8月に読み終えた本は32冊。
その中からおすすめを紹介!
第10位
『フェミニズムの帝国』
感想を一言で済ませれば、思いのほか面白かった。
内容としては表題どおりであって、フェミニスト的な内容。
性別による役割の逆転した世界を描くSF作品。
つまりこの世界でいうところの「男らしさ」は現実世界で言う「女らしさ」であり、男女の社会的立場が見事に逆転してしまっている世界の話。
なので作中の世界においては、基本的にレイプは女性が男性にするものであって、その逆はおおよそない。
あと女性は当然、現実世界における男の扱いなので、中年となると現実世界のおっさんらしい風体と態度であって、女性が風俗通いをする世界。一般にある風俗は女性向けであり、ソープまでもが同様。
こうした性の逆転劇とはどんなもんかと安易に読んだが、なかなか感慨深い。
第9位
『まんがでわかる! フロイトとユングの心理学 (まんがで読破 Remix)』
まんがでわかる! フロイトとユングの心理学 (まんがで読破 Remix)
- 作者: フロイト
- 出版社/メーカー: イースト・プレス
- 発売日: 2016/06/17
- メディア: コミック
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この『まんがでわかる!』シリーズのことは正直、「どうせ、随分とはしょっているんだろ」と見下すように思っていたが、本書を読んでその概念を覆される。
それほどには内容が濃厚で、想像していよりずっと充実!
1章と2章から成る構成で、1章目はフロイトを題材にしており、2章目はユングを取り上げる。
しかしフロイトに関して言えば、主人公補正が掛かっていた感も否めない。
けれど、それもまた既知している人によってはアイロニー的に思えて面白い。
そして後半に主役となるユングの章では、こちらが本番!といわんばかりに内容には気合が入っていた。それこそユングの思想を漫画という媒体を使用し、精一杯に再現しようという情熱を感じたほど!
本書は漫画としても普通に面白く、そして二人が精神医学として新たな分野を開拓し、どれだけ貢献をしてきたかがよく分かる。各思念や、重要な着想に至るまでの経緯など一通りのことは描かれており、安易で雑かと思いきやとんでもない。
特にユングのほうは充実しており、ユング心理学とは?として学ぶ上では、
「文章より漫画のほうが好ましい」という人にはまさにうってつけの一冊。
漫画ながらも、活字本に引けを取らない出来栄えであり、ユングについての考察を深める上でも、なかなかいい一冊なのではないかと。
第8位
ヒットラーの生涯を描いた内容で、その生い立ちを二十歳前の姿から描いている。
すると見えてくるのは随分と人間くさいヒットラーの姿であり、水木先生独特のユーモラスさを存分に発揮して描いては滑稽さもあって、ヒットラーの印象が変わって見えるほど。それでいて違和感ないので、実にすごい。
なので最も意外なのは、水木先生の独特のタッチと、ヒットラーとの親和性!
ここまで水木先生の絵とヒットラーがマッチするとは正直意外で、このケミストリーがもたらす世界観は必見!
ナチスの繁栄と衰退の様子も実にわかりやすく描かれており、歴史の勉強の一冊としても十分機能する漫画作品。
水木先生のファン以外にもお勧めできる、傑作漫画!
第7位
『命売ります』
三島由紀夫の小説はあまり読んだことがない中、あらすじが気になり手にとった作品。
そのあらすじとして、
必要とも思えない命、これを売ろうと新聞広告に出したところ…
読むと思いのほか娯楽性の強い作品。
内容としてはあらすじどおり「命を売る」として生命を投げ売りにした主人公が、売った命の買い手とひと悶着を起こしていくというもの。
新聞の活字を「這うゴキブリ」に捉えた男による、厭世話。
娯楽作として結構バラエティーに富む作品であり、現代でも通用する痛快さも。
やはり見所は”命”に対する態度であり、生きるとは?を問う点にある。
この主人公はそれに対して経験主義よろしく、生きるとは何かを問おうとして自殺でなく、己の命を売るといった行動的に打って答えを求めるわけだ。
命を売ることで、死を恐れぬようになる。
そうした死生観を持って生活をすると、果たして世界はどのように見え映るのか?
