book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

模範的道徳性を伝える本のずるさ

つい先日、ほんとうに今更ながらも

 

自分の小さな「箱」から脱出する方法

自分の小さな「箱」から脱出する方法

  • 作者: アービンジャーインスティチュート,金森重樹,冨永星
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2006/10/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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このとても有名な一冊を読んだ。

内容を簡単に要約してしまえば「他人を思いやるって大事」というこれだけのこと。

そして正直に言えば「どうせ、ありきたりな内容だろ」と多少なりとも斜に構えて一読したところ、実際には思いのか良かった!

その感想としては多々言いたい事があるのだけど、それは別の機会に。

この記事で言いたいのは、ふと思い気づいた事であり、そしてこのような道徳の大事を説く本に共通している”ずるさ”について。

「ずるさって何なのさ?」

としてその答えを最初に呈してしまえば、

「本書を悪く批判する事をさせない」

事に尽きる。

 

「えっ!普通にアマゾンのレビューなどでも否定的な批判コメントはあるけど…」

なんて思われようが、本書の概要を思い出してほしい。

それは「他人を思いやるって大事」ってこと。

つまり、本書を本当に読んだのならば「他人を思いやるって大事」を学び得た事になり、故に「本書を悪く批判する」という行為はすなわち、「他人を思いやるって大事」ということを実践できてないわけであり、本書はその内容をしっかりと「読み得た」とするのならば、その時点において本書への否定的な批判は内容と反してしまうのだ。

よって本書への否定的批判は同時に、本書をちゃんと読んでいない事を自己申告するに等しく、要は「内容を理解していない」ことを明言しているだけとなる。

 

だからこそ、実際アマゾンのレビューなどで「当たり前のことでがっかり」とか「期待したような内容じゃなく、単なる普通の事」なんて否定的な批判コメントある場合は、その読者は自らも言うその当たり前である「他人を思いやるって大事」をできてないわけで、「そんな当たり前とか普通とか言ってること自体できてないじゃん!」と突っ込みたくなる心境にも。

 

よって、本書はずるい。

というのはもとより、謙虚さを持って自分を俯瞰的に考えれば深読みせずとも「他人を思いやるって大事」ということを実践できているだろうか?の指標を得られるので、おそらく多くの読者が想像しているよりもずっと効用のある一冊。

 

こういう本はずるいけど、ずるい分、またその面白さがある。

 

 

2月に読んだ本からおすすめ10冊を紹介。

2月に読み終えた本は32冊。

その中からおすすめの10冊を紹介!

 

 

 

第10位

『個性のわかる脳科学

個性のわかる脳科学 (岩波科学ライブラリー 171)

個性のわかる脳科学 (岩波科学ライブラリー 171)

 

脳の状態を見る事で、人の個性がわかるとしたら。

そんなSF染みたことの可能性を感じさせてくれるのが本書の内容。

というのもその方法は至ってシンプル。

それは「脳における各部位の”たんぱく質の量”を他と比べる」という手法だ。

脳の状態を観察するものとして「MRI」といったものは耳にしたことがあろうとも、では「VBM」を知っているだろうか?

この馴染みの薄い単語「VBM」とは、簡単に言ってしまえば脳の三次元解析に用いる物で、このVBMはMRI画像を併用することで神経細胞が集中しているたんぱく質をコンピュータで分離し、たんぱく質画像を元に局所的なたんぱく質の重さ計算を行うことが可能とのこと。

すると脳の各部位における微細なたんぱく質の量を検出でき、その量を平均と比べることで「その人の”脳の特性”が分かる」と、こういう魂胆な訳である。

それによって、その人の脳のどの部分にたんぱく質が多いか(部位によってその特性がある程度分かる)を知ることで、その人の適正を知ろう!という試みなわけだ。

 

本書では上記のような脳のたんぱく質の量分布から個性を判別できるようになれば

「就職活動で履歴書代わりに脳の構造MRI画像を提出する」世界の可能性もあるのでは?としてアイデアはまさにアニメの『サイコパス』的であって面白いなと思えたり。

そしてこの技術は「メタ認知」に対しての貢献も。

これが脳の個性についてを考える上でも重要で、

そもそも「メタ認知」とは何かと言えば、

メタ認知とは、自分のことをどのくいらい正確に評価できるかということ。

これがなぜ重要なのかはつまり「脳の個性を知る」ということはそのまま「メタ認知」の理解をより促すからで、換言すれば客観的自己認識の正確性を高めることの可能性を示しているからである。

しかしここで面白いのは、仮に上記に示したような方法で各々の脳の個性を把握でき、それによって特性を判断できるようになった社会があるとして、自分のことを正確に判断する基準が脳に依存する中において、確定した自己評価が自分の脳を変化させるかどうか?ということだ。

この疑問に似ている話としては、「自然に踊っていてそれを褒められた子供が、その踊りを具体的に褒められ途端、意識してしまって従来の踊りを踊れなくなった」という話であって、つまり物理的なものである「脳」と、「精神」という未だ確定され得ぬものの相互作用について。

同じような例で言えば「あいつ、脳の特性で『歌手に向いてる』って言われて歌手になって大成したけど、あの脳の特性検査、実は誤りだったらしいよ…」といったことも起こるでは?という疑問だ

あと本書では「脳にとって睡眠は何故必要か?」という疑問に対する答えも示していて、これが他ではあまり見受けられない答えだったので意外であり印象的。

曰く、「よく寝ないと、いい思い出は残らない」ということ。

これは「扁桃体に依存するネガティブな感情に関する記憶は、海馬に依存した記憶とは別の仕組みで定着している可能性」を示唆しているそうで、この発見は何気に「すげぇな」と感嘆するものであり何せ「よく寝なきゃ悪い思い出ばかりが頭に残る」という至極シンプルかつ説得力を帯びた、睡眠の必要性を解くことができるからであって「長く寝なくても大丈夫!」なんていうショートスリーパーは夢の中ではなく現実において悪夢に苛まれている可能性もあるのだと想像させる。

そして何時のどの時代にもダイエットに関心のある人というのは一定数居る者で、本書においてもダイエットに関する知見が。

此れは「実は睡眠中に成長ホルモンがされるのは人間に特有の現象」ということ。

「はて、これとダイエットとどのような関係が?」

なんて思われようが、これって実は

人は寝ているときに分泌される成長ホルモンによって体内の脂肪が分解されている。

とのことで、要は「よく眠ると脂肪分解されてダイエットになるよ!」と主張する。

さらに睡眠不足であると食欲を増す「グレリン」というホルモンが増え、満腹であると脳に知らせるレプチンが減ってしまうこと。寝不足で過食気味にも(本当に寝不足だと過食気味であるという状態にさえ気づかないと思うけれど)何かと無意識にお菓子などポリポリつまんでしまうのはこれが原因との可能性も。

孤独感が強いとチョコレートクッキーのような脂質の多いものをたくさん食べてしまうようになる。

この衝撃の事実には読んでいてハッとし、これは生物学的な知見で、自己律性機能の低下とも関係が深いそうだ。他にも孤独と脳に関しては「側頭頭頂結合部」という部分の活動が、他人の視点からモノをみるという能力に関係していると考えられているそうだ。「孤独感は感染する」等といったことも解説していたのも印象的*1

本書は表題どおり、脳の個性を知る可能性を学べるのみではなく、「孤独が脳に悪い!」事の実際性を知れたことも良い勉強に。

孤独が与える悪影響を思えば、人間は群れる生物なのだと再実感。

それでも没個性を嫌い、一固体の特別性を望む。

人間とはなんとまあアンビバレンスな生態であるなあと思いながらも、そうした人間としての理解を少しでも推し進めるにはいいね!と思える一冊であった。

 

 

第9位

『カードセキュリティのすべて―進化する“手口”と最新防御策』

カードセキュリティのすべて―進化する“手口”と最新防御策

カードセキュリティのすべて―進化する“手口”と最新防御策

 

カードセキュリティに関しては疎いので、それだけも得る情報は多く楽しめた一冊。

セキュリティに関しては、 そもそもルパン三世とかで「本人の指紋を象ったものを作り、それを使用してセキュリティをパス」みたいな場面をあるあるネタみたいによく見かけるけれど実際にはそうした突破方法が試されていなかった!なんて事は初めて知り、じゃあとそれを実際に試したのが日本人の教授!というのだから驚いた。

 「遺留指紋」を、ゼラチンで作った「グミ指(模造指)」を用いて突破してみせたのが横浜国立大学の松本勉教授で、この教授はさらに虹彩認証装置の欺き方も発見し、それは「瞳の画像を名刺大に印刷」するだけで「なりすまし」できたとのこと。大学教授ながらまるで現代のルパンである。

 あと他の生態認証では「手のひら静脈認証」や「指静脈認証」などは聞き覚えがなくて勉強になり、これは「体内の静脈パターンも生涯を通じて変化はわずか」を利用しているとの事。さらに「静脈は体内にあるうえ、平面的ではなく立体的なので、人の偽造静脈パターンを作ることは困難です」そうで、これは流石に偽造は難しいのでは?とつい思う*2

本書では「ICカード」についての解説もあって、非接触式のICカードの仕組みについてや(カードのプラスチック部分にはコイルが入っており、改札機などのカードリーダーが一定の周波数を出すとカードのコイルで電量がおき、電磁誘導と呼ばれる作用から無線で電力をもらう事など)ICカードによくある「チャージする」とは、どのようにして行っているのか?なども解説。

 

あと本書の特に面白い部分こそ、「アタック方法」について述べている点。

それが何か?と平易に言ってしまえばハッキングの方法!

守りを強固にするためには攻めの方法を知っておくのは当然で、よって本書ではそうしたアタック側の方法も紹介するというわけである。

まず面白いのは暗号解読には物理的方法も大きく関与するという事であり、消費電力が暗号解読に関わっているとは!

それは処理時間・消費電力・磁気放射による脇道攻撃の事で、これら3つの方法に共通するのは『ICチップの内部で処理しているデータに依存して変化する』

この特性を利用して「暗号を解いてやろう!」というもので、つまり暗号解読の際における情報処理の部分的差異によるもの。

これは「脳の動きを用いて嘘発見器を機能させる」ような話で、この例えで言えば、

「人の脳は嘘をつくと”A”という部位が活性化する。よって、質問を投げかけこの部分を観察すれば嘘をついているかどうか判別できる!」

というのと同じ話。

暗号解読においても同様で、ICチップ内での情報処理では、暗号の一部が「解」となる場合において活性化(消費電力の差異、もしくは電荷の動きの違いなど)する場面があり、平均と比べる事でその差異を検出する事で暗号の正解を導き出していくという方法である。よってこれはシステム的ではあるが、より物質的でありハードとしての観察をもとにしたもの。

そうした流れの原理も詳しく解説*3しており、「ああこういった穴もあるのか」と勉強になる。

これらの方法は要するに、ICチップの内にはランダムにしきれない部分がどうしてもある事に由来し、そこの部分から情報を取り出してしまえば「暗号解読!」となる可能性があるんだよと言っている。

なので煎じ詰めれば、

アタッカーは、データをたくさん集めて平均化することによってノイズを消すことができます。

暗号に対するアタックとはこの二行に集約されるのでは?と思う。

その対策について、もちろん述べられており(本のタイトル参照!)攻めと守りの両側からセキュリティについて学べ、知ることが可能。

個人的に面白くて好きなのは「フィジカルアタック」というもので、これこそまさに物理的。言ってしまえばファミコンの差し込み方による誤動作もこれに当たるというので衝撃的(二重の意味で)。

あと「電源遮断アタック」なるアプローチは、

一部マニアの間ではよく知られた方法です。

という著者の一文に何処か琴線を揺さ振られ、妙に気になったりも。

他には「リバースエンジニアリング(逆解析)」と呼ばれる半導体技術者には馴染みある技術も紹介されているので「半導体好き!」って人にもお勧めできる内容。

マニュアルプローバー(手動探針装置)なんて言葉も出てくるよ。

本書はセキュリティの概要的内容ながら、内容はセキュリティに関して入門的ながらも幅広く、学べることは多々あったので好印象。

 あと本書で初めて「タンパー」なる言葉を知ったりも。

 

 

第8位

『犯罪』

犯罪 (創元推理文庫)

犯罪 (創元推理文庫)

 

 海外小説。

「2012年本屋大賞翻訳小説部門第1位!」との謳い文句を傍目に読んでみるとなる程、確かに面白い。連作短編集といった構成で全11編収録されており、著者が元刑事事件の弁護士という事もあって「もしや経験談を元に?」なんて思わせる内容ばかり。

しかし主人公が弁護士といっても弁護の話ではなく寧ろ事件に携わった人間を中心に描くものであって「裁判や事件の顛末は!?」というようはミステリー的ではなく「彼はどうしてそのような事をしたのか?」に迫るノンフィクション的な趣き。

11編はどれも味わいがいがあり、そんな中でも特に印象的だったのは

『タナタ氏の茶碗』『チェロ』『正当防衛』『ハリネズミ』『棘』『エチオピアの男』

など。『タナタ氏の茶碗』は暴力性フィクションに見えるノンフィクションさの秀逸さ。一言でいって、日常の非日常。やくざもの。

『チェロ』は最後の終わり方を含めてもなかなか。サルトルの『部屋』を、関係を少し変えてハードにしたような内容。

ハリネズミ』は個人的に好きな話で、「能ある鷹は爪を隠す」の意味の解説にこの話を用いていいのでは?と思えたほど。

エチオピアの男』は最後に収録されている作品で、これだけ創作っぽさが溢れる内容で、だがそれでも良い!人生謳歌の話。

そうして読み終えた本書は、珍しくも帯などに謳われた文句に文句もなく、「面白いじゃん!」と薦められる佳作な小説であったのは間違いない。

 

 

第7位

『希望 』

希望 (ハヤカワ文庫JA)

希望 (ハヤカワ文庫JA)

 

パラサイト・イヴ』で有名な著者によるSF短編集。

 全7作が収録されており、その中で印象的なものとしては最後の『希望』。

というのも、この作品では「重力」としての概念を拡張して表現しており、寧ろ重力とは精神面にも作用するのでは?としたことを根幹に感じ、エネルギー保存の法則の拡張のようであって面白い。

他には『光の栞』も印象的で、「生きている本を作る」というアイデアは突飛で、突飛故に価値のある作品であってリアリズムな文章もテンポ良く快い秀作。

『魔法』はマジックと義手を交えた手品SF作品という目新しいジャンルの短編。多面的にトリックが効いていて、よくできた作品。

『静かな恋の物語』は最後の解説を読んで、テーマ確定の企画物寄稿作と知って納得。妙な堅苦しさを感じたのはそのためなのかな?と。あとこれは最後の『希望』にも関連する内容であって、『希望』内でも表していた数学などにおける

「”エレガント”というが、果たしてそれは本当に美しいのか?」

との疑問定義は思うところがあり、こうした思惟的な内容は個人的にはとても楽しんで読めた。

あとは『For a breath I tarry』という短編は多次元的、多世界的にも読める作品で、価値観の違いとその素晴らしさを示すような内容。

本書はハードSF好きでも十分に楽しめる鋭い観点からの物語やら設計が見受けられ、SFに馴染みの薄い人でもそのエンタメ性から楽しめるよう工夫された作品も。

よって著者の作品はバランス感覚に優れているように感じ、それは一辺倒にならざる事を咎めるようなユーモア性がもたらす一種の合理性であって、強固な合理性の隙間に潜む植物の花を嗅がせてくれるような、そんなバランス具合。

「ちょっとハード目な思弁的作品読みたいな」というときにはお勧めの小説。

 

 

第6位

『みる・かんがえる・はなす。鑑賞教育へのヒント。』

みる・かんがえる・はなす。鑑賞教育へのヒント。

みる・かんがえる・はなす。鑑賞教育へのヒント。

 

 内容としては「アートの観賞の仕方とは?」のレクチャーを。

また「子供にとってアートとは?」を論説する内容で、要は「一辺倒な見方は違うよね」とするような主張。

読んでいて価値観の転覆を味わい、ハッとしたのは『テレビの映像にじゃれ付く猫について』。人間としてみればこうした猫の行為は可愛らしく同時に多少間抜けにも見えるものだけど、よく考えてみてほしい。それって本当に間抜けな事だろうか?

