book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

5月に読んだ本からおすすめ10冊を紹介。

5月に読み終えた本は33冊。

その中からおすすめの10冊を紹介!

 

 

 

第10位

『気づきの旅―現代人を幸せに導く、チベット仏教の教え』

気づきの旅―現代人を幸せに導く、チベット仏教の教え

気づきの旅―現代人を幸せに導く、チベット仏教の教え

 

構成として、予想外にも自伝的側面が濃い。

それでいながらも思った以上に得るものは多く感じた一冊。

あくせく働く現代人にとっては金言とも取れる戒めの言葉は数多く、心の平穏の大切さについて平易に語るのだけれどそこに説得力を感じるのは「さすが仏教!」と言ったところ。

そして一読すると確かにチベット仏教について多少なりとも学べ、「トンレン瞑想法」の作法などの解説もあって実用的。

けだし読んでいて特に感じたのは、著者における煩悩の多さ。

チベット仏教体験記では、「働き詰めであって真に大切なものを見失っていた!」なんて青汁の健康CMくらいにはベタなことを語っておきながら、

「じゃあ出世などを望まずに平穏に暮らすのかな?」

と思えば、ところがどっこいその真逆。

いくらブッタの智慧としての「ダルマ」を教授されたと自己申告をしても、自伝的場面で「作家になる夢が叶った!」となって足るを知るのかと思いきや、その後には「ハリウッド映画化や、大ヒットせずに大いに落ち込む…」なんて心境を吐露。

「これってはまるで仏教について理解していないのでは?」

という突っ込み待ちの展開にはもう笑う。

それでもチベット仏教の先生が語る「輪廻」についてなどは啓蒙深く、いい話だけに、著者の態度とのコントラストが目立つ。

だから穿って言えば「物質主義や欲望に塗れる事の害を悟ったように諭すが、実際に己の行動が伴っていないという、ユーモア本」であり、けれど普通に仏教に対する真摯な姿勢やその思想について改めて思わされることは多いので、普通に良い一冊ではあるかと思う。

 

 

第9位

『考える力が身につく ディープな倫理』

考える力が身につく ディープな倫理

考える力が身につく ディープな倫理

 

 手軽に読める新書の一冊。

内容としては、センター試験や大学入試などに出された倫理の問題を示してその解説とともに「倫理とは?」と改めて考えさせる機会を提供。

その問題には、カントの定言やベンサム功利主義についてなど。

あとはベンサムエピクロスにおける、幸福に対しての捕らえ方の相違についてなどの問題もあって、「エピクロスの幸福主義?それって、僻んだストア派が流した風説だろ?」なんて思って読めば、「エピクロスにおける幸福の定義とは『精神的な平穏』にある」として復習にも勉強もなった一冊。

あと中国哲学についてもいくつか出題されていたのが印象的。

なかでも朱子による哲学などは、改めて読み解くと二項対立的であり相対主義的な俯瞰さを持っていてその慧眼さに驚かされた。

他にもレビィ・ストロースにおける『野生の思考』に関する問題も出たりと盛りだくさん。結構な幅広さの内容で、楽しみながら有名な思想に触れられるので、

「哲学って何?おいしいの?」

なんて人にもお勧めできる一冊。

もちろんヘーゲルも取り上げており、「カント批判の内容とは?」という往年の哲学ファンにも楽しめる問題はあるので、哲学好きにもお勧めできる。

人気者ニーチェの問題もあるので抜かりなし。

「力の意思」ってなんぞや?というのにも分かりやすい解説付き!

