僕には数字が風景に見える
共感覚とはどういったものか?
それを知れると思い購入した本書は、意外にも教えてくれるのは共感覚のことのみならず、共感覚を持ったある一人の人間がどのような人生を送り、どのような生活を送っているのか?という事を教えてくれる、より深いテーマを示唆する内容だった。
構成としては日々の生活を口述体で綴ったものであり、幼少期、少年期と、他の子と違い他者に触れ合わず、他者と係わらず過ごした時の心境、自分の特殊性に気付き始めた青年期と、その時々の内情を隠すことなく露にし、こと細かく自身の不安定なものも含めての心情を述べており、「人と違う事って何?」といったような明確な答えのない問いに対する一種の答えを教えてくれる。
しかしそれが善悪と決して直線で結びつかないものであるとも示す内容は、アスペルガー症候群と言われる”障害”も、捉え方によって”障害”なる定義も異なるのでは?と思わせる。
読んでいて思わずハッとさせられたのは、”共感覚”を持っていながらも、他人に対する”共感”は持ち得ていないと言う事で、この事実がとても興味深い!
人間が進化した一因であろう”共感”を持たず、それでいながら数字という一見して無機質なものに対しての”共感”を持ち、人間という最も身近で親愛なる有機物に対して”共感”を持たず居ると言うのは、まるで数字を親しき隣人のように思って有機物、人間を無機質なものと脳が捉えているようで面白い!
脳の回線ひとつ違うだけで、共感を覚える対象物が変わってしまうのだとすれば興味深く、そのポンコツに思える仕様が実は正しく、他人に興味、関心、同情を持つのが実は異質なのだとしたら?確かめようのない事ながらも、人間の可能性の広さを感じさせる共感覚の症状とは、実に奥深い!
あと常用句の意味を捉えるのが苦手だったと言う少年時、その印象的だったやり取りがこれ。
弟が無愛想な態度をとったときぼくの両親は「虫のいどころが悪いんだよ」と言った。
「じゃあ、虫を別のところに動かせばいいでしょ?」とぼくは言い返したものだ。
皮肉感あるユーモアを天然に繰り出すその姿には、マーク・トウェインでも思わず笑いそうだ。
異常と評される共感覚とアスベルガー症候群、これらを持った著者の人生の全貌が綴られる内容、数字が色付いた姿で見えたり、数字一つ一つが異なった格好で見えるというのは特殊な症状であるのは間違いなく、こうした独特の世界を”文章”というフィルターを用いて垣間見せてくれる本書。
人間の脳の不思議さを改めて教えてくれるものであり、あと、口述的ながら巧みな文章も印象的で、書き慣れているなと思わせる文体。おかげですいすいと読み進められ、著者の普通でないとされる感覚、数字への共感性や親近感性の欠如として見られる世界観、それらが明確となって露にされているので、研究の分野でも非常に興味深いとされた理由が良くわかる。
示唆に富む、と言えば語弊があるものの、こういった考え方、見え方、人生の捕らえ方もあるのだなと思わせてくれる本書は、視野を一つ広げさせてくれる内容。。
本人のみが知り見える不思議な世界を知ると言うのは、ある意味では十分にSF的だ!