book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

7月に読んだ本からおすすめ10

7月に読み終えた本は36冊。

その中からおすすめを紹介!

 

 

第10位。

鳥山石燕 画図百鬼夜行全画集』 

鳥山石燕 画図百鬼夜行全画集 (角川文庫ソフィア)

鳥山石燕 画図百鬼夜行全画集 (角川文庫ソフィア)

 

猫又が可愛い。

本書は妖怪画集的な内容。

独特のタッチで描かれた妖怪は現代においても有名。

その絵が現代へも多大な影響を与えていると知るのは簡易なことであって、特に「水木しげる先生への影響計り知れない!」と思えるほどの既視感!

もはや日本人にとって馴染み深い絵が大半で、昨今における漫画に登場する妖怪なんかも「これがモデル!?」と成ること請け合いで見応えあり。

また、描く妖怪の凡化はマスコットキャラの前衛とも呼べ、そのデフォルメ具合のバランスも素晴らしい!迫力もあれば愛おしいものもあって一辺倒でないのもすごいところ。

「生霊」・「死霊」・「幽霊」を書き分けているのも印象的で、時代背景を思わせたりも。「人魚」がやたらリアル志向で描かれていたのも印象的。

あと猫又が可愛い。

 

 

第9位。

『アタマはスローな方がいい!?―遺伝子が解く!』

アタマはスローな方がいい!?―遺伝子が解く! (文春文庫)

アタマはスローな方がいい!?―遺伝子が解く! (文春文庫)

 

 投稿の質問に答えていくスタイル。その質問としては主に生物学に関与しており、意表を突かれる様な面白いものが多い。

浮気に関してのドーキンス的な、機械生物学的な見地はなかなか説得力があって、たとえば「妊婦が妊娠中にどうして性欲が急に高まることがある?」といったことなど。

この答えは端的に言って、浮気防止。詳しくは本書にて。

あとは、シンメトリー論が興味深く、「パートナーの良し悪しの選定として、シンメトリーさを基準としている」というのは知らなかったので新鮮。その理由も分かり易く、「免疫力が高い個体は、シンメトリーの体を発育させる傾向あり」とのこと。

関連し興味深かったのは、

「男が女性の乳房に注目する理由について」。

一般に男性が巨乳を好む傾向にあるのは、そこにシンメトリーさを感じるからであり、触りたいと欲情させるのもまた感触によってシンメトリーさを確認して強い固体と交配を望む繁殖戦略の一環であるとするのは面白い。そして、女性による母乳の出がよいかどうかの判断は、腿と尻を見れば分かるとして、母乳の原料は腿と尻部分からなる脂肪と知って意外。と同時に、男が女性のこうした部位に注目するのは、こういった要因があると分かりとより機械的であり面白く、すると一目見て女性のそうした特徴や性質も分かるようになるので人間を見るのがまた面白くなる。

また、「南枕で寝ると方向感覚がよくなる」というような面白い知見もあって、初耳であり良いトリビア。それは地磁気による影響であり、科学的根拠がしっかりしているのもよいところであり、思いのほか読み応えあって想像以上の良書。

他にも

「植物はどうして緑色を選んだ?」とする質問やらもあって、

シンプルながら知的好奇心をくすぐられる質問多数。

自閉症についての質問も印象的で、原因はテストステロン。男性ホルモンによる影響であって、つまり胎児のときに異常なほどテストステロンが放出されたことによって右脳が肥大化。それにより、左脳によるコミュニケーション能力は劣り、右脳的な作用が大きく働いている。ゆえに、自閉症患者は他者との接触を苦手とするが他の分野では特筆的な能力を持つことも。

注目に値するのはその先で、こうして右脳が肥大化した者には「自閉症」との病名を与えるが、反対に、左脳が肥大化した者には別段その症状を病気扱いしないこと!

