book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

ちょっと不思議な夢

不思議な夢を見るとわりかし気にする性分で、夢占いで見た夢について調べたりするんだけど、今回の夢に関してはネットで調べても夢占いに載っていなかった。
というそんな夢。

どんな夢だったかというと、
『夢の中で夢を見る』というのはわりとあることと思うけれどそれと似ていてちょっと違った。


夢の中で夢を見てそれの夢占いを調べる夢。


そんな夢。
延々と循環する螺旋階段みたいな構成の夢で、おぼろげながらも覚えているのは夢の中で夢を見て、さらにバスに同伴している見ず知らずの友人から「こんな夢見てさー」と話しかけられてふんふんと頷き、「じゃあその夢を夢占いで調べてあげるよ!」とその友人の夢を夢占いで調べる夢。それで夢の中で夢占いの結果を見て「なるほど」と妙に納得しても居た夢。

なんとも複雑怪奇で、ここまでに何回「夢」と書いたかわからないほどではあって流石に「夢の中で夢占いをする夢が示す夢の意味とは」をググっても見つからず。

そのうち夢占いが本来の意味ではなく、『本物の夢かどうかを判断する占い』となってしまいそうな夢占いについての夢だった。

読書における『三重性』

昨今気付いたこととして、読書における三重性が挙げられる。

読み方としてたとえば小説の場合、綴られる視線に従い実直、素直に読むのが普通の読み方。

それに加え、メタ的な読み方。つまり作者の目線や構成に目を向けながら読む行為、これが読書における「二重性」。

ところが最近、これよりも上の読み方があることに、はっと気がついた。

それこそが読み方の「三重性」であり、従来の普遍的な読み方、メタ的な観点からの読みに加え、「現実世界と接合した」読み方、これが「三重」の読み方といえよう。

 

具体的にはどのようなことかといえば、いたってシンプルである。

 

つまりそれは生活実利に直接関与、加味し得る読み方であり、ある種虚構とフィクションの垣根を超越させた、ひとつの実践的・体験的読書のことである。

 それはフィクションがもたらす影響力を現実世界へと呼び寄せ、添付する行為であり、読書によってもたらされる内面的革命を、外面へと突出させる行為である。

 するとここにおいて読書という個人的な行為はその範疇を広げ、己へと穿たれた影響力は瞬く間に散布する。

 散布したそれはその影響により世界の見方を変貌させ、変貌させた意識はすなわち自己へと還元される。

そのとき個人の意識へ浸透し表象する意識こそ、読書との共同作業によって培われた新たなる具現化した自己でありこれによってようやく読者はその世界構造がもたらした影響を好意的に知るのである。

 

 

 

 と、哲学書風に述べればこんなふう。(多分

 

しかしまあ実際に言いたいこととは実にシンプルで、要は「本は読んで終わりではなく、本を読んで意識が変わったと思うのならば、それを行動に!」ってことだけ。

 

でもこれ、実にシンプルながら実行するのはとても難しい。

 

たとえば、心優しい青年の物語を読み終え心は穏やかに「ああ面白かった」と読了感も清々しく本をテーブルに静かにそっと、生き物を扱うごとく丁重に置き窓の外から肌をなでる微かな隙間風にさえ友愛の気持ちを抱いてさっそうと椅子から立ち上がれば、そのとき不注意にもテーブルに膝をぶつけ卓上のコップが床に落下し買ったばかりのカーペットを壮大に汚す。思わず「畜生っ!」と叫んでしまうのは人間の性で(別に実体験とかではないですけど)、先ほどの読書の余韻は何処へやら。

 

そんな風には当然、書物の中の世界と現実の世界とは一線を画しており与えられた影響が延々と響きそれが自己を改革するというのは難しい。

さらに歳を下手に食うと、妙に背負うものも大きく重くなって心も体も自由に身動き難しくもなる(これこそ実体験的ではある)。

でもまあ多分、人は人を、自分を変えたいと思うからこそ読書するのであり(それは人格や性格に基づくのみならず「より知識をつけた自分になりたい!」とする知的好奇心を充足させる意味合いの読書も含め)、だからこそ現実の周りや、今の自分の意識や立場を加味しつつ読書することも大切なのかなと。

 

梃子でも意識を変えない!という人はつまり、自分の意識を変える勇気がないというよりも、変えるきっかけがないだけであると思う。

だが本を読むという行為には、それだけのきっかけとなる力がある。

 