よくよく考えると人間も同様の事を行っている事に思い当たりはずだ。本書が例として挙げていたのがホラー映画の鑑賞であり、つまりホラー映画ではそれが虚構と知りつつ人はそれを見て恐怖する。そこの構成はまさに猫と一緒で、どちらも虚構に対して「それが本物」と思って接している点ではまったく同様。なるほど猫の場合は映像を「本物」と思い、人はそれが「嘘」と分かっている部分は違う!と言うかもしれない。

だがこの意見の正当性を通すには猫と会話する必要があり、何故なら猫が映像を「嘘」と知って戯れている可能性もあるからだ。

また人の場合にも、それが嘘と分かりつつも恐怖するというのであれば、それは嘘を恐怖するという間抜けに他ならず恐怖するのはそれに一種の本物さを感じているからに他ならない。こうした見方の逆転、形式的な思考の鋳型に設置された枠からの脱却、物事を視る個の立ち位置をズルッと滑らす意見には不安と興奮を覚えるのはきっとそれが不気味を面白がる事に対する面白味があるから。

他に印象的だった点としては、シェイクスピアも当時は商業主義として作品を書いていたと言うことであり、「シェイクスピアは芸術の主な目的は人を楽しませることだと主張していた」とする一文が印象に残った。

あと素直に「面白い!」と唸り笑ってさえしまったのはヴィム・デルボアという芸術家の『モザイク』という作品。どういう作品か?

一言で示せば「糞を用いたオブジェクト」。

床に相同としての個々のデザインが並び幾何学的レイアウトを施した作品に見えるこれは、近づき見るとその相同になるものは<糞>で、糞を相同にしてさらにパターン的に並べることでそれを決して<糞>とは気づかせないような、見事なパースペクティブの変換を感じさせるものであり思わず感心。

他に印象的だった一文。

作品の持つ社会性は、作品に固有な価値に存ずるではなく、たえず変化する大衆との接触によって作品が獲得する意味から生ずる。

 

それから教育論についても触れ、

必要があってはじめて、私たちは学ぶ。

というこのシンプルな言葉かつ真理的で、全く正論で金言的。

そこから子供の芸術観についても述べ、その独自の解釈は面白く、子供は「人はパンのみで生きているにあらず」というキリストの有名な言葉を聞くと「そうだ!チーズ、コーラ、牛乳だって必要だ!」と言ったりするのだから。

続けて「子供が芸術を退屈に思う原因について」解説し、その理由として「子供は具体的に考えるため」で、大人になるにつれ「抽象的」思考を身に付ける。そしてこの「抽象的」な思考こそ芸術を見る際には重要であり、子供が芸術を退屈に感じるのは、こうした素地ができていないため。芸術の「抽象的」さを捉えられないからだという意見はとても分かり易い。

私たちは具体的な経験をしてみてはじめて、自分自身と周囲の世界について何事かを知ることが出来る。

とは、まさにそのとおりだなと納得。故に、

美術教育を成功させる秘訣は、美術をすっかり忘れることかもしれないからである。

という意見は鋭く思えた。

一枚の絵は千の言葉に匹敵するとよく言われる。しかし、まさにこの神秘的な表現の可能性を持つからこそ、絵はすべて曖昧だということはほとんど指摘されることがない。

他にジョン・シャーコフスキーによる

新聞に載っている写真の大半はキャプションがなければ意味がない。

という言葉も的を得て感じ、

私たちは写真や絵を見て、それについて話すとき、意識的であるかどうかは別にしても、映像を経験で知っている事象と照らし合わせて見ざるをえない。

というのは経験則的にも真実に思えるのは当然で、知らないことは語れないのだから。
本書は芸術に対する”見方について”の勉強になり、また芸術教育に関しての啓蒙書としても優れた一冊!

 

 

第5位

『人月の神話―狼人間を撃つ銀の弾はない』

人月の神話―狼人間を撃つ銀の弾はない (Professional computing series (別巻3))

人月の神話―狼人間を撃つ銀の弾はない (Professional computing series (別巻3))

 

 「プログラミング」そのものについてというよりは、「プログラミングについて」の内容として出版は古いものの名著と名高い一冊で、読むと「ああぁ!」と納得。

内容として、「プログラミング業務とはどういったことか?」に俯瞰さも用いて言及しており、集中して書かれている事としては「プログラミング業務における一連の流れ」について。

そこでの業務的な注意点や改善点。心構えなどは今に読んでも得るものが多く感じるのはおそらく、いくらPCが進化しプログラミングの環境が変化しようとも人間の方は変化していない、その事に要因があるように思われる。

内容には、著者が実体験を交えた上での業務上の改善点についてや、「こうするのが効率がよい」との具体的な問題点の指摘には説得力を感じられる。

しかしこうした本で実際、本当に重要なのはそれがプログラミング業務のみ活かせる知識ではなく、あらゆる製作の現場において共有し活かす事のできる叡知なる点であり、物事の捉え方とそれに付随する共通点について。

よって当時においても著者の言葉に

主要な問題とは技術ではなく社会学的なものが大きい。

といったものがあり、この主語を色々と変えてしまっても成り立つところが重要かと。

あと本書のうち、個人的にとても印象的だったのは「プログラムと物理、数学との違いについて」。曰く

物理や数学は、その本質に複雑性がなく、逆にプログラムとはその本質自体に複雑性がある。

とのこと。これが思わず「なるほど!」と思えたのは「数学と物理は複雑系に本質がなく成り立っており」という事にあり、この観想をまとめれば”古典物理”的であり数学にしても実証主義的な観点からの意見と思うが、それでも主体として複雑性を加味せずとも成り立っているのは確かであり、よってそこで物理・数学とプログラミングにおける大きな違いを感じ易いのでは?と思う。

あと本書では訳者によるあとがきも内容に深く入りこんでいて印象的。

そこでは脱線的にも構造と構築に生物の淘汰と進化をアナロジー化しており、なるほどとつい思うのは当時と現代との進化については適者生存的な効率化が見えるからであって、しかし根幹は同じでありその基本構造から適正化についてまで。

まとめとして、本書が「啓蒙深いな」と思えるのはやはり本書がソフトウェアエンジニアリングの管理的な側面を主面としてスポットを当てることにあり、技術的な面を主としていないことに意義がある。「銀の弾などない」は昨今においても覆されることのないソフトウェアエンジニアリングにおける金言であることは間違いなく、すると万能機械の万能性の限界を証明したチューリング的な見方も取れるのでは?とも思え、そしてこのセオリーこそ「銀の玉」なり得るのならば皮肉的であり同時に雇用を生み出しているのならば。これこそ必要悪のようにも思えるのではないだろうか? 

 

 

第4位

『ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること』

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること

 

タイトルから容易に内容を推測すれば「ああ、ネット批判か」と思われようが、 実際には想像とだいぶ違った。

というのも意外と込み入った内容で、器質的に述べる箇所が多かったため。

なかでも特に印象的なのは「ハイパーテキスト」について。

ハイパーテキストによって情報の繋がりが生まれて知識の向上に繋がりやすいのでは?」なんて、それこそ安易に想像していたら間違っていたという結果。利益が見積もりよりもだいぶ少なく、むしろ弊害を生じさせたという事実はアリストテレスの言うような「思考としての共時性をなくし一方依存による状態は寧ろ考える力を奪う」ということの本質さを捉えているように感じた。

あと「果たして今後も本の価値はあるのか?」とするのが本書の根幹的なテーマでもあり、ネットでのテキストが氾濫する昨今の現状に照らし合わせて考察するのは面白い(それが自己矛盾的立場をとっている点も然り)。

そうしたバイアスはもとより、「そもそも根源的なところから」と道具がもたらす脳の変化については生物学的にも読み応えあり。そこで印象的であり強調していたのは、こうした脳の変化においては良い面ばかりがクローズアップされがちであるが、実際にはその逆。つまり失う部分もあるのは当然であり、そうした負の側面にも目を逸らさない事の重要性についてを知る事は有意義に思える。

つまりそれは、ネットにより蔓延った情報過多状態による益と害について。

認知の変化におけるメリット、デメリットを述べ(できるだけ客観的に。といっても過去の状態との照らし合わせになるのは必然だけど)、昨今のネットで記事を読むのと、読書では「脳の活動の仕方が違う」というのは注目に値する。

一言でいってしまえば、

脳はネットに触れることでマルチタスク作業に特化し、その代わりに一転集中型の思考を苦手にした。

ということであり、一貫して取り込む作業を蔑ろにする危険性が情報過多となる状態には付き纏う。

さらに飛躍して言ってしまえば(論文がネットデータベースに移され数多の論文が気軽に参考・引用できるようになったにもかかわらず、使われるのは一部にばかり収束してしまうことからも)、物事を深く考える事への軽視と不覚であり、例を挙げて言えば飛躍的ともいえる大きな発見が見つかり難くなったのは、それは専門性の分散化が当然の事としても、そうした意識のあまりの分散性が重要な発見を阻害しているのでないか?

なんて風にも思えたり。

知識体系の拡張と俯瞰的視線による、事象の関連性を見つける事は確かに大きな発見をもたらし、純粋な結果を工学に繋ぐ橋渡しにもなるだろう。

しかし、裾野を広げ過ぎることは同時に、行き止まりの先を開拓する「勇気」ではなく「可能性」を見失わせてしまう事があるのだと。

人は平易に「ネットにより情報が共有し易くなった事で、以前よりは賢くなった」と思いがちである。それは絶対的に正しいことはなく、また間違いでもない。

それでも、以前と比べ失われた知的利潤もあるのだということを忘れてはならないのだと思う。本書は、そうした事を知らしめてくれる良書である。

 

 

 

第3位

『昔話の本質と解釈』

昔話の本質と解釈

昔話の本質と解釈

 

 昔話の本質を構造化し読み解く構成ながらも、とっても読み易い内容。

それでいて西洋の昔話の本質に迫れる一冊。

まず西洋の昔話、神話など紹介されていて、それらを読むだけでも純粋に面白い!

同時に見えてくる、西洋における「昔話」や「童話」の違いについても理解でき、またそれらに共通の部分にも着目できるように。

すると「昔話」「童話」における鋳型、構造部分に携わる概念と一連の流れは時代や文化を反映しつつも、根源に人間としての共有部分が見え隠れし(集合的無意識のような)、「昔話」「童話」の普遍性と廃れない理由が見えてくる。

 

個人的には面白く思えたのは、童話における一ジャンルである『謎話』。

これなどはギリシャ作品のような問答形式で、そこでの設定などは今においても通用するものでは?と思えたほど。

その一例に、ひとつの謎話のあらすじを平易に示せば、

ある国に美しい王女が居り、自分が答えられない問いを出せたものと結婚すると宣言。誰でも参加件が与えられながらも、王女が答えられた場合にはその者を処刑する。

ちなみにこの話は顛末を含めても尚、面白くて実によくできた作品。

そして本書の論説として、伝説や神話と昔話との差異についての考察は鋭く、神話や伝説には恐怖や不気味さが纏うが*4、昔話はそういった陰険さが希薄。

あと「女の子の主人公が圧倒的に多い」というのも特徴であって。それは語り継ぐのが主に女性、ということに要因があるというのは納得し易い。

 

グリムから民話まで様々ながら共通の特徴としては「異化」にある。

「悪が善」に、「悪が善」に転化すること。白雪姫では強盗が白雪姫を助け、そしてかの王子の話では手紙の内容を強盗が親切にも勝手に変更して救うなど。こうした手紙内容のすり替え等はシェイクスピアの『ハムレット』などにもみられた行為であって、価値観や立場の異化はいつの時代の人間をもハッとさせる。

 

昔話は現実ではないが、真実を語る。

おそらく、人々の間で時を隔てようとも昔話が廃れない理由はこれであり、これこそもまた真実であるのだと思う。

 

 

第2位

『新文学入門―T・イーグルトン『文学とは何か』を読む』

新文学入門―T・イーグルトン『文学とは何か』を読む (岩波セミナーブックス)
 

 面白い。同時にとても勉強になる内容で、内容としては自虐的にも触れていている『文学部唯野教授』っぽさがある。けれど本書は本物の講義としての内容が呈される。

読めば納得、表題どおり『文学とは何か』がよくわかる。

しかし序盤からして「文学とは読者あってのものであり、読者の解釈如何による」として「”文学とは何か”を語るのは無意味」とするのはあまりにも構築論的にも思えたり。

それでも文学の発展としての西洋史は「なるほど!」とてもわかりやすく思わず唸ってしまう。そこで述べるのは文学としての新たな境地が開かれたのは、コロンブス的な新大陸の発見と同時であって、その理由としては至極単純。

それ以前は「過去の知識に絶対性」を置いていたため。

そうした権威による専門化がそれら知識を応用していたに過ぎなかった。

しかし新大陸の発見によって、そこでは新たな知見がいくつも生まれ、

要は「その場で確かめたことが真実であり事実」であり過去の文献には載っていない。

すると今までの知識体系としての土台が崩れ、それによって「新たな知」。

未知の発想が可能性として認めら得るようになり、これによって小説としての新たなスタイルもまた開拓されたという。

これは文人その人独自の「思想」を体系化することに対する、非ナンセンス化であると思う。あと印象深いのは、当時としてシェイクスピアは評価されていなかったという事実で、その死後数百年と経ち、戯曲そのものが評価の土台に昇った事でようやく専門家が「シェイクスピアの作品はすばらしい!」と評価したことが今の地位を得らせたのだというのだから少々驚く。

しかし本書の文脈をたどれば「ああなるほど」となり、文学としての評価は周りに依存し、そして政治的なイデオロギー性が必然であると主張するのが本書の特徴に思えたりもするのだから。

構築論に関しての論説もわかり易く入門的で、「脱構築」とはまさに「二階微分」のようなもの!と言ってしまえばいくらでも(それは見方を意図的に変えることで)出来てしまうのだということが良くわかり、だからこそ立場譲渡しての表明もまた重要であるのだな!と俳中律的にも思うことができる。それは二項対立外の概念が現実として存在している以上は(差別主義かどうか等)否めないのだから。

あとソシュールが言ったという「言語は差異にしか存在しない」というのには深く納得でき、メトニミーによって存在し得るとの解説にはなるほどと思う。本社では改めて勉強になることが多く、またラカンにおける精神分析についても解説もあって、これが実に平易な上、とても判り易い。するすると理解が進むほどにはラカンの鏡像について、所謂「自己はあくまで鏡像として在り、理想像を他人から崩されることで存在する」とした論の理解は捗るのでお勧め。

読めばラカンの主張としては納得し易く、自己は本来存在し得ないというのは受容理論的でありこれがまた例の文学としての存在と深く関係しているのかな?なんて思うようには至った。

あとはフーコーの言う「性的な癖こそその人の人隣が顕著にわかる」といった言葉も印象深い。

本書は文学の可能性と裏側を表面化した稀有な一冊。

その稀有さは、このわかり易さにも由来するのは間違いない。

文学についての奥深さや可能性はもとより、その枠組みについてをより拡大。

のみならず、枠組みの素材や枠組みの構造を教えてくれるような、思考としての柔軟さと複雑さを両隣に繋いで認識させてくれるような面白い本。

お勧め。

 

 

 

第1位

『欲望について』

欲望について

欲望について

 

「欲望って何?」

なんてことは、身近にある分返って日頃には考える事のないこと。

でもよくよく考えれば、これは実に摩訶不思議な存在であり、「高僧が『欲望をなくすのが目的』、なんて言えばそれもまた欲望だよね」なんて風にも思える面白いブラックボックス

こうした老若男女、誰であろうとも問うことができ誰にとっても掴みどころの難しい、このシンプルかつ究極的な問いにひとつ答えを出そうというのが本書の目的。

すると内容には意外にも哲学的なことだけじゃなく、社会学や生物学的な側面からも「欲望の正体について」を炙り出そうと考察していて面白い。

 そこから見えてくる「欲望」の本質とは?

