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-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

トイレの話をしよう

 

トイレの話をしよう 〜世界65億人が抱える大問題

トイレの話をしよう 〜世界65億人が抱える大問題

 

 ”隣の芝は青く見える”。

有名な常用句だ。

けれど彼らは、我が家の庭の青さには気付かない。

他の家では、芝ぼうぼうで荒れ放題な庭もあるが、そんな庭には見向きもしない。

劣等した環境には見向きもしないし、興味も沸かない。

だから、自分の家の庭の芝の青さを知る事はない。

 

 

日本のトイレ事情がどれほど恵まれているか、真剣に考えたことのある人が日本にはどれぐらい居るだろうか?

世界の約4割の人は、いまだにトイレなしで生活しているのだと、知っているだろうか?

 

衛生環境というのは、人間が生きる上で必要不可欠なもの。

よく人間が生きる上で必要な物として挙げられるのは『衣・食・住』だけれど、そこにはこの『衛生環境』も必要なのだと、深く思い知らされる一冊。

いまだに、世界においてどれだけの人が汚水や処理されていない糞便により死んでいるか。それは"世界のどのようなテロ行為の犠牲者よりも多い”という事実はあまり知られていない。

 

 

トイレの話題というのは日本においても避けられがち。

というか、正直に言えば「どうでもいい」と思っている人が大半であると思う。

自分もそうだったように、トイレなど所詮「用を足せればそれでいい」と考えていた。

けれどトイレ事情こそがその国の経済や発展具合を確かめられるほど重要な物だとは知る由もなく、そのような事実をこの本を読み痛感。

いうなれば、トイレの発展こそが、日本の戦後における高度成長を支えたのだとも。

日本人が世界の中でいち早く、”トイレの改善”に取り組んだからこそ、先進国としての今の日本があるといっても過言じゃない。

これは本当に決して大げさな表現でなく、早い時期からコレラなど有害な菌を防げる環境を整え、無害な飲料水を提供できるよう仕向けたことは実に凄い事なのだと、他国の現状を知ることで痛感する。

例えば、アフリカの学校ではトイレの劣悪さから児童が登校したがらないといった事実があり、その日本とは方向性の違う登校拒否理由には驚かされた。

 日本でも、トイレ事情で登校し難い子供は居ると思うけれど、「トイレが汚いから」という理由ではないだろう。

けれど海外のトイレ事情はレベルが違う。そもそもトイレを使用できないのだから。便器には蛆が沸き、糞便は器に納まらず床一面糞だらけだというのだから、その環境の過酷さ劣悪さは想像を絶する。

自由にそして満足に用も足せない。そんな状況で、勉強に集中できようか?

汚い便所しかない、というか、もしも便所がなかったとしたら?それはもう労働や勉学どころでないだろうし、やる気以前の問題に思える。

日本では普通にトイレを使用でき、水洗トイレで自由に用を足せるというのは、一見して実に当たり前の事だが、海外においてはそれは贅沢な行為。僕たち私たちは、気付かず感じずもせぬうちに、毎日とても贅沢三昧をしている事になっていたのだ。隣の芝が青い青いと文句を垂れて不満を溜めるけれど、彼らの家には庭もなければ芝もない

 

テレビをはじめ、昨今のメディアは”食”ばかりを扱うが、対極にある”出す”ことにも、もっと注目すべきでは?とこの本を読み意識改革を受けた。

”出す”行為は”食べる”と正反対のものだが、”食べる”行為が重要だからこそ、その反対である”出す”行為もまた重要といえる。

もちろん、”出す”上で重要なのはトイレ事情であるが、世界ではトイレ以外にも問題は多く、糞便処理についてや、下水の環境保全について、汚水の改善についてもある。

確かにあまりに関心が沸かない分野である事は否定できない。

けれど『臭い物には蓋をする』形式でこのまま見て見ぬふりをすれば、痛いしっぺ返しを食らうであろうは当人各々。いつか星新一の作品『おーいでてこーい』のようになってしまうだろう。

マスコミさんも、そろそろ”食べる”ことばかりに目を向けるのではなく、”出す”ほうにも注目してほしい。衛生環境の知識は生き抜く術として必要であるし、報道などすればより大勢の人が興味や関心を抱き、議論でも出来るようになれば今後の衛生環境の改善にもなっていいのにな、と思う。

 

 

また、インドではカースト制度の完全撤廃には未だ至らず『スカベンチャー』と呼ばれる人々がいるのもはじめて知り、なんだかアベンジャーズみたいな響きだが仕事内容は全く違う。アベンジャーズが世界の悪を片付けるのだとすれば、『スカベンチャー』なる人々は糞尿を片付けることを生業とする!それも素手でだ!

