book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

8月に読んだ本からおすすめ10冊を紹介。

昨今、忙しくて停滞気味の更新…。
そんなこんなで今更になって8月の情報を。
 
 
 
8月に読み終えた本は31冊。

その中からおすすめの10冊を紹介!

 

 

第10位

『閉じ箱』

閉じ箱 (角川文庫)

閉じ箱 (角川文庫)

 

短編集。

表題作『閉じ箱』はミステリーにおける可能性を無限論と不確定性原理 によって思弁的に示そうとする作品でSF好きには好まれそうな作品であり個人的にも好みな作品。

ほかには『闇に用いる力学』などが印象的な作品だった。

ただ収録作としては似たような展開が多く、オチが読みやすかったという感もある作品集。それでも後半にかけて載せられている作品は良質で、最後に収録されている「仮面たち、踊れ」はぐいぐい引き込まれる展開であって効果音やシルエットをつけるサウンドノベルなどにしたら栄えそうな感じ。

序盤微妙、中盤から面白いなと思える作品がぽつぽつと現れ、なかなか気持ちよく読み終えられた一冊。そしてこれらはなかなかジャンル分けが明確に付き難い作品ばかりなのも特徴的に思え、ミステリーというよりホラーもあれば阿部公房のようなSFもあって楽しめた。

 

 

第9位

ドグラ・マグラ

夢野久作全集 4

夢野久作全集 4

 

 日本三大奇書小説と称されるこの作品。

気にはしていたものの購入後には結構放置しており、 この都度いよいよ読んでみた。

すると想像とは内容が違うことに多少驚き、内容としてカルト一辺倒かと思いきや実際の内容としては推理小説のジャンルで驚いた。

これは精神科医的な話であり、 そして唯物論に反駁しようという展開であるのだと。

感想はちょっとネタばれなので、そういったものを気にする方は下記の文章無視してほしい。

そこでそうした方向けの一言感想、「この小説は推理小説です。ただし推理するのは文章です*1

 

以下、ちょっとネタばれ感想。

そのうち”世の中はみな狂人”としたテーゼ性が特徴的かつ序盤、後半として個人的に特徴的と思えたのはその空間性であり箱性であっておおよそ閉じられた場所においてほぼ 語り口にて展開されるという構成。そこでの「胎児の夢」などをはじめ、受け継がれる意思的な記憶をキーワードとして挙げており正直最初は「これって単にDNAのことでは?」と思えながらも読む進めていくとこの作品での主張である意思や記憶などの乗っ取り的ともいえる過去の記憶の回帰はなるほど、昨今の作品にも見られるものでありそうと思えば昨今においても多少通用する普遍的な概念なのでは?

あとやはり特徴的なのは二点三転する展開であって、作者目線であれば寧ろそれは推理小説としてのひとつのミスリード的。

多少のメタさも感じつつ終盤に収束を見せる整合性など見事だなと。

そして古事的な文章から の設定なども入り組んでおり完成度として凄いなと改めて思う。

ただやはり文庫本での表紙における禍々しさとは多少なりとも違う内容に思えたのも確か。

それは思いのほか分かりやすかったためでもある。

あとはあまりの思弁的さにチョコレート殺人事件との類似性を感じたりも。

 

 

第8位

『黒魔術』

黒魔術

黒魔術

 

 現代的にも黒魔術を解釈。解説。

「魔術についてを真剣に語るなんてやベーやつじゃん」

みたいな先入観があるとしても、本書の内容としては論理的。

というのも”魔術”といった概念そのものが、そもそもひとつの形で示された論理形式の一端であるからで、「それは因果関係と相関関係との誤解では?(もしくは相関すらもないのでは)」と思われようとも、ならば現実としての現状としての状態。

それがはたして”必然”であると、どうして言えるのか?*2

 無論、それは実際に”そうなっているから”に他ならず、人々は自らの現状から推論し、状態における必然性を考える。

 ”魔術”としての考え方もいってしまえばこうした考え方には近く、知性のとしての形式性としてそれが”科学的”でないのは当然、再現性のなさにあるのでありオカルティックにも突拍子もないように感じられるのは、ひとえに言ってしまえば「体験したことがないから」である。

