「どうして勉強するの?」という問いに対しての一つの答え
9月となって学生は新学期スタートの時期であると思うで、
過去の自分も含め学生がよく口にするであろう疑問、
「どうして勉強するのか?」
としたものに対するひとつの答えを今になって示すことができるようになったので、それを淡々と綴ってみる。
その理由として、最初に答えを示してしまえば
「生活を面白くするため」
「なるほど、知識があれば生活のうちに選択肢が増えよりよく暮らしやすくなるのか」という意見かと思えばそうではなく、実際にはもっと単純。
要は、知識が多ければ、その分笑えることが多くなるのだ。
そこでたとえ話をひとつ。
青空がどうして青いのか?その理由は”レイリー散乱*1”という現象のため。
ここで友人が青空を見上げて
「空が青いのってどうして知ってるか?あれって、ゴールドロジャー散乱って言うんだぜ!」
と言ったとしよう。
そのとき、仮にあなたが青空に見える現象のことを本当は「レイリー散乱」と知っており、同時に漫画ワンピースに「レイリー」という登場人物が居ることを知っているとしよう(それとワンピの知識をもう少し)。
すると友人の発言に対し「いや、それレイリー散乱だから!!」と突っ込むことができる。友人の言い間違い「ゴールドロジャー」とは、レイリーと同じ船に乗っていた仲間(船長)であり、そうした前知識があることでようやく「ゴールドロジャー」と「レイリー」なる固有名詞のつながりができ、そこでの言い間違いであるのだと気付くことができる。
すると友人のボケを(天然かもしれないが)拾うことができ、ちゃんと理解した上で適切なツッコミが(同時に笑うことも)できるのだ*2。
とまあこれは極端なたとえであって、ミジンコの手足を指でつまめるほどの拡大解釈ではあるのだけれど、言いたいことはこれと同じで、要するに「幅広い教養は、同時に、数多の共時性や共通性を気付かせる」ということである。
もっと簡潔かつ的確に言えば
「教養がたくさんあると、笑いの沸点が高まるのでも低まるのでもなく、笑いの沸点たる間欠泉の領域が広がる」
ということである。
つまり日常において拾える・気付けるボケが多くなって、あれはボケているのだな!と気付くことができるようになり、日々の生活において「ぷっw」と噴出し笑えることが多くなって自然と笑みになることが増えてくる。
なので「どうして勉強をするの?」の独我的自論を改めて示せばそれは、
「勉強して教養を増やすことで、世の中にはびこる滑稽ごとに多く気付けるようなるため」ということに他ならない。
すると世界は薔薇色にこそ変容せずとも、少なくとも、世界の色はきっと洒落た色に見えてくることは間違いない。
笑うことはとても単純だけれど気分を高揚させる効果剤。
知識を身につけることそれ自体が、直接的に生活それ自体をすぐに向上させることはそうそうないように思われようとも、ジョークはそうした垣根を飛び越える。
なにより、理解できない冗談って悔しいからね。
*1:レイリー散乱についてより詳細を知りたい方は、ウィキをどうぞ。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%BC%E6%95%A3%E4%B9%B1
*2:同じような言い間違いの古典的なものとしては、外国人の男性が日本語の「ありがとう」を発音の類似性から「アリゲーター」と記憶しておき、いよいよお礼する場面となったら「クロコダイル!」と叫んでしまった話など。
7月に読んだ本からおすすめ10冊を紹介。
その中からおすすめの10冊を紹介!
第10位
『子供たちは森に消えた』
次々と子供が殺されていき犯人の手がかりさえもつかめない!
そんな映画みたいな本当の話を本にした一冊。
何より驚くのは、こうした殺人事件が起こったのが1970年代!!とさほど遠い過去ではないことで、無論この時代では既に科学捜査なども行われていた。
にもかかわらずである。
舞台は当時としてソビエト連邦であり、読めばわかるは殺人鬼の異常さのみではなく当時のソビエト連邦の社会的背景。文化的道徳などもそうであって、けだしなにも「おかしい社会だった」とたんに言うのではなく、そこにある隠れ蓑としての理想と現実。
連続殺人が生じ容易に逮捕へといたらなかった経由こそ、本書のもうひとつの読みどころであり、社会的情勢による影響とひとえに言い切れぬほどの深爪を残す余韻は、ぜひとも実際に呼んで味わってほしいもの。
おどろおどろしいながら、これがノンフィクションというのにはやはり驚かざるを得ない。
小説『チャイルド44』の元ネタでありこちらのほうは映画にまでも。
第9位
『ねじの回転 -心霊小説傑作選-』
回転の話。
というのは大嘘で、ジョジョならびにスティール・ボール・ランが好きであるとどうしても回転のほうに目が行きがちになってしまうのだけど、内容としてはホラー。
というかある種のホラー文芸としての地位を気づいた有名な一冊で、どのようなホラーの小説なのか?前情報を仕入れず読めば納得、その独特さ足る所以はその独創性にあるのだと(2重の意味で)。
というのもまず読んでぽかんと置き去りにされ、読んだ後で反芻するようにじっくりと思い直せば「ああそういうこと」と表題作の意味も見えてくる作品であり、そして精神的な、倒錯さを表立たせた二重三重の文章構造はまさに本から手が伸びて掴んでくるようなメタ具合を感じさせる。
ということで本書は立体絵本みたいに恐怖の概念を本自体から浮き上がらせ迫り来るような怖さがあり、確かにこうした系統のホラー小説は稀有で『ねじの回転』なる作品が評価されていることもわかりやすい。
本書では他にも短編など収録されており、そちらもなかなか。
第8位
『マイナス・ゼロ』
日本タイムとラベル文学の傑作!と名高い本作品は、その高名こそ存じ上げていたものの手付かず状態が続き、ここに来てようやく一読を。
するとその評価の声にサムズアップを転覆させる必要はなく思え、いいね!とひとえにも二重にも思えたのは過去の、戦時前における銀座の町並みを鮮やかに描いたことでありその情景は見ず知らずでいるにもかかわらず妖艶に脳裏に浮かんでくるような艶やかな文章。
タイムトラベル作品のまさに醍醐味とも言える時代変化の驚きとそして、もうひとつの醍醐味である時間軸に対する挑戦的表現としましては、これはまあなんと言おうか見事。
そう。確かに見事ではあるのであるのだけど、申し訳なくも思うのは今にして読んでしまうと多少古いなと思うのは仕方がないとして、その伏線回収的な展開には多少驚きもしましたけれど……。
こいつぁわ、すげぇや!ってほどまでには驚かず、ああなるほどと思うのはおそらく当時と比べればこうしたタイムトラベル物語が大量に発生し多くの跋扈したそれら作品のうち幾ばくかには目を通していたからであって、そこまで終盤の展開にも驚かず。
それでも最後の点と点がつながるような流れはやはり読んでいて気持ちがよく、ゾクッとしかけたのも事実。
第7位
『救い出される』
アメリカの小説で、まさに中年版スタンドバイミーみたいな作品。
都会暮らしに辟易しては「そうだ、京都へ行こう」とはならず行くのは南部のリバーで川くだり。
四人連れ添っての遠出となり、発案者であり仕切るのは肉体的にも精神的にも優れる主人公の友人で、彼に誘われたわけで主人公はついてきた訳だ。さあカヌーでの川くだりを楽しもうぜ!とはじめるのだけれど、男四人何もおきないはずもなく…として生じるハプニングの数々。
この作品が当時のアメリカにおいて流行し、今においても感心してしまうのはおそらく、登場人物から物語の展開、用意した場所から場面にまで実に多くのものがわかりやすい”示唆”としての機能を果たしているからであり、これはまさに大人の童話。
教えられることが多く得るものが盛りだくさん、といったような作品というよりかは寧ろコンテキストの多様さを示すことで最後にメタ的にもハッとするような、そんな衝撃さもある作品。
あとは荒々しい自然の描写も特徴的かつ躍動的。
様々な小説のジャンルが入り混じっているのも特徴的であり、こうも多様な読み方をさせるのか!と読んでいてハラハラする事も受け合い。コンテキストの多様さは垣根を飛び越えそれはジャンルの分野にも飛び火する。
単純に面白い小説でもあるのでお勧め。
第6位
『毒入りチョコレート事件』
この小説が面白いのは、従来の推理小説のごとく推理を読ませる作品ながらも他の推理小説とは一線を画しているのは、それが直接的ではないところにあって、それこそがまた読者との位置づけを確証付けている点にあるのだと思う。
推理クラブの面々が、実際に起きた事件に「では推論大会を開こうか」という内容の小説。