本を読むというのは、まさに”今の自分”を読む行為なのだから。

 

 

「仕事をサボる」ことでクビになることの合理性について

少し前に知り合いから聞いた話が印象的かつ思うところがあったのでここに綴ろうかと思い立ち、その話というのはあるお店をやっているオーナーさんの話。

曰く、以前に雇っていたバイトの子を解雇したというのだけど、その理由としては実に単純。解雇の理由は、その子が仕事をサボっていたため。

 

どういったことなのかを身バレを避けるため多少抽象的に書くと、大まかな概要としてはこのようになる。

1.バイトの子が仕事をする場所は、管理者であるオーナーさんからして確認できる(監視カメラのようなものと考えてもらってよい)。

2.なのでバイトの子がちゃんとやっているかサボっているかは一目瞭然。

3.そして仕事をちゃんとやっているかを確認していることはバイトの子にも伝えている。

 

重要なのは3で、つまりバイトの子はサボっているのがばれることを知っている。

そしてこの話に興味を引かれたのはこの点で、つまりバイトの子がクビになったのは「サボっているのは確認できるんだよ」といわれて尚、その子はサボる行為を止めなかったことにある。

 

一見してそれは至極当然の結果で何らおかしな点はないように思われようとも、ここでひとつ考えてみてほしいのは、果たしてそのバイトの子の行為(サボること)は合理的であったか?ということだ。

 

えっ?合理的っていうか、単に怠惰なだけでは?もしくは、サボっているのがばれているにもかかわらずサボるという単なるマヌケだろ。

 

なんていう答えはもちろん、可能性としては高い*1

 

けれどそこでふと、「いや、そうした行為って単なるマヌケの所存ではなく、実際にはより狡猾さ溢れる行為なのでは?」等と思い当たる節があったためにこれを書いているのでありそれが表題の件。

 

「仕事をサボる」ことでクビになることの合理性について。

 

それのどこが合理的なんだ?とした場合、仮にもこれが「合理的」であるとするならば。

 

無論、それは「クビ」になることが「合理的」な状況を考えれば良い。

「それってどんな状況?」かといえば、クイズにするにはあまりに稚拙なほど答えは簡単で、つまり「仕事を辞めたいとき」に他ならない。

そう、ここもまた重要かつ面白い点。

要するに、そのバイトの子は実際には「辞めたいな」と思っていた場合に関して言えば、”仕事をサボってクビになる”という結果は実は合理的なのだ。

するとここでさらに面白いのが、ここにゲーム理論的思考を組み入れるとよりバイトっ子のサボり行為は合理的かつ「なるほど!」とその狡猾さに感嘆すること請け合いである。

 

「つまりどういうことだってばよ?」との疑問に対して一言で返すのであれば、

「バイトの子はどっちに転んでも良い状況を作り出していた」

ということ。

 

このような状況を想像してみてほしい。

仮説の前提として「仕事を辞めたい」。

だからこそサボる。

するとその子はクビを望んでいるのであり、だからこそサボることがたとえばれていようとも恐れない。むしろ進んでサボることさえやぶさかではなく、サボることで生じるその先を見据えての行為とすれば。

さっき、”ゲーム理論的に”といったのはこの点である。

そして「バイトの子はどっちに転んでも良い状況を作り出していた」というのは、

サボることによって二つのパターンが生じ、そのどちらに転んでもバイトの子にとっては好意的な状況になる、ということである。

 

つまりは、まず一つ目のパターンとして

1.仕事を辞めたいからサボる(楽をする)。

2.サボっているのをオーナーが見つけ、クビにする。

3.仕事を辞めたかったのでバイトの子にとってはちょうどよく、よってこの結果は好意的であり合理的。

 

二つ目の可能性としてのパターンとしては、

1.仕事を辞めたいからサボる(楽をする)。

 

1は一緒なのだが2から少し違う。

 何故ならサボっている姿を見られてもすぐには、もしくは必ずしも即刻クビになるとは限らないため。その場合、たとえば「ほかに人が居ないから仕方なく雇い続ける」等、諸事情が加われば即刻の解雇もない場合もあるといえるからだ。

 

じゃあその場合、バイトの子は「辞めたい」わけだから、むしろ状況としてはよくないのでは?

