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-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

嘘つきアーニャの真っ赤な真実

 

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)

 

13歳から14歳。

思春期真っ只中をプラハソビエト学校で過ごした著者。

その時の同級生三人と数十年後、再会しに行くという内容。

しかし内容はノンフィクションと思えぬほどにドラマチック。

世界情勢の不安定、戦争の影が如何に子供まで影響を与えていたのか、思い知らされる作品。

世の中は常に綺麗ごとでは成り立たない。たとえお金があったとしても幸せにはなれない。人間の精神を蝕む事が最大の屈辱であり侮辱。そのようなことを、世界情勢に揺れ動かされた人たちが彼らの人生を通じて教えてくれる。

 

全3編からなる本編は、どれもがドラマチックな再会。プラハソビエト学校での思い出は濃厚で、著者はとても素晴らしい友人に恵まれていたのだと始めに知り、後半で絶望にかられそうになる。

誰もが思春期に描いたような、立派な大人にはなれない。何故なら大人になる過程で、その立派な大人と言う偶像は脆く崩れ落ちていくのだから。

唯一の解決案は、自分を偽る、もしくは周りすべてを偽ってしまう事。

尤も、それら行為を国がやってしまったら、もうどうしようもない。

 

本書は解説にあるように、同級生との再会を通して激動の世界情勢を語る、まさに歴史の書。秀逸な体験記でもあり、ドラマチックかつスリルもあり盛り上がりをみせる展開は読み手の心臓を著しく鼓動させ、迫力もあるのでまるで娯楽フィクション作品。

けれど数十年後に再会する同級生が、我々をすぐさま現実へと引き戻す。

思想、思考、信念、宗教。これらはすべての人を生きやすくするのではなく、寧ろ縛り付けるもの。その矛盾に立ち向かおうとする幼い勇者たちは、年齢が上がると勇者ではなくなる。魔王の悪が、本当の“悪”ではないと気付くから。彼らは他方の正義であり、我等の正義が彼らにとっての悪。

まさに現実に存在する”二重思考”*1とでも表せるそれは、大人になっても当人たちを苦しませる。

 

「たとえお金があっても幸せにはならない!」

古今東西、繰り広げられるこの論争。

確かにお金持ちであっても、それは幸せと直結しない。

そう言える、または思えるのは、実際にそういう人物を目の当たりにするのが一番手っ取り早い。

 本書では、実際にそういった人たちを綴っている。

 

子が親を選べない様に、国民も国を選べない。

「それは違う、国が嫌なのであれば、亡命すればいい。他国へ行き、帰化すればいい」 

しかし国外旅行も亡命も禁止された国においては、どうしろというのか?

愛国心。日本人とって希薄なこの感情は、日本が恵まれているが故、その感情を持つ意味も、また、国を憎む事もないからこそ、持ち得ないのだと本書を通じてつくづく思わせる。

 

同級生であり友人である彼女たちは、見た目の変化はもちろんの事、中身の変化が著者を驚かせる。

人はびっくりするぐらい器用には生きられないもの。

誰しもが心に矛盾を携えて生活をしている。

いつも感情豊かではっきりと意思を表現。

輝くように明るい人ほど、出来る影は大きい。

 

社会主義における貧富の差に疑問を持ち、共産主義に走る。理念を掲げ志高く目指した理想の先には、豪遊する我が家族。

国民はねのけ実現したのは、自分が忌み嫌ったはずの、貧富の差がある社会。尤も、それは今度、共産主義という名の下で。

 金を持ち、権力を持ち、人より格段に豪勢な暮らしが堪能できるようになり、メイドも雇い何不自由なく暮らす。常に下を向き目は空ろで、生気なく過ごすバラ色の生活がそこには待っていたのだ!

 

あと、漫画やアニメでよくあるような状況。

転校生の女の子が突如来る。

彼女はどの教科も成績優秀。隙がなく、教師に当てられてもスマートに解答。

美術の才能も目を見張るものある。

 そんな”暁美ほむら*2みたいな転校生が、登場。著者はそんな完璧な彼女に畏敬の念すら抱くが、次第に打ち解け友人に。

そんな彼女も本書での再開相手の一人。

なぜ彼女は常に、完璧ともいえる解答が出来たのか?

なぜ完璧なほどに成績優秀だったのか?

大人になった彼女から、著者は意外な答えを聞く。

 

 

また、

その日の授業は、マリヤ・アレキサンドロヴナ先生のこんな質問から始まった。

「人体の器官には、ある条件の下では六倍にも膨張するものがあります。それは、なんという名称の器官で、また、その条件とは、いかなるものでしょう」

ネットで見かけたことのある、この逸話の元ネタがこの本だとは!驚愕!!

 

あとはロシアの価値観には多くのことを学べる。

たとえばこれ。

ソビエト学校の教師たちは、教え子の才能を発見すると我を忘れて大騒ぎする癖があった。嬉しくて嬉しくてその喜びをひとりで抱えきれなくなって、同僚や生徒たちを巻き込みたがる。

中略

他人の才能をこれほど無私無欲に祝福する心の広さ、人の好さは、ロシア人特有の国民性かもしれないと、私が気付いたのは、それから半世紀も経ってからのことだ。ロシア語通訳として、多くの亡命音楽家や舞踏家に接して、望郷の思いに身を焦がす彼らからしばしば涙ながらに打ち明けられたからだ。

「西側に来て一番辛かったこと、ああこれだけはロシアのほうが優れていると切実に思ったことがあるの。それはね、才能に対する考え方の違い。西側では才能は個人の持ち物なのよ、ロシアでは皆の宝なのに。だからこちらでは才能ある者を妬み引きずり下ろそうとする人が多すぎる。ロシアでは、才能がある者は、無条件に愛され、みなが支えてくれたのに」

日本の場合、昔から”出る杭は打たれる”のだけど、

昨今では”引っこ抜かれて燃やさせる”からタチが悪い。

 

日本は諸外国の良い点を吸収することで、発展を遂げた国。

このような価値観も、是非とも受け入れ、広く浸透してもらいたいと思う。

 

*1:『1984年』

*2:魔法少女まどか☆マギカ』というアニメの登場人物。傑作アニメなので、まだ視聴していない方には是非ともオススメの作品。