book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

2019年 1月に読んだ本からおすすめ10冊を紹介。

1月に読み終えた本は34冊。

その中からおすすめの10冊を紹介!

 

 

 

第10位

コンビニ人間

コンビニ人間 (文春文庫)

コンビニ人間 (文春文庫)

 

 話題作を遅ればせながら、今になってようやく読んだ。

感想としてまず思ったのは「シンボリック相互作用」や「脱構築論的」といったもので、簡潔に言ってしまえば「『われ思う、故にわれあり』なんて言うけれど、他人いなけりゃわれの区別もないよね」といった感じ。

穿った見方をせずとも、いいや寧ろ素直に読めば構造主義批判をアナロジー化したような作品とも言え、オースティンの行為言語論的な要素もあるのでは?なんて思わせる。

そんな前置きはさておき、俯瞰的な感想を除いてごくごく一個人的な感想として述べれば「世間の風潮を真正面から受け止め、その上で全てを肯定を否定もせず戸惑うのだから、まさに人間版ベイブだね!」といった感じ。しかし世間の風潮の描写こそ、誇張的ながらそれが誇張と言えないところにまた面白さがあるのではないのかと。

あとコンビニについての描写が鋭く思えるのは実体験からなのだろうか。この部分が本作品の特徴のようにも感じ、得意分野に対しては他の人間と同様のあり方を示す部分もまた本作品の特徴であると思う。

本書の根幹は「世間の常識とは非常識」と言わんばかりに、恋愛や結婚などに対する価値観を真っ向否定。すれば奇異な目でじぃと見られる。

そんな生き難さも描くものであって、世界の中心で叫んだのは愛ではなく相手の言葉。倣えばそれでいいとする風潮。「狩猟時代から変わっていない」とまでいう価値観の原理を語り、しかしこうしたテーマの作品は古今東西昔からあるとも言えるので、まあありきたりなネタ。それが現代に尚こうしてヒットし、注目されたというのは、それだけこうした批判は真理味を帯びておりそして「現代においてもヒットした」という事自体こそ注目する意味があるのだと思う。

おそらくそれこそが皮肉的にも「普遍的なテーマ故なのだから」と思えば面白い。要するに、本書の根幹として否定するテーマこそ、否定するテーマからは逃れられていないといえるのだから自虐的。

緩やかな世間体への批判は、読んでいて心地いいのだとすれば自己的であり利己的。けだしそこで感じる齟齬感こそ、実際の他人を目の当たりにするのではないかと思う。

そんな作品だった。

 

 

第9位

『マッシュ』

マッシュ (角川文庫)

マッシュ (角川文庫)

 

 朝鮮戦争を皮肉った小説。なんて謳い文句ながら、内容としてはコメディ色が有り余るほどに溢れ、全体的にコメディといって過言でない小説。

主人公は三人の軍医。激戦の模様は運ばれてくる患者によって想起させようとも、悲惨さを感じさせず雰囲気としてはアメリカのホームコメディっぽい。

 そんな野戦病院で活躍する三人の破天荒な軍医が繰り広げる突飛な内容で、連作短編のような構成なので各話を独立しても読める。そして発売が70年代ともう50年近くも昔の作品ながら今に読んでも十二分に面白い。というか普通に笑える。

中でも特に笑ったのは、主人公である軍医の一人が髭をぼうぼうに伸ばし髪の毛も伸ばし放題で放置。するとキリストにそっくりとなってそのスナップを売り歩いて大儲け。このエピソードには爆笑した。他も愉快な話ばかりで読み飽きない。アメリカンなジョークも多くて、性病検査員をサボるための行動や台詞の言い回しなど全体にわたってジョーク本と呼べるほどにはユニーク。

ただしそんな折にも負傷者の対処や手術などの描写も最低限にはあって、戦争での悲惨さを垣間見せる場面もあるのが印象的。

あとフットボールの回もありルールを知らないと楽しめないから、そこはちょっとマイナス点。だが登場する上官もまた良い味のキャラしてて、こち亀でいう大原部長のポジション。そして本作品を読んで得た教訓としては「仕事に有能であれば、クレイジーな振る舞いも許される」ということで、全体的に笑える快作。

 

 

第8位

『愛することができる人は幸せだ』

愛することができる人は幸せだ

愛することができる人は幸せだ

 