このような職業が存在するというのも衝撃的だったけれど、そういったカーストを作っている制度にも驚きを隠せない。

けれど、このような生業が存在しうる一番の理由は、トイレ環境にある。手で片付けなければならないようなトイレ設備しかないからこそ成り立つわけで、このようなカースト、仕事をなくすためにはトイレ設備の充実化。それに伴って人々の意識を変えることが必要なってくる。

そのために今ではトイレ設備のインフラを充実させようと奮闘する人たち。彼らはトイレを作っているのだが、作るのはトイレだけでない、『スカベンチャー』と呼ばれる人たちの人権も作っているのだ!

なんともカッコいい事で、彼らだってアベンジャーと呼んでいいであろう十分なヒーローだ!*1

 

 

世界中に溢れんばかりの糞便。しかしそれらが希望の元になる可能性も示唆された。

それが”バイオガス”なる今注目の代替燃料。 

これは糞便から生成されるもので、作り出すための装置に多少コストがかかるものの、一度波に乗り上手く進めばあとは黒字。

何しろ燃料の素は無料であり大量に溢れているのだから。よって今注目されているエネルギーであり、中国では農村に対していち早く実施し、効果を上げているのだという。本書では著者自ら中国へ出向き、その現状を書いている。

その現状を伝える内容を読むと、確かに魅力的な代替エネルギーであると思えだが、著者の目からみてもまだ不安定なのは否めない。結局、中国の国内のみで騒ぎ立てる「大成功していますよ!」ではまだ少し不安なのだ。爆発しなければいいが。もちろん、二つの意味で。*2

 

そして、本当に爆発した事例もあるというのには、申し訳ないながら読んでいて爆笑してしまった。尤も、それは中国ではなく、タンザニアでのことだが。

ここでは技術屋が開発した”ガルパー”と呼ばれる肥え汲みポンプがあるそうだ。

これは汚物をくみ上げる装置で、くみ上げた者はその汚物とポンプを小さなモーターバイクに詰んで運ぶ、という構想のもの。

用は汚物を、この装置を使って吸い取り、回収していくシステム。

これはコスト的にもあまり高価でなく、順調で実用的であった。

だがあるとき、彼らはその吸い上げた糞便を筒に収集していたところ、そのタンクが突如にして大爆発!背負っていた人は頭からそれをかぶり受けた。

原因は黒っぽい筒を使用していたこと。黒色は熱を吸収し、糞便からガスが発生して内圧を高めた結果がこれ!結果的に当人をはじめ、彼を運ぶトラックの運ちゃんとトラックも泣きを見る羽目に。

しかし悲惨なこの事故も決して無駄ではなく、ガルパーは日々改良を重ね、ビジネス化の計画もまあまあ順調、今ではまずまずの利益を上げているのというので安心だ。

 

 

高齢者の権利を主張するある団体は、公衆トイレがない事に不安を覚え、それが老人を家に閉じ込めているのだと主張するという。

主張は名付けて『膀胱の束縛』としたのだから秀逸!そのセンスはさすが年の功と言ったところか。

日本でも昨今では年配の方による国内旅行者は多く、公衆トイレの充実化を望むのは他人事の意見には思えない。

今後、日本国内の観光をより繁盛と活性化させるのには?

今ではアニメでのコラボや、地産池消を促したり、特産品をアピールするなどしているが、一番求められているのは意外にも公衆トイレの充実化かもしれない。

 

尤も、公衆トイレにおいて犯罪行為が横行するのは国内外問わず危惧される事。

公衆トイレの充実化と地域治安の維持。この辺のバランスは難しそうだが、トイレに非常ベル的な装置をつけるなどの工夫をこなせば、犯罪の抑制だって可能なはず。

そうして初めて、日本人をはじめとする多くの観光客は、『膀胱と大腸の束縛』から解放され、より自由に活動できるのではないだろうか?*3

 

 

本書では中国の扉なしトイレについても社会的観点から意見を述べており、トイレのドアはプライバシーを維持する上で現代人には欠かせないものだが、このようにトイレのドアが設置されるようになったのは近代になってからだと、意外な事実も述べる。

