book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

2月に読んだ本からおすすめ10冊を紹介。

2月に読み終えた本は32冊。

その中からおすすめの10冊を紹介!

 

 

 

第10位

『個性のわかる脳科学

個性のわかる脳科学 (岩波科学ライブラリー 171)

個性のわかる脳科学 (岩波科学ライブラリー 171)

 

脳の状態を見る事で、人の個性がわかるとしたら。

そんなSF染みたことの可能性を感じさせてくれるのが本書の内容。

というのもその方法は至ってシンプル。

それは「脳における各部位の”たんぱく質の量”を他と比べる」という手法だ。

脳の状態を観察するものとして「MRI」といったものは耳にしたことがあろうとも、では「VBM」を知っているだろうか?

この馴染みの薄い単語「VBM」とは、簡単に言ってしまえば脳の三次元解析に用いる物で、このVBMはMRI画像を併用することで神経細胞が集中しているたんぱく質をコンピュータで分離し、たんぱく質画像を元に局所的なたんぱく質の重さ計算を行うことが可能とのこと。

すると脳の各部位における微細なたんぱく質の量を検出でき、その量を平均と比べることで「その人の”脳の特性”が分かる」と、こういう魂胆な訳である。

それによって、その人の脳のどの部分にたんぱく質が多いか(部位によってその特性がある程度分かる)を知ることで、その人の適正を知ろう!という試みなわけだ。

 

本書では上記のような脳のたんぱく質の量分布から個性を判別できるようになれば

「就職活動で履歴書代わりに脳の構造MRI画像を提出する」世界の可能性もあるのでは?としてアイデアはまさにアニメの『サイコパス』的であって面白いなと思えたり。

そしてこの技術は「メタ認知」に対しての貢献も。

これが脳の個性についてを考える上でも重要で、

そもそも「メタ認知」とは何かと言えば、

メタ認知とは、自分のことをどのくいらい正確に評価できるかということ。

これがなぜ重要なのかはつまり「脳の個性を知る」ということはそのまま「メタ認知」の理解をより促すからで、換言すれば客観的自己認識の正確性を高めることの可能性を示しているからである。

しかしここで面白いのは、仮に上記に示したような方法で各々の脳の個性を把握でき、それによって特性を判断できるようになった社会があるとして、自分のことを正確に判断する基準が脳に依存する中において、確定した自己評価が自分の脳を変化させるかどうか?ということだ。

この疑問に似ている話としては、「自然に踊っていてそれを褒められた子供が、その踊りを具体的に褒められ途端、意識してしまって従来の踊りを踊れなくなった」という話であって、つまり物理的なものである「脳」と、「精神」という未だ確定され得ぬものの相互作用について。

同じような例で言えば「あいつ、脳の特性で『歌手に向いてる』って言われて歌手になって大成したけど、あの脳の特性検査、実は誤りだったらしいよ…」といったことも起こるでは?という疑問だ

あと本書では「脳にとって睡眠は何故必要か?」という疑問に対する答えも示していて、これが他ではあまり見受けられない答えだったので意外であり印象的。

曰く、「よく寝ないと、いい思い出は残らない」ということ。

これは「扁桃体に依存するネガティブな感情に関する記憶は、海馬に依存した記憶とは別の仕組みで定着している可能性」を示唆しているそうで、この発見は何気に「すげぇな」と感嘆するものであり何せ「よく寝なきゃ悪い思い出ばかりが頭に残る」という至極シンプルかつ説得力を帯びた、睡眠の必要性を解くことができるからであって「長く寝なくても大丈夫!」なんていうショートスリーパーは夢の中ではなく現実において悪夢に苛まれている可能性もあるのだと想像させる。

そして何時のどの時代にもダイエットに関心のある人というのは一定数居る者で、本書においてもダイエットに関する知見が。

此れは「実は睡眠中に成長ホルモンがされるのは人間に特有の現象」ということ。

「はて、これとダイエットとどのような関係が?」

なんて思われようが、これって実は

人は寝ているときに分泌される成長ホルモンによって体内の脂肪が分解されている。

とのことで、要は「よく眠ると脂肪分解されてダイエットになるよ!」と主張する。

さらに睡眠不足であると食欲を増す「グレリン」というホルモンが増え、満腹であると脳に知らせるレプチンが減ってしまうこと。寝不足で過食気味にも(本当に寝不足だと過食気味であるという状態にさえ気づかないと思うけれど)何かと無意識にお菓子などポリポリつまんでしまうのはこれが原因との可能性も。

孤独感が強いとチョコレートクッキーのような脂質の多いものをたくさん食べてしまうようになる。

この衝撃の事実には読んでいてハッとし、これは生物学的な知見で、自己律性機能の低下とも関係が深いそうだ。他にも孤独と脳に関しては「側頭頭頂結合部」という部分の活動が、他人の視点からモノをみるという能力に関係していると考えられているそうだ。「孤独感は感染する」等といったことも解説していたのも印象的*1