そこで語られるのはメンバーによる各々の推理で、 独創的なものから突飛なものまで様々。
まさに思弁さにこだわりを感じる作品で、それこそ推理小説読者を意識している構成と言うのは直喩的にわかりやすく、メタ的な視野を没入させるような構造が面白い作品。
第5位
『現代マンガの冒険者たち』
漫画の表現の可能性についてを、多くの漫画作品を例に挙げながら解説する一冊。
漫画ってこれほど表現に幅があったのか!とまさに目から鱗の一冊であって、文学で言うところの筒井康隆のような、漫画における表現の可能性について示唆する実験漫画作品の数々を紹介。
それ故にメタ的な解説も多く、ここで思いついた例えで言えば「漫画のコマである□それ自体を、重ねることで”ロロロロロ”という”ろ”という擬音としての文字に用いる」ようなもの。
つまり意識する表現としての遠近感、パースペクティブの概念を近づけたり遠退けたりしてくれるので読者のほうとしてはゆらゆら概念が揺らいで新しい地平が見えてくる。
意図された視覚効果として漫画がまず示すのは”絵”。
そして聴覚に訴えるのは擬音や台詞だろう。
しかし漫画に備わる表現効果はそれのみにあらず。
漫画はアニメに比べれば静止画でありボイスやSE、BGMなどもない。
だが、そうして制限されたうちでだからこそ、表現できる表現があるのだ。
そういった表現への挑戦を試みた作品や、または文学的な表現手法を用いている作品の紹介などもあって、本書はなかなか読み応えあり。
漫画好きの人にはもちろんのこと、漫画をよりよく楽しみたいという人にはお勧めできる一冊。
第4位
『エッシャーの宇宙』
著者がエッシャーの友人、ということもあってエッシャーの人どなりについてはもちろんのこと、様々な作品に対する思いや構成についてなども記述されているので各々の作品に対し「すげぇ!」と視覚で楽しみ「まじか!そこまで考えて作られていたとは!」と製作秘話を知って知覚的にも楽しめる一冊。
収録されている作品はおおよそモノクロであったりはするものの、エッシャーの作品についての理解を深めるのにはなかなか最適な内容。
読めば改めてわかる「エッッッッ!シャー凄い!」ということに他ならない。
ジョジョの荒木先生も影響受けてるなとわかる絵の数々もあって、無限的表現のあどけなさ。
第3位
『最終戦争/空族館』
個人的に好きで贔屓なSF作家である今日泊亜蘭(なんと素敵でセンスあるペンネームだろうか!!)による復刻短編集であり、内容としては掌編的な作品も多くショートショート的 。
時代を感じさせる作品や、シンプル過ぎるのでは?といったもの、または星新一との類似性を感じさせる作品などもあるが、しかし流石日本SF聡明期の大家!と唸るような作品もあって、収録作の中ではSF戯曲『怪物』が特に面白く感じ、その発想などは今に読んでも古臭さを感じさせず設定も展開も秀逸。
あとは表題にもある『最終戦争』などは味わい深く、これなどは一捻りも二捻りもある内容で最後には読者が「おおっ」唸ってしまうような作品。
そして異星人ものが多いあたりは時代性を感じさせたりも。
第2位
『スティーヴ・フィーヴァー ポストヒューマンSF傑作選』
スティーヴ・フィーヴァー ポストヒューマンSF傑作選 (SFマガジン創刊50周年記念アンソロジー)
- 作者: グレッグ・イーガン,ジェフリー・A・ランディス,メアリ・スーン・リー,ロバート・J・ソウヤー,キャスリン・アン・グーナン,デイヴィッド・マルセク,デイヴィッド・ブリン,ブライアン・W・オールディス,ロバート・チャールズ・ウィルスン,マイクル・G・コーニイ,イアン・マクドナルド,チャールズ・ストロス,山岸真,小阪淳,金子浩,古沢嘉通,佐田千織,内田昌之,小野田和子,中原尚哉,浅倉久志
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/11/25
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良質なSFオムニバス。
人類の姿が(精神の形としても)将来的にはどのようになるか?を描いた12作品によって構成。
どれも安定した面白かったのだけど個人的に特に好きだったのは「人間の尊厳とは一体どこから生じる?クローンの自分もまた自分であるのだとすれば人権ってどうなるの?」と人間における個の存在性についてとその尊厳についてを思考実験的にも思弁するロバート・J・ソウヤー『脱ぎ捨てられた男』は、ある種禅問答のようでもあり、また「SFってよく人間のクローンを容易に出すけど、それって実際になったらどうなのよ?」と従来のSFに対して皮肉的でもあって面白い。
時間の存在を存在性にへと還元させて示すのはデイヴィッド・マルセクによる『ウェディング・アルバム』で、これもまた素晴らしい作品。
カメラで撮って写真に写る像が、もしも写像それのみではなく写された時分のときの自分の存在性も記録できたとしたら。とするのは本作品の設定であって、今風に言えば被写体をバーチャルユーチューバーみたいにして保存しておける(それもその人物の人格も同時に保存!)技術がある時代の話で、過去のバーチャル体の時分と対面して今の自分と対談して「どうよ?」とする作品。
過去の自分と会うものながらタイムトラベルものではなく、そうした状況をファンタジーでもなくSFとして技術的に表現している点がまたすごい。まさにアイデアの勝利!
あとキャスリン・アン・グーナンによる『ひまわり』も特に良かった作品で、本作ではある能力が進化した人間の姿を描く。退行的な主人公の世界観。しかし希望を感じさせる未来への姿を彼らは浮かび上がらせ、読者には涙を滲ませるような目の作品。
マイクル・コーニイ『グリーンのクリーム』は意識を機械に移植させるという攻殻機動隊みたいな世界において、その意識を移植させた機械に旅行をさせる話。その観光地を運営する人たち視線から作品で「実際の体でなくて旅行するってどうなんだろう」として身体と意識について語る二元論的さはあるものの哲学さはライトで主はユーモラスさ。夕方にやってそうな30分アニメ並みのほんわかさある作品。
本オムニバスは他にもアイデア溢れる作品ばかりでどっしりSFしてるSFばかりながらも読み易さも相まって万人にお勧めできる良書。
第1位
『ヒトはなぜ笑うのか』
- 作者: マシュー・M.ハーレー,Jr.,レジナルド・B.アダムズ,ダニエル・C.デネット,Matthew M. Hurley,Jr.,Reginald B. Adams,Daniel C. Dennett,片岡宏仁
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 2015/02/25
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今年に入って既に200冊以上は読んだけど、その全体からしても「第一位!!」と思えた圧倒的内容の一冊!!!
それほどに内容としては奥深く啓蒙あり、現代の聖書的な役割さえも抱く可能性を感じさせるパワフルな本。
どんな内容か?といえば表題がすべてを示しており、人が笑うのはどうしてか?を科学的にも哲学的にも考察していく。
そこでは「笑い」に対する様々な理論が語られていることはもちろんのこと、その都度に理論の例となるジョークが載せられており理論に学びジョークに笑うという意図的な情緒不安定さをもたらしてくる構成であり「ああ!なるほど!」と理論に感銘受ければ次にはジョークで笑っているという繰り返しに脳は飴と鞭のごとく有意義に刺激され、まさに「アハ体験」ならぬ「アハハ体験」。
笑いとは、実に身近で、身近過ぎるゆえ軽視されている重要な存在のひとつに思うので、この本はそうしたもやもやした部分を湿らせ、窘めてくれるのに良い一冊だった。
「笑うのは体に良い」なんて言葉はよく聞くけれど、本書を読めば「笑うのは脳にも良い」なんてことも、難解さに見せる理論の全容を笑いが先導して示してくれるのでよくわかるはずだ。
映画『ミスター・ノーバディ』がなかなか面白かった件について
ふと観た『ミスター・ノーバディ』という映画がなかなか味わい深かったので、その感想や気になったことに対する備忘録記事。
今回の記事にはたっぷりとネタばれが含まれているため、
これから視聴するぜ!といった方にはこれより先を読むことは非推奨とします。
ちなみにどんな映画かといえば、あらすじとして
もしもあの時、違う相手を選んでいたら・・・。
衝撃のパラレルワールド!
ひとりの男が語る、いくつものストーリー。
ミスター・ノーバディ(=誰でもない男)が本当に歩んだ人生は?