言ってしまえば、まさに人間そのもの。寧ろ「欲望」を「人間」と呼称してもいいのでは?と、そんな気すらしてくる刺激的な内容。

思えばなるほど、人間というのは少なからず欲望を抱いているからこそ動くのであって、「清潔で居たい」や「常識に沿いたい」という「欲望」が全くなければ糞尿をその場で放出させる事も厭わない!かもしれないのだから。

もちろん、欲望には顕示欲や地位欲など社会的な物もあり、相互関係によって生まれるものも多々ある。

「では欲望の連鎖の根源には何が?」

といったことを重視するのではなく同時に、その欲望の連なりになっている鎖に注目する点もまた本書の特徴的。

「欲望の発生するメカニズムについて」

ではシステマティックに見方を定め、人の欲望の発生条件からパターン化された一連の流れについても解き明かし紐解いていく。これは脳科学的、神経科学的とも言える手法も用いていて、「経頭蓋・磁気刺激装置(トランスクラニアル・マグネティック・スティミュレーター)」といったもので脳の作用部分を観測できるそうで、これにより「選択は意識的かつ合理的なやり方ではなされないということである」ことが判明。

あと決定理論についても解説していて、「意思決定に使える四つの異なる原理」を紹介。しかし「それらの原理自体、互いに矛盾している」とのことで面白い。

「マクシミン原理」*5だろうが、「マクシマックス原理」*6を用いようが、「どの原理を使うかの決定自体、決定論が私たちに勧める選択に影響する」とのことで、バイアスがかかるとのことでまさに自己矛盾。

あとアントニオ・ダマシオの研究としての「理性的だが、情動を持たないことでの苦境」は感情の存在理由を証明するようであり、「情動能力のみ減少すると合理性は確かに増すが、答えにはたどり着かない」という衝撃的とも言える結論はモチベーションの重要性を説いたとも言える。

あとヒュームの引用には他に「理性は情念の奴隷」といったことを取り上げており、そこでの啓蒙深い言葉がこれ。

私の指が傷つけられることより、世界が破滅するほうがいいと思うのは、理性に反していない。私にとってまったく未知の人間のほんのわずかな不快さを避けるために、私自身の完全な破滅を選んだとしても理性に反してはいない。

 

ウィリアム・ジェームズは「本能行動は、動物の好き嫌いによって引き金が引かれる」と考える理由は、「本能行動とは複雑な反射行動に過ぎにない」とする見方からで、還元的でありながら合理的にも思えたり。

 

あと面白いなと思ったのは進化の不合理性について、

 進化とは最適とはいえないデザインを作ってみせる。例として、人間の網膜の「裏返し(インサイドアウト)」デザインは、血管と神経が光受容体の上に配置され、光の通り道を妨げている。この配置はまた、網膜が剥離される確率も高くしている。

 

本書では、人の欲の源を生物学的に分析し、それを「生物的誘因(バイオロジカル・インセンティブ)」(通称BIS)として、このBISについて大々的に語っているのも本書の特特徴的。しかしこのBISは「インセンティブ箇条」として、「組み込まれ方によって決まる」と神経科学的な意見としては「決定論」的ながらも、そのあとには「変更も」と希望を匂わせ、すると今まで「不快」だったものが「快」になる可能性もあるという。インセンティブに基づく行動とは、環境の影響も大きく作用し、しかし強調され注目すべき一文は「効果を持つのは、それが人のBISを考慮に入れ、利用するときだけ」という意味深な部分だろう。

「選択は因果関係に基づいて決定される」とはBISを持つことの意味についてで、「それによって私たちがプログラムされた反射的行動とそれによる制限を越えられるということに尽きる」この文もまた重要に思え、BISを超えるとは平易に表現して真の「自由」をあらわしているようにも思えた。

つまりそこから「選択する」のではなく「選択する幅を広げる」ということに。

あとブッタの四諦についても欲望と関連して取り上げていたり、

ある人が言ったという

いくら悟りをひらいたところで洗濯をしなければならないし、ゴミを出さなくてはならない。

というは必然ではある。

「欲望」とそれに対する脱却といえば高僧の成せる業!と思われようが、そういった観点からも「欲望」への対処方法を考察し、

父さんは禅の導師でしょ。なのにその執着ぶりは何なのさ。

という、禅の導師が息子に言われたというこの言葉もメタ的で印象的。

ショーペンハウエルは「制限はつねに幸福に向かう」と言い、エピクロスは「黄金の長いすで豪華な食事を前にしながら、頭の中は悩みでいっぱいになっているよりは、藁布団の上に寝ていても恐怖から自由であるほうが良い」と説く。

あと本書では終盤に、「欲望」から切り離されて生活を全うできた”愛すべき変人”たちも紹介。その中には樽で暮らしたというかの哲学者ももちろん紹介されており、

「どうして哲学者は恵んでもらえないのか?」という問いに対する彼の答えがウィットで素晴らしい。曰く、

「みんないつかは不具者や盲人になるかもしれないと心配しているんだが、いつか哲学者になるなんて誰も予想しないからね」

 

あとはデビット・ソローなども紹介され、慎ましさの重要性をソローはこう説いた。

ハーブを栽培するように、貧しさを育てなくてはならない。ちょうどセージを育てるように。

 

 

本書では締めの言葉に老子を引用し、

足るを知らざるより大いなる禍いはない。

はいくら時代を隔てようが、活きる言葉であり活かすべき箴言

あと思うのは、この本を読めばわかる「なぜ哲学が必要か?」

その答えとして「幸福になるため」があるのでは?と単純にも思わせた。

それは「欲望」の本質を知らしめ、絡みつくBISから脱却させるためとしての。

 「欲望」それ自体は決して悪ではない。

「欲望」それ自体がなければ、我々は何も行動をせず、生きる事さえ止めかねない。

それでも「欲望」の従者となる人生は幸せと言えるだろうか?

「欲望」こそ人を生かし、人の生きる理由の根源に「欲望」があるのなら、人生の意味を持とうと思えば根源を探り、知ろうとするのは当然のこと。

本書は「欲望」について説き、それは同時に「人生」についての理解を捗らせてくれるものであるのは間違いない。

人間ならば、一読するのはお勧めの一冊。

 

 

*1:しかし感染の原因は今のところ不明とのこと

*2:尤も、生態認証としてはその偽造の難しさ、一固体とすることが逆に脆弱性でもある。

*3:そのひとつとして、『暗号化や複合化に「べき乗剰余計算」を行い、式としては「S=Yxmod N」で、Yが入力データ、xが秘密鍵、nが公開鍵で、暗号化を解除するのに用いる鍵をxとnに代入して「べき乗剰余」を計算する。消費電力が処理するデータに依存することから、データを補助計算機(コプロセッサ)に転送する場合、データは大変に大きく一度に転送できず、複数のブロックに分けて転送。すると対応する電力消費のパターンは、ブロックごとの消費電力を時間順序に並べたものに(消費電力のパターンから)。これでxが推測できる』とのことで、これがRSAに対するSPAの方法

*4:雄牛の背中に乗せてもらう換わりにその「牛の肉を食べない」と少年は牛と約束するが後日、母親がこっそりその牛の肉を少年の料理に盛り、肉を食べてしまったことで逆に少年が牛に食べられるといった不条理的な因果を

*5:ゲーム理論における合理的選択の基準の1つ。 戦略を決定するに当たって、各戦略の結果で最も利得が小さい場合同士を比較して、その中から最大利得が可能な行為を選択する行動原理のこと。

*6:とある状況下での選択肢から、利益が最大化する可能性がある行動をする戦略のこと。

「無償の愛」は存在しない

 

タイトルからしていったい何の話かと思われるだろうから、

簡潔にいってしまえばあるアニメに関してのこと。

尤も、それはアニメ自体の批判ではないのでご安心を。

というのも、これはなかなか気になって心に深く残っていた蟠りのような思念があり、沈殿していてそろそろ浮上させてもいいかなと思い綴ることに。

 

前置きが長くてすいません。

何のことかといえば、それは去年10月から放送していたテレビアニメ、

『うちのメイドがウザすぎる!』

という作品に関連したことであり、正確にはこの作品に出てくる登場人物の一人について思うことがあったのでここに徒然と綴る。

この作品に対してはまず、正直な思いを吐露すればそのタイトルとあらすじ(下記に引用)から

 

あらすじ

ロシア人の血を引く小学2年生・高梨ミーシャのもとへ、筋金入りの幼女好きで元自衛官の鴨居つばめが新人家政婦としてやってきた。前職のポテンシャルを存分に生かしてミーシャに接近しようとするつばめと、徹底抗戦の構えをとるミーシャによるホームコメディが幕を開ける。

 

「なんだこれ?大人の女が小さな女の子を愛でるだけのアニメって、何だか酷い内容だな…」なんて多少引き気味に思っていて軽蔑心さえ催しそうであり、しかし「見ずに批判は屑だ」と思いものは試しにとちょっと見てみることに。

するとこれが予想外に面白く、コメディードラマ並といえる十分なクオリティ。

そんなわけで、結果この作品を最後まで楽しんで観れ、その中でも特別に注目したのがこの作品に出てくる登場人物「みどりん」氏。

 どんなキャラクターかといえば、33歳でコスプレメイド服を着て、主人公の一人である鴨居つばめに惚れ込み追いかけてきた元上官で、一言で表すなら強固なM体質の変態さん。

wikiの人物像についてでも

 

筋金入りのドMであり、他人から苦言を呈されたり軽蔑される度に身を震わせて喜んでいるが、想い人であるつばめからは冷たくされようが身を案じられようがどっちにしろ喜ぶという複雑な性癖の持ち主。

 

 このように書かれており、しかし注目すべきはその性癖というか考え方。

ハッとしたのは、その特殊なアンビバレンス性というか、もっと一言でいってしまえは、著しい幸福の感受性!

上記の引用にあるこの部分、

想い人であるつばめからは冷たくされようが身を案じられようがどっちにしろ喜ぶ

これって何気にすごい事をしてるなあ、ってことであって、だって告白しても「成功したら両思いで嬉しい」のは当然の事としても、フラれても尚「フラれてもドMな感性としては嬉しい」となることであって、どっちに転んでも幸福になるというまさに天下取りの体質!

 

 

しかしこれだけの事なら、「ああ、なんだか特殊な変態さんだね」で終わる話かもしれないが、凄いのはここから。

衝撃を受けたのは、第8話目。

この回では「みどりん」が、一時的に雇われていたミーシャ家のメイドを辞することになって職を失う。それで新しい職を探そうとするのだが、そのときの決意表明としての台詞が自分には実に衝撃的。

「なるべくキツくて理不尽に怒られて、誰からも感謝されず、労働時間と内容に見合わない低賃金のところがいい…!」

 彼女が所望する職場とはこのようなところで、それも建前ではなく、本音として!

 これがどうしてこれほどにも見ていて衝撃を感じたかの理由としては、

大半、いやおそらくほぼ全ての人が、働く理由とその求める職場の件として、この台詞の正反対のところを目指しているであろうことは、想像に容易い。

というかおそらく、この台詞自体が、基本的な働く欲求に対しての真逆な意見を考え、それを元に作った台詞であるように思われる。

しかしこの台詞に込められた意味は、表面的な意味のみではない。

よくよく考えてみてほしいのは、ここでこの記事のタイトルとリンクするということ。

ちょっと脱線して、「無償の愛とは?」について考えてみてほしい。

すると自分としてはこの言葉にどこか違和を感じるのはまさに「みどりん」の台詞による真理性からによるものであり、「無償の愛」とはつまり「無償すなわち自分のほうは何も得るものがない上で相手に自分が与える『もの』=『愛』」であって、「無償の愛」が尊いように思われるのは、この「無償さ」、すなわち得るものなくして与えるという均衡バランスの崩れによるものではないのかなと。そう思うのだ。

 

しかし「みどりん」の哲学および性癖は、この「無償の愛」の概念を瓦解させる。

なぜかといえば、「みどりん」にとっては「無償の愛」が存在しないからだ!

 別にこの人物を非人間的と言うのではなく、むしろ彼女こそが人間としての真実味を描いているように思われる。

それは、「無償の愛」とは『無償の愛』を与えた側が満足を得た時点で、それは「無償の愛」ではないからだ!

つまり、本当に「無償」であるならば、その行為に対して満足するのは「無償」ではなく、「満足という償を得がたいがための愛」であって「利己心」が隠されているのだ。

よって、言葉通り本当の「無償の愛」とは実に無感動的であり、無機質的。

なぜなら施しを与える側は、それによって起こる感情の差異を生み出してはならず、心情における均衡のバランスを変えてはならないからだ。

すると「無償の愛」によって「相手の幸福」を望むと、その時点で「無償」ではなくなってしまう。それは「相手」にとって「幸福」が望ましいと思うから「無償の愛」として「相手の幸福」を望むのであり、この「望む」には感情的な恣意が含まれているからである。*1

何が言いたいのかというと、人間である以上は「無償の愛」などは存在しない。

ということである。それが人間としての生き物である以上は必然であり、むしろ悪いことでない。誤解してほしくないのは、ここでは無償の愛が存在しないことを肯定的にいっているのであり、なぜなら生きているのだから、人間なのだからそれは当たり前の事であって、無償の愛がないことこそ本当はすばらしい事実なのだと思う。

このような隠された真実味を、この「みどりん」は表面化、言語化して示しており、人間の深層心理に埋もれるひとつの欺瞞を露呈し、「すべての苦痛は幸福の源なり得る」ことを自らで証明することで「二項対立的な心情概念は如何なる時にも発生し得る」という事実に光を浴びせているように思えてならない。 

 

 「みどりん」という登場人物は、ドMな正確ゆえ、人が嫌がることを好み、人が嫌がることを言われるのを好む。まさに究極の天邪鬼的性格の人物であり、ブラック企業で働くことを自ら望むというのは経営者側から見れば理想の人物かもしれない。

しかしそのブラック色は、働く当人にとってそれが好ましいのであれば既にブラックではなくホワイトへの変容し、彼女にとっては理想の職場になる。

価値観の転覆を思わせる彼女のこうした思念はなるほど、脱構築的なものと捉えることができるのはもちろんの事、人間の思念としての可能性のより深い部分を感じさせる。

 

 

 あとこのアニメ、カミュの『異邦人』ネタを入れていたりと、案外ディープな笑いもあって楽しめたw

 

 

 

 

 

 

*1:感情的な恣意がなければ、「幸福」と「不幸」の概念的差異も見出せないため。

2019年 1月に読んだ本からおすすめ10冊を紹介。

1月に読み終えた本は34冊。

その中からおすすめの10冊を紹介!