本書は表題どおり、脳の個性を知る可能性を学べるのみではなく、「孤独が脳に悪い!」事の実際性を知れたことも良い勉強に。

孤独が与える悪影響を思えば、人間は群れる生物なのだと再実感。

それでも没個性を嫌い、一固体の特別性を望む。

人間とはなんとまあアンビバレンスな生態であるなあと思いながらも、そうした人間としての理解を少しでも推し進めるにはいいね!と思える一冊であった。

 

 

第9位

『カードセキュリティのすべて―進化する“手口”と最新防御策』

カードセキュリティのすべて―進化する“手口”と最新防御策

カードセキュリティのすべて―進化する“手口”と最新防御策

 

カードセキュリティに関しては疎いので、それだけも得る情報は多く楽しめた一冊。

セキュリティに関しては、 そもそもルパン三世とかで「本人の指紋を象ったものを作り、それを使用してセキュリティをパス」みたいな場面をあるあるネタみたいによく見かけるけれど実際にはそうした突破方法が試されていなかった!なんて事は初めて知り、じゃあとそれを実際に試したのが日本人の教授!というのだから驚いた。

 「遺留指紋」を、ゼラチンで作った「グミ指(模造指)」を用いて突破してみせたのが横浜国立大学の松本勉教授で、この教授はさらに虹彩認証装置の欺き方も発見し、それは「瞳の画像を名刺大に印刷」するだけで「なりすまし」できたとのこと。大学教授ながらまるで現代のルパンである。

 あと他の生態認証では「手のひら静脈認証」や「指静脈認証」などは聞き覚えがなくて勉強になり、これは「体内の静脈パターンも生涯を通じて変化はわずか」を利用しているとの事。さらに「静脈は体内にあるうえ、平面的ではなく立体的なので、人の偽造静脈パターンを作ることは困難です」そうで、これは流石に偽造は難しいのでは?とつい思う*2

本書では「ICカード」についての解説もあって、非接触式のICカードの仕組みについてや(カードのプラスチック部分にはコイルが入っており、改札機などのカードリーダーが一定の周波数を出すとカードのコイルで電量がおき、電磁誘導と呼ばれる作用から無線で電力をもらう事など)ICカードによくある「チャージする」とは、どのようにして行っているのか?なども解説。

 

あと本書の特に面白い部分こそ、「アタック方法」について述べている点。

それが何か?と平易に言ってしまえばハッキングの方法!

守りを強固にするためには攻めの方法を知っておくのは当然で、よって本書ではそうしたアタック側の方法も紹介するというわけである。

まず面白いのは暗号解読には物理的方法も大きく関与するという事であり、消費電力が暗号解読に関わっているとは!

それは処理時間・消費電力・磁気放射による脇道攻撃の事で、これら3つの方法に共通するのは『ICチップの内部で処理しているデータに依存して変化する』

この特性を利用して「暗号を解いてやろう!」というもので、つまり暗号解読の際における情報処理の部分的差異によるもの。

これは「脳の動きを用いて嘘発見器を機能させる」ような話で、この例えで言えば、

「人の脳は嘘をつくと”A”という部位が活性化する。よって、質問を投げかけこの部分を観察すれば嘘をついているかどうか判別できる!」

というのと同じ話。

暗号解読においても同様で、ICチップ内での情報処理では、暗号の一部が「解」となる場合において活性化(消費電力の差異、もしくは電荷の動きの違いなど)する場面があり、平均と比べる事でその差異を検出する事で暗号の正解を導き出していくという方法である。よってこれはシステム的ではあるが、より物質的でありハードとしての観察をもとにしたもの。

そうした流れの原理も詳しく解説*3しており、「ああこういった穴もあるのか」と勉強になる。

これらの方法は要するに、ICチップの内にはランダムにしきれない部分がどうしてもある事に由来し、そこの部分から情報を取り出してしまえば「暗号解読!」となる可能性があるんだよと言っている。

なので煎じ詰めれば、

アタッカーは、データをたくさん集めて平均化することによってノイズを消すことができます。

暗号に対するアタックとはこの二行に集約されるのでは?と思う。

その対策について、もちろん述べられており(本のタイトル参照!)攻めと守りの両側からセキュリティについて学べ、知ることが可能。

個人的に面白くて好きなのは「フィジカルアタック」というもので、これこそまさに物理的。言ってしまえばファミコンの差し込み方による誤動作もこれに当たるというので衝撃的(二重の意味で)。

