book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

夏なのに 猫の温もり 恋しくて

最近、なんだか寝つきが悪くて困惑していたところ。

不眠症解消には「抱き枕がいい」みたいなことを言われたので、生まれて初めて抱き枕を購入してみた!

近所の衣料品店で買ってきた絹さやみたいな形状とライトグリーン色の抱き枕で、抱いた感じもまあまあで悪くない。

さっそく購入初夜から軽く抱擁しながら寝てみると、抱き枕の先端がおなかの上に乗ったとき。その局部的な温かさは、実家の猫がおなかの上に乗ってきた温もりを想起させては夏の夜。胸の中に生じたもやもやは猫の温もりであって、靄のような夢のなかで見るのは猫の姿がちらほらと。起きれば猫の顔を僅かに思い出しては心の寂しさ夏の朝。

なんだか切ない気分になって目が覚め、隣を見れば緑の絹さや抱き枕。

 

そんな感じの抱き枕デビューで、抱き枕の効用は猫の尊さを思い出す事だったです。

 

 

ループ系漫画の傑作

備忘録用+もっと多くの人に知ってもらいたいための記事。

togetter.com

 

この漫画がとても良かった!

ループ系の仕掛けも良く出来ているし、最後の落ちもヨシ!

単純に純愛物として読んでも面白いのはもちろんのこと、シンプルな台詞と描写に含まれる行間の深さには目を見張るものがあって、持て余す時間を手に入れ欲の限りを尽くした結果、見えてきたのは人間の業の深さというのは真理的。

 

個人的にとても感銘を受けたのは”小さな努力の大切さと時間の尊さを描いている”点であって、メメントモリじゃないけど普段忙しなく生きていると「ちゃんと生きている時間」が大切だってことを忘れがちになってしまう。

別に「大真面目に生きろ!」ってことではないけど、自分がやるべきことをちゃんとやってるのか?とか、やらないと後悔するくせにやってないことがあるんじゃないのか?みたいなことを指摘されているみたいで、読んでいてハッとした。

 

 

あとはなんだかんだ言って、肉体的のみではなくて精神的に結ばれたこと(雑に裏を読めばそういった意味合いから主人公をデリヘル嬢にしたのでは?と思えたり)によってのハッピーエンドはやっぱり尊く思えるし、青臭いことを言えば互いを思いやり高め合っていける関係というのは最高の愛の形だと思う。

 

青臭いついでに言えば、青春っていうのは”青”臭いことを言うから”青”春なのであって、だから青臭いことを言い合える仲でいれば二人にとってはずっと青春なのかなとも思う。

 

なんて青臭いことをまた言えば、それを誤魔化すためにまた青臭いことを言うループになりそうなのでこれで終わりにしようかと。

 

 

銀河の死なない子供たちへ

 

小説にしろ漫画にしろ、ポピュラーサイエンスでも技術書でも童話でも哲学書でも、とても良い本を読んだ後というのは好きな子と話した後みたいに心が快くどきどきする。

それはなんだか気分が高揚して、カフェインでハイになったときには似て非なるもの。

自分の興奮と快さを感謝したくなる類の高揚さで、そんなとき「ああ、生きてるな」ってことを実感できるような、そんな気持ちになる。

 

 

最近そんな気持ちになれた作品がこの漫画。

とても大好きな漫画家である施川ユウキ先生による作品で、とても良かった!!

 

内容としては、タイトル通り死なない子供たちが登場するお話。

不死の生活とはどんな風か?それをときにシリアスに、時にユーモアチックに見せて、その日常における非日常性を描き出す。

すると見えてくるのは、如何に”生”と”死”が人の生活に寄り添っていたかということであって、普段目を逸らしがちである”死”、若いと特に他人事のように思えてくる”死”といったものに対する印象。イメージ。概念。その”死”につきまとう二面性について、改めて考えさせられる。

 

生きているからこそ死があるのであり、では、死がなければ生きていないのか?