 

 

 

第10位

コンビニ人間

コンビニ人間 (文春文庫)

コンビニ人間 (文春文庫)

 

 話題作を遅ればせながら、今になってようやく読んだ。

感想としてまず思ったのは「シンボリック相互作用」や「脱構築論的」といったもので、簡潔に言ってしまえば「『われ思う、故にわれあり』なんて言うけれど、他人いなけりゃわれの区別もないよね」といった感じ。

穿った見方をせずとも、いいや寧ろ素直に読めば構造主義批判をアナロジー化したような作品とも言え、オースティンの行為言語論的な要素もあるのでは?なんて思わせる。

そんな前置きはさておき、俯瞰的な感想を除いてごくごく一個人的な感想として述べれば「世間の風潮を真正面から受け止め、その上で全てを肯定を否定もせず戸惑うのだから、まさに人間版ベイブだね!」といった感じ。しかし世間の風潮の描写こそ、誇張的ながらそれが誇張と言えないところにまた面白さがあるのではないのかと。

あとコンビニについての描写が鋭く思えるのは実体験からなのだろうか。この部分が本作品の特徴のようにも感じ、得意分野に対しては他の人間と同様のあり方を示す部分もまた本作品の特徴であると思う。

本書の根幹は「世間の常識とは非常識」と言わんばかりに、恋愛や結婚などに対する価値観を真っ向否定。すれば奇異な目でじぃと見られる。

そんな生き難さも描くものであって、世界の中心で叫んだのは愛ではなく相手の言葉。倣えばそれでいいとする風潮。「狩猟時代から変わっていない」とまでいう価値観の原理を語り、しかしこうしたテーマの作品は古今東西昔からあるとも言えるので、まあありきたりなネタ。それが現代に尚こうしてヒットし、注目されたというのは、それだけこうした批判は真理味を帯びておりそして「現代においてもヒットした」という事自体こそ注目する意味があるのだと思う。

おそらくそれこそが皮肉的にも「普遍的なテーマ故なのだから」と思えば面白い。要するに、本書の根幹として否定するテーマこそ、否定するテーマからは逃れられていないといえるのだから自虐的。

緩やかな世間体への批判は、読んでいて心地いいのだとすれば自己的であり利己的。けだしそこで感じる齟齬感こそ、実際の他人を目の当たりにするのではないかと思う。

そんな作品だった。

 

 

第9位

『マッシュ』

マッシュ (角川文庫)

マッシュ (角川文庫)

 

 朝鮮戦争を皮肉った小説。なんて謳い文句ながら、内容としてはコメディ色が有り余るほどに溢れ、全体的にコメディといって過言でない小説。

主人公は三人の軍医。激戦の模様は運ばれてくる患者によって想起させようとも、悲惨さを感じさせず雰囲気としてはアメリカのホームコメディっぽい。

 そんな野戦病院で活躍する三人の破天荒な軍医が繰り広げる突飛な内容で、連作短編のような構成なので各話を独立しても読める。そして発売が70年代ともう50年近くも昔の作品ながら今に読んでも十二分に面白い。というか普通に笑える。

中でも特に笑ったのは、主人公である軍医の一人が髭をぼうぼうに伸ばし髪の毛も伸ばし放題で放置。するとキリストにそっくりとなってそのスナップを売り歩いて大儲け。このエピソードには爆笑した。他も愉快な話ばかりで読み飽きない。アメリカンなジョークも多くて、性病検査員をサボるための行動や台詞の言い回しなど全体にわたってジョーク本と呼べるほどにはユニーク。

ただしそんな折にも負傷者の対処や手術などの描写も最低限にはあって、戦争での悲惨さを垣間見せる場面もあるのが印象的。

あとフットボールの回もありルールを知らないと楽しめないから、そこはちょっとマイナス点。だが登場する上官もまた良い味のキャラしてて、こち亀でいう大原部長のポジション。そして本作品を読んで得た教訓としては「仕事に有能であれば、クレイジーな振る舞いも許される」ということで、全体的に笑える快作。

 

 

第8位

『愛することができる人は幸せだ』

愛することができる人は幸せだ

愛することができる人は幸せだ

 

「愛とは何か?」をノーベル文学賞の受賞者が答えようという内容。

具体的にはヘッセが「愛について」をテーマに綴った短編や詩、評論などを編集者が独自にまとめて一冊にしたもの。

そんな本書を読み終えて思うのは、ヘッセは「愛こそ幸せにつながる」と決定的に主張していること。

なかでも

「掟とは、理解したものが理解していないものに教える真理である」

といった言葉が印象的で、そこではその真理が多少なりとも歪められているのだということも含めて感慨深い。

載せられている短編の中では『ハンス・ディーヤラムの修行時代』や友人の経験を語る『恋愛』、三十歳で十九歳の美しい小鳥のような娘に恋をしての顛末を描く『人生の倦怠』などは読むとなるほど、一言で表現して「面白い」。

自己愛の充足化も重要だと主張し、キリストの言う「隣人を愛せ」を同時に「自分も愛し」と付け加えていたのが特徴的。

あと、「すごく良い事いってるなぁ」と感嘆し印象に残った言葉がこれ。

ぼくはよくこう思う。ぼくたちの芸術は全部代償にすぎない、やりそこなった人生の、発散できなかった獣性の、うまくいかなかった恋愛の、骨の折れる、そして実際の値段の十倍も高い代価を払った代償だとね。ところがやはりそうじゃないんだ。まったく違うんだ。ぼくらが精神的なものを、感覚的なものが不足しているそのやむを得ない代償と見るなら、それは感覚的なものを過大評価しているのだ。感覚的なものは、精神的なものより髪の毛一本ほども価値が高いわけではない。その逆も同様なんだ。すべてはひとつで、どちらも同じようにいいのさ。きみが女を抱こうと、詩をひとつつくろうと、同じなんだよ。ただそこに肝心なものがあれば、つまり愛と、燃焼と、感動があればいいのさ。そうすれば、きみがアトス山の修道僧であろうと、パリのプレイボーイであろうと同じことなんだ。

 

他にも人生訓と成り得る箴言は多く、

この世を見通し、それを解明し、それを軽蔑することは、偉大な思想家たちの仕事であろう。けれど私にとって大切なのは、この世を愛しうるこち、それを軽蔑しないこと、この世と自分を憎まないこと、この世と自分と万物を愛と感嘆と畏敬の念をもって眺めうることである。

これなども胸に響いた。

 

そしてもうひとつ、特に印象的なエッセイから抜粋。

愛に関しては、ちょうど芸術の場合と同じことが言える。つまり、最も偉大なものしか愛せない人は、最もささやかなものに感激できる人よりも貧しく、劣るのである。愛というものは、芸術の場合もそうだけれど、不思議なものである。愛は、どんな教養も、どんな知性も、どんな批評もできないことができるのである。つまり愛はどんなにかけ離れたものをも結び付けるし、最古のものと最新のものをも併置させる。愛は一切のものを自己の中心に結びつけることによって、時間を克服する。愛だけが人間にとって確実な支えとなる。愛だけが、正当性を主張しないがゆえに、正当性を持つ。

愛にまつわるためか、美しいと思える表現が全体的に数多く感じた。

そして本書の終盤に載せられ感想の締めにもふさわしいと思う言葉をまたここで引用。

世界と人生を愛すること。苦しいときにも愛すること、太陽のあらゆる光線を感謝の思いで受け取ること、そして苦しみの中でも微笑むことを忘れないこと、―あらゆる真正の文学のこの教えは、決して時代遅れになることはなく、今日では、これまでのいつの時代にもまして必要不可欠なものであり、感謝しなければならないものである。

手元に残しておきたいと思える一冊で、

 あとこんな言葉も個人的には胸に突き刺さった。

「なんでもできると思い込んでいる人は、自分に何も求めていない」

 

本書には、真理が数多含まれていると思う。

 

 

第7位

『虹をつかむ男』

 ユーモア作家として有名なジェイムス・サーバーによる短編集。

短編を主に24編!も収録されており、その中でもやはり飛び抜けて面白いは表題作の『虹をつかむ男』!!これ等は「どんな作品か?」言ってしまえば昨今より流行を感じさせるジャンルとしての『異世界に転生したら○○』のまさに鋳型のようなものであって、寧ろそれらの概念を包括してしまっているのだから凄い。故に、端的に言ってしまえばこの作品でそういった幻想的なものへの物語は始まり、同時に終わりを感じさせるのだから実によくできている短編で、ぎゅっと密に凝縮された内容に思わずくすっと笑ってしまうその絶妙な塩梅の滑稽さ。これだけでも読む価値のある一冊だが、他にも面白い作品は多く、というか面白い作品ばかり!

『世界最大の英雄』はアンジャッシュのコント的なコントラストが面白く、『空の散歩』は「否定形から会話に入る」といった典型の妻が登場。なんにでも否定する妻を持った夫はどうなるのか?を描くユーモラスな作品。『マクベス殺人事件』は「亀の背中に象が乗りその象の上に地球が乗っている」と主張するかの集団のようで面白い。

特に好きなのは『ツグミの巣ごもり』で、これだけで上質なユーモア映画が撮れそうなほど。『ウィルマおばさんの勘定ホテル』も個人的には好みで、歯に付いた青海苔を取ってみたら青海苔じゃなかった…みたいな妙な気分の悪さを味わえる稀有な作品。

 もう、予想以上に全体として面白かったので大満足の短編集。

「ユーモア小説」というジャンルに興味があるのであれば必読かと。

 

 

 

第6位

『水いらず』

水いらず (新潮文庫)

水いらず (新潮文庫)

 

 実存主義で有名な、サルトルによる短編集。

表題作『水いらず』からはじまり、これなどDV夫との共依存を女性側からの目線で描く作品でなかなか酔狂ながらも、本書における一番の注目作はやはり『一指導者の幼年時代』という作品であるように思う。この短編は実に己の哲学体系が練り込まれているように感じるような作品で、読み応えあった。

『一指導者の幼年時代』の主人公である彼はあるときに悟る。

自分としての存在とは「存在しない!」のだと。

なるほど精神障害者かな、なんて早合点するのはちょっと待ってじっくりと読めば寧ろ彼がこのような思念を浮かべ得る実情が明らかとなって、平易に示してしまえばこの概念こそ「現存が先行する」ということであり言語学的な示唆も含まれる。

この作品は主人公である青年の伝記的な構成となっており、よって彼の思念を成長とともに見守ることが出来るので「自分の存在について」疑問を抱くようになった過程についてもよくわかり、彼と共に思考の鋳型を変容させることも可能。ソシュール風に言ってしまえば「言語は差異にしか存在しない」ということであって、メトニミーとしての思念をその成長に追随して読ませるのでありそして感じさせる。

 なので小難しく表現すれば「自分の存在の存在性についての疑問を抱き不安に陥るのであれば、この作品によって共感が得られるはずである」とも言えるような作品。

 

他の収録作も思弁さが強調されて面白く感じる作品ばかり。

『壁』は処刑される間際の緊張感と絶望を一人の内面から抉って描いた内容。じわりじわりと迫る恐怖、死に対するマフラーのような感触を抱かせるこの忍び足は、一読の価値がある。

『部屋』という作品は、ある意味でハムレット的にも読める作品で、狂気の沙汰を思い描くような内容。これなどは今に読んでも十分な迫力を感じるのはおそらく、その比喩体系によるものであって近似的な状況は今でも世に溢れているなと思わせるテーゼ性によるものかと。切なくその先に待つのは優美さと呼べる概念なのかは実際に読んで感じてみてほしい。

『エロストラート』もこれまた印象的な作品で、ドタバタ的であって意外なユーモラスさがあった印象。それでも根幹にある社会不適業者のアナーキーさは利己的で、「時代的サイコパス」を描いているような印象も。

全体としてはずれのない短編ばかりで、繊細な心情の描写が特徴的な作品ばかり。

心の琴線に触れるかどうかは、その内容に「同意できる」からとは限らないのだと教えてくれるような作品集で、良く言って刺激的。悪く言って実存的。それこそ、まさに「ことば」なのだから。

 

 

第5位

『勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪: ヘミングウェイ全短編〈2〉』

勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪: ヘミングウェイ全短編〈2〉 (新潮文庫)

勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪: ヘミングウェイ全短編〈2〉 (新潮文庫)

 

 掌編小説のようにごく短い作品が連なった構成で、「おぅ、面白いね!」とさっと感じる作品もあれば、「えぇ、これで終わり?」となるようなものまで多種多様。

それでも面白いものは確実に面白く、多様な作品性を集めたことで「ひとつは好みが見つかるのでは?」とは確信できるような小説群。

個人的に「面白かったなあ」と感嘆したのは『父と子』『ワイオミングのワイン』『ギャンブラーと尼僧とラジオ』『フランシス・マカンバーの短い幸せな生涯』『キリマンジャロの雪』など。

『ワイオミングのワイン』はある種、文化人類学的な作品にも思えるのは「あるある、日本人でもこういう世話好きのおっさん居るわ」と文化の垣根を越えて共有できる感覚をこうもじっくりと丹念に臭いさえも添付するように感じさせながら読ませる文章のなせる業であり、その構成の賜物。牧歌的な雰囲気に潜むひっそりとした厭世性。絶望感。コントラストが素晴らしい。まるで曇った雲のような作品だった。

 『ギャンブラーと尼僧とラジオ』はそのぐんにゃりとしたタイトルからも想像できるように、児童のおもちゃ箱のように多少ごちゃっとした作品。ただしこのタイトルに含まれる単語が示すのは「人生」であり、各々の人生を”入院した病院”という環境から感じさせるもので人生とは奥深いのであり底が深く、そのスペースを埋めてきたものについての言葉は体積を持つ。

『フランシス・マカンバーの短い幸せな生涯』がまさに読んでいて「あぁ、面白いなあ」と思えた作品で、時代とプライド、精神のあり方についてを教鞭するような内容で、見方によっては実にイデオロギー的。しかし「男とはこうあるべきだ」とする鋳型の思考を垣間見るには存分に楽しめ、相互作用的に働き均衡を保とうと動く重力に縛られたような互いの思惟がまたシーソーゲームみたいで面白い。

『父と子』は個人的に好みな作品で、情緒豊かに懐古する少年時代の自分と、目の前のわが子を見て過去を重ね思う事とは。この渋い作品は、感情と情念の違いを教えてくれる。

キリマンジャロの雪』は単に面白いとは形容し難い作品で、ブルーチーズみたいに味わい深い作品。じっくりと噛み締めればその美味しさは溢れ出るが、はじめは戸惑い、徐々に慣れることによってその本質がわかって来る。さらにこの味に円熟味を齎してくれるのがまさに製造過程であり、それを知ることによってこの作品はまた幾倍にも味わいを増す。

全体的に軽いものから重いものまでざっくばらんに様々。しかし面白いのは確かで、特筆な人間描写を「人が描けている文章」と言うのならば、本書はよりストレートに「読ませる文書」とはこういったものなのかと思わせる。

 

 

第4位

『創世の島』

創世の島

創世の島

 

 SF小説

ページ数も、文字数もあまり多くない作品。

読んでみると構成は戯曲的に台詞中心で、しかしこれが思いのほか面白かった!

というのも内容として哲学的であり(分かりやすく登場人物の名前が古代ギリシャの哲学者から引用しているのはもとより)、シンプルながら深々とした問題を根幹として提示していたため。その根幹とする問いとしては「人の”意識”とは?」。

こんな漠然とした問題に、本書ではひとつの答えとして「     」としているのが特徴的。これはさっと読める一冊なのでその答えはぜひとも実際に読んで知り、どのように感じるかを自分に確かめるのも面白い読み方かと思う。

こうした疑問はつまり、「結局人間とは何なのよ?」というシンプルゆえに答えられない質問に還元され、昨今AIなどによっても盛り上がりを見せる形而上学的な問い。

ごく簡単に物語の構成を説明すると、ある人とAIとの会話のやり取りを主に見せてそこから生じる”もの”によって、意識の本質に迫ろうとするもの。

これについては長々と語りたいながらも語ってしまえば読む楽しみを奪うことに変わりはないので批評は少なく勧めは大袈裟に。

結果よりも過程として、この作品を読んで楽しんでほしい。

しかしこうした哲学的なものを読むと、改めて思うことは「哲学」の概念について。「哲学とは、答えを出す学問なのではなく、問いを見つけ出す学問」なのだということ改めて鑑みる思いに。

 

 

第3位

『ロボットの歴史を作ったロボット100』

ロボットの歴史を作ったロボット100

ロボットの歴史を作ったロボット100

 

www.youtube.com

上記の動画みたいに「面白いこと」を言葉で説明しなくても「面白い!!」ってなる本。ただしロボット好き限定。

ただ翻訳書なので必然的に日本のロボットの紹介は少ない。

しかしそれでも昔の洋画に出てきたロボットから(ハリウッドの声優名鑑に載っているロボットも!)、実際に存在するロボットまでいろいろなジャンルから紹介。

そしてロボットは主に人型のものが多く、ビジュアルたっぷりの内容なのでペラペラとめくって眺めるだけも楽しめる本。

ロボット好きには「面白いこと」をあえて言う必要がないほどにはお勧めできる一冊。

 

 

第2位

『これが物理学だ! マサチューセッツ工科大学「感動」講義』

これが物理学だ! マサチューセッツ工科大学「感動」講義

これが物理学だ! マサチューセッツ工科大学「感動」講義

 

例えばあなたが身長にコンプレックスを持っているとして、こんなことを言われたらどう思うか考えてみてほしい。

「あなたの身長を、すぐに2センチほど高くして差し上げましょう!」

こんなことを言われ、さらに有料ともなれば胡散臭く感じるであろう。

しかし、これはなんらインチキでもなく本当に可能。何の器具も必要でなく、すぐさま2センチ身長を伸ばす方法とは実在しているのだ!

