book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

パーカーを着て出かけると、ついポケットに手をしまう。

また少し寒さがぶり返してきた昨今、パーカーを着て出かけるとついポケットに手を忍ばせてしまいがち。

というか、パーカーのポケットに手を入れているときの妙な安心感と安堵感とは、つい癖になる。

そんなときにふと、猫が香箱座りをする際に手を体へとしまう理由が分かったような気になるのである。

 

電車の中で

最近、電車の中で体験したこと。
カタコトで喋っている男の人が居り、外国の方のようで次には何やら電話をかけ始めた。
すると「モシモシ? 今デンワ大丈夫デスカ?」なんて最初に言っていた。
いや、おめーだよ!というツッコミ待ちの状況、ちょっと面白かった。

タタール人の砂漠

 

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

 

 思いのほか面白くて一気読みしてしまった。

そして本作品が全体を通して示すものは伝わり易く、これは万人に対するメッセージであり、盲目的な人生に対する警鐘なのだと。

昨今としては、生き方の多様性が求められる時代。そのような情勢においては批判も免れないような内容ながら、されど幸福のあり方についてを対比的に描き、その姿に真理性を感じられるのはやはり一つのひな型的ながらも幸福な情景とは人間である限りはシンプルであるのだと感じさせてくれるようなものでもあった。

本作品は一人の人間の人生を描いており、普遍的な日常に不可思議なものや非日常的な興奮を求めんとする姿などにはスタージョンの『不思議のひと触れ』に通ずる物を感じさせられたりも。

正直「すっきりとした読了感」というよりかは胃にずっしりくるような読了感をもたらし、それでも一読したことを決して後悔させないような示唆に富む作品であったことは間違いない。おそらく本書を読んだ誰しもが、主人公の影に自分の姿の一端を重ねるはずであり、過ぎ去る時間の早さと自分の居場所について、自省を自ずと促してくる。

終盤の展開はまさに悲劇的。同時にそれを悲劇的とすることこそが本当に悲劇的であるという二重構造こそ面白くもあり、人間の非論理的な点をまさに論理的に描いている点なんかは実にクールだと思う。

本書は居場所の物語であり、ロマンを追い求める憧憬についてであり、その結果を示す物語である。この物語から数多のアナロジーを感じられたのは確かであり、本書において示される砦。それが示すメタファーの分かり易さこそが人を惹きつける大きな要因であると思う次第である。

 


若い時分は、ひたむきな前向きさをもってしてどのような劣悪な環境も幸運への前兆であると捉えることは可能である。けだし、それが誤りであったのだと気付くに遅れるのは、誰しもが自分は特別な存在で、自分にしかない居場所があり、その居場所は愛によって確保されているものであると、絶対的な自信と自負を盲目的にも抱いているからである。そのような幻想をはたと解き、気付かせてくれるのが本作品である。

 

「マシ」ってちょっと不思議な言葉だよね

単体だと「○○の方がマシ」のように物事の良し悪し、つまり”質”に対して用いられる。

でも複数になると「マシマシ」で大盛りのことを示し、”量”に対して用いられる。

 

同じ言葉で質と量を扱えるなんて、ちょっと面白いなと思えたり。

 

 

 

強風ニモ負ケズ

先日は風が強い日だった。

そんな日に、歩いていて遭遇したある状況について。

 

徒歩で出かけて少し先に横断報道。見れば信号は青の状態。

なんとか渡ってしまいたいな、と思う反面、まだそれなりに距離もあって、何より向かい風の強風が。

あまりの強風に歩くのだって少ししんどいぐらいに感じたとき、ふと心の中で

”こんな強風だし、青になってから少し時間も経ってる。いまさら走ったって間に合わないよ”

そう思ってしまった自分が居た。

 

そのときハッとしたのは、この状況が

”なんだか人生みたいだな”

なんて風に感じられたから。

 

人は皆、たとえ僅かな先に叶えたい夢や目標があったとしても、多少なりとも厳しい環境に居たり、現状に甘んじて居たいと思うと、周りを言い訳にして諦めてしまいがち。

「どうせ無理だから」とか、「今からじゃあ間に合わない」と言って、できない理由を自ら作り出しては、断念したことを正当化しようとする。

もちろん、その正当化が絶対的に間違っているわけじゃない。

時間は有限なのだからある程度の分別はあってしかるものだし、可能な事と不可能な事を見極めることは必要だ。

それでも、より重要なのは可能かどうかを見極めるために対象へと行う熟考ではなく、むしろ「そもそも、それは見極められるものなのか? 見極めてしまっていいものなのか?」と、そこに含まれる根本的な、夢や目標の達成を目指す動機自体を改めて見つめ直し、今後はその根本的な意識を見失わないようにする事こそが重要なのではないか? と思う。

