があるとは知らずにいたので良い勉強に。

つまり欧米旅行に行く際、日本製の洗濯洗剤を持って行ってはよくない、ということだ*1

冷蔵庫についてでは、その仕組みを平易にもわかりやすく解説。

「冷蔵庫って、どうして中が冷たいの?」と子供が無邪気に質問してこようが、これを読めば簡易的にも解説できるようになること請け合い。

要は「ヒートポンプ」による、気化熱作用の相変化によって冷却が生じる仕組みを端的にも示しているので、大人であっても冷蔵庫の仕組みを実際に知っている人は少ないので、よりよい勉強になる内容。

さらには昨今の冷蔵庫事情、「第4の保存温度」として「パーシャル温度」等の機能についても解説しており、よって冷蔵庫好きな人も楽しめるであろう充実具合。

テレビついても解説は短く纏め上げられているのでさっと読める割には内容は濃厚で、「4Kテレビとは?」や「有機ディスプレイの特徴って?」などの解説は明瞭。

最近のトイレは「泡の活用」によって排泄物が便器内に落ちた際における、落下の反動で水が跳ねることを食い止める!なんという素晴らしいアイデアなども紹介されていたり、電気シェーバー解説では「二枚刃」状態が必然の意味を理解できるようになる。

 あとは炊飯器に関する解説は深く、そしてなかなか熱かったので、米好きで炊飯器にこだわる人も読めば十分に楽しめる一冊だ。

 

 

第9位

『コンピュータが小説を書く日 ――AI作家に「賞」は取れるか』

コンピュータが小説を書く日 ――AI作家に「賞」は取れるか

コンピュータが小説を書く日 ――AI作家に「賞」は取れるか

 

AI に小説を書けるのか?

そのようなテーマに挑戦したノンフィクションな一冊。

するとまず「文章とは?」といった事から取り組む必要があって言語学的な趣もあり、そういった面でも楽しめる。

そして本書では、実際にAI が「作った」とされる小説も載せてあり、星新一賞へと実際に送ったという作品二つを読むことができる。

二つとも結構面白い。

しかしここで疑問視されたのが「作った」とする全体像であって、いったいAIは実際にはどこからどこまでを作ったのか?

人工知能に興味関心のある人は楽しめると思うので一読して損はないはず。

あと印象深いのは日本語構造への指摘。

「日本語は構成として、助動詞が示す主語を”人間や動物に当てはめる”」とのこと。

なのでAIの場合などにおいても「擬人化している」と指摘したのは印象的。

 

 

第8位

『ロボットはなぜ生き物に似てしまうのか―工学に立ちはだかる「究極の力学構造」』

さっと読めるわりに、なかなか内容が濃かった印象。

表題どおり、人の腕の構造とロボットのアームが似てしまう理由の解説から始まり、あとは歩き方と安定性についての解説などは特に面白い。

人魚やケンタウロスといった架空の存在、それらも一種のロボット工学的疑問から端を発した形態と指摘しており、そう思うと興味深い。

あとヒトの手における筋肉配置と腱による駆動のメカニズムに驚いたり(これによって指は細くとも十二分に機能する!) 、そうした腱と筋肉配置の仕組みが馬の脚においても採用されているため、あのような運動性が生まれているとのこと。

そして「カブトガニ」と「ルンバ」の類似性も面白く、戦闘機における翼の開閉とツバメの飛び方の類似性なども面白かった。

他には「足を動かす順序」についての解説もあり、そこでは「三点支持」の概念を説明。「重心が支持多角形の中に位置する必要がある」というのはわかり易い。

あと「骨に圧電効果があることで形状が最適化される」という事象についても勉強に。

 ロボット好きにも生物学を好む人にも、ぜひ読んでもらいたい一冊。

すれば感嘆とすること請け合いで、「生物とはよくできているなあ」と感心しても由。

または「キャタピラーの脚とは面白い!」とガンタンク擁護派の考えを捗らせることも可。

 

 

第7位

ダイバーシティ

ダイバーシティ

ダイバーシティ

 

本書は二編からなり、ファンタジーと討論をモチーフにした戯曲的作品。

最初の『六つボタンのミナとカズの魔法使い』では、御伽噺のようなものに経済用語やらそれにまつわる概念を入れ、物語を読みながら同時にさまざま概念を一緒に学べる内容。パズル的要素もあって「正直者と嘘つきが居り、どちらが正直者で嘘つきかはわからない。さて、どちらか一人に一度だけ尋ねて正しい道に行くにはどうすればいいか?」といった古典的問題から、はてはモンティ・ホール問題までも。

簡易な倫理学的な勉強にも*2なり、有名な「共有地の悲劇」などの概念も登場!そして物語は、単に用語の解説のためのおまけかと思いきや、意外にもそれ単体としても十分によくできており最後まで面白い。ほどよくまとまりがあって、オチもしっかりしており、「そこらの小説よりも面白いのでは?」と感じたほどだ。

2編目は『ライオンと鼠』なる題名で、アメリカで教鞭を振るう日本人教師がこのイソップ童話を元にして文化の違い、多様性と認識についてを討論する内容。

ノンフィクション的雰囲気をかもすこの作品は、文化の多様性を示すという点においては最初の作品よりずっと伝えたいことを表面化している印象。

社会、文化の違いによって受ける影響や思考の違いについて、考える上ではひとつのヒントを授けてくれる作品であるのは間違いなく、文化の多様性について考えるきっかけにもよい。この本はどちらかというと若い人向け。と、一読してそう思えながらも、己の謙虚さを見直そうという点においては、老若男女だれが読んでも、読む価値はある一冊に思えた。まあまあおすすめ。

 

 

第6位

『猫たちの隠された生活』

猫たちの隠された生活

猫たちの隠された生活

 

 ポピュラーサイエンスのような構成ながら、内容としてはドキュメンタリー的。

そして中盤あたりからはライオンに関する記述が多く、表題から受ける印象に相反しているようにも感じた。

平易に言えば、「もっと猫についての話が聞きたかったのに!」

そんな思いも読み終えればスッと消え失せており、「なんだ…面白いじゃないか!」となるのは、ライオンの生き生きとした生態の実情を間近で眺めた心地になったからであり、同時にそれは流動的に情動を揺れ動かす巧みな文章の賜物に他ならない。

