「若いときに苦労しろ」は老害のくそったれな台詞
NHKの番組『人生は18歳で決まる!?』を観て思ったこと。
職人になるために5年、厳しい修行をする。
その後何十年か職人になると、厳しかった修行時代の年数は現役時代の僅か数分の一なので、厳しい修行は僅かな期間といえるので耐えろと言う。
人の価値観は人それぞれなので、その言葉を全て否定する気はない。
けれど、その価値観を人に押し込もうとするな、とは思う。
それはエゴだ。
ゲストの人たちが言っていたように、人生の勝ち負けなど、所詮は死ぬ直前までわからない。いや、もしかしたら死んでさえ分からないかもしれないのだから。
そして勝ち負けがわからないのは、勝ち負けの線引きが曖昧であるためで、勝ち負けのライン如何による。
重要なのは、そのライン、自分で好きに線引きができるということだ。
つまりは自分が満足し、勝ちであると思えば、勝ちなのだ。
絶対的な勝者と敗者などはなく、それら幻想を作り出しているのは当事者の心のみ。
だから変に強がる事も気張る事も、本当は全く必要がないと思う。
そもそもこういった競争社会を見ると思うのだが、
巷では「仕事を早くこなす為には〇〇」といったような啓発本、
もしくはライフハック的な記事がネットに溢れているが、
もしこれらの事を実行し、仕事が早く要領よくこなせれるようになるなら、
全ての人の仕事の効率が良くなる。
すると、次にどうなるか?
今度はそれよりさらに早く仕事をする必要があり、また次の「仕事を早くこなす為には〇〇」といったような啓発本、もしくはライフハック的な記事がネットに溢れるだろう。
これではもはやイタチごっこだ。
そしてこの悪循環、「若いときに苦労しろ」という言葉にも当てはまる。
「若いうちに苦労する」。それはその後の将来のため。
じゃあ逆説的に、その苦労を止めたらどうなる?
この言葉通りならば、苦労を止めたその瞬間から、その後はさらに苦労するということになる。若いときに苦労するのは、その後に苦労しないためなのだから。
ではどうすれば解決か?
それもこの言葉から答えを求めるなら「ずっと苦労をしろ」ということになってしまう。
これではまたイタチごっこ。
このクソみたいな悪循環から抜け出す方法は実にシンプル。
それは『妥協する』こと。
若いうちに苦労までして手に入れたい、その架空の思い描く『安定した将来の〇〇』。
それを今の自分で、決めてしまえばいいのだ。
そうすれば無駄に苦労せず済むのだし、このクソスパイラルにも巻き込まれない。
というか、「若いときに苦労しろ」を実践してきた人は、自分でも気づかず結局はこの妥協をする事で、このスパイラルから抜けているのだから、その脱出方法を若いうちから実践しても全く問題はない。
がむしゃらに働き、若いときに苦労し、歳をとって「若いときには苦労をしろ」なんていう奴らは、自分の線引きのタイミングを見計らった者たちの戯言に過ぎない。
若い頃に苦労しなくたって、幸せというラインは存在する。
それを”若いときに苦労をした者”たちは、歳をとってから気付いたに過ぎない。
もしくは、まだ気付いていないだけ。そのイタチゴッコの渦中に居る事さえも。
だから言えるのは、早くから自分にとっての幸せを見つける事ができれば、
そうでない相手の戯言に惑わされる必要はない、ということ。
人の生き方は千差万別。
好きに生きればいい。
ただ「若いときに苦労しろ」は間違っても正しくもない。
それは意味のないジョークのように捉えるべきだ。