book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

7月に読んだ本からおすすめ10冊を紹介。

7月に読み終えた本は31冊。

その中からおすすめの10冊を紹介!

 

 

 

第10位

『鉄砲を捨てた日本人―日本史に学ぶ軍縮

鉄砲を捨てた日本人―日本史に学ぶ軍縮 (中公文庫)

鉄砲を捨てた日本人―日本史に学ぶ軍縮 (中公文庫)

 

 軍備縮小した国は稀。

そんな稀な例の格好な的というのが日本であり、どうして銃の存在を一時捨てることができたのか?を簡潔にまとめた本。

外国人が書いたということもあって、異国の目から捉えた「日本らしさ」や「日本国としてのすばらしい面」が強調されており、ある程度の説得力を持つ。

本書は「日本ってすごい!」とする昨今のメディア風潮ような、日本人が自国に対してアイデンティティを抱きそれを賞賛と言う名の愛撫することによって日本人を悦ばせるような一過性のものではない。

読むと、日本人と刀の関係について、その深遠な関係の一端を感じ取れることができる。それに関連して本書の目的である、「どうして日本人は鉄砲を捨てたのか」という疑問についても明確かつ鮮明な答えを用意してあり、その理由としては5つほどを挙げて解説。すんなりと読める一冊なので、日本と軍備について興味あれば一読を。 

 

 

第9位

ヒロシマ

ヒロシマ

ヒロシマ

 

 ガルシア・マルケスが本書をノンフィクションの一冊として絶賛しており、それで読んでみる事にした本。

そこまでページ数こそないが、内容として圧倒された。

ヒロシマ原爆が落ちた当時の状況を無機質ながらじっくりと繊細に描いており、当時の状況が繊細に伝わってくる。本書はその場に居合わせた5人(実際には6人)にスポットを当て、彼らにインタヴューなどを決行して紡いだ内容であり、その奇跡的に助かった5人によって語られ示される実情。彼らは、または周りはどのような状態にあり、どのような行動をとったのか?

原発少女」「ケロイド乙女」といった言葉の印象はとくに強烈。これが実際に使われていた表現とは!

あと思うのは、こうした本に対しての先入観的なイメージこそ「とても悲惨な状況を」「思わず目を背けたくなる」ことばかりに思われようが、実際にはそこにある希望的な側面、人間らしいたくましさや図太さ、そういったものこそ人間の本質として描いていることであって、生死に混合する楽観性もまた真理であるのでは?と思わせる実情こそ人間味を肌身に感じさせてくれる。

ノンフィクションとしてお手本のような作品でもあるので、目を通して損はない一冊。

 

 

 

第8位

『ものはなぜ見えるのか―マルブランシュの自然的判断理論』

ものはなぜ見えるのか―マルブランシュの自然的判断理論 (中公新書)

ものはなぜ見えるのか―マルブランシュの自然的判断理論 (中公新書)

 

 なかなか難解な一冊であり、ページ数と読了に用いる時間が半比例するが如く、厚みの割にはじっくりと理解して読むには時間を要する一冊。だがその内容として、「ものが見える」理由をどこに求めるのか?を解説しており、それは抽象的な思考法でありまた”神”といった存在に必然性を容認するあたり「なんだ、また神学的なものか」と思わせながらも、実際には便宜上として以上の意味を孕ませているのだと知ることになる。

なるほどこうした原理や思考は「単なる抽象的な思考に過ぎないのだから、それが現実にどう立つ?」とされがちだが、本書は読み解けばそうした疑問からは一線を画し、むしろ生化学的知見を用いて「見る」という行為を理解する以上に、「見る」事に関して「見える」ものを多くしてくれるのだから、これは皮肉的というよりは寧ろ人間意識を賛美するべきであると思う。そんな一冊。

 

 

第7位

『十蘭レトリカ』

十蘭レトリカ (河出文庫)

十蘭レトリカ (河出文庫)

 

 久生十蘭氏の作品は本書によりはじめて読んだ。

幾分も時代を思わせる描写が目立ちながらも、なかなかどうして面白い!

内容として、短編、中篇と収録されており、なかでも『モンテカルロの下着』『フランス感れたり』『心理の谷』などは特に面白い。

特徴としてはリズミカルな文体。

純文学としての気品を感じさせながらも、ジャズピアノのような爽快さを思わせ、すっと情景が明確に浮かび上がってはなお、ハイカラなストーリーを展開させる。

モンテカルロの下着』ではフランス留学中の日本人娘二人の様子が生き生きと描かれ、『フランス感れたり』ではチャップリン映画のような滑稽さが提示されている。

そして何よりも一番に面白かったのが『心理の谷』という作品!