読めば「神は死んだ!」も自身の語彙に加わることは間違いないだろう。

哲学好きはもちろん、哲学に興味があるのなら手にとって損はない一冊。

 

 

第8位

『臨床とことば』

臨床とことば―心理学と哲学のあわいに探る臨床の知

臨床とことば―心理学と哲学のあわいに探る臨床の知

 

 臨床心理学者として有名な河合隼雄氏と、臨床哲学者である鷲田清一氏の対談を収録した一冊。表題どおり「ことば」を主軸にして、臨床心理の現状についてを現場的知見から物語る。

興味深いのは河合隼雄先生がカウンセリングの極意をこれでもか!と惜しげもなく示してくれている点であり、現場で培われた知見はすなわち商売道具のようなもので、「それをこんな赤裸々に披露していいの?!」ってほどにはハッとする。

そこで語られた、ひとつのカウンセリングの極意としては、

”相手の言葉を聴くのと同時に相手の懐に入り、また相手にそれを悟らせて相手に自分を客観視させること”

とのことであり、この方法には感嘆とした。

つまり臨床心理士として患者を治療するということは、相手に対して自分自身を知覚させることであって、自分自身を客観視する機会を設けることにこそ、その真意があるということだ。こうした「自己」や「自我」を対比もしくは独立させての認識作法というのは哲学的であり、「自我」って造語を作ったのは河合隼雄先生か!?なんて思えたり思えなかったり。

他にも金言は多く、

「人は誰しもが興味・関心を持ってもらうことではじめて輝ける」

という言葉は真理にも感じた。

そして河合隼雄先生が行ったのは日本における臨床心理の開拓ばかりではなく、その功績は研究発表の場においての改善もあったのだと知る。以前はデータを主体にした客観的なものを研究発表の場で示すのが通例だったのを、河合隼雄先生は事例研究を徹底させて取り組むようにしていたのが改革的。そうした発表は普遍性こそなく、従来的に言えば「学術的ではない」とされるかもしれないが、あえてそこで生じる偶然性に注目して発表をする。

これまでの常識からすればそれは異端であるが、けれどその事例研究によって示される結果が実際には重要であるのは実用的であるからに他ならない。そして発表の際にも、そうした偶発的結果とも言える事例研究のほうが注目が集い、通常の発表なら席を立つ人も多いが事例研究の発表では誰もが興味を抱いて席を立たなかった、とする事実は面白い。

ピアスをつけるために穴を開ける行為や、暴走族の暴走行為などにおける自傷行為を「イニシエーション」、つまり大人になるための「通過儀礼」と考察する点などは、単に若気の至りとして片付けるのではなくそうした行為の真意を物語っており、その行為の意味に気づかされて大いに納得ができた。

このような自傷行為とは世界中で見られる行為でもあり、それは自分の体を自身で傷つけることによって、自分の体と知らしめる一種の行動形態なのだと解説によって知る。これらは、肉体としての一固体を確立するための行為だと解釈すればわかりやすい。

けれど「随分と唯物的ではあるなあ」とは思う。

あとは哲学家ミシェル・セールによる魂についての解釈は独特で面白く、氏曰く

「肌理の重なる場所にこそ魂は存在し、その都度に移動をしている」とのこと。

これに付属する意見としてセックスの存在意義についても本書では語っており、なるほどと納得できること請け合い。

 

 

第7位

『かくれた次元』

かくれた次元

かくれた次元

 

 そのタイトルから数学的な本かと思いきや、読んでみると文化人類学的内容。

といっても、動物の行動を視察して、さらに人間理解を深めようとするので動物学的でもある。

そして読んでみて思ったこと。

「見る」と「考える」の関係性は”相関的”であるのだと思うけれど、実際には”因果的”であるのだと。これは「因果」といった言葉の本意的にもそう思う。

内容としては、パーソナルペースの重要性や、視覚のあり方についての考察など。ねずみであっても、限られたスペースでは限界値としての定数があるという実験結果は少し意外で、環境に強いねずみであっても過度な窮屈さは随分とストレスでありそれが生態的な反応を示すまでにいたるとの結果は、人間に当てはめて考えても有効そうではある。あとは国別における人柄の特徴についての考察は面白かった。

美術と空間についての考察も興味深く、「美術品はそのサイズも計算されており、大きさを含めての作品である」とする言葉は贋作や模造品殺しのことばではあった。

 

 

第6位

『アサッテの人』

アサッテの人 (講談社文庫)

アサッテの人 (講談社文庫)

 

『言語ツンデレ』 

という前代未聞の意欲作!

