book and bread mania

-中途半端なサウスポーによる日々読んだ本の記録 + 雑記 + パンについて-

”初恋”の捉え方

今、放送しているドラマ『あなたのことはそれほど』が面白い。

 同様に、今放送しているアニメ『月がきれい』もまた面白い。

 

この二つの作品、

内容はまるで違うようながらも、共通するテーマが。

それが、”初恋”。

まさかのテーマかぶりで、しかしどちらも面白いので問題なし。 

 

ここで顕著に面白いのは、両作品における、

同テーマながらも見せつけるその差異性。

なにせ作品の内容は180度ちがうのだから!

「同じ”初恋”の扱い方でここまで違う!?」

というほどには内容に差異があって、その落差がとんでもないほどで思わず噴出してしまうほど!

 

”初恋”の扱い方、

それが年齢層によってこうも違うものかと思わず感慨深くなれる作品群なので、ぜひとも見比べてみることをお勧めする。

 

というか、同じ時期、同じタイミングでこの二作品が放送されるのは、ある意味では奇跡的であると思うw

 

マーク・トウェイン『ちょっと面白い話』

 

ちょっと面白い話 (旺文社文庫 568-4)

ちょっと面白い話 (旺文社文庫 568-4)

 

 マーク・トウェイン大先生による本で、エッセイ的であり名言集的な内容。

なかなかの金言ぞろいでもあって、印象的だったものをいくつか紹介。

 

われわれは虹を見ても、

未開人が抱くような敬虔な気持ちをもつことがない。

というのも、虹がどうしてできるか、知っているからだ。

われわれは、そうしたものを詮索することによって、

獲得したのと同じだけのものを、失っている

 

真実は われわれの 持ちものの なかで

いちばん 高価な ものだ

だから 節約して 使おう 

 

彼らに会ってみると この30年のあいだ 少しも変わってはいなかった。

しかしその奥さんたちは すっかり老けこんでいた。

奥さんたちはみんな 立派な人たちだった。

まったくシンドイことなのだ

立派でいるということは

 

 石化した思想に 忠義な者が 鎖を断ち切り

人間の魂を 開放した ためしはない

 

霊魂の不滅性

それを証明する ことがらの一つに

数限りない人間が それを信じてきた ということがある。

しかし彼らはまた こうも信じていた 

地球は平坦だとも

 

人間は みな 月だ

誰にも 見せた ことのない 

暗い 面を もっている

 

裸のモデルが 着物をきてから(ローマでのことだが)

ちょっぴり女らしさを のぞかせた

台をおりるとき くるぶしがむき出しになると

あわててそれを 隠したからだ

 

事実は

小説よりも 奇なり

ある人に とっては そうだ

しかし わたしは ある程度 事実に 精通している

事実は

確かに 小説よりも 奇だ

しかし それは 「小説」が 可能性に

執着して いなければ ならぬ からだ

「事実」は ちがう

 

夢をすててはいけない

夢がなくとも この世にとどまることはできる

しかしそんな君は もう生きることを やめてしまったのだ

 

 

最後に「皮肉が利いていて面白いな」と思ったのがこれ。 

古典

みんなほめるだけで

読みはしないご本

 この言葉を読んで、つい思い出したのは、

ラジオ番組の『伊集院光深夜の馬鹿力』。

そのひとつのコーナー。

それは『テツトモ風に「世の中のなんでだろう?」と思ったことを投稿する』コーナーでの、ネタひとつ。

村上春樹の本よりコロコロコミックのが面白いのはなんでだろう?」

これはある種の、真理なのかもしれないw

 

 

うまいソースは卵ご飯をごちそうに。

 

盛田 トリュフソース 100ml

盛田 トリュフソース 100ml

 

 近所のスーパーで安くなっていたので、購入してみたこのソース。

食べると、なるほどうまい。

しかし実際には「トリュフってなに?」って言えるほどにはトリュフに含蓄なくて、食べたことはない。だから、これが「実にトリュフの味!」とは言えないが、「これがトリュフの味か…うまい!」って洗脳されるに足る味のソース。

その味としては、旨みが濃縮したようなもので、例えるなら「すき焼きのたれの塩気の割合いくらかを旨みに変換したような味」。

旨みばかりが濃厚な味であって、一昔前の中華店で出されたら「ぐえーチャイニーズ・レストラン・ シンドロームにかかるンゴ」ってぐらいには旨みが濃い味。

 

