この記事を読み、ふと思った事。
この中で
たとえば「A説があるから、B説は間違いだ」と主張する人がいる。ところが、A説のどのような点がB説よりも優れているのか説明しようとしないし、そもそもA説とB説が同時に成立する可能性も検証しない。B説の存在だけで、A説を否定できると思い込んでいる。1つの問題には1つの解答しかありえないと信じている人がいるのだ。
と延べ、ふむふむと読む進める。
その後、
当然ながら、問題と解答がいつでも1:1で対応するとは限らない。しかし、私たちの脳には「唯一の答え」を追求しようとする傾向があるらしい。
として、
これは日常的な議論に限らない。飛び抜けて頭がいいはずの科学者たちも、しばしば同じような論理学上の間違いを犯す。たとえば「ある生物がその特徴を持つのはなぜか?」という疑問を考えてみよう。なぜ鳥は飛ぶのか。なぜ哺乳類は子供に母乳を与えるのか。これらの疑問に「唯一の答え」はない。
と述べる。
要は、実際の答えは一つでないが、人は答えを一つと思ってしまう。
動物学者ニコラス・ティンバーゲンは、これらの疑問には少なくとも4つの側面から答えることができ、そのすべてに解答しなければ、その生物について理解したことにはならないと看破した。
彼の提案した思考の枠組みは、ティンバーゲンの4つの「なぜ?」という呼び名で知られている。
なるほど。
1つの問題には、少なくとも4つの側面から答えることができる。これがティンバーゲンの発想だ。これら「4つの側面」の呼び名は、翻訳者や後続の研究者によってまちまちだ。この記事では、以下の名前で呼びたい。
(1)適応
(2)系統発生
(3)メカニズム
(4)成長
このあとにはこれらの発想についての解説が進み,
(”同じような方法で母乳を与えていたのだろう。私たちの祖先のなかで、栄養価の高い分泌液を子供に与える者が現れた。それが母乳の始まりだ。”のくだりはおかしく思えたけど)
ここまではいい。
けれどその先、この理論を用いてパスドラ流行の理由を解説する。
結論として挙げるのがこれ
1)適応(=究極の仕組み)
パズドラは日本の市場環境に適したゲームアプリだった。
(2)系統発生(=究極のプロセス)
パズドラは過去の傑作の「いいとこ取り」だった。
(3)メカニズム(=至近的な仕組み)
パズドラは優れたゲーム内経済と課金の仕組みを持っていた。
(4)成長(=至近的なプロセス)
パズドラはゲームの運用が巧みで、失敗していない。
だが、ここで「んっ?」となる。
何故ならこの結論自体が元々の理論から矛盾しているからであり、この”ティンバーゲンの4つの「なぜ?」”と呼ばれる思考の枠組みを使用するならば、これら上記の結論4項目、それらに対してもこの”ティンバーゲンの4つの「なぜ?」”を使用しなけれいけないからだ。
つまり、
1)適応(=究極の仕組み)
の理由として、
パズドラは日本の市場環境に適したゲームアプリだった。
を挙げているか、この思考の枠組みに添って考えるならば、
当然ながら、問題と解答がいつでも1:1で対応するとは限らない。
が適応される。
よって、こうなってしまう。
1)適応(=究極の仕組み)
の理由として、
パズドラは日本の市場環境に適したゲームアプリだった。
この説は果たして正しいのか?
この問題を解決するために、
もう一度、ティンバーゲン大先生の発想を借りよう!
1つの問題には、少なくとも4つの側面から答えることができる。これがティンバーゲンの発想だ。これら「4つの側面」の呼び名は、翻訳者や後続の研究者によってまちまちだ。この記事では、以下の名前で呼びたい。
(1)適応
(2)系統発生
(3)メカニズム
(4)成長
解釈するぜ!とすると
パズドラは日本の市場環境に適したゲームアプリだった。
これに対し、
(1)適応(理由)は何か?
(2)系統発生(理由)は何か?
(3)メカニズム(理由)は何か?
(4)成長(理由)は何か?
突きつめる必要がある。
…もうお気付きだと思うが、
こうしてまた新たに4つの要因を上げる。
するとまたティンバーゲン大先生の発想
当然ながら、問題と解答がいつでも1:1で対応するとは限らない。
の発想が登場し、またも振り出しに。
新たに出した
”(1)適応” に対する理由の答え
これをまた正しいか検証することになり、その問題の解決にまた”ティンバーゲンの4つの「なぜ?」”が登場する。
つまりこの理論で物の本質を突き詰めようとすると、それは合わせ鏡のように終わりなく続き、故にこの発想は成立しない!
ということになる。
というか、初めに
当然ながら、問題と解答がいつでも1:1で対応するとは限らない。しかし、私たちの脳には「唯一の答え」を追求しようとする傾向があるらしい。
と他者を卑下する如く述べているが、あんたのその発想を正しいかどうか、疑いはしなかったのかい?と思わず訊きたくなる。
この相反する言葉
当然ながら、問題と解答がいつでも1:1で対応するとは限らない。
以上4つの視点は、いずれも相互排他的ではない。4つの視点それぞれに「正しい答え」が存在し、それらは併存できる。
のせいでもあると思う。
この発想法はもしかして、”シュレーディンガーの猫”のような、
”答えを一つと定義するのが如何に馬鹿らしい事か分かったかい?”とする、皮肉ったジョークなのだろうか?
尤も、この思考の枠組みを用いれば成功するなら、
誰だって 作ったゲームで大もうけできるだろうし、容易に金持ちになれるはず。
物事の要因はそれほど単純じゃないはずで、
故に、
「経済学者が皆、金持ちというわけではない」
という言葉を思い出す。
冒頭、
議論をしていて、「あれ?」と感じることはないだろうか。
と述べているので、
この記事を見て、「あれ?」と感じることはないだろうか。
とオチにもってくれば、もう完璧だ!