“第137回芥川賞 第50回群像新人文学賞 W受賞!“とのことで、多少注目しながら一読。読むと評判どおり言語学的な内容であって、なかなか面白い。

そして表題の「アサッテ」とは「明後日」のことかと思いきや、そうした思惟は外れて実際には「的外れな方向」とも呼べる、方向的なことを指していたのだと知る。

そして本書は小説ながらも、物語を語るというよりは随分と思弁的な内容で、一読してその文体は円状塔っぽいなとも思わせた。

あらすじとしてはごくシンプルで、叔父の失踪を探す上で残した日記を紐解き、そこから叔父の思想を語り述べていく。ただそれだけ。

それでも物語性としても面白みはあって、「ポンパ!」といきなり叫ぶようになった序盤における叔父の描写などは滑稽かつユーモラスさたっぷりで、テレビのコントにしてもうけは良さそうだ。

「そのことばにはどのような意味が!?」とするワクワク感、ミステリーとしての娯楽要素もあって目が離せず一気読み。ぐいぐいと引き込まれると、打って変わって中盤以降からは急に真剣味を帯び、そして…。

このあとは少しネタばれなので、できるだけ空白状態で読みたい!という人は読み飛ばして。言語学に興味ある方や、「え?この言葉って、どうしてこの言葉として通じるんだろ?」という疑問を抱いたり、「言葉はくそだけど、そのくそを示す言葉がない!」なんて構築理論批判派の人にもうってつけの一冊!言語SF的な内容の小説であっておすすめなので、ぜひ読んでみて!

 

内容に少し踏み込んでの感想について。

後半、吃音によって生じる世界との隔たりと、それを突如克服したことによる戸惑いと世界における構成の実態を垣間見る結果となった心境などはそれこそ二項対立的でもあり、またデコントラクション的な思想を汲むものであったからであると思うと少し前の世代における構築理論と脱構築の流行していた時の熱気を見ているようであって面白い。そして確かに言語学的な概念を主軸に置きつづけ、ラングとパロールについて改めて考えさせられるような内容ではあった。

すなわち「意味のない言葉をあえて発する」というのは、定められている意味からの脱却であり、それこそ言葉の本質の一部であると信じる叔父の気持ちはわからないでもないのはきっと「自分が言ったことを、相手が自分が言ったこと以外の意味として理解することにおける気持ち悪さと気味悪さ」や、単純に「ことばの窮屈さ」からきているのではと思う。

要するに純粋な言葉自体への愛着、それは吃音によって憎悪にも近いものを抱きながらも、急遽それを解かれたことによって請ずる疎外感。平易に言い換えれば

パロール的言語に対するツンデレ」。

ゆえに終盤につれて最初の「ポンパ!」の意味もわかり、それが本当に真剣な所業であったということも。

晩年における叔父の狂気を「たまねぎを切って涙を流すのではなく、涙を流すためにたまねぎを切る」というたとえは実に秀逸で、命題論理のからすれば多少の誤謬があるかもしれないが、本能に訴えかけてくるような正確性!

つまり「ポンパ!」が生きる歪みを見つけるための鋳型を探していたのが、気づけば、鋳型に依存しはじめており逆転してしてしまったという顛末。また「チューリップ男」の項も随分と印象的で、隠された他人の性分を除き見たような感受性さえも与え、ここに関しては笑えることも示威深くさせられる教訓じみたものも感じられた。

面白い!!

 

 

第5位

『対称性から見た物質・素粒子・宇宙―鏡の不思議から超対称性理論へ』

 多少難解ながらも、一読すれば世界にはびこる摩訶不思議な現象「対称性」、それが実際には如何に不思議でありそして重要な概念なのか?