「これは典型的ラノベ展開の先駆けか!?」とも評せるような、美人お嬢様とツンヤンデレの娘との合間にゆれる主人公を描いた作品。そのツンデレ具合といえば、昨今の作品の読んでいるようであった。けだしその文章力は桁違いで、なるほどラノベに代表される昨今の小説ほどには決して読みやすくはない。だが、そこがむしろ良い点であって、巧みかつ鮮明な表現や描写はアニメ画のような映像を脳裏に想起させ、ひとつの映像作品のような躍動感と、登場人物の溌剌とした姿を読ませるのではなく、見せ付ける!そして所々に見られる著者のセンスは昨今において通ずる粋さで、お嬢様がおほほほと笑うのはレトリックとして「地獄に落ちろ」の意味である、との説明には笑った。

これなどは今にしてそのままアニメ化しても十分に面白い作品になるのでは?と思えたほど。

ただ『花賊魚』や『ブゥレ=シャノアル事件』といった作品はちょっとした史実的なものであり、作風がガラッと変わるのも印象的。この辺は好みが別れそうだなとは思えた。

純文学の名手、と呼ばれるだけあり、入り組んだ構造をしていながら、その細部となる各部品、すなわち文章それらはどれも艶やかで芳醇な文字としての色彩を持ち、まるで画家が絵の具で色彩豊かな絵を描くように、著者は言葉という絵の具を使って、空白の空間へ文字を用いて二次的な作法により読者の頭の中でその絵画を鑑賞させる、といった趣を感じたのは確か。あと『ブゥレ=シャノアル事件』は、フレドリック・ブラウンによる『さあきちがいになりなさい』に似たところを感じたりもした。

 

 

第6位

『S‐Fマガジン・セレクション〈1987〉』

 国内作家による1987年度のSFマガジンによる傑作選。

13編を収録しながらも、柾悟郎氏による『邪眼』の圧倒的完成度!

これには正直言って度肝を抜かれた!

そんな作品であって、この作品だけに限っては別格。

どのような作品化と平易に言えば攻殻機動隊的な「スチームパンク」作品。

すると誰しもが「ニューロマンサーに影響を?」と思うところだが、実際にはジェイムズ・ティプトリー・Jr.の小説『接続された女』とのことで少々意外。

そしてこの作品『邪眼』だが、意識を借物に入れることを可能とした近未来での、ハードボイルド的な作品。この短編だけでも随分と濃厚。豊富な知識を散りばめウィットで下品な会話はイギリス的ユーモア性に富み、読んでいてテンポもよい。

当時、これで早川社が騒然としたというのも納得の出来栄えで、これだけ別レベル。

古典的な「魂とは?」を扱う形而上学的な作品ながらも、「テクノロジーによって意識が取り出せるのだとすれば、自意識と他意識の境界線は?」との問題を取り上げており、読み応えあり。

この作品のためだけにも読む価値のあったといえる短編集。

 

 

第5位

『トリフィド時代―食人植物の恐怖』

トリフィド時代―食人植物の恐怖 (創元SF文庫)

トリフィド時代―食人植物の恐怖 (創元SF文庫)

 

 古典的パニックホラーの名作をようやくにして読む。

その内容としては、正直なことを言えば実際想像していた物とはだいぶ違っていた。

というのも想定していた内容としては、“トリフィド”なる未知の肉食植物が人間を容赦なく襲い掛かるパニックものと思いこんでいたため。

けれど実際には、そうした植物の行動より、人間としてのあり方にスポットを当てた、どちらかと言えばサバイバル的であり、ポストアポカリプスな世界での生き残りを鮮明に描く内容だった。

けれどまあ、だからといってつまらない等と言ったことは一切なく、普通に面白い。

だが本書は古典的名著だけあり巷に感想は溢れ、なのでここではあえて簡潔に。

「便利だからと言って、それをむやみやたらと活用すれば、あとで痛いしっぺ返しを食らうでしょう」

こんな箴言めいた作品と言えよう。

あとは「科学が発展するには“暇”が必要」といった言葉には、含蓄があり示唆するものは多いように感じた。

 

 

 

第4位

プラトンとかものはし、バーに寄り道 ジョークで理解する哲学』

プラトンとかものはし、バーに寄り道 ジョークで理解する哲学

プラトンとかものはし、バーに寄り道 ジョークで理解する哲学

 

 記事にもした一冊。

帰納と演繹の違いについてを説明するならば - book and bread mania

要するに、ジョークと哲学の親和性は深く、 寄り添いあうようなものであって相性がとても良いということである。

言うなれば”笑い”とは少なからず哲学的素養を持つ存在であり、哲学的に言えば「笑いとは意識的な現象である」といったところか。

本書は哲学の諸概念を、ジョークを通じて学ばせてくれる良書。

そして「ジョークを哲学のアナロジーとして」示すのであれば、では「そのジョークは何のアナロジーを?」として考えていくのもまた面白い一冊で、そこには文化人類学的要素も詰まっており、俯瞰的視野を鍛える上でも良い作品。

 

 

 

第3位

『メディシン・クエスト―新薬発見のあくなき探求』

メディシン・クエスト―新薬発見のあくなき探求

メディシン・クエスト―新薬発見のあくなき探求

 

「ヴェノムは棘や針、牙などから注入される動物性の毒である」

この毒をさて有効利用してやろうじゃないか!という経歴などを解説、紹介するノンフィクションとしての内容。

 

想像以上に面白かった!

これを読めば「毒」に対する見方は変容し、毒の存在・概念はまさに言葉通りの「毒」ではないのだなと痛感する。まさにファルマコンであるのだと!

要は、「ものは使いよう」という古来からの金言をそのまま現実に転化したような事例を盛りだくさんにも紹介する。

本書を読めば、一攫千金のチャンスとはまさに「野生」にあるのであって、寧ろ実際にはそこらへんに転がっているのだと知ることができる。それも物理的な意味で!