これは社会的要因があって、「コミュニケーションが円滑に取れる」こと、この能力が過大であってもそれは社会で受け入れられているが故に、左脳による肥大化は病気扱いされない。

するとここでは「病気」という言葉の意味を考えさせられ、病気とは結局「社会が作って解釈する概念」でもあるのだなと気付かされる。

本書は生物学、神経学、遺伝学に関与する質問で形成され、おおよそエビテンスのある解答によって説得力あり。充実した内容で普通に役立つ知見多数。トリビア的な面白い知見も多く、想像以上に良い内容だった。

 

 

第8位。

心理療法入門 (岩波現代文庫心理療法〉コレクション VI)』

心理療法入門 (岩波現代文庫 〈心理療法〉コレクション VI)

心理療法入門 (岩波現代文庫 〈心理療法〉コレクション VI)

 

“入門”と銘打つ割には入り組んだ内容。

多少なりとも専門的であり、本当に初心者ならば分かり難い事このうえないのでは?とさえ思えたほど。

しかし裏を返せば、概要が主ながらもそれほどに充実しているということであり、なかなか勉強に。

印象的なのは「物語が物語ることについて」であり、これは現代社会において各種の現象を切り離して考えることによって生ずる剥離や意識の誤謬に対する処方箋であり、古来人間はそうした切り離しを物語ることで“つなぐ”ことをしてきており、現代人に重要な事象であると示していた。

また、「心理療法士は「問題を解決するのではなく、問題を分かる形の問題として変容させる」ことをするべきだ」という言葉がとても印象的で、この仕事における真理性を言い表していたように思えた。つまりユングが言うように、人は生まれてから死ぬまで成長するものであり、一過性の解決案などは所詮、一時の気まぐれのようなものであり、それで事を済ませたところで何の解決にもならない。とするのは分かりやすく含蓄深い言葉であってスッと腑に落ちた。なので、問題に対してはあくまで当事者が解決するべきであり、療法士は補助であって助言を与えるに過ぎない。あくまで問題の本質に気づかせるのが仕事であり、また、懐広く観察して問題を浮き彫りにして象るように仕向けることが重要。よって思弁的な知識のみならず体感的なものが必要であるとの事も「なるほど」と思わせる。

ユングが提唱した「共時性」と夢との関連性は面白く、また僧侶はそうした状態を修行することによって感知しやすくしている、という説は理に適っている気がして説得力を感じた。

そして心理療法と社会とのつながりによる重要性も説き、治療するのは個々人なので、社会とは隔離されているものと思われがちだが、それは大きく違う。もっともそれは当然で、ここで深く追求せずとも明白であり、個人とて社会の一部であるので当たり前。しかしそういった風潮に対して咎める文章は多く、相互理解の違いは顕著の模様であって、自分のことを把握している人間は少ないといった言葉からも推測できる。また昨今の日本を「ものは豊かで心は貧しい」という常套句のようなものも述べ、しかしそこで思うのは実例に関しての話であり、ものをあたえたところで解決しなかった高校生の子供の発言。「うちに宗教はあるか?」これは案外、深い言葉なのではないだろうか。

本書は、相互理解の大切さと臨死療法における繊細さとダイナミックさについても物語り、言葉を紡ぎそれによって生じる弊害までも解説。言語以外におけるイマジネーションの重要性を改めて思う。

「人間は不安を消すために、合理的な解釈を求める」

という真理。何に対しても因果関係を求めたがるのが人間の性であり、そうした無為な結びつけに対する警告も述べられていて、脳科学神経科学でなく心理学からもこうした概念を語られているのは意外。

心理療法と科学的な解決方は相性が悪い」

それは端的に言って、科学的とはすなわち再現性や客観性を重視するゆえ“普遍性”が重要になり、しかし当の人間では、完全なる“普遍性”は存在しないのだ!

だからこそ、科学的な知見が心理学においてはそのまま通用せず、普遍性を求める科学とは相反する結果になる。そこから導く“たましい”といった概念を著者が重要視するのも特徴的であり、興味深い。

 

 

第7位。

『からだことば』

からだことば

からだことば

 

 「言葉とは何ぞや?」

といったことに興味が沸いており手に取った一冊。

すると期待通り、言葉と表象の関連性について、表題どおり「からだ」と「ことば」のつながりとその表現方法が解説されていて読み応えあった。

「からだ」の部位を使用した「ことば」を通して、日本人の本質が見えてくるようであり面白い。

たとえば「肌」と「皮」というものにおける表現の違い。

海外では総括して「スキン」と呼ぶが日本人は表現を分けており、スキンケアなどはよく言うが日本語訳では肌の労わりであり、皮の要素はない。しかし「皮肉」といった言葉などがあるように皮膚を表現するものとしては二元性があり、皮は上っ面で外を寄せ付けない響きがあり、逆に肌はそれらを間に受け中に入れる。つまり、「肌」には内面的な包括さがあり「肌を合わせる」といった言葉からもその意味が読み取れる。すると日本語にはやはり気質が備わっているのだと改めて知り、感心してしまったほど。他には小話なども面白く「ヨガ教室で、リラックス効果のため水の流れる音を流したところ「どこかで水道が漏れていませんか?」と言われた」と言うのはクスリと小笑い。

