ゼロ年代を代表する日本人SF作家によるオムニバス。
全8作から成り、どれも個性的でありなかなか楽しめた。
『マルドゥック・スクランブル"104"』はアクションが楽しめるドタバタ劇であり、
登場する人物もユニークで、言葉を喋り変身する鼠が面白い。
マルドゥック・スクランブルシリーズは読んだ事がなかったけれど、これを読みとても興味が沸き、本編の方を途端に読みたくなったほどだ。
けれど選んだロボットがネズミ型とは意外。
まさにドラえもんの天敵。製作者はアンチドラえもん主義者だったのだろうか。
『 デイドリーム、鳥のように』はオチが特に印象的な作品。まるで週間ストーリーランドのようなどんでん返しに思わず笑ってしまった。スパイスの如くレトリックの効いた作品で、SFの要素も当然あるのだけれど、それよりも物語の構成ばかりに目が向いた。
もちろんこれは褒め言葉で、とても楽しめた作品だ!
『アリスの心臓』はラノベのような文体が印象的な作品。
ラノベのような作品と言っても内容はなかなか複雑で、ラノベらしく自由な雰囲気の中、好き放題やってやったぞ!といった印象の作品で、軽い会話のやり取りとは裏腹にその思考は難解であり、抽象的でもあってポエムのような内容でもある。
そして「エロい本であるところの二次元‥が男子を三次元的立体として屹立させるとしたら‥本物の女の子=三次元は、男子の全身を四次元的に昂ぶらせることが可能ではないかと‥」という表現は成る程と思いとても秀逸に感じた。
一次元が二次元を引き起こし、二次元が三次元を引き起こし、三次元が‥というトンデモ理論も、必ずしも間違いではないと思わせるパワフルな作品。あとテンポ良い会話のやり取りは、深みを持たせると同時にユーモアたっぷりでとても楽しめた。良い作品。
『地には豊穣』では、地域や国に根付く文化的情報の重要性について取り上げ、それらが科学の進展とどう折り合いをつけていくのか?のを感情や葛藤、それぞれの情緒を交えて描いている。
個人の意思とは文化が作ってるのか?それとも独立した個人が作り出すものなのか?
文化があって科学が進歩するのか、科学が進歩した先に文化が根付くのか。
損得感情のみでは答えを出せない概念がそこにはあり、文化自体の存在どころか文化としての垣根がなくなりつつある昨今の現状。それは通信インフレや交通インフラの充実化による賜物であるが、合理的な科学の発展は人類に恩恵も齎すが、普遍的に普及された新技術は時として各個人の個性と自由を奪い、『その他一般』という大多数の共通モブを作り出す。これら個体群はすなわち洗脳された群れという形にもなるのではないか?という問いを、情報を人工的にニューロンへ植えつけるようになった世界を通して問い掛ける。この作品は感慨深く、美しい短編であった。
最後に載る作品は『おれはミサイル』。
この作品、予想外に幻想的な作品であり、そして独特な世界観。
先ず設定が面白い。さすがは機械を主軸においた作品だけあり、レトリックを巧みに機能させていたのが印象的。
これはSFだが同時にファンタジー色も強く感じた作品で、まるでジブリ作品のような爽快さや深遠さを併せ持つ作品。同時に、奇妙ながらとても引き込まれ胸が熱くなるところも、またジブリ作品とそっくりだった。
この作品だけでも予想以上に楽しめ、ぜひ『おれはミサイル』一読して気持ちよく空酔いしてほしい。
この作品はまさに“逆ラピュタ”のような作品!!
全8作すべて予想以上に面白く、期待以上のオムニバスだった。
「SFなんて‥」と敬遠している人にもぜひ読んでみてもらいたい一冊で、読書後には清涼感があり、読み終えた後は心地良く、そういった意味ではこのさっぱりとした読書清涼感は初夏向け。これから訪れる梅雨の憂鬱さを晴らしてくれるであろう一冊だとも言えるので、ちょうどこの時期にはオススメの一冊!
他人が何を考えているか知ることはできないが、SFは歪なことを考える他人の頭の中を覗ける。これほど愉快な事があるだろうか!?
あとこの世代のSF作家は、”マンデルブロ集合”が好きなことも知れた。