「愛とは何か?」をノーベル文学賞の受賞者が答えようという内容。

具体的にはヘッセが「愛について」をテーマに綴った短編や詩、評論などを編集者が独自にまとめて一冊にしたもの。

そんな本書を読み終えて思うのは、ヘッセは「愛こそ幸せにつながる」と決定的に主張していること。

なかでも

「掟とは、理解したものが理解していないものに教える真理である」

といった言葉が印象的で、そこではその真理が多少なりとも歪められているのだということも含めて感慨深い。

載せられている短編の中では『ハンス・ディーヤラムの修行時代』や友人の経験を語る『恋愛』、三十歳で十九歳の美しい小鳥のような娘に恋をしての顛末を描く『人生の倦怠』などは読むとなるほど、一言で表現して「面白い」。

自己愛の充足化も重要だと主張し、キリストの言う「隣人を愛せ」を同時に「自分も愛し」と付け加えていたのが特徴的。

あと、「すごく良い事いってるなぁ」と感嘆し印象に残った言葉がこれ。

ぼくはよくこう思う。ぼくたちの芸術は全部代償にすぎない、やりそこなった人生の、発散できなかった獣性の、うまくいかなかった恋愛の、骨の折れる、そして実際の値段の十倍も高い代価を払った代償だとね。ところがやはりそうじゃないんだ。まったく違うんだ。ぼくらが精神的なものを、感覚的なものが不足しているそのやむを得ない代償と見るなら、それは感覚的なものを過大評価しているのだ。感覚的なものは、精神的なものより髪の毛一本ほども価値が高いわけではない。その逆も同様なんだ。すべてはひとつで、どちらも同じようにいいのさ。きみが女を抱こうと、詩をひとつつくろうと、同じなんだよ。ただそこに肝心なものがあれば、つまり愛と、燃焼と、感動があればいいのさ。そうすれば、きみがアトス山の修道僧であろうと、パリのプレイボーイであろうと同じことなんだ。

 

他にも人生訓と成り得る箴言は多く、

この世を見通し、それを解明し、それを軽蔑することは、偉大な思想家たちの仕事であろう。けれど私にとって大切なのは、この世を愛しうるこち、それを軽蔑しないこと、この世と自分を憎まないこと、この世と自分と万物を愛と感嘆と畏敬の念をもって眺めうることである。

これなども胸に響いた。

 

そしてもうひとつ、特に印象的なエッセイから抜粋。

愛に関しては、ちょうど芸術の場合と同じことが言える。つまり、最も偉大なものしか愛せない人は、最もささやかなものに感激できる人よりも貧しく、劣るのである。愛というものは、芸術の場合もそうだけれど、不思議なものである。愛は、どんな教養も、どんな知性も、どんな批評もできないことができるのである。つまり愛はどんなにかけ離れたものをも結び付けるし、最古のものと最新のものをも併置させる。愛は一切のものを自己の中心に結びつけることによって、時間を克服する。愛だけが人間にとって確実な支えとなる。愛だけが、正当性を主張しないがゆえに、正当性を持つ。

愛にまつわるためか、美しいと思える表現が全体的に数多く感じた。

そして本書の終盤に載せられ感想の締めにもふさわしいと思う言葉をまたここで引用。

世界と人生を愛すること。苦しいときにも愛すること、太陽のあらゆる光線を感謝の思いで受け取ること、そして苦しみの中でも微笑むことを忘れないこと、―あらゆる真正の文学のこの教えは、決して時代遅れになることはなく、今日では、これまでのいつの時代にもまして必要不可欠なものであり、感謝しなければならないものである。

手元に残しておきたいと思える一冊で、

 あとこんな言葉も個人的には胸に突き刺さった。

「なんでもできると思い込んでいる人は、自分に何も求めていない」

 

本書には、真理が数多含まれていると思う。

 

 

第7位

『虹をつかむ男』

 ユーモア作家として有名なジェイムス・サーバーによる短編集。

短編を主に24編!も収録されており、その中でもやはり飛び抜けて面白いは表題作の『虹をつかむ男』!!これ等は「どんな作品か?」言ってしまえば昨今より流行を感じさせるジャンルとしての『異世界に転生したら○○』のまさに鋳型のようなものであって、寧ろそれらの概念を包括してしまっているのだから凄い。故に、端的に言ってしまえばこの作品でそういった幻想的なものへの物語は始まり、同時に終わりを感じさせるのだから実によくできている短編で、ぎゅっと密に凝縮された内容に思わずくすっと笑ってしまうその絶妙な塩梅の滑稽さ。これだけでも読む価値のある一冊だが、他にも面白い作品は多く、というか面白い作品ばかり!