他にも、体と言葉の親和性と親密具合がよくわかる一冊で、普段何気なく使う言葉には如何に体の部位が酔ういられているかを知れ、日本人は腹を重要視し、昔は頭以上に腹を大事にしていたのだとよくわかる。すると「ことば」も一種の化石のようなもので、当時の生活を思い起こさせそして実感させるに足るものであると知る。一見して無関係な事柄に体の部位が使われ<たとえば上記の「足る」もまたそうである>、読んでいてそれに気づいてハッとしたことが幾度もあり、そこに一種の風流さも感じたほど。

「手を出す」と「手が出る」の違いについての解説も印象的で、前記は思考した上での行動に対して後記は反射的、無髄質的行動であってしかし今の若者はこの「手が出る」行動、つまり思考ばかりにとらわれ挑戦をしない、という言葉には、思わず「当てはまってる!」と思いまさに言い得て妙!行動ありきの大切さは言葉にも宿っていたのだと思うと感慨深い。

「肩がこる」などは有名だが、頭が痛いなど重要視する部分を腹から頭のほうに意識をシフトさせたのが漱石の作品であり、そこには西洋的な知見が含まれていることを知る。

あとは「体」の語源は「から」でありつまり「殻」であって中身を伴わないもの。つまりは「空」であり、「気」と言う言葉を重んじる日本人らしくそれは流動性を示す言葉であって、これを理解すると仏教の色即是空にもつながるものであり妙に感心しきれば点と点がつながったような心地に。なので「気」という言葉に関する解説も読み応えあって、日本人はとにかく「気」と言う言葉をよく使う。それは「魂」などとも違って、あふれ流動するものであり、身近にあって重要なもの。

あとは最後のほうに「自由すぎると、かえって型にはまるよりも困惑する」といったことが金言に思え、それこそ社会的立場や思想そのもののことを指しているように思え、すると模範となる社会的道徳とイデオロギーの差は何か?わからなくなりそうである。人は言葉の奴隷。そうした概念を改めて思い知る一冊でもあり、そして日本語の奥深さを改めて知る。その狡猾さも。

 

 

第6位。

ソクラテスの弁明・クリトン』

ソクラテスの弁明・クリトン (講談社学術文庫)

ソクラテスの弁明・クリトン (講談社学術文庫)

 

 古典名著。

講談社学術文庫版であり、今さらにしてようやく読む。

最初の、プラトンによる「ソクラテスの弁明」は、通報されて死刑を求刑されていそうになっているソクラテスの自己弁明であり、その内容としては穿った見方をせずとも皮肉的でありまた遠まわしとも呼べるが安直であるがゆえにこれは直接的な卑下であり、周りの人間の馬鹿さを訴え、自身の崇高さを唱えるところなどはある種のユーモア性に富み、笑えるほどに面白い。そうした自己批判的な欺瞞は、序盤のみであって徐々にシリアスさを増していき、するとプロットは昨今のハリウッド映画のようでありよくできている。この作品で訴えたいのは、自己の便宜で辺りを籠絡させることではなく、善い人、善い生き方とは何か?を問うことであり、重要なのは、そうした疑問を当人に思い描くように仕向けること!そして、知識人ぶるばかりで中身がカラである人を咎める訴えでもあり、するとこうした虚無的人間などはなかなかどうして、他人事には思えず惰性に過ごせばすぐにそうした人間へ落ちるであろう可能性を孕み、この訴えは老若男女だれしもへ向けられたもの。人間である以上そして人であるゆえ、避けては通れぬ命題。そうして最終的には、自身の崇高さと敬虔さに従い法の従順な徒となることを厭わない。そこで見出すのは、それこそ真の欺瞞さを分別した己の姿であり、これこそ重要。

ソクラテスは、厭世的でなく死を受諾する!

