book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

銀河の死なない子供たちへ

 

小説にしろ漫画にしろ、ポピュラーサイエンスでも技術書でも童話でも哲学書でも、とても良い本を読んだ後というのは好きな子と話した後みたいに心が快くどきどきする。

それはなんだか気分が高揚して、カフェインでハイになったときには似て非なるもの。

自分の興奮と快さを感謝したくなる類の高揚さで、そんなとき「ああ、生きてるな」ってことを実感できるような、そんな気持ちになる。

 

 

最近そんな気持ちになれた作品がこの漫画。

とても大好きな漫画家である施川ユウキ先生による作品で、とても良かった!!

 

内容としては、タイトル通り死なない子供たちが登場するお話。

不死の生活とはどんな風か?それをときにシリアスに、時にユーモアチックに見せて、その日常における非日常性を描き出す。

すると見えてくるのは、如何に”生”と”死”が人の生活に寄り添っていたかということであって、普段目を逸らしがちである”死”、若いと特に他人事のように思えてくる”死”といったものに対する印象。イメージ。概念。その”死”につきまとう二面性について、改めて考えさせられる。

 

生きているからこそ死があるのであり、では、死がなければ生きていないのか?

 

そんな問いかけを本書は随所で発し、私たちが嫌悪しがちであり忌避する”死”といった存在について、それがどんなものなのかを照らし出す。

 

 

「イメージできないもの=存在しないもの」

こんな考え方が間違っているのは当たり前で、自分が知らない、イメージできないものだからといって、イメージできないからその物が「存在しない」とは考えない。

そして、そのもっとも顕著な例が「死」であると思う。

私たちは”死”というものに対し、漠然としたイメージしかできないが、それでも、誰もが”死”という存在が在ることを知っている。

何故だろうか?

理由は簡単。誰もが皆、何かが、もしくは誰かが死ぬところを見たことがあるからだ。

故に私たちは同様に、自分も”死ぬ”ことを知っている。

でもその先は知らない。知らないから怖い。恐怖する。

人は未知なものは恐れるものだから。

もし仮に、”死んだあとに天国がある”なんてことがどうにかして証明されたとしたら、死に対する恐怖は随分と和らぎ、現状よりずっと死にたがる人も死ぬ人も増えるはず。

でもそうはならない。死後のことはわからないから。

だから人は死を恐れる。

 

でも、死を恐れるからといって、では”不死”になったらどうなるか?

 この漫画は、死について改めてじっくりと考えるきっかけをくれる。

死が「在る」と「無し」ではどれほどに違いがあるのか?

不死による生活、その描き方として直接的な言葉や行動で示すのではなく、時間経過の速度の違いを示すことによって表現するというのは空間的なメッセージ性を感じてられてとても良かった。

物語としては全編見所満載で無駄がなく、全体を通してすばらしい内容。

人を死なせる作品は数多あるが、そこでフォーカスされるのはあくまで”その人物”の死であって、”死”そのものに対しては深く掘り下げない。でも実際は、そこにこそとても重要で、大切な意味も、そして忘れてはいけない「何か」がある。

その「何か」とは何か?を読者に想起させ、考えるべきことを教えてくれる作品で、もっと多くの人に読んでもらいたい漫画であるのは間違いない。

ちょっとでも興味が沸いたら是非とも読んでみてほしい!

 

 

 あと個人的には「何で死があるのか?」という問いに対する答えは「締め切りあったほうがやる気を出せるため」だと思っている。

例えるなら「まったく提出期限のない大学のレポート」のようなもの。

それならいつかやればいいじゃん、ってなる。

そのいつかは無限で、私たち人間は有限のなかにこそやる気を見出せるのだから。

まあそれも不精な自分の性分のせいではあるけれどw