 その上で「断念する事での正当化が、はたして誰にとっての正当化なのか?」を今一度吟味した上で、決断をすればまた結果も異なってくるはず。

 結局、反省を伴う後悔は結果なしでは得られないのだから……。

 

 

 

強風の日、徒歩で外出。

僅か先には青の信号、渡りたいけど強風の向かい風。

だから ”別にすぐ渡らなくたっていいや。ゆっくり歩いて、次の青を待てばいい”。

そう思い、その考えだってもちろん、間違いじゃない。

でも、もしこの日、強風の向かい風がなければ、きっと少し走って横断歩道を渡っていただろう。

それを強風のせいだとして諦める。

”あーあ、もう早く赤になってしまえよ ”とさえ思う。

 

 

多分、人生もこれと同じだ。

たとえどのような強風が向かい風として吹き付けようとも、心の底から達成したいと思う夢や目標であれば、たとえどのような向かい風があろうとも、それに抗って進む必要があるのだと。

 

 

 

そんなことを先日の強風の中、思うに至る。

ちなみにそのときの青信号は、途中から走ると間に合って渡りきれました。

案外、青信号の時間が長かったので。*1

 

 

*1:同様に、人生において存在する可能性としての青信号は、当人が思うよりかずっと、長い間は青の状態でいてくれるのだと思う。

1月に読んだ本についてなど

あけましておめでとうございます!

 

二月にもなってようやく今年初の更新となり、雑多なことでバタバタとしていて1月は全然本を読めず…。

それでも今年になってから初めてミシェル・ウエルベックの作品をどんなものかと手に取り、結果的には大いにハマる。

そのため1月にはウエルベックの『ある島の可能性』ならびに『プラットフォーム』を読了。

 

そこで両作品の感想をざっくりとしながらも語ります。

 

 

ある島の可能性

ある島の可能性 (河出文庫)

ある島の可能性 (河出文庫)

 

元旦に読んだ小説。

本書の内容を簡潔に示せば、「不死と自我をテーマに『愛』の本質についてを考察する物語」。

ジャンルとしてはSF的であり、同時に純文学的とも捉えられる。

これはまさに大人のための小説で、二十代より上の世代にはより響く内容であるのは間違いない。

というのも主人公の独白によって示される老いへの恐怖が本当にリアルで「著者の心情なのでは!?」なんて邪推するほどには繊細に描かれ、肉体と精神の解離を必然的なものとして描いている点などはリアルさを感じられた。

そして個人的には、主人公の職業が”コメディアン”というところが大好き。

道化な振る舞いを示しながらもモノローグでは生真面目なアイロニーにまみれ、文化の皮相さに対しての辛辣な構えは何処か自虐的。

展開は遅いが早い。

主人公はある怪しげな宗教団体と交わることによってその運命が大きく変容していく。

本作品はまさに、ある一人の男が「愛」を定義しようとした話であり、どのような定義をしたのか? 過程も結果も読み応えあり。

あと面白いなと感心したのは多少の思弁さをもって愛についてを物語りながらも、そこに肉体としての存在性を決して否定せず、むしろ肉体言語的にも愛をちゃんと物語ろうとしており、そうした捉え難い肉体言語的なものを言語化しようと試みている事が面白い点であり同時にこの作品の稀有さに感じられた。

おそらくそうした表現の巧みさ、それと文章に肌が合ったので久々に「凄く面白いな」と思える小説だった。

 

 

 

 

 次はこの作品、

 『プラットフォーム』

プラットフォーム (河出文庫)

プラットフォーム (河出文庫)

 

ミシェル・ウェルベックの小説、面白いじゃん!

そう気付いて二冊目に取ったのが本書で、上記『ある島の可能性』のよりも先に発表された作品でもある。

読んでみると、なるほど期待を裏切らない出来でなかなか面白かった。

本作も主人公の設定は似たもので、ある種の厭世さをまとっており、どちらかといえば「ウェーイw」という言動を行いたくないような性根で、さほど冴えない人生を送り、それに絶望しているわけではないが何処か幸福とは程遠い場所に居ると感じているような……。

安定しきった生活に不安を覚えるようになった独身男の不平不満についてから話は始まり幸福とは何か? を旅行や宗教の面から探りを入れていく物語。

ありていに言えば、多少の裕福さが当然となった現代人の闇を描いているとも言える。

といっても寧ろ資本主義の闇を描いている作品とも言える内容で、主人公の不安や不満なんかは言ってしまえば単純に解消されるし、その安直さに対してどのような感想を読んでいて抱くか? 意見を交換し合うには楽しそうな作品でもある。

あと物語の展開についてはネタバレもあるので多くは語りません!

