book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

『最後にして最初の人類』

 

最後にして最初の人類

最後にして最初の人類

 

 いつか読みたいなぁとずっと思っていた小説で、この度ようやく手に取る事ができて目を通し、そしてついに読み終えられた一冊。

 

本作品、一言で言ってしまえばあまりに壮大、壮大なのである。

 

ひとりの人間にスポットを当てた小説というのは数多ある。

それこそ数え切れないほどに。

ひとつの家族にスポットを当てた作品も数多く存在する。

そして、ひとつの国家にスポットを当てた作品も、まあ”膨大に”とは言わないまでも多数存在するだろう。

 

しかし本書、この『最後にして最初の人類』がスポットを当てるのは「人類」そのものである。

さらになんと、本書では人類史が20億年分綴られている。

20億年分!!というなんとも途方もない年数が一冊にまとめられており、ここまでの年数を記録した小説を読むのはもちろん初めてで、ここまでマクロな観点からの小説を読むのも初めてだと思う。

 内容としてはまさにタイトルどおり。

人類の最初から最後までを描き切っており、登場する人類は繁栄と衰退を繰り返し、シーソーゲームのような状態を幾度となく経験しながらも着実に歩みを続ける。

根幹に描かれているのは人間の持つ意志の強さと、美に対する感受性、そして慈しみを尊く感じる心の在り様などで、人間の進化がどのように行われ、どのようにヒトの形態や形式が変化していったのか?

その様を眺めるように読むことができ、 多種多様に存在していた人間文化はそれぞれ一つ一つが独立した作品になっていてもおかしくない世界観を見せるのだから作中の奥行きは半端なく、本作品がその後の作品に対し如何に多くの影響や示唆を与えたのかが容易に分かるほどのダイナミックさを呈している。

 

 

荘厳にして壮大、これはもやは小説であって小説ではない。

そんな風情さえも感じさせる一冊で、本書のあとがきによって著者オラフ・ステープルドンは哲学者でもあったと知り、思わず納得。

故に本書は「とっても面白いよ!!」と気軽に賞賛できる作品ではなく、むしろ哲学書めいた思想を綴った書であることを根底に置きじっくりと嗜むように読んでみてほしい本だと紹介した方が適切だと感じる。

その上でSFらしさも濃厚で、火星人の襲来やら水中に住む金星人なども登場し、これだけ聞けばパルプ誌に載ってそうなSF小説を想起しようとも、その実この本に登場する彼らは一味違う。

それはおそらく彼らの姿をきめ細く描写するのではなく、彼らとしての種の特性、それに対して細やかな描写をしているからであって、ここでも目をつけるのは固体別の存在性についてではなく全体性について。だからこそより彼らの意思や思考、思慮や意識の在り方を知ることができ、そこに一種の生物学的かつ社会学的なリアリティさを感じることができるのだと思う。

 

本書は特殊な小説で、しかし個人的にはとても印象深い作品であるのは間違いない。

だから仮に

 

もし明日、世界が終わるとしたら

 

そんな状況に陥っても尚、僕はきっとこの小説を読んでいたと思う。

 それで後悔しない。

この小説は、そんな一冊だ。

 

 

映画版『聲の形』について

金曜ロードショーでやっていたので思わず見てしまった。

気付けば見入っていた。

一言で言えば面白かった。二言目に言うなら作画が綺麗。

 

あと予想通りの重さでもあって、なんだかもう見ていてドキドキしたのはもちろんのこと、幾十にも重ねられた切なさに違う意味でもドキドキしっぱなし。

なんだろうねこれ。

下手な例えで言うなら、20キロ位の重りを背負った状態で心がぴょんぴょんしたような気分。

 

正直、手話に対する啓蒙はまったくと言っていいほどないので手話で何を言っていたのかは言葉で説明してもらわなかったらぜんぜん分からなかった。

けれど微細な表情の変化や間の取り方、景色の見え方等の様々な演出によって彼ら彼女の言わんとすることは表現されていて、その辺のクオリティもまた凄いなと。

そう思うのと同時に、そこで受け取るメッセージ性が実際には発話的な言語に還元して意味を受け取っていたと思うと、この映画はより深みを感じられてくる。

 