訳が素晴らしい。原文こそ読んではいないのでどうかは知らないが、日本語で綴られたこの本においては、動物がとても生き生きとしていたのは確かだ。

内容として、猫についての記述ではその社交的について、猫にも文化はある等のことぐらい。

あとはサーカスの虎についての記述も。どうやらサーカスで暮らすトラは随分と幸せらしく、少なくとも動物園よりはずっと良い環境であるらしく寿命からもそれは一目瞭然との事。そして虎は自発的に芸を行うという事実はもちろんのこと、よい調教師は決して虎をぶたないというのも印象的であった。

本書は猫のほかに、ピューマ、虎、ライオンに関する記述も豊富で、猫科の動物にスポットを当てている。ライオンの性格についてでは、彼らの感情的な趣、それらは人が先入観的に抱く残虐性を示すのではなく、実に多彩な表情、行動を見せる。

読めば猫のみならず、ライオンなどにも愛着が沸いてくることは確か。

普通に読み物としても面白く、そして動物の見知らぬ一面を知ることができる。

一読すれば見聞が広がり、動物の多様な行動形式に驚くはずだ。

 

 

第5位

『歴史を変えた!?奇想天外な科学実験ファイル』

歴史を変えた!?奇想天外な科学実験ファイル

歴史を変えた!?奇想天外な科学実験ファイル

 

 予想以上に面白かった一冊。

「蜂が一番、放射能に強い!」という事実から早々に驚かされた。

「エアクリブ」という赤ちゃん飼育箱も興味深い。

「実際の研究目的とは別のところに、重大な発見があった」とするのは実験の上では定石であって、その実例をいくつも見せられたような気分になる内容。

小猫の首を落として脊髄にチューブを入れて生き長らえさせた、という実験は衝撃的でそのグロさ。尤も「生き延びた」というのはデマらしいが、しかし問題はそこじゃないだろと思わず突っ込みたくはなる。

あとは、睡眠に関する諸実験も面白く、そのなかにあった居眠りの言い訳「寝ていたのではありません。ただ脳幹網様体から大脳皮質へ上行するシナプスの促通が大きく減少していただけです」などは実用的。これは教師、上司にクレームつけられたら、即座に使用できる便利な返事。

他にも面白い実験の記録ばかりで、フランケンモンキーの案件などは露知らず。そもそもサルの頭の移植実験をしていたこと自体に驚くが、それに成功していたというのにはもっと驚いた。

あとくすぐったさの研究では、それが生得的であると判明させたり、スキンシップの単純ながら恐るべき効果を示したりと身近な話題も合って有用的。コカコーラの宣伝効果を知らしめ(この事実を知ってより強化された可能性はある)、ラベルありのほうが美味しいと感じるとは。

LSDを打たれたゾウ」や「ゴキブリ・レース」にも驚嘆。LSDをゾウに打とういう発想もさることながら、それにより亡くなった事実、その影響力もまた甚大であってそしてアメリカでは有名な事件だったのだと知る。「ゴキブリ・レース」もまたなかなか衝撃的で、「ゴキブリは観客がいると動きが早くなる!」という結果はただただ驚きである。さらには、その実験結果を人間に当てはめ、つまり社会的影響を転用するあたりにも。

あとは睡眠学習についてで、寝ている蛙に「前向きに考えなさい」「過去のせいで未来を台無しにしてはならない」などのやる気を出させるメッセージを聞かせたところ、これらの蛙は帰るジャンプ競争の常連になったという話が特に好き。

本書はユーモアにもウィットにも富み、意外性を多々含む内容。

読めば笑え、楽しめ、そして勉強にもなる。

人間とは実に多彩な実験をしているのだなという実感を得るのはもちろんこと、「誰もやらなかったのではない。思いついたがやらなかったのである」という、無謀な挑戦を戒めるこうした言葉を裏切るような実験の数々。

面白い。 

 

 

第4位

『ぼくの副作用―ウディ・アレン短篇集』

ぼくの副作用―ウディ・アレン短篇集 (1981年)

ぼくの副作用―ウディ・アレン短篇集 (1981年)

 

ウディ・アレンの名こそ耳にしたことはあっても、その人となりは露知らず。

そんな折、ふと著者の本を発見。帯のコメントがタモさんであったことも影響して、なんとなく購入。そうして読んでみると「なんだとっても面白いじゃないか!」と驚いたほど。特に『恋の報い』という短編は秀逸で、爆笑した。

小説で腹を抱えて笑ったのは久しぶり。

そしてこの短編自体、ユーモアさのみではなく、人間関係を描いた作品としても傑作で、微妙な関係性と心の葛藤を描いたものとしても十二分に評価できる作品。

他で印象的だったのは『ボヴァリー夫人の恋人』という短編。これまた恋愛要素とユーモラスさが見事に合致しており面白い。この作品内における「小説内に、見知らぬ禿が出ているぞ!」とのくだりには大いに笑った。

あと『うすっぺらな奴』も同系列な作品ながら、これまた面白い。人間的滑稽さを描きつつも同時に濃厚なヒューマンドラマも描き、それによってどちらのコントラストもより引き立つという上手い仕掛けの作品であって、面白さと共に感心。

腹を抱えて笑えうことのできる貴重な短編集のひとつがこれ。

 

 

第3位

ユニコーンを探して―サタジット・レイ小説集』

ユニコーンを探して―サタジット・レイ小説集

ユニコーンを探して―サタジット・レイ小説集

思った以上に面白く、そして読みやすい短編集。

全部で10編ほどあり、中でも印象的なのは『台詞』『幽霊』『コルヴス』。

どれも最後には意外なオチがあって楽しめ、短編の巨匠サキのようなウィットさに富む作品ばかり。

そして特徴的なのが、舞台がインドということだ。

それでも堅苦しくなく手軽かつ平易に明瞭にと浮かぶその情景は、言葉という現象が織り成すマジックでありこれこそ、文学がもたらす可能性。不確実性かつ同時に、生き生きと臨場感もって浮かぶその光景は幻覚のようにも読者を魅了する。