簡単にその真意を言うのならば、

「動物や植物などの毒素をはじめ、各々の生物に見られる独自の因習が、うまく利用することによって人間に対し実に好意的な作用をもたらす」

ということに他ならない。

すると「シャーマン」なる森の権力者もひとえに時代錯誤とは呼べず、彼らの存在意義は実際、神話的ではなく寧ろ実用的、現実に即していた存在であり合理的なものであったのだと知ることができる!

 

またヴェノムは神経インパルスの伝達経路についての解明にも一役買うそうで、毒といってもその効用は表面的なものならず、こうした諸原理の解明にもつながるというのは奥深い。特定の箇所が反応することでマッピングにも役立つというのも、ヴェノムは特定のレセプタにしか作用しないからとのこと。すると毒とはその名に反する如く、有益であることが見えてくる。

毒に限らず独特な生物の特徴について、たとえば胃の中で消化させずに胎児を育てるカエル!など紹介されており、生き物の不思議さに触れることのできる一冊。これはもう老若男女にお勧めの本で、興味深い事例は盛りだくさんであって読了後には世界の見え方が変わってくる素晴らしい本!

 

 

第2位

『本能はどこまで本能か―ヒトと動物の行動の起源』

本能はどこまで本能か―ヒトと動物の行動の起源

本能はどこまで本能か―ヒトと動物の行動の起源

 

 単なる平凡なポピュラーサイエンス。

なんて思って読むと、これがなかなか侮れない内容。

その主張として「なんでかんでも本能って、それは違うんじゃない?」と疑問を呈すもの。

たとえば定説としてよく言われる「生まれてすぐの鳥は、最初に見た大きな生き物を親と思う」という、刷り込み。

これが実際には誤りだとしたら!

そして実際、本書では「それは違う」と提唱し、その原理には驚かされる。コペルニクス的転回、とまで言えば大袈裟かもしれないが、それに近い衝撃をもたらすことは確かである。

つまりは昨今の常識としての知識を、「それって実は先入観」と気づかせてくれる。

学校で教わること等はさも当然として「それが常識」とみなしてしまって思考停止状態に陥りがちな現状(まさにそうした自体こそもまた「刷り込み」的と言える!)に対し、実際には未知数であることの可能性を示唆する。

視野を広げさせてくれる本としては秀でており、「地球は平たい」と同様のことを我々が言っている可能性を気づかせてくる。

懐疑主義者には好ましい一冊。

そして本書を読み何より得たと思えることこそ

「本当の“本能”とは存在するのだろうか?」

といった具体的さを疑問視できるようになったことに他ならず、“本能”という概念に対して新たなノードを構築できたことにあるのでないかと。

お勧めの一冊。

 

 

 

第1位

『声の文化と文字の文化』

声の文化と文字の文化

声の文化と文字の文化

 

世の中には、読む前と、読んだ後によって、世界の見方がガラリと変わる、もしくは変えてくれる本というのはいくつもある。

それは創作物であったり、またはノンフィクション、学術本、専門書など数多の可能性もまた然り。

けだし小説や漫画などにおける創作的な物語における、意識変革の中軸と言えば、その物語が示す一種のメッセージ性(ここでテクスト論を用いると長くなるので便宜上にも省略)を受け取ることでの自己意識における変革、つまりは価値観の新たな創出であり、物語から読み取った価値観が己の血肉となることによって自身の意識を一新する。

そうした場合においての、物事の見方の変容とは物事が変容したことを意識するのであって、それを齎した事物そのもの、つまりここでは言葉自体(シニフィアンシニフィエに意識を向けたとしても)に対する注目こそ意識しようとも、その言葉が書かれた行為自体に注目することは甚だ珍しい。いいや寧ろ、それは意識的に行うが、あまり意味を持ち得ないことが多い。それは「言葉」に対して「意識」が向くからであり、その「意味」に「意識」が向くからに他ならない。

 

本書の主目的はまさにここにあり、要するに「文字」としての存在その物の効果を問おうとする内容なのである。

故に、本書における「世の中には、読む前と、読んだ後によって、世界の見方がガラリと変わる」というのはメタ的な知識としての認識であり、それがさらに斬新と思えたのは、言語学的といえる、いわゆる「言語体系としての意味」をさらに上から捉え、言語学さえも俯瞰して捉える点にあると言えよう。

 よって本書はソシュールロラン・バルトをはじめ、言語学の基本的体系に対する諸問題を呈する側面もあり、言語学として「書かれた言葉」に注目しようが「書く行為自体」に対しては、言語学の解釈における拡張不足を痛感させるのである。

 

すると本書はレヴィ・ストロースよろしく構造主義に対する考察にも深く関わりを持ち、すなわち構造主義としての思考に欠けているものを指摘し、「構造主義が構造の原理を解体しようとも、構造を”構造”として成し得る過程においての影響力を疎外視している」との、いわゆる構造における「材料」に対しての考察不足を指摘するのではなく、構造における「構造以前に存在するもの」についてを指摘する。 

 

本書を読む上では、構造主義言語学に対するある程度の教養があれば楽しめることは間違いなく、「ああなるほど!」と声の文化と文字の文化が実際にはどれほど事物の生成に重要であり、そして構造主義的思考が一過性かつ傾向的であるかを気づかせてくれる、すごい本。

人生において、一度は読んでおいて損のない一冊であり、同時に読んでないともったいない本でもある。

 

 

 