そうであろうけれど、ここが”どっちに転んでも良い状況”といったのは、この場合としての2番目には

 

2.サボっているのをオーナーが見つけるも、クビにはしない。

 

となり、

すれば3としては自ずと

 

3.仕事を辞めたかったのに辞められず。

 

となる。

ここだけで区切ってしまえばもはやその戦略(サボり)は失敗だったのでは?そう思

えようとも、この3には続きが加えられる。

 

3.仕事を辞めたかったのに辞められず。よって仕事は継続となったがサボり続けられるため、楽して稼ぐことができる。

 

そう、ここが面白い点で、よっぽど切羽詰って「即座に仕事を辞めたい!」という状況以外においては、パターン2の場合においては「楽して稼ぐ」ことが可能。だってサボっていてもクビにならないのだから。

 

要約してまとめると、

「仕事を辞めたい」と思うバイトの子がとる戦略としての「サボり」

そこで生じる2パターン。

1=仕事をクビになる。

2=仕事をクビにならない。

 

1の場合、目的達成のためプラスである。

2の場合、直接的な目的を達成できないながらも「サボり」が許させる状況を作り出すことに成功→「サボり」が行えることで、戦略をとる前に比べると事態は好転。だっていくらでも仕事において楽できるのだから。

 

 こうして二つのパターンを明確に見ればわかるように、バイトの子は「サボり」戦略をとることによって、いわばどっちに転んでも以前の状況に比べ、「好転した状況を作り出すことができた」といえるのだ。

 

するとある種一般的な見方としての「あのバイト、サボっていればわかるよと忠告しても尚サボるとか、あいつは馬鹿か!?」と思われようが、それは前提として「働いているものは、当然クビには成りたくない」という思い込みがあるからであって、発想を逆転させて「実はクビになりたい」という前提の存在を考えれば、バイト君のこうした不届き者の行為も実際には実に「合理的」であったのだと。

 

 

 オーナーさんからサボりバイトの話を聞いたときに思ったことがこれで、無論これは単なる想定であり想像。実際にはそこまでバイトが考えて居ないということも大いにありうる事ではある。

ながらも、実際にこのような狡猾かつしたたかな考え方を持っていたのだとすれば。

末恐ろしい、というよりかはむしろその合理的知能とゲーム理論の応用さに感服せずには居られない。

まあでもこの理論というか発想自体、根本にある仮説は「仕事を辞めたい」気持ちであって、換言してしまえば「仕事を辞めるつもりで居るなら、多少怒られても気にしないし思い切って何でもできる」という強気の姿勢があるのは間違いない。

 

でも正直に言えば、別段「仕事を辞めたい」と直接的には思わずとも、そうした覚悟を持って思い切って仕事をすること事態に関しては、むしろ皆が普遍的にも積極的にも思ってもいい事なんじゃないのかな?とは思ったりする。

ミスを恐れて保守的に働くよりかは大胆に。

後悔は先に立たずとも、その後の役には立つだろうから。

 

 

 

 

 

*1:むしろこれを「合理的」な推論とさえ言えそうではある

アニメ『慎重勇者』が素晴らしく、語るに値する作品だった件。

今年に関していえば、新年早々から啓発される作品が多くて自分でもびっくり!

面白っ!と思える本もさることながら、アニメにおいてもこれはなかなか乙な作品だなと思えるものもあって、それがこの記事タイトルの作品。

 

この作品は2019年の秋アニメであり、正確には

 

『慎重勇者 ~この勇者が俺TUEEEくせに慎重すぎる~』

 

という何とも冗長しさを感じさせるタイトルのもの。 

 

 

これがどのように素晴らしいのか?

無論、なにも考えずに見てもなかなか面白いことには間違いなく、けれど

「じゃあ近年稀に見るほどの名作なの?」

と訊かれればおそらく

「うーん、それほどの作品じゃないかな、小まとまり良く出来た佳作といった感じ」

そう答えると思う。

 

じゃあどうして素晴らしくて、語るに値するのか?

それはこの作品が、昨今稀に見るほどに「物語していた」から。

 

どういうことか説明する前に、まず作品のあらすじを。

 

 超ハードモードな世界の救済を担当することになった女神リスタ。
チート級ステータスを持つ勇者・聖哉の召喚に成功したが、彼はありえないほど慎重で......?
「鎧を三つ貰おう。着る用。スぺア。そしてスペアが無くなった時のスペアだ」
異常なまでのストック確保だけに留まらず、レベルMAXになるまで自室に篭もり筋トレをし、スライム相手にも全力で挑むほど用心深かった!
そんな勇者と彼に振り回されまくる女神の異世界救済劇、はじまる!

