book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

5月に読んだ本からおすすめ10冊を紹介。

5月に読み終えた本は31冊。

その中からおすすめの10冊を紹介!

 

 

 

第10位

『饗宴』

饗宴 (新潮文庫)

饗宴 (新潮文庫)

 

 プラトンによる一冊。

おっさんたちが集って「美って何なのよ?」と語り合う与太話。

 そこには論駁大好きおじさんであるソクラテスも参戦して、さあどうなる!!?

なんて内容の一冊。

そして最後のオチがなかなか秀逸で、「伏線がそこに!!?」なんて後々に(メタ的な意味でも)もわかってくる演出。

ちょっとネタばれしてしまえば「作者がどうしてプラトンなの?」と言ったような疑問に対する答えを示すような。

 

 

 

第9位

サロメウィンダミア卿夫人の扇』

サロメ・ウィンダミア卿夫人の扇 (新潮文庫)

サロメ・ウィンダミア卿夫人の扇 (新潮文庫)

 

 オスカー・ワイルドによる戯曲を3篇も収録した一冊!

そんな中でも個人的には『ウィンダミア卿夫人の扇』と『まじめが肝心』が特に面白く感じ、今に読んでも古臭さを感じさせぬエンターテイメント感!

今の時代的に言えば、三谷幸喜アンジャッシュのような作品らしさ。

そのような風体を感じるような内容であって、コメディとしても完成度高い。

そして残りの一篇『サロメ』は一読して受けた印象”メンヘラ!”

ヤンデレ要素も濃厚で、原初的。

なので昨今のツンデレヤンデレという、ヤン坊マー坊みたいな二大頭の概念は、この時代から存在していたのか!と驚愕。

あとは全体的に富むユーモラスな会話等々も印象的で、

「悪い女は人を困らせるし、善い女は周りをうんざりさせる」

なんて台詞は特徴的。

 

 

 

第8位

『暗黒神ダゴン

暗黒神ダゴン (創元推理文庫)

暗黒神ダゴン (創元推理文庫)

 

 表紙から既に歪な雰囲気を表出させる本書は、そのインパクトに負けず劣らず内容はなかなか突飛で壮大かつ驚愕的。

なかでも「こんな終わり方ってあり!?」なんてつい思ってしまうような小説こそ稀有で、こんな風に驚いたのは本当に久々。

そして本書の文庫としては、解説が実に秀逸かつ重要で、これによってようやく「ああ、そういうこと」と腑に落ち、解説なしでは成立していないようにさえ思える一冊。

 すると思いがけず勉強にもなる内容で、それは一種の物語論として。

昨今読んだ小説の中では、そのイマジナリーさはSFでもないくせにすさまじく、

文学としての別次元の可能性を感じさせてくれる珍しい作品。

ゆえに、妙にお勧め。

 

 

 

第7位

『戸塚教授の「科学入門」 E=mc2 は美しい!』

戸塚教授の「科学入門」 E=mc2 は美しい!

戸塚教授の「科学入門」 E=mc2 は美しい!

 

 自伝的側面もありながら、ポピュラーサイエンス書としても十二分に啓蒙的な内容で、価値があるよう思えた一冊。

個人的にハッとしたのは植物に関して、大木が上部にまで水分を運ぶ仕組みについてであり、それまでは「毛細血管的な作用かな」と思っていた。

だが本書曰く「水分子の放出(蒸発)による剥離によって、その部分に下の水分子が吸い付くように引き付けられるため」とのことで、実にわかり易い!

ほかにも「光の科学」についての章では、物理の発展において光に関する科学が如何に重要であったか?それに伴い光学の発展を数式も用いて具体的に解説!

読み応えたっぷりで、たとえば振動数の観測地の誤差が「どうして!?」となった話などもあり、その解決までの流れも具体的。

物理はミステリーに似ている、なんて言葉を聞いたことがあるけれど、現象の犯人探しとは犯人を突き止めるが如く好奇心を刺激する!

なので「なーるほど、実際の分子はいろいろな運動エネルギーを持って振動するのか。ということはつまり…」と著者と一緒になぞ解き楽しめる!

 また素粒子に関する解説では専門だけあってとても平易な言葉で内容の本質を示してくれており、各用語の理解は捗りやすい。

それこそ、無駄のない言葉のチョイスこそ最適で、さすが最小単位を取り扱かおうという専門家!なんて思ってしまったり。

楽しく読めて、とても勉強にもなるのでお勧めの一冊。

 

 

第6位

『小説 言の葉の庭

小説 言の葉の庭 (新海誠ライブラリー)

小説 言の葉の庭 (新海誠ライブラリー)

 

餅は餅屋というけれど、餅屋であった。

そんな、まるで「深淵をのぞく時、深淵をのぞいているのだ」なんていう面白い言葉みたいなのをつい思い出して混乱をきたすはめになりそうにならない一冊。

 

要は「新海誠」といえば、『君の名は』が特に有名な映画監督であり、文筆業とは専門にあらず。

そんな風に思い込んでいたのだけど、実際に読んでみればあら不思議。

なんとも見事な達筆具合。

自然の描写は枝葉に光が差して感じ、都会の情景、たとえる蜂の巣は写実的。

人の情緒の描き方も上質であってリアリズム的に「人間がちゃんと描けている」というよりかは「言葉に人が舞っている」と感じるほどにはダイナミクス

さらに彩り豊かな登場人物の個性こそわかりやすく「監督は人の心を着色して見ているの?」なんて聞きたくなるほどには個々人の性格や内省をしっかり区分けできている。

 

あと思うのは、これほど文章として巧妙に表現できるからこそ、あのような美しい映像として表わせるのであり、頭の中のイメージを上手く、そのままにも転化しているのでは!?という風にも感じた。

とかく本書は傑作小説であるとは思う。

 

 

 

 第5位

『ことばの獲得 (ことばと心の発達)』

ことばの獲得 (ことばと心の発達)

ことばの獲得 (ことばと心の発達)

 

 ことばの獲得について。

関連した論文7つが載せられた一冊。

どの論文もなかなか面白くて、特に印象的なのは「形式言語」についての一幕。

時間があれば後にもう少し、詳しくまとめる予定に。

 

 

 

第4位

『道徳性の発達と教育―コールバーグ理論の展開』

道徳性の発達と教育―コールバーグ理論の展開 (1985年)

道徳性の発達と教育―コールバーグ理論の展開 (1985年)

 

 道徳とは。

正直、期待していた内容とは少し違っていた。

というのも、本書では「道徳」それ自体の存在について追究するものかと思いきや、その定義性については踏み込まず。

あくまで「道徳」それ自体は絶対的に存在しているとの過程から、その派生と派生具合についてを研究、検討する内容であったため。

それでもなるほど、一読する価値は十分にあったと思わせる内容ではあり、道徳性とその発達について独自の理論を展開しつつ、その解説と結果を示すもの。

時間があれば後日、もう少し詳しくまとめようかと。

 

 

 

第3位

アメリカの鱒釣り』

アメリカの鱒釣り (新潮文庫)

アメリカの鱒釣り (新潮文庫)

 

 読む麻薬。

なんて表現こそ適切に思える小説?エッセイ的ともとれる作品で、といっても麻薬を嗜んだことはもちろんないのであくまでイメージとして。

なのでより現実的な物言いで例えれば、酒をがばがば飲んで訪れるまどろみ感覚のような、酩酊して世界が歪曲しながらも、なんだか妙な気持ちよさを味わっているような感覚に陥るような不可思議作文。

しかし本書が当時のアメリカにおいてよく売れた、なんていう事実も妙に納得。

できる内容であり、薬物を染み込ませたような文章こそまさに特筆的。

よくよく聞く「その話って深いね」みたいな話はおおよそが「いやいや、それは聞き手の底が浅いから、何でも深く感じるんだろ」なんて思えながらも、本書においてはまさに例外。味わい深さという点においては特殊で、各々の器に流し込むその話の成分は器を溶かすが如く。まあ一言で言って、へんな小説へんな本。

 

 

 

第2位

ウォール街の物理学者』 

ウォール街の物理学者 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

ウォール街の物理学者 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

「星の動きは計算できるが、(相場を動かす)人の狂気は計算不能だ」

こんな言葉を残したニュートン

 

この言葉こそ、ある意味において本書の内容を如実に表しているように思えたり。

 

そうした本書は題名が示すとおり。

経済界に物理学者が参入とした。

と、ただそれだけのことであり、それだけのことがもたらした衝撃を描くノンフィクション。

「理論が論理どおりに従うか」

そんな、物理的法則を経済学に当てはめ試行錯誤の学者たちの物語。

一時期まで埋もれていた、偉大な数学の定理などにも(それが経済学と多大な関係があったため)スポットを当てたり、先人の頭の良さ(金融として、一般的な人の好ましい状態に導く、という意味において)に触れるにはうってつけの内容。

そしてもちろん、とうぜんのようにカオスやフラクタルについても言及し経済学への応用の解説も。

そして意外な小ネタ、トリビアも多くてそれが面白く、マンデブロなどは”幾何に優れた才能を”なんていうのはフラクタルから容易に想像できようとも、勉学においては戦争の影響が色濃かったこと、また注目すべきは

「いかなる数学的な問題も幾何的な”見える形”として変換して捕らえる才能に特化していた」という事実がありながらも「掛け算が苦手」なんていう意外さも。

 

シェリエの「ランダムウォーク」なんて早々から飛び出し、オズボーンによる「対数正規分布」はともかくソープによる「デルタヘッジ」などは近年の経済においても親密に関係しているので近代の経済学と数学との関連を知る上でも便利であるし、ブラックにおける「オプション価格理論」も同様。

あとはギャンブルへの応用をしようと試みた輩もいるので、そこでの挑戦とその結果などはエンタメ性もあって楽しめる。

 普通に読んでも十分に面白いが、「理論」と「論理」の違いをよりよく理解してから読めばより楽しめる一冊。

 おすすめ。

 

 

 

第1位

『人類の知的遺産〈73〉ウィトゲンシュタイン

人類の知的遺産〈73〉ウィトゲンシュタイン (1981年)

人類の知的遺産〈73〉ウィトゲンシュタイン (1981年)

 

紙に書かれた過去は、先人の足跡に過ぎない。

先人が何を見たかは、辿らなければわからない。

上の言葉はモンテスキューが残した指摘で、なるほど尤もだなと妙に納得。

 というのも人が言わんとする言葉には少なからず行間が含まれるもので、

その行間を読むためには相手のことを知ることが必須。

 

そして逆説的にいってしまえば、相手のことを知り尚且つその上で言葉を吟味する必要があるからで、これを一言でいってしまえば「認知バイアスを打ち破るため」。

 

ものすごく簡単にたとえれば「偉い学者さんが言っているのだから、絶対なんだ!」なんていう、こうした安直な思い込みを見直すためであり、同時に、人を知って実際のその人の思想が偉大かどうかを己で判断することができることに大きな効果があると言える。

 

 

よって、哲学なんかは特にそうした面*1が顕著に重要で(すると、この文章自体がその対象にもなるようであって、不完全性定理みたいなぐらぐらする基盤の不安定さを感じさせるかもしれないけれど)、その思想を知る上で

「はて?そもそもこの人はでは、どうしてそのような事を思うに至ったのか?」

を疑問に思い探るのは、彼の語る言葉を言葉以外からも理解する鍵となる。

何故なら、彼の思想は思想それ自体として思惟、つまり思うことで存在するのであり思う時点においては外に出ていないのだから

よって、それを現象化、表象化として言語化する時分には、そこに含まれる情報とは必ずしも抽象化時とイコールではなく、状態の変化によってそぎ落とされる情報が、言語以外として含まれる。

そこを救い上げる手段としての共有こそが、相手を知ることであり、非言語的思想という抽象的な削がれた情報を選り得るひとつの方法なのだから。

 

 

 そんな状態において、うってつけな本書としてはウィトゲンシュタインの生涯についてをまず綴り、生い立ちや家族構成、生まれ育った背景など彼の人生観をその人生を通して思い描く。同時にウィトゲンシュタインその人の思想についても解説。

 

 

すると見えてくるのはまさに、彼の雄弁多大なメタ的にも読める複合的かつ逆説的な言語の捉え方。

それこそ、前期におけるノンバーバル・コミュニケーションへの軽視など、数多の立場をとって読めば構成自体がなるほど、こっけいでありそして同時に鳥瞰的な示唆があるのだと。

言ってしまえば、行間の行間を読めと訴えるような、隙間の存在を示す。

 

 

こうした言語への理解はまさに、着ぐるみをまとった言語をはがすようでもありめその正体を解き明かそうとするような異臭さ漂う行為かもしれない。

けれどそれは、次元を一つ増やして言語の内容を理解するという試みでもあって、

熟読すれば思考の進化を感じられる一冊。

おすすめはしないけど、おすすめ。

 

 

 

 

*1:答えが確実でないゆえに

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第10位

『癒しのユーモア―いのちの輝きを支えるケア』

癒しのユーモア―いのちの輝きを支えるケア

癒しのユーモア―いのちの輝きを支えるケア

 

 笑いは治癒に適している。

そうしたテーマを根幹に、ユーモアがもたらす生命力を語る内容。

面白い川柳紹介の一冊としても秀逸な内容で、思わず笑ってしまった川柳も多かった。

そうして川柳はいくつも紹介されており、個人的に好きだったのもとしては、

「妻」の字が 「毒」に見えたら 倦怠期

 や、

厚化粧 蝿はとまるが 蚊は刺さぬ

などは思わず笑った。

 

カラ出張 ホントに行けば もっと無駄

これは皮肉が効いていて好き。

 