帰納と演繹の違いについてを説明するならば

 

プラトンとかものはし、バーに寄り道 ジョークで理解する哲学

プラトンとかものはし、バーに寄り道 ジョークで理解する哲学

 

 この本がとても面白かったのでおすすめ。

どのような本か?といえば、ジョークで哲学の概念を説明するといった内容。

 

そこで特にわかりやすくていいなと思ったのは、帰納論理学と演繹論理学の違いについて。示されたジョークが有名ながらも秀逸であり、そして「ああなるほど、このジョークはこのアナロジーとして使えるのか!」と目から鱗的にも感心したので紹介。

 

 

 帰納論理学とは、つまりこういうこと。

 

シャーロック・ホームズとワトソン博士がキャンプに出かけた。二人は星空の下、テントを張って眠りについた。

まだ暗い時間に、ホームズがワトソンを起こした。「ワトソン君、上を見て! 君の推理を聞かせてくれたまえ。」

ワトソンはちょっと考えて答えた。「無数の星が見える。」

「そのことから何が分かるかね、ワトソン君?」

ワトソンは答えた。「この大宇宙には何百万もの銀河とおそらくは何十億もの惑星がある。占星学的に言えば、土星が獅子座宮に入っている。測時法で言えば、今はだいたい午前3時15分だ。神学的にならば、神は全能で、ぼくたちはちっぽけで取るに足らない存在だ。気象学的には、たぶん明日はよい天気だろう。」

ホームズ:「バカ! 僕たちのテントが盗まれたんだ!」

 

 

 

それに対し、演繹論理学とはこのようなもの。

 

一人の老カウボーイが、バーでちびちび飲んでいた。
すると若い女性がやってきて、彼の隣に座った。
女性はカウボーイに向かって、「あなた、本当のカウボーイなんですか?」とたずねた。

彼は「うむ…わしはこれまでの人生ずーっと、納屋を掃除して、子牛の世話をしたり、子鹿を引っぱったり、フェンスを修理したり、ロデオに行ったり、子馬を調教したりしてきた。だから本当のカウボーイだと言えると思うが…」と答えた。

すると若い女性は、
「私はレズビアンよ。私は、一日中女のことばっかり考えてすごしてるわ。
朝起きた瞬間から、女のことを考えてるし、シャワーを浴びてる時も女のことを考えてるし、テレビを見てる時も女のことを考えてるし、食べてる時だって女のことを考えてるのよ。何を見ても、女のことを考えちゃうっていう感じなの!」と言った。

2人はしばらく沈黙のうちに飲んでいた。

しばらくすると、もう一人の男がバーにやってきて、カウボーイの開いている隣に座り、「あんた、本物のカウボーイかい?」とたずねた。

カウボーイは答えた。
「今までずっと自分はカウボーイだと思ってたけど、実はレズビアンだって今気づいたよ。」

 

 

 

これら笑えるジョークも、哲学的要素をじんわりと濃厚に含んでいる。

さらにそれを意識して眺めると、また新しい味わいがあるのだからより面白い。

そしてこうしたジョークをアナロジーとして用いれば、他人への説明にも使えるので実に便利!

 

 

プラトンとかものはし、バーに寄り道 ジョークで理解する哲学』では、特に言語哲学の項も面白かった。というか、言語とジョークの相性がいいのはもちろんのこと、言語の構造自体が滑稽な要素を含んでいて表裏一体なのだと。

 

故に、よく言われる疑問。

「『哲学』って、それがなんの役に立つの?」

これも上記の本を読めばその答えは明白。

 

「『哲学』って、それがなんの役に立つの?」

そう訊かれたら、

「それって、『お笑い』それがなんの役に立つの?って訊いているのと同じ事だよ」

と、こう答えられるようになること請け合いである。

 

 

 

6月に読んだ本からおすすめ10冊を紹介。

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第10位

『すごい家電 いちばん身近な最先端技術』

すごい家電 いちばん身近な最先端技術 (ブルーバックス)

すごい家電 いちばん身近な最先端技術 (ブルーバックス)

 

 洗濯機、テレビ、冷蔵庫、掃除機など一般的な家電から、トイレや電気シェーバー、さらには太陽電池の原理までも解説しており、一冊でなかなか幅広い内容。

洗濯機についてでは、斜め型のドラム洗濯機が環境にあわせて如何に工夫され生み出されたのか?を知ることができたり、洗濯自体の仕組みはもとより、水の硬度によってもまた汚れの落ち具合に影響があるとは知らずにいたので良い勉強に。

つまり欧米旅行に行く際、日本製の洗濯洗剤を持って行ってはよくない、ということだ*1

冷蔵庫についてでは、その仕組みを平易にもわかりやすく解説。

「冷蔵庫って、どうして中が冷たいの?」と子供が無邪気に質問してこようが、これを読めば簡易的にも解説できるようになること請け合い。

要は「ヒートポンプ」による、気化熱作用の相変化によって冷却が生じる仕組みを端的にも示しているので、大人であっても冷蔵庫の仕組みを実際に知っている人は少ないので、よりよい勉強になる内容。