話は鏡像における不思議さからからはじまり、最終的には超ひも理論にまで話は広がり、「対称性」が見せる世界、「対称性」が語る世界、それらは実に可能性に富むのだと驚嘆する。示される式の意味も分かると、もう世界の見え方がまた多少なりとも変わってくる一冊。

よくよく思うのだけど、数式や物理の、美しい方程式を見て、その式の意味を真摯に知ったとき、そこでハッとして見える景色は、登山における登頂での絶景にも勝るものであるといって過言でないと思うのだ。

 

  

第4位

 『「場」とはなんだろう―なにもないのに波が伝わる不思議』

「場」とはなんだろう―なにもないのに波が伝わる不思議 (ブルーバックス)

「場」とはなんだろう―なにもないのに波が伝わる不思議 (ブルーバックス)

 

 内容として、古典物理的に言えば「エーテル」の存在について明らかにする内容で、はたして電磁波とはどのようなものか?。

そして、「何を媒介として伝播していくのか?」を懇切丁寧に解説してくれる一冊。

それでまずはマクスウェルによる、電気と磁気との関係性とそれらが作り出す「場」についてを説明。その伝播の様子を図なども用いて生き生きと示し、それによってだいぶイメージとしてつかみやすかい。

それからマクスウェルの立てた方程式について4つにわけ、ひとつずつを説明。

すると「えっ!この式って難解に思えてたけど、実際にはこんなシンプルで分かりやすいのか!」と目から鱗になること請け合いだ。

それによって電波のベクトルにおける拡散について、その際における磁気の場への影響についても理解しやすくなっており、そして方程式に登場した「カール」なる言葉が示す「回転」もことばの語源と一緒に解説するので覚えやすくもある。

重要な「双対性」との言葉も最初に登場させては、大きな複線として後半に生かすサスペンス仕様もあって娯楽性も兼ね備える。

そして中盤からはファインマン図を登場させて、ファインマンが提唱した量子と場のかかわりを解説。ここでもおおよそ数式を使用せず、言葉とイメージでその内容を解説するのだからすごいと同時に実に野心的。だがそれで実際に分かり易いのだからすごいと思う。

その後には重力「場」についての解説もあって、この流れとして当然のようにアインシュタインにも触れて大人気である相対性理論についての解説も。

最後にはひも理論までも触れ、素粒子ヒッグスについても語られ、意外と盛りだくさん。

物理嫌いの人であっても、むしろ読めば「物理って面白い!」となれる一冊であって、老若男女にお勧めの一冊。新書で手軽なのも良い点だ。

 

 

 

第3位

『バグる脳 ---脳はけっこう頭が悪い』

バグる脳 ---脳はけっこう頭が悪い

バグる脳 ---脳はけっこう頭が悪い

 

表題から脳科学に特化した内容かと思いきや、実際には行動経済学的な面も強い。

つまり『ファスト&スロー』のように、ヒューリスティック認知バイアスなどについて解説をする項が結構多くて面食らう。

それでも本書は「脳」をテーマにしているだけあり、その後には脳科学の観点から各種の事象を説明しているので、一気に面白くなる。

要は人が不条理な行動をとる際、「脳がどのようにして不可解なバイアスを起こしているか?」「脳内においてどのような状況を作り出してしまっているのか?」と内分泌的にも解説しており、相互作用によるものなのかと納得。

脳内において、事象を関連付けるために存在するニューロン連合における繋がりが「ノード」といわれるものであり、これが「注文時には真ん中の値段のものを注文してしまう」という行動経済学には有名な逸話の具体的な(ある意味では物理的ともいえるかも)説明となり、統計的結果ではなく生理現象として理解できる。

要は「a、bの場合からcが追加された場合、bとcに類似点がある場合には、そこでbとcの結合が太くなり、それによって二択となる(cはbより劣る)」ということである。