「えーなにそれ胡散臭い」等と思われようがその方法を本書では示しており、ネタを明かしてしまえばごく単純。その方法とはー

”横になるだけ”

 つまり「立った状態と横になっている状態とでは、身長が異なる」

という単純な事実であり、横になるだけでも脊髄骨格の伸縮において2.5センチほども身長は高くなるという。無論、これは重力の影響によるもの。

本書ではこのように日常生活とも深く関わりのある事柄を多面的に扱い、物理が如何に日常に溢れているのかを紹介する。

注目し得に楽しめたは虹についての項で、ここでは「虹が見える原理について」を詳しく解説。すると虹とは、角度の関係(赤が最大として42度)が重要といったことや、水に反射する事でどのようにできるのかを(ここで二度の反射では複数の虹になることも解説)”知る”のではなく”理解”ができるようになる。

すると虹を見る条件「背後に太陽があることが重要」という事から、その際における角度と自分の立ち位置についても理解することで虹に接する機会もおのずと増やせるようになり、雨の中で傘を差さずに突っ立っていようがこれで不審者にはならなくて済むわけだ。

他にも電気についてや磁力とは?等も平易に解説もしており、生活観を変えるには家具や部屋を変えずとも、一番手っ取り早いのは「思考」なのだと思い知る。

エネルギー保存の法則についてでは鉄球つきの振り子でその法則の正しさを実演!よって仮に、この世界が一時的にもエネルギー保存の法則が崩壊していたならば著者の顎は砕けていたことになる。幸いにも今のところ顎は健在らしいけど。

そして著者はX線宇宙物理学の先駆者だそうで、そのため宇宙関連の項も多くブラックホールから中性子、さらにX線についての話では専門家だけあり内容は込み入っておりそれは自伝的な意味を含めて。それで当初としての観測の活動内容やその際の秘話まで述べており、わくわくして行っていた実験の様子からは沸騰する思いが伝わってきた。 

含蓄が深まり同時に世界の見え方もまた変えてくれる一冊で、老若男女、誰が読んでも損はないように思えるのでお勧め!

 

 

第1位

素数の音楽』

素数の音楽 (新潮文庫)

素数の音楽 (新潮文庫)

 

「落ち着け………… 心を平静にして考えるんだ…こんな時どうするか……
 2… 3 5… 7… 落ち着くんだ…『素数』を数えて落ち着くんだ…
 『素数』は1と自分の数でしか割ることのできない孤独な数字……
 わたしに勇気を与えてくれる」

上記の引用は敬愛する漫画作品『ジョジョの奇妙な冒険』に登場する、プッチ神父の有名な台詞。

素数とはどこか人を惹きつける甘い蜜のような魅力がある。

そんなことを言えば、「いいえまったく興味ありません」という人も居るだろうし寧ろ大多数がそうではないかと思う。

しかし一部ではこうも人の意識を惹きつけ、人生を左右するどころか、その生涯を素数の究明に捧げるものさえ居る。それほどに熱狂的信者を持つアイドル「素数」とはいったい何なのか? 本書こそまさに「素数について」の本で、素数に関わった数学者の数学史のような内容でもあり、素数が示す功績から、素数における可能性まで。

数学本ながらポピュラーサイエンスの一冊なので数式などはほぼ登場せず、故に読み易い内容。なにより文章が、証明的な堅苦しさに溢れず猫のような軟体さを持った快いものなのでスラスラと読める構成。であってさらに読めば読むほど素数の魅力にも、それに伴う数学者の人生にも引き寄せられる!

オイラーの偉大さは当然としても、リーマンの前衛さやその慧眼具合に驚嘆したり( 遺稿は現代までにも多大な影響を!)、未だ解けてはいない『リーマン予想』についても「どんなものなのか」概念を知ることが出来る。それを説き明かそうと挑戦した歴史についてもまた述べていて、この過程などは本当に大河などにも引けをとらない面白さが詰まっているように思う。

人間の頭脳が挑戦する未知の領域とはすなわち、別の景色を見ようとするダイナミックな旅であるのだと。よって「数学者」というのは、ある意味において「登山者」とも呼べるのでは?なんて思えてくる。

掻い摘んで一部を述べれば、「グラフとして東西、つまりx軸が横でyが奥行きとして(この場合、高さはzとして)、x軸の1/2の場所からy軸に向けての線においてゼロ点が集中している」こんな感じで(方向については省略してあるけど)、このようなものが解こうとする予想。これが正しいのか確かめるには素数の性質を究明する必要がありその過程と挑戦、実に多面的にアプローチして素数の神秘を解き明かそうとしており、そのアプローチの数々を紹介。難解さを思わせながらも、はっきりといってしまえば、こうして見える光景こそ概念が齎す絶景であり、知らぬに過ごすは人生にもったいない

あと素数量子論との接点についても述べる箇所があり、このように一見して別の物と思われていたものが実際、深い関連を見せるというのはスティーブジョブスの言うところの「点と点をつなげる」ことに値するようであって「この関係性を見つけた時には凄く興奮しただろうぁ」と読んでいてこっちも楽しくなってくる。

あとはヒルベルトその人が如何に数学会に貢献したかも知れる内容であり(同時に、なかなかのプレイボーイであったことも)、ヒルベルトが公言した数学における諸問題はどれもが興味深く(既に解明されたものと、そうでないものとある)、なかでも「今の数学の定理を拡張する必要がある」との発言には心を惹かれ、まさに数学の脱構築!なんて思えたり。*1

他にもラマヌジャンの生涯について知れたり(短命であった理由も)、他の著名な数学者も続々と登場。数学が素数と共にどのように発展してきたのか?

この一冊だけでも、全体の概要は知ることが出来る。

素数とは気にしなければ、それとじっくりと向き合う機会とは少ないかもしれない。

しかし素数とは実際、現代の生活には必要不可欠であり素数がなければネットでの買い物さえ満足に出来なくなってしまうだろう。

素数の可能性はそれだけにとどまらない。言葉遊び的に言ってしまえば、その可能性が「どれほどにまで多大であるか?」こそ未だに判明していないと言えるのだから 。 

数学といえば「小難しい」といったイメージで取っ付き難く感じるかもしれない。

だが数学が示そうとする「概念」自体は別段、難解過ぎるものではなく、それがどういった意味や光景を見せようとしているのか?読み解していけば、誰にでも理解でき見えてくるものがあると思う。

個人的な意見として言ってしまえば「”数学は無慈悲な概念の女王”のように思われようが、実際には概念のみに尽きる存在ではなくて寧ろ超現実的。何故ならば人間以上に対称的であり、鏡像なくして自己を成立しているから」であって、噛み砕いて言えば「数学はたーのしいー!」であり頭の回転を早くするために必要というよりは、単純に楽しいので、それだけでも十分に学ぶという価値はあると思う。

 誰もが見たことのない素晴らしい絶景の秘境とは、世界のどこにあるのでもなく、それは”思考の中”にあるというのは、なんとも面白い事実だ。

 

 

*1:クンマーの「正則素数」なども定理の拡張とは言えるのかな?

12月に読んだ本からおすすめ10冊を紹介。

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第10位

『レインわが半生―精神医学への道』

レインわが半生―精神医学への道 (岩波現代文庫―学術)

レインわが半生―精神医学への道 (岩波現代文庫―学術)

 

精神病院を作って、そこに精神異常者と診断されたものをぶち込む。

患者は異常なのだから、処置の決定権はすべて医者が管理する。

それってどうなのよ?と周りの視線に囚われず、声高々に疑問定義したのが著者。

現代においてはさすがにこれほどの横暴さはないものの、精神異常者に対する扱いの酷さにおいては共感できる部分もあるはずで、読んで思うところは多い。 

本書を読み驚いたのは、ナチスによるユダヤ人虐殺は歴史的にも有名だが、その陰に隠れて、ナチスは精神病院も襲撃しておりそこで患者を大量に虐殺していたということ!

精神異常者の虐殺に関しては、ユダヤ人の虐殺に比べ、注目されることは実に少なく思え、ホロコーストに関する作品は数多あろうとも同様の虐殺を受けた精神病院の悲劇を描く作品はほぼないのでは?

いってしまえば、人は古今東西を問わず、精神に異常があると判断された者に対してそこには大きな隔たりを抱き、しかし重要なのはその隔たりを一度はじっくり観察してみるべきと言うことである。

本書は著者の体験記的内容で、精神病院での患者の様子や偏見を持つ同僚や当時の医師会の様子が描かれ、医師でさえ偏見大盛りにして患者と接する様子が見え隠れ。

あと印象深いのは、黙り込んでいた精神病患者も正月には陽気になった、という事象や、医者が患者を正常か異常か判断する基準は「相手の話が分かるかどうか」ということ。そこで著者が「ではヘーゲルのいうことが理解できなかったら患者扱いするのですか?」と問うと「そうするでしょうね」と答えたというやり取りなどはユーモアを感じつつ感慨深くなる。

他のエピソードでは、神父が説法の最後に聖書を床に叩きつけ「ユダヤ人を救わなかったこれに何の意味があるのか!」と叫んだというものや、患者の治療に関しては「普通の人と絆を結ぶ」ことが重要と分かったりするなど読み応えあり。

閉鎖病院を試しに開放してみたところ、返って窓が割られたり脱走者も居なくなった、という話は示唆に富むものである。

患者は家族のスケープゴートであると提言したり、反精神医学を掲げたりするなど、なかなか過激なことを提案しながらも読めば納得のその思想。

「人間」としての扱い方などや個性についても考えさせられる一冊で、周りの影響によって新たな自我を確立した患者の例からも、それは強く感じられた。

 

 

第9位

『小説の方法』

小説の方法 (1978年) (岩波現代選書〈1〉)

小説の方法 (1978年) (岩波現代選書〈1〉)

 

 小説を分析して解説してくれる本。

一読して思うのはその難解さながらも、しかし読み進めて後半になると寧ろ「前半部分は伏線!?」と言わんばかりに意味する内容が伝わりやすくなって「もしかしてこの内容自体も”小説の解説”という小説?」と思わせるようなメタ構造を何処か匂わせる後半の繊細な解説あっての一冊。

よって心情を吐露すれば「これは章の順番がおかしいのでは?」と思えたほど。

そんな折、小説の手法として挙げ特に印象深かったのが「グロテスク・リアリズム」。

その概念に付き添い重要なのが「異化」。

これらが何を意味するのか?言ってしまえば、要するに「生から死への異化」。

そこからはいきなり「糞」について熱く語り出したりもするので「これはもしやディープな世界への導きか?」等と思えばなるほど、ある意味では正解であった。

つまり糞とは見方を変えれば、それは生と死の象徴になるものなのだ。

糞は生きた物の死から成り立ち、そうして出来上がった死からの産物は、排泄されれば肥料となる。その肥料こそが新たな生命を生み出す支えとなって命を紡いでいきやがて…。

これと同様のこと、つまり読者にこうした糞の躍動から成る情動の変化と変革をもたらすもの、それが小説なのだと主張するのだ!

価値観の変容はすなわち、己の古くなった考えを脱ぎ捨て殺すことであり、しかし殺した己の思想からまた新たな価値観が芽を出し花開く。

まさに小説のもたらす役目とはこのような自己改革。

本書ではほかにも、パロディに存在する異化現象についても作品例を挙げて雄弁に解説し、想像の異化に対する有意さとそれに繋がる滑稽さなども示しており面白い。

有名なだまし絵『ルビンの壷』の如く、小説には一読して物事の見方を変える力がある。それはミステリー小説がトリックの正体に見せるような知覚的差異を示そうというのではなく、俯瞰する高さを変えるような、認識的差異を与えてくれる。

「グロテスク・リアリズム」とは一見して受ける印象から乖離するように、この言葉が示す意味は「新たな光を全体に注ぐ」ことに他ならない。

 あとは本文中のこんな言葉が印象的。

「文学とは、世界の物質的・内面的根源から分離し、孤立して自分の中に閉じこもる一切の動きと対立する言語のしくみである」

本書を読めばより理解が深まる「小説を読む」という行為と意味について。

これらは別に知らなくても、小説を読む行為は咎められない。

しかし知っていれば尚いっそう楽しめる。

 それはある意味で言えば、サッカーや野球のルールを知っていればそれらの観戦がより楽しめるように。

 

 

第8位

『われわれはどこへ行くのか―世界の展望と人間の責任 ミュンヘン大学連続講義集』

われわれはどこへ行くのか―世界の展望と人間の責任 ミュンヘン大学連続講義集

われわれはどこへ行くのか―世界の展望と人間の責任 ミュンヘン大学連続講義集

 

 4回の講演を文字に起こした一冊。

そして講演を行ったフォンヴァイツゼッカー氏は「ベーテ・ヴァイツゼッカー・サイクル」と呼ばれる核融合理論を1936年に発表した物理学者として有名とのこと。

講演の内容としては、政治、宗教、学科、そして「われわれは何をすべきか」を題材としており、最後に総括として何をするべきなのかを提案する。

政治についてではアダムスミスの思想なども用いて「人間とは共生する存在」として特徴付けていたのが印象的。

宗教についてでは原理主義批判が目立ち、東洋での仏教徒との対話によって得られた影響を物語る。
カントの啓蒙に対する箴言「自分が罪深き人間であるという未成熟な自己理解から開放されること」なども印象に残った。
あと物理学者らしく実証的に世界を捉え解説するあたりは印象的で、「思惟する実体、すなわち接近可能になった記述数学を延長された実態として、知覚し、保持することは妨げにならない」というデカルトのこの言葉を引用しており、科学的にも新たな知見は融合可能と示し盲信となって偏見を持つことを咎める。

もちろん、こうした姿勢さえもまた固執すれば同様に偏見となり、よって「いったい”外から観察する”とは何を意味するのでしょうか」と問いかける。

そこで示す答えとして「外から観察をするとは、行為に移る前の段階で言語化し得るものを対象として関連づけ、考察することなのです」。

あと金言的に思えたのはこの言葉。

「『わたしが信奉している宗教のみが本物だ。真理はこちら側にだけ存在するのだ。他のすべての宗教は偽りである』という主張は、実はそう主張すること自体が宗教的不安心理から生まれた産物であるといえるでしょう。不安な心からは真実なものに対して信頼を寄せる姿勢など出てこないものです」

この言葉は、まさしく真理的に感じた。

哲学についての意見も鋭く、

「哲学は個々の事例の解明を重要な問題とはしません。哲学は例えば、原子について科学的側面からの構造分析はいったいどうなっているのか、という問いかけは一切しないのです。その代わり哲学は、つねに全体における相互関連性を問うことを自分の主たる使命としています。同時に哲学はつねに真理性の問題をとり上げるという性格の学問なのであります」。

本書は鋭い示唆に溢れていて、一読して損はないなと思わせた魅力ある一冊。

 

 

第7位

『力学入門 - コマから宇宙船の姿勢制御まで』 

力学入門 - コマから宇宙船の姿勢制御まで (中公新書)

力学入門 - コマから宇宙船の姿勢制御まで (中公新書)

 

 新書でも内容はとても濃い。

表記どおりの水分量に対し、カレールウだけ倍にして作ったカレーみたいに濃っ!と感じる角運動についての本。

というのもこうした力学に疎かったのでより充実して思え、しかし新書だけあり丁寧さが伝わってくる内容。

本書では主に力学における角運動についてを平易に解説しており、よって「角運動とはどのようなものか?」という事に対するひとつの答えとして「回転」という現象に対する理解を深められる。

あと読めば納得、「ジャイロスコープ」ってどのようなもので、どんな原理で動いてんの?といったことが腑に落ちるように理解できるので「作ったやつの発想力!」と驚くこと請け合い。どんな原理かと省略して言ってしまえば「スピンに対するトルクの反応によって生じる現象を逆手に利用して、そのずれによって位置や体勢を把握するシステム」であってその応用力と汎用さはまさに異常。

