ブランショ、ディスクールのイメージ、想起について
今年はブランショに嵌った一年だった。
しかし未だ理解できたとはいえず、それでも尚ブランショの思想は面白いなと思うことが度々。
ディスクールによって想起するイメージは誤りであり、ディスクールそれ自体の本質からはかけ離れたものなのかもしれない。
しかしおそらくそれは、そのディスクールが何を指しているかによって異なるはずであり、風景描写と人物描写を混合していることから生じる誤解なのではないかと思う。
画一的な風景に対する客観性の希求と、個性それ自体を画一的に捉えて人を観ようとする主観性。
区別するべき対象への描写が同一性になることで、生まれる乖離は想像以上に大きいものなのかもしれない。
この辺りに主観性の問題と、AI出力による認識の問題が潜んでいるような気がする。
覚書。備忘録。