なかには感心してしまう川柳もあって、

反抗期 子を持つ親の 成長期

これなどは読んでハッとした。

 そして川柳の意義と意味についての解説もあり、川柳とは憤りや悲しみの転化であるという主張は共感し易い。

後は大学教授のデーケン先生との対談も収録されており、そのやり取りが個人的には印象的。デーケン先生曰く、

「ユーモアとは、”にもかかわらず”笑うこと」

ということで、不遇や不運を当人を含めて笑うことの大切さを説いていた。

そしてデーケン先生が語る、外国人による日本語間違いネタは面白く、デパートに行って「魔法瓶をください」と言おうとして「未亡人をください」といったエピソードには笑う。

あと外国人には「礼拝」の発音は難しいらしく、「私は宣教師ですから、日曜日には毎日レンアイをしにいきます」と言っていた方がいるらしい。

ユーモアとは「にも関わらず笑う」精神を具体化したものであり、デーケン先生は「ユーモアは愛の現実的表現である」と捉える。

本書はユーモアの本質について触れ、思わず微笑んでしまうような一冊。

 

 

 

第9位

『ゴシックハート』

ゴシックハート

ゴシックハート

 

 ゴシックとはよく耳にしたことはあるものの「それって何?」と言えるほどにはその本質について理解していなかったので、入門書として最適だったと思える一冊。

すると「耽美主義」やら「グノーシス主義」についても追随して学べ、それら概念の解説のために各種さまざまな漫画などの作品を紹介しているのも特徴的。

するとゴシックとは一見して退行主義的にも思えようが実際には違い、寧ろ脱構築的なものなのだと。

それは「両性器具」についての説明の項でより感じ、そこでは性とは古来、人の分裂性から生じたものと語られていたのはもとより、性としての制限を開放する思考こそがゴシックの一端であるという主張はなかなか特質な意見に感じそして面白い。それは昨今のフェミニストとも一線を画し、寧ろ性の肯定にさえ思えた。故にそこでは性による差別を否定するのではなく、両義性としての可能性を広げているようにも。

 

読んでいて何よりハッとしたのは、本書では人間に潜む残虐性を浮かび上がらせるような、それも肯定的にも見せる趣がある点であり、誰しもがひそかに抱くそうした概念に対する形容を読者に、己に自己の事として容認させてくれる点にある。

 

あと印象的なのはページを割かず簡潔に示したエヴァ考察であり、あの本質は自己の主体性を持たぬ(それを非キリスト教国として対比させていたのも興味深い)日本人としての特性、その若者の姿勢を描いたのだという指摘は尤もで、そうした無主体の少年が急に力を得るとどうなるのか?を具体的に描いた作品であり、このヒットはそうした日本人の性質を顕著に表していたため、というのには深く納得。

 

日本人がなぜ少年少女の無垢な美しさに惹きつけられ憧れるのか?その理由もまた明快に解説していて、曰く日本人は主体性を持とうとせず客体性に憧れ、そこで無垢としての究極的な客体さを表すものが少年少女あるから、というのは構造的にも同意し易く、昨今のアニメに若年層の主人公が多くそれを大人が観賞するという構図は、こうした意識体系によるものであるのかなんて思う。

 

紹介されていたサドの小説なども残虐性が極まっていて印象に残り、『鼠の責め苦』なんかはもうその残虐性に驚愕。この責め苦についての解説は寧ろぶっ飛んでおり凄いなと思うほど。しかし一見して変態的に思える行動や情念はまた、実は形式美としての耽美さがあり、究極的な美を求めようとする意思の突出性が見て隠れしているのだと。

グロテスクな作品は人を引かせるが、同時に酷く惹きつける。

人の内に潜む美しさを垣間見たいのであれば、お勧めの一冊。

 

 

 

第8位

『死後の世界』

死後の世界 (文庫クセジュ)

死後の世界 (文庫クセジュ)

 

 死ぬってどうなるの?

これほど単純かつ難解な用語を用いることなく、答えに窮する問いは稀有。

 だからこそ魅力的な問いでもあって、その魅力を拾い上げてまとめたのが本書の概要といえる。

本書では 文化的、宗教的、哲学的な観点から「死」についてを考察。

本書は新書スタイルなので分厚いという事もなく、故に簡素かつ簡潔かと思いきや、読んでみると意外や意外、得る着想は多くハッとしたり、または「へえ!」と感嘆に唸ることも多々あって読み応えありそして楽しめた印象。

 そうした多面的にも楽しめたのはおそらく、それが文化的もしくは習慣としてみられる「死」に対する儀式、形容の仕方に深く納得できたからであり、「死」という普遍的かつ不変的不明瞭な存在に対する共通理解として共感できたからと思う。

いわば、「死」とは人種や文化を超えたコミュニケーションツールなのだ。

文化によって食べるものは違う。

しゃべる言葉も違う。棲む世界も、環境も、娯楽も、教育も。

だが、そんな折でも「死」は絶対的なものとして存在しており誰しもがそれを抱いているのだから。

彼らはビートルズを知らずとも死は知っている。

ドラゴンボールを読んだことがなくとも死は知っている。

「死」とは不可知なものであると同時に、それは絶対知(それを文化、環境に依存せず誰しもが知り得るという意味おいて)という、どこか妙に矛盾した体系を持つ存在であり、よって本書において眺めることのできる各種に「死」に対する読み方もまた、それに対して深く共感することができる。

「死」とは、それがツールとしての意味、役割があるというのはもとより、それ自体がより「人間」を「人間」たらしめるのだと思えば感慨深くなる。

死に対する捉え方とは多種多様にありながら。

それを知ることによって得るのは、「死」に対する向き合い方というよりはむしろ、「生」に対する向き合い方!

  それは「メメント・モリ」に代表されるような、「死は常に身近にある」だから精一杯生きよう!というものではなく、「死」それ自体の存在に対する穿った見方(習慣や儀式に見られる倒錯的さからの非合理性そのものが「死」を象徴するとして)を学ぶことはすなわち「死」を恐れるものではない、視野の転換をもたらしてくれるようなパラダイムさがある。それはファルマコンのような薬・毒性であり、死の上手な扱い方。

私たちは未知のものこそ恐れるかもないが、未知だからこそ有意義に扱える方法もあるのだと教えてくれる。

そんな有意義な本。おすすめ。

 

 

 

第7位

『純然たる幸福』

純然たる幸福

純然たる幸福

 

 『眼球譚』でお馴染みバタイユによるエッセイ的かつ様々な考察を載せた一冊。

そこでのスペイン人における自由と軋轢に対しての謳歌はもとより、特に心に残ったのは実利的でない文化についての考察。

そこでのピラミッドを例に提言する実利的でない文化の意味とは。

バタイユは、実利的ではないことにこそ意味があり、その意味こそ死に対する挑戦、との意見がとても印象的かつ腑に落ち、感慨深くなる。

すると文化的素地的な、娯楽その他にして「生きる上」では決して必然でないものの存在理由が明確となって明らかに。

それこそ、

映画やアニメなど「そんなのを見て何になる?」

ゲームに対し「ゲームなんて時間の無駄」

なんていう批判に対しての、一つの明確な反論理由足り得る意見であると思う。

 

そのための言い回しである「死への挑戦」といった表現も好きで、文化としてのこうした非実利的なものが廃れない理由がよく分かり、それは挑戦であり、必然なのだと。

確かにピラミッドとは決して実利的ではなく、寧ろ無駄ともいえるもの。

しかしそうした無駄な労働を呈してまで作ることにこそ意味がある。

無駄な労働!

これこそ現代では嫌悪されそうな表現でありながら、実質的なその重要性は人間精神における実利性!をもたらすものであり植物における水と太陽のように必須のものであるのだと。

本書ではそうした部分に感銘を受けたのでここに紹介。
そして後半には、ヘーゲルの哲学考察がメイン。

そこでの意外さは、バタイユもまたヘーゲル哲学の難解さを主張していること。

そして忌みの含有についてなどを考察。

また表題「純然たる幸福」ではその存在した概念の虚無を語り、無表象的なものであると主張する等。

あと最後には死に対する考察では、死に対する考察の無力さと、それ自体を俯瞰的にも笑う姿勢がなかなか印象的。そこでのユーモラスさとはつまり、考察における不可能性にあるのではなく死という体系に対する非実利的なことを実利的な頭脳で描こうとする矛盾さにあるのではと思う。

 

 

第6位

『戦争と教育―四つの戦後と三つの戦前』

戦争と教育―四つの戦後と三つの戦前 (岩波セミナーブックス (66))

戦争と教育―四つの戦後と三つの戦前 (岩波セミナーブックス (66))

 

 日清戦争日露戦争時などにおける日本での軍事教育について。

当時における日本のイデオロギー性について、その実際を学べることが出来る一冊。

簡潔に言って、なるほど日本は戦時中においてはなかなか軍事統制としての規制や、教育においてもそうした実施が実際にあったのだなと昨今においても存在する規制国家における「それに比べて日本は自由だな」なんていう意見を翻して考えさせられるきっかけとなる内容。

それはもちろん、現代においても尚、と言った意味においても。

対岸の火事は、見えている分だけ被害はわかりやすい。

しかし現代の現状、誰しも炎上には敏感であろうとも、煙の上がらぬ火事には気づき難いものだから。

よって自省的な意味においても読む価値はあるのではと感じた本書。

他には、示されていたエピソードがなかなか強烈で印象的。

それは、当事者同士の意識の違いについて。

アメリカにある空軍博物館には、長崎に原爆を落とした爆撃機が展示してあるそうだ。

そこでは爆撃機と共に、長崎へと原爆を落とした映像が流されているという。

注目すべきは「見学に来ていた小学生たちがその映像を見て拍手をしていた」という実際の目撃談であり、これほど立場の違いによって見方が変わる例も稀有であると思う。

 

あとは福沢諭吉の「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」とするこの言葉は「勉学の大切さ」を解くものであり、あとには

「その違いとは、学ぶと学ばざるかによるものだけである」

との意見。

これは現代にも通じる意見、なんていえばそれこそ誤りであり、何故なら現代に限った話ではないからだ。こうした意識体系の意見こそ、それが意識そのものの動きを語っているからこそ普遍なのであって、それは入れ物の中身ではなく入れ物それ自体に対する箴言なのだから。

 

 

 

第5位

『壁』

壁 (新潮文庫)

壁 (新潮文庫)

 

 安部公房の小説。

これだけでも通じる人は通じる記号性。

それほどには独特な世界観を構成している作家であって、この作品も例外にあらず。

内容として、読んだ感じた簡易な印象としては

カミュ的だな」

といったもの。まあ、その理不尽さとか。

あと含まれている名詞によってわかるは作品の意図で、登場人物の名前然りであり、こういった点ではずいぶんとわかりやすくユーザーフレンドリー的。

例えばプルドンなど登場して「ああ、シュルレアリスム的なのか」といった具合にも。

そして後半は短編集的な構成なのが印象的かつ特徴的。

その短編集、思いのほか面白い。

とらぬ狸の話では、影を食べられながらもそれを論理的に考えようとする点が当時の現代人らしくて面白く、また改めて読むとこれが「死の物語」であることが黙々と伝わってきた。

「死とは?」死ぬとはどういった状態でどのような経過を辿るのか?を描いた作品であり、「そうした作品性は稀有だな」なんてと思うと同時、試みとして独自の路線を描いており面白いなと。

 他には「もしかしてエヴァはこれからもアイデアを?」なんて思える短編も。

それでもやはりバベルの塔のお話が個人的には特に面白かった印象で、そこでの視線恐怖症や薄笑い、にやけ笑いなどまさに日本人的。

 そして終わり方は何処かジブリ的。

本書では他に人肉ソーセージ工場「ユートピア」なんてものも登場したり、それを中身さえ提示せねば問題ないとする社会風刺的(むしろ人間それ自体ともいえるかも)さもあってユーモラス。

なかなかシュールかつシュルレアリスム的などと思えながらも、緻密な設定さも覗かせ、按配具合の快い小説群たち。おすすめ。

 

 

 

第4位

『三毛猫の遺伝学』

三毛猫の遺伝学

三毛猫の遺伝学

 

 内容の面白さはもとより、丁寧な文章がとても好印象な一冊。

内容も猫好きとしてはとても楽しめ知的スリリングさを感じさせる構成。

主に「遺伝学」についてを取り上げ、中盤ぐらいでもう「三毛猫が主にメスなのはなぜ?」という本書のテーマである問題に対する答えを出していて、それは-

 

この先はぜひとも読んでもらえれば幸いとして、本書の魅力としては

「分かり易さ」

が是が日にも挙げられる特徴であり、おそらく老若男女だれが読んでもわかるその丁寧さが売りといって過言でない。

すると読めばわかる、ああ猫ちゃんの三毛にはそのような仕組みと原理とそして三つ巴感があったのだと。

 よって読めば「えっ?それって要はあれのことでしょ?」と遺伝子についての勉強ができてしまっている、なんとも便利な良書。

所々に挟まれる飼い猫エピソードも微笑ましく、遺伝子に興味のある人にはもちろんこと猫好きには特別楽しめる一冊。

おすすめ。

 

 

 

第3位

『恋するソマリア

恋するソマリア

恋するソマリア

 

 以前に読んだ『謎の独立国家ソマリランド』の続編的内容の一冊。

読むと素直に「面白いっっ!」と唸る内容。

またもぐいぐいとソマリアでの一悶着の数々に引きずり込まれて、ほぼノンストップで読んでしまった。

とても分かり易くソマリアの内情がまた窺い知れる構成で、内部と言っても北部のソマリランドと南部では大きく状況が違うのだなと改めて鑑みさせられる。

 一方では銃を所持せず暮らし、南部ではその治安の悪さから銃の所持から、銃声さえも日常茶飯事。

さらには互いがそうした現状を知らない、といった現状こそもまた、不思議で面白く思えたり。

 本書ではハプニング満載なのも特徴的。

そのうち一つを例に挙げれば、酷い便秘のくだりはユーモラスで爆笑w

他に興味深く思えたのは、現地の女性が作る家庭料理に接していたこと。

これがどれだけ革新的なことかは読んでみればよくわかり、なんとそのレシピまで!