人生における幾通りもの可能性と愛の物語。
とまあ、昨今においてはなじみも深い多世界もの。
ただ本作品を視聴後、特に気になったのはこの映画の解釈の仕方について。
視聴後、本映画の感想を検索して目を通していくとおおよそが「多世界解釈」やら「量子力学」としての見方を主としてレビューしているのだけど、実際それは違うのでは?と思えたからだ。
というのも本作の流れとしてまずはじめに、
”舞台となる2092年においては、医学の進歩により人々は不老不死を謳歌している”
という設定があり、主人公は人類最後の老衰死者になろうとしていた。
そこでの主人公は高齢のため記憶が定かではない*1として、医者が催眠術を用いて過去の記憶を引きずり出そうと試みる。
その後に展開される物語子とまさに上記のあらすじにあったような、
”ひとりの男が語る、いくつものストーリー。”
であり「もしもあのとき、別のパートナーを選んでいたら?」
とする内容のもの。
本作品では非常に重要なキーワードとして『時間』を取り扱っており、
そのため過去の時間をやり直すには?といったことに対しての多次元的解釈における可能性などについても直接的に解説するシーンがあったりと(簡単に言ってしまえば「わたしたちの時間って過去未来への一直線で一次元的だよね?でもそれって、次元を拡張すれば時間も2次元性にもなるのでは?」という話)して、要するに何が言いたいかといえば、
量子力学的多世界解釈(超弦理論込みの)的に観れば、選択肢から生じる数多の世界を可能性として存在させるのって可能だよね!
として物語を展開していくのだけど、個人的な疑問点はまさにそこである。
なぜ?かといえば、それは上記にも述べた最初の展開を思い出してほしい。
医者が催眠術をかけるのだ。
実はこれが、大変な伏線(というか、直接的であるので伏せてすらいないかもしれないけど)であって、実は多世界解釈に見せかけた多世界解釈なしの物語なのでは?ということ。
どういうことか?
ここでもポイントは時間。
そして、隠されているより重要なポイントこそが『記憶』。
まわりくどいので結論を先に言ってしまえばこういうこと。
つまり、この映画で展開される量子力学的多世界の可能性は、実は主人公が作り出した偽りの記憶であり、多世界に見えるような世界こそ実は記憶の錯誤によって己が「事実」であると信じている「偽りの記憶」に過ぎない、ということである。
よって本映画は「量子力学的!」なんていうよりかは実際、「脳神経学的」としたほうが適切に思え、シュタインズゲートのような多世界ものというよりかは『遊歩する男』のような、脳の作用における状態がもたらしたものであると解釈するのが正しいのでは?と思うわけだ。
それこそ、こうした推察の位置づけとしては最後の落ちの部分も重要に関与しているからであって、さすれば最後の終わり方もあの展開もまた腑に落ちるためである。
最後の展開にあった「パートナーとしてアンナを選ぶ」というシーンもまた、実際そうしたルートの人生を選んだのではなくほんとうは数多作り出した記憶の中から自分が「これを真実にする!」と作為的に分裂した自分の記憶のうち自らが「本物の記憶」の判を押したに過ぎないのではないかと思う。
本映画は『時間』をテーマに、数多の時間の可能性があれば?というのを表現するのだけど、見落としがちであるのは「それって主観に限るのであるなら、現代においてもできることだよね」ということであって、時間が記憶を作るのだけど、記憶は必ずしも時間を必要としないのだから。
無論これはひとつの見方であって、これが正しい!というわけではないのだけど、こうした見方があっても面白いのでは?と思ったのでここに綴る次第である。
ただ本映画はとてもよくできている映画であって賞賛し甲斐のある映画であるのは間違いない。
だから興味ある方はぜひとも視聴を!とネタばれになるのでは未視聴は帰れ!と初っ端に言い放ってからのこの締めの言葉である。
よってここでの逆説的な行為を取り消す方法はひとつ。
”今回の記事にはたっぷりとネタばれが含まれているため、
これから視聴するぜ!といった方にはこれより先を読むことは非推奨とします。 ”
この文章を書いたのは、一番最後である。
つまりこの映画でもそうなのだけど、時間とは言ってしまえばこのようなものなのだ。*2
微笑ましい絵に濃厚な世界観
- 作者: 西島大介
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2005/02/19
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何気なく読んでみたらとても面白く、琴線を刺激された作品なので紹介を。
童話のような漫画の一冊。
特徴的なのはデフォルメチックな絵。
しかしそれに反するような濃厚さ感じる物語で、まさに大人の絵本といった風体。
新海誠監督が好きそうに思えるほどのボーイミーツガールな作品で、あとカギ猫がとても可愛いのでそれだけでも十分におすすめ。
6月に読んだ本からおすすめ10冊を紹介。
その中からおすすめの10冊を紹介!
第10位
『カントはこう考えた―人はなぜ「なぜ」と問うのか』
カントはこう考えた―人はなぜ「なぜ」と問うのか (ちくま学芸文庫)
- 作者: 石川文康
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2009/05/11
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アンチノミーについて、よくわかってくる一冊。
二律背反って何なのよ?と言った疑問が一応にも解決する本書は、しかしその解決案を出すのがカントの思案によるものであって、脚注として<カントによる解釈です>とは付け加える必要が現代ではあるであろう内容。
本書はそして「なぜ」と思うのは何故?といったメタ感つよい疑問に対しても、その答えに迫るものであって、疑念それ自体の追求をしようというのだから概念として面白い。けれど打ち出す解答は多少の詭弁さも装っていて、奇矯ななぞなぞじみた問題に「そんなんあり?」と思わせるのだからまるで西洋の一休さん。
特に「問題を別角度から眺める」といった意味では共通さは大いに感じ、
「メタ的に景観を眺める術について考えさせられる」
と言うのはもちろのこと、個人的にはやっぱり言語的な、言葉の問題が問題なのでは?と循環的にも思ったり。
でもまあ、言ってしまえばカントがアンチノミーとして示す矛盾も、実際にはそれは存在せず、思弁的な事象に対する思弁的思惟に対してそびえる矛盾。
なので、その矛盾に先立つ前提もまた勝手に作ったいわゆる「俺ルール」。
よって「じゃあ俺ルールを見直せばいいのでは?」となるのは必然な気も。
それでも矛盾を解くための手法も過程もダイナミックかつ、謎としての矛盾の解消には「ああ!なるほどね!」と一種のミステリー作品の解決場面を見るようなカタルシスがあるのでおすすめ。
第9位
『胡桃の中の世界』
その啓蒙というか、著者の知識量がすごいなと感嘆する一冊。
まさにトリビア的。
内容としてエッセイ調。
ただ各々どれにおいても西洋文化や史実からの考察は鋭く、文化人類学的にさえ思える記述の数々、引用も多くてマニアックな知識の宝庫であるのは確か。
紋章学、なんてものの考察なんかもあってイコン的、すなわちシンボリックなものとしてその総体に迫るなども。
そしてシュルレアリスム的な作品に対する言及などもあって、そうした独創性におけるパリの独自性とは?ということまで論じれば、果てに行き着くはそこでの物語性についての解説。
それがいわばユングの唱える「アニマ」を表現したもの、というのもそれまでのじっくりとした解説を読めば納得で、なるほど男は誰しもが理想的かつ夢想的な女性像を描くのであり、まさにそれを言葉そのままに夢の中において描くのだから直接的。
と、こんな風に膨大な知識を駆使して帰納法的にも各エッセイで独自の主張を行い、そこに見せる説得力は甚大。 その熱量もさておき、凄い本。
第8位
『カタロニア讃歌』
ジョージ・オーウェルによる一冊!
