尊敬する“藤子・F・不二雄先生”に関する一冊。
内容としては没後に作られたため、主に他の物からの引用などが主。
それで幼少時や学生時について語った言葉などの抜粋もあり、デビュー前の様子なども知ることができる。
自分を「のび太のような劣等生だった」とするのは意外で、しかし読み進めると、それが作品を生むきっかけでありアイデアの元であったと知ると感慨深い。
そしてデビュー後。当時の仕事現場の様子や苦労話も載せ、決して華やかだけでなかった現状を教えてくれる。
中盤からの『僕のまんが論』は特に読み応えあり。
ここでは制作についての秘話やその手法が語られ、中でも印象的なのは、アシモフ氏のエッセイから学んだという手法。
それは
①数多くの断片を持つこと。
②その断片を組み合わせる能力を持つこと。
この「断片の組み合わせ」、これが重要であると説き、映画「のび太の恐竜」も、この手法により作られたのだと語る。
人気のある漫画を描くには?
秘訣は、『普通』にあると言う。
人気のあるまんがを描くということは、決して読者に媚びることではありません。小手先のテクニックで、「こう描けば、人気が出るんじゃないか」とか、「こういうことを描けば、うけるんじゃないか」。こういうやり方では、作れないのです。
人気まんがというのは、どういうまんがであるか。それは、まんが家の表そうとしているものと読者の求めるものとが、幸運にも一致したケースなのです。つまり、大勢の人が喜ぶということは、共通の部分が、そのまんが家と読者との間にたくさんあった、ということです。
中略。
だから、まず最初に普通の人であれ、というのはそういう意味なのです。
重要なのは、ただ『普通』に成るのではなく、「プラスアルファ、何か自分だけの世界を一つは持っているべきである」と述べる。
あと、物語における“王道の展開”についての記述も印象的で、指摘は実に的確。
それが「マイナスを転じてプラスとする」ということ。
物語の最も基本的なパターンがこれで「マイナスを見せてから、それを如何にしてプラスへともっていくか」に集約されるという。
ドラえもんの例では、のび太はドジでまるで駄目。なのでマイナス。
そう言い切るのも少しひどい気がするけれど、話は続き、
「このマイナスだらけの人間をプラスにするべく、ドラえもんがやってくるわけです」
これが基本パターンで、ドラえもんではプラスになってめでたしエンドもあれば、かえってマイナスに働く話もあってメリハリを、とのこと。
ただ、一つ言えるのは、マイナスとプラスの落差が大きければ大きいほど、読者の受けるインパクトも大きい。したがって、おもしろいということが言えます。
このストーリーにおける基本的パターンは、滅ぶことなく昨今でも蔓延り、というか、今の作品もほぼこれであるのだから、簡潔に表したこの指摘は実に鋭い。
いきなり死んだ!
主人公、振られた!
駄目な女の三人組!
こうしたマイナス要素は後のプラスに転じた際のふり幅を楽しませるためであって、逆バンジー的な展開の上昇さは観賞側のテンションに高揚をもたらし、「やったぜ!」と表情を綻ばせる。
あと、内容としては平易な言葉で主に綴られながらも、『まんがと表現方法』という項では急に内容が哲学めいており、
登場人物のほとんどは、円の中に黒玉を描いて目を現します。現実に、そんな目があるわけじゃない。昔からまんがそう描いてきたから、見よう見まねで描いているにすぎません。だから、ときどき不安になるのです。これ、ほんとに目に見えるのかな…と。
ゲシュタルト崩壊的な認識論の懐疑は、同時に神経科学的な疑問と脳のごまかしについても考えさせれらる。
しかし次には、当時の行き過ぎた表現、
一時期の少女まんがなど、大小十個にもおよぶ星をちりばめたプラネタリウムみたいな瞳まで出現したのですが…
のくだりに大爆笑。
少女まんがの瞳を「プラネタリウム」と表するそのユーモアセンスこそが、藤子・F・不二雄の真骨頂のようであって、笑い転げながらも同時に偉大さを再実感。
実に素晴らしいユーモアセンス!
氏のユーモアセンスの披露はこれだけに留まらず、抜群なネーミングセンスからも窺い知れる。例えば、「ドラえもん」や「四次元ポケット」。
「ドラえもん」名前の由来は、猫イコール、ドラ猫。
えもんなんていう古くさい名前をつけた主人公が、逆に未来から来たロボットだというのが、かえっておもしろい。
この「古くさい名前を逆に未来のものへつける」発想の転換には、ハッとした。
「四次元ポケット」では、「ポケット」という何処にでもあるような既成概念に、「四次元世界」という特殊な既成概念をくっつけるだけで、「四次元ポケット」という摩訶不思議で興味を惹かれる物を作り出す!
一つ一つの断片をとってみると、新しいものは一つもありません。
ところがそれを組み合わせてみると、まったく新しいものがそこに姿を現すのです。
これは本当に、すべてのことに言えることであって、組み合わせの妙技によって新たな革新的アイデアを生み出すのは、それに気付いているかどうかの違いだけ。そして、こうしたことを意識の片隅にも知っていれば、その強みは意外なほどに現れる。
そして、ここでも上記に載せた「断片」の重要性があり、この組み合わせの巧みさの競争こそが、仕事上での競争とも呼べそうである。
また、『子どもまんがと私』という項では、
「まんが?そんなの子どもの娯楽だろ?」と卑下する意見に対して氏の熱い考えが述べられており、そこでは「娯楽」と「教養」が対比する概念への懐疑的な意見があり、「価値があるものとは?」と問う哲学的内容は一読する価値あり!
まんがの楽しい制作秘話から社会人ライフハック、人生における教示まで、実に示唆に富む内容。金言ばかりで、名言集、とも評せる内容であって、ファンのみならずお勧めできる一冊。
これを読み、興味が沸いたら短編もぜひ読んでみてほしい。
藤子・F・不二雄氏の言う「S(すこし)F(ふしぎ)」の世界に、魅了されるだろうから!