book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

最高だね。

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この記事を読んで思ったこと。

シンプルに、凄く良いことだと思う。

言葉が思考を作る。

自己啓発本によくあるような言葉で、胡散臭くもあるが、

実際にこれは脳科学的知見からも認められていることらしい。

まあ実際、体を動かすのだって、通常では「自分が『動け!』と思って動く」と思われがちだが、実際には「自分が『動け!』と思って動かそうとするまえに、既に体は動いてる」そうなのだから、頭のみで考える思考というのは案外へっぽこなのかもしれない。

 

そして、言葉に出すと、それが精神面に多大な影響をもたらすのは古代からよく知られている事実。

「ありがとう」と口癖にして悪い気分にはならないし、「最悪っ」を口癖にして幸せになる事も決してない。

そんな折にこのリンク先の記事。

「辛い」ときに「面白くなってきたじゃねーの」というは実に良いと思う。

困難な状況すらも、言葉にすると心底面白くなってくる。楽しんでる。臨場感が出る。ヒャッハー。盛り上がったきたぜ。アドレナリンが沸き立つのを感じるっ!!

てな具合になれば楽しくないわけがない。

 

そしてこの記事のタイトル。

気付いたのだが、アメリカやイギリスではユーモアで最悪の事態を「最高だね」といって笑いを誘う。

皮肉なユーモアであることは確かだが、それで周りは引かず落ち込まず笑いを齎す。

すばらしい事だ。

人が笑うのは、その笑うこと自体が、深刻な事故でないことを示す一種のコミュニケーションツールとしての役割があるため、と聞いたことがある。

確かにバナナの皮で滑った人が居て、その人が頭を打って血の池を作れば笑うところではない。

しかし、バナナの皮で滑った人が、無傷であったら大いに笑うだろう。かつらだって取れているかもしれない。

こういった「笑っていい事態」と「笑ってはヤバイ事態」を、一目では判断しかねる状況は多くある。

笑ったら、あの人は激怒するのでは‥、そういった状況では周りの雰囲気が張り詰め、何物も喉を通らない。

しかし、ここでボディランゲージ以外のコミュニケーションツール、言葉の登場だ!

「最高だね」

この一言で、ああこの人はそれほど怒ってない、笑っても大丈夫なんだと、周りの雰囲気は和む。

自分にもたらす影響から周囲に与える影響まで、言葉の力とはすさまじい。

だからこそ、前向きな言葉は大切なのだ。

 

よって今後は、辛いときには「面白くなってきたじゃねーの」と呟き、

酔っ払いを介護してゲロをぶちまけられたときには「最高だね」と言うべきだ。