本ブログは正直言って、あまりアクセス数はない。
本音を言えば、アクセス数は当然多いほうが喜ばしい。
だけれど、かえってアクセス数があまり多くないからこそ、できることもある。
それはつまり、
「本音として言いたいことを言う」
ということに他ならない。
皆さんは、太宰治の有名な作品『走れメロス』にどのような印象を抱いているだろか?
友情と信頼しあうことの偉大さを讃えた傑作?
そのような認識で、まったくそのとおりであると思う。
しかし自分の場合は違い、その理由もちゃんとある。
遡れば何年生であったかは定かでないが、この『走れメロス』、
小学校の低学年時において教科書に載っており、そこでおそらくこの作品をはじめて知った。
当然、ごく普通に授業を受けていれば、
「ああ、メロスって、逃げずにちゃんと戻って偉い!王様もその美しい姿を見て改心をしたし、約束を守るって素晴らしい!友情って素敵だ!」
なんて印象を抱いて、はい終了。
となっていたと思う。
しかし問題は、席が近かった同級生。
その彼は、とにかく教科書に落書きをする子だった。
ありきたりに偉人も各々が変人に豹変。
そんな度に笑わされていたのが、特に印象深い落書きが、この『走れメロス』だったのだ。
今でもよく覚えている。
それはちょうど、メロスが走って友のもとへ必死に向かっているところで、原作通りほぼ裸に近い状態ながらも、メロスが走っている。
そうした場面が描いてあり、落書き名人の友人、そこにも落書きを。
どんな落書きか?
それは、
メロスの空いた手に機関銃を持たせて、体に薬莢を巻きつけ、今から刑場に殴りこみに行く。
といった風な落書き。
もうこれって『走れメロス』の要素をほぼ改ざんしており、これには思わず噴出し大爆笑。
だって、それはもうストーリーが180度変化してしまうから!
そうした絵を見せられるともう限界で、
想像として勝手にどんどんと浮かぶ情景は、原作の話とは正反対。
まるでランボーのごとく、武装したメロスは一人、単体で刑場に乗り込み、機関銃の火を吹かす!!
護衛兵を軒並み退け、大暴れ。
『走れメロス』の『走れ』がもはや、『残虐無比の王様のいない明日に向かって走れ!メロス!!』みたいな、もうハリウッドB級映画張りのテンションに思えてきては、王様に対しても最後には「くそったれやろうが!」とメロス、命乞いをする王様を蜂の巣に。
そこで無事にセリヌンティウスは助かり、ここまでくると二人のやり取りも変わってくる。
「メロス、きみがいったん村に帰ったのは、妹の結婚式に出るためではなく、武器を揃えるためだったのだな?」
「ああそうさ!あたぼうよ!」
なんて二人のやり取りさえも浮かんでは、もう笑いが止まらなかった。
そんなわけで、
みんなが『走れメロス』に抱くであろう感想、
「とっても感動した!」
なんてことは思い浮かばす、想起するのは、
「メロス=ランボー」的な縮図。
周りが感動する最中に一人必死に笑いをこらえ、自身の中には「『走れメロス』っていうのは、まさにアクション大作だ!」なんていう突拍子もない感想を抱くに至る。
そんなわけで、ここまで助長に書いてさて
「何が言いたいの?」
と問われれば、それはすなわち
「感受性の違いや、物事への感想は千差万別、人それぞれ」
ってことだ。
だからこそ、「王様の耳はロバの耳ー!」と叫びたい衝動に駆られるわけだ。
それが顕著に、世間との反応とずれている場合には。
だから、閲覧者の少ない此処でこそ、思い切り叫ぼうと思う。
「ネットだと『献灯使』って小説はすごい絶賛されているけど、実際に読んでみたら酷かったー!!SFの設定がむちゃくちゃで、ネットで見かけた”今まで読んだSFの中で一番衝撃的だった!”ってコメントまじかー!!!?というか、それSFほとんど読んでねえだろー!!!!」
この小説は宣伝としても絶賛の言葉が並び、それで購入して読んでみたのだけれど…。
「王様の耳は、ロバの耳ー!!!!!」
これが閲覧者の少ない、ブログにおけるたった一つの冴えたやり方(冴えてない)だと思うのだ。