イギリス人らしいユーモアも満載の体験記であり、参加したのは戦争ながらも特筆すべきは「全然戦闘がなかった」ことを余すことなく記録している点などもまた面白い。
さらに装備のずさんさや実際の戦場での日和見ったような相互の姿勢など、「戦争にはこういうものもあるのだな」と改めて思い知らされる。
戦争といえば、血みどろの戦いや残虐な行為などばかりがクローズアップされがちで、しかしこうした実際の体験記を読むと、それこそ本当に人間らしい人間そのものが描かれていることに気づく。
あと直接的な戦闘がない時分においても生じる同胞の怪我は、おおよそが事故でそれも自己的なものが大半というは、普及された銃が旧式すぎるといった点も含めてユーモラス。
他にこの戦いを「戦争ではなくたまに人が死ぬ喜劇オペラ」といった表現は(オーウェルによるものではないが)ここでのみでなく、あるひとつの戦場としての実際を的確に表現している言葉では?と感じたりもした。
オーウェルといえば名作『1984』や『動物農場』が有名だが、ジャーナリストとしても活動していただけあって、ノンフィクションの出来栄えもすばらしい。さすオウ!と言えるほどには面白い体験記ではあった。
第7位
『トマス・アクィナス――理性と神秘』
トマス・アクィナスといえば神学の体系を啓蒙させようと書物を多く出版したのが特徴的で、その思想をわかりやすく解説しようというのが本書。
意外だったのは、キリスト教徒は勝手な先入観として「禁欲を促す」ものであるかとおもっていたのだけど、トマス曰く「強制的な禁欲は人間の自然な姿とは反する」として、ガチガチの禁欲を咎めている点。
その他にも現代にも通じる合理的な解釈が紹介されており、トマス・アクィナスをよく知らずいた時分での先入観では「時代遅れの神学なんて知って意味あるの?」なんていう懐疑的な姿勢で居たのが読了後にはきれいに崩されたほど。
むしろ読めば「どうして現代においてもトマス・アクィナスの研究がされていたり、引用されているんだろう?」とした疑問が溶かされた心地であって、現代に通じる合理性な考え方は逆に人間のほうの変化のなさを感じさせたりもしたけれど。
本書を読めばキリスト教に対する理解が捗るのはもちろんのこと、
その内での ”中庸”の推奨さについても理解でき、勉強になる内容。
ほんと正直読むまでは「時代遅れ神学の論説の垂れ流しなんじゃないの?」なんて思っていたけれど、実際には現代にも通用する啓蒙さを備える論説群の解説。
意外と面白かった。
第6位
『個性の生態学―動物の個性から群集へ』
内容として、生態における”個”に注目しようとするもので、そこでの個が全体を当然指し示すわけではないものの、そうした個が示す全体に対する影響についてを探ろうとするのが表題にある「個性の生態学」。
なかなか刺激的にも感じる内容で、そして読み方によっては還元主義的に感じたりも。
作者の立場として、慎重でありながら夢想的にも個体群による研究が全体へ及ぼす影響についてなども語り。今後の展望も述べていたのも特徴的。
長くはなりそうなので、他の場所でもっと掘り下げて感想をまとめようかとも思う一冊。
第5位
『いつも「時間がない」あなたに: 欠乏の行動経済学』
いつも「時間がない」あなたに: 欠乏の行動経済学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
- 作者: センディルムッライナタン,エルダーシャフィール,Sendhil Mullainathan,Eldar Shafir,大田直子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2017/01/07
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ぶっちゃけて言えば、表題とはあまり関連性を感じさせない内容。
けれど、それでも中身として悪くない。
本書は主に「欠乏」についてを語る内容で、扱う欠乏は金銭ばかりではなく心の余裕についてなどでもあって、むしろこちらがメイン。
「欠乏」の弊害についてを雄弁に語り、思考力も貧困などのような欠乏状態に陥るとその性能がぐんと落ちてしまう、ということを細やかな実例や巧みな比喩で解説。
するとたとえば要領悪く動く人が居たとして、その人の事情を何も知らずに見れば「要領悪いなあ」と行動を見たままに感じ取ってしまうが、実際には「状態」が悪いのであって、「当人が本当に要領が悪いわけではない」ことを示し、その理由も論理的にも理解させてくれる。
他にも戦闘機における事故の「責任はパイロットでなくコックピットにあった」という話は比喩としても優秀で、なるほど事態の改善には普通、その当人つまり人間を改善することを目指そうとも、環境の変容を目指したほうが効果的なこともあるのだと。
これは慧眼的かついいアドバイスで、自分を含め周りに対する見方も変わる一冊ではあるので、できるだけ多くの人に読んでもらってこの内容を共通理念として持っていてほしいなと思えたほどの一冊。そして欠乏がもたらす弊害とは万人にありうるものであって、責任や原因の追及としてよく題に挙がる「環境か当人か」の答えとしての、一つの明確な答えを示すようにも感じた。
第4位
『科学にわからないことがある理由―不可能の起源』
- 作者: ジョン・D・バロウ,John D. Barrow,松浦俊輔
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2000/04/01
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「科学にだって、わからないことがあって当たり前じゃん」
そんな風に思えていたけれど。
「わからないことがあるからこそ、今の科学が成り立っている」という本書からの言葉が何気に衝撃的かつ印象的。
個人的には7章でのタイムとラベルに対する逆説への考察が面白く感じた。
そこでは反論者における、定義付けられた定義(本書内の言葉で言えばまさに「メタ言語」を用いられていないといえる主張であり、平易に言えば”親殺しのパラドクス”に対するメタ的な不備さ)を逸脱していないあたりに、実際、重要な事柄が隠されているようには思えたりも。
あとは選挙等における非推移について、つまりaよりb、bよりcであるとしても、cよりもaになるわけではないとするその理由と仕組みについて等は印象的。
本書は、「科学には絶対的に未知なることがある」として科学の限界を悲観的に語るのではなく、むしろ肯定的に語る姿勢がとても印象的!
実際には「科学にとってわからないことがある理由」をメタ的にも解説し尚且つ、それがとても重要であり必要不可欠なものであるのだと(ある意味「0」のように)解説、丁寧に教えてくれた良書。
不可知なことがあるからこそ、科学が発展する、という意見はもとより、それがあるからこそ成り立ちがありまた合理的知性が成り立っているのだなと改めて思うにと感慨深くなる。
第3位
ロボットに心は生まれるのか?
こうしたテーマに対し、哲学的にも技術的にも迫る刺激的な内容で面白かったー。
そもそも”心”なるものを研究するのが難しいのは、それ自体が未だにしっかりと定義されていないからであり、類推的にも”心”としての存在を捉えようとするにしろあくまでそれは類推的。
よってまずは「心とは?」としたものを哲学的に考察。
そのあとには実際に使用されている”心の動き”としてAIに用いられている技術についてを解説。その技術自体、シンプルに紹介しており類推的にも集合を使用しての分類はわかりやすい。
要は「数理的にもアルゴリズム化可能!」として実際にその手段や方法も開示し、分類わけとしてはジャンル分けのように感じ、その平均や中心からのずれから算出し(k平均法というシンプルな方法でも可能とのことで)、そのズレ具合から対象群を選別。
判別していき最終的な評価の位置において個々の区別をするという至ってシンプルな方法だと思う。
しかし原理的にはこれでも「人間的な認知」としての状態を作り出すのは可能で、クラス分け的にも思えたのでまるでデータベース的かなとも思う。
あとは認知学的な側面も、心を理解する上では当然重要であって、そのため認知科学や記号論的な側面やその解説もあって複合的な勉強になる内容。さらに記号論として、言語に偏りある用い方としてのソシュールによる記号論と、そのほかの記号も含む全体的な記号論についての記述もあるので言語学的としても記号論的な内容も学べられるお買い得さも含有。
そして後半には、表題にもある「記号創発ロボティクス」についての解説も。
そこでは科学的な見方や例の「フレーム問題」に対する解答なども!あって面白い。
あとはユクスキュル『生物から見た世界』の内容からの概念を大いに用いていたのも印象的かつ特徴的に思え、ユクスキュルが用いていた「環世界」として、「閉じられた」系として人間の認知を定義、しかしそうした「閉じられた」状態でも外部からの影響によって十二分に可塑性や成長とされるものは可能であるとAIによって証明してやろうという取り組みについての記述もある。
AIの可能性について勉強になる内容であり、不可思議であり未だ不明瞭といえる”心”という存在それに対しての理解も進む一冊。
ある種、還元主義的な内容ではあって、数理的なアルゴリズムによって処理される判断力は、それ自体として区切って捕らえれば「はたして自立的な思考があるのか?」区分の難しいところも感じさせてはまさに中国人の部屋的にも思えたり。