ひとつの、新たな生き方を示唆してくれる物語であって、暗喩ではなく真正面、同道と死をテーマにしているだけあり、その内容には多面的な意味がある。
つまり、一般的な作品が文化的側面や精神的観点から”死”を暗喩として描いているので、この作品はそれらと対比的であり、
本作は、死をテーマに、ほかのものに対しての批判を暗喩しており、その一般作品との対比さもまた面白い。
「死をまったく恐れくなることは、生活にどういう影響をもたらす?」
そうしたひとつの答えを知ってみたいなら、一読する価値はあるよう思える。
第6位
『アメリカン・ユーモア』
本書を読み、「ホース・センス」<したたかな常識>などの言葉を初めて知った。
ほかにも紹介されいてた小説でのジョークなどは実に面白く、そのつどに印象的。
ある一例として、金持ち道楽の家に敷いてある絨毯に関してのやり取りなどは最高。
簡略化して紹介すると、
金持ちの自宅に招かれた主人公。
相手は誇るように高級なカーペットを指し「いくらぐらいに見えるかね?」と値段を訊いてくる。
そこで主人公、わざと破格に安く言って金持ちの失笑を買い、
「そりゃ笑える。○○万ドルもしたからね」
「じゃあ売ったやつも大笑いしているでしょうね」
という会話はウィットに富み、思わず吹き出しそうになったほど。
本書はアメリカ人のユーモア性について知るには良い一冊で、
アメリカンユーモアの概要について詳しく述べている。
そのほかテクニックについても学べ、誇張、比ゆ、対照、アンティクライマックスなど、普段知る機会のないであろうアメリカンジョークの構造を知ることができる有用な内容。
同時に、対照的に見ることによって日本人のユーモア性、感覚についても対比的に述べ、日本においてのユーモアについても学べるお得な本。
かの落語名人の発言、
「冗談いっちゃいけませんや。『芸』なんてものは一年に一度か二度しかやるもんじゃなくて『芸』と『商売』とはおのずから別ッこのもんす、あの時やった『五人廻し』は『芸』で、ふだん高座でやっている『五人廻し』は『商売』です、毎晩々々高座で『芸』をやっていたら、こっちの体が持ちませんよ」
といった言葉は衝撃的。
同時に、今や数多いる芸人のなか、こうした意気込みでやっている人はどれぐらいいるのだろうか?とも思えば感慨深い。
あと本書はジョーク、ユーモアから日本語の構造についても少々触れ、
「語る」は「型」と「る」によってできているので、「型」どった形式でしゃべるのに対し、「話す」は「放す」を意味に同じとしているので、語りの形式から開放されている。
との説は初めて知り、まさに目から鱗。
「日本語って、面白いな!」と紹介するジョーク以外からも、こう「面白い!」とも思わせるのだから、なかなか巧みな内容。
笑い、ジョークに興味・関心あるのならば、一読して損のない一冊!
最後に、載せられていた中での好きなアメリカンジョークを紹介。
動物園である夫婦がけんかして、小柄な夫がパラソル振り回す婦人から逃げようと、ライオンの檻の錠が少しずれているのも見てさっと檻の中に入り込み、ドアをばたんと閉める。驚くライオンを押しのけて端に座り込んだ。そこで夫人はパラソル振り回して夫にこう叫んだ。「出ておいで、この臆病者!」
第5位
『知のエンジニアリング―複雑性の地平』
AIの開発について。
そこには哲学的な問題をいくつも孕み、
そうした各所事情を会話体のスタイルで綴るので、程ほどに分かりやすい。
つまりAIを作るというのは、単純なプログラム打ち込む作業ではなく、そもそもそこで知性を与える前に「じゃあ知性って何だ?」となることから始まる疑問と問題。
またAIにおける多様性の難しさは言わずもがなだが、本書を呼んで再実感。
当然、AIにヒューリスティック的なものに頼らせては意味がない。
しかしだからといって、「では、完全なる判断とは?」となるのは、そうした概念を抽出できないからであり、それは人間だから当然ともいえる。
そう思えばある種、「純粋理性批判」的なものにも感じながら、「じゃあそこからどうするべきか?」を考察していく。
有名な”フレーム問題”などに触れながら、そうした問題について解説していき、
「どうやら、ドラえもんを作るのは一筋縄ではいかないようだぞ…」
と判らせてくれる一冊。
人工知能に興味のある人は、一読して損のない内容だ!