あと内容には政治についても多少含まれており、どこの国のどのような情勢においても似たような政治の状態こそ起こるのだなと思えば社会学的にも人の鋳型を覗くようであって興味深き。

それこそこれもまた対岸の火事ならぬ、身近な問題としても。

 あとはネタバレになるので多言はせずとも面白さは確か。

下手な旅行に赴くよりかは、本書での疑似体験のほうが楽しいとさえ思えるのだがすごい本。

 

 

 

第2位

レナードの朝

 

事実であるものはすべて、ある意味では理論である。

現象の裏にある何かを探すことは無駄だ。

なぜなら現象がすなわち理論なのだから。 

ゲーテ

 

 

本書はパーキンソン病ならびに嗜眠性脳炎について、その患者についての事例を多く挙げこうした病状の実際を雄弁に、そして実に人間味あふれる形で情緒的にも描く内容。

そして何より本書の特色としては、投薬によって劇的な症状の改善、それに伴う経過についての描写であり、本書はもちろんノンフィクション。

よって眠り姫が目覚めてハッピーエンド!というような、ことはそう単純なことではなく、副作用その他さまざまな症状が。

しかし当人においても急激な回復の実感と、それにより意思の疎通も会話で行うことが再びできることになったことでの、本人における本人からの嗜眠性脳炎について語られる状態とは本当に一読の価値がある。

それこそ当事者にこそわからず、語り得なかった未知なる領域を、可能性として実際を示す大きな一歩であったことは間違いないのだから!

また本書では嗜眠性脳炎を「カオス」になぞらえて例えたりと、その病状の多様性と掴みどころの難しさを示しており、重要なのは「患者自身と世界との移り変わる関係について考えなければならない」と主張。

つまり本書では神経学的な、機械的アプローチによってのみで、こうした病状を解決しようというのではなく抽象的アプローチ、この両方を用いて考察をする。

すると強固な文章を描きがちな学者肌の場合は難しいのでは?

なんて思われようが著者は『脳のなかの幽霊』でお馴染みのS・ラマチャンドランなので、人間描写の卓越さはお墨付き。

するとスルスルと読ませてくる文章には息遣いさえこもって感じ、彼らが投薬によって劇的に症状が変化し、その変化によって見られた彼らの反応と、眠りから目覚めた彼らの思いとは。

この場合の「眠り」とはまさに複合的な意味合いを持っており、そういった面においても特に読み応えあり。

 

本書は人生において、一度は読んでおいて 損がない一冊であり世界的名著であると思うのは思い過ごしではなく、読めばわかるであろうこの文章の意味。

お勧めの一冊。というよりは読んでみてほしいとも思える一冊。

 

 

第1位

『ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト: 最新科学が明らかにする人体進化35億年の旅』

 うーん。

一言でいって「すごい本」

視野としての裾野が広がること間違いなしの一冊であり、内容としてシンプルが故にその衝撃度も高め。

どんな内容か?と問われれば簡素に言える。

「人は魚から進化した」

とたったこれだけ。

しかしこの一見して自明な意見、それが自明であるのはもちろんとして、

「ではどのように?」

と問われれば答えに窮するのではないかと思う。

本書ではそうした根幹的、構造的部分において、魚と人体の類似性、その特徴を照らし合わせて提示し教えてくれる。

すると見えてくる「ええっ!?魚の骨格って、人と同じなの!?」

という衝撃。

すると見えてくる生物としての構造の類似性から「人間の先祖って魚なんだ…」とDNA検査で実の父親が判明したかのような、赤の他人事ではなく自身にとって実に関係のあることであるのだという事実を目の当たりにする。

胚から発生源についてなども解説あり、本書を読めば「人類みな兄弟!」どころか「人類魚類みな兄弟!」とさえ口走ってしまいそうになる。

さらに読みやすい文章もまた特徴的で、理論的な話ばかりではなく、実際のフィールドワークでの体験談も満載。

文章は臨場感を伴いすぅっと情景が自然と浮かんでくるような文筆の才能も感じさせ、知的好奇心をちくちくぶっさりと刺激されながら読み進められる名著。

 価値観の広がりを実感すること間違いなしの本なので、実におすすめの一冊!

 

 

パンチラをしてきた。

タイトルでいきなりこんなことを書けば「犯罪のにおい!?」と思っても健全なので、そこは大丈夫。

 

事の次第は買い物に行ったのを端に発する。

そのときにはエコバッグ持参。

食材などを主にけっこう買い物したので思いのほかバッグは一杯に。

ものを詰め込んでいけば、つぶれないようにと最後に入れるは食パン。

しかしその食パン。ぱんぱんとなったバッグ内の最上段に鎮座したため縁からはポロリと半身を飛び出し、1/3ほどがエコバッグから顔を出す。

エコバッグは肩にかけてショルダーバッグみたいにしながらも、食パン袋がはみ出しており、そのまま徒歩で帰宅。

 

その間は食パンがエコバッグから、ちらちらと姿を見せる。

これこそまさにパンチラ!!*1

 

そんなわけで、先日は思いがけずパンチラ見せながらの帰宅となったわけだ。

 

*1:こうした物言いでは「人前で堂々とちんすこうを食べる」も「モロチン」と表せるかもしれない。

3月に読んだ本からおすすめ10冊を紹介。

3月に読み終えた本は32冊。

その中からおすすめの10冊を紹介!

 

 

 

第10位

『戦争と映画―知覚の兵站術』

戦争と映画―知覚の兵站術 (平凡社ライブラリー)

戦争と映画―知覚の兵站術 (平凡社ライブラリー)

 

 戦争と映画の関係について。

その関係性を一言で表せば、相互作用的。

本書のタイトルを見た際、ひとえに「戦争映画のプロパカンダについて?」と思うも実際にはより広義的であって驚いた。

確かに戦争映画における役割には、それがプロパカンダとして用いられていた事実もある。しかしその他の効果も実は多大であり、本書ではそれらについてを解説。

その主張のひとつとして印象的だったのが、現実と虚の反転作用。

戦争映画それ自体はもちろんフィクションである。

つまり「虚」であるのはもとより、ではここでいったん立ち返り

「そもそも本物の戦場それ自体もまた本物だろうか?」

と疑問定義する。

無論、本当の戦争は本物以外の何物でもなく、しかしここで重要なのは、当事者の感覚。つまり当事者が戦争を「戦争している」と感じているかどうか。

「そんなことは自明で」なんて思われようが、実際には異なるのだ!

戦場に出向いた多くの兵士によれば、戦場に立っているという感覚は寧ろ非現実的。

それは当然といえば当然で、現実として死骸が当たりに散乱する状況など、本当に「現実的」と捉えられるものだろうか?

だがここではあえて流れに逆らい「出来ないこともない」と主張するとしたら。

しかしそのときに芽生える「現実的」という概念は同時に、その場所が「非現実的」空間があるからこそ生じるものであり、私たちは普段生活するうえで「ああ今は現実的だ」などと感嘆することはないだろう。何故ならわざわざ「現実的」なんて思わずとも、これが現実であると把握しているのだから。

溢れる「死」を「現実的」と捉える事こそ「非現実的」であり、そこでは現実と非現実の境界が曖昧になる。

すると「現実の戦場」さえ、実はその場は一種の虚的な世界を築いているのだと本書は主張し、戦争映画と現実の戦争を兵士の目線で対比する。

結果として得られた事実は、相互間的な虚空間、つまり戦争映画にこそ、兵士にとっては現実性を見るのであり、映画によって彼らは実際に立つ戦場の現実性を得る!

この意見に少なからず驚かされたのは、それは現実と虚構の転覆が実際に行われていると言う事実はともかく、虚構がもたらす外延的な影響の深遠さについて改めて考えさせられたからである。

 

また本書では、映画の技術がよりよく戦争に転用される様も物語り、それは主に情報儀出的として。というのも本書は主な論説として

「情報が戦場において如何に重要であるか?」

事を挙げており、映画の発展に伴う映像技術の革命。

それに寄り添い鮮明に遠方の映像を得る事ができるようになって戦争に革命をもたらたし、偵察の重要性が増したのは情報の密度が向上したため。

それらを統合し換言すれば「作戦本部を遠方にしても現地の状況が分かる」ということである。こんな当たり前のことだが、それが映画の発展も深く関連していたとは初めて知り、驚くと共にフィクションが与える現実の多面的な影響に面白く思えたりも。

 

あとは映画の存在に対する考察もあって、映画の見方も多少変わってくる。

そこで述べる特筆な指摘は「視線の方向」についてであり、「視線のコヒーレントさ」とも表現できるであろう一固体に向けられる固体化した視線。

これがまた重要で、没個性と映画の関連性が此処にもあったのだと知る。

「映画ではカメラによって固定された視線により、誰もが同じものを見る」

それによって「個は全となる」とさせ、ある種の洗脳的な戦時中の戦略。

本書では情報の重要性を「速度学」として解説する内容。

 戦争と映画とは密接な関係である。

その真意を知る上でも重要な一冊であるのは間違いないように思えた。

 

 

第9位

『不気味な笑い フロイトベルクソン

不気味な笑い フロイトとベルクソン

不気味な笑い フロイトとベルクソン

 

 笑いについてを考察したエッセイ。ページは多くないけれど内容は充実。

ベルクソンによる笑いについても取り上げ、笑いとは「反転」であると指摘する。

そして印象深かったのは、笑いにおける「枠」について。

笑いとは煎じ詰めれば、状況如何によって異なるという事。

それがフレームアウト、つまり笑いを催す対象を枠の外から眺めるのではそれが「笑い」になり、フレームインとして笑いを催す対象へ枠の内に入っていけば共感してしまって笑うどころではない。

それはある種の状況が「喜劇」にも「悲劇」にも成り得る事を示し、その場における「枠」の外から見るか?内から見るか?で大きく異なってくる。

 

これを平易にも例えれば、ふとショッピングに行って「あの人チャック開いてる!」なんて他の客による嘲笑を微かにも片耳に入れ、自分もはてと目を向ければチャック全開で堂々と店内を闊歩している男性が。あれ?とよく見ればなんと自分の父!

そんな状況、笑うどころかこっちまで赤面してしまって笑うどころではないはずだ。

 

こうした状況こそつまり、フレームの外から見ようとして内側にがっと思いがけず引きずり込まれた例。笑いとはある種の他人意識があって生まれるものでもあるというのは経験則的にも分かり易い。

またベルクソンは笑いの本質を「機械化」とも示しており、人は同じような動作を繰り返す事で滑稽さを生み出すという説もあるそうで、なるほど確かに日本の芸人でも反復する動きは見られるので納得。

そして至って普通な顔であっても、同じ顔が二つと妙におかしくなる事も指摘する。

やはり笑いには「非日常」性が重要なのかなと。

しかし行動の機械化と滑稽の関係において興味深いのは、公共の場や儀礼的な催しでは誰もが決まって逆に、こうした機械的な行動を進んで行うという事実!

お葬式で思いがけず笑ってしまいそうになるのは、こうした事象も関与しているのかもしれない。

なるほど「笑い」と「不気味」とは密接な関係があり、フロイトなんかは笑いを考察する際には特に「不気味」に注目していたとのこと。

本書は「笑い」についてを考察するエッセイであり、その軽快な文章は「笑い」に対する笑いをもたらしてくれる。そんな一冊。

 

 

第8位

『生命創造 起源と未来』

生命創造 起源と未来

生命創造 起源と未来

 

まず特筆すべきは内容ではなく仕様。

本書はなんと左右どちらかでも開いて読める一冊で、それぞれ上下が逆となって内容としてもテーマ性が若干異なる構成。

一方では「生命の起源とは?」というテーマのもと「創出」や「起源」など生命の誕生についてを語る内容。

もう一方は「今後の生物学はどのような発展を遂げるか?」という未来に対して目を向ける内容に。

どちらから読み始めても問題なく、内容はシンプルで読みやすくこれまでの化学歴史における大発見についてから今後の展開についてでは「合成生物学」と称される遺伝子学による可能性を解説。

そこでは遺伝子であるDNAに対する使用言語拡張の試みなどはとても関心を惹かれるトピックスで、同時に遺伝子を記録媒体として使おうとするマッドサイエンス的試みも面白い。これは遺伝子の「配列」自体をメタ的にも二進数的扱いを施す事によって、それ自体に意味を持たせて「インクと紙代わり」にするというSF的アイデア

しかしこのアイデアこそ既に成功しているというのだから驚きで、将来的には本のデータをキンドルどころか体内に保存可能になる時代もそう遠くはないかも。

尤もこの表現は比ゆ的であり、より的確にいうのならば体内の細胞や遺伝子に記録媒体的形態を持たす、ということであり実際に実験は進んでいると予想。

しかし今のところでは、「形式それ自体を記録媒体に用い、本一冊分を情報として入れる」というのは成功しながらも、その読み込みにはとても時間がかかるとの事。

まだ実用的ではないそうだ。

あと例の難問、

「鶏が先か?卵が先か?」

その答えを示し、曰く「同時」というのだからとんち的。

これはRNAたんぱく質との関係にアナロジーか出来るから。

RNAが先でもたんぱく質が先でもなく、実際にはただRNAが居た」で、要はRNAは自分で自分を作り自分を生むという、自己複製的な性質があるという事。

こうした発見が一種のパラダイムシフトを生み出した流れなども解説し、思いのほか読み応えあった印象の一冊。

生命についての化学知見に興味があり、生命誕生の謎を解き明かそうとした史実の流れに興味があるのなら、読んでみても損はないかと思う。

 