 

ご覧の通り主人公の勇者は病的なまでの慎重さを抱いており、そうした常識はずれの嗜好を通して見せる行動はコメディタッチで、この時点では衝撃的というより笑劇的といった作品。

構成としては全12話から成り、終盤では

 

 

 

ここから先はネタばれのため、視聴済みの方のみ推奨。

 

 

 

そう、見た方にとってはもうご存知のとおり、この作品は11話目においてその作品自体の風体をがらっと変える。

主人公勇者のおかしな嗜好である「過度な慎重さ」、それは実は過去の失敗が元であり、元々はむしろ慎重さを省みない性格であったことが示される。

 

そのとき、主人公の本心を知って裏切られた視聴者がぶわっと沸き立たせるのは鳥肌ではなく、実は親近感なのである。

 

ニーチェ風にいえば、まさにパースペクティブの変換。

それは見る側であった我々が、一挙にその内側へと吸い込まれることを意味する!

 

つまり、ここでの価値の転用こそが本作品最大の見所であり、フィクションなる虚構の作品において生じる外壁の障害を一挙に取り払う。

我々はフィクションなる作品に対峙する時、たとえば登場人物の一人がとても奇天烈で不思議ちゃんであろうとも「これはフィクションなのだから」としてその存在意義を認める。

そこでは自らを一歩引かせて対象を眺め、自らの価値観、一般常識的な見方と照らし合わせることによって作中の彼らとの距離を保とうとする。

 

このアニメ「慎重勇者」の場合においては、まさにこの「過度な慎重さ」こそが、我々と作品のフィクション性との垣根を作り役割を果たしており、主人公における「過度な慎重さ」とは一見して理不尽なものである。

だがそうした理不尽さを視聴者側は「これはフィクションなのだから在り得る」として、この存在性を許容する。

こうして引かれた一線は彼らと作品との存在性の絶対的な乖離を示し、理不尽なる状況における合理的解釈こそが「作品としてのフィクション性」に他ならない。

 

繰り返すようだが11話における急展開。

そこでは「主人公が如何して過度に慎重なのか?」その理由が明かされる。

重要なのはこの点で、その理由を知ったことにより視聴者はかの主人公、

彼が慎重過ぎる理由が実際には現実的であり合理的であったことに衝撃を受ける。

するとそこで、これまで理不尽なる存在に対しての合理的解釈であった、

「作品としてのフィクション性」

という認識が瓦解し、同時にそれは「フィクション性」を一時にも忘れさせる。

何故なら「フィクションだから在り得る」非合理的性が、合理的理由を示すことによって現実での存在性を得るからである。

そうして現実での可能性を感じさせると(それは思考の形としても)親近感を沸かせ、だからこそ先ほど述べたように、主人公の本心を知って裏切られた視聴者がぶわっと沸き立たせるのは鳥肌ではなく実は親近感なのである。

 

 

このメタフィジックス的ともいえる心的距離の縮まりを感じさせる仕掛けこそが本作品における素晴らしい点であり、何事にも意味を見出そうとする人間知性における「物語性」、それを満足させるに値する演出とストーリー、これこそ本作品が語るに値する最大の理由なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、ここまで大絶賛しておきながら、フィクション作品においては非現実性・非合理性なる存在を示してそれを覆す展開、非現実性・非合理性のうちに現実性・合理性を見せることによって受け手の感じ方を大いに変容させる作品というのは実際には数多存在する。

そういった意味では、昨今読んだアメコミ『バットマン:キリングジョーク』も同じ部類であると言え、こちらの作品もとても素晴らしかったので出来れば近いうちにはこのレビューも上げようかと。

 

おみくじの別の楽しみ方

新年になり無事に初詣にも行って来ました。
そこで今年もおみくじを。

おみくじと言えば、当然気になるのはその内容。
良いことやら悪いこと。
今年がどんな一年になるのかと、警鐘箴言めいたものから各々つづられていては「へー」と感心しきりなもの。

そんな折、ふと気になったこと。

「でも、このおみくじの内容って当たってるのかな?」等という根本的かつなんとも罰当たりなこと。でも毎年、年始めにおみくじ引いても数週間と過ぎればその内容を忘れがち。

なので今回、密かに実験しようかと思う。
実験内容は至ってシンプル。

「果たしておみくじの内容は正しいのか?」

今回引いたおみくじを保存しておき、今年の年末に再び開けて答え合わせをする、という検証の仕方も至ってシンプル。
よって今年は引いたおみくじは持ち帰ることにして、新年早々に年末のおみやげをこしらえたわけだ。


おみくじの精度の確認をすることにして、それを忘れぬようにとこれは備忘録的記事。
とりあえずこれで早々に年末の楽しみがひとつできた。あとは12月31日に確認するのみ!

