book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

6月に読んだ本からおすすめ10冊を紹介。

6月に読み終えた本は30冊。

その中からおすすめの10冊を紹介!

 

 

第10位

『カントはこう考えた―人はなぜ「なぜ」と問うのか』

カントはこう考えた―人はなぜ「なぜ」と問うのか (ちくま学芸文庫)

カントはこう考えた―人はなぜ「なぜ」と問うのか (ちくま学芸文庫)

 

アンチノミーについて、よくわかってくる一冊。

二律背反って何なのよ?と言った疑問が一応にも解決する本書は、しかしその解決案を出すのがカントの思案によるものであって、脚注として<カントによる解釈です>とは付け加える必要が現代ではあるであろう内容。

本書はそして「なぜ」と思うのは何故?といったメタ感つよい疑問に対しても、その答えに迫るものであって、疑念それ自体の追求をしようというのだから概念として面白い。けれど打ち出す解答は多少の詭弁さも装っていて、奇矯ななぞなぞじみた問題に「そんなんあり?」と思わせるのだからまるで西洋の一休さん

特に「問題を別角度から眺める」といった意味では共通さは大いに感じ、

「メタ的に景観を眺める術について考えさせられる」

と言うのはもちろのこと、個人的にはやっぱり言語的な、言葉の問題が問題なのでは?と循環的にも思ったり。

 

でもまあ、言ってしまえばカントがアンチノミーとして示す矛盾も、実際にはそれは存在せず、思弁的な事象に対する思弁的思惟に対してそびえる矛盾。

なので、その矛盾に先立つ前提もまた勝手に作ったいわゆる「俺ルール」。

よって「じゃあ俺ルールを見直せばいいのでは?」となるのは必然な気も。

それでも矛盾を解くための手法も過程もダイナミックかつ、謎としての矛盾の解消には「ああ!なるほどね!」と一種のミステリー作品の解決場面を見るようなカタルシスがあるのでおすすめ。

 

 

第9位

『胡桃の中の世界』

その啓蒙というか、著者の知識量がすごいなと感嘆する一冊。

まさにトリビア的。

内容としてエッセイ調。

ただ各々どれにおいても西洋文化や史実からの考察は鋭く、文化人類学的にさえ思える記述の数々、引用も多くてマニアックな知識の宝庫であるのは確か。

紋章学、なんてものの考察なんかもあってイコン的、すなわちシンボリックなものとしてその総体に迫るなども。

そしてシュルレアリスム的な作品に対する言及などもあって、そうした独創性におけるパリの独自性とは?ということまで論じれば、果てに行き着くはそこでの物語性についての解説。

それがいわばユングの唱える「アニマ」を表現したもの、というのもそれまでのじっくりとした解説を読めば納得で、なるほど男は誰しもが理想的かつ夢想的な女性像を描くのであり、まさにそれを言葉そのままに夢の中において描くのだから直接的。

と、こんな風に膨大な知識を駆使して帰納法的にも各エッセイで独自の主張を行い、そこに見せる説得力は甚大。 その熱量もさておき、凄い本。

 

 

 

第8位

カタロニア讃歌

カタロニア讃歌

カタロニア讃歌

 

 ジョージ・オーウェルによる一冊!

イギリス人らしいユーモアも満載の体験記であり、参加したのは戦争ながらも特筆すべきは「全然戦闘がなかった」ことを余すことなく記録している点などもまた面白い。

さらに装備のずさんさや実際の戦場での日和見ったような相互の姿勢など、「戦争にはこういうものもあるのだな」と改めて思い知らされる。

戦争といえば、血みどろの戦いや残虐な行為などばかりがクローズアップされがちで、しかしこうした実際の体験記を読むと、それこそ本当に人間らしい人間そのものが描かれていることに気づく。

 あと直接的な戦闘がない時分においても生じる同胞の怪我は、おおよそが事故でそれも自己的なものが大半というは、普及された銃が旧式すぎるといった点も含めてユーモラス。

他にこの戦いを「戦争ではなくたまに人が死ぬ喜劇オペラ」といった表現は(オーウェルによるものではないが)ここでのみでなく、あるひとつの戦場としての実際を的確に表現している言葉では?と感じたりもした。

