book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

アルジャーノンに花束を

 

とても有名な作品。日本において2度もドラマ化された本作。 

ようやく原作を読破。

感動的、と言うよりはこの作品一つ、本一冊に収められた内容の膨大さに驚嘆!示す啓示は多大であって、読み終え「凄い作品!」と拙い表現で述べる他ないのは、感情を表す右脳が分析的左脳を大きく上回り刺激されるからで、単純な感想こそが感動したという何よりの証拠!

あらすじ。

 

 32歳になっても幼児なみの知能しかないチャーリイ・ゴードン。そんな彼に夢のような話が舞いこんだ。大学の先生が頭をよくしてくれるというのだ。これにとびついた彼は、白ネズミのアルジャーノンを競争相手に検査を受ける。やがて手術によりチャーリイの知能は向上していく…天才に変貌した青年が愛や憎しみ、喜びや孤独を通して知る人の心の真実とは?全世界が涙した不朽の名作。

 

五臓六腑に染み渡るストーリーは時に内臓えぐられそうになり、人間の持つ純粋さと醜さをこうも交互に示せばその塩梅は実に極端。
誰だって人の上に立ちたい。人より偉く在りたい。優位性からなる顕示欲は時に善であり、おおよそ悪。人間の一過性の道徳的に捉えればこうなるであろう内容を呈し、登場する人物たちはどこにでも居る人たち。彼らは自己がありプライドがあり、人間として生きている。では各人間における自己の尊厳とほどよい顕示欲の両方をバランスよく成り立たせる事は可能か?

現実はきびしく、そこには歪みが出来る。

 ではその”歪み”とは?

これは”歪み役”をさせているものを、世界を暴く物語でもある。

 

何より切なく胸に染みるのは、手術により賢くなったチャーリイが知能と引き換えに純粋さを損失すること。

知能を得ては霧が晴れ、露わとなって気付く周りの醜態。


誰だって知恵遅れを小馬鹿に、もしくは必要以上に優しく接し、結局は極度に差別してしまっている。ニーチェの同情批判を呈すようなものでもあり、バンブオブチキンの藤原さんが「足の不自由な人が階段を上ってたらどぅしますか」の質問された時の答え

 

いや俺はなにもしねぇな。それで手をかして階段上ってもそいつは嬉しくねぇと思うから。「大丈夫ですか?」っつってそいつを助けないってことです。だってもし助けたらその瞬間に「あぁそいつは1人で階段上ぼれねぇな」って決めつけてるじゃいですか。そっからすでに差別だと思うんすよ

 

といった言葉を想起させる。


人間とは?人間扱いするとは?世界に対して強烈なメッセージを問う作品。自己は認識できても他己は認識できない。

では、あなたはどうして他人を、自分と同様に人間扱いするのか?その指標とは?示す答えにハッとする。


猛烈に感動!

こう思うのは差別的な深層心理を浮き彫りにされるためだけなのではなく、初期のチャーリイのような、極めて純粋で純朴な自分、といった全ての人が成長と共に失ってしまうものを花火の如くみせてくれるからであり、その美しさこそ人間を賞賛するに値する情念であり、人は失ってから初めて大切なものに気付く。

チャーリイは早急に知能を上昇させすぎた事によって失う事の恐怖を遅れて知り、そしてそこからは失う恐怖を誰よりも深く知る!


知識のみがすべてでないよ、と謳う内容。あと思うのは、人間に本来備わる純朴さや正直さ、それを示し褒め称える人間賛歌であり、雲ひとつない青空のような純粋さから、人は成長するにつれて如何に思想を曇らせる事か!

 

そしてこの作品が全体を通して伝えたかった事は至極シンプル。「愛こそは全てにおいて最も重要!」まさにこれに尽きる。
シンプルすぎるほどにシンプル。シンプルイズベストでも言おうか、それ故にこのメッセージが深く胸へと突き刺さる。

もしも最後、退行したチャーリイにも未だ、スマートであった頃の自分の意識が片隅にでも残り、それでおいても再び職場に戻って仲間達と接し、そこで以前と同じような態度とっているのだとしたら、何たる人間愛!
無償の愛、無償の受け入れ。まさに聖書に従い、彼がただ友人を友人として愛していたのだとしたら!それこそ素晴らしい人格者であり、彼は叡智に富む人間よりも愛され同時に幸せなのだ。”愛は知識に勝る”という俗説ながら”人間”の真理をここに垣間見た。

 

端的に言えば、こうした考えは心理学的であり神経科学的。つながりを求めて愛することが一種のホルモン促進を促がし、幸運であると認識させる。故に神経科学的な”人間真理”といえよう。

 

今更ながら読んでもスゴ本であると形容でき、期待にそぐわず、いや期待以上に凄い作品だった!