あと「電源遮断アタック」なるアプローチは、

一部マニアの間ではよく知られた方法です。

という著者の一文に何処か琴線を揺さ振られ、妙に気になったりも。

他には「リバースエンジニアリング(逆解析)」と呼ばれる半導体技術者には馴染みある技術も紹介されているので「半導体好き!」って人にもお勧めできる内容。

マニュアルプローバー(手動探針装置)なんて言葉も出てくるよ。

本書はセキュリティの概要的内容ながら、内容はセキュリティに関して入門的ながらも幅広く、学べることは多々あったので好印象。

 あと本書で初めて「タンパー」なる言葉を知ったりも。

 

 

第8位

『犯罪』

犯罪 (創元推理文庫)

犯罪 (創元推理文庫)

 

 海外小説。

「2012年本屋大賞翻訳小説部門第1位!」との謳い文句を傍目に読んでみるとなる程、確かに面白い。連作短編集といった構成で全11編収録されており、著者が元刑事事件の弁護士という事もあって「もしや経験談を元に?」なんて思わせる内容ばかり。

しかし主人公が弁護士といっても弁護の話ではなく寧ろ事件に携わった人間を中心に描くものであって「裁判や事件の顛末は!?」というようはミステリー的ではなく「彼はどうしてそのような事をしたのか?」に迫るノンフィクション的な趣き。

11編はどれも味わいがいがあり、そんな中でも特に印象的だったのは

『タナタ氏の茶碗』『チェロ』『正当防衛』『ハリネズミ』『棘』『エチオピアの男』

など。『タナタ氏の茶碗』は暴力性フィクションに見えるノンフィクションさの秀逸さ。一言でいって、日常の非日常。やくざもの。

『チェロ』は最後の終わり方を含めてもなかなか。サルトルの『部屋』を、関係を少し変えてハードにしたような内容。

ハリネズミ』は個人的に好きな話で、「能ある鷹は爪を隠す」の意味の解説にこの話を用いていいのでは?と思えたほど。

エチオピアの男』は最後に収録されている作品で、これだけ創作っぽさが溢れる内容で、だがそれでも良い!人生謳歌の話。

そうして読み終えた本書は、珍しくも帯などに謳われた文句に文句もなく、「面白いじゃん!」と薦められる佳作な小説であったのは間違いない。

 

 

第7位

『希望 』

希望 (ハヤカワ文庫JA)

希望 (ハヤカワ文庫JA)

 

パラサイト・イヴ』で有名な著者によるSF短編集。

 全7作が収録されており、その中で印象的なものとしては最後の『希望』。

というのも、この作品では「重力」としての概念を拡張して表現しており、寧ろ重力とは精神面にも作用するのでは?としたことを根幹に感じ、エネルギー保存の法則の拡張のようであって面白い。

他には『光の栞』も印象的で、「生きている本を作る」というアイデアは突飛で、突飛故に価値のある作品であってリアリズムな文章もテンポ良く快い秀作。

『魔法』はマジックと義手を交えた手品SF作品という目新しいジャンルの短編。多面的にトリックが効いていて、よくできた作品。

『静かな恋の物語』は最後の解説を読んで、テーマ確定の企画物寄稿作と知って納得。妙な堅苦しさを感じたのはそのためなのかな?と。あとこれは最後の『希望』にも関連する内容であって、『希望』内でも表していた数学などにおける

「”エレガント”というが、果たしてそれは本当に美しいのか?」

との疑問定義は思うところがあり、こうした思惟的な内容は個人的にはとても楽しんで読めた。

あとは『For a breath I tarry』という短編は多次元的、多世界的にも読める作品で、価値観の違いとその素晴らしさを示すような内容。

本書はハードSF好きでも十分に楽しめる鋭い観点からの物語やら設計が見受けられ、SFに馴染みの薄い人でもそのエンタメ性から楽しめるよう工夫された作品も。

よって著者の作品はバランス感覚に優れているように感じ、それは一辺倒にならざる事を咎めるようなユーモア性がもたらす一種の合理性であって、強固な合理性の隙間に潜む植物の花を嗅がせてくれるような、そんなバランス具合。

「ちょっとハード目な思弁的作品読みたいな」というときにはお勧めの小説。

 

 

第6位

『みる・かんがえる・はなす。鑑賞教育へのヒント。』

みる・かんがえる・はなす。鑑賞教育へのヒント。

みる・かんがえる・はなす。鑑賞教育へのヒント。

 

 内容としては「アートの観賞の仕方とは?」のレクチャーを。

また「子供にとってアートとは?」を論説する内容で、要は「一辺倒な見方は違うよね」とするような主張。

読んでいて価値観の転覆を味わい、ハッとしたのは『テレビの映像にじゃれ付く猫について』。人間としてみればこうした猫の行為は可愛らしく同時に多少間抜けにも見えるものだけど、よく考えてみてほしい。それって本当に間抜けな事だろうか?