心とは?とする捉えがたいこの概念に対し、興味があるのであれば大いにお勧めできる一冊。
第2位
『実存主義入門』
ロバート・G・オルソンによる実存主義を解説する一冊。
「ロバート・G・オルソン?」と正直なったのだけど、読んでみるとこれがまた濃厚。
かつ至極丁寧な実存主義への解説で、知らぬ存ぜぬでも反芻して読み進めていけばその思想の特徴、風潮、派閥から枝分かれした思想についてまで学ぶことが可。
あと分かりやすいなと思えたのは、サルトルの実存主義についてをハイデガーの唱える実存主義と比較して表していた点によるもので、二人の対立する実存主義それの主張によって相応の特徴が浮き彫りとなって理解しやすく感じられた。
ただサルトルのほうが一般的にいってより悲劇的、厭世的であってそれはしかし、よりメタ的にも思えたり(それが概念自体を否定的に見るといった意味において)。
そして本書の大きな特徴は、「実存主義とはなんぞや?」としてサルトルなどこの思想を提唱した人物たちにスポットを当てて解説していくのだけど、その解説内において「○○の部分に誤りがある」など著者がその考えに賛成、反対としての姿勢を取る点であって、たとえばサルトルに対しては「それは単に存在論、サルトルの意見としての前提が間違っているだけ」なんて風に鋭く指摘する等も。
日本での同様の本、哲学の解説書などでは「この人はこういったことを主張しました!」ということをそのまま解説するのみであって論駁やら問題点の指摘には乏しく、言ってしまえば挑戦的姿勢の乏しさこそ目立つような気がしていたので本書のこうしたスタンスはある種斬新で、そこも面白かった。
第1位
『時間と自由』
- 作者: ベルクソン,Henri Bergson,中村文郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2001/05/16
- メディア: 文庫
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これが思いのほか面白かったので紹介。
内容としては個人的に要約して言ってしまえば「時間感覚における量と質としての錯誤について」。
質化できないものに対する数量化、その誤謬を指摘するものでありなるほど感覚とは実際、割り切れるものではないのだとよくわかってくる。
すると感覚野にかかわる感覚とそれとして数量諸現象すべてもまた、実際には(それを”実際”と表現していいのかはまた疑問をはさまれそうではあるが)閾値としての量的なものが「連続でない可能性」を示唆され、これには「なるほどぉ!」と思わず唸ってしまった。
思考の鋳型とでもいうような、考え方による空間と時間との関連性と、連続ならぬ連続性についての指摘はハッとするよりかは同意感が強かった。
というのも「そもそも時間って本当に1次元的なもの?」と疑問に思うこともあったためで、
本書における指摘ではそうした点、つまり”時間”の”存在”それ自体の存在性についてを考察し、時間の性質についてを人間の精神性から着目して指摘するものだから。
ほかに本書ではカント批判なんてものもあるのが特徴的。
そして本書は読むと、身近にして遠く、捕らえようとすれば遠のく「時間」その存在自体がまたアンチノミー的とさえ言えるであろうこの摩訶不思議な「時間」についてを考察し、新しい「時間」の捉え方を提案してくれる。
それは普段、人はみな「時間に捕らえられている」として生きているが、それこそ「本当だろうか?」と疑問を投げかけることで、「時間から自由になれる」。
とまで言ってしまえば大げさながらも、「時間に対する自由」とはつまりそもそもの見方が誤りがちであったのだと気づかせてくれる。
それが「質」と「量」の違いについてであり、事象に対する人間的思惟の特徴もまた同時に感じられてくる一冊。
少々難解的や、冗長的に思えても、言わんとすることは案外シンプルなので、そうした部分をちゃんとキャッチすればスッと理解は捗る内容。
読んで噛み締めて理解をすれば、今までに見えないものが見えてくる。
それは概念的はことであるけど、心が現象化するものであるため「時間」は現前化して感じ得る。
ある意味、時間に圧制されている人にこそ読んでほしいような本。
時間に対する概念が広がる(二重、三重の意味でも)のでお勧め。
5月に読んだ本からおすすめ10冊を紹介。
5月に読み終えた本は31冊。
その中からおすすめの10冊を紹介!
第10位
『饗宴』
プラトンによる一冊。
おっさんたちが集って「美って何なのよ?」と語り合う与太話。
そこには論駁大好きおじさんであるソクラテスも参戦して、さあどうなる!!?
なんて内容の一冊。
そして最後のオチがなかなか秀逸で、「伏線がそこに!!?」なんて後々に(メタ的な意味でも)もわかってくる演出。
ちょっとネタばれしてしまえば「作者がどうしてプラトンなの?」と言ったような疑問に対する答えを示すような。
第9位
- 作者: オスカーワイルド,Oscar Wilde,西村孝次
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1953/04/10
- メディア: 文庫
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オスカー・ワイルドによる戯曲を3篇も収録した一冊!
そんな中でも個人的には『ウィンダミア卿夫人の扇』と『まじめが肝心』が特に面白く感じ、今に読んでも古臭さを感じさせぬエンターテイメント感!
今の時代的に言えば、三谷幸喜やアンジャッシュのような作品らしさ。
そのような風体を感じるような内容であって、コメディとしても完成度高い。
そして残りの一篇『サロメ』は一読して受けた印象”メンヘラ!”
ヤンデレ要素も濃厚で、原初的。
なので昨今のツンデレ・ヤンデレという、ヤン坊マー坊みたいな二大頭の概念は、この時代から存在していたのか!と驚愕。
あとは全体的に富むユーモラスな会話等々も印象的で、
「悪い女は人を困らせるし、善い女は周りをうんざりさせる」
なんて台詞は特徴的。
第8位
- 作者: フレッドチャペル,Fred Chappell,尾之上浩司
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2000/08
- メディア: 文庫
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表紙から既に歪な雰囲気を表出させる本書は、そのインパクトに負けず劣らず内容はなかなか突飛で壮大かつ驚愕的。
なかでも「こんな終わり方ってあり!?」なんてつい思ってしまうような小説こそ稀有で、こんな風に驚いたのは本当に久々。
そして本書の文庫としては、解説が実に秀逸かつ重要で、これによってようやく「ああ、そういうこと」と腑に落ち、解説なしでは成立していないようにさえ思える一冊。
すると思いがけず勉強にもなる内容で、それは一種の物語論として。
昨今読んだ小説の中では、そのイマジナリーさはSFでもないくせにすさまじく、
文学としての別次元の可能性を感じさせてくれる珍しい作品。
ゆえに、妙にお勧め。
第7位
『戸塚教授の「科学入門」 E=mc2 は美しい!』
自伝的側面もありながら、ポピュラーサイエンス書としても十二分に啓蒙的な内容で、価値があるよう思えた一冊。
個人的にハッとしたのは植物に関して、大木が上部にまで水分を運ぶ仕組みについてであり、それまでは「毛細血管的な作用かな」と思っていた。
だが本書曰く「水分子の放出(蒸発)による剥離によって、その部分に下の水分子が吸い付くように引き付けられるため」とのことで、実にわかり易い!
ほかにも「光の科学」についての章では、物理の発展において光に関する科学が如何に重要であったか?それに伴い光学の発展を数式も用いて具体的に解説!
読み応えたっぷりで、たとえば振動数の観測地の誤差が「どうして!?」となった話などもあり、その解決までの流れも具体的。
物理はミステリーに似ている、なんて言葉を聞いたことがあるけれど、現象の犯人探しとは犯人を突き止めるが如く好奇心を刺激する!
なので「なーるほど、実際の分子はいろいろな運動エネルギーを持って振動するのか。ということはつまり…」と著者と一緒になぞ解き楽しめる!
また素粒子に関する解説では専門だけあってとても平易な言葉で内容の本質を示してくれており、各用語の理解は捗りやすい。
それこそ、無駄のない言葉のチョイスこそ最適で、さすが最小単位を取り扱かおうという専門家!なんて思ってしまったり。
楽しく読めて、とても勉強にもなるのでお勧めの一冊。
第6位
『小説 言の葉の庭』
餅は餅屋というけれど、餅屋であった。
そんな、まるで「深淵をのぞく時、深淵をのぞいているのだ」なんていう面白い言葉みたいなのをつい思い出して混乱をきたすはめになりそうにならない一冊。
要は「新海誠」といえば、『君の名は』が特に有名な映画監督であり、文筆業とは専門にあらず。
そんな風に思い込んでいたのだけど、実際に読んでみればあら不思議。
なんとも見事な達筆具合。
自然の描写は枝葉に光が差して感じ、都会の情景、たとえる蜂の巣は写実的。
人の情緒の描き方も上質であってリアリズム的に「人間がちゃんと描けている」というよりかは「言葉に人が舞っている」と感じるほどにはダイナミクス!
