パンも微生物も好きな人にはぜひ読んでもらいたい一冊『人間は料理をする・下: 空気と土』
上下巻からなる本書。
その上巻を飛ばしたのは、この下巻の内容が実に魅力的だったため。
この下巻はパンと発酵を取り扱っており、まさにパンと発酵好きにはたまらない!!
幸い、上巻からの続きではないため、この下巻から読んでも全く問題なし。
内容的には、著者がパン作りに挑戦したり発酵食作りに挑戦。
また、お酒作りもチャレンジし、さらには各スペシャリストの元を訪ねて話を聴く。
まず始めはパンへ挑戦。
ここではなんと、今話題のタルティーンベーカリーの本が登場!
その本のレシピを参考にして、著者はパン作りは始めるのだ!
いきなりの見せ場であり、これだけでも既に目が話せない展開で、パン好きには大注目といえる!!バックトゥザフューチャーでいえば、いきなり車が過去に消し飛んだようなもの!
はたして著者のパン作りは成功するか!?
さらに著者はこのタルティーンベーカリーという本の著者でありタルティーンベーカリーの若き気鋭シェフ、チャド・ロバートソンにまで会いに行っているのだ!
その本人からアドバイスをもらい、さらにパン作りについても聞く。
羨ましい‥。そして彼の言葉はとても示唆に富み、哲学的でもありエレガンス。
そんな彼の言葉から著者は、彼のパンは味のみではなく、そのフォルム、美しさに対しても情熱を傾けているのだと知る。彼の言葉からはパン職人としての新たな気質、概念を覗い、著者のみならず読み手のパン好きも影響を受けること間違いなし!
さらには、チャドの師匠にも会いに行きインダビュー。これがパン好きにとって面白くないわけがない!チャドの師匠となったのがブルトン氏、彼こそ厳粛なパン職人であり、パン作りに対して熱狂的な情熱を持つ人物。
そしてブルトン氏は「良いパンとは何か?」という問いに対する、明確な解答を持つ生粋な人物!
「良いパンとは何か?」
パンが好きである人ならば、誰しもが一度は抱くこの疑問。
これに対する彼の答え。それは
「良いパンと悪いパンを見分ける方法を教えしよう。ひとかけら、口に入れてみるのだ。何が起きるだろう。口の中が乾いて、水を飲みたくなるだろうか?それとも、おいしく感じられ、唾液が口中を潤すだろうか?」。
…とても秀逸な答えで、見事としか言いようがない、と思う。
味の感じ方というのは普遍的ではなく、千差万別で個人差が強い。故に、今まで「良いパンとは?」との定義を見出せずいた。
けれどこの答えは本当に目から鱗。
もちろん、この答えが全てでなく、答えには千差万別あり、これが森羅万象な答えでない事はわかっている。それでも、この答えが、今後のパン良し悪しを定める基準として、大きく一役買ってくれるのは間違いない。
さらに著者は通常の白いパン、いわゆる精製された小麦によるパン作りの後には、全粒粉のパン作りにも挑戦をする!
いきなりグンと難易度あげたな!と思うが、そこはチャドからアドバイス受けた著者。自信満々に美味しい全粒粉パン作りにトライ!しかしなかなか上手くはいかず‥。
そこで著者は改めて全粒粉そのものに注目。はたして全粒粉とは…?
「そんなの精製度の低い小麦で、ふすまや胚芽を取り除いていない物だろ」
これだけも確かに正しい。けれど、全粒粉とは、そんな一文で済ませられるほど単純なものではないのだと、読み進めていくうちに痛感する。
何故、全粒粉から精製された小麦による現在の白パン主流になったのか?
そこには単に栄養的な観点や、貧富の差のみではない、様々な事情が交際している。
パンの起源からパンの普及した時代までも遡り、現代の食事事情にも関与。
さらにアメリカの現代パン事情からも見えてくる、この精製小麦と全粒粉小麦のあり方と実情。現代のパン市場において、全粒粉がもたらす莫大な影響力についても延べており、全粒粉という物だけを通しても実に奥深く、パンの在り方について知ることが出来る。
そして現代における全粒粉パンは、栄養のみならず人間のエゴもたっぷり 含まれているのだと思い知る!これほど消化不良をもたらす物は他に無いだろうにも関わらず…。
「パン作りは、発酵をうまく管理するかどうかに尽きる」。
チャドは、パンを焼くには観察力と柔軟さ、そして直観が大切だと説く。
パン作りを成功させるにはマイナスへの適応力、不確実さを甘受する心構えが必要だと、著者はチャドの働く姿から感じ取る。
これまでパン作りの本を何冊も読み、また、何人ものパン職人の話を聞いてきたが、生地の発酵や成形が官能的なものだということは誰も教えてくれなかった。
パン作りを始めた著者が漏らした、印象的な言葉。
本書ではパン作りにおいての五感性の重要さを説きながらも、酵母の役割や酵母がもたらす分解酵素によりミネラルの充足が促されるメカニズムなどの解説も併用し、化学的観点からのパン作りについても学べる。
パンについて実に示唆に富む本であり、パン好きならずとも、パンに興味が少しでもある人には、ぜひ手に取って読んでもらいたい一冊。
その価値は十二分にあり、目の前にあるパンという物へ対する見方が変わるであろう一冊で、パラダイムシフトを起こしうる秀逸な本!
キリスト教では、パンがキリストの肉体とされているだけあり、欧米人にとっては日本人以上に”パン”は特別な存在であると思う。
けれど、キリスト教でもない、日本人にとってもパンは特別な存在であり、その魅力に取り憑かれる人は多い。
それはパンの不可思議さにあり、小麦・塩・酵母・水のみで練った物が、あれほど美味しい物に変化する、まさに現代の錬金術とされる点にあると思う。
美味しいパンを作る職人はいつの時代においても優れた錬金術師であり、同時に偉大な魔法使い。
彼らは人のみならず、菌や微生物の声を聞き入れ、巧みに共存し、お互いを利用し合う。ノンゼロサスゲームの証明は、美味いパンを食べるだけで十分なのだから。