賢者とは、死を恐れぬもののことを言う。

こうした言葉が特に印象的で、なるほど俗人との大きな差異はそこにあるのだなと大いに納得。死に対して希望さえ持ち、ワクワクするといった風にまで主張するその思想には少々驚かされる。

すると魂の移動といった表現も味を持ち、あの世といった媒体の存在を信じているかは定かでないが、潔いのだけは確かである。

最後には訴えを甘んじて受け取り、死刑になるのも厭わず実際に刑を科されても、惨めに喚かず命乞いをせず。そうした気高い姿勢は見習うところが多く、解説にあって特に印象的なのは、「気高い生き方は人のためならず」といった言葉であり、つまり気高い生き方とは結局そのまま自分のためであり自身のためのもの。

それを存じぬ人間が多いことを指摘し、その重要さを説く。

そして、教養高く善い人間と触れ合う生活のすばらしさを雄弁に物語り、人間としての「善い生き方」の本質を説明する。

なるほど、確かにそれは魅力的。

ここで「誤謬的に思われている」と思うのは、『「“善い生活”の“善い”は価値観よって、人それぞれである」という真理による、「では、善い生活とは果たして?」といった確信をつくことの難しさについて』であり、これを難しい事と捉えること事態が最大の誤謬に思えてならない。というのは、こうした価値基準や相対的な思想による「善い」とは、当人が思う以上に限定されている事象であり、いわば階層欲求のようなものであると思う。

要するに、結局のところ人間が所有する欲などというのは、たとえ欲自体は無限であろうと、“欲”という概念自体は有限である、ということだ。つまりカテゴリーとしてはごく端的であり、人間の欲する事象など高が知れている。また、やはり本書においても印象的なのは、その“言葉”による表現であり、哲学的に言うならば“意思と表象の関係性”とでも言えばいいと思う。つまり言葉とは何か?といった問いを端的も示しており、言葉が思考を作るといった昨今では脳科学により鮮明に解明されていることを、当時においても同様の意見を口に出していたのだから随分と前衛的である。そのあとの短編「クリトン」では、投獄されたアリストテレスと、それを救い出しに来た友人であるクリトンの対話が収められ、最終的には論駁されてアリストテレスは牢から出ず。それを自ら選択し、国家のあり方とその正義についてを雄弁に語り、国のほうを侵すことで生き延びた先のことを見据えた論調は見事であり、そして多少なりとも自身のプライドと気高さを示し、「法を破った先の生活に知恵の暮らしはない」とするのは印象的。これはあくまで見栄やプライドに限った主張ではなく、あくまで整合性つまり論理的思考を持っての帰結であるのだから、当時として知恵者と呼ばれるのにも納得である。何尾とたりとも国の法を破ることは許されず、脱獄の不法さを解くのは見事であって、国の存続と俗人のあり方と社会の成り立ちを関連付け、広い視野は現代の社会においても通ずる思想であって感慨深いと同時に、人間の進歩のなさには呆れるばかり。すると“気質”とやらは、どうやら数千年のときを隔てても変わることはないらしく、一種の滑稽性と阿呆さを人間が持つことを知らしめるようであって面白い。

最後には結果、論駁して脱獄はせず生を全うしたとして死罪を受ける。70まで生きたとは知らず、そして衰えによる感覚の愚鈍さを恐れての受託にも感じるが、それでも死を恐れぬと便宜上は述べ続けており、長生きしたところで老いには勝てぬし生活が不便になるのみ、ならば有終の美を飾るほうがどれだけ良いか?といった風にしていたのは意外。あと、死罪を受けて弟子になかれ「無罪によって死刑になるのと、有罪によって死刑になるのでは、どちらが最後の姿として善いか?」と弟子を慰めた言葉がウィットに富んでいて素敵である。

本書はそれほど長い内容ではなく、しかし読み応えあり。

多少なりとも難解さも併せ持つため解説も重要。

なかなか読み応えあって、世間一般での価値観のよさと、個人における自身の持ちうる価値観とは違うのだぞ、と平易に言い表す作品であり、確かに哲学の初歩にはうってつけ。

一人の有益者による声と、多数の俗人による声では、どちらが重要か?こうした命題においての明確な回答を示した例が印象的であり、実に簡潔かつ分り易い。つまり、食事やスポーツのコーチにおいても、その専門家のひとりの意見を尊重すべきであって、ずぶの素人による声がたとえ数多重なろうとも、信じそして従うべき意見はどちらか?答えは、いわずもがなである。そして、この例がそのままアリストテレス自身に当てはまるというのは、いささか自画自賛気味ではあるものの、納得せざるを得ないようである。良書!

