「甘え」と「頼る」について
とてもいい啓蒙を得られた記事!
「甘えは自分にできない事を他人にお願いするものではない。それは頼ると言います。甘えとは自分でできる事をあえて他人にしてもらう行為を意味します。甘えと頼るのを混同しない」
記事先のコメントにあるように、
「鬱は甘え」という言葉がありますが、「鬱は頼れ」が正しいのかもしれません。
「鬱は甘え」ではなく「鬱は甘えろ」ですねw
は真理。
重要なのは「甘え」の行為も「頼る」行為も否定しているのではなく、どちらも理解して有効に使おうと指摘するところ。
だからこそ、自分に「甘え」る行為も、決して悪いことじゃない。
たとえ自分が出来る事だろうと、他の人にやってもらって何が悪い。
その手間隙による弊害をなくそうと生み出されたのがお金。
疲れてしんどいときはお金使って楽をしよう!鬱な気分ならば尚更!
「それじゃ駄目だ!自分の事は自分で!」
しんどい的には 、それを無視してオッケー。
頼るのではなく甘えよう。
そして「頼る」のも悪い事ではなく、使い様によっては寧ろ良い事で、
人は誰しもが頼りたがれる生き物。
だから「頼る」ことは、有効に使えば自分のみならず相手にとっても有益。
頼られた人はそれで自信がつくこともあり、それによってその人の生きがい発掘にもなるかもしれない。まさにウィン-ウィンの関係だ。
けれど人は「甘え」られることは嫌うので、なんとも難儀な生き物。
「甘え」と「頼る」を明確に使い分けられる人こそ、まさに人生の綱渡り上手と言えるかもしれない‥。
昨今の風潮は誰に対しても、勤勉で在り続けろ、意識高く持って行動せよ、見えもしない幸せ掴めと言い、存在もしない自由を謳歌しろと説教する。
そんな折に思い出すのは、以前に伊集院がラジオで言っていた『向上心の全くないパン屋さん』という大好きな話。
「最近とにかくなくなったのは、あの~パン屋さん、パン屋さんでも、いわゆるベーカリーとか増えてんじゃん、そういうのじゃないのよ、向上心の全くないパン屋さん(笑)。全然、ただただパン屋さん。あのねぇ、パン屋さんにも二種類あって、一個はヤマザキパンとか第一パンの、もういわゆる系列のパン屋さんで、菓子パンしか売ってないの。菓子パンと、あとやってもらえるのは、え~と食パンを何枚切りかにしてもらうっていう、6枚切りにして下さいって言うと6枚切りにしてくれて、8枚切りにして下さいって言って8枚切りにしてくれて‥」。
中略
「いまさ、パン屋さんをやるっていうことは、絶対的においしいパンをお届けするつもりでやってるでしょ?おいしくて、どこよりもおいしいパンを目指してる感じするでしょ?パン屋さんって。で、しかもオシャレでしょう?そーゆんじゃなかったよ」。
パン屋、飲食業を問わず、世間の企業はもうちょっと意識を低く、甘えて営業しても良いんじゃないかな?
誰しもが、とにかくおいしく、オシャレであり、一番になろうと競って売るパン屋ばかりを求めるわけでもないのだから。
この話を思い出す度つくづく思う。
最近はゆとり世代などに対して「甘い」なんて言うけど、それは甘えでなく「頼る」行為かもしれないという事実は重要で、お前が出来るからってほかの人が出来るとは限らない。アレルギーのように理屈でなく、他人に出来て当人にできない事などごまんとある。
だからすぐ「それは甘えだ!」と言って他人を切り離すのは危険で、それが「頼る」ことかの可能性を考慮し、どちらか判断できるようにして生活したい。