でもこれって要は悪魔の証明のようなもので、あるがないからないとも絶対的には言い切れない。

 

こうして綴ると「じゃあ魔術ってあるというの?やべーやつじゃん」と思われそうなので、言いたい事はそうじゃないとの一言を添付する。

本書ではつまり、「魔術がある・ない」の話でなければ「魔術を行う方法」といったハウツー本でもない。

内容として、「魔術とは、こうした論理形式によって展開されていますよ」という、魔術の存在性を是非とした昔の知見からの認知形式についての解説を行うものである。

よって本書を読めば、ゲームやアニメでよく見られる「詠唱」といった行動などの理由も理解でき、

「なるほど、詠唱という行為にはこうした合理性があったのか!」

と成り、ちょっとした目から鱗状態に。

 

 あと有名なスフィンクスの問答に対しての答えについて、魔術師的な答えは「人間」ではなく、「○○○」というのも面白く思えたり。*3

 

 

第7位

『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』

「みんながこれを読んだら世の中はもっとよくなるであろう本」というのが増田ダイアリーにあって、その内に挙げられていた一冊でもあり感化されて読んだ一冊でもある。

そうして読んでみるとまず面白い。

確かに本書のテーマには、現代に対する一種のアンチテーゼ性を色濃く感じ、同時にこれ がアメリカを舞台とし聖書の教えを重要とするという環境の中で生まれた事にこそ意味のある作品なのでは?とした思いも読んでいてふつふつ湧き上がって感じ、同時にユーモア要素もたっぷり。

なるほど確かに聖書では「他人に優しく」と説きながらも本当に利他的、困っている人になんの見返りも期待せず要求もせずに「はい100万円」なんて渡されれば、私たちはつい疑ってしまうはずだ。

「この人は、どうしてこんなことを?」

それも赤の他人に行えば「頭おかしいのでは?」と思われること請け合いだ。

本人はただ純粋に、善行を行っているだけなのに…。

 

面白いのは、そうした理想と現実の縮図を主人子とその父親でミニマムにも描いていることであ って、実にわかりやすいアナロジー化。 あと本作品でもやはり、ヴォネガットらしい巧みで粋な文藻は印象深く、何気ない表現で所々に輝きを見せる。

すると印象的だった表現は、登場する詩人の手紙にあった「批判も自分が表現したいことに対しての批判であるならば、それは自分にとって快い歌のように聞こえるだろう」といったものや、 あと戦争での大砲に吹き飛ばされて死亡の表現を「ハンバーガーになった」というのは大好きな表現。

正直、大いに笑った。

 

 

第6位

シリウス

シリウス (ハヤカワ文庫 SF 191)

シリウス (ハヤカワ文庫 SF 191)

 

 ステープルドンによるSF小説

内容としては「高度な知能を持った 犬の話」であり、そこからどうなるかと思いきやそれだけの話だった。

ただ読んでいて思ったのは、自己としての概念、確固とした精神であるところの存在に目覚めた際には それを『霊』と呼び、少々の宗教的意味も含有させながら も、それを『魂』的な意味も被せている点においては「攻殻機動隊の”ゴースト”の元ネタなんかはここからでは?」等と思えたりも。

 

そして本作が「哲学的」と賞される理由についても読めばよくわかり、犬という目を通して人間 の不条理さや偽善さを描くものであって、同時にそこで魂や精神について物語るまさに思弁的な作品であって、これこそ「サイエンス・フィクション」ではなく「スペキュラティブ・フィクション」と呼ぶにふさわしい作品!