 

 

第5位。

『バースデイ・ストーリーズ』

バースデイ・ストーリーズ (村上春樹翻訳ライブラリー)

バースデイ・ストーリーズ (村上春樹翻訳ライブラリー)

 

 村上春樹翻訳、選定による「誕生日」をテーマにした海外作家による短編集。至極と言って過言でないセレクトで、どれもなかなかの面白さであり、読み終えれば満足の感嘆が息として思わず漏れ出たほど。それほどには面白く、そして感慨深い作品多数。

まず序盤にある作品「バースデイ・ケーキ」から既に面白く、皮肉屋で厭世的なばあさんの描写が実につぼであって、ある種の親しみさえも感じては滑稽であり楽しめた。序盤から良い滑り出しでありその後の作品にも期待し、すると期待に答えてくれた作品は多数。イーサン・ケイニンの『慈悲の天使、怒りの天使』は厭世的な老婆を希望に導く崇高であって希望ある大人の絵本のような作品でもあり、動物を通して人間愛を見つけ自分の姿を重ねると言う古典的な手法ながらそこには仏教的な価値観も包括し、故に日本人は何処か馴染み深い作風であってスッと納得するように心地よい風が心に吹きかけるような作品。良い読了感。

というか、最初のラッセル・バンクスムーア人」から既に面白く、これは一見して喜劇的作品。普通に笑えて服出しそうになるユーモアさで、最後には何処か寂しげな情緒を残す、一つの娯楽映画のような構成であってこの短い中にそのエンタメ性を物故無巧みさが際立つ作品!

素直に「面白い上に、すげえな」と思った作品が、アンドレア・リーによる「バースデイ・プレゼント」。これは文の構成、描写、展開と一流品で、飽きさせぬ展開に姑息な描写<褒め言葉!>で埋め尽くされ、本書の中では長いほうの短編だが、それでも中だるみせず最後まで楽しめ、少々のミステリーさもあって最後まで読者を惹きつける。終わり方も実に巧みで、良い引き際をわきまえている。男女情緒の妙を描いた佳作であって、評価の高さも実に納得の作品。

「誕生日」というめでたい事象とは対照的に、暗い影を落とす作品が多いのが特徴的でそのコントラストが面白い。あと、最後の締めくくりは村上春樹自身の短編で、「誕生日」をテーマに書き下ろした作品。読むと、これが面白い。

読みやすい文体であり、面白いと言った情念が隙間からスッと入り込んでくるような軽快なテンポと言い回し。すこしふしぎを思わせるSF作品であって、読了後は少々のもやを感じたが、それでもテンポは凄く良い。思いのほか面白く、佳作ぞろいで期待以上に満足できた一冊だった。これぞ娯楽小説!と言った内容、それも大人向け。

 

 

第4位。

『[ウィジェット]と[ワジェット]とボフ』

[ウィジェット]と[ワジェット]とボフ (奇想コレクション)

[ウィジェット]と[ワジェット]とボフ (奇想コレクション)

 

 スタージョンの作品集。全六編からなり、やはり面白い!

面白くて最後までぶっ通しで読み、そのまま読了したほど。

収録作としては、掌編小説寄りの短いものもあれば、中編小説並みに長いものも。そして意外と評価に偏りが生ずるようなラインアップであり、最初の「帰り道」は情緒的なものであり、ある意味でスタンドバイミー的な色合いを感じた。

次の「午砲」はギークが上位存在に対峙する、と言った呈の作品であり、こうした作品も書けるのかというのは意外。一読してそう思い、これに限って言えばSFではなく、ニヒリスト的でありプロレタリアートのような、嫉妬心を描いたような作品。この作品は最後に解説を読み、スタージョンの史実的な作品と知り多少なりとも驚く!こうした青春を過ごしていたとは意外。ブスな彼女を持ち出した作品としても稀有であり、そうした意味でも読み応えあり。

