book and bread mania

-日々読んだ本の書評 + メモ集 + パンについて-

病気時の混沌

 

しんどい。

 

それでも少々体調よくなって動けるようになれば、

気付くは、喰う物なし。

食物なくして栄養得られず。

身体はまだしんどく、源平討魔伝で言えば蝋燭1本しかないんじゃないか?

と思える体調。

風前の灯火ながらも奮起し、近所のスーパーへなんとか買出しに。

 

するとすれ違った、小綺麗な格好をした若い女性。

俯き加減に歩き、その手に鞄はなく、スーパーの袋にも入っていない、パッケージそのまま裸状態の生理用品を握っていた。

その時のなんとも言えぬ感情、筆舌に尽くし難い。

 

端的に推測すれば、女性が持っていたのはそれ一つだったので、薬局でそれだけ購入。

すると店員が「テープのみでよろしいですか?」として頷いてしまったのでは?と思う。とすれば、薬局の店員なかなか鬼畜だな、とつい思う。

 

でもこうした気恥ずかしさと共に違和感にも似た感情を覚えるのは何故だろう?

性差から女性の心境を明確に察するは不可能だし、すると思うのは、その気恥ずかしさはなんとなくで分かるのだけれど、それはおそらく違うであろうとも分かってる。

つまり、理解している齟齬こそが、この妙な気持ち悪さを思わせ、

齟齬を理解しながらもそれを決して正せない点に、このもどかしさがあるのでは。

吉良吉影風に言うと、ずれて履いてる靴下を決して直せない状況というか、少し違うけれど、気持ち悪さに関しては似たようなものがあると思う。そのもどかしさとか。

 

というか、そうすると齟齬について「じゃあ何が齟齬として捕らえて感じる?」と妄想のように思い、そこではつまり食い違いの概念があって、では人間はどうして食い違いをダメとし、合致したものをよしとするのか?

 

そこで次に、シンメトリーの溢れる自然が候補に挙がり、美しさを求めるが故であり、イケメン・美女=正義のような、または優美なるものが遺伝的に優れているとする遺伝子があって、それで美しい物、つまりシンメトリー性に惹かれるのでは、とつい思う。

でもシンメトリーに人は惹かれながらも、ちょっと待て。

そうした根源となるDNA,この二重らせんの細部はよくよく考えるとシンメトリーにはなっておらず、塩基の相補性として同じ塩素がくっ付く事はない。

そこにシンメトリーはなくて、安定性を求めて結合した結果が今の状態。

ではどうして、物質は安定性をシンメトリーとして持たせないのだろうか?

 

そうした変な疑問ばかりがふつふつと頭から沸き出て、

ならば風邪も一緒に蒸発させてほしいなと思う限り。

 

はあしんどい。