そしてヒロインによる「過去に酷い苛めをしてきた相手を好きになる」という心理(この映画版での)に対する見方は、その心にはある種の厭世的な趣もあったんじゃないのか?って思ってる。

少し強引にも簡易的にヒロインが主人公を好きになった心境を考察すると「友達が少ない中、積極的に手話を学んできてくれて、さらに優しく接してくれるようになったから」とも考えられると思う。

でも本当はその心の中に破滅的な願望があって(そのためにあの時の行動はあったのだと思うし)、自分を苛めた相手を好きになるという一般的に考えればイレギュラー的な行為は、一般的ではないことをあえて行う事によって自分の中にも構築され培われてきた『一般常識』『共通概念』的なものを壊そうとする一つの破滅的願望の成就、それの一環の可能性もあるんじゃないのかな?ってつい観ていて思ってしまった。

 

まあ何はともあれ大変面白かった。

観ていて苦しいくらいにしんどかくも感じたのは”苛め”、”差別”、”障害”と、重くなる要素てんこもりであったからだとは思うけど、それらに対してちゃんと向き合って、それがどんなことなのか?をこうもしっかりと描いた上でそれをさらに娯楽作品!に仕上げるなんてことは筆舌に尽くしがたいほど困難なことだ

けれどまあ、だからこそ言葉以外のもので表現したと言うのなら納得できる。

そしてこの映画を観ていてとても心が動かされたのは多分、この映画の聲は心に形を作るからだと思う。

 

夏なのに 猫の温もり 恋しくて

最近、なんだか寝つきが悪くて困惑していたところ。

不眠症解消には「抱き枕がいい」みたいなことを言われたので、生まれて初めて抱き枕を購入してみた!

近所の衣料品店で買ってきた絹さやみたいな形状とライトグリーン色の抱き枕で、抱いた感じもまあまあで悪くない。

さっそく購入初夜から軽く抱擁しながら寝てみると、抱き枕の先端がおなかの上に乗ったとき。その局部的な温かさは、実家の猫がおなかの上に乗ってきた温もりを想起させては夏の夜。胸の中に生じたもやもやは猫の温もりであって、靄のような夢のなかで見るのは猫の姿がちらほらと。起きれば猫の顔を僅かに思い出しては心の寂しさ夏の朝。

なんだか切ない気分になって目が覚め、隣を見れば緑の絹さや抱き枕。

 

そんな感じの抱き枕デビューで、抱き枕の効用は猫の尊さを思い出す事だったです。

 

 

ループ系漫画の傑作

備忘録用+もっと多くの人に知ってもらいたいための記事。

togetter.com

 

この漫画がとても良かった!

ループ系の仕掛けも良く出来ているし、最後の落ちもヨシ!

単純に純愛物として読んでも面白いのはもちろんのこと、シンプルな台詞と描写に含まれる行間の深さには目を見張るものがあって、持て余す時間を手に入れ欲の限りを尽くした結果、見えてきたのは人間の業の深さというのは真理的。

 

個人的にとても感銘を受けたのは”小さな努力の大切さと時間の尊さを描いている”点であって、メメントモリじゃないけど普段忙しなく生きていると「ちゃんと生きている時間」が大切だってことを忘れがちになってしまう。

別に「大真面目に生きろ!」ってことではないけど、自分がやるべきことをちゃんとやってるのか?とか、やらないと後悔するくせにやってないことがあるんじゃないのか?みたいなことを指摘されているみたいで、読んでいてハッとした。

 

 

あとはなんだかんだ言って、肉体的のみではなくて精神的に結ばれたこと(雑に裏を読めばそういった意味合いから主人公をデリヘル嬢にしたのでは?と思えたり)によってのハッピーエンドはやっぱり尊く思えるし、青臭いことを言えば互いを思いやり高め合っていける関係というのは最高の愛の形だと思う。

 