「必要」は中篇で、受賞候補にまでなった作品。

内容としては、候補になったのも納得の出来であり、SF(すこし不思議)な作品。ある特殊能力を通じて「その人にとって、本当に必要なものとは?」を説く感動巨編。それもまたなかなか回りくどい方法で示していくが、それが醍醐味でもあって巧みな文章と見事な比喩によってだれず飽きもせずテンポも良い佳作。

そして、各登場人物へと主観視線が移り行くのが特徴的で、それでも読み易く無駄がない。良くできている作品で、読了感も清清しく良い作品だった!特に夫婦喧嘩している人に読ませたい作品で、夫婦にとってのお互いの必要性を説くような作品。

「解体解除」はすこし分かりにくい作品で、そして舞台がブルドーザーの上と言うのが印象的。これも解説を読み、ブルドーザーを作品に多く出すのはスタージョンが実際にそうした仕事をしていた経験から、と知って納得。この作品は、意識野と時空間の転移を記憶を結びつけて表現した作品で、正直テーマの割りにページが足りないように感じた。

次の「火星人と脳なし」は一言で言って面白い!これはSFで、絶妙な語り口で展開される物語はまさにスタージョン節!であって、その文章のみだけでも楽しい限り。そして作者自身の「知性とは?教養とは?」と言った概念について語られているようであり、そうした概念を読み解ける会話劇は含蓄深くて面白い。

最後に表題作「[ウィジェット]と[ワジェット]とボフ」。

これは傑作!

期待通りに面白く、宿谷に集う人たちへとエイリアンが干渉してよい影響を与えた後の模様を描く群像劇。これは中篇のほうでも長いほうで、結構なページ数であって読み応えも。そしてこの作品に関しては、随分と哲学的であるのがたいへん印象的で、そして表現が直接的であるのが特徴的。なので、そうした哲学的な示唆やメッセージを作品に込めているのではなく、そのまま言葉として出している。巨匠の作品としては珍しいスタイルで、多少説明くさいようなくどさを感じさせながらも、そうした邪険さを拭い去るほどのエネルギーある作品!最後の複線回収も見事であって、この作品は物語と言うより固定概念についてを取り扱いその概念について語りつくすところに魅力があり、ストーリーはあくまで付随的なものに思えた。それほどまでに“自意識”や“アイデンティティ”に対して深く追求し、会話劇は冴えそして所々に登場する例えは的確であって巧み過ぎ!この比喩表現の豊かさに感心するとともに笑わせてもらった。

表題作は人生における示唆に満ちた作品でもあって、小説でありながら道徳的な教話にも感じられる内容で、道徳の教科書にさえ載せておかしくない作品。自分のアイデンティティに悩みあるモラトリアムな学生が読めば、それこそ巷にあふれる安易な哲学書よりずっと良い影響を与えるであろう、そんな作品だった!

やはりスタージョン作品は面白い!そしてスタージョンの作品としての特徴に思えたのは、その頻発する比喩であり、その分かりやすさと共感性ときたら!実に凄い作家だと、読み終え感嘆するのみ!読んでいるだけで楽しい文章、ある意味で作品以上の魅力があり、そしてこれこそこの作家の強さだろ!

 

 

 第3位。

 『スエロは洞窟で暮らすことにした』

スエロは洞窟で暮らすことにした

スエロは洞窟で暮らすことにした

 