オーウェルといえば名作『1984』や『動物農場』が有名だが、ジャーナリストとしても活動していただけあって、ノンフィクションの出来栄えもすばらしい。さすオウ!と言えるほどには面白い体験記ではあった。

 

 

第7位

トマス・アクィナス――理性と神秘』

トマス・アクィナス――理性と神秘 (岩波新書)

トマス・アクィナス――理性と神秘 (岩波新書)

 

トマス・アクィナスといえば神学の体系を啓蒙させようと書物を多く出版したのが特徴的で、その思想をわかりやすく解説しようというのが本書。

意外だったのは、キリスト教徒は勝手な先入観として「禁欲を促す」ものであるかとおもっていたのだけど、トマス曰く「強制的な禁欲は人間の自然な姿とは反する」として、ガチガチの禁欲を咎めている点。

 その他にも現代にも通じる合理的な解釈が紹介されており、トマス・アクィナスをよく知らずいた時分での先入観では「時代遅れの神学なんて知って意味あるの?」なんていう懐疑的な姿勢で居たのが読了後にはきれいに崩されたほど。

 むしろ読めば「どうして現代においてもトマス・アクィナスの研究がされていたり、引用されているんだろう?」とした疑問が溶かされた心地であって、現代に通じる合理性な考え方は逆に人間のほうの変化のなさを感じさせたりもしたけれど。

 本書を読めばキリスト教に対する理解が捗るのはもちろんのこと、

その内での ”中庸”の推奨さについても理解でき、勉強になる内容。

 ほんと正直読むまでは「時代遅れ神学の論説の垂れ流しなんじゃないの?」なんて思っていたけれど、実際には現代にも通用する啓蒙さを備える論説群の解説。

意外と面白かった。

 

 

第6位

『個性の生態学―動物の個性から群集へ』

個性の生態学―動物の個性から群集へ (生態学ライブラリー)

個性の生態学―動物の個性から群集へ (生態学ライブラリー)

 

 内容として、生態における”個”に注目しようとするもので、そこでの個が全体を当然指し示すわけではないものの、そうした個が示す全体に対する影響についてを探ろうとするのが表題にある「個性の生態学」。

なかなか刺激的にも感じる内容で、そして読み方によっては還元主義的に感じたりも。

作者の立場として、慎重でありながら夢想的にも個体群による研究が全体へ及ぼす影響についてなども語り。今後の展望も述べていたのも特徴的。

長くはなりそうなので、他の場所でもっと掘り下げて感想をまとめようかとも思う一冊。 

 

 

第5位

『いつも「時間がない」あなたに: 欠乏の行動経済学

いつも「時間がない」あなたに: 欠乏の行動経済学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

いつも「時間がない」あなたに: 欠乏の行動経済学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

 ぶっちゃけて言えば、表題とはあまり関連性を感じさせない内容。

 けれど、それでも中身として悪くない。

本書は主に「欠乏」についてを語る内容で、扱う欠乏は金銭ばかりではなく心の余裕についてなどでもあって、むしろこちらがメイン。

「欠乏」の弊害についてを雄弁に語り、思考力も貧困などのような欠乏状態に陥るとその性能がぐんと落ちてしまう、ということを細やかな実例や巧みな比喩で解説。

するとたとえば要領悪く動く人が居たとして、その人の事情を何も知らずに見れば「要領悪いなあ」と行動を見たままに感じ取ってしまうが、実際には「状態」が悪いのであって、「当人が本当に要領が悪いわけではない」ことを示し、その理由も論理的にも理解させてくれる。

他にも戦闘機における事故の「責任はパイロットでなくコックピットにあった」という話は比喩としても優秀で、なるほど事態の改善には普通、その当人つまり人間を改善することを目指そうとも、環境の変容を目指したほうが効果的なこともあるのだと。
これは慧眼的かついいアドバイスで、自分を含め周りに対する見方も変わる一冊ではあるので、できるだけ多くの人に読んでもらってこの内容を共通理念として持っていてほしいなと思えたほどの一冊。そして欠乏がもたらす弊害とは万人にありうるものであって、責任や原因の追及としてよく題に挙がる「環境か当人か」の答えとしての、一つの明確な答えを示すようにも感じた。

