book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

コロナ関連のことでちょっと思うこと

 

「コロナ感染拡大を防ぐために三密を避けてください」という政府からの指示のもと、

「じゃあ三密でなければいいのか」と捉えて不必要な外出をしたりレジャーに出たりとする人が居るけれど、これが「良くない!」や「間違っている!」とする理由はシンプルで、一言でいって手段と目的を履き違えているから

 

「三密を避ける」というのは感染拡大を防ぐための「手段」であって目的ではない。

政府の掲げる「目的」とはあくまで「感染拡大を防ぐ」ということに他ならない。

にも関わらず、巷ではこうした誤解をしている人が一定数は居るように思われる。

よって「三密にならないことが重要!!」と考え、人との間にスペースを空けることや換気を十分に機能させることで「これで三密じゃないから良し!」とする考えは大きな誤りであり手段と目的を取り違えた典型的な例。

目的は感染拡大を防ぐことであって、三密を成立させなければそれで良いというわけではないのだから。 

 

でもまあ徹底的な外出規制や営業の自粛は経済に与えるダメージも大きいので、「すべて閉鎖!」とはひとえに言い切れないのが難儀なところ。

たぶん、こうしたコロナ対策における難度の高さを示す理由は「コロナから人を守るのと街を守ることは別」という排中律的な性質にあって、人間を治すのが医者であるのなら経済を治すのは誰なのか?といったことにその根幹があるようにも思えてくる。

 

別に政府批判をする気は毛頭ない。今回の件においてはトレードオフとして扱うべき案件が多すぎるように思えるし、どういった政策をとれば正解だったのか?が今の現状においては分かるはずもなく、その結果がようやく分かるのは幾分もの時間を隔てたあとというのは間違いない。しかしだからこそ責任をすべて政府に向けるのではなく、誰もが己の行動に責任を背負う覚悟が必要であり、自分の行動が今後に与える影響を十分に加味した上で生活するべきだと思う。

 

 

最後に一つ小話を。

ある高名な物理学者が以前にこう言った。

「短期的な予想不可能性は、長期的な厳密さと完璧に両立するのである」

この言葉はざっくばらんに言って量子力学における存在確立に対して述べたものである。この言説がマクロの世界においても正しいものになるとするならば、その可能性は一人ひとりの人間によって左右されるだろう。

そして、逆を言えばその可能性を一人ひとりの人間が抱いているということである。

コロナによって今後の世界の有様がどうなるのかは、一人ひとりの人間が大きく関わっているというのをこの話から知ってもらえたら幸いである。