さらには昨今の冷蔵庫事情、「第4の保存温度」として「パーシャル温度」等の機能についても解説しており、よって冷蔵庫好きな人も楽しめるであろう充実具合。

テレビついても解説は短く纏め上げられているのでさっと読める割には内容は濃厚で、「4Kテレビとは?」や「有機ディスプレイの特徴って?」などの解説は明瞭。

最近のトイレは「泡の活用」によって排泄物が便器内に落ちた際における、落下の反動で水が跳ねることを食い止める!なんという素晴らしいアイデアなども紹介されていたり、電気シェーバー解説では「二枚刃」状態が必然の意味を理解できるようになる。

 あとは炊飯器に関する解説は深く、そしてなかなか熱かったので、米好きで炊飯器にこだわる人も読めば十分に楽しめる一冊だ。

 

 

第9位

『コンピュータが小説を書く日 ――AI作家に「賞」は取れるか』

コンピュータが小説を書く日 ――AI作家に「賞」は取れるか

コンピュータが小説を書く日 ――AI作家に「賞」は取れるか

 

AI に小説を書けるのか?

そのようなテーマに挑戦したノンフィクションな一冊。

するとまず「文章とは?」といった事から取り組む必要があって言語学的な趣もあり、そういった面でも楽しめる。

そして本書では、実際にAI が「作った」とされる小説も載せてあり、星新一賞へと実際に送ったという作品二つを読むことができる。

二つとも結構面白い。

しかしここで疑問視されたのが「作った」とする全体像であって、いったいAIは実際にはどこからどこまでを作ったのか?

人工知能に興味関心のある人は楽しめると思うので一読して損はないはず。

あと印象深いのは日本語構造への指摘。

「日本語は構成として、助動詞が示す主語を”人間や動物に当てはめる”」とのこと。

なのでAIの場合などにおいても「擬人化している」と指摘したのは印象的。

 

 

第8位

『ロボットはなぜ生き物に似てしまうのか―工学に立ちはだかる「究極の力学構造」』

さっと読めるわりに、なかなか内容が濃かった印象。

表題どおり、人の腕の構造とロボットのアームが似てしまう理由の解説から始まり、あとは歩き方と安定性についての解説などは特に面白い。

人魚やケンタウロスといった架空の存在、それらも一種のロボット工学的疑問から端を発した形態と指摘しており、そう思うと興味深い。

あとヒトの手における筋肉配置と腱による駆動のメカニズムに驚いたり(これによって指は細くとも十二分に機能する!) 、そうした腱と筋肉配置の仕組みが馬の脚においても採用されているため、あのような運動性が生まれているとのこと。

そして「カブトガニ」と「ルンバ」の類似性も面白く、戦闘機における翼の開閉とツバメの飛び方の類似性なども面白かった。

他には「足を動かす順序」についての解説もあり、そこでは「三点支持」の概念を説明。「重心が支持多角形の中に位置する必要がある」というのはわかり易い。

あと「骨に圧電効果があることで形状が最適化される」という事象についても勉強に。

 ロボット好きにも生物学を好む人にも、ぜひ読んでもらいたい一冊。

すれば感嘆とすること請け合いで、「生物とはよくできているなあ」と感心しても由。

または「キャタピラーの脚とは面白い!」とガンタンク擁護派の考えを捗らせることも可。

 

 

第7位

ダイバーシティ

ダイバーシティ

ダイバーシティ

 

本書は二編からなり、ファンタジーと討論をモチーフにした戯曲的作品。

最初の『六つボタンのミナとカズの魔法使い』では、御伽噺のようなものに経済用語やらそれにまつわる概念を入れ、物語を読みながら同時にさまざま概念を一緒に学べる内容。パズル的要素もあって「正直者と嘘つきが居り、どちらが正直者で嘘つきかはわからない。さて、どちらか一人に一度だけ尋ねて正しい道に行くにはどうすればいいか?」といった古典的問題から、はてはモンティ・ホール問題までも。

簡易な倫理学的な勉強にも*2なり、有名な「共有地の悲劇」などの概念も登場!そして物語は、単に用語の解説のためのおまけかと思いきや、意外にもそれ単体としても十分によくできており最後まで面白い。ほどよくまとまりがあって、オチもしっかりしており、「そこらの小説よりも面白いのでは?」と感じたほどだ。

2編目は『ライオンと鼠』なる題名で、アメリカで教鞭を振るう日本人教師がこのイソップ童話を元にして文化の違い、多様性と認識についてを討論する内容。

ノンフィクション的雰囲気をかもすこの作品は、文化の多様性を示すという点においては最初の作品よりずっと伝えたいことを表面化している印象。

社会、文化の違いによって受ける影響や思考の違いについて、考える上ではひとつのヒントを授けてくれる作品であるのは間違いなく、文化の多様性について考えるきっかけにもよい。この本はどちらかというと若い人向け。と、一読してそう思えながらも、己の謙虚さを見直そうという点においては、老若男女だれが読んでも、読む価値はある一冊に思えた。まあまあおすすめ。

 

 

第6位

『猫たちの隠された生活』

猫たちの隠された生活

猫たちの隠された生活

 

 ポピュラーサイエンスのような構成ながら、内容としてはドキュメンタリー的。

そして中盤あたりからはライオンに関する記述が多く、表題から受ける印象に相反しているようにも感じた。

平易に言えば、「もっと猫についての話が聞きたかったのに!」

そんな思いも読み終えればスッと消え失せており、「なんだ…面白いじゃないか!」となるのは、ライオンの生き生きとした生態の実情を間近で眺めた心地になったからであり、同時にそれは流動的に情動を揺れ動かす巧みな文章の賜物に他ならない。