表題作『ユニコーンを探して』はファンタジー的作品。何よりすごいのは、これを読むとほんとうに「ユニコーンも実際居るんじゃないか?」と若干にも思えることで、チベットの奥地における秘境への思いを馳せる事になる作品。つまりロマンに溢れていた。全体的には秀逸な作品ばかりで、どの作品も気づけば思わず熱中して読み入ってしまっている。そんなものばかり。異国の異郷の地に、足を踏み入れている!そんな感情をもたらしてくれる、完成度の高い短編集だった。

 

 

第2位

『レトリック感覚』

レトリック感覚 (講談社学術文庫)

レトリック感覚 (講談社学術文庫)

 

言葉の表現についての解説本、

基本的ながらも充実した内容。

まずは「レトリックとはなんぞや?」という解説からはじまり、そこから「直喩」「隠喩」「換喩」「提喩」と比喩にまつわるこれら手法も次に解説。

そのあとにはさらに「誇張法」と「列叙法」の解説までもあって、読めば表現の多様性について活用できるようになり、同時に受け取り方もまた広がっていく。

あとこれを読み「提喩」が実際には重要でありそして世の中において多用されているものだと知る。あと本書は言語学的側面が当然あり、構造主義に関する供述も見受けられたのが印象的。

自然は嘘をつかない。

その解釈によって誤解や嘘をつくのはあくまで非自然である人間の解釈でありそれに伴う言語である。とする意見はもっともで、「自然は嘘をつかないのではなく、うそをつけない」という言葉もまた印象深い。

あとは、「言葉と解釈による齟齬との関係性」もまた、短いながら金言に思えた。

本書は読むと言葉における使い方の幅と、認識力が向上するのは確かなので、一読して損は決してない一冊。今では英語をしゃべれる日本人は少なくないが、しかし日本語をしっかり理解した上でしゃべれる日本人は相変わらず少ない。

 母国語の重要性を云々~、というよりは「言葉」という物自体の概念をより深く認識できるようにするということは、それ自体が己の感受性と各々の理解を直接広げることにつながる行為であって、勉強せねばむしろ損。要は、言葉の意味も構造を詳しく知れば、世界はより広がって感じられるようになり楽しい!ということだ。

なので本書に関しては、読むことをお勧めする。

 

 

第1位

構造主義

構造主義 (文庫クセジュ 468)

構造主義 (文庫クセジュ 468)

 

心理学者ピアジェによる一冊。

本書は新書であり、ページ数こそ多くなく(たった146ページ!)、それでいながら内容としては脅威の充実具合!

まず意外だったのは、本書が「構造主義」への批判的内容だということ。

レヴィストロースの構造主義には「一種の固定性が潜んでいる」との意見は衝撃的。

それによると「レヴィストロースにとって、構造は固有の意味で社会的なものではなく、恒久普遍の人間精神の反映と考えられているからだ」とのこと。

さらに「哲学の分野においては、構造主義的思考と弁証法的思考との関係が問題となる。構造主義のうちの形成過程と主体のはたらきを軽視する傾向が見られるとすれば、それが弁証法的思考と衝突するのは当然だからである」という言葉は実に注目に値するように思われたが、なかなか難解ではある。

また、構造主義が思想ではなく方法であるとピアジュは言う。

本書では、構造主義その展開として、その<構造>事態がどのように成立、もしくは成立してしまっているのか?を多方面から考察する。

そこでは『Ⅱ数学と論理学における構造』、『Ⅲ物理学における構造と生物学における構造』、『Ⅳ心理学における構造』、『Ⅴ言語学における構造主義』、『Ⅵ社会研究における構造の理由』、『Ⅶ構造主義と哲学』の章に分けて構成し解説。

なるほど、本書を読めば構造主義についての理解がよりいっそう深まるのはもちろんこと、読み更け自らの血肉となれば、世界の見方が一新させられる内容の本。

ページ数の少なさに反比例する、内容の濃さ!!

詳しい書評には余白が足りないので、ここでの紹介は実に簡潔としても、その圧倒的かつ独創的な内容には気圧され、ながらもその無駄のなさにはオッカムもにっこり微笑むことは間違いない。

 個人的「手元にずっと置いておきたい内の一冊」に入るであろう素晴らしい本。

 

 

*1:そのため。欧米の洗濯洗剤には水を軟水化する薬剤が入っているとのこと

*2:論理的帰結(AでないものはBでない、つまり否定の否定は、Bの否定においても肯定に転じる)など

心理テスト1

ふと見かけた心理テストの備忘録。

 

 

 誕生日に5種類のプレゼントをもらったあなた。

プレゼントはどれも大きさや包み紙は同じような感じですが、

パッケージの形が大きく異なっています

あなたは次の5種類のプレゼントをどんな順番で開けていきますか?

 

 

サイコロ型のパッケージ

 

ボール状のパッケージ

 

ピラミッド型のパッケージ

 

楕円形のパッケージ

 

柔らかくグニャグニャしたパッケージ

 

 それぞれのプレゼントに、開ける順位をつけていく。

 

 

 

 この心理テストで判明すること。

それは 

今のあなたが、とりあえず欲しいと思っているもの!

 

その順位が「選んだパッケージによってわかる」とのこと。

 

次に、それぞれのパッケージが示すものについてのネタばれ。

 

サイコロ型のパッケージ

財産の象徴。このパッケージを最初に開ける人は、「お金」が欲しくて仕方ない人。

 

ボール状のパッケージ

ボールは弾む心を表す。「恋愛」や「ときめき」の象徴。 

 

ピラミッド型のパッケージ

 頂点に登りたい願望を表す。「名声」や「地位」の象徴。

 

楕円形のパッケージ

 周囲との円満な関係を表す。「友達」や「理解者」の象徴。

 

柔らかくグニャグニャしたパッケージ

 柔らかいパッケージは「休息」を表す。

 

 

 

個人的な結果としては、次のとおり。

1.柔らかくグニャグニャしたパッケージ

2.ボール状のパッケージ

3.楕円形のパッケージ

4.サイコロ型のパッケージ

5.ピラミッド型のパッケージ

 

 

疲れている…のか…?

