Pascoキャラメルクルミ
胡桃が好き。
栄養もよくて味もいいのだから、嫌いとする理由が見当たらない。
そんな折、どーんと胡桃を見せ付けるパンを発見。
パスコのキャラメルクルミ。
半額であって安く、見た目の胡桃に惹かれて思わず購入。
見た目。
中央に穴が開き、これでもか!と胡桃の塊を見せ付ける。
1個の重さは91g。
中身。
デニッシュ生地らしく、気泡は一方に整えられ、伸びている。
そしてキャラメルクリームらしきものも、生地の下部に見える。
そのまま食べてみると、
生地はもさもさとしながらも随分と甘く、キャラメル風味。
染み渡るように生地全体に広がっており、歯につくような甘さ。
菓子パンよりやわらかさは劣り、多少歯応えあるが、それも微々たるもの。
中央には肝心の胡桃。そこの下部には濃厚なキャラメルクリームがあって、ザクザクとしたキャラメルが溶けて薄く固ったような食感に、カラメルのような強い甘み。胡桃とキャラメルの相性は普通によく、ケーキのような甘さでまあまあ美味しい。
後はそれらの味の繰り返し。随分一辺倒な味で、単純な味。
味を通して己のジャンクさを呈すようであって、たとえるなら素行の悪さで育ちの悪さを呈するような。そんな感じ。
ゆえに、美味しいけれど、見た目どおりの味でただそれだけ。
サプライズ感はなく、甘いものが苦手な人は苦手であろう味。
胡桃+甘ったるい風味、といった子供向けの味とも言え、深みはなくむしろ深みのなさをあえて主張するかのようなパン。
ジャンク感あって、胡桃という意識高い食材を、ひと段落下げて示すパン。
闇落ち的な、堕落ジャンルの好きな人には良いパンだ。
「くるみって健康にいいよね」といって健康を考慮し、このパン食べ続ければマイナスに転じること間違いなし。
ジャンクなくるみパンが好きな人には、おすすめ。
マックのハンバーガーのように、ジャンクにしかない良さがあるのもまた然り!
ヤマザキ薄皮よもぎつぶあんぱん
ヤマザキの薄皮シリーズ。
期間限定品。
それが、このよもぎつぶあんぱん。
見切りで半額。
安いなと購入。75円であった。
見た目。
1個の重さは39gから42g。
中身。
緑色のよもぎ生地に多めのあんこ。
にしても、”緑色”と生地が通常と異なる色ながらも食欲をそがれないのは、野菜の色としての認識があるからであって、もし多くの野菜を青く見ていたなら、青色のものでも食欲が沸いていたのだろうか。
どうでもいいことを思いながらも食べてみた。
生地は、ふんわりとして柔らか。
一口目からよもぎの濃厚な風味が鼻腔をつき、俳句のごとく季節を感じさせる風流な味わい。そこにあんこの味が加わり、和テイスト全開。まるで和菓子のよう。
あんこは案外あま過ぎず、甘みばかりが目立たず生地との釣り合いが取れていてちょうどよい。お茶うけにも適した菓子パンで、饅頭代わりの役割も十分にこなすであろう一品。”期間限定”であるのがもったいないと思えるほどには、安定した味のパン。
無難に渋く、おいしかった!
年配の方にも好まれるであろう菓子パンで、花見との相性も抜群であろうパン。
以前にも食べたことがあるながらも、味のクオリティに劣化は感じず。
安い割に安定しておいしく、もよぎ嫌いでなければお勧めできる良いパンだった。
勉強する事について
4月になり新学期が始まり、勉強を新たにスタート。
と言う人も多いと思うので、そこでよく訊く疑問。
「なんで勉強するの?」
その問いに対するひとつの答え。
ふと浮かんだので、殴り書きにて綴ってみた。
それは以前、「相対性理論」についての新書を読んだときに、印象的だったことに関連する。
おぼろげながら覚えているのは、内容にこういったことが綴られていたこと。
「著者を含め、この相対性理論に対して正確に把握しているものはほぼ居ない」
あまり詳しくなかった当初、こうした一文を読み「おお!?そうなの!?じゃあ、これ読んで理解できたら、自分すごいんじゃないか!?」
と興奮したものの、後日、と言っても随分と後になってその意味を知る。
これはつまり、一般相対性理論に関しても、特殊相対性理論に関しても、その概要は大勢の人が理解できている。
では上記の、新書内での言葉はどういった意味?
