book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

マーク・トウェイン『ちょっと面白い話』

 

ちょっと面白い話 (旺文社文庫 568-4)

ちょっと面白い話 (旺文社文庫 568-4)

 

 マーク・トウェイン大先生による本で、エッセイ的であり名言集的な内容。

なかなかの金言ぞろいでもあって、印象的だったものをいくつか紹介。

 

われわれは虹を見ても、

未開人が抱くような敬虔な気持ちをもつことがない。

というのも、虹がどうしてできるか、知っているからだ。

われわれは、そうしたものを詮索することによって、

獲得したのと同じだけのものを、失っている

 

真実は われわれの 持ちものの なかで

いちばん 高価な ものだ

だから 節約して 使おう 

 

彼らに会ってみると この30年のあいだ 少しも変わってはいなかった。

しかしその奥さんたちは すっかり老けこんでいた。

奥さんたちはみんな 立派な人たちだった。

まったくシンドイことなのだ

立派でいるということは

 

 石化した思想に 忠義な者が 鎖を断ち切り

人間の魂を 開放した ためしはない

 

霊魂の不滅性

それを証明する ことがらの一つに

数限りない人間が それを信じてきた ということがある。

しかし彼らはまた こうも信じていた 

地球は平坦だとも

 

人間は みな 月だ

誰にも 見せた ことのない 

暗い 面を もっている

 

裸のモデルが 着物をきてから(ローマでのことだが)

ちょっぴり女らしさを のぞかせた

台をおりるとき くるぶしがむき出しになると

あわててそれを 隠したからだ

 

事実は

小説よりも 奇なり

ある人に とっては そうだ

しかし わたしは ある程度 事実に 精通している

事実は

確かに 小説よりも 奇だ

しかし それは 「小説」が 可能性に

執着して いなければ ならぬ からだ

「事実」は ちがう

 

夢をすててはいけない

夢がなくとも この世にとどまることはできる

しかしそんな君は もう生きることを やめてしまったのだ

 

 

最後に「皮肉が利いていて面白いな」と思ったのがこれ。 

古典

みんなほめるだけで

読みはしないご本

 この言葉を読んで、つい思い出したのは、

ラジオ番組の『伊集院光深夜の馬鹿力』。

そのひとつのコーナー。

それは『テツトモ風に「世の中のなんでだろう?」と思ったことを投稿する』コーナーでの、ネタひとつ。

村上春樹の本よりコロコロコミックのが面白いのはなんでだろう?」

これはある種の、真理なのかもしれないw

 

 

うまいソースは卵ご飯をごちそうに。

 

盛田 トリュフソース 100ml

盛田 トリュフソース 100ml

 

 近所のスーパーで安くなっていたので、購入してみたこのソース。

食べると、なるほどうまい。

しかし実際には「トリュフってなに?」って言えるほどにはトリュフに含蓄なくて、食べたことはない。だから、これが「実にトリュフの味!」とは言えないが、「これがトリュフの味か…うまい!」って洗脳されるに足る味のソース。

その味としては、旨みが濃縮したようなもので、例えるなら「すき焼きのたれの塩気の割合いくらかを旨みに変換したような味」。

旨みばかりが濃厚な味であって、一昔前の中華店で出されたら「ぐえーチャイニーズ・レストラン・ シンドロームにかかるンゴ」ってぐらいには旨みが濃い味。

 

卵ご飯にすると「これはうまいっ!!」と驚いた。

けれどトリュフ食べたことある人がこれを舐めてみて「全然トリュフの味と違うじゃん!」と言われればぐうの音も出ない。

 

「とんかつを食べたことのない人にこの味は…」

「チョコ食べたことない人にこの味は…」

これらと同様であって、このソースの味は「トリュフを食べたことがない人にこの味は分からない」と言えるような味。

そう信じられるほどには、なかなかの鋭いおいしさ。

味には妙なセレブ感も付随する。

 

結局、なにが言いたいかと問われれば、「卵ご飯はうまい」。

  

鏡と仮面―アイデンティティの社会心理学

 