あと物理の基本的な勉強にもなる内容で「スカラー」と「ベクトル」の違いについてや「平行四辺形の法則」が便利なものなんだなと読んでいて実感する。

他にも角運動においては三つの角が重要な要素であること、それでx・y・zの三つの座標、軸としての慣性モーメントについてなども知ることが可。

トルクとは実際、慣性モーメントつまり回転し難さと角加速度の乗法によって定まることなどを知ると、案外単純であって親近感が湧くほどである。

といってもこうして理解が捗ったのはひとえに著者の卓越なる解説のおかげであり、角運動を学ぼうとする上での入門書として最適では?と思えたのでここにお勧めするしだいである。

 

 

第6位

アインシュタインの宿題』

アインシュタインの宿題

アインシュタインの宿題

 

相対性理論とは、実際に理解をしているのはごく少数。

こんな話を聞いたことがあり、本書はそんな難解と言われる相対性理論(もちろん特殊と一般の二つを取り扱っている) をできるだけ噛み砕いて実に平易に解説をしてくれる。なんだか難しそうだな…なんて思いを杞憂にしてくれるほどには「なるほど!」と理解する楽しさを提供してくれる。

所々にガンダムネタやエヴァネタあるのも(e=mc2がポジトロンライフルでも使用されている!と表現したり)特徴的。

あと本書は相対論のみではなく、「光電効果」についてなんかも解説していて、光子の証明になったことや、超有名な「e=mc2」の式に対する認識もスッと深まる解説が秀逸。前提として光子ひとつのエネルギーが「e/c」と認められており、ああそうかこれを基にしているのだと理論の理屈の理解がパッと花開く。そこで簡易的にも示す「e=mc2」の証明はエレガント。

あとは相対性による、見る立場の違いから時間経過の違いについても語り、ここでは「移動している物体の中にある光反射鏡は停止しているものから見れば光は動きの分長く移動する」という思考実験の解説がオッカムの剃刀の如く無駄がなくスッキリ納得できる出来栄え。その原理がピタゴラスの定義のみで証明できてしまうのだから理解はとても容易くシンプルさが著しいので楽しくなってきたほど。

後半は宇宙論にまで話が及び、ブラックホールについてまでも。

あとミンコスキー時空も解説してるので、よく聞く(聞かないかもしれないけど)「光円錐」ってなんぞや?と言う疑問もこれにてスッキリする内容ではあるので、相対論に興味がある人はもとより、むしろ興味のない人にも手にとってぜひ読んでみてほしい一冊。するとおそらく、物理の楽しさが伝わってくるはず。

これほど分かりやすい!となる相対論の本は珍しく、相対論玄人さんには物足りないかもしれないけれどそれ以外の老若男女みんなにおすすめできる本。

相対論 吟味できると 楽しいよ

 

 

第5位

『人類が知っていることすべての短い歴史(上) 』

人類が知っていることすべての短い歴史(上) (新潮文庫)

人類が知っていることすべての短い歴史(上) (新潮文庫)

 

 以前から気になっていた一冊ではあり、上巻のみながらようやく読めた。

内容としてタイトルのような『人類史』というよりは、ある一部の科学者にまつわる伝記的な記述も結構あった印象。

それでもまあ面白い事には変わりなく、フロン社の発明家はやべえ奴だなと納得したり恐竜化石発掘にまつわるエピソードは下種さもあって「ああそういった意味での人類史も含むのね」と妙に納得させてくれる。

あと初の恐竜化石が見つかったのが1787年というので「意外と最近じゃん」と思ったり、そこで登場する目利きのアマチュア化石ハンターの少女すげえ!と感嘆したりと読んでいるほうも大忙し。

あとは今更ながらも原子や中性子、電子の性質についてや大きさを考察すれば「実際、世の中よく成り立っているよな」と感慨深くなる流れであって、「人は椅子に座っているようでも電子によって反発しあい完全には接触していない」と頭では理解してたが、それがどの程度(約1オンスミクロン)離れているのか具体的な数字を知ることによってよりイメージし易く、つまり握手は存在しない!といって過言でないのだから狐につままれたような気分になる。

本書に内容としては他に、地学が多めだったのも特徴的。

地殻については雑学的にも良い勉強になる構成。そして面白いのは、読むと「専門家で身近なことを知らないことが多い」のだということが身に染みて分かることであり、研究すべき対象などと言うのは、実際とても身近にあるのだと知れる。

よって科学的な好奇心を充足してくれるのと同時に、好奇心という樽の深さをいっそう広げてくれるような一冊でもある。

「知らないこと」を「知る」のは楽しい。同時に、「知らない」ことを「知る」のも楽しい。そんなことを実感させてくれる良書。

  

 

第4位

『空へ―エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか』

空へ―「悪夢のエヴェレスト」1996年5月10日 (ヤマケイ文庫)

空へ―「悪夢のエヴェレスト」1996年5月10日 (ヤマケイ文庫)

 

ジョン・クラカワーによるノンフィクションの一冊。

著者は『荒野へ』で既知しておりその一冊も良かったので本書も期待。

そうして読んでも期待を裏切らず、十二分に面白い内容だった。

まず意外だったのは、著者はあくまで取材として同行し、取材する側としての体験記を綴ったものかと思えばがっつり登山していて驚愕。

実は登山家、それもベテランの。そうした時点で意表を突かれ、しかし突かれた意表は軽症だったと知る。

それほどまでには読み進めていくと過酷な状況、逸脱した状態を事細かに、情景を映像となって浮かばせる巧みな文章であり思わず同じ場面に引き込まれる思いになった。

1996年でのエヴェレスト登頂の集団に参加。その顛末を細かく綴った内容。

詳細な描写は丁寧で、臨場感は抜群。読んでいてこちらも寒くなって身震いを覚えたほど。同じ集団の参加者には、日本人女性も。

何よりも読み応えがあったのは登頂における過酷さ。

一読すれば「ああ、登山はいいや」と思ってしまうようなその厳しい環境には、読むタイミングを間違えればトラウマになるのでは?と感じるほどの強烈さ。

そしてエヴェレストが如何に攻略困難かということはもとより、興味深かったのは標高六千メートル越えから生じる体の異常についての記述。とても具体的で、あと登山における酸素ボンベの重要性とその存在がもたらした問題、皮肉さも綴っており酸素ボンベひとつでもこれほどまでに影響を考える必要があったのかと目から鱗

あとは本書が「ノンフィクション」という絶対的事実。

読むと思うのはやはり、「こうも過酷なのにどうして人は登るのか?」といった単純かつ究極な疑問。しかし本書を読めばまた同時に、その理由がわかる気がするのでなんとも感慨深くなる。

 

 

第3位

『みんなの進化論』

みんなの進化論

みんなの進化論

 

 進化論ってあれでしょ、ダーウィンのやつ。

そんな片手間な知識にきれいな補助線を引いてくれるのが本書の内容。

構成としては短いエッセイ調の章がいくつも連なる内容で、どこからでも読める仕様であり敷居をできるだけ下げて読み易く、わかりやすさを心がけているなと分かる内容。

個人的には、妊婦さんにおける「つわり」の現象を、進化論的に考察しその意味を示したのは面白いなと思えたり。詳細を刻々と書けば読むときの楽しみを邪魔してしまうので、どのようなことかは読んでもらうとしてこれに関しては一言だけ。「つわり時に、泥を食べるのは合理的だった」。

本書では、進化論とは実際どのようなものか?数多の例を交えて懇切丁寧に解説し、多方面から攻めるアナロジーは理解を助け同時にユーモラス。

読めば進化論における基本的概要や、「相互作用効果」と言われる「特定の遺伝子が特定の方法で特定の環境要因と相互作用することによって、ある行動が生じる」ことなどさまざま学ぶことが可能。

あとは形状と進化(適応)との関連性は実に興味深くて、犬の尻尾が巻いている理由として、人懐っこい狐を作ったら同様に尻尾が丸くなるという形状を発現。他にもいくつか共通の身体的特徴を挙げ、つまり性格と見た目との相関関係を示すこの結果はとても面白く感じ、こうした実験結果は後々より注目されることなのでは?と思えた。

そして進化論といえば安易に適者生存を思わせようが、実際には「自然選択は時間がかかり進化史の過程で形成された適応はその時点の環境と合わない場合もある」と言う自体も当然あり、それは人体が脂肪を溜め込みやすいことがよく知られた例であると思う。こうした時代にそぐわない過去の名残を「幽霊とダンス」と表現するなどその言葉センス(過去の遺産とダンスするという意味において)も本書の特徴。

人が他人を「美しい」とルックスで惹かれる要因について述べているのも印象的で、そこで関わるのは免疫系。「MHC」とヘテロ接合性についてが関与するという。ルックスに惹かれる要因と共に、免疫系についてのちょっとした勉強にも。

終盤には自伝的なエッセイもあり、著者は進化論を専門に扱う学者ながら数学音痴を告白。そこで学者になる秘訣なども披露し、学ぶこと、研究する事とはどのようなことか?を教えてくれる。

本書は読めば、進化論がずっと身近なものであると感じ取れる。

そして同様に、観察すべき対象は未だ数多満ち溢れているのだと言うことも。

可能性を広げるに適した一冊ではあり、それは二重の意味で。 

 

 

第2位

『結婚式のメンバー』

結婚式のメンバー (新潮文庫)

結婚式のメンバー (新潮文庫)

 

すげえ作品だな。

読み終えてまず思ったのはこんな感想。

といっても内容とすれば、別段どんぱちなる派手な戦闘があるわけでもなく、荒唐無稽なトリックがあるわけでもない。

本書は片田舎の、地味な町に取り残された一人の少女の地味な物語に過ぎない。

けれどびっくりするのはその感受性の豊かさや、彩りある問いの干からび具合、そうした現代の日本人にとって馴染みの薄い、異とした環境によって生じる精神のなんとまあ華やかさとどす黒さ。コントラストは人工物でありながら、人工物であると思わせない。言ってしまえば本書に対して「面白い!」なんていうのは野暮で、まさに感嘆とすべきは、言葉で書かれたものを読んで得たことを言葉で表すことの難しさをもたらすこの非均一的な情念さこそ、本作品において感じた一番の凄みと言えよう。

けれど過度に期待して読めば拍子抜けしそうではあるので、肩の力を抜いて、そうっとリラックスして、じっくりと読んでもらいたい小説。

正直に言えば、これはもう学校の現代文などの教科書に載せたほうがいいのでは?と思える作品ではあった。

 

 

 

第1位

『哲学ファンタジー:パズル・パラドックス・ロジック』

 ものすごく面白い。

内容としては簡単に説明すれば、哲学的戯曲のオンパレード。

短編集のようにしていくつもの哲学的討論を描いた小話が連なり、意識や認識についてを取り扱い、論理学的な戯れを幾分も練りこんだ甘くて切なくはない問答の数々。

 そして著者はユーモア具合が抜群で、途中に挟まるエッセイ集の章においては爆笑もすれば心踊る楽しい倫理パズルもあって、一冊で一味も二味も存分に堪能できる豪華な仕様。

それでいて後半には「死とは?」についてをじっくりと考察。真面目に死と対等に向き合い、尚且つ「死」といういう概念がもたらすイメージについて考える。こうした思弁さの先に立とうとする「死生観」、その思いは一読の価値あり。

本書は数学家の大物が、大真面目にふざけて書いたような内容で、これはもちろん最大限の賞賛であり思考の柔軟さとユーモアの大事さを、捉え所のないものとして捉えようとするまさに不確定性原理をおもちゃにしたような一冊。

知的好奇心を満たし、考えることが好きな人にはぜひとも手にとってもらいたい一冊!

他にも、「すべての哲学に対する普遍的な反論」となる魔法のような言葉も載せてあって楽しめる。あとハルトマンという哲学者の『無意識の哲学』といった本の内容が紹介されており、その突飛かつあっと思わせる独特の思考は大変面白く興味深いので、このハルトマンの哲学の要約を読むだけでも価値のある一冊。

最後、印象的だった箇所について。

それは著者が仲の良い哲学者に対し、自慢の手品を披露しその際に「偽の命題がすべての命題を導く」としての原理を用いて手品で生じる不可思議な現象に神の証明を付随させたとき。そのときの相手の反応、

「ペテンによる証明!神学者たちが使うのと同じ手法だよ!」

には爆笑した。

 

 

11月に読んだ本からおすすめ10冊を紹介。

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第10位

『笑いの研究―ユーモア・センスを磨くために』

笑いの研究―ユーモア・センスを磨くために

笑いの研究―ユーモア・センスを磨くために

 

「笑い」とはノンバーバル・コミュニケーションであり、 ノンバーバル・コミュニケーションの定義としては「言葉のように意味を一義的に定義することができないので曖昧さが伴う」。

その定義はジョークにも伴い、ジョークは捉えて分析しようとすると、その本質が逃げてしまう。すると「笑いって実は、物凄く奥深いんじゃないか?」という事を改めて実感させてくれる内容ではあった。

笑いは争いや緊張に効果は抜群。それでいて用いるのは無料!

 これって冷静に考えれば凄い事。

りんごが医者を青くするのならば、笑いは医者は透明にする。

笑って病気が治れば、まさに医者要らず。

本書では笑いと免疫の関係性についての内容も。

そして偉人による「笑い」についての考察も至る所で引用されており、アリストテレスは「笑い」に対し「他人に苦痛や危害を与えない程度の欠陥や醜さがおかしみ」と述べ、ホッブスは「優越感が笑いを起こす」と言う。

カントは「緊張した期待が突然「無」に変わるときに笑うが起きる」。

ショーペンハウエルは「ある人が考えていることと事実の間に、突然不一致が認められたときに笑いが起きる」等、このように様々な「笑い」に対する考え方が提示されていたのも印象的。

あとは小ネタとしてあった「ありがとう」を「アリゲーター」として覚えていたアメリカ人が、いざその場面となってド忘れしてつい「クロコダイル」と言ってしまう話はけっこう好き。

また記号論を交えた考察もあって「記号論では記号が示す実物を指示物というが指示物は必ずしもひとつの記号を持つとは限らない」とのことで、「同じ事物が複数の記号を持つことを同義性といい、反対に違う事物が同じ記号を持つ場合のことを多義性という」。この場合、分かりやすい例は「時そば」で多義性に当たるとのこと(9文と9時)。

あとは英語においても笑うの表現が多種であるのには驚いた。「歯を見せてニヤニヤ笑うグリン」「声を殺すようにしてクスクス笑うギグル」「フフンと冷笑するスニアー」「嘲笑するリディキュル」「声を立てて笑うラーフ」「声を立てず顔をほころばせて笑うスマイル」等々。

本書は笑いの効用についてを学べるのみではなく、笑いとしての複合的な意味についても学べる上に笑い話も添付していて笑えるというお得な内容。悪くない一冊だった。

 

 

 第9位

『太陽ぎらい』

太陽ぎらい (ふしぎ文学館)

太陽ぎらい (ふしぎ文学館)

 

 はじめて読む作家さんの短編集。読み始めてみると詩のような美しい文体ながら読みやすく、一捻りある展開や結末。内容として全12編が収録されており、特に印象的だったのは『観光客たち』、『遠い星から来たスパイ』、『殺さずにはいられない』、『ヒーロー・暁に死す』と言った作品。

『観光客たち』はネタばれを控えて言えば星新一的。

『遠い星から来たスパイ』も同様。最後も結構好き。

『殺さずにはいられない』はミステリー作家らしい作品。

『ヒーロー・暁に死す』はコメディ作品。あるあるな設定ながらも丁寧であって万人向けするであろう面白さ。

どの短編もさらっとしていて読みやすく、表現として自然の描写が美しいのが特徴的に感じられた。あとはあとがきにて紹介していた、著者の

「ミステリーは、人間社会の醜悪を描くのだからその分、美しくなければならない」

といった言葉が印象的。

 

 

第8位

『神様のパズル』

神様のパズル (ハルキ文庫)

神様のパズル (ハルキ文庫)

 

 「宇宙を作り出す!」という大言壮語からいったいどういう展開を見せるのか!?と気になり読んでみた一冊。

平易な感想でいってしまえば起承転結がしっかりしている小説。

ただ中盤から終盤にかけては駆け足気味で、しかしそれが寧ろ良かった。まるで積み上げたぷよぷよを一気に消化していくかのような怒涛の展開。けれど多少安易な人間関係の描写といった印象もあり、やはり一番の読みどころは中盤あたりの宇宙を作り出そうと奮闘し理論をこねくり回しところにあるかと。ここは読み応えあってすごく楽しく、SF隙にはぜひ呼んでもらいたい部分。