 

あと思ったのは、既婚者の1が「ボール状のパッケージ」だったら、少しややこしいことに成り易そうだなと。

 

オウムジョーク

ジョークの本を読んでいて、オウムをネタにしたジョークは面白いものが意外と多いなと気がついた。

そこで気に入ったひとつを紹介。

 

 

『顔なじみ』

チャーリー・スミスは大金持ちだった。

彼は家族とともにすごすということがほとんどなかった。

それというのも、仕事が忙しすぎるからだというのがチャーリーの言訳だった。

ある日、チャーリーの妻が可愛がっていたオウムが死んでしまった。

彼女は、そこでペットショップに出かけ、別のオウムを探してくることにした。ところがあいにくとペットショップにはオウムは一羽しか居ず、しかもそのオウムは最近閉鎖されたばかりのいかがわしい場所で飼われていて、いろいろ悪いクセが付いているというのだ。

「それでもいいわ」

オウムに死なれてさびしがっていたチャーリーの妻が言った。

「私、このオウムのクセをなおしてみせるわ」

彼女がこの鳥を持って家に帰ると、めったにないことに、夫が家に居た。

「まあ、驚いた。めずらしいのね」

彼女はそう言いながら鳥籠の覆いをはずして、夫と娘たちに見せた。

オウムはまわりを見廻し、まばたきをした。そして言った。

「おやおや、こりゃあ新しい店じゃないか。はじめてのマダムに、はじめてのねえちゃんたちだよ。だが客だけはお馴染みさんというわけだ。こんちわ、チャーリー」

 

 

 

ギャルリラ ゴリラ

あるゴリラのジョークにて、そのオチが

「ギャルリラでした」

というものを読む。

 

ギャルリラって何?

と思い、グーグルで検索。

検索ワード

『ギャルリラ ゴリラ』

 

するとヒット件数ゼロ!

 

この文字数でのヒット件数ゼロは珍しく思えてここに記す。

そして「ギャルリラ」の意味は分からず。

 

 

ギャルリラって何だよw

 それともこれが、俗に言う  ”エレファント・ジョーク”  というやつなのだろうか?

「ぞうなんです」ってか。

やかましいわww

 

マックが裏メニュー・キャンペーンをやるみたいだけど…

www.mcdonalds.co.jp

 

マックが裏メニュー・キャンペーンを13日から実施とのこと。

そこでふと思ったこと。

 

このキャンペーンでは、好きなバーガーに任意のトッピングも可能で、その中にはチーズもあって、+40円で追加が可能とのこと。

 

そこで思ったのだけど、レギュラーメニューに『チキンチーズバーガー』がある(通称『チキチー』)。

これが単品200円なんだけど、その構成としては”バンズ、チキンクリスプパティ、スライスチーズ”。

その対比として、100円!とチキチーの半額である『チキンクリスプ』。

その構成としては”バンズ、チキンクリスプパティ、レタス”。

 

ここで「んっ?」となったわけで、つまり今回のキャンペーンで『チキンクリスプ』に+40円すれば、200円の『チキンチーズバーガー』が出来上がるじゃないか!と気付いたからだ。すると60円もお得に。

そして思うのだけど、このキャンペーンやったら『チキチー』売れなくなるんじゃないのか!?ってこと。60円も浮くなら、それで他のトッピングさえもできてしまうのだから。

 

「60円も安くなってお得じゃん!」と認識させて、購買意欲を刺激させるっていう手法かもしれないけれど、一度ぐらいは食べてみようかなと。あとトマトのトッピング可は良策であって(トマトの在庫管理における結果だと思うけど)、+40円は安いと思う。すれば『モスバーガー』のアイデンティティは一時にも薄れそうではある。

 

5月に読んだ本からおすすめ10冊を紹介。

5月に読み終えた本は33冊。

その中からおすすめの10冊を紹介!

 

 

 

第10位

『気づきの旅―現代人を幸せに導く、チベット仏教の教え』

気づきの旅―現代人を幸せに導く、チベット仏教の教え

気づきの旅―現代人を幸せに導く、チベット仏教の教え

 

構成として、予想外にも自伝的側面が濃い。

それでいながらも思った以上に得るものは多く感じた一冊。

あくせく働く現代人にとっては金言とも取れる戒めの言葉は数多く、心の平穏の大切さについて平易に語るのだけれどそこに説得力を感じるのは「さすが仏教!」と言ったところ。

そして一読すると確かにチベット仏教について多少なりとも学べ、「トンレン瞑想法」の作法などの解説もあって実用的。

けだし読んでいて特に感じたのは、著者における煩悩の多さ。

チベット仏教体験記では、「働き詰めであって真に大切なものを見失っていた!」なんて青汁の健康CMくらいにはベタなことを語っておきながら、

「じゃあ出世などを望まずに平穏に暮らすのかな?」

と思えば、ところがどっこいその真逆。

いくらブッタの智慧としての「ダルマ」を教授されたと自己申告をしても、自伝的場面で「作家になる夢が叶った!」となって足るを知るのかと思いきや、その後には「ハリウッド映画化や、大ヒットせずに大いに落ち込む…」なんて心境を吐露。

「これってはまるで仏教について理解していないのでは?」

という突っ込み待ちの展開にはもう笑う。

それでもチベット仏教の先生が語る「輪廻」についてなどは啓蒙深く、いい話だけに、著者の態度とのコントラストが目立つ。

だから穿って言えば「物質主義や欲望に塗れる事の害を悟ったように諭すが、実際に己の行動が伴っていないという、ユーモア本」であり、けれど普通に仏教に対する真摯な姿勢やその思想について改めて思わされることは多いので、普通に良い一冊ではあるかと思う。

 

 

第9位

『考える力が身につく ディープな倫理』

考える力が身につく ディープな倫理

考える力が身につく ディープな倫理

 

 手軽に読める新書の一冊。

内容としては、センター試験や大学入試などに出された倫理の問題を示してその解説とともに「倫理とは?」と改めて考えさせる機会を提供。

その問題には、カントの定言やベンサム功利主義についてなど。

あとはベンサムエピクロスにおける、幸福に対しての捕らえ方の相違についてなどの問題もあって、「エピクロスの幸福主義?それって、僻んだストア派が流した風説だろ?」なんて思って読めば、「エピクロスにおける幸福の定義とは『精神的な平穏』にある」として復習にも勉強もなった一冊。