それは、相対性理論の概念は理解できるけれど、そのおおよその詳細はいまだしっかりと理解できていない。こういった趣旨の意味であると、後々になって分かった。
つまり、相対性理論の概念を正確に把握するのが難しいのは、高等数学の必要性があるからであって、その数式の意味と、成り立ちに関しての理解を完全につかむ事こそが実に難しい。
そこで思うのが、勉強の楽しさについて。
ここでちょっと考えてみてほしい。一種の思考実験だ。
世の中には、「超一流」と呼ばれる人たちが居る。
それは数多のジャンルにおいて存在し、野球で言えばイチローだ。
しかしそうした超一流、あなたはイチローと同じ立場まで上がれるだろうか?
はっきり言って無理に等しい。完全ではないにしろ、おおよそが無理。
とすると、彼のような「超一流」が見る、景色を見る事はできないのだろうか?
しかしこれがまったく無理でない。
それこそが、「学問」のジャンルなのだ!
アインシュタインが導き出した相対性理論の概念はエレガントであり美しい。
その美しさをどうすれば知れるだろうか?
それが勉強であって、そしてイチローの場合と大きく違うこと。
それは、この系統に関して言えば、追い求め続ければ、同じ景色を見られると言う事!
勉強し学び理解を少しずつでも深めていけば、相対性理論が示すこと、その数式の意味を把握でき、彼はシュレーディンガーの確立させた数式の場合と違って、ほぼ手がかりなし、手探り状態で相対性理論を実証する数式を見出したのだから実にすごい!
そのすごさ、そのときの興奮と高揚。
勉強し続ければ、その高みにいずれ立てる事ができる。
今ならば解説書も豊富であり、登山も決して無理でない山なのだ。
そこから見える景色を追体験しようとすればできる現代は、実に幸せな環境であると思う!
故に、勉強は裏切らず、あなたをアインシュタインの見た”絶景”へと案内してくれるだろう!!そこから見える景色は、金を払って見えるものじゃない。
いくら金を貯めたって見えることのない隠れた絶景であり、それは誰もが見る権利を持ちながら、気づかず見ようともしない大絶景!
「絶景」と言えば、秘境や海外を思い浮かばせがち。
けれど真の絶景とは、内側にこそ存在!
景色を見に海外旅行も良いけれど、知識が見せる景色はより魅力的なはずだ!
あと物理より数学派!という人は、ヒルベルト目線で登山するのも良いのでは!
藤子・F・不二雄の発想術
尊敬する“藤子・F・不二雄先生”に関する一冊。
内容としては没後に作られたため、主に他の物からの引用などが主。
それで幼少時や学生時について語った言葉などの抜粋もあり、デビュー前の様子なども知ることができる。
自分を「のび太のような劣等生だった」とするのは意外で、しかし読み進めると、それが作品を生むきっかけでありアイデアの元であったと知ると感慨深い。
そしてデビュー後。当時の仕事現場の様子や苦労話も載せ、決して華やかだけでなかった現状を教えてくれる。
中盤からの『僕のまんが論』は特に読み応えあり。
ここでは制作についての秘話やその手法が語られ、中でも印象的なのは、アシモフ氏のエッセイから学んだという手法。
それは
①数多くの断片を持つこと。
②その断片を組み合わせる能力を持つこと。
この「断片の組み合わせ」、これが重要であると説き、映画「のび太の恐竜」も、この手法により作られたのだと語る。
人気のある漫画を描くには?