鏡と仮面―アイデンティティの社会心理学 (SEKAISHISO SEMINAR)

鏡と仮面―アイデンティティの社会心理学 (SEKAISHISO SEMINAR)

 

 内容として、特に興味を引かれたのは“他者との相互関係”について。

そこでは他者とのコミュニケーションを取る上で三つの特徴的事象を挙げており、

①他者が相手に示す意識的行為と無意識的行為、

②自己が行う意識的行為と無意識的行為、

③それらを自身がどのように捕らえ、考えるか。

この三つが上げられ、中でも②が印象的で、

「他者の行為をすべて理解しきるのは無理である」

とするのは納得でき理解の範疇にあったが、②の自己の行為も実は、自分ですべて理解しているわけではない、との主張があって多少衝撃的。

しかし続く説明文「他者の行為をすべて理解できないのに、自分の行為はすべて理解できると思い込むのは誤りである」といった主張で納得。

よって本書は、“自分”という存在における不可侵さについても学ぶことができる内容。

 

人は、自分のことは誰よりも自分が理解している。

そう思いがちだが実際にはそれは誤りであり、実際には自分を社会的状況に照らし合わせて、脳裏に描く役割を自分に当てはめているに過ぎない。

”自分らしさ”とは、単にその場に適した偶像的な行動・役割であって、自分が作る空想の人物の真似事。世代や文化の影響があっての性分であり、既に象られた人工的なアイデンティティなのだという。

しかしアイデンティティとは随分と曖昧な概念であると何度も前置きし、その存在性の是非を問うのも特徴的。まさに「自分とは?」の深層を知ろうとするのは、雲を掴むようなものかもしれない。そして他者との係わり合い時における、単一性と複数性について述べていたのも印象的。一人同士が話そうとも、その一人が信念や社会、文化的係わり合いにおける存在であるならば、それは一人であると同時に複数人であり、それら群像の代表であって、相手が一人であろうと同時にそれは、複数人とのコミュニケーションをとっていることになる。

 

読むと納得するのは、自分と相手の境界線がはっきりしようとも、そこは慎重にならなけばならない、ということ。

自分と他人、そこに蔓延る意識的な誤謬と鏡像性について、改めて見直すきっかけを作ってくれる一冊であり、アイデンティティの形成は文化的・社会的、また世代的な影響を多大に受けようとも、一概にそれらがすべての要因とは言えない点に注意が必要である。

アイデンティティ”という、ニュートリノのように脆く正体をなかなか見せないような物の正体を暴こうとする積極的なアプローチは、まさに社会学におけるLHC

きっちりとした社会学観点から述べ、なかなか読み応えある内容。

ジンメルによる考察が好きな人などにはおすすめ。

 

 

人間というのは面白いもので、歳を重ねれば重ねるほど、自分のことが分からなくなっていく。それは、学問における本質を理解し始めたときに生ずる、「分からないことが分かる、分からないことに気付く」といったことに通ずるものであると思う。

それはあたかも、“死”という概念を決して理解し得ないということを理解していくように。

思想としての孤独

 

思想としての孤独―“視線”のパラドクス (講談社選書メチエ)

思想としての孤独―“視線”のパラドクス (講談社選書メチエ)

 

 なかなか面白かったので、お勧めできる一冊。

「孤独とは何か?」

万人が抱く持病のようなものであって、誰しもが抱えるであろうこの疑問。

それに対して、ひとつの答えを示す本書は、意欲的に”孤独”の本質へと迫っていて読み応えあり。

孤独という概念について、また人が孤独を感じる原因を心理学的のみならず、社会学からの観点からも検証し、その見えざる者の正体を暴こうと試みる。

一読すれば「なるほど、孤独とは分身による者の影響か」と合点がつくこと請け合い。

孤独とは身近にあって、それでいながらその正体を暴き切れない、まさに幽霊のような存在。しかし本書はそうした幽霊の正体について教えてくれる、まさにゴーストバスターズ的な本。

 

馴れ合いに違和感、人間関係に疲弊している人にこそ、読んでもらいたい一冊。

価値観の多様性、マイノリティがマジョリティに。

ネット社会によって、こうした概念が浸透してきたかのように思われていても、実際には前世紀的な人付き合いを強制され、そこから逸脱しようものなら社会的にのけ者とされる。こうした野生的であり原始的な概念が未だ蔓延るのは何故か?

