book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

ポプテピピック1話目のAC部作品による形而上性について。

昨今、大人気のアニメ『ポプテピピック』。

つい最近、6話目も公開されており、今にして最も勢いのあるアニメ作品とも言えるかもしれない。

しかし個人的には、回を重ねるごとに微妙になっている気が…。

それでも1話目での衝撃は凄まじく、初めてアボカドマヨを食べたぐらいの驚きはあった。

 

今にして思えば、そうした感情の揺さぶりとしての要因は、

・予想外の声による驚きとそのマッチ具合。

・数々のパロディネタと全体に蔓延る皮肉感。

など。

なかでも特に衝撃だったのは、

AC部の『ドブネミミッミ』

これが特に大きな要因。

 

その作画のインパクトはもとより、

一話目の作品ひとつが妙に記憶に残り、しこりのようになって存在し続けた妙な違和感。

それはなんだろうかと思う中、最近ふと気づいた。

とりあえず、その問題の作品を見てもらいたい。

www.youtube.com

内容として、ピピ美が「たくあん」にされるという、なんとも理不尽なオチ。

しかし、このオチの一番の問題は

「たくあんにされる」

ということではなく、

「たくあんにされた後にも意識を持ち、自己を失っていない」

という点にある。

これはつまり、

肉体を失ってもなお、

”ピピ美”

としての存在をなお継続している事象を示しているからであり、平易に換言していえば「自己の永続性を示している」に他ならないからだ!

 

この作品を見て得た妙な違和感こそまさにこれで、

不死の存在を否定するようなメッセージ性。

 それは肉体を超越した存在を描くことにより、「不死と永遠の価値観の逆転」である。

この価値観の逆転に関しては、偉人ピタゴラスによる思想「感覚的世界と超越的世界との間の価値の逆転」を思わせ、つまり「不死」以上、死なないということ以上に「時間を超越したものに価値を置く」ことに対して価値を置き始めたプラトンやクセノポンの思想と類似する。

 

まさか昨今のアニメを見ていて、「ソクラテスの死」が哲学史に対してもたらしたもの*1と、同様のものを感じ得ようとは。

 

 

イギリスの作家、ノーマン・エンジェルはこう述べている。

 

「単純で重要な問題ほど問われることは少ない」 

 

 

 

ポプテピピック』というアニメは確かにクソアニメかもしれない。

しかし、人の根本的な疑問に意識を向けるよう、きっかけを与えてくれるクソアニメでもある。

不死性による尊さへの否定。

それはある種における不死性としての神の定義を否定するわけであり、クソアニメだけあってかみをよごすわけだ。

 

 

 

なんて突飛なことを考えてみたり。

 

 

*1:ソクラテスは自ら処刑を受け入れることによって、概念としての永続性を示した。