 

第7位

オブジェクト指向でなぜつくるのか―知っておきたいプログラミング、UML、設計の基礎知識』

オブジェクト指向でなぜつくるのか―知っておきたいプログラミング、UML、設計の基礎知識―

オブジェクト指向でなぜつくるのか―知っておきたいプログラミング、UML、設計の基礎知識―

 

 「オブジェクト指向とは何ぞや?」として読んでみると、なるほど!と納得。

それほどには分かり易くてハードル低め。

簡単に言ってしまえば「オブジェクト指向」とは、

「開発を簡単に、便利にするもの」。

開発環境の改善を目的に作られたものであり、「OOP」ではインスタンスというクラスから派生するものがメモリの容量を確保する。また相互作用的にも働き分割化にして保守性を高めた事もこれまでの開発環境に比べて改善になったのだと。

読んでいて思ったのは、そうしたインスタントの役割とはクラスに入り活動する事から細胞的に思え、インスタントはミトコンドリア的に思えたり。

あと本書はオブジェクト指向についてのみではなく、その他の関連した事項なども紹介、解説。そのなかでは「UML」という所謂「統一モデリング言語」のことも取り上げているのが印象的。これは構築のフローチャートを図式化したものであり、ラングリッチながら図なのも特徴的でなので覚えやすい。そこで示すいくつものテンプレ、鋳型はプログラミング構造としての理解を捗らせるのはもちろんの事、注目すべきはやはりその応用性。するとこのUMLの一番の功績は、こうした異なるもの同士を結びつけたことであって、「プログラミングにおける共通性とは?」に対する一種の答えであるとも。

本書ではシステム開発の業務についても触れており、「業務分析」や「システム開発」などの流れについても解説。これは実に多面的かつ応用的。

他には経営者側ではなく当事者側、つまり当のプログラマー側が編み出した効率的な環境についてのメゾット「XP」についても取り上げ、どのようなものか解説。

その「XP」、「ソフトが上手く動作した際には鐘を鳴らす」等なかなかユーモアが効いていて好き。

そうして一読すると全体の印象としては”広く浅く”というものながら、俯瞰的にも概要的にも一応は「オブジェクト指向」についてをざっくり学べる一冊と思う。

クラスの分担によっての脆弱性の回避や、ローカル変数などによるデメリットを解消(個々に変数を持たせることで(それも長くを可能に!)依存性を低くし、可塑性を高める等)し、いろいろな利点があるということ等は分かり易く理解できる内容ではある。

あとプログラミングとしての特徴でありそして面白いのは、合理的作業を追求した上での形式ゆえ、「この考え方はどの職業においても応用できるのでは?」と実感できる点にある。だからこそ「プログラミングの仕事?専門外だから興味ないね」と一蹴せず、ほかの職業の方にも読んで貰いたくそして読んで損はない一冊。

あと「オブジェクト指向の難解さについて」についても本書内では言及。

要因として「用語の乱用」や何に対しても「オブジェクト指向的だよね」という表現も一端を成しているという著者の言葉を読み、そういった言語的問題に難解さを帰す点は「哲学でも同じだな」なんて思えたりもした。

 

 

第6位

『あなたのなかのサル―霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』

あなたのなかのサル―霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源

あなたのなかのサル―霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源

 

 サルの動物行動学についての内容。

本書を読み「ボノボ」という種についてはじめてよく知り、チンパンジーの凶暴さもさることながら、ボノポにおける平和さには多少驚いた。

そしてボノボの社会においては主にメスが権力を握っているという事実は興味深く、ある生物学者が「オスは病気ではないのかね?」と尋ねたという心意も多少わかるような気が。

ボノボの生態としては、コミュニケーションとしてセックスを行うと言うのだから驚きであり(その時点で「セックス」と言う言葉の定義からは幾分か外れそうではあるが)、類人猿においてこうした生態はもちろんボノボのみ。それが平和主義な性格にも関与しているのだとすればこれまた興味深いと言える*1

あとボノボのひとりが鳥を助けたという話はなかなか感動的で、ボノボは他の生き物に対しても同様に穏やかな態度を示し尚且つ紳士的。読めばなんだかもう人間が凶暴に思えてくるボノボっぷりであり、まさにボノボの尊さを語る一冊。

そうして一読すると思うのは、まさに著者の言うとおり類人猿と人の同様さであり「人間も猿と大して変わらないんだなぁ」という独特の感嘆が噴出した。

本書の特徴としては、著者は動物行動学の学者ながら動物の挙動を人にも当てはめ考察するので内容としてはまるで社会学と思わせるようなところ。ドーキンス利己的な遺伝子』的な互恵的さについてを語るところでは特にそう感じ、人間とは言葉で思考するのではなく、言語以前に反応する部分があるのだとチンパンジーボノボの慈しみある例や飼い主の少年を蛇から守った犬の話で示したのが印象的。

そしてチンパンジーにおける首領争い、ボス猿(アルファオス)になろうとするための過程や戦略、争いについては細かく描写されていて勉強になると同時に面白い。

チンパンジーでは党のような協力体制を築くというのは普通。

つまり「人間における政治戦略と同様の事をチンパンジーも行っている」という事実でありこうした習性もまた人間との類似性を感じさせる。

あと印象的なのは凶暴であるチンパンジーにおける「緊張」と「緩和」についてであり、仲直りのためのグルーミングはもとよりそのほかの動物においてもこうした儀礼的「仲直り」を示す行為があると言うのは興味深く、どの動物でも仲直りにはやはりきっかけが必要。こうした事を観察し、事実と照らし合わせていくと「知能や悟性があるのは人間だけではないのでは?」と思えてくる必然性。

これは「人間だけが特別な生き物」ではない事を示唆してくれる重要な指摘。

過去の知識人は人間と動物を明確に区分していたそうだが、昨今ではその誤りを明確に区分できそうではある。

 

 

第5位

『新しい量子生物学―電子から見た生命のしくみ』

新しい量子生物学―電子から見た生命のしくみ (ブルーバックス)

新しい量子生物学―電子から見た生命のしくみ (ブルーバックス)

 

 新書ブルーバックスの一冊。

量子論量子力学とはよく耳にした事があっても

「量子生物学」

とは耳にした経験乏しく「はて?」となって読んでみれば大いに納得。

もちろん内容としては量子物理からの発展ではあるが、それの生物学への応用とは既知していなかったので、まさに目から鱗

当然物理学との違いは生物と無生物であり、原子と分子という違いは特にわかりやすい。ただ量子力学がこうも生物学に馴染みよく適応されるとは驚きで、生物におけるミクロな原理、つまり分子の動きや働き方をこうも理論どおりに説明できるようになるとは。

すると量子生物学から見えてくる情景とは。

それは電子の働きによって構造の原理を明確化することであり、結合や分離においても、電子の相互的な流れかつ合理的な帰結としての状態が示されている事をまさに示す!

それを最も単純でモデル化しやすい水素原子の結合において解説。すると今まで謎であった根本原理が明らかとなり、それには通路と各電荷の平等性と不平等重要であったのだと。他にはDNAに着いての解説などもあり、なるほど言われた通りよくDNAの性質について考えてみると「保全」と「分離」という、両極端の性質を保つ必要があるのは自明で、そのように進化したための塩基の一部違いとしてみれば感慨深くなる。

本書では他にも多々、生命活動ならびにその他の数多くの現象も結果的には電子のやり取りによって生じている、という意見を主張しその例を示すなど具体的。

新書ながらとっても充実した内容で、量子論好きにとっては読んで損がない一冊と思う。しかし電子の相互的なやり取りは均一性を保つためであり、隙間を埋めるための必然的な流れだとしても尚「ではどうして、隙間を埋めたがる?」としての答えが「安定性を求めるため」だとしても、その「安定性」とした表現がどの程度にんげんにとっての「恣意的」な表現なのか?考えれば面白そうである。

 

 

第4位

分裂病の神話―ユング心理学から見た分裂病の世界』

分裂病の神話―ユング心理学から見た分裂病の世界

分裂病の神話―ユング心理学から見た分裂病の世界

 

童話や絵画など、様々な媒体を通すことで分かり易さを増幅させる。 

そんな印象を与える本書は、一読すると「分裂病」がどのような状態か?何が原因であるのか?などその本質を一通り(文字通り)には理解できる内容。

すると分裂病の症状としては自我と自己の乖離、ならびに他者との関係性を放棄したことによる確立性におけるトラブルであるのだと。

最初に述べたように、分裂病の本質へと触れるため各種作品を通してその根源を探ろうとするのが特徴的な本書は、グリム童話からは『マレーン姫』を用いてこの話の構成を探ると共に誰しもが分裂症的なる本質を明るみする。

この話として重要なのは主人公マレーン姫と周りの関係性。

精神分析的にも紐解くとこの物語は、自己との欺瞞と軋轢を示すもの。

複数の自己性が登場しそれらが相互的に働き場面場面におけるその状況が鏡像的な見せ方を提示する。「こんな読み方もあるのか!」と構造主義的に読んでも楽しめる内容であって、童話の本質に対して「すげえな」と感嘆とする事にも繋がる。

つまり童話の中には、理想の元型を写して出しておりそこに自我をはじめその他の鋳型もあり、そこでの統合を『マレーン姫』を見せるのだと。

他に絵画としては、ムンクの絵を通して分裂病についてを考察。

分裂症としての症状を芸術に昇華する典型例としてムンクの『アルファとオメガ』を挙げる。この作品、初めて見たのだけどなかなかの独創さ。

この作品を通してムンクは内なる精神病的鬱積を晴らすことに成功したとは興味深く、そうした言説を踏まえて絵を眺めていけば、またその作品性も変容して感じてくるのだから面白い。

まさに芸術作品とは相互的のみならず、複合的作用によってその作品性の本質のみなら見え方も変容させるものであって、そうしたところにこそまた本質があるのだなと見えてくるのは(こうした思惟をまた含めて)実に多面性あり12面体サイコロのような見え方をコロコロと変えてくる。

すると『アルファとオメガ』も個人的には生に溢れた絵に見え、衝撃的というよりは静的な荒々しさ、獰猛さを感じると思えた。

あと本書では西洋の有名な怪物メデューサを、これまた分裂症的見方として捉えるその論説もあってこれがまた面白く、「目を見ると石になる」というメデューサの特徴は「他人を排斥する存在としての象徴」というのは鋭い指摘。
本書は「分裂症とはこのようなもの」と鋳型に説明するものではなく、よりダイナミックにその症状に着いてを解説。それは誰しもが根幹には抱える一種の状態を表象させるのであり、内面に存在する自我を他人を通して現れる自分として自己紹介させる。

想像よりずっと分かり易くそして魅力的かつわくわくした内容であった。物語や芸術の本質に触れ合いたい人にはおすすめの一冊。。

 

 

第3位

『笑いを科学する―ユーモア・サイエンスへの招待』

笑いを科学する―ユーモア・サイエンスへの招待

笑いを科学する―ユーモア・サイエンスへの招待

 

「笑いは健康にいい」とはよく言うけれど「実際はどうなのよ? 」とする疑問に対してひとつの見解を見せるが本書の内容。

笑うことでの体内の変化を実験結果として明確に示しているのも特徴的な本書は、笑いにおける理論にも注目。

そこで著者は「笑いの統一理論」を提唱する。

これは有名な笑いの理論のうちでは「放出理論」的な主張であって、負荷脱離と余剰出力の差によって生じる、分離したエネルギーの作用であるのだと。

簡単に言えば、不安や緊張からのギャップから生まれる安堵感。そこでの過ぎ去った不安の行方こそが笑いであり、こうした理論を定量化した式として表していたのも印象的。

 本書はそれだけでなく、 多面的にも「笑い」を考察する内容。

あと所々に入るコラムが読み応えあり。

笑いに携わる様々な人による記述で、なかでも個人的にとても興味を惹かれたコラムは「ロボットは笑うのか?」とする内容のもの。このテーマこそ実はとても大きな可能性と重要性を秘めているのでは?と感じたほどで、それは多分「笑う」と言う行為が人間の本質へと多大に触れているからに思える。

古今東西、人は人以外の動物と人の違いを示すため、多種多様な言い分をしてきた。

しかし人間とその他の生物における一番の際こそ「笑うこと」ではないのかと。

人はどうしてこれほどまでほかの生物と違い笑う事を好み、笑うたがるのか。

社会的な生物であるから、ドーパミンの関係によって等これもまた多種多様な主張が出来るとは思うが、笑いとは本質を突き止めようとするとスルリと逃げてしまう捉えがたい現象であり心象。こうした存在こそ、存在しているうちでは稀有であると思う。

まさに不思議な存在であって、人間の愛すべきパートナーであるのは間違いない。

笑いに対する見聞を深めるのは、それだけ楽しみを増やしおかしみをより寵愛させる。

そういった意味では、並のライフハック本より随分と日常生活をまた潤わせる一冊であり笑いに興味がある人はもとより、元気がほしい人には特にお勧めの本!