秘訣は、『普通』にあると言う。
人気のあるまんがを描くということは、決して読者に媚びることではありません。小手先のテクニックで、「こう描けば、人気が出るんじゃないか」とか、「こういうことを描けば、うけるんじゃないか」。こういうやり方では、作れないのです。
人気まんがというのは、どういうまんがであるか。それは、まんが家の表そうとしているものと読者の求めるものとが、幸運にも一致したケースなのです。つまり、大勢の人が喜ぶということは、共通の部分が、そのまんが家と読者との間にたくさんあった、ということです。
中略。
だから、まず最初に普通の人であれ、というのはそういう意味なのです。
重要なのは、ただ『普通』に成るのではなく、「プラスアルファ、何か自分だけの世界を一つは持っているべきである」と述べる。
あと、物語における“王道の展開”についての記述も印象的で、指摘は実に的確。
それが「マイナスを転じてプラスとする」ということ。
物語の最も基本的なパターンがこれで「マイナスを見せてから、それを如何にしてプラスへともっていくか」に集約されるという。
ドラえもんの例では、のび太はドジでまるで駄目。なのでマイナス。
そう言い切るのも少しひどい気がするけれど、話は続き、
「このマイナスだらけの人間をプラスにするべく、ドラえもんがやってくるわけです」
これが基本パターンで、ドラえもんではプラスになってめでたしエンドもあれば、かえってマイナスに働く話もあってメリハリを、とのこと。
ただ、一つ言えるのは、マイナスとプラスの落差が大きければ大きいほど、読者の受けるインパクトも大きい。したがって、おもしろいということが言えます。
このストーリーにおける基本的パターンは、滅ぶことなく昨今でも蔓延り、というか、今の作品もほぼこれであるのだから、簡潔に表したこの指摘は実に鋭い。
いきなり死んだ!
主人公、振られた!
駄目な女の三人組!
こうしたマイナス要素は後のプラスに転じた際のふり幅を楽しませるためであって、逆バンジー的な展開の上昇さは観賞側のテンションに高揚をもたらし、「やったぜ!」と表情を綻ばせる。
あと、内容としては平易な言葉で主に綴られながらも、『まんがと表現方法』という項では急に内容が哲学めいており、
登場人物のほとんどは、円の中に黒玉を描いて目を現します。現実に、そんな目があるわけじゃない。昔からまんがそう描いてきたから、見よう見まねで描いているにすぎません。だから、ときどき不安になるのです。これ、ほんとに目に見えるのかな…と。
ゲシュタルト崩壊的な認識論の懐疑は、同時に神経科学的な疑問と脳のごまかしについても考えさせれらる。
しかし次には、当時の行き過ぎた表現、
一時期の少女まんがなど、大小十個にもおよぶ星をちりばめたプラネタリウムみたいな瞳まで出現したのですが…
のくだりに大爆笑。
少女まんがの瞳を「プラネタリウム」と表するそのユーモアセンスこそが、藤子・F・不二雄の真骨頂のようであって、笑い転げながらも同時に偉大さを再実感。
実に素晴らしいユーモアセンス!
氏のユーモアセンスの披露はこれだけに留まらず、抜群なネーミングセンスからも窺い知れる。例えば、「ドラえもん」や「四次元ポケット」。
「ドラえもん」名前の由来は、猫イコール、ドラ猫。
えもんなんていう古くさい名前をつけた主人公が、逆に未来から来たロボットだというのが、かえっておもしろい。
この「古くさい名前を逆に未来のものへつける」発想の転換には、ハッとした。
「四次元ポケット」では、「ポケット」という何処にでもあるような既成概念に、「四次元世界」という特殊な既成概念をくっつけるだけで、「四次元ポケット」という摩訶不思議で興味を惹かれる物を作り出す!
一つ一つの断片をとってみると、新しいものは一つもありません。
ところがそれを組み合わせてみると、まったく新しいものがそこに姿を現すのです。
これは本当に、すべてのことに言えることであって、組み合わせの妙技によって新たな革新的アイデアを生み出すのは、それに気付いているかどうかの違いだけ。そして、こうしたことを意識の片隅にも知っていれば、その強みは意外なほどに現れる。
そして、ここでも上記に載せた「断片」の重要性があり、この組み合わせの巧みさの競争こそが、仕事上での競争とも呼べそうである。
また、『子どもまんがと私』という項では、
「まんが?そんなの子どもの娯楽だろ?」と卑下する意見に対して氏の熱い考えが述べられており、そこでは「娯楽」と「教養」が対比する概念への懐疑的な意見があり、「価値があるものとは?」と問う哲学的内容は一読する価値あり!
まんがの楽しい制作秘話から社会人ライフハック、人生における教示まで、実に示唆に富む内容。金言ばかりで、名言集、とも評せる内容であって、ファンのみならずお勧めできる一冊。
これを読み、興味が沸いたら短編もぜひ読んでみてほしい。
藤子・F・不二雄氏の言う「S(すこし)F(ふしぎ)」の世界に、魅了されるだろうから!