第4位
『サイードと歴史の記述』
- 作者: シェリーワリア,Shelley Walia,永井大輔
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2004/05/27
- メディア: 単行本
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歴史を「固定的なものでなく、流動的なもの」とみなすとは!
そうした概念は一般の教育から逸脱しており、面白い。
つまり、歴史もまた物語によって彩られるものであり、そこに多少のフィクション性とイデオロギーの可能性を孕み、そうした概念によって形成されているのであって、確固たる歴史書物は存在しない!
この説はなるほど大いに納得でき、そして衝撃的でもある。
“オリエンタリズム”という概念は特に注目に値し、西洋における東洋支配の根源を担う思想。征服、支配を正当化するといったイデオロギーの恐ろしさはつまり、言説によってもたらされているものであり、「常識」をまるでユートピアのごとく悪い意味で使用するのは印象的。
そこでは、昨今の日本人における共通意識さえも含まれるようであり、たとえば、人間の外見における美意識などはわかりやすい例であると思う。
つまり、目立ちがはっきりして細く高い鼻、金髪など、そうした外見を美しく気高く思えてしまうのは、言説による思い込みである事も十分に考えられることである。
道徳、美徳といった概念においても然り。
それがまたカノン的なもの由来である以上は、決して否定できないことであろうと思う。そういった意味では、本書で示すものにしても、サイードが言い表すことは、ある種のキリスト批判、つまり聖書批判では?
とすると、なかなか刺激的な内容にも感じる。
また本書による「西洋の言説は真正ではない」とすると、そこには「真正」なる表象が潜在的に含まれてしまっている、というザイートの説への指摘は、なかなか鋭いように思えた。
帝国主義と言説に関する記述の内容は読み応えあり。
歴史におけるテクストや言説が文化を創るのならば、同時にアイデンティティもまた文化や歴史が象り作るものであり、それはつまりアイデンティティもまた流動的であることを指し示す。
人間の歴史はすべて「経験されたものと想像されたものとの奇妙な組み合わせ」にもとづいたイデオロギーの産物なのだから。
本書を読むと、”文学”その存在のあり方と、
その存在性の是非に一段と考えたくなるような一冊。
第3位
『出刃』
衝撃的。
久々に「描写がすげえな」と思える作品に出会った。
それが本書。
繊細な感情や体の状態、表現の描写が実に丁寧でそして染み渡ってくるようになだらか。生命の色目木やら耐え難い情動などをこれでもか鮮やかに表現。
内面下におけるこうした心情の描写において、ここまで比喩や表現の豊かさを見るのは稀。しかしそれでいながら随分と読みやすいので娯楽性も十分で、まさによくばりな作品!
その逸脱した表現力に備わる鮮やかさは前衛的であり、40年も出版から経とうとしている昨今に読んでも古臭さを感じさせず。
スッと淀みなく入ってくる適切な感情表現に驚かされ、今に読んでも感情移入は容易で気づけば読み入りこちらも喜怒哀楽。一切の古臭さを与えず、人間としての本質を説いた作品にも思えてくる。
良い短編集だった。
第2位
『記号論への招待』
言葉とはなんぞや?
人は普段、こうしたことをあまり気にかけない。
会話で毎日使用しようが、それが当たり前になり、もしも他人と普通に話して相手が妙な反応。
意思の疎通がぜんぜん出来ねば「○チガイか」「やばいやつか…」と早とちりする。
こうした誤解は、言葉、つまり”言葉”という”記号”の性質を理解していないからであり、そうした誤解こそ、”記号”の読み間違えであるのだと、本書は解説。
よって、”記号”とはつまり<この場合>、コミュニケーションを媒介するものであり、こちらから送る記号が、相手によって受け取られ、それをそのまま訳してくれるかどうか?それが重要なのであると教えてくれる。
これはパソコンにたとえると判りやすい話で、言語に違いがあれば、当然、読み取るほうは対応してなければ読み取れずエラーとなる。
それの人間版。
つまり、人間においても同様で、解釈についての違いがあれば、その相手にはメッセージが意図したとおりに伝わらない可能性を示し、その構造を記号としての役割、言葉を通して解説をする。
”言葉”として存在するうちには意味内容と意味表現があり、
普通の会話が意味内容であるなら、意味表現とは”詩”であるとすればわかりやすい。
つまりこの場合、意味内容では”言葉”の内容に注意が注がれ、
詩の場合、”言葉”自体に注目がいくということ。
“コード”による統語的な意味内容理解と、“コンテクスト”による任意的な理解、その相互作用が重要であるとよく分かり、これら二つの対比が印象的。
また、受信者における記号のつかみ方も重要であり、同時に“コード”と“コンテクスト”によるずれと対立によって生ずる、己による新しい“コード”的統辞作成と、“コンテクスト”の新たな見出しが、自身に内なる感動を与えるのでは!?とつい思う。
そしてコードによって統辞しきれない言語をはじめとする記号に対しての柔軟性さを示す“コンテクスト”こそ、人間らしさと呼べるものであって同時に人間の強みにも思えてならない。
コミュニケーション、それについてより詳しく知ろうと思うならば、
必読の一冊!