 

 

第4位

『科学にわからないことがある理由―不可能の起源』

科学にわからないことがある理由―不可能の起源

科学にわからないことがある理由―不可能の起源

 

「科学にだって、わからないことがあって当たり前じゃん」

そんな風に思えていたけれど。 

「わからないことがあるからこそ、今の科学が成り立っている」という本書からの言葉が何気に衝撃的かつ印象的。

個人的には7章でのタイムとラベルに対する逆説への考察が面白く感じた。

そこでは反論者における、定義付けられた定義(本書内の言葉で言えばまさに「メタ言語」を用いられていないといえる主張であり、平易に言えば”親殺しのパラドクス”に対するメタ的な不備さ)を逸脱していないあたりに、実際、重要な事柄が隠されているようには思えたりも。

あとは選挙等における非推移について、つまりaよりb、bよりcであるとしても、cよりもaになるわけではないとするその理由と仕組みについて等は印象的。

本書は、「科学には絶対的に未知なることがある」として科学の限界を悲観的に語るのではなく、むしろ肯定的に語る姿勢がとても印象的!

実際には「科学にとってわからないことがある理由」をメタ的にも解説し尚且つ、それがとても重要であり必要不可欠なものであるのだと(ある意味「0」のように)解説、丁寧に教えてくれた良書。

不可知なことがあるからこそ、科学が発展する、という意見はもとより、それがあるからこそ成り立ちがありまた合理的知性が成り立っているのだなと改めて思うにと感慨深くなる。

 

 

第3位

『記号創発ロボティクス 知能のメカニズム入門』

ロボットに心は生まれるのか?

こうしたテーマに対し、哲学的にも技術的にも迫る刺激的な内容で面白かったー。

そもそも”心”なるものを研究するのが難しいのは、それ自体が未だにしっかりと定義されていないからであり、類推的にも”心”としての存在を捉えようとするにしろあくまでそれは類推的。

よってまずは「心とは?」としたものを哲学的に考察。

そのあとには実際に使用されている”心の動き”としてAIに用いられている技術についてを解説。その技術自体、シンプルに紹介しており類推的にも集合を使用しての分類はわかりやすい。

 

要は「数理的にもアルゴリズム化可能!」として実際にその手段や方法も開示し、分類わけとしてはジャンル分けのように感じ、その平均や中心からのずれから算出し(k平均法というシンプルな方法でも可能とのことで)、そのズレ具合から対象群を選別。

判別していき最終的な評価の位置において個々の区別をするという至ってシンプルな方法だと思う。

しかし原理的にはこれでも「人間的な認知」としての状態を作り出すのは可能で、クラス分け的にも思えたのでまるでデータベース的かなとも思う。

あとは認知学的な側面も、心を理解する上では当然重要であって、そのため認知科学記号論的な側面やその解説もあって複合的な勉強になる内容。さらに記号論として、言語に偏りある用い方としてのソシュールによる記号論と、そのほかの記号も含む全体的な記号論についての記述もあるので言語学的としても記号論的な内容も学べられるお買い得さも含有。

そして後半には、表題にもある「記号創発ロボティクス」についての解説も。

そこでは科学的な見方や例の「フレーム問題」に対する解答なども!あって面白い。

あとはユクスキュル『生物から見た世界』の内容からの概念を大いに用いていたのも印象的かつ特徴的に思え、ユクスキュルが用いていた「環世界」として、「閉じられた」系として人間の認知を定義、しかしそうした「閉じられた」状態でも外部からの影響によって十二分に可塑性や成長とされるものは可能であるとAIによって証明してやろうという取り組みについての記述もある。
AIの可能性について勉強になる内容であり、不可思議であり未だ不明瞭といえる”心”という存在それに対しての理解も進む一冊。

ある種、還元主義的な内容ではあって、数理的なアルゴリズムによって処理される判断力は、それ自体として区切って捕らえれば「はたして自立的な思考があるのか?」区分の難しいところも感じさせてはまさに中国人の部屋的にも思えたり。