あとは終盤の

「どうして人の脳は宗教などの超越的存在を信じるのか?」

という考察がなかなか面白い。そこでの一説、

「宗教としての一つの共同体を作ることで信頼関係を築き、信頼社会を築くことで生活が成り立ちその固体が生き延びたため」

というものは安直ながらも説得力を強く感じた。

あとはプライミングの効果は絶大だなと改めて思ったり、「おそらく人間の脳がほかの動物と違うところは、超自然的存在を信じる傾向ではなく、むしろ超自然的存在を信じないようにする能力だ」という言葉は刺激的でありそして意味深である。

本書は脳のアーキテクチャーを解説することから始まり、太古からにおけるまさに「負の遺産」の正体を明るみに出す。

そこでは記憶の結合について、検索と算出が表裏であることなどを解説。つまりは「脳の連合アーキテクチャー」こそ重要な存在であり(この言い方は少々便宜過ぎるかも)、ニューロンのネットワーク化の結果による栄光と弊害に他ならないと語る。

脳は情報を、ニューロン同士のつながりのパターンで記憶する。この「つながりのパターン」というのがまた重要な概念であり、この「ひと括りにする」ことで、即効性がありまたこれらを可能にしているのがシナプス可塑性。

シナプスニューロンシナプスニューロンが同期しているかどうかをシナプスが「知る」ことができるようにする賢いNMDA受容体。

神経ネットワークに貯蔵されている情報を効果的に利用する鍵はプライミング効果で、何かの概念を表すニューロンは、活性化するたびにパートナーたちに注意を呼びかけるメッセージを送る。

まとめを言ってしまえば、「脳の連合アーキテクチャーとプライミングは協力で素晴らしくはあるが、この二つが合わさって、フレーミング効果やアンカリング効果、マーケティングの影響、無関係な出来事に左右されるなどの、多くの脳のバグの原因となっている」。

最後にあった「文化こそがプログラマーなのだ」といった言葉は生得的なものの指し示す表現としては実に適切。これは名言だと思う。

 

 

 

 

第2位

『SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと』

SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと

SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと

 

 面白くて熱中してしまい、最後まで小休憩もなく一気に読んだ一冊。

そうして読み終えた本書は題名どおりSFで、俗に言う「親殺しのパラドクス」をあらすじにした内容。特徴的なのはその文体で、翻訳者はなんと円城塔

独特な文章はそれのみでも面白い。

展開と構成としては多少哲学的であり、自己の存在とその存在性への言及についてなどはパラドクス問題を抜きとしても、なかなか面白かった。

あとは「書かれているこの本の内容のままに進む」といった、実にメタ的な作品であるのも特徴的で、「メタ作品大好き!」って言う人には、直にお勧めできる小説であるのは間違いない。

このあとネタばれ感想。未読で読みたい方はご注意を。

 

 

最後、この作品の意図に気づいてハッとし驚愕。

本書は、主人公がこの本事態を読みながら書き進める、という、まさに二重メタ的な構成となっており、読者は登場人物である主人公と一緒にこの本を読んでいるという設定は特殊。でありながら独創的で面白く、またそれであるが故に、最後にも未だ「書き続けろ」として思い描く結末としての「救助をあきらめるな!」と記しているのであるとわかって、思わずゾワっとした。

あとは、そのタイムマシン理論の落ちとしては、「実は人間の存在自体がタイムマシン!」として、「人も実際はタイムマシンと同等のことをしているのであって、“いま”や“この瞬間”を今として感知して知覚しているシステムが発達した状態にいる存在に過ぎない!ゆえに、この未知の脳の部分を刺激することによって、“過去”と呼ばれるものも“今”として知覚できるようになる!」というアイデアはなかなか魅力的であるが、既知感あって「これは『遊歩する男』と同じでは?」との思いが浮かんだりもした。