また、公衆トイレ設備について考える事を職業とする人々はこう言うそうだ。「トイレは、都市で暮らすことの意味や、文明とは何かを考える基準」だと。

 

 

そしてインドのある村において、外での糞便をやめさせるために行なった事が読んでいてとても印象的だった。

インドの貧しい村では、単に政府がトイレを設置するという政策では全く解決せず、その場合、政府の立てるトイレの方が村人の建屋よりもしっかりしているというまさかの事態が。結果トイレは使わず住家やヤギ小屋に。そして外の糞便行為はやめず。

 

故に、一番重要なのは「外での糞便行為はいけないこと!」と意識つける事が大切と気付き、そのための手法が”嫌悪感”を喚起させること。

”嫌悪感”!!

これが人間にこれほどの影響と行動力をもたらすとは!!

確かに嫌悪といのは最も原始的な感情の一つ。これを持つ事が人間を人間さしたる要因の一つであり、嫌悪持たぬ感じずでは野獣も同じ!

故に、この感情を喚起させて利用し、意識を高める方法がとても有効で、それは金銭的に貧しい人であろうと変わらない。現に、インドのいくつかの村では、外で糞便をする事の害悪を伝えると(外で糞すると、間接的にその糞を食べていることになりますよ!)、彼らは認識を改め、外での糞便行為をやめたという。

これはなにも「外で小便も糞もするな!」と言ったごく限られた場面にのみ有効なのではなく、現代の日本人に対してだってつかえること。

つまり”嫌悪感”は、最も強い動機付けの要因に成り得ると思う!

自分を客観視し、そこから嫌悪を感じられれば、それが最大限のモチベーションになる。そうしてコンプレックスを解消できれば一石二鳥だ。

トイレの本から、まさか人生のライフハックを学ぶとは思いもよらず。

故に、いつも思うことだけれど、どのような知恵や知識だって、それらは点と点であり、それらは思いがけぬところで結びつく。

 

本書は単に「世界には至る所にクソを垂れている人が多いよ!」と主張するのではない。トイレという文明の象徴について、糞便がもたらす公害、下水の役割からその重要性と恩恵、さらには人とトイレとの関係性やそれに伴う人間としての道徳、在りについてまでも述べており、まさに人とトイレは切っても切れない、人にとって酸素のように必要不可欠なものだと説く。

トイレと一概に言えば余り気にされず話題に上がる事も少ない事象

けれどトイレとは当たり前な存在でそれだけ身近なものであるからこそ、特に日本人はそのありがたさを見失っている。

トイレという存在のありがたさ。日本の衛生環境の充実さ。日本の下水処理の優秀さを深く思い知れる一冊であり、日本のインフラには感謝して暮らすべきであるのだと教えてくれる一冊。

日本の家の芝は、世界の数多くの国から見て、とても立派で青々と茂る芝だったということだ。

 

 

正直、この本を読むまではトイレに対してそこまで関心がなく、多少清潔であれば後はどうでもいい、という風に思い感じていた。

だが、トイレという物の存在意義は実に大きく、未だ解決されていない世界的な問題事案でもある。

公衆衛生が人が生きていく上でどれほど重要か?海外のインフラ整わず下水や汚れた水を飲食して病気になり死亡する人たちの実情をこの本を通じて読まなければ、決して知ることはなかったと思う。糞便に含まれる有害な物質は本当に当危険。知らぬ間に処理されているので日本では気づく事はないけれど、それでも知っておいてほしいことではある。

 

 

最後に、読んでいて印象に残り、日本における全ての荒廃観光地へ捧ぐ箇所を。

オーストラリアの地方の町では、開発コーディネーターでアイデア銀行を運営するピーター・ケニヨンが、活性化をめざす多くの有望な村に、そのための手段として公衆トイレの建設をうながした。 

彼は、これを「クソに導かれた再生」と呼んでいる。

 

*1:現在ではスカベンジャー雇用禁止法があるが、未だ暴力や虐待は日常的にあるのだという

*2:市民の不安と、文字通り爆発事故

*3:本文にもあったが、本来は『膀胱の束縛』ではなく、『膀胱と大腸の束縛』だそうなので、最後にはこちらを引用。日本人にとっては老若男女、大腸に悩まされる事の方が多いだろうし