さらに彩り豊かな登場人物の個性こそわかりやすく「監督は人の心を着色して見ているの?」なんて聞きたくなるほどには個々人の性格や内省をしっかり区分けできている。
あと思うのは、これほど文章として巧妙に表現できるからこそ、あのような美しい映像として表わせるのであり、頭の中のイメージを上手く、そのままにも転化しているのでは!?という風にも感じた。
とかく本書は傑作小説であるとは思う。
第5位
『ことばの獲得 (ことばと心の発達)』
ことばの獲得について。
関連した論文7つが載せられた一冊。
どの論文もなかなか面白くて、特に印象的なのは「形式言語」についての一幕。
時間があれば後にもう少し、詳しくまとめる予定に。
第4位
『道徳性の発達と教育―コールバーグ理論の展開』
道徳とは。
正直、期待していた内容とは少し違っていた。
というのも、本書では「道徳」それ自体の存在について追究するものかと思いきや、その定義性については踏み込まず。
あくまで「道徳」それ自体は絶対的に存在しているとの過程から、その派生と派生具合についてを研究、検討する内容であったため。
それでもなるほど、一読する価値は十分にあったと思わせる内容ではあり、道徳性とその発達について独自の理論を展開しつつ、その解説と結果を示すもの。
時間があれば後日、もう少し詳しくまとめようかと。
第3位
『アメリカの鱒釣り』
- 作者: リチャードブローティガン,Richard Brautigan,藤本和子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/07/28
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読む麻薬。
なんて表現こそ適切に思える小説?エッセイ的ともとれる作品で、といっても麻薬を嗜んだことはもちろんないのであくまでイメージとして。
なのでより現実的な物言いで例えれば、酒をがばがば飲んで訪れるまどろみ感覚のような、酩酊して世界が歪曲しながらも、なんだか妙な気持ちよさを味わっているような感覚に陥るような不可思議作文。
しかし本書が当時のアメリカにおいてよく売れた、なんていう事実も妙に納得。
できる内容であり、薬物を染み込ませたような文章こそまさに特筆的。
よくよく聞く「その話って深いね」みたいな話はおおよそが「いやいや、それは聞き手の底が浅いから、何でも深く感じるんだろ」なんて思えながらも、本書においてはまさに例外。味わい深さという点においては特殊で、各々の器に流し込むその話の成分は器を溶かすが如く。まあ一言で言って、へんな小説へんな本。
第2位
『ウォール街の物理学者』
「星の動きは計算できるが、(相場を動かす)人の狂気は計算不能だ」
こんな言葉を残したニュートン。
この言葉こそ、ある意味において本書の内容を如実に表しているように思えたり。
そうした本書は題名が示すとおり。
経済界に物理学者が参入とした。
と、ただそれだけのことであり、それだけのことがもたらした衝撃を描くノンフィクション。
「理論が論理どおりに従うか」
そんな、物理的法則を経済学に当てはめ試行錯誤の学者たちの物語。
一時期まで埋もれていた、偉大な数学の定理などにも(それが経済学と多大な関係があったため)スポットを当てたり、先人の頭の良さ(金融として、一般的な人の好ましい状態に導く、という意味において)に触れるにはうってつけの内容。
そしてもちろん、とうぜんのようにカオスやフラクタルについても言及し経済学への応用の解説も。
そして意外な小ネタ、トリビアも多くてそれが面白く、マンデブロなどは”幾何に優れた才能を”なんていうのはフラクタルから容易に想像できようとも、勉学においては戦争の影響が色濃かったこと、また注目すべきは
「いかなる数学的な問題も幾何的な”見える形”として変換して捕らえる才能に特化していた」という事実がありながらも「掛け算が苦手」なんていう意外さも。
バシェリエの「ランダムウォーク」なんて早々から飛び出し、オズボーンによる「対数正規分布」はともかくソープによる「デルタヘッジ」などは近年の経済においても親密に関係しているので近代の経済学と数学との関連を知る上でも便利であるし、ブラックにおける「オプション価格理論」も同様。
あとはギャンブルへの応用をしようと試みた輩もいるので、そこでの挑戦とその結果などはエンタメ性もあって楽しめる。
普通に読んでも十分に面白いが、「理論」と「論理」の違いをよりよく理解してから読めばより楽しめる一冊。
おすすめ。
第1位
『人類の知的遺産〈73〉ウィトゲンシュタイン』
紙に書かれた過去は、先人の足跡に過ぎない。
先人が何を見たかは、辿らなければわからない。
上の言葉はモンテスキューが残した指摘で、なるほど尤もだなと妙に納得。
というのも人が言わんとする言葉には少なからず行間が含まれるもので、
その行間を読むためには相手のことを知ることが必須。
そして逆説的にいってしまえば、相手のことを知り尚且つその上で言葉を吟味する必要があるからで、これを一言でいってしまえば「認知バイアスを打ち破るため」。
ものすごく簡単にたとえれば「偉い学者さんが言っているのだから、絶対なんだ!」なんていう、こうした安直な思い込みを見直すためであり、同時に、人を知って実際のその人の思想が偉大かどうかを己で判断することができることに大きな効果があると言える。
よって、哲学なんかは特にそうした面*1が顕著に重要で(すると、この文章自体がその対象にもなるようであって、不完全性定理みたいなぐらぐらする基盤の不安定さを感じさせるかもしれないけれど)、その思想を知る上で
「はて?そもそもこの人はでは、どうしてそのような事を思うに至ったのか?」
を疑問に思い探るのは、彼の語る言葉を言葉以外からも理解する鍵となる。
何故なら、彼の思想は思想それ自体として思惟、つまり思うことで存在するのであり思う時点においては外に出ていないのだから。
よって、それを現象化、表象化として言語化する時分には、そこに含まれる情報とは必ずしも抽象化時とイコールではなく、状態の変化によってそぎ落とされる情報が、言語以外として含まれる。
そこを救い上げる手段としての共有こそが、相手を知ることであり、非言語的思想という抽象的な削がれた情報を選り得るひとつの方法なのだから。
そんな状態において、うってつけな本書としてはウィトゲンシュタインの生涯についてをまず綴り、生い立ちや家族構成、生まれ育った背景など彼の人生観をその人生を通して思い描く。同時にウィトゲンシュタインその人の思想についても解説。
すると見えてくるのはまさに、彼の雄弁多大なメタ的にも読める複合的かつ逆説的な言語の捉え方。
それこそ、前期におけるノンバーバル・コミュニケーションへの軽視など、数多の立場をとって読めば構成自体がなるほど、こっけいでありそして同時に鳥瞰的な示唆があるのだと。
言ってしまえば、行間の行間を読めと訴えるような、隙間の存在を示す。
こうした言語への理解はまさに、着ぐるみをまとった言語をはがすようでもありめその正体を解き明かそうとするような異臭さ漂う行為かもしれない。
けれどそれは、次元を一つ増やして言語の内容を理解するという試みでもあって、
熟読すれば思考の進化を感じられる一冊。
おすすめはしないけど、おすすめ。
*1:答えが確実でないゆえに
4月に読んだ本からおすすめ10冊を紹介。
4月に読み終えた本は32冊。
その中からおすすめの10冊を紹介!