あと中国哲学についてもいくつか出題されていたのが印象的。

なかでも朱子による哲学などは、改めて読み解くと二項対立的であり相対主義的な俯瞰さを持っていてその慧眼さに驚かされた。

他にもレビィ・ストロースにおける『野生の思考』に関する問題も出たりと盛りだくさん。結構な幅広さの内容で、楽しみながら有名な思想に触れられるので、

「哲学って何?おいしいの?」

なんて人にもお勧めできる一冊。

もちろんヘーゲルも取り上げており、「カント批判の内容とは?」という往年の哲学ファンにも楽しめる問題はあるので、哲学好きにもお勧めできる。

人気者ニーチェの問題もあるので抜かりなし。

「力の意思」ってなんぞや?というのにも分かりやすい解説付き!

読めば「神は死んだ!」も自身の語彙に加わることは間違いないだろう。

哲学好きはもちろん、哲学に興味があるのなら手にとって損はない一冊。

 

 

第8位

『臨床とことば』

臨床とことば―心理学と哲学のあわいに探る臨床の知

臨床とことば―心理学と哲学のあわいに探る臨床の知

 

 臨床心理学者として有名な河合隼雄氏と、臨床哲学者である鷲田清一氏の対談を収録した一冊。表題どおり「ことば」を主軸にして、臨床心理の現状についてを現場的知見から物語る。

興味深いのは河合隼雄先生がカウンセリングの極意をこれでもか!と惜しげもなく示してくれている点であり、現場で培われた知見はすなわち商売道具のようなもので、「それをこんな赤裸々に披露していいの?!」ってほどにはハッとする。

そこで語られた、ひとつのカウンセリングの極意としては、

”相手の言葉を聴くのと同時に相手の懐に入り、また相手にそれを悟らせて相手に自分を客観視させること”

とのことであり、この方法には感嘆とした。

つまり臨床心理士として患者を治療するということは、相手に対して自分自身を知覚させることであって、自分自身を客観視する機会を設けることにこそ、その真意があるということだ。こうした「自己」や「自我」を対比もしくは独立させての認識作法というのは哲学的であり、「自我」って造語を作ったのは河合隼雄先生か!?なんて思えたり思えなかったり。

他にも金言は多く、

「人は誰しもが興味・関心を持ってもらうことではじめて輝ける」

という言葉は真理にも感じた。

そして河合隼雄先生が行ったのは日本における臨床心理の開拓ばかりではなく、その功績は研究発表の場においての改善もあったのだと知る。以前はデータを主体にした客観的なものを研究発表の場で示すのが通例だったのを、河合隼雄先生は事例研究を徹底させて取り組むようにしていたのが改革的。そうした発表は普遍性こそなく、従来的に言えば「学術的ではない」とされるかもしれないが、あえてそこで生じる偶然性に注目して発表をする。

これまでの常識からすればそれは異端であるが、けれどその事例研究によって示される結果が実際には重要であるのは実用的であるからに他ならない。そして発表の際にも、そうした偶発的結果とも言える事例研究のほうが注目が集い、通常の発表なら席を立つ人も多いが事例研究の発表では誰もが興味を抱いて席を立たなかった、とする事実は面白い。

ピアスをつけるために穴を開ける行為や、暴走族の暴走行為などにおける自傷行為を「イニシエーション」、つまり大人になるための「通過儀礼」と考察する点などは、単に若気の至りとして片付けるのではなくそうした行為の真意を物語っており、その行為の意味に気づかされて大いに納得ができた。

このような自傷行為とは世界中で見られる行為でもあり、それは自分の体を自身で傷つけることによって、自分の体と知らしめる一種の行動形態なのだと解説によって知る。これらは、肉体としての一固体を確立するための行為だと解釈すればわかりやすい。

けれど「随分と唯物的ではあるなあ」とは思う。

あとは哲学家ミシェル・セールによる魂についての解釈は独特で面白く、氏曰く

「肌理の重なる場所にこそ魂は存在し、その都度に移動をしている」とのこと。

これに付属する意見としてセックスの存在意義についても本書では語っており、なるほどと納得できること請け合い。

 

 

第7位

『かくれた次元』

かくれた次元

かくれた次元

 

 そのタイトルから数学的な本かと思いきや、読んでみると文化人類学的内容。

といっても、動物の行動を視察して、さらに人間理解を深めようとするので動物学的でもある。

そして読んでみて思ったこと。

「見る」と「考える」の関係性は”相関的”であるのだと思うけれど、実際には”因果的”であるのだと。これは「因果」といった言葉の本意的にもそう思う。

内容としては、パーソナルペースの重要性や、視覚のあり方についての考察など。ねずみであっても、限られたスペースでは限界値としての定数があるという実験結果は少し意外で、環境に強いねずみであっても過度な窮屈さは随分とストレスでありそれが生態的な反応を示すまでにいたるとの結果は、人間に当てはめて考えても有効そうではある。あとは国別における人柄の特徴についての考察は面白かった。

美術と空間についての考察も興味深く、「美術品はそのサイズも計算されており、大きさを含めての作品である」とする言葉は贋作や模造品殺しのことばではあった。

 

 

第6位

『アサッテの人』

アサッテの人 (講談社文庫)

アサッテの人 (講談社文庫)

 

『言語ツンデレ』 

という前代未聞の意欲作!