ただ個人的には、ある種の宗教に対してなかなか刺激的な台詞を吐かせているのが印象的で、登場人物の台詞とはいえ「挑発してるな」と思えるほどの辛辣さがあってちょっと心配になるほどではあった。

節々で出てくるオーギュトス・コントによる倫理観も印象的。

あと、物語の展開として観光業を絡ませることによって国際情勢を語る構成にするのは巧いなとも感じられた作品。

 

「生きたいと思う心が欠如している程度では、残念ながら死にたいと思うには不十分だ」

 

本書で特に印象的だった言葉。

 

本作品もまた性の快楽について、それに備わる充足性についてもじっくりと描いており、そうした意味ではメルロ=ポンティ的と言えるような、「身体論を論じた文学作品として取り上げてもいいんじゃない?」と思えるようなテイストであったのは間違いない。

 

 

 

 

 

ウエルベックの小説、むっちゃ面白いよ!!と お勧めしながらも、

人を選ぶ作品であることも間違いないのでご注意を。

アーサー王と円卓の騎士

 アーサー王について。

その存在は知っていたけれどその物語についての啓蒙は浅く、「アーサー王って某ゲームで大人気だよね」程度の知識しか有していなかった。

そんな折、

 

昨今たまたまこの本を手にする機会があって読んでみた。 

まず感想を一言で述べると、すごく面白かった!

アーサー王の物語なんて、騎士道精神とかいう古い価値観による勧善懲悪のテンプレものなんじゃないの?」なんて風に思われようが、とんでもない!

この物語は現代に読んでも十二分に通じる面白さがあり、それはアーサー王伝説が単なる勧善懲悪ものではなく、同時に騎士としての誉を第一としていながらも、それによって物事をすべて理路整然と解決していかない点にこそ本作の魅力がある!

そしてアーサー王伝説において示される騎士道精神とは、誇りを命と捉え妬みを恥とし慈悲を勇気と捉えて示す。忠誠こそもまた騎士においては自らの命、またはそれ以上に尊大なものであると考え、そのため忠誠を誓う相手に対する背信は自らの存在自体を否定することにさえも成りかねない。

 

仮に、アーサー王本人もしくは魅力溢れる円卓の騎士たちが全うに騎士道精神を貫き、背信行為をなんら見せず、彼らが彼ら自身の絶対的な正義としての立場をとり続けていたのだとすれば、この作品はおそらく時代と共に色褪せていただろう。


しかし時と場合によって彼らは背信行為を示す。それは自らに対する裏切りでもあり、騎士道精神から大きく外れた行為。

それでも彼らは背信となる行為を示すことによって、彼らが普遍的な人間であり、血が通った人間であることを知らせて読者をハッとさせる。

 

人間とは本来、非論理的な生き物だ。

 

仮に誰しもが効率よく、論理的な行為や行動をもって世を成していれば、世界はより秩序立ったものに成っていたはずである。

けれど現実においては生じるイレギュラーこそ必然で、人間が必然的にも論理的な存在であれば、人間と同等のAIが既に完成していておかしくない。

しかし実際にそのようなAIは存在しない。

その理由は簡単だ。

人間の行為には論理から逸脱している部分があり、むしろ人間の論理の特徴とは、まさにその逸脱さ、非論理性にあるのだから。
よって非論理性にこそ人間らしさが潜んでおり、そのため例えば、”主君の姫君に恋心を抱く”等というのはまったくもって非論理的。だってアーサー王並びに円卓に騎士たちにとっての論理とはすなわち騎士道精神であって、それに反する行為とはすなわち非論理的なのだから。

それにも関わらず、抑えられない衝動の数々をアーサー王の物語は読者に見せつける。

そうして描かれているその非論理性にこそ、騎士道精神をまとった彼らが人間としての姿を見せるのであり、実在性を乏しく感じさせるその人物像が急にリアリティを帯びて感じてくる。この構造にこそ、深い共感性をもたらし現代にも通じる作品性があるように思えてならなかった。


まとめとしてアーサー王伝説その魅力について。

この物語における魅力とはつまり、騎士道精神を彼らの行動原理として示しながらも、そこに生じる人間としての不完全性。それを物語を通して示すことにより、人間の理想と人間本来の現実を対比として表現し、啓示の如く人間に備わる非論理性を表している点にあるのだと、本書を読んでいて深く感じた次第である。

 

面白かったのでおすすめの一冊。