book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

『学問のすすめ』は老若男女、一読して損のない内容。

 

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書)

 

 意識高い系の先駆者、元祖だとも言えそうな内容の本書。

廃れず残る書籍と言うのは、それだけで存在理由を誇示しているようなものであり、この本もその例外に当たらず。

本書は「学問をする理由とは何か?」を様々な理由やテーマに沿って解説。

現代語に訳され、砕いた言葉で分かり易く解説するその内容は、まるで自己啓発本の如く説得力を帯びており、含蓄ある説得を繰り広げ、社会制度に対する身構え方や国民としてのあるべき姿を示し、それでいて昨今においても古臭さを感じさせぬ主張の数々。これは先見の明があったとするのが正しいのか、人間の進歩が緩やかなのかは分からないが、見事な洞察力であるのは間違いない。

 

当たり前のことをしっかりと述べてある。

その当たり前を述べられる事にこそ価値がありそして貴重。

故に、本書は学生のみならず、当たり前のことを当たり前に言われなくなった社会人、中高年などの年齢層の方を含め、未読な人には是非とも読んでもらいたい一冊。

 

 

内容として意外なのは、福澤諭吉という人物が想像以上に辛口で物事を語っている点であり、

 

衣食住を得るだけでは蟻と同じ

 

と評する編が特に印象的。

国民、いや人間たるもの志を高く持つべし、と訴える下記の内容。

一文字一句無駄はなく、ハッとさせられた。

男子が成長して、ある者は職人になり、ある者は商売をし、ある者は役人となって、ようやく家族や周りの人の世話にならなくてすむようになり、それなりに衣食して他人にも義理を欠くことなく、借家でなければ自分で手軽に家を立て、家具はいまだに整っていないけれども奥さんだけはまず、ということで望みのとおりに若い女性と結婚し、身もおさまって節約もし、子どもはたくさん生まれたけれども、教育も一通りのことなのでたいして金もかからず、病気のときなどに備えての三十円、五十円といった金には常に困らず、長期的な人生プランをこまごまと気にかけ、とにもかくにも一軒の家を守るものがあれば、「独立の生活をしている」と自分でも得意になって、また世の中の人も「不羈独立の人物だ」などといって並以上の働きをした立派な人間のように言う。けれども、実際はこれは大きな間違いではないのか。 

当時とのスケールの違いこそあれど、こうした暮らしをする人は現代においても多数を占めていると思う。そんな姿勢を、全面から否定!

この人はただ蟻の弟子というくらいなものなのだ。生涯やったことも、蟻を越えることができない。

 

省略

 

その達成したことを見れば、万物の霊長たる人間としての目的を達したものとは言えない。以上のように、一身の衣食住を得てこれに満足すべきだ、とするならば、人間の生涯はただ生まれて死ぬだけだ。死ぬときには、生まれてくるときと何も変わらない。

 

省略

 

ある西洋人は「世の中の人がみな小さいところで満足していたならば、今日の世界は、それがはじまったときから何も変わっていなかったに違いない」と言っている。まさにそのとおりだ。 

現状維持することを否定し、個人としての最大限の働きをするよう勧めるこの文章は名句であり、

 

自分の心身の働きを使って達すべき目的を達しないのは、虫けら同然のバカである。

 

等と言う意見は辛辣でありながら、

 

要するに、われわれの仕事というのは、今日この世にいて、われわれの生きた証を残して、これを長く後世の子孫に伝えることにある。

 

と締めくくる言葉には説得力を得て感じる。

 

 

もう一つ、印象的だったのは本文中においても引用していた孔子の言葉

 

『立派な人間は、他人が自分のことを評価してくれないと嘆くのではなく、自分が優れた他人を評価しそこなっているのではないかということを気にかけなければならない』

 

 

 

学問の大切さをこれでもかと説き、その大切さとは、誰もが優良な市民であるべきだからであり、博識ある国の一員として過ごす必要があるのだからと教えられる。

人生とは如何なるように過ごすべきか?や、人間とはどうあるべきか?等といった普遍的疑問に対しても一種の解答を示す内容であり、老若男女、一読して損はない内容。

 意識高い系の先駆者、元祖とも言えるその内容には感服する心地であり、現代においても染み渡るその思想の数々。一万円札は伊達ではなかったと思わせる、見事な内容だった。