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-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

『残像に口紅を』に思う”0”の概念

 

残像に口紅を (中公文庫)

残像に口紅を (中公文庫)

 

 昨今、アメトークでカズレーサーが紹介したことによって知名度を急上昇させたであろう本作品。

といっても自分もある意味ではそれに漏れず、紹介される以前から購入はしていたが、カズレーサーの紹介によってより興味を持ったことは事実。

そうして一読。

どのような内容かと言えば、このようなあらすじ。

 

「あ」が使えなくなると、「愛」も「あなた」も消えてしまった。世界からひとつ、またひとつと、ことばが消えてゆく。愛するものを失うことは、とても哀しい…。言語が消滅するなかで、執筆し、飲食し、講演し、交情する小説家を描き、その後の著者自身の断筆状況を予感させる、究極の実験的長篇小説。

 

 

そうして読んでみた本作はまさに実験的作品。

言葉としての「あ」が消えれば「あ」に関連する言葉、事象も消滅してしまう。

つまりこれは言葉として表される”シニフィアン”が消えると、同時にその”シニフィエ”も消滅。ただその事象の残像ばかりを微かに残して。

するとこれは、「我々は事象を認識して名づけているのではなく、言葉として名づけ認識してから、それを認識できるのであり、故にそれは同時性を保つ」としたような内容であって言語学的。

それでいながら内容としては大衆小説よろしく読みやすい文体であって、複雑な構成をブラックボックスのように隠して感じさせず、まるでエッシャーの絵を眺めているような一見して「すごいなあ!」と素直にわくわく感激できる作品。

 

けれどこうした「文字が消滅していくながらも、残された文字を巧みに使用することによって、その言葉の消失を思わせず、またあえて消失した文字を示すことによって、物事との関連を示す」とした緻密な構築性に感嘆とするのはともかく、

それ以上に「これは面白いな」と思ったこと。

 

それがタイトルにある”0”としての概念との関連性。

 

それは、「文字をなくす、ということで、なくした空間を見せる」ことだ。

これによって、「なくした」空間としてみせる、正確には読ませる「新たな空間」が存在しており、それは「なくした」ことによって「生じ得た」空間。

つまり「なくした」ことによって生じる世界のことであり、「存在」としてそれを知ってしまっていたら既に見ることのできない、感知すらままならないまさに想像外の空間としての世界を垣間見せることであり、例えて言えば

チョコレートの味を知っている人に、チョコレートの味を知らない人の世界を見せてくれる作品」。

こうした錯覚的なものの読み物は面白いな、と思えた。

 

これが、”0”としての概念との関連性であり、

要は「“0”がある」のような、当時において数字に“0”が認識されたことが画期的であったように、新たな可能性を示唆することなのでは?と思わせた。

 

そして一読して思ったのは、

筆者における

「語彙の豊かさ!」

というよりは、

「その言葉遊びの豊かさ!」

であって、実にユーモラス。

まさに言葉遊びで、韻を踏んだ言い回しなどセンスの塊!

娯楽作品としての完成度もさることながら、そうしたクオリティと平行して読ませる現象学的な不可思議世界。

実験的作品であり、同時にそれは作品が試されているのではなく、

読者もまた試されているような作品。

すると複合的にも「面白いな」といえる作品であって、

一読する価値は十分にあると思える。

おすすめ!