なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか
なぜ人はエイリアンに誘拐されたと思うのか (ハヤカワ文庫NF)
- 作者: スーザン・A.クランシー,Susan A. Clancy,林雅代
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2006/08
- メディア: 文庫
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人は誰しもがエイリアンに会っている?
著者はあくまで懐疑主義。
よってあくまで科学的見解から、誘拐されたと主張する人々の話を聞き、なぜそのような妄想を抱くのか?なぜそのような思考を作るのか?等を追究する。
追究していく上で、まず興味深く思えたこと。
それは、記憶とは実に簡単に改ざんされるという事。
人間の記憶は曖昧だと言われているが、それに異論はない。
昨日食べた物は多くの人が思い出せるが、それが3日、4日と前になると曖昧になるのは至極当然。
既に持っている本を買ってしまう現象も、勘違いとも呼べるが、ある意味では持っていないと思う事による記憶の改ざんだといえる。
思い出を、つい自分の都合の良く美化するのが、最も知られている記憶の改ざんであると思う。
そして催眠状態に陥ると、人はいとも容易く自分にとって都合の良い記憶を形成してしまうとの研究結果は意外で少し驚き。
だからエイリアンに誘拐された、という強烈な偽りの記憶の場合、強烈だからこそ当の本人はそれを真実だと思い込み、自分の中で真実にしてしまう。
これほど印象深い事が嘘の記憶のはずはない、事実だ。
そう思い込むことで、本人にとってはその記憶が既成事実となるのは興味深い。
だからパチンコ好きは、常に自分は勝っていると錯覚して、パチンコを止めらないのかもしれない。
そう思うとある意味、日本でも大勢エイリアンに誘拐された人は居そう。
そして催眠。
催眠はいんちき!と訴える人は未だ居ると思うし、懐疑的ではあったが、実際に効果的であるというのにも少々驚き。
なぜなら懐疑派の著者ですら、催眠によっていとも容易く偽りの記憶を作り、本物の記憶だと勘違いして思い出してしまったそうだ!
あとエイリアンに襲われたと証言する上でよくある「金縛りにあって…」というのは、実際には睡眠麻痺という症状が原因であり、こちらはそのメカニズムが既に判明しているので納得。
つまり科学的には、エイリアンに襲われたり誘拐されたりするのは、あり得ない。
幻覚は睡眠麻痺中に見る夢を現実と勘違いしている結果に過ぎず、単に生物学的な症状に過ぎない。
あと、エイリアン支持派には一般的に「エイリアンに誘拐された人というのは、皆が共通の事を証言をする。その共通性こそが誘拐された証拠だ!」というものがあるが、
著者が詳しく調べると、誘拐されたと証言する人たちの話は実際には違っている、と言うのも驚き。
ステレオタイプ的な考えでは、皆同じ体験を主張しているように思えていたが、ここでも勝手な思い込みは恐ろしいと、別の観点から気付かされる。
調べてみなければやはり分からないものだ。
あと、こうしたエイリアンに捕らえられたと主張する人々は、他の人と比べ、妄想癖やそういった傾向が強いという実験結果は、これまでにないほど合点。
そしてこれらの人は他の人より想像力が豊かであり、
なかには肉体的刺激がないのにも関わらず、オーガニズムに達せられる人も居たという!どれだけ想像力豊かなんだ。その想像力ゆえのエイリアン妄想なのだろうけど。
しかしそれは、いわば覚醒状態においても夢精できるようなものなので、ある意味ではすごい。
信仰深い村にでも行けば、お前がエイリアン扱いされるんじゃないか?とさえ思うが、ある意味では立派な能力者。
その能力を誇ってもいいが、Xメンに入ったとしても即クビ候補だろうけど。
そして最後の6章目では“なぜそのような妄想を持つに至ったのか”を述べており、その示唆がなかなか深い。
人は皆、何かに寄り添って生きている。
まとわりつく悲観、不安、しがらみ、劣等感。
それをなにかに擦り付ける事によって、人は生きている。
一人一人が、個人の悲観、不安、しがらみ、劣等感、すべてを担って生きるのは、あまりにも大変だから。よってそれらを減らしたり、なくそうとしたりする。
その擦り付ける『対象物』は人によって違い、自分にとって都合がよければ何でもいい。
たとえば、ある人にとっはてそれが『宗教』であったり、『神』であったりする。
もちろん、それが『スパゲッティ』と言う人も居るだろう。信仰深い人の中には。
つまり、『エイリアン』もそれと同じことなのだ。
彼らにとっては、『エイリアン』こそが、都合がいい。
『エイリアン』に誘拐されたから私は病気だ、劣っている。
それらの原因を全て『エイリアン』に丸投げできるから!
だから実際には会ってもいないし誘拐されてもいない『エイリアン』を、彼らは自分の中で存在させるのだと。
故に、特に印象的だったのは、エイリアンに出会った人というのは、最悪の出来事にエイリアンに出会った事を挙げながらも、最高の出来事としてもこの体験を挙げている事!
心理学者として今までに色々な人と接してきた著者がその経験上、最悪な出来事と最高の出来事を同じと言う人に、今までに出会った事がないという。
でもそれは当然で、著者の挙げていた例を見てもすぐわかる(交通事故にあった人が、いままでいちばんよかったことは、逆さまになりながら時速130キロで中央分離帯を突き破ったことだと言うなんて信じられるだろうか?)。
まとめ方も、締め方も綺麗であり、なかなかの良書!
人は誰しも擦り付けるための 対象を求めている。まるでボンビーが自身に付いてしまっている状態のように
自分の負荷をなくし、その負荷を擦り付けられるちょうど良い『対象』があれば、それは何だって良いのだ。
故に、人は誰しもが個々の『エイリアン』に会っているのかもしれない。