あとは個人的にはシリウスの口調が好きであって、直訳的な丁寧語を喋るところも好き。

 

  

第5位

善の研究

善の研究 (1979年) (岩波文庫)

善の研究 (1979年) (岩波文庫)

 

 西田幾多郎による哲学書

出版当時として哲学書にしては珍しくベストセラーにもなった一冊らしく、んでみるとこれが思いのほか面白い。

序盤から終盤にかけては唯物論の解説や意識としてのあり方を説く構成であってそれは寧ろ西洋の哲学のまとめ的内容に思え、しかし終盤となると独自の思想がどっとあふれ出す。

それは特に宗教についてを語りだす時分から色濃く感じられた。

 

特に「愛とは統一である」という主張にはハッとさせられた。

というのは、なるほど本書を読むことによって著者が西洋哲学によって養った概念から創出された「神」その存在性とその存在場所についてを語り、同時に、著者にとっての「神」とはどのような存在であるのか?をその文脈から理解できたからである。

故に、これはひとつの自伝的趣も強く、一人の人間が「神」なる概念を理解するまでを綴った叙述史のようなものでもある。

 

個人的に印象深かった点は「スピノザが神を無限の存在として考えていた」この事を解説し、すると

のこのスピノ ザの言う「無限」が何を意味していたのか?

本書により、この意味がより明確に理解できた事。

「無限」それが内面的な存在でありそれが究極たる「質」を示すのであり、スピノザの言う「無限」とは実質提愉であったのだと。

 

本書、西田幾多郎の主張として特徴的に思えたのは「一は全」とする姿勢。

そこでの神の存在をまた、絶対者でなく己のうちにありそして己自身であると。

そしてその内面に在する神こそ表題作の「 善」につながるのであり、内なる神こそが善を創るのであ って(そのため前章では直感的な倫理などについてを解説 )、「その神に従い善を成すのではなく寧ろその神との統一を目指すからこその行為である」とだという理由付けはわかり やすく意外なほど納得し易い。

故に神とは統一であり、人類愛とはすなわち「統一」を目指し他者他物に対する愛もまた、相手との「統一」をなすことによって生じる 、相手を時分として捕らえることで芽生えるものであるのだと*4

 

  

第4位

『笑い』

笑い (岩波文庫 青 645-3)

笑い (岩波文庫 青 645-3)

 

 ベルクソンによる一冊で、読みたいと思っていた本。

そうして読んでみるとなるほど、印象的な「笑い」に対する指摘は数多く、まずは精神性と肉体との乖離から直ちに引き戻されることによっての空間的ギャップ。

その笑いの構造については経験則にも納得し易いもので、次には「 ひっくり返し」による笑いもおおよその人が納得できるであろうもの。

というのも、これなどは昨今の日本の笑いやコメディ映画においてもよく見かける仕組みであり、

『泥棒が泥棒に遭遇する』

などは分かりやすい例。

そこでの印象深い文章「或る喜劇的場面がしばしば反復されると、それは”カテゴリー”あるいはモデルの状態になる。それは我々を面白がらせてくれた理由とは独立して、それ自身だけで面白いものになる。」といったもので、吉本新喜劇のお約束と見れば理解は容易であり、昨今においても十二分に通ずる仕組みである。

あと「系列の交叉 」に関する笑いについてなどはまさに慧眼的で、これなど昨今の「小説家になろう」をはじめとする異世界物へとまさに当てはめられる考え方であり、現実世界との生活をまさに交叉させて描いているのだと。

言葉の笑いについての指摘では 、

「不条理な観念をよく熟した成句の型の中に挿入すれば、滑稽な言葉が得られる」

この形式は、笑いにおいてなかなか重要に思えた。

 

他に、社会的修正をもたらすものであるという指摘も面白い。

本書は”笑い”について解説する内容ながら、本書自体が”笑えてくる”ような内容であり、存在そのもの自体もまたその内容を表現しているという狡猾な本。

教養的価値も十二分にある一冊で、これは個人的にとても好きな本。

 

 

 

第3位

『ドラッグは世界をいかに変えたか―依存性物質の社会史』

ドラッグは世界をいかに変えたか―依存性物質の社会史

ドラッグは世界をいかに変えたか―依存性物質の社会史

 

ドラッグや嗜好品に対する人類の遍歴を、大筋的にも知る事が出来る一冊。

すると意外だったのはマリファナやタバコを生産することによって生じる土地への影響について。

タバコ原料の生成が土地のリンやカリウムなどの養分を吸い取り土地を疲弊させてしまうという事実はもとより、それに対して

「だからそうした嗜好品の生産ではなく、土地は小麦などの栄養あるものの生成のために使用するべきだ」といった食糧不足の状況における当然かつ合理的な主張。

だがこうした意見に対する、

「嗜好品や麻薬が人の寿命を縮めたことのほうが(食糧不足を解消するには)全体的には効用があった」という反論にはなかなか驚かされた。これなどはまるでひとつの寓話的な話にさえ感じ、皮肉さを感じさせブラックジョーク的でさえもある。