よくよく考えると人間も同様の事を行っている事に思い当たりはずだ。本書が例として挙げていたのがホラー映画の鑑賞であり、つまりホラー映画ではそれが虚構と知りつつ人はそれを見て恐怖する。そこの構成はまさに猫と一緒で、どちらも虚構に対して「それが本物」と思って接している点ではまったく同様。なるほど猫の場合は映像を「本物」と思い、人はそれが「嘘」と分かっている部分は違う!と言うかもしれない。

だがこの意見の正当性を通すには猫と会話する必要があり、何故なら猫が映像を「嘘」と知って戯れている可能性もあるからだ。

また人の場合にも、それが嘘と分かりつつも恐怖するというのであれば、それは嘘を恐怖するという間抜けに他ならず恐怖するのはそれに一種の本物さを感じているからに他ならない。こうした見方の逆転、形式的な思考の鋳型に設置された枠からの脱却、物事を視る個の立ち位置をズルッと滑らす意見には不安と興奮を覚えるのはきっとそれが不気味を面白がる事に対する面白味があるから。

他に印象的だった点としては、シェイクスピアも当時は商業主義として作品を書いていたと言うことであり、「シェイクスピアは芸術の主な目的は人を楽しませることだと主張していた」とする一文が印象に残った。

あと素直に「面白い!」と唸り笑ってさえしまったのはヴィム・デルボアという芸術家の『モザイク』という作品。どういう作品か?

一言で示せば「糞を用いたオブジェクト」。

床に相同としての個々のデザインが並び幾何学的レイアウトを施した作品に見えるこれは、近づき見るとその相同になるものは<糞>で、糞を相同にしてさらにパターン的に並べることでそれを決して<糞>とは気づかせないような、見事なパースペクティブの変換を感じさせるものであり思わず感心。

他に印象的だった一文。

作品の持つ社会性は、作品に固有な価値に存ずるではなく、たえず変化する大衆との接触によって作品が獲得する意味から生ずる。

 

それから教育論についても触れ、

必要があってはじめて、私たちは学ぶ。

というこのシンプルな言葉かつ真理的で、全く正論で金言的。

そこから子供の芸術観についても述べ、その独自の解釈は面白く、子供は「人はパンのみで生きているにあらず」というキリストの有名な言葉を聞くと「そうだ!チーズ、コーラ、牛乳だって必要だ!」と言ったりするのだから。

続けて「子供が芸術を退屈に思う原因について」解説し、その理由として「子供は具体的に考えるため」で、大人になるにつれ「抽象的」思考を身に付ける。そしてこの「抽象的」な思考こそ芸術を見る際には重要であり、子供が芸術を退屈に感じるのは、こうした素地ができていないため。芸術の「抽象的」さを捉えられないからだという意見はとても分かり易い。

私たちは具体的な経験をしてみてはじめて、自分自身と周囲の世界について何事かを知ることが出来る。

とは、まさにそのとおりだなと納得。故に、

美術教育を成功させる秘訣は、美術をすっかり忘れることかもしれないからである。

という意見は鋭く思えた。

一枚の絵は千の言葉に匹敵するとよく言われる。しかし、まさにこの神秘的な表現の可能性を持つからこそ、絵はすべて曖昧だということはほとんど指摘されることがない。

他にジョン・シャーコフスキーによる

新聞に載っている写真の大半はキャプションがなければ意味がない。

という言葉も的を得て感じ、

私たちは写真や絵を見て、それについて話すとき、意識的であるかどうかは別にしても、映像を経験で知っている事象と照らし合わせて見ざるをえない。

というのは経験則的にも真実に思えるのは当然で、知らないことは語れないのだから。
本書は芸術に対する”見方について”の勉強になり、また芸術教育に関しての啓蒙書としても優れた一冊!

 

 

第5位

『人月の神話―狼人間を撃つ銀の弾はない』

人月の神話―狼人間を撃つ銀の弾はない (Professional computing series (別巻3))

人月の神話―狼人間を撃つ銀の弾はない (Professional computing series (別巻3))

 

 「プログラミング」そのものについてというよりは、「プログラミングについて」の内容として出版は古いものの名著と名高い一冊で、読むと「ああぁ!」と納得。

内容として、「プログラミング業務とはどういったことか?」に俯瞰さも用いて言及しており、集中して書かれている事としては「プログラミング業務における一連の流れ」について。

そこでの業務的な注意点や改善点。心構えなどは今に読んでも得るものが多く感じるのはおそらく、いくらPCが進化しプログラミングの環境が変化しようとも人間の方は変化していない、その事に要因があるように思われる。

内容には、著者が実体験を交えた上での業務上の改善点についてや、「こうするのが効率がよい」との具体的な問題点の指摘には説得力を感じられる。

しかしこうした本で実際、本当に重要なのはそれがプログラミング業務のみ活かせる知識ではなく、あらゆる製作の現場において共有し活かす事のできる叡知なる点であり、物事の捉え方とそれに付随する共通点について。