そこに示す答えを知れば、多少は気が軽くなる。

同時に、孤独を抱えるのは個人のみではなくて、そこに共通する意識を知ることによって、他人はもとより人間という生き物の生態について、より知り得ることができる。

人間は高等生物といわれようが、結局は生き物であって、本能に依存する部分が未だ過多であるんだなあ、と感慨深くなること間違いなし。

群衆の中でこそ、孤独を感じるのであれば一読することに躊躇なく、

手にとってもらいたい一冊!

 

 

 

 

内容の無いコミュニケーションを馬鹿にしている人は…

p-shirokuma.hatenadiary.com

なるほど。

上記のような、内容の無い記事を読んで納得。

内容の無いコミュニケーションを馬鹿にしている人は、

それを個人的に、内容が無いと思っているに過ぎないのだと。

情報も相対的だ。

 

 

荒木飛呂彦の漫画術

 

荒木飛呂彦の漫画術 (集英社新書)

荒木飛呂彦の漫画術 (集英社新書)

 

 漫画作成のハウツー本。

内容としては漫画だけに留まらず、

作品の製作に関するハウツーが満載で読み応えあり。

なかでも、キャラクターと世界観についてでは、登場人物には身辺調査といった”各々の人物の詳細設定を決める”という事を、必ず行うといっていたのが印象的。

世界観についてでも同様で、拳銃一つとってもその構造を知っていると知らないのでは、描き方に雲泥の差が、とのこと。

他には、ストーリーの王道性についての見解も面白い。

読者はあくまで、終始プラスに続く展開を望むのであって、そのかたちを変えようが、上昇し続けることが重要と説く。

あまりにジャンプ的な主張なので最初、懐疑的にさえ思ったが、読むと納得。

プラス、つまりどんどん上昇していくストーリーはそれだけで面白く、読者の期待に応える結果、読み手の注意を惹き読者を放さない。同時に、プラス、といっても一概にそれは中立的立場から見た上昇でなくとも、見方を変えれば上昇といったこともでき、デュオなどがいい例で”悪”として上昇し続けて見せるような。また、逆にずっとマイナスのほうへ下降してくといった、変り種もありとは言うが、かなり高度といえそうだ。

これを読むとジョジョという作品の奥深さがさらに分かるようになる一冊。

物語にあるリアルさは世界観や人物設定の厳密さのみならず、重力の影響を受ける水の動きや、風の影響を受ける火の描写など、一見して気付かないような細部にまでのこだわりによるものだと分かる。すごい人だな、改めて実感。

また、「アイデアの出し方について」の記述も面白い。

デビューして以来、アイデアが枯渇しないというものすごいけれど、その方法には思わず「なるほど!」となること請け合い。そこでの提言として、要は「なんにでも興味を持て!」とのことで、価値観を閉じ込めず何事にも興味を持つことの重要性を説く。同時に、反対意見や興味の無いことを邪険に扱うのではなく、そこにこそ、アイデアの原石があるとしていたのが印象的。反駁したくなる意見を前に、自分はどうしてそのように思うのか?と思考を巡らせることが、マンネリを打開しアイデアを沸かせる手法というのは面白い。

終盤には、自身の作品を例に物語の“起承転結”を解説。

コマ割りについての考え方もあって、漫画家を目指す人にとっては本当に良い教科書になるのでは?

そして、“起承転結”の例を示す作品として載せていたのは『岸辺露伴は動かない』のひとつのエピソード。そこでは驚愕!

計算されつくした演出やキャラ設定はもとより、露伴の髪の毛にある緑の部分、そこがヘアバンドであると初めて知った!

本書を通して一番の衝撃が最後にあって、何より驚いた!