卵ご飯にすると「これはうまいっ!!」と驚いた。

けれどトリュフ食べたことある人がこれを舐めてみて「全然トリュフの味と違うじゃん!」と言われればぐうの音も出ない。

 

「とんかつを食べたことのない人にこの味は…」

「チョコ食べたことない人にこの味は…」

これらと同様であって、このソースの味は「トリュフを食べたことがない人にこの味は分からない」と言えるような味。

そう信じられるほどには、なかなかの鋭いおいしさ。

味には妙なセレブ感も付随する。

 

結局、なにが言いたいかと問われれば、「卵ご飯はうまい」。

  

鏡と仮面―アイデンティティの社会心理学

 

鏡と仮面―アイデンティティの社会心理学 (SEKAISHISO SEMINAR)

鏡と仮面―アイデンティティの社会心理学 (SEKAISHISO SEMINAR)

 

 内容として、特に興味を引かれたのは“他者との相互関係”について。

そこでは他者とのコミュニケーションを取る上で三つの特徴的事象を挙げており、

①他者が相手に示す意識的行為と無意識的行為、

②自己が行う意識的行為と無意識的行為、

③それらを自身がどのように捕らえ、考えるか。

この三つが上げられ、中でも②が印象的で、

「他者の行為をすべて理解しきるのは無理である」

とするのは納得でき理解の範疇にあったが、②の自己の行為も実は、自分ですべて理解しているわけではない、との主張があって多少衝撃的。

しかし続く説明文「他者の行為をすべて理解できないのに、自分の行為はすべて理解できると思い込むのは誤りである」といった主張で納得。

よって本書は、“自分”という存在における不可侵さについても学ぶことができる内容。

 

人は、自分のことは誰よりも自分が理解している。

そう思いがちだが実際にはそれは誤りであり、実際には自分を社会的状況に照らし合わせて、脳裏に描く役割を自分に当てはめているに過ぎない。

”自分らしさ”とは、単にその場に適した偶像的な行動・役割であって、自分が作る空想の人物の真似事。世代や文化の影響があっての性分であり、既に象られた人工的なアイデンティティなのだという。

しかしアイデンティティとは随分と曖昧な概念であると何度も前置きし、その存在性の是非を問うのも特徴的。まさに「自分とは?」の深層を知ろうとするのは、雲を掴むようなものかもしれない。そして他者との係わり合い時における、単一性と複数性について述べていたのも印象的。一人同士が話そうとも、その一人が信念や社会、文化的係わり合いにおける存在であるならば、それは一人であると同時に複数人であり、それら群像の代表であって、相手が一人であろうと同時にそれは、複数人とのコミュニケーションをとっていることになる。

 

読むと納得するのは、自分と相手の境界線がはっきりしようとも、そこは慎重にならなけばならない、ということ。

自分と他人、そこに蔓延る意識的な誤謬と鏡像性について、改めて見直すきっかけを作ってくれる一冊であり、アイデンティティの形成は文化的・社会的、また世代的な影響を多大に受けようとも、一概にそれらがすべての要因とは言えない点に注意が必要である。

アイデンティティ”という、ニュートリノのように脆く正体をなかなか見せないような物の正体を暴こうとする積極的なアプローチは、まさに社会学におけるLHC

きっちりとした社会学観点から述べ、なかなか読み応えある内容。

ジンメルによる考察が好きな人などにはおすすめ。

 

 

人間というのは面白いもので、歳を重ねれば重ねるほど、自分のことが分からなくなっていく。それは、学問における本質を理解し始めたときに生ずる、「分からないことが分かる、分からないことに気付く」といったことに通ずるものであると思う。

それはあたかも、“死”という概念を決して理解し得ないということを理解していくように。

思想としての孤独

 

思想としての孤独―“視線”のパラドクス (講談社選書メチエ)

思想としての孤独―“視線”のパラドクス (講談社選書メチエ)

 

 なかなか面白かったので、お勧めできる一冊。

「孤独とは何か?」

万人が抱く持病のようなものであって、誰しもが抱えるであろうこの疑問。

それに対して、ひとつの答えを示す本書は、意欲的に”孤独”の本質へと迫っていて読み応えあり。

孤独という概念について、また人が孤独を感じる原因を心理学的のみならず、社会学からの観点からも検証し、その見えざる者の正体を暴こうと試みる。

一読すれば「なるほど、孤独とは分身による者の影響か」と合点がつくこと請け合い。

孤独とは身近にあって、それでいながらその正体を暴き切れない、まさに幽霊のような存在。しかし本書はそうした幽霊の正体について教えてくれる、まさにゴーストバスターズ的な本。

