book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

「私以外私じゃないの」という嘘

 

 ようつべをぶらぶらと彷徨っていたら、こんな動画を発見。


生きていることとは何だろう? 池田晶子 当たり前だけど不思議なこと

 

池田晶子さんの著書を読んだ事もあるのでつい見入ってしまい、その内容から思うところもあったので備忘録的にも綴ろうと思う。

今回ここに書くのは”哲学的”と呼ばれることで、上記の動画においても取り上げられていた「自分とは誰か」という中に含まれる「私とは唯一無二の私なのか」という問題について。

 

そこで関連して思い出すのが本記事のタイトルで、「私以外私じゃないの」というのはゲスの極み乙女。の有名な曲名であり歌詞でもある一節。

歌詞ではこのフレーズに続いて「当たり前だけどね」と続く。

 

ここでもし「そのとおりだね!」と歌詞に同意してしまえばこの記事を綴る意味がまったくなくなるので、今回の主張としてはこの言葉に反対してみようと思う。

 

つまり、「私以外にも私はいる」ということを証明してみようと思うのだ。

 

そもそも立ち返って、「私以外私じゃないの」は真なのか?

なるほど確かに「私」は世界で一人であり、クローンでも居なければ唯一の存在。

他人とは顔など表面的なものも違えば、内面的なものこそ他人とは大きく違って、私のこの心こそ唯一のものだ!と、そう主張することもあるだろう。

 

ではその反論として、まず第一に「ではきみは、昨日と今日の自分とでまったく同じ?」という質問を立てる必要がある。

すると質問された方は「そうだ!」と大きく頷くか、もしくは懐疑主義者的にもこの質問の意図は何か?疑り深くなって質問の魂胆を探ろうとするかもしれない。

この質問には別段、それほど深い意味もなければあっけないほど答えは簡単で、この質問の答えに用意していたのは「昨日と今日のきみは違う」というもの。

何故なら生きているものとは代謝をするからであり、細胞は毎日入れ替わっているからである。

哲学的なことを書くといっておきながら答えがこれ?はぁ?っなんて思われそうながらも、これが単なる屁理屈的なものでもなければ、化学的事実として呈した答えでもないことは知っておいてもらいたい。

上記の答えから読み取ってほしいのは生化学的知見ではなく、生命としての本質についてなのだから。

つまり、「では代謝に必要なものとは何か?」ということである。

 

 

ここで頓知的な問題をひとつ。

「今は何時ですか?」

緊迫した面接において、面接官から唐突にそう質問されてあなたは動揺する。

次には咄嗟に時計を見て、”10時11分”を示していたらこう答えるだろう。

「10時11分です」

すると面接官が言う。

「違います。今は10時12分です」

時計を見ると確かに今は12分。だが質問されたときには11分だったんだから正解じゃないか。何だこの質問は。嫌がらせか?ハラスメントか?くそが、もしもこれで落としやがったらこの面接内容を晒してやる。

なんて恨み節を思うかもしれないけれど、そんな情緒はとりあえず置いておいてほしい。

この質問の示すことはつまり、A=Aではない事実を端的にも示しているのだ。

つまり、あなたにとっての今の時間=10時11分

であったのが、面接官にとっての今の時間=10時12分となり、

この二つは何が違うために=の先が11分と12分とで違ってしまうのか?

答えは簡単、二つの示す”今”が違うのだ。

 

結論を要約すれば、『”今”が違えばその存在の状態は違うのであり、違うからこそ、人間は過去や未来といった”時間”を感覚として理解できる』ということである。

 

 さてここで最初に戻ろう。

「私とは唯一無二の私なのか」という問いに対しての答えは、「違う」とする。

 何故なら一秒前のあなたと、一秒後のあなたは違うからだ。

そして仮に、一秒前のあなたと一秒後のあなたがまったくの同一であるならば、そこには”時間”としての概念が存在しないことになる。よってこれは矛盾である。

まったくの同一でないからこそ、”過去”と”今”を区分できるのだから。

 

タイトルに掲げた

”「私以外私じゃないの」という嘘”

というのはこういった事を言うのであり、俗に言えば「人は変われる」との言説は真理であって逆説的に言えば「変わらない人」も居ないのである。

 

それは生きているからであり、生きているからこそむしろ人は変わらずには居られない。時間は強制的でありながら生命としての本質であって、 ある哲学家が「人間とは時間的存在である」といった言葉の真意にはこのような意味があるのでは?と思う限りである。*1

 

 

 

*1:それでもまだ「んっ?納得できない…」と思う場合、存在としての1xと1+xとの違いを考えてもらえばわかりやすいと思う。この「1x」と「1+x」は「=」ではないのは明らかで、その違いは「1x」は既に「x」が「1」と組み合わさっており、「1+x」の場合はまだ「1」と「x」が別個の状態にある。この違いは「+」、つまり加算する必要性から生じており、そして加算するためには時間が必須となるため、時間の介入がない場合においてそれは「1+x」ではなく「1x」になる(仮に「+」に「時間」が必要ないのであれば、それはすなわち最初から”加算されている”状態となるため、その場合の状態こそが「1x」に他ならない)。よって、「1x」と「1+1」の状態の違いは明らかであり、この違いを生み出すものこそ「時間」なのである。