『世界最大の英雄』はアンジャッシュのコント的なコントラストが面白く、『空の散歩』は「否定形から会話に入る」といった典型の妻が登場。なんにでも否定する妻を持った夫はどうなるのか?を描くユーモラスな作品。『マクベス殺人事件』は「亀の背中に象が乗りその象の上に地球が乗っている」と主張するかの集団のようで面白い。

特に好きなのは『ツグミの巣ごもり』で、これだけで上質なユーモア映画が撮れそうなほど。『ウィルマおばさんの勘定ホテル』も個人的には好みで、歯に付いた青海苔を取ってみたら青海苔じゃなかった…みたいな妙な気分の悪さを味わえる稀有な作品。

 もう、予想以上に全体として面白かったので大満足の短編集。

「ユーモア小説」というジャンルに興味があるのであれば必読かと。

 

 

 

第6位

『水いらず』

水いらず (新潮文庫)

水いらず (新潮文庫)

 

 実存主義で有名な、サルトルによる短編集。

表題作『水いらず』からはじまり、これなどDV夫との共依存を女性側からの目線で描く作品でなかなか酔狂ながらも、本書における一番の注目作はやはり『一指導者の幼年時代』という作品であるように思う。この短編は実に己の哲学体系が練り込まれているように感じるような作品で、読み応えあった。

『一指導者の幼年時代』の主人公である彼はあるときに悟る。

自分としての存在とは「存在しない!」のだと。

なるほど精神障害者かな、なんて早合点するのはちょっと待ってじっくりと読めば寧ろ彼がこのような思念を浮かべ得る実情が明らかとなって、平易に示してしまえばこの概念こそ「現存が先行する」ということであり言語学的な示唆も含まれる。

この作品は主人公である青年の伝記的な構成となっており、よって彼の思念を成長とともに見守ることが出来るので「自分の存在について」疑問を抱くようになった過程についてもよくわかり、彼と共に思考の鋳型を変容させることも可能。ソシュール風に言ってしまえば「言語は差異にしか存在しない」ということであって、メトニミーとしての思念をその成長に追随して読ませるのでありそして感じさせる。

 なので小難しく表現すれば「自分の存在の存在性についての疑問を抱き不安に陥るのであれば、この作品によって共感が得られるはずである」とも言えるような作品。

 

他の収録作も思弁さが強調されて面白く感じる作品ばかり。

『壁』は処刑される間際の緊張感と絶望を一人の内面から抉って描いた内容。じわりじわりと迫る恐怖、死に対するマフラーのような感触を抱かせるこの忍び足は、一読の価値がある。

『部屋』という作品は、ある意味でハムレット的にも読める作品で、狂気の沙汰を思い描くような内容。これなどは今に読んでも十分な迫力を感じるのはおそらく、その比喩体系によるものであって近似的な状況は今でも世に溢れているなと思わせるテーゼ性によるものかと。切なくその先に待つのは優美さと呼べる概念なのかは実際に読んで感じてみてほしい。

『エロストラート』もこれまた印象的な作品で、ドタバタ的であって意外なユーモラスさがあった印象。それでも根幹にある社会不適業者のアナーキーさは利己的で、「時代的サイコパス」を描いているような印象も。

全体としてはずれのない短編ばかりで、繊細な心情の描写が特徴的な作品ばかり。

心の琴線に触れるかどうかは、その内容に「同意できる」からとは限らないのだと教えてくれるような作品集で、良く言って刺激的。悪く言って実存的。それこそ、まさに「ことば」なのだから。

 

 

第5位

『勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪: ヘミングウェイ全短編〈2〉』

勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪: ヘミングウェイ全短編〈2〉 (新潮文庫)

勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪: ヘミングウェイ全短編〈2〉 (新潮文庫)

 