訳が素晴らしい。原文こそ読んではいないのでどうかは知らないが、日本語で綴られたこの本においては、動物がとても生き生きとしていたのは確かだ。

内容として、猫についての記述ではその社交的について、猫にも文化はある等のことぐらい。

あとはサーカスの虎についての記述も。どうやらサーカスで暮らすトラは随分と幸せらしく、少なくとも動物園よりはずっと良い環境であるらしく寿命からもそれは一目瞭然との事。そして虎は自発的に芸を行うという事実はもちろんのこと、よい調教師は決して虎をぶたないというのも印象的であった。

本書は猫のほかに、ピューマ、虎、ライオンに関する記述も豊富で、猫科の動物にスポットを当てている。ライオンの性格についてでは、彼らの感情的な趣、それらは人が先入観的に抱く残虐性を示すのではなく、実に多彩な表情、行動を見せる。

読めば猫のみならず、ライオンなどにも愛着が沸いてくることは確か。

普通に読み物としても面白く、そして動物の見知らぬ一面を知ることができる。

一読すれば見聞が広がり、動物の多様な行動形式に驚くはずだ。

 

 

第5位

『歴史を変えた!?奇想天外な科学実験ファイル』

歴史を変えた!?奇想天外な科学実験ファイル

歴史を変えた!?奇想天外な科学実験ファイル

 

 予想以上に面白かった一冊。

「蜂が一番、放射能に強い!」という事実から早々に驚かされた。

「エアクリブ」という赤ちゃん飼育箱も興味深い。

「実際の研究目的とは別のところに、重大な発見があった」とするのは実験の上では定石であって、その実例をいくつも見せられたような気分になる内容。

小猫の首を落として脊髄にチューブを入れて生き長らえさせた、という実験は衝撃的でそのグロさ。尤も「生き延びた」というのはデマらしいが、しかし問題はそこじゃないだろと思わず突っ込みたくはなる。

あとは、睡眠に関する諸実験も面白く、そのなかにあった居眠りの言い訳「寝ていたのではありません。ただ脳幹網様体から大脳皮質へ上行するシナプスの促通が大きく減少していただけです」などは実用的。これは教師、上司にクレームつけられたら、即座に使用できる便利な返事。

他にも面白い実験の記録ばかりで、フランケンモンキーの案件などは露知らず。そもそもサルの頭の移植実験をしていたこと自体に驚くが、それに成功していたというのにはもっと驚いた。

あとくすぐったさの研究では、それが生得的であると判明させたり、スキンシップの単純ながら恐るべき効果を示したりと身近な話題も合って有用的。コカコーラの宣伝効果を知らしめ(この事実を知ってより強化された可能性はある)、ラベルありのほうが美味しいと感じるとは。

LSDを打たれたゾウ」や「ゴキブリ・レース」にも驚嘆。LSDをゾウに打とういう発想もさることながら、それにより亡くなった事実、その影響力もまた甚大であってそしてアメリカでは有名な事件だったのだと知る。「ゴキブリ・レース」もまたなかなか衝撃的で、「ゴキブリは観客がいると動きが早くなる!」という結果はただただ驚きである。さらには、その実験結果を人間に当てはめ、つまり社会的影響を転用するあたりにも。

あとは睡眠学習についてで、寝ている蛙に「前向きに考えなさい」「過去のせいで未来を台無しにしてはならない」などのやる気を出させるメッセージを聞かせたところ、これらの蛙は帰るジャンプ競争の常連になったという話が特に好き。

本書はユーモアにもウィットにも富み、意外性を多々含む内容。

読めば笑え、楽しめ、そして勉強にもなる。

人間とは実に多彩な実験をしているのだなという実感を得るのはもちろんこと、「誰もやらなかったのではない。思いついたがやらなかったのである」という、無謀な挑戦を戒めるこうした言葉を裏切るような実験の数々。

面白い。 

 

 

第4位

『ぼくの副作用―ウディ・アレン短篇集』

ぼくの副作用―ウディ・アレン短篇集 (1981年)

ぼくの副作用―ウディ・アレン短篇集 (1981年)

 

ウディ・アレンの名こそ耳にしたことはあっても、その人となりは露知らず。

そんな折、ふと著者の本を発見。帯のコメントがタモさんであったことも影響して、なんとなく購入。そうして読んでみると「なんだとっても面白いじゃないか!」と驚いたほど。特に『恋の報い』という短編は秀逸で、爆笑した。

小説で腹を抱えて笑ったのは久しぶり。

そしてこの短編自体、ユーモアさのみではなく、人間関係を描いた作品としても傑作で、微妙な関係性と心の葛藤を描いたものとしても十二分に評価できる作品。

他で印象的だったのは『ボヴァリー夫人の恋人』という短編。これまた恋愛要素とユーモラスさが見事に合致しており面白い。この作品内における「小説内に、見知らぬ禿が出ているぞ!」とのくだりには大いに笑った。

あと『うすっぺらな奴』も同系列な作品ながら、これまた面白い。人間的滑稽さを描きつつも同時に濃厚なヒューマンドラマも描き、それによってどちらのコントラストもより引き立つという上手い仕掛けの作品であって、面白さと共に感心。

腹を抱えて笑えうことのできる貴重な短編集のひとつがこれ。

 