よって当時においても著者の言葉に

主要な問題とは技術ではなく社会学的なものが大きい。

といったものがあり、この主語を色々と変えてしまっても成り立つところが重要かと。

あと本書のうち、個人的にとても印象的だったのは「プログラムと物理、数学との違いについて」。曰く

物理や数学は、その本質に複雑性がなく、逆にプログラムとはその本質自体に複雑性がある。

とのこと。これが思わず「なるほど!」と思えたのは「数学と物理は複雑系に本質がなく成り立っており」という事にあり、この観想をまとめれば”古典物理”的であり数学にしても実証主義的な観点からの意見と思うが、それでも主体として複雑性を加味せずとも成り立っているのは確かであり、よってそこで物理・数学とプログラミングにおける大きな違いを感じ易いのでは?と思う。

あと本書では訳者によるあとがきも内容に深く入りこんでいて印象的。

そこでは脱線的にも構造と構築に生物の淘汰と進化をアナロジー化しており、なるほどとつい思うのは当時と現代との進化については適者生存的な効率化が見えるからであって、しかし根幹は同じでありその基本構造から適正化についてまで。

まとめとして、本書が「啓蒙深いな」と思えるのはやはり本書がソフトウェアエンジニアリングの管理的な側面を主面としてスポットを当てることにあり、技術的な面を主としていないことに意義がある。「銀の弾などない」は昨今においても覆されることのないソフトウェアエンジニアリングにおける金言であることは間違いなく、すると万能機械の万能性の限界を証明したチューリング的な見方も取れるのでは?とも思え、そしてこのセオリーこそ「銀の玉」なり得るのならば皮肉的であり同時に雇用を生み出しているのならば。これこそ必要悪のようにも思えるのではないだろうか? 

 

 

第4位

『ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること』

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること

 

タイトルから容易に内容を推測すれば「ああ、ネット批判か」と思われようが、 実際には想像とだいぶ違った。

というのも意外と込み入った内容で、器質的に述べる箇所が多かったため。

なかでも特に印象的なのは「ハイパーテキスト」について。

ハイパーテキストによって情報の繋がりが生まれて知識の向上に繋がりやすいのでは?」なんて、それこそ安易に想像していたら間違っていたという結果。利益が見積もりよりもだいぶ少なく、むしろ弊害を生じさせたという事実はアリストテレスの言うような「思考としての共時性をなくし一方依存による状態は寧ろ考える力を奪う」ということの本質さを捉えているように感じた。

あと「果たして今後も本の価値はあるのか?」とするのが本書の根幹的なテーマでもあり、ネットでのテキストが氾濫する昨今の現状に照らし合わせて考察するのは面白い(それが自己矛盾的立場をとっている点も然り)。

そうしたバイアスはもとより、「そもそも根源的なところから」と道具がもたらす脳の変化については生物学的にも読み応えあり。そこで印象的であり強調していたのは、こうした脳の変化においては良い面ばかりがクローズアップされがちであるが、実際にはその逆。つまり失う部分もあるのは当然であり、そうした負の側面にも目を逸らさない事の重要性についてを知る事は有意義に思える。

つまりそれは、ネットにより蔓延った情報過多状態による益と害について。

認知の変化におけるメリット、デメリットを述べ(できるだけ客観的に。といっても過去の状態との照らし合わせになるのは必然だけど)、昨今のネットで記事を読むのと、読書では「脳の活動の仕方が違う」というのは注目に値する。

一言でいってしまえば、

脳はネットに触れることでマルチタスク作業に特化し、その代わりに一転集中型の思考を苦手にした。

ということであり、一貫して取り込む作業を蔑ろにする危険性が情報過多となる状態には付き纏う。

さらに飛躍して言ってしまえば(論文がネットデータベースに移され数多の論文が気軽に参考・引用できるようになったにもかかわらず、使われるのは一部にばかり収束してしまうことからも)、物事を深く考える事への軽視と不覚であり、例を挙げて言えば飛躍的ともいえる大きな発見が見つかり難くなったのは、それは専門性の分散化が当然の事としても、そうした意識のあまりの分散性が重要な発見を阻害しているのでないか?