 

 

第2位

『自分の小さな「箱」から脱出する方法』

自分の小さな「箱」から脱出する方法

自分の小さな「箱」から脱出する方法

  • 作者: アービンジャーインスティチュート,金森重樹,冨永星
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2006/10/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • 購入: 156人 クリック: 3,495回
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 記事としてもその内容のずるさについてを言及した一冊。

本書の内容、改めて一言で示せば「メタ認知」について。

自己の客観視の重要性を説くものでありながら、なるほど感想に

「既に窺知している事ばかり」

といったものばかりなのも一理あるなと思わせる構成。

しかし本書は寧ろそれを枠として用いている印象があり、メタ認知メタ認知を促す複合的さがあるもの。

なので一見して内容が浅く思われようとも、本書が実際、その浅い底に落とし穴があるのだと感じ得るのは「読者」が「当人」であると気付いたときにあると言える。

 

 今にして改めて、本書の内容が「啓蒙深いな」と実感するのはまさにその点にあり、鏡像的な理想的自己像認識との乖離を促す構造が、文章により成り立っている事は特筆するに価し、それこそ本書の特徴と言えるだろう。

 

これがどういうことか?を言ってしまえば理屈はシンプル。

つまり、おおよその人が自分を被害者的・弱者的立場としての「自己」を認識し難い、と言うことに他ならない。

大半の人が「自分は事故に遭わない」「自分が被害に遭わない」などという風に、何処か現実での一面に対しては当事者意識を持たない傾向がある。

けだしそれは当然でもあり、もしも常にこうした意識を持っていれば日常生活すら困難に成りかねず、映画での事故シーンなどは楽しむどころか目も当てられないだろう。

 よって、そうした自身に対する特別視は至って普通のことであり、これは何も「人は誰しもが傲慢になりがちである」という指摘でもないので、こうも換言できる。

 

「体験してみて初めてその気持ちを慮ることが出来るように、人は想像において生じさせる気持ちが、実際に体験することで生じる気持ちと同じであると思いがちである」

 

 本書における一番の慧眼的指摘こそまさにこれであり、読者を外側ではなく内側に取り組むことに本位がある。それは読者を”読者”と位置づけるのではなく、読者をまた登場人物の一人として確立させる普遍性にあるのだと。

「自己の裏切りは、自己正当性の強化につながる」

という本書が述べる極論めいた主張も、実際多くの人が気づかず居り、この主張どおりの事を成しているという絶対的な事実を鑑みれば、ひとつの科学的統計さすら感じさせるメタさ。

その気づかず居るサンプル群を見たければ、本書のレビューを見に行けばいい。

なかなか複合的で、そういった意味でも面白い本。

 

 

第1位

パラドックス!』

パラドックス!

パラドックス!

 

 またも頭をガツンとやられるぐらいには衝撃的であって、とても面白かった一冊。

そもそもこうしたパラドクス話が好きなので、その時点で楽しみは確約されていたようなもの。なかには既知しているものもいくつかあったが、知らぬ存ぜぬパラドクスにはどれも好奇心を愛撫されたほど。

特にタルスキの物質の変換の同一性のパラドクスには特に興味を惹かれ、二次元と三次元では物質の性質の違いについては大変興味深い。

そこでは質量保存の法則の崩れを感じさせる定理で、「このパラドクス既には証明されている!」というのでより気になり、何せ一見して見た目の大きさが違うものが、ばらして組み立てれば別の大きさ(それも巨大なほうに!)と同等になると言うのだから。

 

他には、有名なパラドクスの「アキレスと亀」や「時間の矢」なども解説されており、パラドクスの誤謬と解決方法についても解説されている。

これらは知ってしまえば単純で、微少数の無限解釈によるものであるのだと知る。

よって、この誤謬は単にいってしまえば「無限があろうともそれを取り扱うのは人間」ということを忘れていたためだと言える。

といっても、正直そもそも以前からアキレスと亀を例の如くパラドックス的には思えていなかったので(このパラドクスの前提としても、亀の速度がアキレスの半分ということもあり「普通に追いつくだろ」と直感的に思えたからであり、その際には「時間の概念を加味してないからでは?」と思えていたり)、よりすっきりした印象も。

そして本書の終盤には、ヴィドゲンシュタインとクリプキによるパラドックスも紹介されており、これが特に面白い!!

そこでの加法に見せたパラドクスとは、形式論理体系の話。

「加法に伺える思考もまたひとつの便宜的なものである」

この主張は加法における必然と偶然との違いについて、改めて考えさせられる指摘であり簡単に説明すればこのようになる。

 

たとえば「15+24」の問題が出されたとする。

このとき、加算として計算をすればおのずと答えが「39」と出るものと思う。

しかし仮に、この答えを「41」と書いたとして、どうしてそれが不正解か?

こう書けば単なる言い訳、とんでもない弁論に聞こえるかもしれない。

しかし考えてみてほしい。

答えとしての「39」は必然だろうか?

通常はそのように思われるはずだ。

何故なら「15+24」の答えは「39」ひとつしかなく、「15+24」の計算の上ではこれのみが正解なのだから。

では「39」は必然?だがもしこれが”偶然”性も含んでいるとするならば。

仮にテストを受ける生徒がまったくの勘で、答えを「39」と書いたとしよう。

もちろん正解である。だが当人の生徒はそれを計算して書いたのではない。

あくまで勘。

つまり適当な数字を書いたことによる正解なので、偶然に他ならない。

ここが重要!導き出された”偶然”からの答えが、”必然”的な答えとなる。

これはつまり”必然”に”偶然”が入り込む可能性を示唆する状態であり、必然の答えが実際には恣意的さを含有していることを示すことに。

つまり言ってしまえば、計算して出す「39」と勘に頼って出す「39」とに、本質的には違いがない。

すると加法における「1+1」の答えでさえ、それが「2」である絶対的な必然性は存在しない!ことになるというのだから、全く面白い考え方!!

 

 

本書ではほかに、形式矛盾についての話もあってセリグマンによる論理学の構成をはじめ、「試験日のパラドックス」に見られる矛盾なども紹介。

「Aを信じると、Aは存在しない」とするややこしさは一見してその主張自体がまたパラドックス的に思えるところが憎たらしくも楽しさを見せ付け、ゲーテ不完全性定理の話も出てくるので論理的なパラドクス好きにも納得の内容。

まあでも、よくよく考えれば不完全性定理自身の矛盾もまた実に自明なことで、不完全性定理が自身の証明を出来ないことを証明したのならば、この証明自体もまた含まれているというわけだ。しかしこの指摘は慧眼的!

 

そして最後には意外な見解。

それは理論体系において見出された形式矛盾が、実際の現場。つまり「応用工学にて実践し、試行することで解消した」という経験談はとても啓蒙に満ち、そうした逆転現象こそ力技に思えるがゲーテの言うところの「存在とはそれ自体が理論である」といった言葉を想起させてくる。

本書では「双子のパラドックス」などもあり解説にはがっつり相対性理論を用いており、その具体的さは物理知識を要し読み応え在り!

あと読んでいて思ったのは「パラドクスの言語的矛盾は、それが『言葉の定義』からもたらされるのはもとより、肝心なのは『言葉の定義を一つに限定してしまう』ことにあるのでは?」と思えたりもした。つまり量子論が事象の多様性を一度に呈したのに比べ、意識的言語についての定義においては「揺らぎ」を制定しない。この部分を少し変えれば、多くのパラドクスは甲斐性の糸口を掴むのでは?なんて思えたりも。

パラドクス好きにはもちろんのこと、思弁的な本が好きな人は呼んで絶対損はない一冊!おすすめええ!

 

 

 

*1:股が興味深いわけではないのであしからず

模範的道徳性を伝える本のずるさ

つい先日、ほんとうに今更ながらも

 

自分の小さな「箱」から脱出する方法

自分の小さな「箱」から脱出する方法

  • 作者: アービンジャーインスティチュート,金森重樹,冨永星
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2006/10/19
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このとても有名な一冊を読んだ。

内容を簡単に要約してしまえば「他人を思いやるって大事」というこれだけのこと。

そして正直に言えば「どうせ、ありきたりな内容だろ」と多少なりとも斜に構えて一読したところ、実際には思いのか良かった!

その感想としては多々言いたい事があるのだけど、それは別の機会に。

この記事で言いたいのは、ふと思い気づいた事であり、そしてこのような道徳の大事を説く本に共通している”ずるさ”について。

「ずるさって何なのさ?」

としてその答えを最初に呈してしまえば、

「本書を悪く批判する事をさせない」

事に尽きる。

 

「えっ!普通にアマゾンのレビューなどでも否定的な批判コメントはあるけど…」

なんて思われようが、本書の概要を思い出してほしい。

それは「他人を思いやるって大事」ってこと。

つまり、本書を本当に読んだのならば「他人を思いやるって大事」を学び得た事になり、故に「本書を悪く批判する」という行為はすなわち、「他人を思いやるって大事」ということを実践できてないわけであり、本書はその内容をしっかりと「読み得た」とするのならば、その時点において本書への否定的な批判は内容と反してしまうのだ。

よって本書への否定的批判は同時に、本書をちゃんと読んでいない事を自己申告するに等しく、要は「内容を理解していない」ことを明言しているだけとなる。

 

だからこそ、実際アマゾンのレビューなどで「当たり前のことでがっかり」とか「期待したような内容じゃなく、単なる普通の事」なんて否定的な批判コメントある場合は、その読者は自らも言うその当たり前である「他人を思いやるって大事」をできてないわけで、「そんな当たり前とか普通とか言ってること自体できてないじゃん!」と突っ込みたくなる心境にも。

 

よって、本書はずるい。

というのはもとより、謙虚さを持って自分を俯瞰的に考えれば深読みせずとも「他人を思いやるって大事」ということを実践できているだろうか?の指標を得られるので、おそらく多くの読者が想像しているよりもずっと効用のある一冊。

 

こういう本はずるいけど、ずるい分、またその面白さがある。

 

 

2月に読んだ本からおすすめ10冊を紹介。

2月に読み終えた本は32冊。

その中からおすすめの10冊を紹介!

 

 

 

第10位

『個性のわかる脳科学

個性のわかる脳科学 (岩波科学ライブラリー 171)

個性のわかる脳科学 (岩波科学ライブラリー 171)

 

脳の状態を見る事で、人の個性がわかるとしたら。

そんなSF染みたことの可能性を感じさせてくれるのが本書の内容。

というのもその方法は至ってシンプル。

それは「脳における各部位の”たんぱく質の量”を他と比べる」という手法だ。

脳の状態を観察するものとして「MRI」といったものは耳にしたことがあろうとも、では「VBM」を知っているだろうか?

この馴染みの薄い単語「VBM」とは、簡単に言ってしまえば脳の三次元解析に用いる物で、このVBMはMRI画像を併用することで神経細胞が集中しているたんぱく質をコンピュータで分離し、たんぱく質画像を元に局所的なたんぱく質の重さ計算を行うことが可能とのこと。

すると脳の各部位における微細なたんぱく質の量を検出でき、その量を平均と比べることで「その人の”脳の特性”が分かる」と、こういう魂胆な訳である。

それによって、その人の脳のどの部分にたんぱく質が多いか(部位によってその特性がある程度分かる)を知ることで、その人の適正を知ろう!という試みなわけだ。

 

本書では上記のような脳のたんぱく質の量分布から個性を判別できるようになれば

「就職活動で履歴書代わりに脳の構造MRI画像を提出する」世界の可能性もあるのでは?としてアイデアはまさにアニメの『サイコパス』的であって面白いなと思えたり。

そしてこの技術は「メタ認知」に対しての貢献も。

これが脳の個性についてを考える上でも重要で、

そもそも「メタ認知」とは何かと言えば、

メタ認知とは、自分のことをどのくいらい正確に評価できるかということ。

これがなぜ重要なのかはつまり「脳の個性を知る」ということはそのまま「メタ認知」の理解をより促すからで、換言すれば客観的自己認識の正確性を高めることの可能性を示しているからである。

しかしここで面白いのは、仮に上記に示したような方法で各々の脳の個性を把握でき、それによって特性を判断できるようになった社会があるとして、自分のことを正確に判断する基準が脳に依存する中において、確定した自己評価が自分の脳を変化させるかどうか?ということだ。

この疑問に似ている話としては、「自然に踊っていてそれを褒められた子供が、その踊りを具体的に褒められ途端、意識してしまって従来の踊りを踊れなくなった」という話であって、つまり物理的なものである「脳」と、「精神」という未だ確定され得ぬものの相互作用について。

同じような例で言えば「あいつ、脳の特性で『歌手に向いてる』って言われて歌手になって大成したけど、あの脳の特性検査、実は誤りだったらしいよ…」といったことも起こるでは?という疑問だ

あと本書では「脳にとって睡眠は何故必要か?」という疑問に対する答えも示していて、これが他ではあまり見受けられない答えだったので意外であり印象的。

曰く、「よく寝ないと、いい思い出は残らない」ということ。

これは「扁桃体に依存するネガティブな感情に関する記憶は、海馬に依存した記憶とは別の仕組みで定着している可能性」を示唆しているそうで、この発見は何気に「すげぇな」と感嘆するものであり何せ「よく寝なきゃ悪い思い出ばかりが頭に残る」という至極シンプルかつ説得力を帯びた、睡眠の必要性を解くことができるからであって「長く寝なくても大丈夫!」なんていうショートスリーパーは夢の中ではなく現実において悪夢に苛まれている可能性もあるのだと想像させる。