 掌編小説のようにごく短い作品が連なった構成で、「おぅ、面白いね!」とさっと感じる作品もあれば、「えぇ、これで終わり?」となるようなものまで多種多様。

それでも面白いものは確実に面白く、多様な作品性を集めたことで「ひとつは好みが見つかるのでは?」とは確信できるような小説群。

個人的に「面白かったなあ」と感嘆したのは『父と子』『ワイオミングのワイン』『ギャンブラーと尼僧とラジオ』『フランシス・マカンバーの短い幸せな生涯』『キリマンジャロの雪』など。

『ワイオミングのワイン』はある種、文化人類学的な作品にも思えるのは「あるある、日本人でもこういう世話好きのおっさん居るわ」と文化の垣根を越えて共有できる感覚をこうもじっくりと丹念に臭いさえも添付するように感じさせながら読ませる文章のなせる業であり、その構成の賜物。牧歌的な雰囲気に潜むひっそりとした厭世性。絶望感。コントラストが素晴らしい。まるで曇った雲のような作品だった。

 『ギャンブラーと尼僧とラジオ』はそのぐんにゃりとしたタイトルからも想像できるように、児童のおもちゃ箱のように多少ごちゃっとした作品。ただしこのタイトルに含まれる単語が示すのは「人生」であり、各々の人生を”入院した病院”という環境から感じさせるもので人生とは奥深いのであり底が深く、そのスペースを埋めてきたものについての言葉は体積を持つ。

『フランシス・マカンバーの短い幸せな生涯』がまさに読んでいて「あぁ、面白いなあ」と思えた作品で、時代とプライド、精神のあり方についてを教鞭するような内容で、見方によっては実にイデオロギー的。しかし「男とはこうあるべきだ」とする鋳型の思考を垣間見るには存分に楽しめ、相互作用的に働き均衡を保とうと動く重力に縛られたような互いの思惟がまたシーソーゲームみたいで面白い。

『父と子』は個人的に好みな作品で、情緒豊かに懐古する少年時代の自分と、目の前のわが子を見て過去を重ね思う事とは。この渋い作品は、感情と情念の違いを教えてくれる。

キリマンジャロの雪』は単に面白いとは形容し難い作品で、ブルーチーズみたいに味わい深い作品。じっくりと噛み締めればその美味しさは溢れ出るが、はじめは戸惑い、徐々に慣れることによってその本質がわかって来る。さらにこの味に円熟味を齎してくれるのがまさに製造過程であり、それを知ることによってこの作品はまた幾倍にも味わいを増す。

全体的に軽いものから重いものまでざっくばらんに様々。しかし面白いのは確かで、特筆な人間描写を「人が描けている文章」と言うのならば、本書はよりストレートに「読ませる文書」とはこういったものなのかと思わせる。

 

 

第4位

『創世の島』

創世の島

創世の島

 

 SF小説

ページ数も、文字数もあまり多くない作品。

読んでみると構成は戯曲的に台詞中心で、しかしこれが思いのほか面白かった!

というのも内容として哲学的であり(分かりやすく登場人物の名前が古代ギリシャの哲学者から引用しているのはもとより)、シンプルながら深々とした問題を根幹として提示していたため。その根幹とする問いとしては「人の”意識”とは?」。

こんな漠然とした問題に、本書ではひとつの答えとして「     」としているのが特徴的。これはさっと読める一冊なのでその答えはぜひとも実際に読んで知り、どのように感じるかを自分に確かめるのも面白い読み方かと思う。

こうした疑問はつまり、「結局人間とは何なのよ?」というシンプルゆえに答えられない質問に還元され、昨今AIなどによっても盛り上がりを見せる形而上学的な問い。

ごく簡単に物語の構成を説明すると、ある人とAIとの会話のやり取りを主に見せてそこから生じる”もの”によって、意識の本質に迫ろうとするもの。

これについては長々と語りたいながらも語ってしまえば読む楽しみを奪うことに変わりはないので批評は少なく勧めは大袈裟に。

結果よりも過程として、この作品を読んで楽しんでほしい。

しかしこうした哲学的なものを読むと、改めて思うことは「哲学」の概念について。「哲学とは、答えを出す学問なのではなく、問いを見つけ出す学問」なのだということ改めて鑑みる思いに。

 

 