ずっと髪型と思っていたのに…。

 

 

4月に読んだ本からおすすめ10

4月に読み終えた本は33冊。

その中からおすすめの10冊を紹介!

 

 

 第10位。

 『うどんの秘密―ホンモノ・ニセモノの見分け方』

うどんの秘密―ホンモノ・ニセモノの見分け方 (PHP新書)

うどんの秘密―ホンモノ・ニセモノの見分け方 (PHP新書)

 

 内容として興味深かったのは、うどんのことはもちろんのこと、同じ小麦粉製品としてパンも扱っていたこと。

小麦粉の品質についての項では、その製品性を述べる上でパンも引き合いに出し、生地に塩を加える事の効果は?とする箇所ではブラベンダー生地試験機による生地の塩分濃度とその反応性についての表があり読み応えあり。

内容として振り返れば、“良いうどんとは?”の定義として、懐古的な意見を綴りながらも「コシが随分とあって歯ごたえあるうどんは、本来のうどんじゃない!」とする事実は多少衝撃的!

讃岐うどんをはじめとする良質なうどんとは「歯ごたえある麺!」と思い込んでいたので、これは目から鱗だった。

あとはうどんにおける国産小麦と海外産を使用しての差異についてや、出汁の種類やその性質、レシピまでもがあり、なかなか奥深い内容。

最後にはお勧めうどん店の紹介まであって、充実していた。

あと読み終えると、やはりうどんが食べたくなる!

 

 

第9位。

『おいしさの秘密!』 

おいしさの秘密! (ナレッジエンタ読本17)

おいしさの秘密! (ナレッジエンタ読本17)

 

 おいしいとは何か?

客観的にそして科学的に知りたいと思い読んでみた一冊。

内容としては対談形式ながら意外と充実。

味蕾に関する基本的なことをまず知ることができ、鼓索神経束や舌咽神経束などはもちろんのこと、有郭乳頭や茸状乳頭、葉状乳頭などについても一通り学べる。

また、興味深かかったのは、人は味覚を味で覚えるのではなく、においで記憶しているということ。それほどに嗅覚は鋭く、受容体はおおよそ380もあるというのだから驚いた。

照明の明暗具合も味を左右するという説も興味深く、薄暗いと苦味と甘味の閾値が高くなり、つまりそれら味覚に鈍くなるという実験結果は面白い。

特に印象的だったのは、ビールに関する記述。

”飲んでいるとしょっぱいつまみをほしくなる”のは、以前に読んだ本からの知見で

「喉にある味覚がリセットされるためでは!?」

と思ったが、本書による答えは違っていた。

本書によれば

「ビールはカリウム過多でナトリウムが少ない。よって、ビールを飲むと血中のカリウム濃度が上がり、飲む前の状態と逆転してしまう。すると体はその状態を直そうと、ナトリウムが多いものを欲する」とのこと。

それから蒸留酒に限っては糖分も少なくアルコール濃度が高い。

するとアルコールによるエネルギーで脳は「栄養があるな!」と錯覚してしまい、糖の生産をストップ。そこで血中の糖をどんどんと脂肪に換えて蓄え、すると血中の糖濃度が下がり、おいおい、と体が反応。それで、アルコール高い酒を飲むと、ラーメンやらでんぷん気質のものを欲する。この説明はとても分かりやすく、締めのラーメン説を解明していて爽快!

他にも、「あるものを食べた瞬間、それを昔に食べた当時の状況を思い出す」といったこの現象を“プルータス効果”と呼ぶなどのトリビア的知見も。

得られる知識は意外と多くて、良い本だった!

