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book and bread mania

-日々読んだ本の書評 + メモ集 + パンについて-

華氏451度

 

華氏451度 (ハヤカワ文庫SF)

華氏451度 (ハヤカワ文庫SF)

 

レイ・ブラッドベリによる古典的名作。

しかしレイ・ブラッドベリの 作品を読むのは、これが初めて。

 

 

読み始めると面白く、そしてページ数・文字数とそれほど多くないのでどんどん読み進んでしまい、気付くと最後まで。

 

 

感想。

オーウェルの『1984年』にも通ずる、監視社会が形成された近未来の話。

そこでは本の存在が禁止され、本を所持するのは罪であり、主人公モンターグは本を焼き払う仕事に従事している。

人々は、情報や音楽が垂れ流しになっている超小型ラジオを耳につけ、大画面テレビによる垂れ流しメディア、または大画面テレビを通じてのテレビ電話のようなもので親族等と意味のない会話をし、そこで娯楽性を満たして暮らしている。

 

本が禁止されているのは、人々を思考させないためであり、熟考による悩みや疑問こそが不幸であると、作中のキャラクターは語る。

誰も深く考えず、何も疑問に思わず、ただ怖れもなく暮らすことこそが幸せなのだという。

しかし、それは果たして本当なのだろうか?疑問を抱いた主人公は、それが本当かどうか疑問に思い、そして今の自分が決して幸せでないことに気付いてしまう!

そこで主人公は行動に出る。禁止されている『本』という存在に、手を伸ばすのだ。

 

 

この作品は、政府が国民の思考力を奪い、政府にとって都合のよい国民作りが行われている。なので、いわゆる『ディストピア』の世界観を描いた作品といえるだろう。

しかし恐ろしいのは、このような思考力の排除という体制が、この現代において決してフィクションでなく、絵空事と言えない点だ!

 

この『華氏451度』の世界観は、現実の現代においても、いくつかあてはまる。

現代人は本離れ、活字離れの風潮が顕著で、インターネットによる手軽で、圧縮され、単体では情報量の少ないものが好まれる傾向が強い。氾濫するまとめサイトがいい例だ。

そこで人は自ら考えることを止め、安易な情報を頼ってしまう。そして、安易で圧縮された情報で満足してしまう。それで全てを知ったかのような心地に浸ってしまう。その方が楽だから。その方が便利で、有意義で、効率的であると、盲目的に思い込んでしまっている。

 

そこでのこの小説は、このような世界が来るのを見通していたかのような設定・ストーリーであり、『本』というものの存在に対して是非を投げかける。

『本』とは決して万能ではない。『本』を読むからといって、劇的に何かが変わるわけではない。本書は訴える。

つまり、読書自体、それ単体で得るものは決して全てでないと示唆している。

『本』とは知識の集合体であり、『本』とは関連性なのだ。それは自己との関連性であり、『本』によって得るのは知識や見聞のみでなく、そこと自身による今までの経験・知識が統合して、初めてその『本』は『本』として存在する。

そのことを、『本』が禁止された世界を通して、読者自身にこの『本』を通して教えてくれた。

 

 

単に「『本』は素晴らしい物だ!」とディストピアを通じて証明しているのではなく、『本』の持つ可能性、そして『本』という物の存在意義の証明。記憶が、思いが作者の魂であり、遺産であり、そして作者の分身であり『生きた証』であるのだと、この作品は『本』の存在理由を『本』を通して説いてみせる。

あと、「壊す行為は容易いが、何かを残すこと、それが生きた証であり人生において重要だ」と語るエピソードには、思わずグッと来た。

それはレイブラッドベリによる、魂の叫びにも思えたからだ。

名作といわれるだけあり、小説というフィクションに一概できぬ内容であり、一読の価値は十分にある一冊だった。