ちょっと狙い過ぎに感じるラノベ的設定などは目立つものの(若輩の天才美人物理学少女やアニメオタクなど)、とてもよくできていたという印象の作品。オチまでの流れもスムーズで、小松左京先生が解説で絶賛していたのにも納得の出来。

「人が宇宙を作り出す?!」といった事に興味があれば、一読して損はないかと思う。 

 

 

 第7位

『カラスの教科書』

カラスの教科書 (講談社文庫)

カラスの教科書 (講談社文庫)

 

 カラスについての文庫本。

読むと当然ながらカラスに関しての知識が深まる。

というのはもちろんのこと、こうした本を読むことでの面白さは一重に「知識が増える」事ではなく、意識の変容にあるといえよう。

一読しカラスという生態について学ぶ事で、彼らがどんな生き物でどのような生活態度を取り、そしてどのような事を考えているのか。

身近になる事で彼らに対する思いや見方が多少なりとも変わってくるのは必然で、意識の多様化は思考の多様化につながる。

日本のカラスとしては代表的に二種類。

それが「ハシブトカラス」と「ハシホソカラス」。

まさに「名は体をあらわす」とったもので、名前と合致するというその見た目。ハシブトのほうは都会に住み、ハシホソのほうは田舎と生息地の違いもまた分かり易く、ごみ漁りは主にハシブトのほうと知る。他にも、ハシブトは「声がでかく、よく鳴く」のに対してハシホソは「あまり鳴かない」とのこと。

あとカラスは基本的に天測航法を用いるのであって、磁気利用の避けグッズはあまり意味がないことを知れたり、カラスはすべてが真っ黒なでないことも知れる。

ただそこで面白いのは、カラスが「黒い」理由は不明ということ。

それでも黒さの構造上の理由は判明しているようで、羽が黒いのは「羽の中にメラニン系の色素を含む構造があるから」との事で「羽毛の表面にはケラチン層があって、わずかだが光を錯乱、干渉させて構造色を発生させる」らしい。

これが紫や青に変化するメタリックな光沢を生み、「カラスの濡れ羽色」と呼ばれる所以とのこと。

またカラスは「嗅覚がほとんどない」らしく野営動物としては珍しく感じた。故に、臭いでのごみ漁り対策は無意味な可能性が高い。目で餌を探すという視覚頼りなところは人間と似ているともいえるだろう。

本書では東京都のカラス数は3万6千とあり、「では今は?」と調べてみた結果。すると確かにH13の時点では364000と表記されており、そしてH29ではなんと8600!ここまで減少しているのかと驚き、この成果はどう見たってごみ対策の賜物。しかしこれほどの減少ではカラスに少し同情する気も。

読み終えてみると、なるほどカラスは遊ぶ動物だとわかり、そして遊ぶ様は子猫のように可愛いのだということも。すると多少なりとも愛おしく思えるようになるのもこれまた必然で、カラスに対する見方としては好意的に。カラスはマヨネーズ好き、というのも可愛らしい。

 

第6位

『マッド・サイエンティスト 』

マッド・サイエンティスト (創元SF文庫)

マッド・サイエンティスト (創元SF文庫)

 

 SF短編集。

そう思って読むと、内容的にはホラー色が強かった印象。

それでもSF的な要素もなかなかあって楽しめた。

一人称の語り口調で展開する『サルドニクス』は自伝的な赴きある作品で、その巧みな構成から映画を見るような酩酊感に誘われ気づけば熱中してしまうような作品。

『自分を探して』は掌編並みに短めの作品で、『マインズ・アイ』に載せられてもおかしくないような作品。『エリート』なる短編もまた面白く、医学と金と権力とをモチーフにしたような作品。これ等は何処か既知感ある作品であってあるあるネタ的ながらも人間中心主義ならぬ医者中心主義的な作品。『スティルクロフト街の家』は地球の長い午後的な作品。『ノーク博士の謎の島』は愉快で面白かった。ユーモア抜群の作品であって、根幹としてのテーマが「アメコミ」とは。あとこれに登場した「不思議な実」などは「もしかしてワンピの悪魔の実のモチーフはこれか?」と飛躍的に思ってしまったほど。『あるインタビュー』は有名脚本家の息子の作品とのことで、内容としては掌編ほどの短さで臓器売買に疑問定義するストレートなもの。ただ表面的過ぎる感も。

『粘土』こそまさに”すこしふしぎ”な作品でありホラー的。ただしっかりと抱えていた箱の秘密や手袋の中を明かすあたりは、一流の短編としてのクオリティを感じさせた。『冷気』はラヴクラフトによる短編。内容は中程度。

『ビッグ・ゲーム・ハント』は人以外を主役に据えた作品で、ダイオウイカ物語。

『シルヴェルターの復讐』はでぶばなしで、これは多少ユニークに感じた作品。最後のオチには映画AKIRAのいち場面を想起させたりはしたけれど。

『箱』はリー・ワインシュタインというあまり知らない作家の作品で、短いながらもなるほど落ちはなかなか衝撃的。この終わり方には正直ハッとさせられた。

『アーニス博士の手記』は不老不死を「行動がのろくなる」ことで表現していたことが目新しい。

刮目して読むべきは『ティンダロスの猟犬』という作品。これは印象的な内容で、時間を一次元的ではなく多様性に眺めようとするのがとても魅力的。この作品に関しては摩訶不思議さと共に知見の広がりを感じられるような内容で、本書の中でも特に面白い。

『最後の一線』はかなり独特で、臓器移植についての唯物論的主観としての著者のメッセージをこめたような作品で、死後の後もまた生きる臓器と共に彷徨う意識を表しているように感じた。『サルサパリラのにおい』はレイ・ブラッドベリらしく情緒的な作品で、これもまたふしぎといった印象を抱かせながらも、最後には晩夏の海風の如く何処かさわやかも感じさせる作品。清涼水のような、喉越しのよい作品だった野は確か。全体的になかなか面白い短編集ではあった。

 

 

第5位

『愛のゆくえ』

愛のゆくえ (ハヤカワepi文庫)

愛のゆくえ (ハヤカワepi文庫)

 

 読了後はなんか不思議な気持ちに。

しかし悪くない気分。不可思議な情緒を爽やかに残していく作品。

設定は独特であって、主人公は図書館の引きこもり。

その図書館自体も特殊で、来る人々が各々に持参する本を受け付け管理するという、これまた変な図書館。そこに絶世の美女がふらりと来てなんと…。

こんな作品で、しかし平易なルサンチマン的情念に満ち溢れているかと思えばそんなこともなく、物語としての広がりは一辺倒であり狭いように思える。しかし一読して振り返れば、なんとまあ心情的な広がりは多面的だったのだなあと懐古させるような内容。

暗喩的な示唆を多重なりに感じさせる構造。しかし本作品の読み応えはそういった造詣深さにあるのではなく、むしり感性的な面。考えるな、感じろ。そんな風情を感じさせ、文章が詩的なのではなく、構造が詩的。

コンテクストさが評価されているのだとわかりやすい作品ながら、これこそ本人の解釈を存分に発揮してこそ楽しめるであろう作品。

 それほど長い作品でもなくさっと読める小説なので、気になれば手にとって損はないと思う。そして眠れぬ夜などに読めば一気に読んでしまうような小説。

 

 

第4位

『悪の謎に挑む』

悪の謎に挑む

悪の謎に挑む

 

悪って何ぞや? それについて語るエッセイ集。

アウビッシュや9.11、過去の戦争など現実としての事例を挙げたりする等して悪の本質に迫ろうという内容で、雑誌『タイム』に寄稿したエッセイを集めたものなので各章は短く、章自体の数は多め。

「悪」とする存在の特徴としては、「掴み難い」ことを挙げていた。

悪とは相対的なものであり「悪とは反発から生まれる」として作用反作用を元にその根源を示そうとしていた点なども。

そして悪とユーモアの関連性について述べたエッセイなどもあり、どちらも定義し難くく定義しようとすれば本性からずれてしまう、など関係性はなるほどとつい思う。

そこでの表現、「どちらも爆弾であるが、炸裂すると、ユーモアは笑わせ、悪は死である」という言葉は印象深い。

あとは著者が体験したエピソードなども綴られており、隠遁者が自殺しその後自宅を改築する際に床から大量の少女型人形が見つかった、という話はなかなか衝撃的。

だが著者はそれを「悪」と安直に見ず、寧ろそれによって欲望を抑制していたのでは?と一種の善的行為として捉える見方は面白い。

あとはカートコバーンのやばい面なども紹介していたりと読み応えあり。

後半は二項対立的な見方を強調していたのも特徴的で、「悪がなければ善がない」とするのはもとより、「悪がない世界は生きるに値するか」は誤解を招きそうな表現ながらも、なるほど善悪によって生じる閾値的感情は重要かと思えた。

「悪は、時間である」

この言葉もまたとても印象的。

そして「善は意味を欲し、悪は無意味を望む」という言葉は捉え所が難しい。しかしそれが良い。

 

 

第3位

『宇宙消失』

宇宙消失 (創元SF文庫)

宇宙消失 (創元SF文庫)

 

 今更ながらようやく読んだ。

一見して量子トンネル的話かと思いきや、量子論における観測問題

内容としては何より量子力学を根幹に添えながらも、そのわかりやすさに驚いた!!

多世界解釈におけるご都合主義的ともいえる合理的選択。

こうした「自分の都合のいい世界を選ぶ」というのはシュタゲなどにも通じるところがり、そこでの疑問「主人公の主観的意識が去った後の世界はどうなるのか?」ということもしっかりと捉えて描写、解説しており、可能性のある世界の多様性と、自己意識に関しての拡張性についてよりよく考えられるよう仕向けられていて良かった印象。

それでも少々疑問に思えたのは、はたして択ばれたなかった世界の自分としての存在それらを、はたして「死」と定義していいものかどうか?ということ。それはつまりその世界での自分はまた生き延びている可能性があるからである(それは作中の主人公が自分を自覚できるように)。あとは「モッド」という脳内神経にインストールするソフトのアイデアは面白く、ギブスンっぽさは感じさせながらも多世界論を示す上でのいいスパイス的アイデアになっていたと思う。

それでも驚嘆すべきは、やはりこうした難解なテーマをここまで平易的に読みやすく仕上げた点にあるのでは。同著者による短編で似た作品があったなという印象も。

 

 

第2位

自閉症児イアンの物語―脳と言葉と心の世界』

自閉症児イアンの物語―脳と言葉と心の世界

自閉症児イアンの物語―脳と言葉と心の世界

 

 自閉症の子を通して示す言語の役割とその重要性について。

イアンという少年と親御さんによる成長記録のような内容ながら、その中には言語学的記述など多くあり、脳の発達と言語の関連性についての考察は面白い。

しかし何より衝撃的だったのは、このイアンという子が脳に障害を持ち自閉症としての症状に至った原因であり、それはなんとワクチン接種による予防注射。その予防接種の副作用により、脳幹における一部の成長が阻害されたためとのことで、予防接種においてもこのような副作用があるのだと知って驚いた。

本書での、前頭前野の働きについての見解は興味深く、内容として言語学としてはもとより脳神経科学的考察も多くて勉強になる内容。チョムスキーによる言語学論のみならず、シャノンの情報についての論も用いており、情報のエントロピー性についても解説。そこでの図書館の例えは分かりやすく、概要だけ述べれば「文章や言葉は構造を持つことによって意図的にエントロピーを高くしていて他のものを低くしている」というのはなるほど合理的解釈だなと思えて印象的。

あと著者の考察によると「言語とは幼児の脳の構築を促す要素」であり、自閉症とは精神疾患ではなく器質的なもの、脳の欠陥や神経科学的な要因であると指摘し、チョムスキーなどによる統語論としての可能性を認めながらもそれを絶対とはしてない点などは鋭い意見としてありに思えた。そして本書においては後半、イアンがキーボードのタイプを覚えたことで内情を吐露できるようになり、そのまま順調に回復かと思われたが…。一読後にはなかなか感慨深い気持ちに見舞われた。

 

 

第1位

『ご冗談でしょう、ファインマンさん〈下〉』

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈下〉 (岩波現代文庫)

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈下〉 (岩波現代文庫)

 

 上巻に引き続き、とても面白かったという印象。

内容としては、数学に関するエッセイもあって、対数の扱いに関するコツなども。

あとは芸術にも携わっていたのだとは本書で初めて知り、そのチャレンジ精神はもとより多彩には驚かされた。寧ろそこでの芸術に用いたテーマ性が、科学的見地における自然の驚嘆すべき美しさを表現しよう!とする魂胆である時点でもう興味をそそられた。というか、別名義で画家デビューしていたとは驚いた!さらに個展まで開いていたというのだから…。まったく、その多彩さにもまた驚嘆!

他には、ラスベガスでの一幕を語った内容や、初来日の感想を綴ったエッセイなどは印象的であり同時にとても面白かった。

そしてブラジルで教鞭を振るっていたときのエピソードは寓話のようにそこから学ぶことは多く、「科学とは?」何かを指し示す良いアナロジーになっていたと思う。

そして特に印象的だった項は『本の表紙で中味を読む』や『物理学者の教養講座』。

前者は小中学校で採用される教科書をめぐって起こるひと騒動であり、どの会社の教科書を採用するのがいいか?として実際に目を通すとどの数学の教科書も、物理の教科書も酷くて憤りしっぱなしだったのは読んでいて笑えた。そして共感も。何故ならその理由も述べているからであり、教科書に対する批判理由としてたとえば、作用を言葉で示すだけで(「エネルギー」)その原理については触れないことや、星の温度を使って足し算を行わせる問題の不備性など。そこでもまた「学ぶとは?」ということの本質に触れている気がして、妄信的に教科書の内容を信用しその方針にさせ無為に従う姿勢に対しての懐疑性。まあ確かに、とんでも本を紹介する本はそれなりの数があるように思えるが、とんでも教科書を紹介する本は日本においても稀有(もしかすればないのでは?)に思え、教育の重要性を訴えるのならば同時に教科書の内容に対しても目を向けるべきでは?とは感じさせる。

後者の『物理学者の教養講座』は個人的にとても共感、納得そして感慨深く読んだエッセイで、内容として一言で示せば「哲学批判」。それも切実に。内容を伴わない無意味な哲学に対しての不満を綴る。つまり難解な表現を用いておいて、実は大したことを言っていないこと等に対しての憤りなど。ここには共感してしまうことばかり。

あとはドラムセッションで活躍した話や、サンバカーニバルに参加した話などもあって、内容は濃く盛りだくさん。終盤には講演の内容も一部載せてあり、そこでの

「自分で自分を欺かないこと」

という言葉は金言的。それと共に大きく訴えていた「科学的良心」としての姿勢について雄弁に物語っていたのがとても印象的。

他にも過去の文献を妄信するなという話は啓蒙深く、そこでの「時間を関数として結果の齟齬を少しずつ増やしていくもの」といった例え話はとても納得でき、科学的であるという事は謙虚的な疑い深さも必須であると教えてくれる。

とにかく最後までおもしろく、ほぼ一気に読んだ一冊。

物の捉え方、つまりメタ的な見方として教わることが多く、多面的にも勉強になる良書。そして終盤のエッセイ「変えられた精神状態」はある種神秘的内容であり、そうした捉え方は多少意外であった。しかし自我の正体を考え、その自我しての本質(位置)についてを考察しようとする試みは傍目からしても面白く、トリップするかのようにして掴もうとする自我に対してその結果は…。

最後までとても楽しめ、老若男女にお勧めできる一冊だ。

 

 

10月に読んだ本からおすすめ10冊を紹介。

10月に読み終えた本は36冊。

その中からおすすめの10冊を紹介!