そして何時のどの時代にもダイエットに関心のある人というのは一定数居る者で、本書においてもダイエットに関する知見が。

此れは「実は睡眠中に成長ホルモンがされるのは人間に特有の現象」ということ。

「はて、これとダイエットとどのような関係が?」

なんて思われようが、これって実は

人は寝ているときに分泌される成長ホルモンによって体内の脂肪が分解されている。

とのことで、要は「よく眠ると脂肪分解されてダイエットになるよ!」と主張する。

さらに睡眠不足であると食欲を増す「グレリン」というホルモンが増え、満腹であると脳に知らせるレプチンが減ってしまうこと。寝不足で過食気味にも(本当に寝不足だと過食気味であるという状態にさえ気づかないと思うけれど)何かと無意識にお菓子などポリポリつまんでしまうのはこれが原因との可能性も。

孤独感が強いとチョコレートクッキーのような脂質の多いものをたくさん食べてしまうようになる。

この衝撃の事実には読んでいてハッとし、これは生物学的な知見で、自己律性機能の低下とも関係が深いそうだ。他にも孤独と脳に関しては「側頭頭頂結合部」という部分の活動が、他人の視点からモノをみるという能力に関係していると考えられているそうだ。「孤独感は感染する」等といったことも解説していたのも印象的*1

本書は表題どおり、脳の個性を知る可能性を学べるのみではなく、「孤独が脳に悪い!」事の実際性を知れたことも良い勉強に。

孤独が与える悪影響を思えば、人間は群れる生物なのだと再実感。

それでも没個性を嫌い、一固体の特別性を望む。

人間とはなんとまあアンビバレンスな生態であるなあと思いながらも、そうした人間としての理解を少しでも推し進めるにはいいね!と思える一冊であった。

 

 

第9位

『カードセキュリティのすべて―進化する“手口”と最新防御策』

カードセキュリティのすべて―進化する“手口”と最新防御策

カードセキュリティのすべて―進化する“手口”と最新防御策

 

カードセキュリティに関しては疎いので、それだけも得る情報は多く楽しめた一冊。

セキュリティに関しては、 そもそもルパン三世とかで「本人の指紋を象ったものを作り、それを使用してセキュリティをパス」みたいな場面をあるあるネタみたいによく見かけるけれど実際にはそうした突破方法が試されていなかった!なんて事は初めて知り、じゃあとそれを実際に試したのが日本人の教授!というのだから驚いた。

 「遺留指紋」を、ゼラチンで作った「グミ指(模造指)」を用いて突破してみせたのが横浜国立大学の松本勉教授で、この教授はさらに虹彩認証装置の欺き方も発見し、それは「瞳の画像を名刺大に印刷」するだけで「なりすまし」できたとのこと。大学教授ながらまるで現代のルパンである。

 あと他の生態認証では「手のひら静脈認証」や「指静脈認証」などは聞き覚えがなくて勉強になり、これは「体内の静脈パターンも生涯を通じて変化はわずか」を利用しているとの事。さらに「静脈は体内にあるうえ、平面的ではなく立体的なので、人の偽造静脈パターンを作ることは困難です」そうで、これは流石に偽造は難しいのでは?とつい思う*2

本書では「ICカード」についての解説もあって、非接触式のICカードの仕組みについてや(カードのプラスチック部分にはコイルが入っており、改札機などのカードリーダーが一定の周波数を出すとカードのコイルで電量がおき、電磁誘導と呼ばれる作用から無線で電力をもらう事など)ICカードによくある「チャージする」とは、どのようにして行っているのか?なども解説。

 

あと本書の特に面白い部分こそ、「アタック方法」について述べている点。

それが何か?と平易に言ってしまえばハッキングの方法!

守りを強固にするためには攻めの方法を知っておくのは当然で、よって本書ではそうしたアタック側の方法も紹介するというわけである。

まず面白いのは暗号解読には物理的方法も大きく関与するという事であり、消費電力が暗号解読に関わっているとは!

それは処理時間・消費電力・磁気放射による脇道攻撃の事で、これら3つの方法に共通するのは『ICチップの内部で処理しているデータに依存して変化する』

この特性を利用して「暗号を解いてやろう!」というもので、つまり暗号解読の際における情報処理の部分的差異によるもの。

これは「脳の動きを用いて嘘発見器を機能させる」ような話で、この例えで言えば、

「人の脳は嘘をつくと”A”という部位が活性化する。よって、質問を投げかけこの部分を観察すれば嘘をついているかどうか判別できる!」

というのと同じ話。

暗号解読においても同様で、ICチップ内での情報処理では、暗号の一部が「解」となる場合において活性化(消費電力の差異、もしくは電荷の動きの違いなど)する場面があり、平均と比べる事でその差異を検出する事で暗号の正解を導き出していくという方法である。よってこれはシステム的ではあるが、より物質的でありハードとしての観察をもとにしたもの。

そうした流れの原理も詳しく解説*3しており、「ああこういった穴もあるのか」と勉強になる。

これらの方法は要するに、ICチップの内にはランダムにしきれない部分がどうしてもある事に由来し、そこの部分から情報を取り出してしまえば「暗号解読!」となる可能性があるんだよと言っている。

なので煎じ詰めれば、

アタッカーは、データをたくさん集めて平均化することによってノイズを消すことができます。

暗号に対するアタックとはこの二行に集約されるのでは?と思う。

その対策について、もちろん述べられており(本のタイトル参照!)攻めと守りの両側からセキュリティについて学べ、知ることが可能。

個人的に面白くて好きなのは「フィジカルアタック」というもので、これこそまさに物理的。言ってしまえばファミコンの差し込み方による誤動作もこれに当たるというので衝撃的(二重の意味で)。

あと「電源遮断アタック」なるアプローチは、

一部マニアの間ではよく知られた方法です。

という著者の一文に何処か琴線を揺さ振られ、妙に気になったりも。

他には「リバースエンジニアリング(逆解析)」と呼ばれる半導体技術者には馴染みある技術も紹介されているので「半導体好き!」って人にもお勧めできる内容。

マニュアルプローバー(手動探針装置)なんて言葉も出てくるよ。

本書はセキュリティの概要的内容ながら、内容はセキュリティに関して入門的ながらも幅広く、学べることは多々あったので好印象。

 あと本書で初めて「タンパー」なる言葉を知ったりも。

 

 

第8位

『犯罪』

犯罪 (創元推理文庫)

犯罪 (創元推理文庫)

 

 海外小説。

「2012年本屋大賞翻訳小説部門第1位!」との謳い文句を傍目に読んでみるとなる程、確かに面白い。連作短編集といった構成で全11編収録されており、著者が元刑事事件の弁護士という事もあって「もしや経験談を元に?」なんて思わせる内容ばかり。

しかし主人公が弁護士といっても弁護の話ではなく寧ろ事件に携わった人間を中心に描くものであって「裁判や事件の顛末は!?」というようはミステリー的ではなく「彼はどうしてそのような事をしたのか?」に迫るノンフィクション的な趣き。

11編はどれも味わいがいがあり、そんな中でも特に印象的だったのは

『タナタ氏の茶碗』『チェロ』『正当防衛』『ハリネズミ』『棘』『エチオピアの男』

など。『タナタ氏の茶碗』は暴力性フィクションに見えるノンフィクションさの秀逸さ。一言でいって、日常の非日常。やくざもの。

『チェロ』は最後の終わり方を含めてもなかなか。サルトルの『部屋』を、関係を少し変えてハードにしたような内容。

ハリネズミ』は個人的に好きな話で、「能ある鷹は爪を隠す」の意味の解説にこの話を用いていいのでは?と思えたほど。

エチオピアの男』は最後に収録されている作品で、これだけ創作っぽさが溢れる内容で、だがそれでも良い!人生謳歌の話。

そうして読み終えた本書は、珍しくも帯などに謳われた文句に文句もなく、「面白いじゃん!」と薦められる佳作な小説であったのは間違いない。

 

 

第7位

『希望 』

希望 (ハヤカワ文庫JA)

希望 (ハヤカワ文庫JA)

 

パラサイト・イヴ』で有名な著者によるSF短編集。

 全7作が収録されており、その中で印象的なものとしては最後の『希望』。

というのも、この作品では「重力」としての概念を拡張して表現しており、寧ろ重力とは精神面にも作用するのでは?としたことを根幹に感じ、エネルギー保存の法則の拡張のようであって面白い。

他には『光の栞』も印象的で、「生きている本を作る」というアイデアは突飛で、突飛故に価値のある作品であってリアリズムな文章もテンポ良く快い秀作。

『魔法』はマジックと義手を交えた手品SF作品という目新しいジャンルの短編。多面的にトリックが効いていて、よくできた作品。

『静かな恋の物語』は最後の解説を読んで、テーマ確定の企画物寄稿作と知って納得。妙な堅苦しさを感じたのはそのためなのかな?と。あとこれは最後の『希望』にも関連する内容であって、『希望』内でも表していた数学などにおける

「”エレガント”というが、果たしてそれは本当に美しいのか?」

との疑問定義は思うところがあり、こうした思惟的な内容は個人的にはとても楽しんで読めた。

あとは『For a breath I tarry』という短編は多次元的、多世界的にも読める作品で、価値観の違いとその素晴らしさを示すような内容。

本書はハードSF好きでも十分に楽しめる鋭い観点からの物語やら設計が見受けられ、SFに馴染みの薄い人でもそのエンタメ性から楽しめるよう工夫された作品も。

よって著者の作品はバランス感覚に優れているように感じ、それは一辺倒にならざる事を咎めるようなユーモア性がもたらす一種の合理性であって、強固な合理性の隙間に潜む植物の花を嗅がせてくれるような、そんなバランス具合。

「ちょっとハード目な思弁的作品読みたいな」というときにはお勧めの小説。

 

 

第6位

『みる・かんがえる・はなす。鑑賞教育へのヒント。』

みる・かんがえる・はなす。鑑賞教育へのヒント。

みる・かんがえる・はなす。鑑賞教育へのヒント。

 

 内容としては「アートの観賞の仕方とは?」のレクチャーを。

また「子供にとってアートとは?」を論説する内容で、要は「一辺倒な見方は違うよね」とするような主張。

読んでいて価値観の転覆を味わい、ハッとしたのは『テレビの映像にじゃれ付く猫について』。人間としてみればこうした猫の行為は可愛らしく同時に多少間抜けにも見えるものだけど、よく考えてみてほしい。それって本当に間抜けな事だろうか?

よくよく考えると人間も同様の事を行っている事に思い当たりはずだ。本書が例として挙げていたのがホラー映画の鑑賞であり、つまりホラー映画ではそれが虚構と知りつつ人はそれを見て恐怖する。そこの構成はまさに猫と一緒で、どちらも虚構に対して「それが本物」と思って接している点ではまったく同様。なるほど猫の場合は映像を「本物」と思い、人はそれが「嘘」と分かっている部分は違う!と言うかもしれない。

だがこの意見の正当性を通すには猫と会話する必要があり、何故なら猫が映像を「嘘」と知って戯れている可能性もあるからだ。

また人の場合にも、それが嘘と分かりつつも恐怖するというのであれば、それは嘘を恐怖するという間抜けに他ならず恐怖するのはそれに一種の本物さを感じているからに他ならない。こうした見方の逆転、形式的な思考の鋳型に設置された枠からの脱却、物事を視る個の立ち位置をズルッと滑らす意見には不安と興奮を覚えるのはきっとそれが不気味を面白がる事に対する面白味があるから。

他に印象的だった点としては、シェイクスピアも当時は商業主義として作品を書いていたと言うことであり、「シェイクスピアは芸術の主な目的は人を楽しませることだと主張していた」とする一文が印象に残った。

あと素直に「面白い!」と唸り笑ってさえしまったのはヴィム・デルボアという芸術家の『モザイク』という作品。どういう作品か?

一言で示せば「糞を用いたオブジェクト」。

床に相同としての個々のデザインが並び幾何学的レイアウトを施した作品に見えるこれは、近づき見るとその相同になるものは<糞>で、糞を相同にしてさらにパターン的に並べることでそれを決して<糞>とは気づかせないような、見事なパースペクティブの変換を感じさせるものであり思わず感心。

他に印象的だった一文。

作品の持つ社会性は、作品に固有な価値に存ずるではなく、たえず変化する大衆との接触によって作品が獲得する意味から生ずる。

 

それから教育論についても触れ、

必要があってはじめて、私たちは学ぶ。

というこのシンプルな言葉かつ真理的で、全く正論で金言的。

そこから子供の芸術観についても述べ、その独自の解釈は面白く、子供は「人はパンのみで生きているにあらず」というキリストの有名な言葉を聞くと「そうだ!チーズ、コーラ、牛乳だって必要だ!」と言ったりするのだから。

続けて「子供が芸術を退屈に思う原因について」解説し、その理由として「子供は具体的に考えるため」で、大人になるにつれ「抽象的」思考を身に付ける。そしてこの「抽象的」な思考こそ芸術を見る際には重要であり、子供が芸術を退屈に感じるのは、こうした素地ができていないため。芸術の「抽象的」さを捉えられないからだという意見はとても分かり易い。

私たちは具体的な経験をしてみてはじめて、自分自身と周囲の世界について何事かを知ることが出来る。

とは、まさにそのとおりだなと納得。故に、

美術教育を成功させる秘訣は、美術をすっかり忘れることかもしれないからである。

という意見は鋭く思えた。

一枚の絵は千の言葉に匹敵するとよく言われる。しかし、まさにこの神秘的な表現の可能性を持つからこそ、絵はすべて曖昧だということはほとんど指摘されることがない。

他にジョン・シャーコフスキーによる

新聞に載っている写真の大半はキャプションがなければ意味がない。

という言葉も的を得て感じ、

私たちは写真や絵を見て、それについて話すとき、意識的であるかどうかは別にしても、映像を経験で知っている事象と照らし合わせて見ざるをえない。

というのは経験則的にも真実に思えるのは当然で、知らないことは語れないのだから。
本書は芸術に対する”見方について”の勉強になり、また芸術教育に関しての啓蒙書としても優れた一冊!