”ラノベSFの名作!”と評判の『タイム・リープ』
タイム・リープ―あしたはきのう (上) (電撃文庫 (0146))
- 作者: 高畑京一郎,衣谷遊
- 出版社/メーカー: メディアワークス
- 発売日: 1999/05
- メディア: 文庫
- 購入: 30人 クリック: 282回
- この商品を含むブログ (147件) を見る
注目していて、ちょうど購入できたので一読。
文章としては、”ライトノベル”という言葉通りに軽いテンポで会話メイン。故に読み易く、スイスイとページは進んだ。
なので上下巻を合わせても「3時間かかったか?」と思わせるほどあっさり読了。
内容としては、確かに「しっかりとしたタイムリープもの」といった印象を受けた。
そして「同じ時間は繰り返さない」という設定で、この作品はあくまで「タイムリープ」であって「タイムループ」ではないことが特徴的。
意識のみが飛ぶので、設定としては『バタフライエフェクト』っぽい。
主人公の女の子は突如として意識が飛び始め、意識は過去へ未来へと揺れ動き大騒動。時間軸が入り乱れては会話に齟齬も生じ「あれ?どうしてそういう反応を?」と登場人物とのやりとりに伏線を貼り付け、それら伏線はページを進めていくとゴミ収集車のごとく確実に拾い回収していく。
一見して難解そうに見える全体像も、そこはライトノベル。
十分な説明が会話に織り交ぜられ、すると理解は容易であって、やはりスイスイと読み進められる。物語の展開には蛇足もなくて進展具合は早い。よって続きが気になり、ついつい読み入ってしまう。そんな作品だ。
また、主人公は過去の記憶を失っており、タイムリープではぞの時の記憶を埋めるように意識が過去へ飛ぶ。しかしそこでは”過去”の記憶がないため、過去の内容が未知であり、未来から意識が飛んできたので、未来のことは既知の状態。
つまり、そこでは時間の流れが逆転。
既知のはずである”過去”が主人公にとっては”未知”であり、通常は未知のはずである”未来”が”既知”となっている。
主人公にとって既知である”主観的過去”が、他人における”未来”となる。
こうした特殊な状況は既読感あり。
それはフィリップ・k・ディックの短編『逆まわりの世界』に似ており、これを意識した?とも思える世界観。ともかく、こうした逆行する時間の概念を疑似体験させてくれるようであり、そこでは不思議な感覚に包まれて面白い。まるで未知のアトラクションに乗ったかのようだ。
舞台は学園であって、淡い青春らしさを呈するのも特徴的。そこでの何気ない会話から行動に至るまで、伏線の多さは目に余るほど。
しかしこれこそタイムリープものによる一種の醍醐味であり、徐々に歯車が噛み合っていく過程、そこでは整合性を求める脳に快楽を与えるようであって「面白い!」と感じさせてくる。
タイムリープ現象に関しては、具体性を伴う科学的な視察は控えめで、あくまで論理をメインに展開。よって専門用語も登場せず、平易で老若男女が楽しめる内容。
2時間映画の原作、と評しておかしくないようなテンポの良さとその内容量。
違和感を覚えさせる描写が所々に登場。その理由が次第に明らかになっていく様子は爽快であり「三度の飯より伏線が好き!」なんて言う物語において伏線の回収にカタルシスを感じる人にとっては、まさに打って付けの作品!
一読してみて矛盾も感じず、小奇麗にまとまっていたなという印象。
だが伏線をきっちり回収し過ぎ、伏線を張り巡らせるさせることばかりを重視して、本題を軽視した、といった印象も抱かせた。
青春物としても悪くなかったが、SF要素は薄め。どちからかというと、SFというよりは、ファンタジー色が強いように感じた。
それでも、まあまあ面白かった。
純粋に面白く、ボリュームは多少物足りないようにも思えたけれど、時間軸を最後には上手くまとめ上げていた。
本作はライトノベルといったジャンルに偽りなし!
タイム・リープ―あしたはきのう (下) (電撃文庫 (0147))
- 作者: 高畑京一郎,衣谷遊
- 出版社/メーカー: メディアワークス
- 発売日: 1999/05
- メディア: 文庫
- 購入: 24人 クリック: 46回
- この商品を含むブログ (89件) を見る