 とても啓蒙ぶかい一冊。

お金を持つことで幸福になるどころか、かえって不幸に感じる人物であるスエロ氏が如何にして金を捨てて生活するようになったのか?
その過程を綴る内容であり、”お金”とは銀行が貸し付ける事によって生ずるものであって言わば”幻想”に過ぎない。
そうした幻想にすがって生きるのは、果たして実際に生きていると言えるのか?との疑問を投げ掛け、お金に決して縛られない行き方を実践する。
強情である故の行為かと思いきや、根底にはクリスチャンとしての思想が根強くあり、宗教の道徳観に影響されての行動。
それでいながら原理主義者として強固な姿勢に囚われず、各国の様々な宗教を研究、体験し、そこにある真意を読み取ろうとする。
無駄な消費をするために無為に働く事を咎める姿勢を示し、物を持たない豊かさを雄弁に、行動を通して態度で語る。
彼は決して金銭を要求しない。こうして書けば熱心な修行僧のようであるが、タイミングによっては金銭を受け取り、しかしそれでも執着はせず、金は邪悪とすぐに手放していた。
あとインディアンにおける「ギブ・アウェイ」という概念も似たものであり印象的。これは「持っていて」の精神であり、施しを良し都市見返りを求めない。
修行僧は恵んで貰う際、感謝を言わないそうだ。それは「施しを与える機会を与えているから、与える側はそこで既に恩を受けられるため」とのことで、一見して思えばおごがましくも思えるが、そこにこそ気高い宗教性が潜んでいるように思えた。
そして「富ある者ほど物を恵まず、貧しく者ほどものに固執せず与える」という真理もまた印象的であり、貧しい地に旅した際に確信した事であり、そこでは当人の家族すらその日の食物ままならないのに、躊躇もせず旅人へと食糧を分け与えるという。
本書では、環境破壊や食糧廃棄問題に対しても警句を促がしており、食糧の廃棄による無駄とそうした社会システムのあり方を問題視し、食糧廃棄の量が負けず劣らずの日本においても他人事には思えない。
また、日本はもちろんこと、やはりアメリカにおいても自由の国といえど社会的な縛りや他人の目が気になるのはもちろんことで、お金というシステムに疑問を投げ掛ければ社会的に自由でなくなり、”お金”というシステムによってアナーキーではなくなるが同時に各人を締めつめる。それも強くきつく。こうした強制さに人々が如何に盲目かを語るが、それは同時に盲目である事の、奴隷としての平穏さを語るものでもありつながれた鎖を見つける手助けをしてくれる。

それでもこの啓蒙が二元的であり、もし誰しもが「なるほど、確かに金の奴隷であった!これからは、もう金に縛られず生きていくぞ!」となれば、それこそすぐにでも社会は破綻してしまうだろう。そこにこうした理想主義の難しさと実現不可能性があり、まさに存在し得ないものとして描かれた「ユートピア」そのものであるといえよう。
それでも、ただ借金やローンの返済のため仕事をして、仕事を人生において常に優先し、仕事をまるで息するように常習化した上でその先に何が見えるか?を気にした際に、後悔のない道が見えるかどうか。それが重要であり、宗教がもたらすものは馴染みの薄い日本人による「胡散臭い」だけではないことが良く分かる一冊であり、宗教に対する見方も変わるであろう一冊。

本書は、「幸せとは何か?」に対する一つの答えを示すものであり、それがこのスエロ氏にとっては「お金から開放される」ということ。そこに果たして本当に幸せがあるのか?

それは本書を読み、各々で感じ取って欲しい。


「生きる事とは何か?」

この問いに対し、まさに現代人の生活スタイルに合わせて語る内容であり、人によっては十分バイブルとしての一冊に成り得る本。思いのほか良い一冊だった!

 

 

第2位。

『祈りの海』

祈りの海 (ハヤカワ文庫SF)

祈りの海 (ハヤカワ文庫SF)

 

 イーガンの短編集。濃厚な内容で一読してわかるその力作さ。

はずれ作がまったくなく、どれも読み応えあった。

そして解説であったように、どれもが“アイデンティティとは?“といったことをテーマにおいており、表題作「祈りの海」は途中ですでにオチが読めたが、それまでの系譜が実り豊かで読み物としも面白く、最後の終わり方も印象的。人の感じる幸福感、多幸感とは?との帰結は、イーガンらしさ全開!同時に、そこに意味をつける人間らしさを問う作品であり、神を崇拝する意味や、後光の正体を暴くような展開には、SF不慣れな人が一読すれば衝撃を受けるのでは?と思わせた。

また、そうして多幸感に対して無理に合理的な意味解釈を取る人間的誤謬の滑稽さを表すようでもあって、感慨深くもありユーモラスでもある。そしてこの作品の特徴はそうした宗教における一種の誤謬を解き明かすことだけではなく、独特の世界観にもあるといえる。ここでは性交をすると性具が入れ替わるといった独特の設定があり、そのアイデアには少し驚いた。そこに忍ばせる宗教観なども面白い。