なんて風にも思えたり。

知識体系の拡張と俯瞰的視線による、事象の関連性を見つける事は確かに大きな発見をもたらし、純粋な結果を工学に繋ぐ橋渡しにもなるだろう。

しかし、裾野を広げ過ぎることは同時に、行き止まりの先を開拓する「勇気」ではなく「可能性」を見失わせてしまう事があるのだと。

人は平易に「ネットにより情報が共有し易くなった事で、以前よりは賢くなった」と思いがちである。それは絶対的に正しいことはなく、また間違いでもない。

それでも、以前と比べ失われた知的利潤もあるのだということを忘れてはならないのだと思う。本書は、そうした事を知らしめてくれる良書である。

 

 

 

第3位

『昔話の本質と解釈』

昔話の本質と解釈

昔話の本質と解釈

 

 昔話の本質を構造化し読み解く構成ながらも、とっても読み易い内容。

それでいて西洋の昔話の本質に迫れる一冊。

まず西洋の昔話、神話など紹介されていて、それらを読むだけでも純粋に面白い!

同時に見えてくる、西洋における「昔話」や「童話」の違いについても理解でき、またそれらに共通の部分にも着目できるように。

すると「昔話」「童話」における鋳型、構造部分に携わる概念と一連の流れは時代や文化を反映しつつも、根源に人間としての共有部分が見え隠れし(集合的無意識のような)、「昔話」「童話」の普遍性と廃れない理由が見えてくる。

 

個人的には面白く思えたのは、童話における一ジャンルである『謎話』。

これなどはギリシャ作品のような問答形式で、そこでの設定などは今においても通用するものでは?と思えたほど。

その一例に、ひとつの謎話のあらすじを平易に示せば、

ある国に美しい王女が居り、自分が答えられない問いを出せたものと結婚すると宣言。誰でも参加件が与えられながらも、王女が答えられた場合にはその者を処刑する。

ちなみにこの話は顛末を含めても尚、面白くて実によくできた作品。

そして本書の論説として、伝説や神話と昔話との差異についての考察は鋭く、神話や伝説には恐怖や不気味さが纏うが*4、昔話はそういった陰険さが希薄。

あと「女の子の主人公が圧倒的に多い」というのも特徴であって。それは語り継ぐのが主に女性、ということに要因があるというのは納得し易い。

 

グリムから民話まで様々ながら共通の特徴としては「異化」にある。

「悪が善」に、「悪が善」に転化すること。白雪姫では強盗が白雪姫を助け、そしてかの王子の話では手紙の内容を強盗が親切にも勝手に変更して救うなど。こうした手紙内容のすり替え等はシェイクスピアの『ハムレット』などにもみられた行為であって、価値観や立場の異化はいつの時代の人間をもハッとさせる。

 

昔話は現実ではないが、真実を語る。

おそらく、人々の間で時を隔てようとも昔話が廃れない理由はこれであり、これこそもまた真実であるのだと思う。

 

 

第2位

『新文学入門―T・イーグルトン『文学とは何か』を読む』

新文学入門―T・イーグルトン『文学とは何か』を読む (岩波セミナーブックス)
 

 面白い。同時にとても勉強になる内容で、内容としては自虐的にも触れていている『文学部唯野教授』っぽさがある。けれど本書は本物の講義としての内容が呈される。

読めば納得、表題どおり『文学とは何か』がよくわかる。

しかし序盤からして「文学とは読者あってのものであり、読者の解釈如何による」として「”文学とは何か”を語るのは無意味」とするのはあまりにも構築論的にも思えたり。

それでも文学の発展としての西洋史は「なるほど!」とてもわかりやすく思わず唸ってしまう。そこで述べるのは文学としての新たな境地が開かれたのは、コロンブス的な新大陸の発見と同時であって、その理由としては至極単純。

それ以前は「過去の知識に絶対性」を置いていたため。

そうした権威による専門化がそれら知識を応用していたに過ぎなかった。

しかし新大陸の発見によって、そこでは新たな知見がいくつも生まれ、

要は「その場で確かめたことが真実であり事実」であり過去の文献には載っていない。

すると今までの知識体系としての土台が崩れ、それによって「新たな知」。

未知の発想が可能性として認めら得るようになり、これによって小説としての新たなスタイルもまた開拓されたという。

これは文人その人独自の「思想」を体系化することに対する、非ナンセンス化であると思う。あと印象深いのは、当時としてシェイクスピアは評価されていなかったという事実で、その死後数百年と経ち、戯曲そのものが評価の土台に昇った事でようやく専門家が「シェイクスピアの作品はすばらしい!」と評価したことが今の地位を得らせたのだというのだから少々驚く。

しかし本書の文脈をたどれば「ああなるほど」となり、文学としての評価は周りに依存し、そして政治的なイデオロギー性が必然であると主張するのが本書の特徴に思えたりもするのだから。

構築論に関しての論説もわかり易く入門的で、「脱構築」とはまさに「二階微分」のようなもの!と言ってしまえばいくらでも(それは見方を意図的に変えることで)出来てしまうのだということが良くわかり、だからこそ立場譲渡しての表明もまた重要であるのだな!と俳中律的にも思うことができる。それは二項対立外の概念が現実として存在している以上は(差別主義かどうか等)否めないのだから。