 

他には”コーラの実”なるものが実際にあるというのもシンプルながら驚いた事実で、飲料のコーラにはコカが入っているだけであってコーラとは単なる名称であると思っていたので”コーラの実”がまさか実在するとは。どうやらそれはカフェイン的なものであって、当初においては飲料のコーラにも含まれていたらしく、するとやはり「コーラの名称とはそこから来ているのか!」とちょっと驚く。

あとは煙草や薬における依存性に対する考察や歴史が興味深く、インディアンが煙草に酷い依存性を示した事実としての一文は、常に煙草を欲して行動していたことを示すものながら恐ろしく思えたながらもどうやら他人事ではないらしい。

というのも、その煙草の部分をスマホに変えれば現代人の行動へとまさに当てはまるからであり、すると現代においても人間の本姓そのものはまったく変わっていないことに気づかされ、依存する対象が僅かに異なっただけに過ぎないのだと。

こうした気付きを与えてくれるには十分な内容で、なかなか刺激的な内容。

 

また支配や労働、奴隷に対してもアルコールや煙草などはなかなか必需で、さらにそれが循環的なこともあると知ってえげつなく思えると同時に、人間の一種の性を見た気にもなった。

若者を招き入れよう!引き入れよう!とするキャンペーンを大々的に行っていたアメリカ煙草産業の歴史など興味深いものがあったが、同時 に昨今においても富を築くためには人が依存し依存し得る媒体を作り出しそれを宣伝すればいいのだという事が非常にわかり易い。

スマホ然り、娯楽作品然りである。

たとえ科学がいくら発展しようとも、今のところ人間の本質に変化はないのだと。

本書は思いのほか、そして期待していた以上に得るものがあった一冊である。

 

 

第2位

『放浪時代・アパアトの女たちと僕と』

放浪時代・アパアトの女たちと僕と (講談社文芸文庫)

放浪時代・アパアトの女たちと僕と (講談社文芸文庫)

 

正直、読むまで知らない作家さんだった。

本書は中篇二作収録。

そのひとつ、『放浪時代』に関して言えば純文学的ながらポップさも兼ね備えた昭和初期の作品で、その軽快さや今に呼んでも古臭さを感じさせぬ風情を感じさせたほど。

表現としても純文学の重く厚かましさを装いながら井出たちとして法被姿のような緩やかさがありなじみ易い。そのため幾分も読みやすく飲み込みやすいので娯楽的な情景も二重な意味で捉えやすく親しみやすい作品であった。

そして軽快さは最後まであり、作中において展開される三角形がどうなるのかと思い読み進めていれば……。

 

そのあとの作品、『アパアトの女たちと僕』ではプロレタリア小説っぽさを内面的にも表面的にも描く作品であり、マルクス主義批判的な内容も台詞そのままに練りこまれたりしており幾ばくかの読み応えを感じられた作品。

個人的には支弁的に語る通俗批判な場面や台詞に注目が集って感じた。

あと最後の短編的エッセイ 「M・子への遺書」がまた大変興味深く、賛否両論としての反響を呼びやすいであろうと容易に想像できる作品?*5である。

このエッセイ、なかなか過激であり内容としては当時の文芸界批判。

むしろその体制というより作家精神に対するものであり、バッシングの雨あられ

当時の作家たち、彼らが己自身の不道徳さを隠匿するための便宜的対象としている規律に、矛盾と憤りを示す内容であって、「でもこれって昨今でも同じことが言えてしまうのは?」とちょっとどきまぎしたりも。しかし誰だって、己のことに対しては無知的にも盲目的甘さを見せるものであって効した性分はもう時代など関係なく人間の性では?と思えたり。