青臭いついでに言えば、青春っていうのは”青”臭いことを言うから”青”春なのであって、だから青臭いことを言い合える仲でいれば二人にとってはずっと青春なのかなとも思う。

 

なんて青臭いことをまた言えば、それを誤魔化すためにまた青臭いことを言うループになりそうなのでこれで終わりにしようかと。

 

 

銀河の死なない子供たちへ

 

小説にしろ漫画にしろ、ポピュラーサイエンスでも技術書でも童話でも哲学書でも、とても良い本を読んだ後というのは好きな子と話した後みたいに心が快くどきどきする。

それはなんだか気分が高揚して、カフェインでハイになったときには似て非なるもの。

自分の興奮と快さを感謝したくなる類の高揚さで、そんなとき「ああ、生きてるな」ってことを実感できるような、そんな気持ちになる。

 

 

最近そんな気持ちになれた作品がこの漫画。

とても大好きな漫画家である施川ユウキ先生による作品で、とても良かった!!

 

内容としては、タイトル通り死なない子供たちが登場するお話。

不死の生活とはどんな風か?それをときにシリアスに、時にユーモアチックに見せて、その日常における非日常性を描き出す。

すると見えてくるのは、如何に”生”と”死”が人の生活に寄り添っていたかということであって、普段目を逸らしがちである”死”、若いと特に他人事のように思えてくる”死”といったものに対する印象。イメージ。概念。その”死”につきまとう二面性について、改めて考えさせられる。

 

生きているからこそ死があるのであり、では、死がなければ生きていないのか?

 

そんな問いかけを本書は随所で発し、私たちが嫌悪しがちであり忌避する”死”といった存在について、それがどんなものなのかを照らし出す。

 

 

「イメージできないもの=存在しないもの」

こんな考え方が間違っているのは当たり前で、自分が知らない、イメージできないものだからといって、イメージできないからその物が「存在しない」とは考えない。

そして、そのもっとも顕著な例が「死」であると思う。

私たちは”死”というものに対し、漠然としたイメージしかできないが、それでも、誰もが”死”という存在が在ることを知っている。

何故だろうか?

理由は簡単。誰もが皆、何かが、もしくは誰かが死ぬところを見たことがあるからだ。

故に私たちは同様に、自分も”死ぬ”ことを知っている。

でもその先は知らない。知らないから怖い。恐怖する。

人は未知なものは恐れるものだから。

もし仮に、”死んだあとに天国がある”なんてことがどうにかして証明されたとしたら、死に対する恐怖は随分と和らぎ、現状よりずっと死にたがる人も死ぬ人も増えるはず。

でもそうはならない。死後のことはわからないから。

だから人は死を恐れる。

 

でも、死を恐れるからといって、では”不死”になったらどうなるか?

 この漫画は、死について改めてじっくりと考えるきっかけをくれる。

死が「在る」と「無し」ではどれほどに違いがあるのか?

不死による生活、その描き方として直接的な言葉や行動で示すのではなく、時間経過の速度の違いを示すことによって表現するというのは空間的なメッセージ性を感じてられてとても良かった。

物語としては全編見所満載で無駄がなく、全体を通してすばらしい内容。

人を死なせる作品は数多あるが、そこでフォーカスされるのはあくまで”その人物”の死であって、”死”そのものに対しては深く掘り下げない。でも実際は、そこにこそとても重要で、大切な意味も、そして忘れてはいけない「何か」がある。

その「何か」とは何か?を読者に想起させ、考えるべきことを教えてくれる作品で、もっと多くの人に読んでもらいたい漫画であるのは間違いない。

ちょっとでも興味が沸いたら是非とも読んでみてほしい!

 

 

 あと個人的には「何で死があるのか?」という問いに対する答えは「締め切りあったほうがやる気を出せるため」だと思っている。

例えるなら「まったく提出期限のない大学のレポート」のようなもの。

それならいつかやればいいじゃん、ってなる。

そのいつかは無限で、私たち人間は有限のなかにこそやる気を見出せるのだから。

まあそれも不精な自分の性分のせいではあるけれどw