第10位
『癒しのユーモア―いのちの輝きを支えるケア』
笑いは治癒に適している。
そうしたテーマを根幹に、ユーモアがもたらす生命力を語る内容。
面白い川柳紹介の一冊としても秀逸な内容で、思わず笑ってしまった川柳も多かった。
そうして川柳はいくつも紹介されており、個人的に好きだったのもとしては、
「妻」の字が 「毒」に見えたら 倦怠期
や、
厚化粧 蝿はとまるが 蚊は刺さぬ
などは思わず笑った。
カラ出張 ホントに行けば もっと無駄
これは皮肉が効いていて好き。
なかには感心してしまう川柳もあって、
反抗期 子を持つ親の 成長期
これなどは読んでハッとした。
そして川柳の意義と意味についての解説もあり、川柳とは憤りや悲しみの転化であるという主張は共感し易い。
後は大学教授のデーケン先生との対談も収録されており、そのやり取りが個人的には印象的。デーケン先生曰く、
「ユーモアとは、”にもかかわらず”笑うこと」
ということで、不遇や不運を当人を含めて笑うことの大切さを説いていた。
そしてデーケン先生が語る、外国人による日本語間違いネタは面白く、デパートに行って「魔法瓶をください」と言おうとして「未亡人をください」といったエピソードには笑う。
あと外国人には「礼拝」の発音は難しいらしく、「私は宣教師ですから、日曜日には毎日レンアイをしにいきます」と言っていた方がいるらしい。
ユーモアとは「にも関わらず笑う」精神を具体化したものであり、デーケン先生は「ユーモアは愛の現実的表現である」と捉える。
本書はユーモアの本質について触れ、思わず微笑んでしまうような一冊。
第9位
『ゴシックハート』
ゴシックとはよく耳にしたことはあるものの「それって何?」と言えるほどにはその本質について理解していなかったので、入門書として最適だったと思える一冊。
すると「耽美主義」やら「グノーシス主義」についても追随して学べ、それら概念の解説のために各種さまざまな漫画などの作品を紹介しているのも特徴的。
するとゴシックとは一見して退行主義的にも思えようが実際には違い、寧ろ脱構築的なものなのだと。
それは「両性器具」についての説明の項でより感じ、そこでは性とは古来、人の分裂性から生じたものと語られていたのはもとより、性としての制限を開放する思考こそがゴシックの一端であるという主張はなかなか特質な意見に感じそして面白い。それは昨今のフェミニストとも一線を画し、寧ろ性の肯定にさえ思えた。故にそこでは性による差別を否定するのではなく、両義性としての可能性を広げているようにも。
読んでいて何よりハッとしたのは、本書では人間に潜む残虐性を浮かび上がらせるような、それも肯定的にも見せる趣がある点であり、誰しもがひそかに抱くそうした概念に対する形容を読者に、己に自己の事として容認させてくれる点にある。
あと印象的なのはページを割かず簡潔に示したエヴァ考察であり、あの本質は自己の主体性を持たぬ(それを非キリスト教国として対比させていたのも興味深い)日本人としての特性、その若者の姿勢を描いたのだという指摘は尤もで、そうした無主体の少年が急に力を得るとどうなるのか?を具体的に描いた作品であり、このヒットはそうした日本人の性質を顕著に表していたため、というのには深く納得。
日本人がなぜ少年少女の無垢な美しさに惹きつけられ憧れるのか?その理由もまた明快に解説していて、曰く日本人は主体性を持とうとせず客体性に憧れ、そこで無垢としての究極的な客体さを表すものが少年少女あるから、というのは構造的にも同意し易く、昨今のアニメに若年層の主人公が多くそれを大人が観賞するという構図は、こうした意識体系によるものであるのかなんて思う。
紹介されていたサドの小説なども残虐性が極まっていて印象に残り、『鼠の責め苦』なんかはもうその残虐性に驚愕。この責め苦についての解説は寧ろぶっ飛んでおり凄いなと思うほど。しかし一見して変態的に思える行動や情念はまた、実は形式美としての耽美さがあり、究極的な美を求めようとする意思の突出性が見て隠れしているのだと。
グロテスクな作品は人を引かせるが、同時に酷く惹きつける。
人の内に潜む美しさを垣間見たいのであれば、お勧めの一冊。
第8位
『死後の世界』
- 作者: フランソワグレゴワール,Francois Gregoire,渡辺照宏
- 出版社/メーカー: 白水社
- 発売日: 1992/08/01
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死ぬってどうなるの?
これほど単純かつ難解な用語を用いることなく、答えに窮する問いは稀有。
だからこそ魅力的な問いでもあって、その魅力を拾い上げてまとめたのが本書の概要といえる。
本書では 文化的、宗教的、哲学的な観点から「死」についてを考察。
本書は新書スタイルなので分厚いという事もなく、故に簡素かつ簡潔かと思いきや、読んでみると意外や意外、得る着想は多くハッとしたり、または「へえ!」と感嘆に唸ることも多々あって読み応えありそして楽しめた印象。
そうした多面的にも楽しめたのはおそらく、それが文化的もしくは習慣としてみられる「死」に対する儀式、形容の仕方に深く納得できたからであり、「死」という普遍的かつ不変的不明瞭な存在に対する共通理解として共感できたからと思う。
いわば、「死」とは人種や文化を超えたコミュニケーションツールなのだ。
文化によって食べるものは違う。
しゃべる言葉も違う。棲む世界も、環境も、娯楽も、教育も。
だが、そんな折でも「死」は絶対的なものとして存在しており誰しもがそれを抱いているのだから。
彼らはビートルズを知らずとも死は知っている。
ドラゴンボールを読んだことがなくとも死は知っている。
「死」とは不可知なものであると同時に、それは絶対知(それを文化、環境に依存せず誰しもが知り得るという意味おいて)という、どこか妙に矛盾した体系を持つ存在であり、よって本書において眺めることのできる各種に「死」に対する読み方もまた、それに対して深く共感することができる。
「死」とは、それがツールとしての意味、役割があるというのはもとより、それ自体がより「人間」を「人間」たらしめるのだと思えば感慨深くなる。
死に対する捉え方とは多種多様にありながら。
それを知ることによって得るのは、「死」に対する向き合い方というよりはむしろ、「生」に対する向き合い方!
それは「メメント・モリ」に代表されるような、「死は常に身近にある」だから精一杯生きよう!というものではなく、「死」それ自体の存在に対する穿った見方(習慣や儀式に見られる倒錯的さからの非合理性そのものが「死」を象徴するとして)を学ぶことはすなわち「死」を恐れるものではない、視野の転換をもたらしてくれるようなパラダイムさがある。それはファルマコンのような薬・毒性であり、死の上手な扱い方。
私たちは未知のものこそ恐れるかもないが、未知だからこそ有意義に扱える方法もあるのだと教えてくれる。
そんな有意義な本。おすすめ。
第7位
『純然たる幸福』
『眼球譚』でお馴染みバタイユによるエッセイ的かつ様々な考察を載せた一冊。
そこでのスペイン人における自由と軋轢に対しての謳歌はもとより、特に心に残ったのは実利的でない文化についての考察。
そこでのピラミッドを例に提言する実利的でない文化の意味とは。
バタイユは、実利的ではないことにこそ意味があり、その意味こそ死に対する挑戦、との意見がとても印象的かつ腑に落ち、感慨深くなる。
すると文化的素地的な、娯楽その他にして「生きる上」では決して必然でないものの存在理由が明確となって明らかに。
それこそ、
映画やアニメなど「そんなのを見て何になる?」
ゲームに対し「ゲームなんて時間の無駄」
なんていう批判に対しての、一つの明確な反論理由足り得る意見であると思う。
そのための言い回しである「死への挑戦」といった表現も好きで、文化としてのこうした非実利的なものが廃れない理由がよく分かり、それは挑戦であり、必然なのだと。
確かにピラミッドとは決して実利的ではなく、寧ろ無駄ともいえるもの。
しかしそうした無駄な労働を呈してまで作ることにこそ意味がある。
無駄な労働!