 

第3位

ユニコーンを探して―サタジット・レイ小説集』

ユニコーンを探して―サタジット・レイ小説集

ユニコーンを探して―サタジット・レイ小説集

思った以上に面白く、そして読みやすい短編集。

全部で10編ほどあり、中でも印象的なのは『台詞』『幽霊』『コルヴス』。

どれも最後には意外なオチがあって楽しめ、短編の巨匠サキのようなウィットさに富む作品ばかり。

そして特徴的なのが、舞台がインドということだ。

それでも堅苦しくなく手軽かつ平易に明瞭にと浮かぶその情景は、言葉という現象が織り成すマジックでありこれこそ、文学がもたらす可能性。不確実性かつ同時に、生き生きと臨場感もって浮かぶその光景は幻覚のようにも読者を魅了する。

表題作『ユニコーンを探して』はファンタジー的作品。何よりすごいのは、これを読むとほんとうに「ユニコーンも実際居るんじゃないか?」と若干にも思えることで、チベットの奥地における秘境への思いを馳せる事になる作品。つまりロマンに溢れていた。全体的には秀逸な作品ばかりで、どの作品も気づけば思わず熱中して読み入ってしまっている。そんなものばかり。異国の異郷の地に、足を踏み入れている!そんな感情をもたらしてくれる、完成度の高い短編集だった。

 

 

第2位

『レトリック感覚』

レトリック感覚 (講談社学術文庫)

レトリック感覚 (講談社学術文庫)

 

言葉の表現についての解説本、

基本的ながらも充実した内容。

まずは「レトリックとはなんぞや?」という解説からはじまり、そこから「直喩」「隠喩」「換喩」「提喩」と比喩にまつわるこれら手法も次に解説。

そのあとにはさらに「誇張法」と「列叙法」の解説までもあって、読めば表現の多様性について活用できるようになり、同時に受け取り方もまた広がっていく。

あとこれを読み「提喩」が実際には重要でありそして世の中において多用されているものだと知る。あと本書は言語学的側面が当然あり、構造主義に関する供述も見受けられたのが印象的。

自然は嘘をつかない。

その解釈によって誤解や嘘をつくのはあくまで非自然である人間の解釈でありそれに伴う言語である。とする意見はもっともで、「自然は嘘をつかないのではなく、うそをつけない」という言葉もまた印象深い。

あとは、「言葉と解釈による齟齬との関係性」もまた、短いながら金言に思えた。

本書は読むと言葉における使い方の幅と、認識力が向上するのは確かなので、一読して損は決してない一冊。今では英語をしゃべれる日本人は少なくないが、しかし日本語をしっかり理解した上でしゃべれる日本人は相変わらず少ない。

 母国語の重要性を云々~、というよりは「言葉」という物自体の概念をより深く認識できるようにするということは、それ自体が己の感受性と各々の理解を直接広げることにつながる行為であって、勉強せねばむしろ損。要は、言葉の意味も構造を詳しく知れば、世界はより広がって感じられるようになり楽しい!ということだ。

なので本書に関しては、読むことをお勧めする。

 

 

第1位

構造主義

構造主義 (文庫クセジュ 468)

構造主義 (文庫クセジュ 468)

 

心理学者ピアジェによる一冊。

本書は新書であり、ページ数こそ多くなく(たった146ページ!)、それでいながら内容としては脅威の充実具合!

まず意外だったのは、本書が「構造主義」への批判的内容だということ。

レヴィストロースの構造主義には「一種の固定性が潜んでいる」との意見は衝撃的。

それによると「レヴィストロースにとって、構造は固有の意味で社会的なものではなく、恒久普遍の人間精神の反映と考えられているからだ」とのこと。

さらに「哲学の分野においては、構造主義的思考と弁証法的思考との関係が問題となる。構造主義のうちの形成過程と主体のはたらきを軽視する傾向が見られるとすれば、それが弁証法的思考と衝突するのは当然だからである」という言葉は実に注目に値するように思われたが、なかなか難解ではある。

また、構造主義が思想ではなく方法であるとピアジュは言う。

本書では、構造主義その展開として、その<構造>事態がどのように成立、もしくは成立してしまっているのか?を多方面から考察する。

そこでは『Ⅱ数学と論理学における構造』、『Ⅲ物理学における構造と生物学における構造』、『Ⅳ心理学における構造』、『Ⅴ言語学における構造主義』、『Ⅵ社会研究における構造の理由』、『Ⅶ構造主義と哲学』の章に分けて構成し解説。

なるほど、本書を読めば構造主義についての理解がよりいっそう深まるのはもちろんこと、読み更け自らの血肉となれば、世界の見方が一新させられる内容の本。

ページ数の少なさに反比例する、内容の濃さ!!

詳しい書評には余白が足りないので、ここでの紹介は実に簡潔としても、その圧倒的かつ独創的な内容には気圧され、ながらもその無駄のなさにはオッカムもにっこり微笑むことは間違いない。

 個人的「手元にずっと置いておきたい内の一冊」に入るであろう素晴らしい本。

 

 

*1:そのため。欧米の洗濯洗剤には水を軟水化する薬剤が入っているとのこと

*2:論理的帰結(AでないものはBでない、つまり否定の否定は、Bの否定においても肯定に転じる)など

心理テスト1

ふと見かけた心理テストの備忘録。

 

 

 誕生日に5種類のプレゼントをもらったあなた。

プレゼントはどれも大きさや包み紙は同じような感じですが、

パッケージの形が大きく異なっています

あなたは次の5種類のプレゼントをどんな順番で開けていきますか?