第1位
『抵抗の快楽―ポピュラーカルチャーの記号論』
抵抗の快楽―ポピュラーカルチャーの記号論 (SEKAISHISO SEMINAR)
- 作者: ジョンフィスク,John Fiske,山本雄二
- 出版社/メーカー: 世界思想社
- 発売日: 1998/07
- メディア: 単行本
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これがまたとんでもなく面白い本。
文化論的な内容ながら、アイデンティティとイデオロギーの視察はたいへん興味深い。唯我独尊的に自説を語りながらも、その指摘の鋭さに感嘆とするばかり。
「プロレタリア・ショッピング」
というパワーワードには思わず笑うが、その言葉が示す意味には同意せずには居られないほどの説得力!つまりここでは、
”女性がショッピングという行為に傾倒する理由”
が明確に述べられており、「ああ!なあるほど!」と感心。
曰く、流行の服を求める女性は
「進化主義の従順なる奴隷行為」
らしい。
酷い言いようだな!
と思えど、読めば納得で、無意識、というより資本主義的な渓流に放され、自分のいる場所について知らなかったのか!と気づくこと請け合い。
ビーチに対する考察も実に面白い。
ここでも目から鱗の状態で、ボロボロと剥がれ落ちた。
なぜ、人はビーチという場に魅力を感じるのか?
そこには記号論的な意味が大きく関わりを持つ。
文化と自然の境界線となっている場こそが”ビーチ”。
それはいわば、文化的な統制逃れであるのだと。
「ゲームセンターはマシン時代における記号論的売春宿である」
この本は随所随所に著しいパワーワードが出現するのも特徴的で、
この言葉も脳裏に焼き付くような強烈さ。
他の章ではアメリカの歌手”マドンナ”を通して、“独立した女性像”を視察したり、
ロックの視察では社会へ向けて拮抗する意思による快楽性について述べられている。
高層タワーにおける記号論考察もたいへん面白い。
そこではまず上下という空間によるメタファーについて考察しており、
すると確かに人は二足歩行するため立ち上がり、高さを得たことは進化のうえで重要なことだった。
故に高さに対して優位性を見出し格差的価値観を作り出したのも自然の摂理と説くのも説得力を感じさせる。つまり一般に高身長が好かれ、低身長がコンプレックスに感じるのは生化学的な本能もあろうが、そこには文化的側面もあるということである。
高層タワーによって人々が受け取る快楽についての解説もあり、ヘゲモニー的な要素からの一時的な脱却と抵抗、またはあえてそれに従うことでの快楽もあるとのこと。
ポピュラーニュースにおける快楽と記号論についても興味深く、各国における情報格差や受け取り方、教育方針によっての差異についても述べ、そこで重要としたのは会話における話題性。
本書は充実した内容であり、一読すれば世間を見る目が多少変化する一冊。
それは、今までつけられていた無自覚のコンタクトをはずされたようであり、世界がよりいっそうクリアに見えてくる。
しかしここで重要なのは、それは今コンタクトをはずされたのではなく、またも無自覚にコンタクトをつけられたのでは?と思うことであり、しかしそうした疑問を呈するほどには意識が敏感になるであろう一冊!
視覚的経験情報的なものの重要さと、それを利用するイデオロギー存在の拮抗。
世界は面白い。
アイロニー的にも、そう思えるようになる本だ。