だがこうした矛盾体質と対立し 、跋扈して批判する態度は実に芳しくそして珍しい。

その主張には道理があるよう感じたが、後半はむしろ個人攻撃的になっており感情的。

しかし全作品を通してみても、その考え方には共感できる点 が多く、文章としての表現や形容の仕方も威風堂々されど わかりやすくそしてエスプリさを感じさせるウィットな陽気さと器用さがあり、古さを感じさせぬリズムと独特のアナロジー的描写。

正直、知らない作家さんでありしかし読んでみるとこれが大変に面白い。

傑作小説を読めた幸福感は著しく、こうして相性の良い小説と出会えたことは一 種の邂逅に思えたほどだった。

 

 

第1位

『短篇ベスト10 (スタニスワフ・レム・コレクション)』

スタニスワフ・レムの海外での人気投票からの作品を集めた短編集。

それだけあって、内容としては期待に十二分と答えてくれる至極な短編ばかり!

収録作どれもが面白かったけれど特に印象的だったのは『航星日記・第二十一回の旅』 という作品。神学的にも通ずる思弁さを示す作品であり、唯物論というかまさに脳物論的な話の流れ。

一見して一辺倒な主張で論駁をするその強硬さにさえ、説得感を感じてしまうような饒舌っぷりを感じられた台詞回しが特徴的で、安易ながらも”哲学的”*6とさえ表せるであろうまさに思弁的作品。

全10編が収録されていながらどれもがたっぷり読み応えあり。

そして解説にあったようにユーモアも豊富。

エスプリ感も申し分ない。

ほかには「探検旅行第一のA(番外編)、あるいはトルルルの電 遊詩人」といった短編もなかなか印象的で、これは特にユーモア感がたっぷりなためである。

この作品は、稀有な詩人を人工的(AIとして)に作るためだけに人類史を再現するという壮大な展開ながらそうした部分は省略され、その完璧詩人の如くの コンピュータが作る数学と愛の詩など印象的で、その後の展開もユーモラスでとても面白い。

あと『仮面』という短編 もなかなか印象的。これなどは他の載せられている作品とは違ってシリーズものでなく、本当にこれのみで完結の短編。ながらも、その完成度は高く、おどろおどろしい展開と夢想的な(読んでいて思うのは、例のかの小説)描写は繊細、読んでいて「うわっ」と思わず引き込まれるような作品 。文章のテンポも良く、これ等は訳者の妙技を感じたりも。

また最後に載せられていた「テルミヌス」といった作品などは人気投票において下位だったらしい ものの、ホラーテイスト+人間味も溢れさせた作品であり、独特ながらとても面白い。時間を超越した部分等はインターステラー的に思えたり。

本書の収録作はどれも読み応えあって、読み終えた後において生じる情動「後々にもう一回読みたいな!」等とそう思わせる稀有な短編集。

SF=「サイエンス・フィクション」とのみ思われがちだが、SFには「スペキュレイティブ・フィクション」といった読み方も存在するのだと想起させてくれるような、そんな素晴らしい短編ばかり。

ある人が「SFとは既存の価値を転覆させ、新たな価値観の創出を促すもの」と言っていたけれど、まさにそんな作品集。おすすめ。

 

 

*1:「推理するのは文章です」とは二重の意味で。

*2:帰納法における黒鳥問題のようなものといえばいいかもしれない。

*3:あえてネタバレせず。

*4:こうした考え方にはある種の相対主義性を想起し、あとこうした事をテーマにした漫画やアニメって多いよね

*5:はたしてこれを”作品”と称してよいのやら

*6:だが本当は”哲学的”という言葉は嫌いで、何故なら「哲学的」と言う言葉はそれ自体がとても曖昧模糊としており、巷で見聞きする「それって哲学的だよね」と言う言葉に含まれる命題はおおよそが哲学以前の話であり、ここでの「哲学的だよね」の「哲学」はすなわち=で「わかり難いこと」としての記号的意味を含む表現に過ぎないからであって、熟考を忌避する謂れに過ぎないよう感じるからである。故に本来ならば「哲学的」と言った表現は嫌うものの、ここで用いる”哲学的”とはあくまで意味表現を漠然ともわかり易さを求めてのことであり、ここでの「哲学的」とは=で「形而上学的」という意味である。