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-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

博士と狂人

 

博士と狂人―世界最高の辞書OEDの誕生秘話 (ハヤカワ文庫NF)

博士と狂人―世界最高の辞書OEDの誕生秘話 (ハヤカワ文庫NF)

 

なかなか面白い本だったの紹介。

あらすじ。

 

41万語以上の収録語数を誇る世界最大・最高の辞書『オックスフォード英語大辞典』(OED)。この壮大な編纂事業の中心にいたのは、貧困の中、独学で言語学界の第一人者となったマレー博士。そして彼には、日々手紙で用例を送ってくる謎の協力者がいた。ある日彼を訪ねたマレーはそのあまりにも意外な正体を知る―言葉の奔流に挑み続けた二人の天才の数奇な人生とは?

 

最高の辞典を作るのには、どのぐらいの労力を要するだろうか?

一文字一句、出典まで調べ上げ、例文もこと細かく記述。

マレー博士が目指したのは英語という言語の集大成、いわば”ノアの箱舟”とも呼べる英語大辞典。

緻密さを極め、如何なる単語一つ逃さず捉えて作る、辞典の大変さとは?

想像もつかなかった。

 

本書を読むまでは。

 

現代では、”辞典”というものは当たり前に存在するが、その辞典を一から完璧に作るのに要する時間はどの程度か。一から作るのが如何に大変か。

それは我々の想像を遥かに越え、難解さを示す発言として、

  マレーはこの仕事の難しさに言及して

「われわれの前には白人が誰も斧を使ったことがない人跡未踏の森林を、手探りで進んでいくようなものです」

と述べている。 

などあるが、それこそ一般向けに吐いた比喩であり、当人たちの目に見えず語られなかった苦労は計り知れない。

 

そしてこのノンフィクションの醍醐味でもあるのが、このオックスフォード英語大辞書製作に協力した人物についてであり、偉大に貢献してくれたその協力者は、殺人を犯し、精神病院にぶち込まれた囚人。

 

本書はそんな囚人ながら博学であり思考深い人物であるマイナー博士と、辞典製作の主任マレー博士による、一つの目標に向け、互いに協力し合う友情秘話。

彼らの関係は何処か異端さを感じさせながらも、読書の心を揺れ動かす。

人の心を絶えず揺さぶり、情動の波にさらうのは、なにも恋愛事情のみではないと痛感する。

 

友情。

 

様々な意味を含有するであろうこの言葉に、彼らはどんな意味を持たせたのか、その完成させた辞書から検索してみたくなる。

 

電気、ガス、衛生、挙げればキリがないが、今ではごく当たり前に存在し、しかしそういったものこそ、実は当たり前になるまでには、途方もない苦労が成されている。

上記に挙げたものなどはまだわかりやすいほうで、”辞書”と早々に挙げる人は、あまり居ないと思う。

本書を読んで、今は当たり前にあるけど、そうなるまでには途方もない苦労が成されているリストに、是非とも”英語辞典”を加えていただきたい。

本書にはそれだけの情熱があり、意気込みに引き込まれ、そして彼らの奇妙な友情に魅了されるはずだ。

 

ノンフィクションの作品としては、オススメの一冊!

 

 

 後追記。

 戦争というものが、如何に広範囲へ影響をもたらすか。

当然、それは一概には言えず、そして誰にもわからない。

マイナー博士が狂人になったのは戦争のため、と定めるのは早計で、他の要因もあるように思える。

けれど一ついえるのは、戦争がなく狂人に陥っていなければ、辞典は完成していなかったかもしれない、ということ。

狂人が、正しい綴りや意味を呈する辞典の製作に深く携わったという事実は、まことに奇妙ながらもそこにはどこか皮肉めいたものすら感じる。

我々は、”狂人”と認定された人物が選んだ言葉を、真実として客観的に捉える。

 

ある小説にあった、印象的な一文。

 

通販でフィットネスマシーンを買い漁り、商品の梱包を開けてもいない物も多数。そんな荷物がごった返すガレージにて、その人物が少女に問う。

「わたしはイカレてると思うかね?」

少女は答える。

「お隣に住んでるお婆さんは、植え込みに向かって話しかけてたじゃない」

そして言葉を続けた。

「たぶん、わたしたちはみんなイカレてるのよ」

 

我々は皆、何処かしら狂っているのだと思う。

本書を読むと、狂人も常人も常に紙一重、それを思い知る。

狂人か常人かの判断は、観測者の定義によって異なるのはもちろんこと、時代や当人の仕事内容によっても異なってくる。

故に、絵に書いたような道徳模範的な態度をいつでも保ってられるのだとしたら、その人こそある意味では異常であり、捉え方によっては狂人。

完璧な常人、そんな人物が居れば、それこそ奇跡だ。