 

そんな問いかけを本書は随所で発し、私たちが嫌悪しがちであり忌避する”死”といった存在について、それがどんなものなのかを照らし出す。

 

 

「イメージできないもの=存在しないもの」

こんな考え方が間違っているのは当たり前で、自分が知らない、イメージできないものだからといって、イメージできないからその物が「存在しない」とは考えない。

そして、そのもっとも顕著な例が「死」であると思う。

私たちは”死”というものに対し、漠然としたイメージしかできないが、それでも、誰もが”死”という存在が在ることを知っている。

何故だろうか?

理由は簡単。誰もが皆、何かが、もしくは誰かが死ぬところを見たことがあるからだ。

故に私たちは同様に、自分も”死ぬ”ことを知っている。

でもその先は知らない。知らないから怖い。恐怖する。

人は未知なものは恐れるものだから。

もし仮に、”死んだあとに天国がある”なんてことがどうにかして証明されたとしたら、死に対する恐怖は随分と和らぎ、現状よりずっと死にたがる人も死ぬ人も増えるはず。

でもそうはならない。死後のことはわからないから。

だから人は死を恐れる。

 

でも、死を恐れるからといって、では”不死”になったらどうなるか?

 この漫画は、死について改めてじっくりと考えるきっかけをくれる。

死が「在る」と「無し」ではどれほどに違いがあるのか?

不死による生活、その描き方として直接的な言葉や行動で示すのではなく、時間経過の速度の違いを示すことによって表現するというのは空間的なメッセージ性を感じてられてとても良かった。

物語としては全編見所満載で無駄がなく、全体を通してすばらしい内容。

人を死なせる作品は数多あるが、そこでフォーカスされるのはあくまで”その人物”の死であって、”死”そのものに対しては深く掘り下げない。でも実際は、そこにこそとても重要で、大切な意味も、そして忘れてはいけない「何か」がある。

その「何か」とは何か?を読者に想起させ、考えるべきことを教えてくれる作品で、もっと多くの人に読んでもらいたい漫画であるのは間違いない。

ちょっとでも興味が沸いたら是非とも読んでみてほしい!

 

 

 あと個人的には「何で死があるのか?」という問いに対する答えは「締め切りあったほうがやる気を出せるため」だと思っている。

例えるなら「まったく提出期限のない大学のレポート」のようなもの。

それならいつかやればいいじゃん、ってなる。

そのいつかは無限で、私たち人間は有限のなかにこそやる気を見出せるのだから。

まあそれも不精な自分の性分のせいではあるけれどw

 

 

 

ふと思い付いた、ちょっと落語のような小話

ある男が、一級品の肉がありうまいと評判の店に足を運んだ。

しかしステーキが運ばれいざ食べてみると値段ばかりが高級で、その味は至って普通。

値段と釣り合う味ではなく、不満を抱いた男は我慢できなくなってとうとう給仕に尋ねた。

「ここは肉がうまいと聞いてきたんだが」

「ああ、それでしたら」

給仕は尋ねられ慣れている面持ちで壁のほうを指差した。

そこには一枚の絵画が飾られており、写実的に描かれたステーキが丸皿をモチーフにした額縁によって収められている。

「見事な肉の絵でございましょう」

「なるほど、上手い肉とはあれのことか」

「そのとおりでございます」

「まるで頓知だな」

真相を知った男は感心するようにも、呆れたようにもなってそう感想を漏らした。

それを聞いて給仕が最後にこう言った。

「いっきゅう品の店ですから」

 

 

お昼寝

午後のちょっとした休憩時に眠くなると、近くにベッドがあればなぁと思ってしまう。

そういえば犬や猫って、硬い地面でもぐっすり眠れるから凄いなと思えば、

犬も猫もああもモフモフしているのは結局のところ自分をベッド代わりにするためなんじゃないのか?って眠い頭でふと思った。