 

 

第8位。

タイムリープ〈上〉〈下〉』 

 「ライトノベル界の名作!」と名高い本作。

文体はライトノベルらしく会話調がメインであって読み易い。

スイスイとページは進み、あっという間に読み終えてしまった。

内容としては、確かにしっかりとしたタイムリープものといった印象。

上巻においてはタイムリープの設定と複線ばかりに重視を置き、動機やきっかけなどの根本的な箇所にはあまり触れず。

下巻のほうとしては、展開として上巻で撒いたもの回収していく、といった印象。

「三度の飯より複線が好き!」なんて言う、物語において複線重視する人には堪らなくなるような複線のばら撒きと回収具合で、そうした点にカタルシスを感じる人にとっては、まさに打ってつけの作品。

全体的には、ミスリード的な複線や展開をタイムリープとして掛け合わせ、パズルのピースが合致していくような爽快感がある作品。

青春物としても悪くなかったが、がっつりとしたSF要素は薄め。

どちからかというと、SFというよりファンタジー色が強い気も。

 あと読んでいて思ったのは、ディックの短編『逆まわりの世界』を意識したような世界にも思え、逆行する時間軸の概念を体験させてくれるような感じ。

そこでは普遍的に流れる時間の不思さを疑問視するようであって、知的好奇心を刺激される。ともすれば、ある種『遊歩する男』的な作品でもある。

 

 

第7位。

藤子・F・不二雄の発想術』

藤子・F・不二雄の発想術 (小学館新書)

藤子・F・不二雄の発想術 (小学館新書)

 

 デビュー当時における、仕事現場の様子や、デビュー当時のことなども綴られており、藤子F先生ファンにはなかなか必見の内容。

製作についての秘話やその手法が語られ、中でも印象的なのは、アシモフ氏のエッセイから学んだという方法。

それは、

①断片的に知識を得ること

②それを巧く組み合わせること

この二つが製作する上での肝であり、その後の記述にも、如何に断片的でも知識を吸収しそれを自らで新たに組み合わせて新しい概念を作り出すかが重要かを説いていた。

するとドラえもんの四次元ポケットも単に“ポケット”という何ら目新しさもない物へ“四次元”という言葉を付け足すだけで、実に目新しいものとなる。

読んでいて思ったのは、こうした製作にたいする言葉は己に向けた言葉にも聞こえ、するとこれは藤子・F・不二雄先生における“自省録”のようにも思えた。

物語の製作に携わる人には是非とも読んでもらいたい一冊!

 

 

第6位。

『スロー・ランナー』

スロー・ラーナー

スロー・ラーナー

 

注目していたトマス・ピンチョンによる小説で、今回が著者の作品を読むのは初。

内容としては短編集であり、そして初期の作品らしい。

読んで見ると分かりやすい作品とそうでない作品との落差が激しい!

「難解!」と思わせるのは婉曲表現が著しいからであったり、入り乱れる登場人物による影響にも感じた。

しかし物語自体は、意外とシンプルなものばかりな気も。

おそらくこれが初の“アヴァンポップ”作品であったのだけど、“ポップ”とつくだけあり、構えていたほどには難解ではなく意外と読みやすかった。

なかなか印象的だった短編は『エントロピー』という作品。

そのタイトルから既に注目をしており、読むと内容としては「まどマギっぽいな」とつい思う。特に、感情をエネルギーに代えようと思う点などは。

最後の『秘密のインテグレーション』は特に読みやすかった印象。スタンドバイミー的なノスタルジイあふれる作品。

『低地』という作品もまた印象深い。

内容としては夫婦間の倦怠を臭わせ、この作品も人種差別をテーマに挙げており、すると人種差別に関する作品が多い?といった印象も受けた。

するとそこでピンチョン氏が公の場に現れないとする理由はもしや…という気もしてくる。思い違いかもしれないが、少なからずそうした部分にコンプレックスがあるようにも感じた。すれば『小雨』による腐乱死体と流れ行く姿に、ある種の自画像を投影していたのかもしれない。散文的に乱痴騒ぎのの模様を綴った『エントロピー』は不思議な作品であって、アメリカンテイストもあり、読み応えはあった。

 

 

第5位。

夢野久作全集〈1〉』

夢野久作全集〈1〉 (ちくま文庫)

夢野久作全集〈1〉 (ちくま文庫)

 

 夢野久作といえば?

まず思いつくのは通常ならば『ドグラ・マグラ』。

しかし「他にはどのような作品を?」と気になり、それでふと手にとってみた一冊。

構成は中篇と掌篇からなり、内容としては面白い!