“第137回芥川賞 第50回群像新人文学賞 W受賞!“とのことで、多少注目しながら一読。読むと評判どおり言語学的な内容であって、なかなか面白い。

そして表題の「アサッテ」とは「明後日」のことかと思いきや、そうした思惟は外れて実際には「的外れな方向」とも呼べる、方向的なことを指していたのだと知る。

そして本書は小説ながらも、物語を語るというよりは随分と思弁的な内容で、一読してその文体は円状塔っぽいなとも思わせた。

あらすじとしてはごくシンプルで、叔父の失踪を探す上で残した日記を紐解き、そこから叔父の思想を語り述べていく。ただそれだけ。

それでも物語性としても面白みはあって、「ポンパ!」といきなり叫ぶようになった序盤における叔父の描写などは滑稽かつユーモラスさたっぷりで、テレビのコントにしてもうけは良さそうだ。

「そのことばにはどのような意味が!?」とするワクワク感、ミステリーとしての娯楽要素もあって目が離せず一気読み。ぐいぐいと引き込まれると、打って変わって中盤以降からは急に真剣味を帯び、そして…。

このあとは少しネタばれなので、できるだけ空白状態で読みたい!という人は読み飛ばして。言語学に興味ある方や、「え?この言葉って、どうしてこの言葉として通じるんだろ?」という疑問を抱いたり、「言葉はくそだけど、そのくそを示す言葉がない!」なんて構築理論批判派の人にもうってつけの一冊!言語SF的な内容の小説であっておすすめなので、ぜひ読んでみて!

 

内容に少し踏み込んでの感想について。

後半、吃音によって生じる世界との隔たりと、それを突如克服したことによる戸惑いと世界における構成の実態を垣間見る結果となった心境などはそれこそ二項対立的でもあり、またデコントラクション的な思想を汲むものであったからであると思うと少し前の世代における構築理論と脱構築の流行していた時の熱気を見ているようであって面白い。そして確かに言語学的な概念を主軸に置きつづけ、ラングとパロールについて改めて考えさせられるような内容ではあった。

すなわち「意味のない言葉をあえて発する」というのは、定められている意味からの脱却であり、それこそ言葉の本質の一部であると信じる叔父の気持ちはわからないでもないのはきっと「自分が言ったことを、相手が自分が言ったこと以外の意味として理解することにおける気持ち悪さと気味悪さ」や、単純に「ことばの窮屈さ」からきているのではと思う。

要するに純粋な言葉自体への愛着、それは吃音によって憎悪にも近いものを抱きながらも、急遽それを解かれたことによって請ずる疎外感。平易に言い換えれば

パロール的言語に対するツンデレ」。

ゆえに終盤につれて最初の「ポンパ!」の意味もわかり、それが本当に真剣な所業であったということも。

晩年における叔父の狂気を「たまねぎを切って涙を流すのではなく、涙を流すためにたまねぎを切る」というたとえは実に秀逸で、命題論理のからすれば多少の誤謬があるかもしれないが、本能に訴えかけてくるような正確性!

つまり「ポンパ!」が生きる歪みを見つけるための鋳型を探していたのが、気づけば、鋳型に依存しはじめており逆転してしてしまったという顛末。また「チューリップ男」の項も随分と印象的で、隠された他人の性分を除き見たような感受性さえも与え、ここに関しては笑えることも示威深くさせられる教訓じみたものも感じられた。

面白い!!

 

 

第5位

『対称性から見た物質・素粒子・宇宙―鏡の不思議から超対称性理論へ』

 多少難解ながらも、一読すれば世界にはびこる摩訶不思議な現象「対称性」、それが実際には如何に不思議でありそして重要な概念なのか?

話は鏡像における不思議さからからはじまり、最終的には超ひも理論にまで話は広がり、「対称性」が見せる世界、「対称性」が語る世界、それらは実に可能性に富むのだと驚嘆する。示される式の意味も分かると、もう世界の見え方がまた多少なりとも変わってくる一冊。

よくよく思うのだけど、数式や物理の、美しい方程式を見て、その式の意味を真摯に知ったとき、そこでハッとして見える景色は、登山における登頂での絶景にも勝るものであるといって過言でないと思うのだ。

 

  

第4位

 『「場」とはなんだろう―なにもないのに波が伝わる不思議』

「場」とはなんだろう―なにもないのに波が伝わる不思議 (ブルーバックス)

「場」とはなんだろう―なにもないのに波が伝わる不思議 (ブルーバックス)

 

 内容として、古典物理的に言えば「エーテル」の存在について明らかにする内容で、はたして電磁波とはどのようなものか?。

そして、「何を媒介として伝播していくのか?」を懇切丁寧に解説してくれる一冊。

それでまずはマクスウェルによる、電気と磁気との関係性とそれらが作り出す「場」についてを説明。その伝播の様子を図なども用いて生き生きと示し、それによってだいぶイメージとしてつかみやすかい。

それからマクスウェルの立てた方程式について4つにわけ、ひとつずつを説明。

すると「えっ!この式って難解に思えてたけど、実際にはこんなシンプルで分かりやすいのか!」と目から鱗になること請け合いだ。

それによって電波のベクトルにおける拡散について、その際における磁気の場への影響についても理解しやすくなっており、そして方程式に登場した「カール」なる言葉が示す「回転」もことばの語源と一緒に解説するので覚えやすくもある。

重要な「双対性」との言葉も最初に登場させては、大きな複線として後半に生かすサスペンス仕様もあって娯楽性も兼ね備える。

そして中盤からはファインマン図を登場させて、ファインマンが提唱した量子と場のかかわりを解説。ここでもおおよそ数式を使用せず、言葉とイメージでその内容を解説するのだからすごいと同時に実に野心的。だがそれで実際に分かり易いのだからすごいと思う。

その後には重力「場」についての解説もあって、この流れとして当然のようにアインシュタインにも触れて大人気である相対性理論についての解説も。

最後にはひも理論までも触れ、素粒子ヒッグスについても語られ、意外と盛りだくさん。

物理嫌いの人であっても、むしろ読めば「物理って面白い!」となれる一冊であって、老若男女にお勧めの一冊。新書で手軽なのも良い点だ。

 

 

 

第3位

『バグる脳 ---脳はけっこう頭が悪い』

バグる脳 ---脳はけっこう頭が悪い

バグる脳 ---脳はけっこう頭が悪い

 

表題から脳科学に特化した内容かと思いきや、実際には行動経済学的な面も強い。

つまり『ファスト&スロー』のように、ヒューリスティック認知バイアスなどについて解説をする項が結構多くて面食らう。

それでも本書は「脳」をテーマにしているだけあり、その後には脳科学の観点から各種の事象を説明しているので、一気に面白くなる。

要は人が不条理な行動をとる際、「脳がどのようにして不可解なバイアスを起こしているか?」「脳内においてどのような状況を作り出してしまっているのか?」と内分泌的にも解説しており、相互作用によるものなのかと納得。