これこそ現代では嫌悪されそうな表現でありながら、実質的なその重要性は人間精神における実利性!をもたらすものであり植物における水と太陽のように必須のものであるのだと。
本書ではそうした部分に感銘を受けたのでここに紹介。
そして後半には、ヘーゲルの哲学考察がメイン。
そこでの意外さは、バタイユもまたヘーゲル哲学の難解さを主張していること。
そして忌みの含有についてなどを考察。
また表題「純然たる幸福」ではその存在した概念の虚無を語り、無表象的なものであると主張する等。
あと最後には死に対する考察では、死に対する考察の無力さと、それ自体を俯瞰的にも笑う姿勢がなかなか印象的。そこでのユーモラスさとはつまり、考察における不可能性にあるのではなく死という体系に対する非実利的なことを実利的な頭脳で描こうとする矛盾さにあるのではと思う。
第6位
『戦争と教育―四つの戦後と三つの戦前』
戦争と教育―四つの戦後と三つの戦前 (岩波セミナーブックス (66))
- 作者: 山住正己
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1997/11/26
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当時における日本のイデオロギー性について、その実際を学べることが出来る一冊。
簡潔に言って、なるほど日本は戦時中においてはなかなか軍事統制としての規制や、教育においてもそうした実施が実際にあったのだなと昨今においても存在する規制国家における「それに比べて日本は自由だな」なんていう意見を翻して考えさせられるきっかけとなる内容。
それはもちろん、現代においても尚、と言った意味においても。
対岸の火事は、見えている分だけ被害はわかりやすい。
しかし現代の現状、誰しも炎上には敏感であろうとも、煙の上がらぬ火事には気づき難いものだから。
よって自省的な意味においても読む価値はあるのではと感じた本書。
他には、示されていたエピソードがなかなか強烈で印象的。
それは、当事者同士の意識の違いについて。
アメリカにある空軍博物館には、長崎に原爆を落とした爆撃機が展示してあるそうだ。
そこでは爆撃機と共に、長崎へと原爆を落とした映像が流されているという。
注目すべきは「見学に来ていた小学生たちがその映像を見て拍手をしていた」という実際の目撃談であり、これほど立場の違いによって見方が変わる例も稀有であると思う。
あとは福沢諭吉の「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」とするこの言葉は「勉学の大切さ」を解くものであり、あとには
「その違いとは、学ぶと学ばざるかによるものだけである」
との意見。
これは現代にも通じる意見、なんていえばそれこそ誤りであり、何故なら現代に限った話ではないからだ。こうした意識体系の意見こそ、それが意識そのものの動きを語っているからこそ普遍なのであって、それは入れ物の中身ではなく入れ物それ自体に対する箴言なのだから。
第5位
『壁』
安部公房の小説。
これだけでも通じる人は通じる記号性。
それほどには独特な世界観を構成している作家であって、この作品も例外にあらず。
内容として、読んだ感じた簡易な印象としては
「カミュ的だな」
といったもの。まあ、その理不尽さとか。
あと含まれている名詞によってわかるは作品の意図で、登場人物の名前然りであり、こういった点ではずいぶんとわかりやすくユーザーフレンドリー的。
例えばプルドンなど登場して「ああ、シュルレアリスム的なのか」といった具合にも。
そして後半は短編集的な構成なのが印象的かつ特徴的。
その短編集、思いのほか面白い。
とらぬ狸の話では、影を食べられながらもそれを論理的に考えようとする点が当時の現代人らしくて面白く、また改めて読むとこれが「死の物語」であることが黙々と伝わってきた。
「死とは?」死ぬとはどういった状態でどのような経過を辿るのか?を描いた作品であり、「そうした作品性は稀有だな」なんてと思うと同時、試みとして独自の路線を描いており面白いなと。
他には「もしかしてエヴァはこれからもアイデアを?」なんて思える短編も。
それでもやはりバベルの塔のお話が個人的には特に面白かった印象で、そこでの視線恐怖症や薄笑い、にやけ笑いなどまさに日本人的。
そして終わり方は何処かジブリ的。
本書では他に人肉ソーセージ工場「ユートピア」なんてものも登場したり、それを中身さえ提示せねば問題ないとする社会風刺的(むしろ人間それ自体ともいえるかも)さもあってユーモラス。
なかなかシュールかつシュルレアリスム的などと思えながらも、緻密な設定さも覗かせ、按配具合の快い小説群たち。おすすめ。
第4位
『三毛猫の遺伝学』
- 作者: ローラグールド,清水真澄,Laura Gould,古川奈々子
- 出版社/メーカー: 翔泳社
- 発売日: 1997/09
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内容の面白さはもとより、丁寧な文章がとても好印象な一冊。
内容も猫好きとしてはとても楽しめ知的スリリングさを感じさせる構成。
主に「遺伝学」についてを取り上げ、中盤ぐらいでもう「三毛猫が主にメスなのはなぜ?」という本書のテーマである問題に対する答えを出していて、それは-
この先はぜひとも読んでもらえれば幸いとして、本書の魅力としては
「分かり易さ」
が是が日にも挙げられる特徴であり、おそらく老若男女だれが読んでもわかるその丁寧さが売りといって過言でない。
すると読めばわかる、ああ猫ちゃんの三毛にはそのような仕組みと原理とそして三つ巴感があったのだと。
よって読めば「えっ?それって要はあれのことでしょ?」と遺伝子についての勉強ができてしまっている、なんとも便利な良書。
所々に挟まれる飼い猫エピソードも微笑ましく、遺伝子に興味のある人にはもちろんこと猫好きには特別楽しめる一冊。
おすすめ。
第3位
『恋するソマリア』
以前に読んだ『謎の独立国家ソマリランド』の続編的内容の一冊。
読むと素直に「面白いっっ!」と唸る内容。
またもぐいぐいとソマリアでの一悶着の数々に引きずり込まれて、ほぼノンストップで読んでしまった。
とても分かり易くソマリアの内情がまた窺い知れる構成で、内部と言っても北部のソマリランドと南部では大きく状況が違うのだなと改めて鑑みさせられる。
一方では銃を所持せず暮らし、南部ではその治安の悪さから銃の所持から、銃声さえも日常茶飯事。
さらには互いがそうした現状を知らない、といった現状こそもまた、不思議で面白く思えたり。
本書ではハプニング満載なのも特徴的。
そのうち一つを例に挙げれば、酷い便秘のくだりはユーモラスで爆笑w
他に興味深く思えたのは、現地の女性が作る家庭料理に接していたこと。
これがどれだけ革新的なことかは読んでみればよくわかり、なんとそのレシピまで!
あと内容には政治についても多少含まれており、どこの国のどのような情勢においても似たような政治の状態こそ起こるのだなと思えば社会学的にも人の鋳型を覗くようであって興味深き。
それこそこれもまた対岸の火事ならぬ、身近な問題としても。
あとはネタバレになるので多言はせずとも面白さは確か。
下手な旅行に赴くよりかは、本書での疑似体験のほうが楽しいとさえ思えるのだがすごい本。
第2位
『レナードの朝』
事実であるものはすべて、ある意味では理論である。
現象の裏にある何かを探すことは無駄だ。
なぜなら現象がすなわち理論なのだから。
本書はパーキンソン病ならびに嗜眠性脳炎について、その患者についての事例を多く挙げこうした病状の実際を雄弁に、そして実に人間味あふれる形で情緒的にも描く内容。
そして何より本書の特色としては、投薬によって劇的な症状の改善、それに伴う経過についての描写であり、本書はもちろんノンフィクション。
よって眠り姫が目覚めてハッピーエンド!というような、ことはそう単純なことではなく、副作用その他さまざまな症状が。
しかし当人においても急激な回復の実感と、それにより意思の疎通も会話で行うことが再びできることになったことでの、本人における本人からの嗜眠性脳炎について語られる状態とは本当に一読の価値がある。
それこそ当事者にこそわからず、語り得なかった未知なる領域を、可能性として実際を示す大きな一歩であったことは間違いないのだから!
また本書では嗜眠性脳炎を「カオス」になぞらえて例えたりと、その病状の多様性と掴みどころの難しさを示しており、重要なのは「患者自身と世界との移り変わる関係について考えなければならない」と主張。
つまり本書では神経学的な、機械的アプローチによってのみで、こうした病状を解決しようというのではなく抽象的アプローチ、この両方を用いて考察をする。
すると強固な文章を描きがちな学者肌の場合は難しいのでは?
なんて思われようが著者は『脳のなかの幽霊』でお馴染みのS・ラマチャンドランなので、人間描写の卓越さはお墨付き。
するとスルスルと読ませてくる文章には息遣いさえこもって感じ、彼らが投薬によって劇的に症状が変化し、その変化によって見られた彼らの反応と、眠りから目覚めた彼らの思いとは。
この場合の「眠り」とはまさに複合的な意味合いを持っており、そういった面においても特に読み応えあり。
本書は人生において、一度は読んでおいて 損がない一冊であり世界的名著であると思うのは思い過ごしではなく、読めばわかるであろうこの文章の意味。
お勧めの一冊。というよりは読んでみてほしいとも思える一冊。
第1位
『ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト: 最新科学が明らかにする人体進化35億年の旅』
ヒトのなかの魚、魚のなかのヒト: 最新科学が明らかにする人体進化35億年の旅 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
- 作者: ニールシュービン,Neil Shubin,垂水雄二
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2013/10/10
- メディア: 文庫
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うーん。
一言でいって「すごい本」
視野としての裾野が広がること間違いなしの一冊であり、内容としてシンプルが故にその衝撃度も高め。
どんな内容か?と問われれば簡素に言える。
「人は魚から進化した」
とたったこれだけ。
しかしこの一見して自明な意見、それが自明であるのはもちろんとして、
「ではどのように?」
と問われれば答えに窮するのではないかと思う。
本書ではそうした根幹的、構造的部分において、魚と人体の類似性、その特徴を照らし合わせて提示し教えてくれる。
すると見えてくる「ええっ!?魚の骨格って、人と同じなの!?」
という衝撃。
すると見えてくる生物としての構造の類似性から「人間の先祖って魚なんだ…」とDNA検査で実の父親が判明したかのような、赤の他人事ではなく自身にとって実に関係のあることであるのだという事実を目の当たりにする。
胚から発生源についてなども解説あり、本書を読めば「人類みな兄弟!」どころか「人類魚類みな兄弟!」とさえ口走ってしまいそうになる。
さらに読みやすい文章もまた特徴的で、理論的な話ばかりではなく、実際のフィールドワークでの体験談も満載。
文章は臨場感を伴いすぅっと情景が自然と浮かんでくるような文筆の才能も感じさせ、知的好奇心をちくちくぶっさりと刺激されながら読み進められる名著。
価値観の広がりを実感すること間違いなしの本なので、実におすすめの一冊!