だから実際、その点に関してはあまり目新しいアイデアにも感じず。それでも本書は風情豊かな描写がいい感じで、そして家族に対しての内に秘めたしたたかな敬愛さなど、その情景についての描写が感情の揺さぶり加減として実にスリリング。

そして個性的な搭載OSの擬人化具合もほどよく、この辺などは特に日本人読者には好まれそうには思えた。

このSF作品の「S」こそ実に「スペキュラティブ」さを示す「S」であり、実に思弁的作品。

最後のオチは「結局は予告どおり、未来の自分に撃たれる」というのは実に平易で、まさに決定論者的な展開。と思わせておきながら、そこでの「未来は決まっていようと、変えようとする意思だけは持つことができる!」という言葉が特徴的であり、そしてこの小説の仕掛けでもある!

そうしたことによって、この本が続く限り、その意思も継続するのだと。

これによって、謎めいていた序盤における未知の彼女や父親を見つけるといったことの意味がようやくわかり、最後に見事すぎる巨大びっくり箱を用意された印象。

最後のページに示したこのトリックには、サスペンス小説以上に驚かされた!

「記述が終わらなければ物語は終わらない」

これは実際、この小説に対するものだけではなく、読者自身に対するメッセージでもあり、まさに意思による可能性を示唆。故に本書は「人の可能性」を取り上げた作品であもあり、本書はすべての人に開かれるべきテーマを掲げているようであって、SFとしてもかなり良いオチであったと言わざるを得ない。なんとまあ、実践哲学的なオチ!

 

 

第1位

『「おいしさ」の錯覚 最新科学でわかった、美味の真実』

「おいしさ」の錯覚 最新科学でわかった、美味の真実

「おいしさ」の錯覚 最新科学でわかった、美味の真実

 

食に興味があり「おいしい!」が好きな人にはぜひとも読んでもらいたい一冊。

 内容としては

「味を感じるのは舌だけでなく嗅覚や聴覚なども重要に関連しており、さらに周りの雰囲気など多種多様の影響を受けるもの」として、それら影響の実態を解説。

要するに、人間はものを食べて「美味しいな!」と感ずることは、創造しているよりよっぽど五感を使用している結果なのだなと痛感する。

すると「著者は、味覚に関しての還元主義者かな?」

なんて思う人もいるかもしれないが、実際に味覚とは各器官から精神的な面からの影響も多いと解説し、実施には全体論的な帰結にたどり着いているので安心してほしい。

そして言ってしまえば「味とフレーバーは違う」との指摘が序盤にあり、そこで早々にも「ええ!そのなの?」と驚かされた。

聴覚も実際にはとても重要で、

「ポテトチップスを食べているときに、“パリパリ”とする音を聞かせることで、よりおいしさを増して感じさせる」

という実験を呈して著者はかの有名なイグノーベルを受賞しているとのこと!

あとは個人的にも特に驚いたのは、

ホットケーキミックスに、卵を入れる手間を追加したら売れ始めた!」

というマーケティングにおいて古典的に有名なこの話が、「実は嘘!」と本書が解き明かしていたことだ。

他にもスプーンやフォークの重さが味の良し悪しに深く影響することや、丸い皿や丸い料理などはその”丸さ”を誇示することによって甘みを強く感じさせる作用がある等、味に関する面白い知見がたっぷり。

堅苦しく言って、本書は食に関して新たな立場“ガストロフィジクス”を提唱し、その立場として“食”に対する美味しさにおける、新たな境地を示してくれる。

「普段の食生活に少し飽きてきたから、何か良いスパイスはないかな…」

なんてとき、味覚以外のスパイスがきっと見つかる一冊。

そして、普段の食事が今以上に満足できるよう、手助けになってくれるであろう一冊。

ポピュラーサイエンス本として読み易い内容なので、老若男女にお勧めの一冊!

 「美味しい」とは、実に奥深い!