 

 

 

 

第10位

『タイムスケープ〈上〉』

『タイムスケープ〈下〉』

タイムスケープ〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

タイムスケープ〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)

 
タイムスケープ〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

タイムスケープ〈下〉 (ハヤカワ文庫SF)

 

現在から過去へメッセージを送る。

そんなシュタインズ・ゲートを髣髴とさせるテーマが主軸となった内容で、ハードSFと評せるほどには科学的考察の骨組みがしっかりとしていた印象。

ただそうした本筋となる部分から脱線した場面、いわゆる登場人物の日常やらそうした箇所への筆が蛇足的にあって、マイナス感は否めない。

それでも根本となるSF部分は面白いので、 シュタゲ好きは特に読んで損はない一冊かとは思う。

後これを書いた時点では、上記の「この商品を含むブログ」の数が<上>では8件であり<下>では7件。

上巻でリタイアしたことを示すようであって興味深い。

 

 

 

第9位

『ゼロからトースターを作ってみた結果』

ゼロからトースターを作ってみた結果 (新潮文庫)

ゼロからトースターを作ってみた結果 (新潮文庫)

 

  自分の力でトースターを作ることはできなかった。せいぜいサンドイッチぐらいしか彼には作ることができなかったのだ

昨今、異世界転生の作品が流行とのことであるが、そこでは主人公が大活躍!何でもこなせる万能性を示し、神であるが如く崇められるといった展開。

こんな感じのものが多いように思えるのだけれど、実際にはトースターひとつ満足に作ることはできないだろう。上記の引用は、ダグラス・アダムスによる有名な『銀河ヒッチハイク・ガイド』シリーズでの一幕で、ある星に上陸した主人公の地球人が、その惑星が地球よりも文明が遅れていることを知り、ならば自分の知識をひけらかし、崇められよう!として試み、挫折した場面を描くもの。これはまさに異世界転生ものの現実性を示しているようであってとてもユニーク。

おそらくタイムマシンで百年前に戻ったところで、自分ひとりで現代の科学技術を示すようなものは作り出すことは難しいだろう。よくよく思う異世界ものへの違和感はおそらくこれに集約される。*1

けれどまあ、トースターを作り出すのが無理と知った主人公は引用のとおり、サンドイッチは作れたわけで。そこで惑星のサンドイッチ大臣に任命される展開は好き。

閑話休題

 本書の作者もこうした言葉に感銘を受け、「じゃあトースターを作ってやろうじゃないか!」と奮起して、実際に素材からトースターを作ろうと試みるドキュメンタリー的内容。読めばわかる、トースターでさえ如何に現代技術の結集によって作られているのか?

素材集めから一から行い、悪戦苦闘しながらも軽快な文体は時にユーモラスで時に風刺的。ものづくりとしての大変さを知るという面でも、トースターの偉大さを再認識するにもうってつけの一冊で、子供にはもちろんのこと、ものをつくる楽しさを忘れた大人にこそ読んでほしい一冊。

 

 

第8位

『ゴッド・ガン』

『カイエンの聖衣』で有名な著者による短編集。

 全10編収録されており、表題作『ゴッド・ガン』は相対性理論が確立された後の思弁的作品といった印象。

次は『大きな音』で、これもまた一つのアイデアで書ききった作品という印象で、解説にあった「一つのアイデアを結晶に…」としたコメントが的確に思えてくるような内容。『地底潜艦〈インタースティス〉』はヴェルヌ作品のオマージュ的作品。

『空間の海に帆をかける船』はユーモラスタッチの文章に、ドキュメンタリーのような描写でサクサク読み易く、最後のオチも好き。そしてこれもまた作者特有の独特の思弁さを持つ作品で、空間と時空に対しての持論を展開しているような作品であってその理論は面白く興味深いアイデアは一読の価値あり。

『死の船』はインナーステラー的作品であり、未来を覗くことでの決定論的な思考と、それに抗うことは果たしてできるのか?とする思考的作品。これはなかなか印象的でお気に入り。面白かった。「因果律」について考えさせられるような内容でもあり、そういった意味ではシュタゲ的でもあった。

『災厄の船』は一変してファンタジー色の強い作品で、エルフによる人間原理を描いているのが特徴的。ただ他の作品群と比べれば、印象は薄め。

『ロモー博士の島』は名前から分るとおりのオマージュ作品で、内容としては予想外。ただユーモア性はたっぷりで、普通に笑える。

『ブレイン・レース』は本書の中では、一番好きな作品だったかもしれない。これは愉快な異星人が登場するもので、その奇抜なアイデアは一言でいって「やばい」。すると途中で作品名の意味も分り、最後のオチも含めて全体的に好き。

『蟹は試してみなきゃいけない』は題名どおり蟹が主役で、蟹目線の作品の内容。昔からよくある、他生物からの目線で描いた世界の話で、味わい深さはあるものの本書の中ではあまり目立たず感じた。

『邪悪の種子』。不死身さんが登場して、イメージ的にはポルの亀。これは本書のなかで一番長い短編で、最後には「不死性」を否定する理由を明らかにするが、その理由はちょっと拍子抜け。全体的には普通といった印象。

全体を総括すれば、思った以上に思弁的かつ科学的な作品が多かった。

あとはどれもが一つの単純なアイデアから発しているのがよく伝わる内容でもあり、思弁的に突き詰めていったという感じ。全体的に悪くなかったものの、インパクトとしては作品間での差が激しかったなという印象も。

 

 

 第7位

 『ハイ・ライズ』 

 J・G・バラードによる有名な作品で映画化もされた。

読んでいて思ったのは、これ現代板『動物農場』的な側面もであるのでは?

ということ。

他にはアニメであった『がっこうぐらし』的なテイストも感じ作品で、分かる人にはこれだけでどんな作品かのニュアンスは伝わると思う。。

でもあくまで登場するのは人間で、ハードSFといった内容ではなく、寧ろ風刺的。

あとはこの作者特有の豊富な表現がまた特徴的な作品ではあり、SFと文学の綺麗な融合!細かい心理描写と巧みな情景模写、歪曲しながらも適切な比ゆなど、どれをとっても切れ味鋭い文章ばかり。

単なる娯楽作に留まらず、その一歩先。人間の内面を端的にもえぐるように書いている辺りは流石。読むと映画版もちょっと気になるかな。

 

 

第6位

『人生の真実 (創元海外SF叢書)』

人生の真実 (創元海外SF叢書)
 

 世界幻想文学大賞受賞作。

(SF叢書)とのことで内容としてSFかと思いきや、そんなことにあらず。

本書の場合、「SF」とはまさに「少し不思議」のほうであり、少し不思議な力を持った末妹を主軸にも起こす一家の家族物語。

というか、久々にこれほどすんなり熱中してしまう小説を読んだのは久しぶり。

実にのめり込んで一気に最後まで読んだ。

家族の絆と人の強さ、生き様を想像以上に見せ付けてくる作品であって、ファンタジー要素を幾分か加えた家族の成長物語。

著者の主張が強く感じるシーンなどもあったが(正直、あざとく思える登場人物なども)、それでも傑作と言えるほどには家族としての、姉妹としての友情や成長に伴う変化、情緒の不安定さや様々な愛がよりよく描かれていて文章に血肉が通っていた。

なかでも、ちょっと頭がおかしいと思われていた末の妹キャシーのある行動を示すシーンなどは鳥肌もので、もうここだけ映像化してもすごいものができるのではないか?と思ってしまったほど。

登場人物が多くて「読み難いかな」なんて最初に思ったのは全くの杞憂で、どの人物も個性がしっかり描かれていて分かりやすく、読了感は爽快。

時間を忘れさせる小説だった。

 

 

第5位

ゲーデルの世界―その生涯と論理』

ゲーデルの世界―その生涯と論理

ゲーデルの世界―その生涯と論理

 

 相手を知るには、相手の人隣を知ることが大切である。

同じように、ある人物が考え出した「思想」を知るには、その人の「人隣」を知ることが、思いがけず理解の手助けになることが多い。

そんな折、このゲーデル先生が生み出したはかの有名な「不完全性定理」。

「不確実性原理」と言葉は似てるが、ぜんぜん違う内容であって、このことを正確に理解している人はどれぐらいいるのだろうか?と疑問になってしまうような、数学に潜む矛盾をまさに数学的に証明した偉大な発見でありその功績についてを理解するためにはまずその人を知れとのセオリーどおり(まさに理論!)。

読めばなるほど、こういった環境で育ち、そうした素地によってかの考えが思いついたのだなと知れば感慨深くなる。

そもそも本書ではしっかり「不完全性定理とは?」に対する解説があって「理論」と「論理」の違いなども含めて数学に存在する不完全性を露呈にし、読めば納得。

すごいなーと思うと同時に数学に対する見方も変わるような一冊で、数学に潜む矛盾性を知って視野を広げたい人にもよい一冊。

数学苦手な人でも楽しめると思うので一読して損はなく、おすすめ。

 

 

第4位

アウトサイダー

アウトサイダー (集英社文庫)

アウトサイダー (集英社文庫)

 

 「真理を追究するにはどのようにすればよいのか?」

なんてことをアウトサイダーと目される人物の作品などから探ろうとする刺激的な内容。

人間としての意思の本質、それに伴う現実性と実用性についてを物語るようなもので、思考の柔軟性をもたらし硬くなった思想をある種、揉み解すような展開を見せる。

一読して思うのは、反“人間原理”的な、メタ的な思考を抽出することで新たな俯瞰を得ようとすることを思わせ「自分とは何か?」を最後まで問いかけていたのが印象的。

また、終盤に記してあった宗教と価額における差異についての考察はまことに興味深く、そこでの例え話には爆笑してしまったのでここはぜひとも実際に目を通して笑ってほしい。

あと「人間はブルジョワ的折束である」といった言葉も何気に印象的。

 

 

第3位

ペンローズの“量子脳”理論―心と意識の科学的基礎をもとめて』

ペンローズの“量子脳”理論―心と意識の科学的基礎をもとめて (ちくま学芸文庫)

ペンローズの“量子脳”理論―心と意識の科学的基礎をもとめて (ちくま学芸文庫)

 

 なかなか難解な内容の一冊。

けれど脳内の一部の器官が「量子論的構造を持つ」として展開する説は、突飛ながらも魅力的であって「なるほどそれで自由意志が―」なんて妄想を走らせるのも面白い。

ただ一読のみでは完全に咀嚼、消化し切れなかった印象。

それでもアイデアとしては抜群に面白く、生粋の数学家が思い描く自由意志についてとAIにおける不可侵領域として示す人間の可能性!

多少SFっぽくさえ思えるそのアイデア、読んで酔いしれるのも楽しいので手にとってみて損はない一冊かと。

 

 

第2位

『困ります、ファインマンさん』

困ります、ファインマンさん (岩波現代文庫)

困ります、ファインマンさん (岩波現代文庫)

 

 すごく面白かったという印象。

ファインマンさんといえば高名な物理学者だとは知っていたが、若くして亡くなった奥さんとのエピソードが実に素敵で、こうもドラマチックな人生を送っていたとは!と驚愕。同時にとても感動できる内容であって、もうこの話だけでも満足。

あとはNASAの事故解明の委員に選ばれての経緯から結果までを綴ったドキュメンタリー的な物も面白く、巨大組織の内部事情を赤裸々にするだけではなく、こうした組織における構造的問題を浮き彫りにしていたりと読み応えあり。

所々に入るユーモアも健在で(青写真についてのやり取りでは爆笑した)、あとは事故の検証として部品的欠陥のみならず、組織的欠陥も見つけるに至った流れはまさに見事であってある種のミステリー本としても読める内容。

他には色々なエッセイが収録されていて、どれもユニークな観点から日常を捉え、『ハーマンとは誰か?』なんかまさにコントでこれにも爆笑。

感動、爆笑と軒並み続くような一冊で、とにかく面白い。

一流なのは物理学のみならずユーモアセンスもなんだな、と納得できる内容で、それでもやはり一番に印象深いのは『ひとがどう思うとかまわない!』。

そして『ものをつきとめることの喜び』というエッセイのなかで最後にあるこの言葉がとても印象的かつ真理的。

「僕のおふくろは科学のことは何も知らなかったが、僕は大いにその影響を受けていると思う。すばらしいユーモアのセンスの持主だったおふくろから、僕は人間の精神の到達できる最高の形というものは、笑いと人間愛だということを教えられたのだ」

この言葉の意味を理解するのに、物理法則はいらないだろうから。

 

 

 

 

第1位

『犬として育てられた少年 子どもの脳とトラウマ』

犬として育てられた少年 子どもの脳とトラウマ

犬として育てられた少年 子どもの脳とトラウマ

 

幼少期の記憶とは、どれほど鮮明に持っているだろうか?

おおよその人が曖昧であると思う。

しかし、そうした幼少期の体験こそ現在のあなたを象っている。それも強固に。

こんなことを何の根拠もなく申せば、怪しい教団もしくは利用されたフロイト思想の一派かなと思われようが、実際にそれは事実であることを科学的にもそして経験的にも色彩豊かに物語るのが本書。

記憶は覚えてなくても、細胞は覚えている。

そんなことを指し示す内容として、 子供の脳における可塑性とその過程についてを述べるもの。幼少期における脳の発育が如何に重要かがよく分かるもので、精神科医として著者が担当したケースを元に解説をする構成。

主に子供のトラウマについてを取り扱い、内分泌ホルモンに関しての勉強にも。

なにより、育児放棄の危険性とそれが成長後に及ぼす多大な影響!

性的虐待が及ぼす脳への誤った経路の作成は、異性に向けて行う行為としての必要性を倒錯させてしまう。

そこでの”脳の仕組みについて”の解説も巧みで、

人間の脳の4つの領域の並び方にはヒエラルキーがあり、下から上、内側から外側。これを理解するイメージとして、一枚のドル札を半分に折って手のひらにおいて握りこぶしを作る。それからヒッチハイクをするときのように親指をたて、それを下に向ける。このときの親指は脳幹を表し、その親指の先、つまり脳幹の先が脊髄につながっている部分。親指の太い部分は間脳。こぶしが握りこんでいる畳まれたドル札が大脳辺縁系。そのお札をおおっている手と指は、大脳皮質を表している。

このように表現しとてもわかりやすく、まるでフレミングの法則みたいな表現方法。

そしてここで表した4つの領域は相互に連結しているが、それぞれの領域で異なる種類の機能を制御。脳幹は体温、心拍数、呼吸、血圧などの基礎的な調節機能を制御している。間脳と大脳辺縁系は恐怖、憎しみ、愛、喜びなど、我々の行動を左右する感情的な反応を動かしている。脳のてっぺんの部分、大脳皮質は言語、抽象的な思考、計画を立てること、意識的な決断を下すことなど、尤も複雑で人間らしい動きを統制している。この4つの領域はオーケストラのように調和して働いているとのことで、総合として機能するとのこと。

ニューロン神経伝達物質を出して情報を伝播していくのは有名だが、シナプスというニューロン同士の接合部分において放出され、こうした神経伝達物質はそれぞれ隣のニューロンにある、正しい形のレセプターにしか合致しない。

そこでのこの言葉

シナプスのつながりは驚くほど複雑だが、美しいまでにシンプルでもある

 

 はとても印象的。

 

典型的な「闘争か逃避か」反応はノルエピネフリンニューロンが集まった神経核である、青班核と言う名の部分から起こり、これらのニューロンは事実上脳の重要な部分すべてに信号を送り、ストレスフルな状況に対処するのを助けているとのこと。

神経活動のパターンが関連付けを好むと言うのは納得でき、最適化することによって消費を抑えようとする本能的メカニズムだとすれば分かりやすい。

「過去の経験のひな型」と言う表現でそれが示されており、情報は脳の下部の原始的な領域から入ってくるため、多くの場合そのひな型を意識することさえないというのは知っておいて損はないと思える。

人によっては読んでいて涙腺崩壊するほどには、紹介されるのには悲惨なケースが多い。ただ、そこで幼少期の接し方、それが以下にその後の人生へと多大な影響を及ぼすのか。一読して分かる、脳が著しく発達、形成していく過程においての周りの環境による影響力の強さ。本書は親や教育の立場にいる人たち以外にも、ぜひとも読んでおいてもらいたい一冊であるのは確かで、寧ろ読むべき本。

 

 

 

 

 

*1:「科学技術が劣る世界にいけたとしても、お前はトースターを作れるのか?」ということ。