book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

”伏線”のお話

 昔と比べれば、アニメやドラマを観ていて先の展開を予想することが減った。

それは雑多な多忙さにも原因があると言えばそうかもしれないし、単に先を予想するのに飽きたからとも言えるかもしれない。

しかし、先の展開を予想するのをやめた最大の理由はおそらく……

 

 

そもそも”先の展開を予想する”とはどういうことか?を少し考えてみた。

たとえばエヴァなんかは先の読めない作品として有名で、新劇場版ではQの急展開にびっくらこいた。そこで思うのは「じゃあ作品において先の展開を予想するのに必要なものとは?」ってことで、次に思い浮かんだのが「伏線」の存在。

人間は合理性を求めるが故に(整合性も含めて)、物語では展開として以前の情報を加味していなければ破綻して感じる。*1

 

そこで視聴者は未知なる今後の展開を考える上では当然、それまでの展開や演出を考慮して考えるわけで、これを論理学的な表現で示せば

前提に「先の展開にはそれまでの内容が関与する」

というものがある。

つまり、”伏線”として表現される概念の枠を拡大して考えれば作中の登場人物ばかりではなくそれまでに演出されたすべてのものが「伏線」に成り得るわけだ。

よって上記の前提を元に先の展開を予想するわけなのだけど、ここで重要なのはその前提が必ずしも正しいわけではないと言うこと。

なぜなら作品によっては唐突な展開が可能だからで、「急に登場する新キャラ」*2なんかはその好例と言えるだろう。

そして、その新キャラが軸になって新たな急展開を示す場合、視聴者がその展開を予想できないのは当然で、なぜって前提に含まれていなかった要素によりもたらされたものだから。

論理学の基本には「前提が誤りならば結論は何とでも言える」というものがあるけど、創作物の場合、そもそも前提自体が不確定であるので結論どころか前提自体も覆せる可能性を常に抱いているために、ある種の作品では”先の展開を予測する”ことは無為に成り易く、そのため「先の展開をいくら予想したって、作者による鶴の一声でどうにでもなってしまうんじゃないの?」とつい思ってしまうわけだ。

もちろん、すべての作品がこうした呈を成しているわけじゃないし、むしろおおよその作品は先ほど述べた前提をちゃんと前提にしている場合が多いと思う(シリアスな作品ほど唐突な場面が組み込まれているとそこでポカーンとしてしまい、冷めてしまうだろうから)。それでも「先の読めない展開が売りのひとつ!」みたいな作品だと、上記の前提を覆しがち。

だから「先の展開を予想することをあんまりしなくなった」とも言えるし、というか最近はむしろ「あえて先を予想しないことで、繰り広げられる展開をじっくり楽しむ」という心持のほうが大きいかもしれないけど。

 

この雑記駄文の締めの言葉を考える際、”伏線”を関連させようと思うのなら、示した前提とその後に続く文脈の中身を加味して、最初のほうに述べた

”しかし、先の展開を予測するのをやめた最大の理由はおそらく……”

という文の続きとしては、こう示せばいいのだと感じる次第である。

 

 

メロンパンが美味しいから。

 

*1:これは当たり前のことで、たとえば”アンパンマン”が何の脈略もなく次のカットでは”カレーパンマン”になっていたら「場面が変わったのかな?」や「何かがあったので交代したのであって、その描写があとであるだろうな」と思うはず。それがいっさいなければ「?」となるはずだ。

*2:「急に示された新しい設定」なんかも同様。