book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

ぼくが『世界で一つだけの花』を嫌うわけ

 

 『世界で一つだけの花』はご存知のように、スマップの大ヒット曲。

「歌詞が良い!」として発売当初では本当に至る所でこの曲を耳にした。

けれど僕はこの曲ばかりはどうも好きになれない。

だからと言って別にスマップが嫌いと言うわけではなく、

夜空ノムコウは大好きだし、青いイナズマなんかもスタイリッシュで好き。

 

そんな中でも、世間と隔てるように、ぼくは『世界で一つだけの花』を好きになれなかった。

別に尖って「売れているから気に入らない」ではなく、そのオンリーワンを主張する歌詞にどことなく違和を感じていたからだ。

 

ふと最近、ああそうかと違和感の正体について閃いたので備忘録的に記述する。

もっとも、それは別に大それたことでもなく、ごく単純なこと。

要するに、この曲の歌詞には矛盾があるのだ。

 

 

冒頭、有名な一フレーズ。

NO.1にならなくてもいい、もともと特別なOnly one。

 

ここで世間は、

「ああそうか、無理にがんばらなくていいんだ!自分として自分らしく生きればいいのか!」

とその存在自体を全肯定され、無対価による世界からの抱擁を受け取るが如く、自分を慰め生に充足を感じる。

でも当時から、ぼくの頭の中には「それって欺瞞じゃないの?」とした靄のような思考が渦巻き、晴れることは一向になかった。

 

そうして今になって気づいたのは、歌詞の誤り。

 

それなのに僕ら人間は
どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのにその中で
一番になりたがる?

そうさ 僕らは
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かさせることだけに
一生懸命になればいい

 

 この歌詞の意味が、

「みんな一人ひとり個性があって違うのだから、争わずに、良い部分を引き出しあおう!」

としての意味ならば、それは大きな間違い。

なぜなら、一人ひとりの個性というのは、他人と比べることで、ようやく見出されるものだからだ。

つまり、解釈どおりに「頂点をめぐって争うのはやめよう」とするならば、

それはつまり、各々の個性さえも消すことになる。

「自己とは?」

それこそ他者の存在によって確立された概念であり、

もし他者がいなければ、自己は存在しない。

もっと正確に言うならば、「自己」という概念は存在し得ない。

それは他者と自己を区別するために生まれた対概念であって、

一方がなければもう一方も存在しない。

する意味がないからだ。

話を戻そう。

つまり、

 NO.1にならなくてもいい、もともと特別なOnly one。

この歌詞どおりに、自分を他でもない、自己としての独立した存在、Only oneになったとしよう。

するとその瞬間に、Only oneとしての自己は消える。

なぜなら、本当の意味でのOnly oneになった時点で、その自我は独立しており、Only one故に、それはどこにも所属し得ないからである。

 

この欺瞞はつまるところ、

個性を大事にしようと謳いながら、それを達成した瞬間には個性をなくしてしまうと言う矛盾性にある。

 

 

最近これに気づいて少しスッキリとした。

 

 

 

 

 

世界に一つだけの花

世界に一つだけの花