 

 

第5位

『人月の神話―狼人間を撃つ銀の弾はない』

人月の神話―狼人間を撃つ銀の弾はない (Professional computing series (別巻3))

人月の神話―狼人間を撃つ銀の弾はない (Professional computing series (別巻3))

 

 「プログラミング」そのものについてというよりは、「プログラミングについて」の内容として出版は古いものの名著と名高い一冊で、読むと「ああぁ!」と納得。

内容として、「プログラミング業務とはどういったことか?」に俯瞰さも用いて言及しており、集中して書かれている事としては「プログラミング業務における一連の流れ」について。

そこでの業務的な注意点や改善点。心構えなどは今に読んでも得るものが多く感じるのはおそらく、いくらPCが進化しプログラミングの環境が変化しようとも人間の方は変化していない、その事に要因があるように思われる。

内容には、著者が実体験を交えた上での業務上の改善点についてや、「こうするのが効率がよい」との具体的な問題点の指摘には説得力を感じられる。

しかしこうした本で実際、本当に重要なのはそれがプログラミング業務のみ活かせる知識ではなく、あらゆる製作の現場において共有し活かす事のできる叡知なる点であり、物事の捉え方とそれに付随する共通点について。

よって当時においても著者の言葉に

主要な問題とは技術ではなく社会学的なものが大きい。

といったものがあり、この主語を色々と変えてしまっても成り立つところが重要かと。

あと本書のうち、個人的にとても印象的だったのは「プログラムと物理、数学との違いについて」。曰く

物理や数学は、その本質に複雑性がなく、逆にプログラムとはその本質自体に複雑性がある。

とのこと。これが思わず「なるほど!」と思えたのは「数学と物理は複雑系に本質がなく成り立っており」という事にあり、この観想をまとめれば”古典物理”的であり数学にしても実証主義的な観点からの意見と思うが、それでも主体として複雑性を加味せずとも成り立っているのは確かであり、よってそこで物理・数学とプログラミングにおける大きな違いを感じ易いのでは?と思う。

あと本書では訳者によるあとがきも内容に深く入りこんでいて印象的。

そこでは脱線的にも構造と構築に生物の淘汰と進化をアナロジー化しており、なるほどとつい思うのは当時と現代との進化については適者生存的な効率化が見えるからであって、しかし根幹は同じでありその基本構造から適正化についてまで。

まとめとして、本書が「啓蒙深いな」と思えるのはやはり本書がソフトウェアエンジニアリングの管理的な側面を主面としてスポットを当てることにあり、技術的な面を主としていないことに意義がある。「銀の弾などない」は昨今においても覆されることのないソフトウェアエンジニアリングにおける金言であることは間違いなく、すると万能機械の万能性の限界を証明したチューリング的な見方も取れるのでは?とも思え、そしてこのセオリーこそ「銀の玉」なり得るのならば皮肉的であり同時に雇用を生み出しているのならば。これこそ必要悪のようにも思えるのではないだろうか? 

 

 

第4位

『ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること』

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること

 

タイトルから容易に内容を推測すれば「ああ、ネット批判か」と思われようが、 実際には想像とだいぶ違った。

というのも意外と込み入った内容で、器質的に述べる箇所が多かったため。

なかでも特に印象的なのは「ハイパーテキスト」について。

ハイパーテキストによって情報の繋がりが生まれて知識の向上に繋がりやすいのでは?」なんて、それこそ安易に想像していたら間違っていたという結果。利益が見積もりよりもだいぶ少なく、むしろ弊害を生じさせたという事実はアリストテレスの言うような「思考としての共時性をなくし一方依存による状態は寧ろ考える力を奪う」ということの本質さを捉えているように感じた。

あと「果たして今後も本の価値はあるのか?」とするのが本書の根幹的なテーマでもあり、ネットでのテキストが氾濫する昨今の現状に照らし合わせて考察するのは面白い(それが自己矛盾的立場をとっている点も然り)。

そうしたバイアスはもとより、「そもそも根源的なところから」と道具がもたらす脳の変化については生物学的にも読み応えあり。そこで印象的であり強調していたのは、こうした脳の変化においては良い面ばかりがクローズアップされがちであるが、実際にはその逆。つまり失う部分もあるのは当然であり、そうした負の側面にも目を逸らさない事の重要性についてを知る事は有意義に思える。

つまりそれは、ネットにより蔓延った情報過多状態による益と害について。

認知の変化におけるメリット、デメリットを述べ(できるだけ客観的に。といっても過去の状態との照らし合わせになるのは必然だけど)、昨今のネットで記事を読むのと、読書では「脳の活動の仕方が違う」というのは注目に値する。

一言でいってしまえば、

脳はネットに触れることでマルチタスク作業に特化し、その代わりに一転集中型の思考を苦手にした。

ということであり、一貫して取り込む作業を蔑ろにする危険性が情報過多となる状態には付き纏う。

さらに飛躍して言ってしまえば(論文がネットデータベースに移され数多の論文が気軽に参考・引用できるようになったにもかかわらず、使われるのは一部にばかり収束してしまうことからも)、物事を深く考える事への軽視と不覚であり、例を挙げて言えば飛躍的ともいえる大きな発見が見つかり難くなったのは、それは専門性の分散化が当然の事としても、そうした意識のあまりの分散性が重要な発見を阻害しているのでないか?

なんて風にも思えたり。

知識体系の拡張と俯瞰的視線による、事象の関連性を見つける事は確かに大きな発見をもたらし、純粋な結果を工学に繋ぐ橋渡しにもなるだろう。

しかし、裾野を広げ過ぎることは同時に、行き止まりの先を開拓する「勇気」ではなく「可能性」を見失わせてしまう事があるのだと。

人は平易に「ネットにより情報が共有し易くなった事で、以前よりは賢くなった」と思いがちである。それは絶対的に正しいことはなく、また間違いでもない。

それでも、以前と比べ失われた知的利潤もあるのだということを忘れてはならないのだと思う。本書は、そうした事を知らしめてくれる良書である。

 

 

 

第3位

『昔話の本質と解釈』

昔話の本質と解釈

昔話の本質と解釈

 

 昔話の本質を構造化し読み解く構成ながらも、とっても読み易い内容。

それでいて西洋の昔話の本質に迫れる一冊。

まず西洋の昔話、神話など紹介されていて、それらを読むだけでも純粋に面白い!

同時に見えてくる、西洋における「昔話」や「童話」の違いについても理解でき、またそれらに共通の部分にも着目できるように。

すると「昔話」「童話」における鋳型、構造部分に携わる概念と一連の流れは時代や文化を反映しつつも、根源に人間としての共有部分が見え隠れし(集合的無意識のような)、「昔話」「童話」の普遍性と廃れない理由が見えてくる。

 

個人的には面白く思えたのは、童話における一ジャンルである『謎話』。

これなどはギリシャ作品のような問答形式で、そこでの設定などは今においても通用するものでは?と思えたほど。

その一例に、ひとつの謎話のあらすじを平易に示せば、

ある国に美しい王女が居り、自分が答えられない問いを出せたものと結婚すると宣言。誰でも参加件が与えられながらも、王女が答えられた場合にはその者を処刑する。

ちなみにこの話は顛末を含めても尚、面白くて実によくできた作品。

そして本書の論説として、伝説や神話と昔話との差異についての考察は鋭く、神話や伝説には恐怖や不気味さが纏うが*4、昔話はそういった陰険さが希薄。

あと「女の子の主人公が圧倒的に多い」というのも特徴であって。それは語り継ぐのが主に女性、ということに要因があるというのは納得し易い。

 

グリムから民話まで様々ながら共通の特徴としては「異化」にある。

「悪が善」に、「悪が善」に転化すること。白雪姫では強盗が白雪姫を助け、そしてかの王子の話では手紙の内容を強盗が親切にも勝手に変更して救うなど。こうした手紙内容のすり替え等はシェイクスピアの『ハムレット』などにもみられた行為であって、価値観や立場の異化はいつの時代の人間をもハッとさせる。

 

昔話は現実ではないが、真実を語る。

おそらく、人々の間で時を隔てようとも昔話が廃れない理由はこれであり、これこそもまた真実であるのだと思う。

 

 

第2位

『新文学入門―T・イーグルトン『文学とは何か』を読む』

新文学入門―T・イーグルトン『文学とは何か』を読む (岩波セミナーブックス)
 

 面白い。同時にとても勉強になる内容で、内容としては自虐的にも触れていている『文学部唯野教授』っぽさがある。けれど本書は本物の講義としての内容が呈される。

読めば納得、表題どおり『文学とは何か』がよくわかる。

しかし序盤からして「文学とは読者あってのものであり、読者の解釈如何による」として「”文学とは何か”を語るのは無意味」とするのはあまりにも構築論的にも思えたり。

それでも文学の発展としての西洋史は「なるほど!」とてもわかりやすく思わず唸ってしまう。そこで述べるのは文学としての新たな境地が開かれたのは、コロンブス的な新大陸の発見と同時であって、その理由としては至極単純。

それ以前は「過去の知識に絶対性」を置いていたため。

そうした権威による専門化がそれら知識を応用していたに過ぎなかった。

しかし新大陸の発見によって、そこでは新たな知見がいくつも生まれ、

要は「その場で確かめたことが真実であり事実」であり過去の文献には載っていない。

すると今までの知識体系としての土台が崩れ、それによって「新たな知」。

未知の発想が可能性として認めら得るようになり、これによって小説としての新たなスタイルもまた開拓されたという。

これは文人その人独自の「思想」を体系化することに対する、非ナンセンス化であると思う。あと印象深いのは、当時としてシェイクスピアは評価されていなかったという事実で、その死後数百年と経ち、戯曲そのものが評価の土台に昇った事でようやく専門家が「シェイクスピアの作品はすばらしい!」と評価したことが今の地位を得らせたのだというのだから少々驚く。

しかし本書の文脈をたどれば「ああなるほど」となり、文学としての評価は周りに依存し、そして政治的なイデオロギー性が必然であると主張するのが本書の特徴に思えたりもするのだから。

構築論に関しての論説もわかり易く入門的で、「脱構築」とはまさに「二階微分」のようなもの!と言ってしまえばいくらでも(それは見方を意図的に変えることで)出来てしまうのだということが良くわかり、だからこそ立場譲渡しての表明もまた重要であるのだな!と俳中律的にも思うことができる。それは二項対立外の概念が現実として存在している以上は(差別主義かどうか等)否めないのだから。

あとソシュールが言ったという「言語は差異にしか存在しない」というのには深く納得でき、メトニミーによって存在し得るとの解説にはなるほどと思う。本社では改めて勉強になることが多く、またラカンにおける精神分析についても解説もあって、これが実に平易な上、とても判り易い。するすると理解が進むほどにはラカンの鏡像について、所謂「自己はあくまで鏡像として在り、理想像を他人から崩されることで存在する」とした論の理解は捗るのでお勧め。

読めばラカンの主張としては納得し易く、自己は本来存在し得ないというのは受容理論的でありこれがまた例の文学としての存在と深く関係しているのかな?なんて思うようには至った。

あとはフーコーの言う「性的な癖こそその人の人隣が顕著にわかる」といった言葉も印象深い。

本書は文学の可能性と裏側を表面化した稀有な一冊。

その稀有さは、このわかり易さにも由来するのは間違いない。

文学についての奥深さや可能性はもとより、その枠組みについてをより拡大。

のみならず、枠組みの素材や枠組みの構造を教えてくれるような、思考としての柔軟さと複雑さを両隣に繋いで認識させてくれるような面白い本。

お勧め。

 

 

 

第1位

『欲望について』

欲望について

欲望について

 

「欲望って何?」

なんてことは、身近にある分返って日頃には考える事のないこと。

でもよくよく考えれば、これは実に摩訶不思議な存在であり、「高僧が『欲望をなくすのが目的』、なんて言えばそれもまた欲望だよね」なんて風にも思える面白いブラックボックス

こうした老若男女、誰であろうとも問うことができ誰にとっても掴みどころの難しい、このシンプルかつ究極的な問いにひとつ答えを出そうというのが本書の目的。

すると内容には意外にも哲学的なことだけじゃなく、社会学や生物学的な側面からも「欲望の正体について」を炙り出そうと考察していて面白い。

 そこから見えてくる「欲望」の本質とは?

