book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

「どうして勉強するの?」という問いに対しての一つの答え

9月となって学生は新学期スタートの時期であると思うで、

過去の自分も含め学生がよく口にするであろう疑問、

「どうして勉強するのか?」

としたものに対するひとつの答えを今になって示すことができるようになったので、それを淡々と綴ってみる。

 

その理由として、最初に答えを示してしまえば

「生活を面白くするため」

 

 

「なるほど、知識があれば生活のうちに選択肢が増えよりよく暮らしやすくなるのか」という意見かと思えばそうではなく、実際にはもっと単純。

要は、知識が多ければ、その分笑えることが多くなるのだ。

 

そこでたとえ話をひとつ。

 青空がどうして青いのか?その理由は”レイリー散乱*1”という現象のため。

ここで友人が青空を見上げて

「空が青いのってどうして知ってるか?あれって、ゴールドロジャー散乱って言うんだぜ!」

と言ったとしよう。

そのとき、仮にあなたが青空に見える現象のことを本当は「レイリー散乱」と知っており、同時に漫画ワンピースに「レイリー」という登場人物が居ることを知っているとしよう(それとワンピの知識をもう少し)。

 

すると友人の発言に対し「いや、それレイリー散乱だから!!」と突っ込むことができる。友人の言い間違い「ゴールドロジャー」とは、レイリーと同じ船に乗っていた仲間(船長)であり、そうした前知識があることでようやく「ゴールドロジャー」と「レイリー」なる固有名詞のつながりができ、そこでの言い間違いであるのだと気付くことができる。

すると友人のボケを(天然かもしれないが)拾うことができ、ちゃんと理解した上で適切なツッコミが(同時に笑うことも)できるのだ*2

 

とまあこれは極端なたとえであって、ミジンコの手足を指でつまめるほどの拡大解釈ではあるのだけれど、言いたいことはこれと同じで、要するに「幅広い教養は、同時に、数多の共時性や共通性を気付かせる」ということである。

もっと簡潔かつ的確に言えば

「教養がたくさんあると、笑いの沸点が高まるのでも低まるのでもなく、笑いの沸点たる間欠泉の領域が広がる」

ということである。

 

 つまり日常において拾える・気付けるボケが多くなって、あれはボケているのだな!と気付くことができるようになり、日々の生活において「ぷっw」と噴出し笑えることが多くなって自然と笑みになることが増えてくる。

 

なので「どうして勉強をするの?」の独我的自論を改めて示せばそれは、

「勉強して教養を増やすことで、世の中にはびこる滑稽ごとに多く気付けるようなるため」ということに他ならない。

 

すると世界は薔薇色にこそ変容せずとも、少なくとも、世界の色はきっと洒落た色に見えてくることは間違いない。

笑うことはとても単純だけれど気分を高揚させる効果剤。

知識を身につけることそれ自体が、直接的に生活それ自体をすぐに向上させることはそうそうないように思われようとも、ジョークはそうした垣根を飛び越える。

なにより、理解できない冗談って悔しいからね。

 

 

 

 

 

*1:レイリー散乱についてより詳細を知りたい方は、ウィキをどうぞ。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%BC%E6%95%A3%E4%B9%B1

*2:同じような言い間違いの古典的なものとしては、外国人の男性が日本語の「ありがとう」を発音の類似性から「アリゲーター」と記憶しておき、いよいよお礼する場面となったら「クロコダイル!」と叫んでしまった話など。