印象的な言葉
最近、ある本で読んだ印象的な言葉。
普通の女に必要なものは、頭脳より容姿である。なぜなら、普通の男というものは、思考力より視力の方が発達しているものだからだ。
上手い言い回しに、真理を突く内容。
読んだ瞬間、思わず感嘆してしまった。
しかし何より面白いのは、こうした真理的金言の出典が、
この本だということ。
やはりユーモアは、人間真理をぴしゃりと正確に捉えて映し出し、
生活の叡智を与えてくれる。
デカルト風にいえば、「われわらう。ゆえにわれあり」のようなものだ。
神の有無となれば議論は平行線だが、ことユーモアに関してはその存在はまごうことなき普遍性を帯びている。すると、ある意味、神とはユーモアとも呼べるかも。
本書は他にも印象的かつ面白いネタが多く、
ジェーンがディックに言った。「あなたは、以前に、この私こそあなたの世界のすべてだっておっしゃいましたわ」ディックが言った。「ああ。でも、あれからずいぶん地理を勉強したからね」。
これや、
「男の人に何かを言っても片方の耳に抜けてしまう」と女が言った。
「女に何か言うと」と男がすかさず言い返した。「両方の耳から入って口に抜ける」
等といったジョークは短いながら秀逸!
あと本書に載せられていて、特に好きだったジョークがこれ。
キャロルが友達のうわさ話。
「起きぬけの彼女の顔ときたらそれはもうメチャクチャ。あるとき、ゴミ回収車の後を追って行って『もう遅いかしら』って言ったら『まだ間に合う。早く飛び込め』って言われたそうよ」。
文明がユーモアを包括しているのではなく、
実は、ユーモアが文明を包括している、のかもしれない。
要するに、ペルソナお面をかぶった人たちが営む文明と言うのは、
お面のズレをいつも気にしながらも、仮面の下では独自性を示す変顔をしたがっている。
だから人間関係で感じる疎外感と、生じる他人へ思う”ズレ”の認識は、
おそらく素材そのものが違っているのだ。
そこでつい気になった”ズレ”を注意しようものなら
「常識がない!」と憤慨されること請け合いで、相手が築き上げてきたものを咎めるのは注意が必要。
もしくは「そうかね…」と言って気まずい雰囲気が流れ、
相手はそそくさと髪の毛に手を当てるだろう。