脳内において、事象を関連付けるために存在するニューロン連合における繋がりが「ノード」といわれるものであり、これが「注文時には真ん中の値段のものを注文してしまう」という行動経済学には有名な逸話の具体的な(ある意味では物理的ともいえるかも)説明となり、統計的結果ではなく生理現象として理解できる。

要は「a、bの場合からcが追加された場合、bとcに類似点がある場合には、そこでbとcの結合が太くなり、それによって二択となる(cはbより劣る)」ということである。

あとは終盤の

「どうして人の脳は宗教などの超越的存在を信じるのか?」

という考察がなかなか面白い。そこでの一説、

「宗教としての一つの共同体を作ることで信頼関係を築き、信頼社会を築くことで生活が成り立ちその固体が生き延びたため」

というものは安直ながらも説得力を強く感じた。

あとはプライミングの効果は絶大だなと改めて思ったり、「おそらく人間の脳がほかの動物と違うところは、超自然的存在を信じる傾向ではなく、むしろ超自然的存在を信じないようにする能力だ」という言葉は刺激的でありそして意味深である。

本書は脳のアーキテクチャーを解説することから始まり、太古からにおけるまさに「負の遺産」の正体を明るみに出す。

そこでは記憶の結合について、検索と算出が表裏であることなどを解説。つまりは「脳の連合アーキテクチャー」こそ重要な存在であり(この言い方は少々便宜過ぎるかも)、ニューロンのネットワーク化の結果による栄光と弊害に他ならないと語る。

脳は情報を、ニューロン同士のつながりのパターンで記憶する。この「つながりのパターン」というのがまた重要な概念であり、この「ひと括りにする」ことで、即効性がありまたこれらを可能にしているのがシナプス可塑性。

シナプスニューロンシナプスニューロンが同期しているかどうかをシナプスが「知る」ことができるようにする賢いNMDA受容体。

神経ネットワークに貯蔵されている情報を効果的に利用する鍵はプライミング効果で、何かの概念を表すニューロンは、活性化するたびにパートナーたちに注意を呼びかけるメッセージを送る。

まとめを言ってしまえば、「脳の連合アーキテクチャーとプライミングは協力で素晴らしくはあるが、この二つが合わさって、フレーミング効果やアンカリング効果、マーケティングの影響、無関係な出来事に左右されるなどの、多くの脳のバグの原因となっている」。

最後にあった「文化こそがプログラマーなのだ」といった言葉は生得的なものの指し示す表現としては実に適切。これは名言だと思う。

 

 

 

 

第2位

『SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと』

SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと

SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと

 

 面白くて熱中してしまい、最後まで小休憩もなく一気に読んだ一冊。

そうして読み終えた本書は題名どおりSFで、俗に言う「親殺しのパラドクス」をあらすじにした内容。特徴的なのはその文体で、翻訳者はなんと円城塔

独特な文章はそれのみでも面白い。

展開と構成としては多少哲学的であり、自己の存在とその存在性への言及についてなどはパラドクス問題を抜きとしても、なかなか面白かった。

あとは「書かれているこの本の内容のままに進む」といった、実にメタ的な作品であるのも特徴的で、「メタ作品大好き!」って言う人には、直にお勧めできる小説であるのは間違いない。

このあとネタばれ感想。未読で読みたい方はご注意を。

 

 

最後、この作品の意図に気づいてハッとし驚愕。

本書は、主人公がこの本事態を読みながら書き進める、という、まさに二重メタ的な構成となっており、読者は登場人物である主人公と一緒にこの本を読んでいるという設定は特殊。でありながら独創的で面白く、またそれであるが故に、最後にも未だ「書き続けろ」として思い描く結末としての「救助をあきらめるな!」と記しているのであるとわかって、思わずゾワっとした。

あとは、そのタイムマシン理論の落ちとしては、「実は人間の存在自体がタイムマシン!」として、「人も実際はタイムマシンと同等のことをしているのであって、“いま”や“この瞬間”を今として感知して知覚しているシステムが発達した状態にいる存在に過ぎない!ゆえに、この未知の脳の部分を刺激することによって、“過去”と呼ばれるものも“今”として知覚できるようになる!」というアイデアはなかなか魅力的であるが、既知感あって「これは『遊歩する男』と同じでは?」との思いが浮かんだりもした。

だから実際、その点に関してはあまり目新しいアイデアにも感じず。それでも本書は風情豊かな描写がいい感じで、そして家族に対しての内に秘めたしたたかな敬愛さなど、その情景についての描写が感情の揺さぶり加減として実にスリリング。

そして個性的な搭載OSの擬人化具合もほどよく、この辺などは特に日本人読者には好まれそうには思えた。

このSF作品の「S」こそ実に「スペキュラティブ」さを示す「S」であり、実に思弁的作品。

最後のオチは「結局は予告どおり、未来の自分に撃たれる」というのは実に平易で、まさに決定論者的な展開。と思わせておきながら、そこでの「未来は決まっていようと、変えようとする意思だけは持つことができる!」という言葉が特徴的であり、そしてこの小説の仕掛けでもある!

そうしたことによって、この本が続く限り、その意思も継続するのだと。

これによって、謎めいていた序盤における未知の彼女や父親を見つけるといったことの意味がようやくわかり、最後に見事すぎる巨大びっくり箱を用意された印象。

最後のページに示したこのトリックには、サスペンス小説以上に驚かされた!

「記述が終わらなければ物語は終わらない」

これは実際、この小説に対するものだけではなく、読者自身に対するメッセージでもあり、まさに意思による可能性を示唆。故に本書は「人の可能性」を取り上げた作品であもあり、本書はすべての人に開かれるべきテーマを掲げているようであって、SFとしてもかなり良いオチであったと言わざるを得ない。なんとまあ、実践哲学的なオチ!