12月に読んだ本からおすすめ10冊を紹介

師走だけあって雑多なことに時間をとられる日々!!

そんな12月に読んだ本は14冊。

今月はあまり読めなかった印象…

とりあえず、そんな中からおすすめの10冊を紹介!

これもまた後日に感想を更新するかも。

 

 

 

第10位

『死刑囚 最後の晩餐』

死刑囚 最後の晩餐

死刑囚 最後の晩餐

 

 正直想像と多少違った構成の内容。

アメリカ死刑因の最後の晩餐が載せられているのだけど、そこにばかりスポットを当てるのではなく罪状のほうの記述にも結構力を入れていたのが印象的。

もう少し最後の晩餐についての記述に対し、詳細を期待しただけに残念。

それでも最後の食事としてどのようなものを選択するのか?というのはやはり興味深い。その罪状と合わせて読むことで、まさに味わい深くなる点もあったといえる。

 

 

第9位

『歴史を変えた100冊の本』

歴史を変えた100冊の本

歴史を変えた100冊の本

 

 本好きとしては読んで損はない本の本。

 

 

第8位

『哲学に御用心』

哲学に御用心―認識の謎を探る

哲学に御用心―認識の謎を探る

  • 作者:中村 光世
  • 出版社/メーカー:カニシヤ出版
  • 発売日: 1997/04
  • メディア: 単行本
 

 哲学的と言えるものをテーマにした対話式小説。

物が見えるとはどういったことか?独我論を崩せるのか?としたような、普遍性を問うような形而上学を取り扱ったりしながらも対話式に進むのでわかり易く万人向けに仕上がっていると思う。

哲学に興味はあるけど、なんだか難しそう。

そんな哲学初学者にお勧めできる一冊。

 

 

第6位

『超越錯覚―人はなぜ斜にかまえるか』

超越錯覚―人はなぜ斜にかまえるか

超越錯覚―人はなぜ斜にかまえるか

 

 これはなかなか良い本だった。それはあまり類を見ない内容であったから。

その内容、一言で言えば「メタ的な意識の捉え方としての日常さ」。

どういうことかといえば、俯瞰的視線の持ち様であり、メタ的な感覚というものを言語で説明しようとも、それはそもそもの前提となる知識がなければ容認も認識も理解も捗りにくい。

そんな折、本書ではそうした「メタ的な思考」をまさに実践的、というか日常に潜む体験談に結び付けて示すので「ああ、確かに!」と多くの体験談により共感できることは必須的。それと同時に「メタ的な意識の捉え方とは、ああいう場面でのああした気持ちのことなのか!」と理解は早まるはず。

なので学術的な本ながらも感情的。ここまでメタ的な思考、俯瞰する視点の感じ方を平易にも伝わり易く示した本とは稀有なのでは?と感心してしまった一冊。

 

 

第6位

ギルガメッシュ

ギルガメシュ

ギルガメシュ

  • 作者:梅原 猛
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1988/10
  • メディア: 単行本
 

 絶賛放送中のかのアニメの影響もあって手に取り読んだ一冊。

感想。面白いじゃん!!

ギルガメッシュの話といえば、世界最古の物語とも言われているのに現代にも通じるビルドゥングス・ロマン性!!