掌編小説には童話のような話が多く、おおよそが2、3ページと本当に短い。

そこでは童話のようなファンタジー感が溢れる話が連なり、教訓染みた話も多くて絵本のような内容にも感じられる。そこには絵本同様、真理をつくような主張が根底にあり、シンプルながら深い内容。

中篇では、醜い見た目と綺麗な心とは?といったことを掲げた作品が。

あとはやはりこの一冊の目玉は『白髪小僧』。

ネタばれは控えるが、この作品は随分とメタ的であるな、とつい思う。

それから最後の解説を読んで、この作品は時代背景を大いに反映しているのだと知る。

この時期はちょうど物理学会に衝撃が起こり、パラダイムシフトが起きた時期と重なる。そこでは量子の振る舞いによる今までの常識が疑われる発見がされ、そういった影響も伺わせるような作品。

そして、読み終え反芻すればするほど味が出てくるスルメ作品。

『白髪小僧』は一種の、なかなか前衛的な作品であったと思う。

 

 

第4位。

『ディック傑作集〈1〉パーキー・パットの日々』

ディック傑作集〈1〉パーキー・パットの日々 (ハヤカワ文庫SF)

ディック傑作集〈1〉パーキー・パットの日々 (ハヤカワ文庫SF)

 

 面白くて引きこまれ、時間を忘れて読みふける。

短編集でありながら、そうした作品ばかりの一冊。

なかでも「変種二号」はお勧めの短編。

内容としては荒廃した世界に、戦争用機械ロボットが登場してのひと悶着。

SFを苦手にする人にさえも勧められる作品であって、読みやすさも迫力も娯楽性も充分に備えた佳作!

「報酬」はミスリード的な内容で、映画化もされた作品。

内容としては短いながらも無駄がなく、展開が秀逸な作品といった印象。

「にせもの」もおすすめ。ミステリー的な内容でもあり、スパイロボットと疑われた主人公が、その誤解を解こうと奮闘する話。内容としては結構深くて「自我とは?」といった哲学的示唆に求む内容。要は”摩り替わりもの”作品であって、昨今ではさして珍しくないジャンル。しかしそこで繰り広げられるものは古典的ながらも丁寧で読み応えあり、お手本のような完成度。

「植民地」はユーモラスな作品。オチが全てを物語っている作品であり、「オチから作った?」とさえ思えるほどには面白い結末。

表題作「パーキー・パットの日々」は「よくこんなアイデア浮かんだな!?」と思えるような作品。同時にユーモラスな作品でもりながら、一味さらに奥深く、十人十色の感想が出てきそうな作品。哲学的、というよりかは心理学的な作品。

「フォスター、おまえ、死んでるところだぞ」はまたテーマが似ており、戦争をモチーフにした作品。シェルター販売合戦とそのセールスを巡る物語で、需要と配給、商売についても物語る内容。戦争非難と政府非難を織り交ぜた風刺作品でもあって、皮肉的でなかなか面白かった。

本書もなかなかの粒ぞろい。読み応えあって秀作の短編ばかり。

 

 

第3位。

『模造記憶』

模造記憶 (新潮文庫)

模造記憶 (新潮文庫)

 

 またもフィリップ・K・ディックによる短編集。

本書も収録されている話はどれもが面白く、そしてメタ作品もあったのが印象的。

『この卑しき地上に』は傑作。珍しくファンタジー寄りな作品ながらも、天使の存在に対しての独自な考え方を表しているようで面白い。

あとはどの短編を読んでいても思い、感じた事としては、その文体の巧みさと表現の豊富さであって、同時にその伝わりやすさが顕著!文章の情景がスッと頭へ自然に描かせるのだからすごい。それもSFで!