心とは?とする捉えがたいこの概念に対し、興味があるのであれば大いにお勧めできる一冊。

 

 

第2位

実存主義入門』

実存主義入門

実存主義入門

 

 ロバート・G・オルソンによる実存主義を解説する一冊。

「ロバート・G・オルソン?」と正直なったのだけど、読んでみるとこれがまた濃厚。

かつ至極丁寧な実存主義への解説で、知らぬ存ぜぬでも反芻して読み進めていけばその思想の特徴、風潮、派閥から枝分かれした思想についてまで学ぶことが可。

 あと分かりやすいなと思えたのは、サルトル実存主義についてをハイデガーの唱える実存主義と比較して表していた点によるもので、二人の対立する実存主義それの主張によって相応の特徴が浮き彫りとなって理解しやすく感じられた。

 ただサルトルのほうが一般的にいってより悲劇的、厭世的であってそれはしかし、よりメタ的にも思えたり(それが概念自体を否定的に見るといった意味において)。

そして本書の大きな特徴は、「実存主義とはなんぞや?」としてサルトルなどこの思想を提唱した人物たちにスポットを当てて解説していくのだけど、その解説内において「○○の部分に誤りがある」など著者がその考えに賛成、反対としての姿勢を取る点であって、たとえばサルトルに対しては「それは単に存在論サルトルの意見としての前提が間違っているだけ」なんて風に鋭く指摘する等も。

日本での同様の本、哲学の解説書などでは「この人はこういったことを主張しました!」ということをそのまま解説するのみであって論駁やら問題点の指摘には乏しく、言ってしまえば挑戦的姿勢の乏しさこそ目立つような気がしていたので本書のこうしたスタンスはある種斬新で、そこも面白かった。

 

 

第1位

『時間と自由』

時間と自由 (岩波文庫)

時間と自由 (岩波文庫)

 

ベルクソンによる哲学書

これが思いのほか面白かったので紹介。

内容としては個人的に要約して言ってしまえば「時間感覚における量と質としての錯誤について」。

質化できないものに対する数量化、その誤謬を指摘するものでありなるほど感覚とは実際、割り切れるものではないのだとよくわかってくる。

すると感覚野にかかわる感覚とそれとして数量諸現象すべてもまた、実際には(それを”実際”と表現していいのかはまた疑問をはさまれそうではあるが)閾値としての量的なものが「連続でない可能性」を示唆され、これには「なるほどぉ!」と思わず唸ってしまった。

 

思考の鋳型とでもいうような、考え方による空間と時間との関連性と、連続ならぬ連続性についての指摘はハッとするよりかは同意感が強かった。

というのも「そもそも時間って本当に1次元的なもの?」と疑問に思うこともあったためで、

本書における指摘ではそうした点、つまり”時間”の”存在”それ自体の存在性についてを考察し、時間の性質についてを人間の精神性から着目して指摘するものだから。

 ほかに本書ではカント批判なんてものもあるのが特徴的。

 そして本書は読むと、身近にして遠く、捕らえようとすれば遠のく「時間」その存在自体がまたアンチノミー的とさえ言えるであろうこの摩訶不思議な「時間」についてを考察し、新しい「時間」の捉え方を提案してくれる。

それは普段、人はみな「時間に捕らえられている」として生きているが、それこそ「本当だろうか?」と疑問を投げかけることで、「時間から自由になれる」。

とまで言ってしまえば大げさながらも、「時間に対する自由」とはつまりそもそもの見方が誤りがちであったのだと気づかせてくれる。

それが「質」と「量」の違いについてであり、事象に対する人間的思惟の特徴もまた同時に感じられてくる一冊。

 

少々難解的や、冗長的に思えても、言わんとすることは案外シンプルなので、そうした部分をちゃんとキャッチすればスッと理解は捗る内容。

読んで噛み締めて理解をすれば、今までに見えないものが見えてくる。

それは概念的はことであるけど、心が現象化するものであるため「時間」は現前化して感じ得る。

ある意味、時間に圧制されている人にこそ読んでほしいような本。

時間に対する概念が広がる(二重、三重の意味でも)のでお勧め。