ふと観た『ミスター・ノーバディ』という映画がなかなか味わい深かったので、その感想や気になったことに対する備忘録記事。
今回の記事にはたっぷりとネタばれが含まれているため、
これから視聴するぜ!といった方にはこれより先を読むことは非推奨とします。
ちなみにどんな映画かといえば、あらすじとして
もしもあの時、違う相手を選んでいたら・・・。
衝撃のパラレルワールド!
ひとりの男が語る、いくつものストーリー。
ミスター・ノーバディ(=誰でもない男)が本当に歩んだ人生は?
人生における幾通りもの可能性と愛の物語。
とまあ、昨今においてはなじみも深い多世界もの。
ただ本作品を視聴後、特に気になったのはこの映画の解釈の仕方について。
視聴後、本映画の感想を検索して目を通していくとおおよそが「多世界解釈」やら「量子力学」としての見方を主としてレビューしているのだけど、実際それは違うのでは?と思えたからだ。
というのも本作の流れとしてまずはじめに、
”舞台となる2092年においては、医学の進歩により人々は不老不死を謳歌している”
という設定があり、主人公は人類最後の老衰死者になろうとしていた。
そこでの主人公は高齢のため記憶が定かではない*1として、医者が催眠術を用いて過去の記憶を引きずり出そうと試みる。
その後に展開される物語子とまさに上記のあらすじにあったような、
”ひとりの男が語る、いくつものストーリー。”
であり「もしもあのとき、別のパートナーを選んでいたら?」
とする内容のもの。
本作品では非常に重要なキーワードとして『時間』を取り扱っており、
そのため過去の時間をやり直すには?といったことに対しての多次元的解釈における可能性などについても直接的に解説するシーンがあったりと(簡単に言ってしまえば「わたしたちの時間って過去未来への一直線で一次元的だよね?でもそれって、次元を拡張すれば時間も2次元性にもなるのでは?」という話)して、要するに何が言いたいかといえば、
量子力学的多世界解釈(超弦理論込みの)的に観れば、選択肢から生じる数多の世界を可能性として存在させるのって可能だよね!
として物語を展開していくのだけど、個人的な疑問点はまさにそこである。
なぜ?かといえば、それは上記にも述べた最初の展開を思い出してほしい。
医者が催眠術をかけるのだ。
実はこれが、大変な伏線(というか、直接的であるので伏せてすらいないかもしれないけど)であって、実は多世界解釈に見せかけた多世界解釈なしの物語なのでは?ということ。
どういうことか?
ここでもポイントは時間。
そして、隠されているより重要なポイントこそが『記憶』。
まわりくどいので結論を先に言ってしまえばこういうこと。
つまり、この映画で展開される量子力学的多世界の可能性は、実は主人公が作り出した偽りの記憶であり、多世界に見えるような世界こそ実は記憶の錯誤によって己が「事実」であると信じている「偽りの記憶」に過ぎない、ということである。
よって本映画は「量子力学的!」なんていうよりかは実際、「脳神経学的」としたほうが適切に思え、シュタインズゲートのような多世界ものというよりかは『遊歩する男』のような、脳の作用における状態がもたらしたものであると解釈するのが正しいのでは?と思うわけだ。
それこそ、こうした推察の位置づけとしては最後の落ちの部分も重要に関与しているからであって、さすれば最後の終わり方もあの展開もまた腑に落ちるためである。
最後の展開にあった「パートナーとしてアンナを選ぶ」というシーンもまた、実際そうしたルートの人生を選んだのではなくほんとうは数多作り出した記憶の中から自分が「これを真実にする!」と作為的に分裂した自分の記憶のうち自らが「本物の記憶」の判を押したに過ぎないのではないかと思う。
本映画は『時間』をテーマに、数多の時間の可能性があれば?というのを表現するのだけど、見落としがちであるのは「それって主観に限るのであるなら、現代においてもできることだよね」ということであって、時間が記憶を作るのだけど、記憶は必ずしも時間を必要としないのだから。
無論これはひとつの見方であって、これが正しい!というわけではないのだけど、こうした見方があっても面白いのでは?と思ったのでここに綴る次第である。
ただ本映画はとてもよくできている映画であって賞賛し甲斐のある映画であるのは間違いない。
だから興味ある方はぜひとも視聴を!とネタばれになるのでは未視聴は帰れ!と初っ端に言い放ってからのこの締めの言葉である。
よってここでの逆説的な行為を取り消す方法はひとつ。
”今回の記事にはたっぷりとネタばれが含まれているため、
これから視聴するぜ!といった方にはこれより先を読むことは非推奨とします。 ”
この文章を書いたのは、一番最後である。
つまりこの映画でもそうなのだけど、時間とは言ってしまえばこのようなものなのだ。*2