速読について思うこと
つい先日、たまたまネットで「月に百冊以上は本を読んでいます!」というブログを見つけては「どひゃー!すごいな!」なんて安易な衝撃を覚えつつ、
「速読の効果です!」
とするのはまだしも、その読書量を誇示する形に違和感を少し覚えては、
「というか、年に千冊以上読んでも、そうした煩悩は取れないんだな…」
そう思っては、誇示する読書量の自慢に強烈なアイロニーを感じられずには居られない。
これはある種、自己顕示欲だけは捨てられないミニマリストに似た悲壮感を臭わせる。
もしや体を張ったギャグなのか!?
物事は量より質。
スティーブン・キングも自身の本で例えを用いて、このように語っている。
娼婦が照れ屋の船乗りに言う。
「大きさがすべてじゃない、どうやって使うか、それが重要よ」
よくよく思い疑問なのが、速読における取捨選択。
自分の興味関心のある部分だけを読むというけれど、
批判的でなく、単純な疑問として、
そうして捨てた部分に黄金があるとは思わないのだろうか?
内容を吟味せず、読書自体を主目的にしてしまっては、
低カロリーの食品ばかり食べて栄養失調になることと似ているかもしれない。
どちらも行為に対して、得られるものが少ないという点に関しては。
そんな疑問を思い描いたり。