映画版『聲の形』について
金曜ロードショーでやっていたので思わず見てしまった。
気付けば見入っていた。
一言で言えば面白かった。二言目に言うなら作画が綺麗。
あと予想通りの重さでもあって、なんだかもう見ていてドキドキしたのはもちろんのこと、幾十にも重ねられた切なさに違う意味でもドキドキしっぱなし。
なんだろうねこれ。
下手な例えで言うなら、20キロ位の重りを背負った状態で心がぴょんぴょんしたような気分。
正直、手話に対する啓蒙はまったくと言っていいほどないので手話で何を言っていたのかは言葉で説明してもらわなかったらぜんぜん分からなかった。
けれど微細な表情の変化や間の取り方、景色の見え方等の様々な演出によって彼ら彼女の言わんとすることは表現されていて、その辺のクオリティもまた凄いなと。
そう思うのと同時に、そこで受け取るメッセージ性が実際には発話的な言語に還元して意味を受け取っていたと思うと、この映画はより深みを感じられてくる。
そしてヒロインによる「過去に酷い苛めをしてきた相手を好きになる」という心理(この映画版での)に対する見方は、その心にはある種の厭世的な趣もあったんじゃないのか?って思ってる。
少し強引にも簡易的にヒロインが主人公を好きになった心境を考察すると「友達が少ない中、積極的に手話を学んできてくれて、さらに優しく接してくれるようになったから」とも考えられると思う。
でも本当はその心の中に破滅的な願望があって(そのためにあの時の行動はあったのだと思うし)、自分を苛めた相手を好きになるという一般的に考えればイレギュラー的な行為は、一般的ではないことをあえて行う事によって自分の中にも構築され培われてきた『一般常識』『共通概念』的なものを壊そうとする一つの破滅的願望の成就、それの一環の可能性もあるんじゃないのかな?ってつい観ていて思ってしまった。
まあ何はともあれ大変面白かった。
観ていて苦しいくらいにしんどかくも感じたのは”苛め”、”差別”、”障害”と、重くなる要素てんこもりであったからだとは思うけど、それらに対してちゃんと向き合って、それがどんなことなのか?をこうもしっかりと描いた上でそれをさらに娯楽作品!に仕上げるなんてことは筆舌に尽くしがたいほど困難なことだ。
けれどまあ、だからこそ言葉以外のもので表現したと言うのなら納得できる。
そしてこの映画を観ていてとても心が動かされたのは多分、この映画の聲は心に形を作るからだと思う。