とても読み易くもありああ面白かったと思いそして古典を読み終えたことでの満足感。

としながらも読了後に本書について調べた結果、これがギルガメッシュ叙事詩のアレンジ、戯曲版的なものとして少し「うん…」となる。

けれど内容としては普通にとても面白くはあったのでお勧め。

 

 

 

第5位

『映像の修辞学』

映像の修辞学 (ちくま学芸文庫)

映像の修辞学 (ちくま学芸文庫)

 

映像における記号性について。

意味内容と意味表現の「量的差異」について等の解説もあってなかなか面白い。

これもまた後日にでも詳しく感想をまとめようと思う。 

 

 

第4位

『哲学と反哲学』

哲学と反哲学 (岩波現代文庫)

哲学と反哲学 (岩波現代文庫)

 

これは素直に面白かった。

哲学的な示唆について、新たに気付かされて得るものも多かった一冊。 

 

 

第3位

『昼と夜―ジョルジュ・ブラックの手帖』

昼と夜―ジョルジュ・ブラックの手帖

昼と夜―ジョルジュ・ブラックの手帖

 

画家ジョルジュ・ブラックによる名言集のような箴言集。

ページ数も多くなく、載せられている言葉も正直それほど多くはない。

 ただどの短いセンテンスの言葉も重みがとても感じられ、箴言であり真言のような至極の言葉ばかり。芸術家だけあり制作に対する志向性な言葉には特に印象的なものが多く、クリエイティブさを知りたい人には一読して決して損のない一冊。

 

 

 

第2位

『ゲーム・オーバー―任天堂帝国を築いた男たち』

ゲーム・オーバー―任天堂帝国を築いた男たち

ゲーム・オーバー―任天堂帝国を築いた男たち

 

 ゲーム好きには一読してもらいたい本。

ネットでたまに見かける「任天堂法務部は最強!」なんていう言葉の真意が本書を読めば掴める内容。

本書はアメリカ人が書いたものであり、現地アメリカで任天堂がどのようにして発展、進出して言ったのか?をこと細かく述べる。

すると、というか流石アメリカ、任天堂も散々訴えられていたことがよくわかり、そのめちゃくちゃさなんかも面白いとして(ドンキーコングが「キングコングに似ている!」として訴訟されたり)、任天堂が裁判で連勝していく姿はもとより同時に訴訟側のとんでもない主張とそのありえないようなブラフさも知れて笑えたり。

あとは任天堂の歴史についても創業当時からの様子を知れる内容であり、ノンフィクションとしてとても丁寧に作られている印象。

さらにはセガアメリカ進出のあたりの話も出てきたりとでセガファンとしては嬉しく、テトリスの版権についての話なども登場。これなどは本当に泥沼であってめちゃくちゃ。そのカオスっぷりが面白く、テトリスに対する見方が変わること必須!*1

あとは任天堂の裏の顔など見れて感慨深い。政治的、とさえ表せるであろうと思えるその手腕と手法。本書はゲーム好きにはもちろんのこと、ゲーム産業に興味ある人にもぜひ読んでほしい一冊!!

 

 

第1位

バットマン:キリングジョーク 完全版』

 2019年12月の一番お勧めの本はこれ。

アメコミ。今年公開の映画『ジョーカー』の原作でもあり、そして敬愛するアメコミ作品『ウォッチメン』と同じ作者による一冊!!

具体的な感想としては、別記事に仕上げているので詳しくはそちらで。

なのでここでは簡易的に本書についての感想を。

本作品はページ数も少なく、しかし計算されつくされた作品といって過言ではなくページ数に反比例するかのような濃厚な内容。

テーマ性として「悪とは?」といったものを感じ、安易な相対主義批判にも思えれば(それが「相対主義」を批判的に描いている、と読み取る事にこそ意味があるよう思えたり)”勧善懲悪”その概念こそをこらしめるような作品。

 

 

 

*1:メガドラミニにテトリスが収録される!」として発表時に一部が大いに盛り上がった理由が、本書を読んでようやく理解できた。

11月に読んだ本からおすすめ10冊を紹介

11月に読んだ本は19冊。

色々とバタバタしていてあまり読書できなかった印象…
これも簡潔にまとめてとりあえず公開を。

なので後日、より詳しい感想をと更新する可能性あり。

 

 

 

第10位

『錯視完全図解―脳はなぜだまされるのか? (Newton別冊)』

錯視完全図解―脳はなぜだまされるのか? (Newton別冊)

錯視完全図解―脳はなぜだまされるのか? (Newton別冊)

 

 実践的内容でもあり、実際に錯視となる絵が多数収録。

そして錯視の起こる現象についての解説もあって二度楽しめる内容。

 

 

第9位

『The Helvetica Book ヘルベチカの本』

The Helvetica Book ヘルベチカの本

The Helvetica Book ヘルベチカの本

 

 ヘルベチカ!