詩的でもあり情景が豊かに広がりを見せるその文体、韻語、引用とどれもが上手くて読み易い。所々に含まれる科学的知見も違和感がなくちょうど良い塩梅。感嘆し唸ってしまう饒舌な文章。

『ぶざまなオルフェウス』はタイムスリップのアイデアにメタ認識を取り入れたミックスチャー的作品で、なかなか面白くて印象深い。

『囚われのマーケット』は空間移動で多世界解釈を取り入れた傑作SF。

『ミスター・コンピューターが木から落ちた日』は掌篇よりの短編。内容としてはライトで、オチが丸見えながらも人間染みた機械とは愉快な発想。明るい雰囲気の作風でもあって少し意外。

『逃避シンドローム』はスキャナー・ダークリーのような、現実と夢想が交差する物語。幻想的でもあり幻覚的であって麻薬由来を思わせる作品。そこに読み応えがあり、すると「何が現実なのか?」といった思想を疑問視するような内容。自己欺瞞の意識すらも嘘。けれどそこでは嘘の概念もまた自己欺瞞の一種に過ぎず、思考をがんじがらめにする内容。夢想的であって面白い。同時に唯物論的でもありながら、それを否定していくようでもあって深い作品。

『追憶売ります』は本書内で尤も有名な作品であり、マイノリティ・リポートの原作。

映画を視聴したことがあるので、本作もまたシリアスなものとばかり思うが、実際はコメディータッチであり意外。然し、だからといって面白くないかと問われればそんな事はいっさいなく、むしろ面白くて驚いたほど!オチも良かった。

『逆まわりの世界』は世界の時間が逆周り。ベンジャミンバトンの人生を、拡大したような世界観。そこでは時間が逆に進み、未来は誰もが知っていて過去は知らず。

すると「時間とは?」といった普遍的なことをまた考えされられ、時間が逆転する世界において生じる事象は常にパラドクス的であるか?ともした風でもあって、読み応えありとても面白い。傑作!

あとは作中、「SFは屑だ!」と咎めた言葉が印象的であり、爆笑した。

 

  

第2位。

『運は数学にまかせなさい―確率・統計に学ぶ処世術』 

運は数学にまかせなさい―確率・統計に学ぶ処世術

運は数学にまかせなさい―確率・統計に学ぶ処世術

 

 具体例を交えて進むので、数学的事象を扱う内容ながらも平易であり読みやすい。

P値である有意確立についてや、ノイマンゲーム理論における効用関数などが印象的。

また、本書では途中にブレイクタイムとして”確率”をテーマとした短編小説があり、カジノの不正を暴くストーリー。内容は思いのほか面白くて完成度が高く、何より独特の表現と言い回しがとても巧みでツボにはまるw

「彼女の足は微積分の授業のように長い」などは、名文句!

本書は各章ともに、身近な出来事と関連させて解説するので理解が捗り、確率論を学ぶ上でも興味を抱くにも最適の一冊!

後半は選挙の投票率の正確性についてを通して確率論を論じていたのが印象的。

終盤、あの悪名高いモンティホール問題を例としての条件付確立についての解説はわかりやすく、モンティホール問題に対する解釈をよりきっちり理解できた。

他にはランダム性についても触れ、そこではスパムメールの対処法からはじまり気象予報、量子力学による不確定性の法則にまで話は及ぶ。

しかしここにおいても「大数の法則」が用いられるのは少し意外。

するとカオス、すなわち量子の振る舞いも「大数の法則」によりその動きが収束されて予想可能となるのはある程度でながらも、なるほどと思わず納得。

あとは擬似乱数における効用もあって、テレビゲームが面白いのはそのおかげ。モンテカルロ法さまさまというわけだ。

最後には、内容の復讐と確認のテスト問題が。

「テスト」と聞けば拒否反応が出る人も多そうだが、本書において杞憂に過ぎない。

試験問題はユーモアに富み、笑いながら復習できるすばらしいものだった。

こうした試験ならば、誰もが意欲を失わずに取り組めるだろうと思えるほどで、最後までユーモアたっぷりでとても楽しめた本。

本書を読んで得られたことは大きく二つ。

ひとつは「確率が如何に生活の中に潜んでいるか?」を知れたことであり同時にその確率を理解し把握することで日々の生活がより潤い捗るということ。

もうひとつは、確率論におけるベイズ派と頻度論派の言い争いは面白い、ということだ。

 

