アーサー王と円卓の騎士
アーサー王について。
その存在は知っていたけれどその物語についての啓蒙は浅く、「アーサー王って某ゲームで大人気だよね」程度の知識しか有していなかった。
そんな折、
昨今たまたまこの本を手にする機会があって読んでみた。
まず感想を一言で述べると、すごく面白かった!
「アーサー王の物語なんて、騎士道精神とかいう古い価値観による勧善懲悪のテンプレものなんじゃないの?」なんて風に思われようが、とんでもない!
この物語は現代に読んでも十二分に通じる面白さがあり、それはアーサー王伝説が単なる勧善懲悪ものではなく、同時に騎士としての誉を第一としていながらも、それによって物事をすべて理路整然と解決していかない点にこそ本作の魅力がある!
そしてアーサー王伝説において示される騎士道精神とは、誇りを命と捉え妬みを恥とし慈悲を勇気と捉えて示す。忠誠こそもまた騎士においては自らの命、またはそれ以上に尊大なものであると考え、そのため忠誠を誓う相手に対する背信は自らの存在自体を否定することにさえも成りかねない。
仮に、アーサー王本人もしくは魅力溢れる円卓の騎士たちが全うに騎士道精神を貫き、背信行為をなんら見せず、彼らが彼ら自身の絶対的な正義としての立場をとり続けていたのだとすれば、この作品はおそらく時代と共に色褪せていただろう。
しかし時と場合によって彼らは背信行為を示す。それは自らに対する裏切りでもあり、騎士道精神から大きく外れた行為。
それでも彼らは背信となる行為を示すことによって、彼らが普遍的な人間であり、血が通った人間であることを知らせて読者をハッとさせる。
人間とは本来、非論理的な生き物だ。
仮に誰しもが効率よく、論理的な行為や行動をもって世を成していれば、世界はより秩序立ったものに成っていたはずである。
けれど現実においては生じるイレギュラーこそ必然で、人間が必然的にも論理的な存在であれば、人間と同等のAIが既に完成していておかしくない。
しかし実際にそのようなAIは存在しない。
その理由は簡単だ。
人間の行為には論理から逸脱している部分があり、むしろ人間の論理の特徴とは、まさにその逸脱さ、非論理性にあるのだから。
よって非論理性にこそ人間らしさが潜んでおり、そのため例えば、”主君の姫君に恋心を抱く”等というのはまったくもって非論理的。だってアーサー王並びに円卓に騎士たちにとっての論理とはすなわち騎士道精神であって、それに反する行為とはすなわち非論理的なのだから。
それにも関わらず、抑えられない衝動の数々をアーサー王の物語は読者に見せつける。
そうして描かれているその非論理性にこそ、騎士道精神をまとった彼らが人間としての姿を見せるのであり、実在性を乏しく感じさせるその人物像が急にリアリティを帯びて感じてくる。この構造にこそ、深い共感性をもたらし現代にも通じる作品性があるように思えてならなかった。
まとめとしてアーサー王伝説その魅力について。
この物語における魅力とはつまり、騎士道精神を彼らの行動原理として示しながらも、そこに生じる人間としての不完全性。それを物語を通して示すことにより、人間の理想と人間本来の現実を対比として表現し、啓示の如く人間に備わる非論理性を表している点にあるのだと、本書を読んでいて深く感じた次第である。
面白かったのでおすすめの一冊。