 

 

第1位

『「おいしさ」の錯覚 最新科学でわかった、美味の真実』

「おいしさ」の錯覚 最新科学でわかった、美味の真実

「おいしさ」の錯覚 最新科学でわかった、美味の真実

 

食に興味があり「おいしい!」が好きな人にはぜひとも読んでもらいたい一冊。

 内容としては

「味を感じるのは舌だけでなく嗅覚や聴覚なども重要に関連しており、さらに周りの雰囲気など多種多様の影響を受けるもの」として、それら影響の実態を解説。

要するに、人間はものを食べて「美味しいな!」と感ずることは、創造しているよりよっぽど五感を使用している結果なのだなと痛感する。

すると「著者は、味覚に関しての還元主義者かな?」

なんて思う人もいるかもしれないが、実際に味覚とは各器官から精神的な面からの影響も多いと解説し、実施には全体論的な帰結にたどり着いているので安心してほしい。

そして言ってしまえば「味とフレーバーは違う」との指摘が序盤にあり、そこで早々にも「ええ!そのなの?」と驚かされた。

聴覚も実際にはとても重要で、

「ポテトチップスを食べているときに、“パリパリ”とする音を聞かせることで、よりおいしさを増して感じさせる」

という実験を呈して著者はかの有名なイグノーベルを受賞しているとのこと!

あとは個人的にも特に驚いたのは、

ホットケーキミックスに、卵を入れる手間を追加したら売れ始めた!」

というマーケティングにおいて古典的に有名なこの話が、「実は嘘!」と本書が解き明かしていたことだ。

他にもスプーンやフォークの重さが味の良し悪しに深く影響することや、丸い皿や丸い料理などはその”丸さ”を誇示することによって甘みを強く感じさせる作用がある等、味に関する面白い知見がたっぷり。

堅苦しく言って、本書は食に関して新たな立場“ガストロフィジクス”を提唱し、その立場として“食”に対する美味しさにおける、新たな境地を示してくれる。

「普段の食生活に少し飽きてきたから、何か良いスパイスはないかな…」

なんてとき、味覚以外のスパイスがきっと見つかる一冊。

そして、普段の食事が今以上に満足できるよう、手助けになってくれるであろう一冊。

ポピュラーサイエンス本として読み易い内容なので、老若男女にお勧めの一冊!

 「美味しい」とは、実に奥深い!

 

「話せばわかる」は本当か?

最近、

「話せばわかるっていうけど、うそだよね」

と言うのを聞いて思ったこと。

実際、この「話せばわかる」は本当じゃなくて、かといっても完全にうそでもないのでグレーゾーンだと思う。

けれどじゃあどうして

「話してわからないのか?」

という状態が生じるかと言えば、その原因は大きく分けて二つあるかと。

①会話が『言語行為』と化しているから。

②『力への意思』のため。

 

①の『言語行為』というのは、平易に言って「発話として言葉の意味内容を伝えようとしているのではなく、発話を別の形での行為として使用している」ということであって、わかりやすい例で言うと、苛々している母親がなかなかご飯を食べない子供に「早くご飯を食べなさい!」と怒って言うのはご飯を食べないことを怒っているのではなく、自分の苛立ちを子供に向けて発散している、ということ。

このように、本来の発話としての意味を役割とするのではなく、別にある主題を発話行為に宿してしまっていることを指す。

だからこの場合、「話してわかる」は成立せず、だって相手は話をしているのではなく、己の感情を相手にぶつけているだけなのだから!

 

②はニーチェによる有名な思想。というか、この発想があったからこそ、ニーチェは偉大とされているのではないか?というぐらいには思慮の深い捕え方。まさに人の意思のあり方についての核心を突いていて、これにまた有名な「永劫回帰」や「超人」などの言葉も関連してくる。

この「力への意思」に含まれる、複合的な意味を紐解いていけば、

「ああ、なるほどね、だからあの人はいくら話しても、わかろうとしないわけだ」

という事態も深く納得できるのだから、実に便利な思想でもある。

この『力への意思』とは、横暴にも簡潔に一言でまとめてしまえば、

「自己肯定への絶対的な意思」

みたいなもの。

 だからこそ、相手の意見を聞き入れないのは「相対的な意見の対立」というよりは、「ゆるぎない信念を崩されるのを恐れるため」ということに他ならない。

 まあだからといって「じゃあ、人の意見もそれぞれだから、それぞれでいいんじゃない?」と譲歩して終了してしまえば、それこそあの有名な言葉「神は死んだ!」を体感することになるのであって、忖度は決して進歩を生まないとするような弊害もある。

 

じゃあ、話してもわからない相手とはどうすればいいか?

極論を言ってしまえば、それこそロボトミーでもしなければ「瞬くに解決!」なんてことはないと思う。

それでも「話してわかろう」とする真摯な心があるならば、決定的な方法がひとつ。

それは「わかろうとする」気持ちを持ち続けることであって、このシンプルながらとても重要なことを見過ごしがちなのは、おそらく何かをあきらめてしまったことがあるからだと思う。

なるほど、確かに世の中は理不尽であり、むしろ叶わない願いのほうが圧倒的多数。

しかし、あきらめることができるとの同様に、あきらめないで思い続けることも可能なのだ。過去の偉人において「ほかの人と違い、秀でている部分は何か?」とすれば、その答えこそ、あきらめの悪さに他ならないと思う。良い意味での我の強さ。

無論、それだけの価値がある相手であると、自分で思える場合だけど。

 

 

身近な人と少しわかりあうためだけに、そんな悠長なことはできません!

なんて場合には、ここでちょっと変わった解決方法を提案。

それは”握手”。

哲学家のミシェル・セールは、こう述べている。

 

 「肌の重なる場所にこそ魂は存在している」

 

たとえ嫌いな相手であっても、直に触れ合うことで、互いに生じる感情もある。

接触という行為もまた、相互理解に向けては単純ながらとても効果があり、そして有意義なことであるはずなのに、殊に見過ごされがち。

相手を無慈悲に批判できるのは、相手のぬくもりを直に感じないから。

そんな真理は、ネットが嫌と言うほどに証明してくれている。

だからこそ、相手を理解するにはまず相手を一人の生きた人間であることを、実感するべきだと思う。