 

 

第1位。

『死の体験―臨死現象の探究』

死の体験―臨死現象の探究

死の体験―臨死現象の探究

 

 何気なく読んでみると、想像以上に良書だった。

パラダイムシフトの発端になり得る内容であり、序盤は正直微妙。

臨死体験のレポートをまとめただけの内容であり、その例の数も決して多いとは言えない。すると昨今、確率についての本を読んだばかりなこともあって全体数の少なさから「それだけのサンプルから検証結果言い切るのは無理があるのでは?」とつい思う。

まあそれも当然であって、世界では1年で何万人と亡くなるのに、臨床体験のレポートの数は500を優に下り、しかもそれは一年ではなく数十年のデータを合わせてだ!

すると全体数は少なく「たったそれだけの数のレポートが役に立つ?」と懐疑的さえに思うが、中盤ほどから内容はぐっと面白みを増す。

それはまず、著者が反論者の意見を反駁する点。

そこではあくまで科学的に意見を述べて反駁し、無為な主張に飛躍していない点が良い。その内容としても無駄な部分がおおよそなく、簡潔にまとめらているのも好印象。

そして中盤過ぎからの、科学史とそれにおける概念や理念、パラダイムシフトに関しての解説もまた随分ときれいにまとめられており、読み応えがあった。

さらに、“科学的にはどういったことか?”ということも丹精に語られており、そこでは実験科学と史実的科学という二つの存在を扱いその違いについても述べる。

するとこの概念がなかなか重要であって、実験科学、つまり再現性が見られずともそれだけで「科学的でない!」と批判できないことを理解でき、史実的手法の重要性を窺い知れた。

ほかには、著名な科学者がこうした超心理学に対し批判的な態度をとる理由を述べられており、なるほどと、つい思ってしまう説得力のある記述。

超心理学、こうしたものが科学的に認められてしまえば従来の科学認識が覆ってしまうからであり、今までの概念を転覆させないため。

頭頑固なのは物理理念が自身のアイデンティティの一部化してしまっている、として考えるのに難しくない。

しかしここにまた新たなパラダイムシフトの予感があるのは確かで、多少悪魔の証明的な主張も見て取れそうだが、著者の主張どおり、短絡的に「死後の世界など、まったくありえない!」と言い切れることではないなと、読み終える頃には思えるようにはなった。

あとは量子物理にまで話は及び、従来の物理概念がすでに通用しにくくなる中、そこではまた超心理学的な、死後の世界に冠するまた新たな観察や時空軸の発見が今度にあるのでは?とするのは一理あり興味深いことである。

終盤は宗教について、浄土についての概念について扱い、それら歴史や概念を解説。

すると浄土、天国の類似性とともに、太古からそうした信念が存在し、また人類共通の事項であるとも再認識。

宗教の成り立ちとの関係性とも明らかにしようと試みており、面白い。

宗教ができて死生観があるのか、死生観があって宗教ができたのか、なども検証。

チベットの『死の書』にも触れ、チベット宗教についての解説も。するとそこでは独特の宗教が存在し、苛酷な環境によってもたらされた独特の文化と相まってできた宗教観は興味深い。

過去の文献によれば死後の世界とは思いのほか随分と明確に明記してあり、故に読み解けば、すでに“あの世”への案内とその手引きがある、と思えたのが最終的にはとても印象的。なのでこの本はある種の“あの世旅行者のための基礎知識”のようなものであって、死生観が変容しそうな内容。

一読すると多少なりとも価値観を変容させられた心地になる一冊。

本書はタイトルからしても、少し怪訝に思えトンでも科学的内容かと思いきや、実際には実にまともで科学的。読み応えはあってまじめさが窺い知れる内容。

内容は深くて濃く、一読してつかみきれないのは当然といえるほど。

 「オカルティックなことは…」と敬遠する前に、「ではなぜ、人はそうしたことを敬遠したがるのか?」といった疑問も晴れる内容。

価値観の広がる一冊なので、おすすめ。