あとソシュールが言ったという「言語は差異にしか存在しない」というのには深く納得でき、メトニミーによって存在し得るとの解説にはなるほどと思う。本社では改めて勉強になることが多く、またラカンにおける精神分析についても解説もあって、これが実に平易な上、とても判り易い。するすると理解が進むほどにはラカンの鏡像について、所謂「自己はあくまで鏡像として在り、理想像を他人から崩されることで存在する」とした論の理解は捗るのでお勧め。

読めばラカンの主張としては納得し易く、自己は本来存在し得ないというのは受容理論的でありこれがまた例の文学としての存在と深く関係しているのかな?なんて思うようには至った。

あとはフーコーの言う「性的な癖こそその人の人隣が顕著にわかる」といった言葉も印象深い。

本書は文学の可能性と裏側を表面化した稀有な一冊。

その稀有さは、このわかり易さにも由来するのは間違いない。

文学についての奥深さや可能性はもとより、その枠組みについてをより拡大。

のみならず、枠組みの素材や枠組みの構造を教えてくれるような、思考としての柔軟さと複雑さを両隣に繋いで認識させてくれるような面白い本。

お勧め。

 

 

 

第1位

『欲望について』

欲望について

欲望について

 

「欲望って何?」

なんてことは、身近にある分返って日頃には考える事のないこと。

でもよくよく考えれば、これは実に摩訶不思議な存在であり、「高僧が『欲望をなくすのが目的』、なんて言えばそれもまた欲望だよね」なんて風にも思える面白いブラックボックス

こうした老若男女、誰であろうとも問うことができ誰にとっても掴みどころの難しい、このシンプルかつ究極的な問いにひとつ答えを出そうというのが本書の目的。

すると内容には意外にも哲学的なことだけじゃなく、社会学や生物学的な側面からも「欲望の正体について」を炙り出そうと考察していて面白い。

 そこから見えてくる「欲望」の本質とは?

言ってしまえば、まさに人間そのもの。寧ろ「欲望」を「人間」と呼称してもいいのでは?と、そんな気すらしてくる刺激的な内容。

思えばなるほど、人間というのは少なからず欲望を抱いているからこそ動くのであって、「清潔で居たい」や「常識に沿いたい」という「欲望」が全くなければ糞尿をその場で放出させる事も厭わない!かもしれないのだから。

もちろん、欲望には顕示欲や地位欲など社会的な物もあり、相互関係によって生まれるものも多々ある。

「では欲望の連鎖の根源には何が?」

といったことを重視するのではなく同時に、その欲望の連なりになっている鎖に注目する点もまた本書の特徴的。

「欲望の発生するメカニズムについて」

ではシステマティックに見方を定め、人の欲望の発生条件からパターン化された一連の流れについても解き明かし紐解いていく。これは脳科学的、神経科学的とも言える手法も用いていて、「経頭蓋・磁気刺激装置(トランスクラニアル・マグネティック・スティミュレーター)」といったもので脳の作用部分を観測できるそうで、これにより「選択は意識的かつ合理的なやり方ではなされないということである」ことが判明。

あと決定理論についても解説していて、「意思決定に使える四つの異なる原理」を紹介。しかし「それらの原理自体、互いに矛盾している」とのことで面白い。

「マクシミン原理」*5だろうが、「マクシマックス原理」*6を用いようが、「どの原理を使うかの決定自体、決定論が私たちに勧める選択に影響する」とのことで、バイアスがかかるとのことでまさに自己矛盾。

あとアントニオ・ダマシオの研究としての「理性的だが、情動を持たないことでの苦境」は感情の存在理由を証明するようであり、「情動能力のみ減少すると合理性は確かに増すが、答えにはたどり着かない」という衝撃的とも言える結論はモチベーションの重要性を説いたとも言える。

あとヒュームの引用には他に「理性は情念の奴隷」といったことを取り上げており、そこでの啓蒙深い言葉がこれ。

私の指が傷つけられることより、世界が破滅するほうがいいと思うのは、理性に反していない。私にとってまったく未知の人間のほんのわずかな不快さを避けるために、私自身の完全な破滅を選んだとしても理性に反してはいない。

 

ウィリアム・ジェームズは「本能行動は、動物の好き嫌いによって引き金が引かれる」と考える理由は、「本能行動とは複雑な反射行動に過ぎにない」とする見方からで、還元的でありながら合理的にも思えたり。

 

あと面白いなと思ったのは進化の不合理性について、

 進化とは最適とはいえないデザインを作ってみせる。例として、人間の網膜の「裏返し(インサイドアウト)」デザインは、血管と神経が光受容体の上に配置され、光の通り道を妨げている。この配置はまた、網膜が剥離される確率も高くしている。

 