というか、正直これを読むまでその名称が何を示すのかさえ知らなかった…

ただ、読むと気付く美しさ。それが読んだ感想。

ヘルベチカ!癖になるような、良い名前でもある。

 

 

第8位

『夢の検閲官・魚籃観音記』

夢の検閲官・魚籃観音記 (新潮文庫)

夢の検閲官・魚籃観音記 (新潮文庫)

  • 作者:筒井 康隆
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2018/04/27
  • メディア: 文庫
 

 時かけのセルフパロには思わず笑う。

 

 

第7位

『考える人―口伝(オラクル)西洋哲学史

考える人―口伝(オラクル)西洋哲学史 (中公文庫)

考える人―口伝(オラクル)西洋哲学史 (中公文庫)

 

少々批判的な視線で綴り過ぎな感もありながら、独特とさえ評せる著名な哲学の捉え方、解説はなかなか面白い。

 

 

第6位

『デザイン思考が世界を変える』

見えるもののデザインのみではなく、見えない形のデザインの重要性を語る辺りは悪くなかったかなと思う。

 

 

第5位

西城秀樹のおかげです』

西城秀樹のおかげです (ハヤカワ文庫 JA)

西城秀樹のおかげです (ハヤカワ文庫 JA)

 

お馬鹿SF(最高の褒め言葉) 

個人的にお勧めの短編小説。 

笑えた。 

 

 

第4位

チンパンジーが話せたら』

チンパンジーが話せたら

チンパンジーが話せたら

 

 言語学的な内容。

言葉の存在性とは?を発話的な言葉を使わず交流を果たしてきた人物にスポットを当てるなどしてその真意性を探ろうとする。

本書については後日によりまとめようかと思う。

 

 

 第3位

ロングテール‐「売れない商品」を宝の山に変える新戦略』

 昨今ではすでに有名となった言葉「ロングテール」。

著者はその言葉の発案者であり、そしてその意味を綴った内容でもあるのが本書。

読むと納得。そしてロングテールの意味を誤解していたのだということもよくわかり、誤解としてはロングテール=「長く売れる商品」と思い込んでいたため。

実際にはニッチ分野のことを指すのだと。

本書ではロングテール理論について解説。ロングテールすなわち低い位置の売れ筋とはずっとゼロにはならず続くものであり、そして在庫など物理的制限さえ軽減できればそうしたゼロにはならない細々とした売れ筋が実際には大きな収益に!

今後の時代、商品の物理的制限が緩和されつつある現状においては(例としてデジタル媒体の配信といえばわかりやすい)こうしたニッチの商品の売り上げこそが重要なのだと。

そこでの後半で引用されていた「べき法則」やパレードの法則に沿い合わせた話がまた印象的ではあり、物理法則を利用しての解説は納得し易く上手い使い方。

 

 

第2位

『宴のあとの経済学』

宴のあとの経済学 (ちくま学芸文庫)
 

 昨今の労働環境に対しても尚、当てはまる事の多い箴言が多くハッとさせられること多数。

マルクスの未来予想など印象的で、機械の進歩により労働力が賄われては「将来の人たちは余暇を増やすであろう」とした発想は自然に思えるけれど実際には逆であってまさに皮肉的。そういうことを考えると「AIがいくら進化しようとも、今の人が考えるような仕事を奪われるなどという事態は生じないのでは?」と思えてくる。

それは実際、AIがいくら進化しようとも人間のほうが進化(意識の変容)をしない限りは、たえず生産の増加は止まないからである。

本書は慧眼的な意見が数多く、労働における問題点をはじめ、そもそも「どうして労働をするのか?」とする労働に対する見方を教えてくれる。そして労働に関して、考えるべきことも。

これはとても良い本で、社会人であれば一読して決して損のない内容。

 

 

 第1位

『ハヤカワ文庫SF総解説2000』

ハヤカワ文庫SF総解説2000 (早川書房)

ハヤカワ文庫SF総解説2000 (早川書房)

 

 これは恣意たっぷりな個人的一位の本。

というのも大のSF好きで青の背表紙を見るだけで興奮する輩としては、なかなか至極な内容の一冊。

そして本書は数多のSF小説の概要、あらましが綴られており、それらはずいぶんと昔の作品も多いが今に読んでも「凄い設定!」と驚かされることもしばしば。

早川SF好きには必読の一冊であることは間違いない。