book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

アニメ『慎重勇者』が素晴らしく、語るに値する作品だった件。

今年に関していえば、新年早々から啓発される作品が多くて自分でもびっくり!

面白っ!と思える本もさることながら、アニメにおいてもこれはなかなか乙な作品だなと思えるものもあって、それがこの記事タイトルの作品。

 

この作品は2019年の秋アニメであり、正確には

 

『慎重勇者 ~この勇者が俺TUEEEくせに慎重すぎる~』

 

という何とも冗長しさを感じさせるタイトルのもの。 

 

 

これがどのように素晴らしいのか?

無論、なにも考えずに見てもなかなか面白いことには間違いなく、けれど

「じゃあ近年稀に見るほどの名作なの?」

と訊かれればおそらく

「うーん、それほどの作品じゃないかな、小まとまり良く出来た佳作といった感じ」

そう答えると思う。

 

じゃあどうして素晴らしくて、語るに値するのか?

それはこの作品が、昨今稀に見るほどに「物語していた」から。

 

どういうことか説明する前に、まず作品のあらすじを。

 

 超ハードモードな世界の救済を担当することになった女神リスタ。
チート級ステータスを持つ勇者・聖哉の召喚に成功したが、彼はありえないほど慎重で......?
「鎧を三つ貰おう。着る用。スぺア。そしてスペアが無くなった時のスペアだ」
異常なまでのストック確保だけに留まらず、レベルMAXになるまで自室に篭もり筋トレをし、スライム相手にも全力で挑むほど用心深かった!
そんな勇者と彼に振り回されまくる女神の異世界救済劇、はじまる!

 

ご覧の通り主人公の勇者は病的なまでの慎重さを抱いており、そうした常識はずれの嗜好を通して見せる行動はコメディタッチで、この時点では衝撃的というより笑劇的といった作品。

構成としては全12話から成り、終盤では

 

 

 

ここから先はネタばれのため、視聴済みの方のみ推奨。

 

 

 

そう、見た方にとってはもうご存知のとおり、この作品は11話目においてその作品自体の風体をがらっと変える。

主人公勇者のおかしな嗜好である「過度な慎重さ」、それは実は過去の失敗が元であり、元々はむしろ慎重さを省みない性格であったことが示される。

 

そのとき、主人公の本心を知って裏切られた視聴者がぶわっと沸き立たせるのは鳥肌ではなく、実は親近感なのである。

 

ニーチェ風にいえば、まさにパースペクティブの変換。

それは見る側であった我々が、一挙にその内側へと吸い込まれることを意味する!

 

つまり、ここでの価値の転用こそが本作品最大の見所であり、フィクションなる虚構の作品において生じる外壁の障害を一挙に取り払う。

我々はフィクションなる作品に対峙する時、たとえば登場人物の一人がとても奇天烈で不思議ちゃんであろうとも「これはフィクションなのだから」としてその存在意義を認める。

そこでは自らを一歩引かせて対象を眺め、自らの価値観、一般常識的な見方と照らし合わせることによって作中の彼らとの距離を保とうとする。

 

このアニメ「慎重勇者」の場合においては、まさにこの「過度な慎重さ」こそが、我々と作品のフィクション性との垣根を作り役割を果たしており、主人公における「過度な慎重さ」とは一見して理不尽なものである。

だがそうした理不尽さを視聴者側は「これはフィクションなのだから在り得る」として、この存在性を許容する。

こうして引かれた一線は彼らと作品との存在性の絶対的な乖離を示し、理不尽なる状況における合理的解釈こそが「作品としてのフィクション性」に他ならない。

 

繰り返すようだが11話における急展開。

そこでは「主人公が如何して過度に慎重なのか?」その理由が明かされる。

重要なのはこの点で、その理由を知ったことにより視聴者はかの主人公、

彼が慎重過ぎる理由が実際には現実的であり合理的であったことに衝撃を受ける。

するとそこで、これまで理不尽なる存在に対しての合理的解釈であった、

「作品としてのフィクション性」

という認識が瓦解し、同時にそれは「フィクション性」を一時にも忘れさせる。

何故なら「フィクションだから在り得る」非合理的性が、合理的理由を示すことによって現実での存在性を得るからである。

そうして現実での可能性を感じさせると(それは思考の形としても)親近感を沸かせ、だからこそ先ほど述べたように、主人公の本心を知って裏切られた視聴者がぶわっと沸き立たせるのは鳥肌ではなく実は親近感なのである。

 

 

このメタフィジックス的ともいえる心的距離の縮まりを感じさせる仕掛けこそが本作品における素晴らしい点であり、何事にも意味を見出そうとする人間知性における「物語性」、それを満足させるに値する演出とストーリー、これこそ本作品が語るに値する最大の理由なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、ここまで大絶賛しておきながら、フィクション作品においては非現実性・非合理性なる存在を示してそれを覆す展開、非現実性・非合理性のうちに現実性・合理性を見せることによって受け手の感じ方を大いに変容させる作品というのは実際には数多存在する。

そういった意味では、昨今読んだアメコミ『バットマン:キリングジョーク』も同じ部類であると言え、こちらの作品もとても素晴らしかったので出来れば近いうちにはこのレビューも上げようかと。