本書では、人の欲の源を生物学的に分析し、それを「生物的誘因(バイオロジカル・インセンティブ)」(通称BIS)として、このBISについて大々的に語っているのも本書の特特徴的。しかしこのBISは「インセンティブ箇条」として、「組み込まれ方によって決まる」と神経科学的な意見としては「決定論」的ながらも、そのあとには「変更も」と希望を匂わせ、すると今まで「不快」だったものが「快」になる可能性もあるという。インセンティブに基づく行動とは、環境の影響も大きく作用し、しかし強調され注目すべき一文は「効果を持つのは、それが人のBISを考慮に入れ、利用するときだけ」という意味深な部分だろう。

「選択は因果関係に基づいて決定される」とはBISを持つことの意味についてで、「それによって私たちがプログラムされた反射的行動とそれによる制限を越えられるということに尽きる」この文もまた重要に思え、BISを超えるとは平易に表現して真の「自由」をあらわしているようにも思えた。

つまりそこから「選択する」のではなく「選択する幅を広げる」ということに。

あとブッタの四諦についても欲望と関連して取り上げていたり、

ある人が言ったという

いくら悟りをひらいたところで洗濯をしなければならないし、ゴミを出さなくてはならない。

というは必然ではある。

「欲望」とそれに対する脱却といえば高僧の成せる業!と思われようが、そういった観点からも「欲望」への対処方法を考察し、

父さんは禅の導師でしょ。なのにその執着ぶりは何なのさ。

という、禅の導師が息子に言われたというこの言葉もメタ的で印象的。

ショーペンハウエルは「制限はつねに幸福に向かう」と言い、エピクロスは「黄金の長いすで豪華な食事を前にしながら、頭の中は悩みでいっぱいになっているよりは、藁布団の上に寝ていても恐怖から自由であるほうが良い」と説く。

あと本書では終盤に、「欲望」から切り離されて生活を全うできた”愛すべき変人”たちも紹介。その中には樽で暮らしたというかの哲学者ももちろん紹介されており、

「どうして哲学者は恵んでもらえないのか?」という問いに対する彼の答えがウィットで素晴らしい。曰く、

「みんないつかは不具者や盲人になるかもしれないと心配しているんだが、いつか哲学者になるなんて誰も予想しないからね」

 

あとはデビット・ソローなども紹介され、慎ましさの重要性をソローはこう説いた。

ハーブを栽培するように、貧しさを育てなくてはならない。ちょうどセージを育てるように。

 

 

本書では締めの言葉に老子を引用し、

足るを知らざるより大いなる禍いはない。

はいくら時代を隔てようが、活きる言葉であり活かすべき箴言

あと思うのは、この本を読めばわかる「なぜ哲学が必要か?」

その答えとして「幸福になるため」があるのでは?と単純にも思わせた。

それは「欲望」の本質を知らしめ、絡みつくBISから脱却させるためとしての。

 「欲望」それ自体は決して悪ではない。

「欲望」それ自体がなければ、我々は何も行動をせず、生きる事さえ止めかねない。

それでも「欲望」の従者となる人生は幸せと言えるだろうか?

「欲望」こそ人を生かし、人の生きる理由の根源に「欲望」があるのなら、人生の意味を持とうと思えば根源を探り、知ろうとするのは当然のこと。

本書は「欲望」について説き、それは同時に「人生」についての理解を捗らせてくれるものであるのは間違いない。

人間ならば、一読するのはお勧めの一冊。

 

 

*1:しかし感染の原因は今のところ不明とのこと

*2:尤も、生態認証としてはその偽造の難しさ、一固体とすることが逆に脆弱性でもある。

*3:そのひとつとして、『暗号化や複合化に「べき乗剰余計算」を行い、式としては「S=Yxmod N」で、Yが入力データ、xが秘密鍵、nが公開鍵で、暗号化を解除するのに用いる鍵をxとnに代入して「べき乗剰余」を計算する。消費電力が処理するデータに依存することから、データを補助計算機(コプロセッサ)に転送する場合、データは大変に大きく一度に転送できず、複数のブロックに分けて転送。すると対応する電力消費のパターンは、ブロックごとの消費電力を時間順序に並べたものに(消費電力のパターンから)。これでxが推測できる』とのことで、これがRSAに対するSPAの方法

*4:雄牛の背中に乗せてもらう換わりにその「牛の肉を食べない」と少年は牛と約束するが後日、母親がこっそりその牛の肉を少年の料理に盛り、肉を食べてしまったことで逆に少年が牛に食べられるといった不条理的な因果を

*5:ゲーム理論における合理的選択の基準の1つ。 戦略を決定するに当たって、各戦略の結果で最も利得が小さい場合同士を比較して、その中から最大利得が可能な行為を選択する行動原理のこと。

*6:とある状況下での選択肢から、利益が最大化する可能性がある行動をする戦略のこと。