あとは哲学ゾンビ的作品、「ぼくになること」はまさにアイデンティティとは何かを問う作品であり、細胞の入れ替わりに結果は「果たしてそれは自分?」と呈することであって思考実験的な作品。

あと「繭」はこれぞSF!といった作品で、登城する科学的知見はリアリティがあり、読み入ってしまう面白さがあった。

「百光年ダイアリー」もまた科学的知見が豊富で、しかし難解であってその理論の説明すべてを咀嚼し切れなったほどの印象が。「誘拐」は縦列都市とまさに並列した内容の作品であって、縦列都市の前記譚に思えたほど。

「「放浪者の軌道」もまたアイデンティティについて取り扱った作品ながらも、これはミスリードが少し雑。なので早々からオチは読めていたものの、人間の盲目さを突く作品。

ミトコンドリア・イヴ」はタイトルからしてまさに以前に読んだ「パラサイト・イヴ」を想起させたが、内容として似ているようで違う。こちらのほうがずいぶんとユーモラスで、最後には反論者から物を投げられるなど爆笑もの。矮小して表現するならば「テキサスにおける進化論反対派」とすればわかりやすいのかもしれなく、滑稽さが実に面白い。ただ多少どたばたし過ぎてややこしくなっていたのが残念。

「無限の暗殺者」も今ではありふれたアイデアだが、なかなか面白かった。某有名ゲームはこの作品から影響を受けたのでは?と思えたほど。

「イェユーカ」は週間ストーリーランドのような作品で、最後の落ちに大きく一ひねり。これは珍しくサスペンス調とも呼べる作品で、医学とは何か?をテーマにしたブラックジャック的な作品にも思えながら、叡智を使用しての解決策は決して表立った方法ではないが、利巧と呼べる正解が一つ出ないことを教えてくれる。すると冴えたやり方であって、最後にとった解決策は優れた推理小説を読んだような、爽快感があった。あとは「医学が正しいものとするなら」といった台詞がとても印象的。

収録作すべてが佳作であり、しかし多少なりとも見知ったネタが多いのはおそらく出版が数年前のものだからであり、当時に読めばより衝撃的で前衛的に捉えていたと思う。逆に言えば、それほどこの作品に影響を受けたものが多い、ということが容易に想像できる。流石の評価の高さであり、分厚いながらも楽しくそしてあっというに読めた印象。読んでよかったと思える、良い短編集だった。あと「貸金庫」もとてもよかった。落ちもサスペンス的で秀逸!これもまた好きな作品だった。ミスリードというか、展開はかなり簡素的だったけれど。

 

 

第1位。

『人生論・幸福論』

人生論・幸福論(新潮文庫)

人生論・幸福論(新潮文庫)

 

 エロティシズムと言う概念の捉え方が斬新であり目から鱗。

アリストテレスからの叡智であり、つまり妊娠は不死性に憧れての所業であり、出産こそがその表れだと言う。これはまさに金言で、出産に伴う恋愛、性行為などすべてが死に通ずると言った、その深遠な思想であり人間的な本能の一端を読み知った心地。恋

愛についてや美貌についての視察も鋭く、感慨深い理ばかり。

妊娠とは誰もがし得る物であり、そうして生み出すものが肉体的な概念とはの違うとのこと。そこで人が芸術性を持つ理由も作品を生み出すアイデンティティについても合点がつき、大いに納得できた。つまり人が芸術を作品を作りだすのは、魂がそれを願い、同時に作品として生み出そうとする概念を孕んだからだといえる。

他にも、文学と宗教についてや、死生観についてなど、読み応えはありすぎるほど。死を滑稽に見つめ見そして愛おしくさえ思い、そうして生まれた死生観などは注目に値した。

そして「幸福について」において語られていたことが特に印象的であり、幸福とは「邂逅によるもの」とするのは響いて聞こえたほど。

まさに箴言と金言ばかりの内容で、大人向け道徳の教科書と言った印象を抱かせた。

思った以上に「深い内容」と呼べる内容であり、そしてこれこそ、「深い内容」と評してよい一冊に思えた。そんな内容であり、何度も読み返す価値は存分にあって、手元においておき自分がより発酵というか、成長としての熟成した後に読めば、また新たな視野や世界が開けそうな一冊。なかなか凄い本であった。