言ってしまえば、まさに人間そのもの。寧ろ「欲望」を「人間」と呼称してもいいのでは?と、そんな気すらしてくる刺激的な内容。

思えばなるほど、人間というのは少なからず欲望を抱いているからこそ動くのであって、「清潔で居たい」や「常識に沿いたい」という「欲望」が全くなければ糞尿をその場で放出させる事も厭わない!かもしれないのだから。

もちろん、欲望には顕示欲や地位欲など社会的な物もあり、相互関係によって生まれるものも多々ある。

「では欲望の連鎖の根源には何が?」

といったことを重視するのではなく同時に、その欲望の連なりになっている鎖に注目する点もまた本書の特徴的。

「欲望の発生するメカニズムについて」

ではシステマティックに見方を定め、人の欲望の発生条件からパターン化された一連の流れについても解き明かし紐解いていく。これは脳科学的、神経科学的とも言える手法も用いていて、「経頭蓋・磁気刺激装置(トランスクラニアル・マグネティック・スティミュレーター)」といったもので脳の作用部分を観測できるそうで、これにより「選択は意識的かつ合理的なやり方ではなされないということである」ことが判明。

あと決定理論についても解説していて、「意思決定に使える四つの異なる原理」を紹介。しかし「それらの原理自体、互いに矛盾している」とのことで面白い。

「マクシミン原理」*5だろうが、「マクシマックス原理」*6を用いようが、「どの原理を使うかの決定自体、決定論が私たちに勧める選択に影響する」とのことで、バイアスがかかるとのことでまさに自己矛盾。

あとアントニオ・ダマシオの研究としての「理性的だが、情動を持たないことでの苦境」は感情の存在理由を証明するようであり、「情動能力のみ減少すると合理性は確かに増すが、答えにはたどり着かない」という衝撃的とも言える結論はモチベーションの重要性を説いたとも言える。

あとヒュームの引用には他に「理性は情念の奴隷」といったことを取り上げており、そこでの啓蒙深い言葉がこれ。

私の指が傷つけられることより、世界が破滅するほうがいいと思うのは、理性に反していない。私にとってまったく未知の人間のほんのわずかな不快さを避けるために、私自身の完全な破滅を選んだとしても理性に反してはいない。

 

ウィリアム・ジェームズは「本能行動は、動物の好き嫌いによって引き金が引かれる」と考える理由は、「本能行動とは複雑な反射行動に過ぎにない」とする見方からで、還元的でありながら合理的にも思えたり。

 

あと面白いなと思ったのは進化の不合理性について、

 進化とは最適とはいえないデザインを作ってみせる。例として、人間の網膜の「裏返し(インサイドアウト)」デザインは、血管と神経が光受容体の上に配置され、光の通り道を妨げている。この配置はまた、網膜が剥離される確率も高くしている。

 

本書では、人の欲の源を生物学的に分析し、それを「生物的誘因(バイオロジカル・インセンティブ)」(通称BIS)として、このBISについて大々的に語っているのも本書の特特徴的。しかしこのBISは「インセンティブ箇条」として、「組み込まれ方によって決まる」と神経科学的な意見としては「決定論」的ながらも、そのあとには「変更も」と希望を匂わせ、すると今まで「不快」だったものが「快」になる可能性もあるという。インセンティブに基づく行動とは、環境の影響も大きく作用し、しかし強調され注目すべき一文は「効果を持つのは、それが人のBISを考慮に入れ、利用するときだけ」という意味深な部分だろう。

「選択は因果関係に基づいて決定される」とはBISを持つことの意味についてで、「それによって私たちがプログラムされた反射的行動とそれによる制限を越えられるということに尽きる」この文もまた重要に思え、BISを超えるとは平易に表現して真の「自由」をあらわしているようにも思えた。

つまりそこから「選択する」のではなく「選択する幅を広げる」ということに。

あとブッタの四諦についても欲望と関連して取り上げていたり、

ある人が言ったという

いくら悟りをひらいたところで洗濯をしなければならないし、ゴミを出さなくてはならない。

というは必然ではある。

「欲望」とそれに対する脱却といえば高僧の成せる業!と思われようが、そういった観点からも「欲望」への対処方法を考察し、

父さんは禅の導師でしょ。なのにその執着ぶりは何なのさ。

という、禅の導師が息子に言われたというこの言葉もメタ的で印象的。

ショーペンハウエルは「制限はつねに幸福に向かう」と言い、エピクロスは「黄金の長いすで豪華な食事を前にしながら、頭の中は悩みでいっぱいになっているよりは、藁布団の上に寝ていても恐怖から自由であるほうが良い」と説く。

あと本書では終盤に、「欲望」から切り離されて生活を全うできた”愛すべき変人”たちも紹介。その中には樽で暮らしたというかの哲学者ももちろん紹介されており、

「どうして哲学者は恵んでもらえないのか?」という問いに対する彼の答えがウィットで素晴らしい。曰く、

「みんないつかは不具者や盲人になるかもしれないと心配しているんだが、いつか哲学者になるなんて誰も予想しないからね」

 

あとはデビット・ソローなども紹介され、慎ましさの重要性をソローはこう説いた。

ハーブを栽培するように、貧しさを育てなくてはならない。ちょうどセージを育てるように。

 

 

本書では締めの言葉に老子を引用し、

足るを知らざるより大いなる禍いはない。

はいくら時代を隔てようが、活きる言葉であり活かすべき箴言

あと思うのは、この本を読めばわかる「なぜ哲学が必要か?」

その答えとして「幸福になるため」があるのでは?と単純にも思わせた。

それは「欲望」の本質を知らしめ、絡みつくBISから脱却させるためとしての。

 「欲望」それ自体は決して悪ではない。

「欲望」それ自体がなければ、我々は何も行動をせず、生きる事さえ止めかねない。

それでも「欲望」の従者となる人生は幸せと言えるだろうか?

「欲望」こそ人を生かし、人の生きる理由の根源に「欲望」があるのなら、人生の意味を持とうと思えば根源を探り、知ろうとするのは当然のこと。

本書は「欲望」について説き、それは同時に「人生」についての理解を捗らせてくれるものであるのは間違いない。

人間ならば、一読するのはお勧めの一冊。

 

 

*1:しかし感染の原因は今のところ不明とのこと

*2:尤も、生態認証としてはその偽造の難しさ、一固体とすることが逆に脆弱性でもある。

*3:そのひとつとして、『暗号化や複合化に「べき乗剰余計算」を行い、式としては「S=Yxmod N」で、Yが入力データ、xが秘密鍵、nが公開鍵で、暗号化を解除するのに用いる鍵をxとnに代入して「べき乗剰余」を計算する。消費電力が処理するデータに依存することから、データを補助計算機(コプロセッサ)に転送する場合、データは大変に大きく一度に転送できず、複数のブロックに分けて転送。すると対応する電力消費のパターンは、ブロックごとの消費電力を時間順序に並べたものに(消費電力のパターンから)。これでxが推測できる』とのことで、これがRSAに対するSPAの方法

*4:雄牛の背中に乗せてもらう換わりにその「牛の肉を食べない」と少年は牛と約束するが後日、母親がこっそりその牛の肉を少年の料理に盛り、肉を食べてしまったことで逆に少年が牛に食べられるといった不条理的な因果を

*5:ゲーム理論における合理的選択の基準の1つ。 戦略を決定するに当たって、各戦略の結果で最も利得が小さい場合同士を比較して、その中から最大利得が可能な行為を選択する行動原理のこと。

*6:とある状況下での選択肢から、利益が最大化する可能性がある行動をする戦略のこと。

「無償の愛」は存在しない

 

タイトルからしていったい何の話かと思われるだろうから、

簡潔にいってしまえばあるアニメに関してのこと。

尤も、それはアニメ自体の批判ではないのでご安心を。

というのも、これはなかなか気になって心に深く残っていた蟠りのような思念があり、沈殿していてそろそろ浮上させてもいいかなと思い綴ることに。

 

前置きが長くてすいません。

何のことかといえば、それは去年10月から放送していたテレビアニメ、

『うちのメイドがウザすぎる!』

という作品に関連したことであり、正確にはこの作品に出てくる登場人物の一人について思うことがあったのでここに徒然と綴る。

この作品に対してはまず、正直な思いを吐露すればそのタイトルとあらすじ(下記に引用)から

 

あらすじ

ロシア人の血を引く小学2年生・高梨ミーシャのもとへ、筋金入りの幼女好きで元自衛官の鴨居つばめが新人家政婦としてやってきた。前職のポテンシャルを存分に生かしてミーシャに接近しようとするつばめと、徹底抗戦の構えをとるミーシャによるホームコメディが幕を開ける。

 

「なんだこれ?大人の女が小さな女の子を愛でるだけのアニメって、何だか酷い内容だな…」なんて多少引き気味に思っていて軽蔑心さえ催しそうであり、しかし「見ずに批判は屑だ」と思いものは試しにとちょっと見てみることに。

するとこれが予想外に面白く、コメディードラマ並といえる十分なクオリティ。

そんなわけで、結果この作品を最後まで楽しんで観れ、その中でも特別に注目したのがこの作品に出てくる登場人物「みどりん」氏。

 どんなキャラクターかといえば、33歳でコスプレメイド服を着て、主人公の一人である鴨居つばめに惚れ込み追いかけてきた元上官で、一言で表すなら強固なM体質の変態さん。

wikiの人物像についてでも

 

筋金入りのドMであり、他人から苦言を呈されたり軽蔑される度に身を震わせて喜んでいるが、想い人であるつばめからは冷たくされようが身を案じられようがどっちにしろ喜ぶという複雑な性癖の持ち主。

 

 このように書かれており、しかし注目すべきはその性癖というか考え方。

ハッとしたのは、その特殊なアンビバレンス性というか、もっと一言でいってしまえは、著しい幸福の感受性!

上記の引用にあるこの部分、

想い人であるつばめからは冷たくされようが身を案じられようがどっちにしろ喜ぶ

これって何気にすごい事をしてるなあ、ってことであって、だって告白しても「成功したら両思いで嬉しい」のは当然の事としても、フラれても尚「フラれてもドMな感性としては嬉しい」となることであって、どっちに転んでも幸福になるというまさに天下取りの体質!

 

 

しかしこれだけの事なら、「ああ、なんだか特殊な変態さんだね」で終わる話かもしれないが、凄いのはここから。

衝撃を受けたのは、第8話目。

この回では「みどりん」が、一時的に雇われていたミーシャ家のメイドを辞することになって職を失う。それで新しい職を探そうとするのだが、そのときの決意表明としての台詞が自分には実に衝撃的。

「なるべくキツくて理不尽に怒られて、誰からも感謝されず、労働時間と内容に見合わない低賃金のところがいい…!」

 彼女が所望する職場とはこのようなところで、それも建前ではなく、本音として!

 これがどうしてこれほどにも見ていて衝撃を感じたかの理由としては、

大半、いやおそらくほぼ全ての人が、働く理由とその求める職場の件として、この台詞の正反対のところを目指しているであろうことは、想像に容易い。

というかおそらく、この台詞自体が、基本的な働く欲求に対しての真逆な意見を考え、それを元に作った台詞であるように思われる。

しかしこの台詞に込められた意味は、表面的な意味のみではない。

よくよく考えてみてほしいのは、ここでこの記事のタイトルとリンクするということ。

ちょっと脱線して、「無償の愛とは?」について考えてみてほしい。

すると自分としてはこの言葉にどこか違和を感じるのはまさに「みどりん」の台詞による真理性からによるものであり、「無償の愛」とはつまり「無償すなわち自分のほうは何も得るものがない上で相手に自分が与える『もの』=『愛』」であって、「無償の愛」が尊いように思われるのは、この「無償さ」、すなわち得るものなくして与えるという均衡バランスの崩れによるものではないのかなと。そう思うのだ。

 

しかし「みどりん」の哲学および性癖は、この「無償の愛」の概念を瓦解させる。

なぜかといえば、「みどりん」にとっては「無償の愛」が存在しないからだ!

 別にこの人物を非人間的と言うのではなく、むしろ彼女こそが人間としての真実味を描いているように思われる。

それは、「無償の愛」とは『無償の愛』を与えた側が満足を得た時点で、それは「無償の愛」ではないからだ!

つまり、本当に「無償」であるならば、その行為に対して満足するのは「無償」ではなく、「満足という償を得がたいがための愛」であって「利己心」が隠されているのだ。

よって、言葉通り本当の「無償の愛」とは実に無感動的であり、無機質的。

なぜなら施しを与える側は、それによって起こる感情の差異を生み出してはならず、心情における均衡のバランスを変えてはならないからだ。

すると「無償の愛」によって「相手の幸福」を望むと、その時点で「無償」ではなくなってしまう。それは「相手」にとって「幸福」が望ましいと思うから「無償の愛」として「相手の幸福」を望むのであり、この「望む」には感情的な恣意が含まれているからである。*1

何が言いたいのかというと、人間である以上は「無償の愛」などは存在しない。

ということである。それが人間としての生き物である以上は必然であり、むしろ悪いことでない。誤解してほしくないのは、ここでは無償の愛が存在しないことを肯定的にいっているのであり、なぜなら生きているのだから、人間なのだからそれは当たり前の事であって、無償の愛がないことこそ本当はすばらしい事実なのだと思う。

このような隠された真実味を、この「みどりん」は表面化、言語化して示しており、人間の深層心理に埋もれるひとつの欺瞞を露呈し、「すべての苦痛は幸福の源なり得る」ことを自らで証明することで「二項対立的な心情概念は如何なる時にも発生し得る」という事実に光を浴びせているように思えてならない。 

 

 「みどりん」という登場人物は、ドMな正確ゆえ、人が嫌がることを好み、人が嫌がることを言われるのを好む。まさに究極の天邪鬼的性格の人物であり、ブラック企業で働くことを自ら望むというのは経営者側から見れば理想の人物かもしれない。

しかしそのブラック色は、働く当人にとってそれが好ましいのであれば既にブラックではなくホワイトへの変容し、彼女にとっては理想の職場になる。

価値観の転覆を思わせる彼女のこうした思念はなるほど、脱構築的なものと捉えることができるのはもちろんの事、人間の思念としての可能性のより深い部分を感じさせる。

 

 

 あとこのアニメ、カミュの『異邦人』ネタを入れていたりと、案外ディープな笑いもあって楽しめたw

 

 

 

 

 

 

*1:感情的な恣意がなければ、「幸福」と「不幸」の概念的差異も見出せないため。