 

 

サイコロ型のパッケージ

 

ボール状のパッケージ

 

ピラミッド型のパッケージ

 

楕円形のパッケージ

 

柔らかくグニャグニャしたパッケージ

 

 それぞれのプレゼントに、開ける順位をつけていく。

 

 

 

 この心理テストで判明すること。

それは 

今のあなたが、とりあえず欲しいと思っているもの!

 

その順位が「選んだパッケージによってわかる」とのこと。

 

次に、それぞれのパッケージが示すものについてのネタばれ。

 

サイコロ型のパッケージ

財産の象徴。このパッケージを最初に開ける人は、「お金」が欲しくて仕方ない人。

 

ボール状のパッケージ

ボールは弾む心を表す。「恋愛」や「ときめき」の象徴。 

 

ピラミッド型のパッケージ

 頂点に登りたい願望を表す。「名声」や「地位」の象徴。

 

楕円形のパッケージ

 周囲との円満な関係を表す。「友達」や「理解者」の象徴。

 

柔らかくグニャグニャしたパッケージ

 柔らかいパッケージは「休息」を表す。

 

 

 

個人的な結果としては、次のとおり。

1.柔らかくグニャグニャしたパッケージ

2.ボール状のパッケージ

3.楕円形のパッケージ

4.サイコロ型のパッケージ

5.ピラミッド型のパッケージ

 

 

疲れている…のか…?

 

あと思ったのは、既婚者の1が「ボール状のパッケージ」だったら、少しややこしいことに成り易そうだなと。

 

オウムジョーク

ジョークの本を読んでいて、オウムをネタにしたジョークは面白いものが意外と多いなと気がついた。

そこで気に入ったひとつを紹介。

 

 

『顔なじみ』

チャーリー・スミスは大金持ちだった。

彼は家族とともにすごすということがほとんどなかった。

それというのも、仕事が忙しすぎるからだというのがチャーリーの言訳だった。

ある日、チャーリーの妻が可愛がっていたオウムが死んでしまった。

彼女は、そこでペットショップに出かけ、別のオウムを探してくることにした。ところがあいにくとペットショップにはオウムは一羽しか居ず、しかもそのオウムは最近閉鎖されたばかりのいかがわしい場所で飼われていて、いろいろ悪いクセが付いているというのだ。

「それでもいいわ」

オウムに死なれてさびしがっていたチャーリーの妻が言った。

「私、このオウムのクセをなおしてみせるわ」

彼女がこの鳥を持って家に帰ると、めったにないことに、夫が家に居た。

「まあ、驚いた。めずらしいのね」

彼女はそう言いながら鳥籠の覆いをはずして、夫と娘たちに見せた。

オウムはまわりを見廻し、まばたきをした。そして言った。

「おやおや、こりゃあ新しい店じゃないか。はじめてのマダムに、はじめてのねえちゃんたちだよ。だが客だけはお馴染みさんというわけだ。こんちわ、チャーリー」

 

 

 

ギャルリラ ゴリラ

あるゴリラのジョークにて、そのオチが

「ギャルリラでした」

というものを読む。

 

ギャルリラって何?

と思い、グーグルで検索。

検索ワード

『ギャルリラ ゴリラ』

 

するとヒット件数ゼロ!

 

この文字数でのヒット件数ゼロは珍しく思えてここに記す。

そして「ギャルリラ」の意味は分からず。

 

 

ギャルリラって何だよw

 それともこれが、俗に言う  ”エレファント・ジョーク”  というやつなのだろうか?

「ぞうなんです」ってか。

やかましいわww

 

マックが裏メニュー・キャンペーンをやるみたいだけど…

www.mcdonalds.co.jp

 

マックが裏メニュー・キャンペーンを13日から実施とのこと。

そこでふと思ったこと。

 

このキャンペーンでは、好きなバーガーに任意のトッピングも可能で、その中にはチーズもあって、+40円で追加が可能とのこと。

 

そこで思ったのだけど、レギュラーメニューに『チキンチーズバーガー』がある(通称『チキチー』)。

これが単品200円なんだけど、その構成としては”バンズ、チキンクリスプパティ、スライスチーズ”。

その対比として、100円!とチキチーの半額である『チキンクリスプ』。

その構成としては”バンズ、チキンクリスプパティ、レタス”。

 

ここで「んっ?」となったわけで、つまり今回のキャンペーンで『チキンクリスプ』に+40円すれば、200円の『チキンチーズバーガー』が出来上がるじゃないか!と気付いたからだ。すると60円もお得に。

そして思うのだけど、このキャンペーンやったら『チキチー』売れなくなるんじゃないのか!?ってこと。60円も浮くなら、それで他のトッピングさえもできてしまうのだから。

 

「60円も安くなってお得じゃん!」と認識させて、購買意欲を刺激させるっていう手法かもしれないけれど、一度ぐらいは食べてみようかなと。あとトマトのトッピング可は良策であって(トマトの在庫管理における結果だと思うけど)、+40円は安いと思う。すれば『モスバーガー』のアイデンティティは一時にも薄れそうではある。