 

馴れ合いに違和感、人間関係に疲弊している人にこそ、読んでもらいたい一冊。

価値観の多様性、マイノリティがマジョリティに。

ネット社会によって、こうした概念が浸透してきたかのように思われていても、実際には前世紀的な人付き合いを強制され、そこから逸脱しようものなら社会的にのけ者とされる。こうした野生的であり原始的な概念が未だ蔓延るのは何故か?

そこに示す答えを知れば、多少は気が軽くなる。

同時に、孤独を抱えるのは個人のみではなくて、そこに共通する意識を知ることによって、他人はもとより人間という生き物の生態について、より知り得ることができる。

人間は高等生物といわれようが、結局は生き物であって、本能に依存する部分が未だ過多であるんだなあ、と感慨深くなること間違いなし。

群衆の中でこそ、孤独を感じるのであれば一読することに躊躇なく、

手にとってもらいたい一冊!

 

 

 

 

内容の無いコミュニケーションを馬鹿にしている人は…

p-shirokuma.hatenadiary.com

なるほど。

上記のような、内容の無い記事を読んで納得。

内容の無いコミュニケーションを馬鹿にしている人は、

それを個人的に、内容が無いと思っているに過ぎないのだと。

情報も相対的だ。

 

 

荒木飛呂彦の漫画術

 

荒木飛呂彦の漫画術 (集英社新書)

荒木飛呂彦の漫画術 (集英社新書)

 

 漫画作成のハウツー本。

内容としては漫画だけに留まらず、

作品の製作に関するハウツーが満載で読み応えあり。

なかでも、キャラクターと世界観についてでは、登場人物には身辺調査といった”各々の人物の詳細設定を決める”という事を、必ず行うといっていたのが印象的。

世界観についてでも同様で、拳銃一つとってもその構造を知っていると知らないのでは、描き方に雲泥の差が、とのこと。

他には、ストーリーの王道性についての見解も面白い。

読者はあくまで、終始プラスに続く展開を望むのであって、そのかたちを変えようが、上昇し続けることが重要と説く。

あまりにジャンプ的な主張なので最初、懐疑的にさえ思ったが、読むと納得。

プラス、つまりどんどん上昇していくストーリーはそれだけで面白く、読者の期待に応える結果、読み手の注意を惹き読者を放さない。同時に、プラス、といっても一概にそれは中立的立場から見た上昇でなくとも、見方を変えれば上昇といったこともでき、デュオなどがいい例で”悪”として上昇し続けて見せるような。また、逆にずっとマイナスのほうへ下降してくといった、変り種もありとは言うが、かなり高度といえそうだ。

これを読むとジョジョという作品の奥深さがさらに分かるようになる一冊。

物語にあるリアルさは世界観や人物設定の厳密さのみならず、重力の影響を受ける水の動きや、風の影響を受ける火の描写など、一見して気付かないような細部にまでのこだわりによるものだと分かる。すごい人だな、改めて実感。

また、「アイデアの出し方について」の記述も面白い。

デビューして以来、アイデアが枯渇しないというものすごいけれど、その方法には思わず「なるほど!」となること請け合い。そこでの提言として、要は「なんにでも興味を持て!」とのことで、価値観を閉じ込めず何事にも興味を持つことの重要性を説く。同時に、反対意見や興味の無いことを邪険に扱うのではなく、そこにこそ、アイデアの原石があるとしていたのが印象的。反駁したくなる意見を前に、自分はどうしてそのように思うのか?と思考を巡らせることが、マンネリを打開しアイデアを沸かせる手法というのは面白い。

終盤には、自身の作品を例に物語の“起承転結”を解説。

コマ割りについての考え方もあって、漫画家を目指す人にとっては本当に良い教科書になるのでは?

そして、“起承転結”の例を示す作品として載せていたのは『岸辺露伴は動かない』のひとつのエピソード。そこでは驚愕!

計算されつくした演出やキャラ設定はもとより、露伴の髪の毛にある緑の部分、そこがヘアバンドであると初めて知った!

本書を通して一番の衝撃が最後にあって、何より驚いた!

ずっと髪型と思っていたのに…。