第3位

『ロボットの歴史を作ったロボット100』

ロボットの歴史を作ったロボット100

ロボットの歴史を作ったロボット100

 

www.youtube.com

上記の動画みたいに「面白いこと」を言葉で説明しなくても「面白い!!」ってなる本。ただしロボット好き限定。

ただ翻訳書なので必然的に日本のロボットの紹介は少ない。

しかしそれでも昔の洋画に出てきたロボットから(ハリウッドの声優名鑑に載っているロボットも!)、実際に存在するロボットまでいろいろなジャンルから紹介。

そしてロボットは主に人型のものが多く、ビジュアルたっぷりの内容なのでペラペラとめくって眺めるだけも楽しめる本。

ロボット好きには「面白いこと」をあえて言う必要がないほどにはお勧めできる一冊。

 

 

第2位

『これが物理学だ! マサチューセッツ工科大学「感動」講義』

これが物理学だ! マサチューセッツ工科大学「感動」講義

これが物理学だ! マサチューセッツ工科大学「感動」講義

 

例えばあなたが身長にコンプレックスを持っているとして、こんなことを言われたらどう思うか考えてみてほしい。

「あなたの身長を、すぐに2センチほど高くして差し上げましょう!」

こんなことを言われ、さらに有料ともなれば胡散臭く感じるであろう。

しかし、これはなんらインチキでもなく本当に可能。何の器具も必要でなく、すぐさま2センチ身長を伸ばす方法とは実在しているのだ!

「えーなにそれ胡散臭い」等と思われようがその方法を本書では示しており、ネタを明かしてしまえばごく単純。その方法とはー

”横になるだけ”

 つまり「立った状態と横になっている状態とでは、身長が異なる」

という単純な事実であり、横になるだけでも脊髄骨格の伸縮において2.5センチほども身長は高くなるという。無論、これは重力の影響によるもの。

本書ではこのように日常生活とも深く関わりのある事柄を多面的に扱い、物理が如何に日常に溢れているのかを紹介する。

注目し得に楽しめたは虹についての項で、ここでは「虹が見える原理について」を詳しく解説。すると虹とは、角度の関係(赤が最大として42度)が重要といったことや、水に反射する事でどのようにできるのかを(ここで二度の反射では複数の虹になることも解説)”知る”のではなく”理解”ができるようになる。

すると虹を見る条件「背後に太陽があることが重要」という事から、その際における角度と自分の立ち位置についても理解することで虹に接する機会もおのずと増やせるようになり、雨の中で傘を差さずに突っ立っていようがこれで不審者にはならなくて済むわけだ。

他にも電気についてや磁力とは?等も平易に解説もしており、生活観を変えるには家具や部屋を変えずとも、一番手っ取り早いのは「思考」なのだと思い知る。

エネルギー保存の法則についてでは鉄球つきの振り子でその法則の正しさを実演!よって仮に、この世界が一時的にもエネルギー保存の法則が崩壊していたならば著者の顎は砕けていたことになる。幸いにも今のところ顎は健在らしいけど。

そして著者はX線宇宙物理学の先駆者だそうで、そのため宇宙関連の項も多くブラックホールから中性子、さらにX線についての話では専門家だけあり内容は込み入っておりそれは自伝的な意味を含めて。それで当初としての観測の活動内容やその際の秘話まで述べており、わくわくして行っていた実験の様子からは沸騰する思いが伝わってきた。 

含蓄が深まり同時に世界の見え方もまた変えてくれる一冊で、老若男女、誰が読んでも損はないように思えるのでお勧め!

 

 

第1位

素数の音楽』

素数の音楽 (新潮文庫)

素数の音楽 (新潮文庫)

 

「落ち着け………… 心を平静にして考えるんだ…こんな時どうするか……
 2… 3 5… 7… 落ち着くんだ…『素数』を数えて落ち着くんだ…
 『素数』は1と自分の数でしか割ることのできない孤独な数字……
 わたしに勇気を与えてくれる」

上記の引用は敬愛する漫画作品『ジョジョの奇妙な冒険』に登場する、プッチ神父の有名な台詞。

素数とはどこか人を惹きつける甘い蜜のような魅力がある。

そんなことを言えば、「いいえまったく興味ありません」という人も居るだろうし寧ろ大多数がそうではないかと思う。

しかし一部ではこうも人の意識を惹きつけ、人生を左右するどころか、その生涯を素数の究明に捧げるものさえ居る。それほどに熱狂的信者を持つアイドル「素数」とはいったい何なのか? 本書こそまさに「素数について」の本で、素数に関わった数学者の数学史のような内容でもあり、素数が示す功績から、素数における可能性まで。

数学本ながらポピュラーサイエンスの一冊なので数式などはほぼ登場せず、故に読み易い内容。なにより文章が、証明的な堅苦しさに溢れず猫のような軟体さを持った快いものなのでスラスラと読める構成。であってさらに読めば読むほど素数の魅力にも、それに伴う数学者の人生にも引き寄せられる!

オイラーの偉大さは当然としても、リーマンの前衛さやその慧眼具合に驚嘆したり( 遺稿は現代までにも多大な影響を!)、未だ解けてはいない『リーマン予想』についても「どんなものなのか」概念を知ることが出来る。それを説き明かそうと挑戦した歴史についてもまた述べていて、この過程などは本当に大河などにも引けをとらない面白さが詰まっているように思う。

人間の頭脳が挑戦する未知の領域とはすなわち、別の景色を見ようとするダイナミックな旅であるのだと。よって「数学者」というのは、ある意味において「登山者」とも呼べるのでは?なんて思えてくる。

掻い摘んで一部を述べれば、「グラフとして東西、つまりx軸が横でyが奥行きとして(この場合、高さはzとして)、x軸の1/2の場所からy軸に向けての線においてゼロ点が集中している」こんな感じで(方向については省略してあるけど)、このようなものが解こうとする予想。これが正しいのか確かめるには素数の性質を究明する必要がありその過程と挑戦、実に多面的にアプローチして素数の神秘を解き明かそうとしており、そのアプローチの数々を紹介。難解さを思わせながらも、はっきりといってしまえば、こうして見える光景こそ概念が齎す絶景であり、知らぬに過ごすは人生にもったいない

あと素数量子論との接点についても述べる箇所があり、このように一見して別の物と思われていたものが実際、深い関連を見せるというのはスティーブジョブスの言うところの「点と点をつなげる」ことに値するようであって「この関係性を見つけた時には凄く興奮しただろうぁ」と読んでいてこっちも楽しくなってくる。

あとはヒルベルトその人が如何に数学会に貢献したかも知れる内容であり(同時に、なかなかのプレイボーイであったことも)、ヒルベルトが公言した数学における諸問題はどれもが興味深く(既に解明されたものと、そうでないものとある)、なかでも「今の数学の定理を拡張する必要がある」との発言には心を惹かれ、まさに数学の脱構築!なんて思えたり。*1

他にもラマヌジャンの生涯について知れたり(短命であった理由も)、他の著名な数学者も続々と登場。数学が素数と共にどのように発展してきたのか?

この一冊だけでも、全体の概要は知ることが出来る。

素数とは気にしなければ、それとじっくりと向き合う機会とは少ないかもしれない。

しかし素数とは実際、現代の生活には必要不可欠であり素数がなければネットでの買い物さえ満足に出来なくなってしまうだろう。

素数の可能性はそれだけにとどまらない。言葉遊び的に言ってしまえば、その可能性が「どれほどにまで多大であるか?」こそ未だに判明していないと言えるのだから 。 

数学といえば「小難しい」といったイメージで取っ付き難く感じるかもしれない。

だが数学が示そうとする「概念」自体は別段、難解過ぎるものではなく、それがどういった意味や光景を見せようとしているのか?読み解していけば、誰にでも理解でき見えてくるものがあると思う。

個人的な意見として言ってしまえば「”数学は無慈悲な概念の女王”のように思われようが、実際には概念のみに尽きる存在ではなくて寧ろ超現実的。何故ならば人間以上に対称的であり、鏡像なくして自己を成立しているから」であって、噛み砕いて言えば「数学はたーのしいー!」であり頭の回転を早くするために必要というよりは、単純に楽しいので、それだけでも十分に学ぶという価値はあると思う。

 誰もが見たことのない素晴らしい絶景の秘境とは、世界のどこにあるのでもなく、それは”思考の中”にあるというのは、なんとも面白い事実だ。

 

 

*1:クンマーの「正則素数」なども定理の拡張とは言えるのかな?